セレウデリア王国史 3
セレウデリア王国史 3
Ⅰ 沿海諸国会議
ⅲ 未だ亡国の王子ではあらず
沿海諸国の中で、唯一武力を持たぬガルヴァ自由都市。その都市面積こそ大して広くはないものの、数々の貿易商人が拠点を構え、様々な分野の職人が集うこの都市の賑やかさというと全体として活気溢れる沿海諸国にあっても並ぶものが無いとされるほどだ。その都市の中心部にあるのがライオハルト・ディーン公爵邸。まだ28の若さである彼は、父を早くに亡くした為、25で爵位を継ぐ事となった。だが、彼の政治的手腕と生まれ持っての人を引きつけ、放さぬ性……そして何より、ガルヴァの魔術師という密かな異名を持つほどに優れた先見の才によって父の代よりも更に、更にガルヴァを活気づけてきた。
そんな彼が出会った……もしかしたら、早くも人生最大であるかもしれぬ大問題が今回のセレウデリア王家唯一の生き残り、ミアエル王子の幻出だった。魔術士というあだ名を持ちながらも、特に魔法に関心を持っている訳でもなければ当然、その知識はない。しかし、そんなライオハルトも今回の出来事を説明するには魔法というものを使わない限りどうにもできそうにないし、王子本人もそう説明しているのだ。
「申し訳ない事でありますが、沿海諸国というのは一蓮托生。1つの国や都市の一存で、ここまで大きな国際問題を取り扱う事は出来ませぬ。私は、ミアエル様のお話を信じさせて頂く所存でありますし、セレウデリアと友誼的関係にある国……例えばカルカラも味方となるはずです。今回の、アルファレーゼのやりように怒りを覚えてもいます。ただ、それに反対する国や中立を表明する国もあるでしょう。恐れながらまず、会議は長引くと考えて間違いはないかと」
肩まで伸ばした銀髪に、銀縁の眼鏡を掛けた黒い、鋭い瞳を持つきつい印象の美青年、ライオハルト公爵は正面に座る年下の王子を見た。
「はい。承知しています。さぞ、厄介事を抱え込んだと、私を憎らしく思ってらっしゃるのでしょうね」
自嘲的な笑みを浮かべたミアエル。彼もまた、美青年と称されるべき存在であるがライオハルトとはその雰囲気が全く違う。敏腕な政治家という事実をそのまま体現しているようなライオハルトに対して、ミアエルはとても穏やかそうに見える。細い顔を飾る黒くて長い髪は、さらさらと美しく、アーモンド形の青い瞳は女性のように艶っぽい印象。幻惑的な唇にすっとした鼻梁。姫君であると紹介されても、疑う者はいないだろう。
「そんな事は」
ライオハルトは正直言って、厄介な事になったと考えてはいたがミアエルが嫌いではない。彼がよく相手にする大陸の王族・貴族のように高慢な態度を取らないし、何となく彼が時折見せる寂しげな、夢見るような瞳は22歳でありながらどこかの謎めいた少年を思わせた。それに一役買っているものとして、どうしてか古く、どこよりも雅やかでありながら厳格な風土であるはずのセレウデリアの王子なのにも関わらず堅苦しさとは離れたくだけた話し方をするという事もある。
「アルファレーゼ側に私を引き渡すのを提案する方も出てくるのでしょうね?」
「……恐らくは。モルード公国とヨーフェリア王国は、今もアルファレーゼとの貿易を重視しています。そしてアルファレーゼが、昨日あなたを国際指名手配した。2国はこれに応じて、更なるアルファレーゼでの利権を狙うでしょう」
「アルファレーゼ……」
何を考えているのか、外側には一切を悟らせぬ不可思議な表情でミアエルは呟いた。
「ライオハルト殿」
「はい」
「まだ、セレウデリアは滅んでいないのですよ」
彼はすっと立ち上がると、そんなに広くない室内を歩き窓際に立った。窓を背にして座っていたライオハルトが慌てて立ち上がろうとすると、彼は微笑んでそれを止めた。
「まだ、地方に騎士団は残っているし、同盟国はきっと何百年というセレウデリアとの友好を投げ打ってまで、野蛮な武力一辺倒の新興国に手を貸すはずはない。不意打ちを掛けられたから、崩れてしまったというのは確かに言い訳ですが……。こちらから攻めて、それでも勝てないという事はないと考えるのですよ」
爛々と、彼が先程まで眺めていた星達の光をそのまま受け取ったかのように光る瞳でミアエルはライオハルトを振り返った。
「セレウデリアは魔法技術の国……知識の国。それが野蛮な武の力に屈して、潰える訳にはいかないのです。どんな武人もいつかは死ぬけれど、知識はいつまでも残る。私は国を取り返したい」
じっと……相手を見ていたライオハルトだが、ふと微笑んだ。
「セレウデリアにネールの御加護を。
しかし、ミアエル様。差し出がましいようですが、私に1つ、忠告をさせて頂けますか」
「ええ。あなたはきっと、間違った事は言わないでしょうから」
「恐縮です。
先程のようなお話しですが……。聞いていたのが私だからよかったものの、他の誰かが聞き耳を立てうる場所ではなさらないのがよろしいでしょう。沿海諸国は……特にこのガルヴァは人の出入りがどこよりも自由な土地……。どんな、アルファレーゼに与する者が聞いていないとも限らない」
ミアエルは、ほんの少し顔を赤らめた。
「ご忠告、ありがとうございます……。
ですが、あなただから話したのだと言い訳をしておきましょう」
「勿体ないお言葉」
ミアエルは一人であてがわれた部屋に戻ると、じっと指輪を見つめた。段々、刻一刻と別の指輪の方角を示す光が強くなってきている。だが、もうそんな事があるがずはないと思ってた。
(母上の魔力で出来ているのだから、母上亡き後も正常に作動する方がおかしいかな)
彼は、実際、魔法には余り詳しくなかった。制作者が滅んでも、魔法具の魔力はいつまでも存在し続ける事を知らなかった。
さて、カルカラ王国の旗本船コルヴィナ号では会議における方針・作戦についての話し合いも終了し各自休息をとっていた。ハザン王のところには、更に綿密な話し合いをすべくテロスポリス号の2人が残っていたがその話も大方片付き、レイファが自分用の船室に戻ると王とドライグで何やら話していた。
「……どうかな」
「いや、それは……」
とは言いつつ、ドライグは困っていた。何の話をしているかといえば。
「まあ、確かにレイファも19ですがね」
「今年20だろう? 相手としても悪くないはずだ。ライオハルト公爵は」
「ユリー王女様はどうなのです」
「ユリーは、もっと重要なところにやるさ。例のアルグレッサだとかな」
そう言いながらも渋い顔をするハザンはやはり、正直者だとドライグは思う。アルグレッサの王子などに愛する娘をやりたくない、という気持ちがそのまま出ている。
「……ううむ、成る程。あの国には確かに若い王子がいましたな」
婚姻の話である。無論、政治的な。
妻はいるものの子宝に恵まれていないドライグとしては、レイファは我が娘のようなものである。彼女には、出来る限り望むような結婚をさせてやりたいと思っているのだが。レイファはテロスポリス号副船長という、名目上はともかく事実上は王女にさえ並ぶ権限を持った娘なのだ。平和な町娘のように、恋に落ちた相手と、……などという訳にいかないのはドライグも承知しているし彼女も承知しているところであろうが。
「年が離れ過ぎではありませんかな」
「1桁だ。大した問題ではあるまい」
「王族や貴族の方はそうおっしゃりますがね」
ドライグは3つ年下の、友人のようであった女性を妻にした。今でも夫婦仲がいいと有名なほどで、実際、とても上手くいっている。反面、若い妻をもらったというところほど問題が起こっている気がする。だから、ハザンはこういうが賛成しがたい。だが、王の提案を無下にする事もできない。
「まあ、私から話してみましょう。明日はまだ、到着もせず、することもありませんからな」
「ああ、そうしてくれ」
ハザンはどこか、楽しそうだ。それもそのはず、いつもしてやられがちな老練な船乗りを困った顔にさせるのが若い王は好きなのだった。
街道をひた走っていたヨナであるが、とうとう彼は街というものに辿り着いた。
「ここは……ガルヴァ」
余りにも無我夢中で駆け通していたため、どこに向かっているかは殆ど意識していなかったのだ。今、ようやく目の前に飛び込んできた夜中でも賑やかな市街地、街の入り口から既にびしりと軒を並べる様々の商店を見て、ようやく自らがやってきた場所を知った。ガルヴァには、今までにも何度か来たことがあるのだった。この都市を支配する、若き公爵とも顔を合わせた事があり、厳しい印象ながらそのために決して不当な判断を益の為に下すような人物でないと確信できたから、ヨナはひとまず安心をした。
ヨナはここに来てしかし、問題に気が付く。ガルヴァとは広い都市である。指輪の力をとっても、大まかな方向を示す事しかしてくれない。ミアエル王子を見かけなかったかと、人々に聞いて回るわけにもいかない。……となると、ライオハルト公爵と話すのが最短の道であるが、身元の証を立てるものといえば何もない。王家の指輪を持ってはいるが、そんなものいくらでも偽装ができるのだから必要なのはやはり、通行証や身分証といった書類である。だが、とてもそんなものを用意する事は不可能であった。
(さて、どうしたものか)
指輪が示す先……真っ直ぐ進んだ先にある公爵邸と、その先に広がる海を見つめた。
兎に角、馬を休ませなくてはと、我に返る。都市の人々は親切で、馬の世話をしてくれる宿はすぐに見付かったし金が無いことを伝えると、かなり格安に割り引いてくれた。
「あんた、疲れ果ててるねえ」
ヨナの痩せすぎた頬を見て、宿場ドーラの女主人リリエラは憐れむような声を出した。
「痩せているのは元からですよ」
一日も休まず、セレウデリアから駆け通してきたからなどという話をする訳にもいかない。誤魔化すように微笑んだヨナの顔を見て、まだ妙齢でなかなか綺麗な顔をしているリリエラは
「まあ」
と、ちょっと嬉しそうな声を上げた。驚くほど、という訳でもないがヨナは痩せすぎている事を除けば、割と人目を引く顔つきをしているのだ。ただ、今は痩せた顔に疲れが混ざって骸骨のようだったから、微笑むという人間的な表情を見せるまでは近くにいたリリエラも気付かなかった。
翌日、宿を出る時もヨナが気になったらしいリリエラは昨日の残りものなどを包んで持たせてくれたり水を何本かの筒に入れてくれたりと世話を焼いてくれた。そして、ちょっと近寄って
「体調が戻ったらまたいらっしゃい」
と色っぽい目線を送るのも忘れなかった。
ヨナは昨日、疲れた身体に鞭打って魔法使いの特技の1つ、星読みをしていた。それで吉が北西の海にあると読み取って、今日はガルヴァ北西の港に向かっていく事に決めた。
セレウデリア王国史 3