姉妹

 私の親戚にはおかしな人間が多い。私の母方の親戚は皆、十年前の大きな地震で亡くなってしまったのだが、その母方の親戚が皆可笑しな人だった。一人でもまともな人間がいれば、間違いなく皆病院送りであったろう。私の母はまだまともな方だったが、大概頭が可笑しくって、そんな頭の可笑しな彼らと普通に付き合っていた。父は彼らに関わりたくないようだった。私は幼いころから何かとこの親戚たちと関わってきたので、彼らの可笑しさはよくわかっている。おそらく、私が唯一まともな人間であろう。いや、いやいや、私もまともではないかもしれない。私がもしまともなら、母諸共彼らを病院に入れていたであろう。しかし、私はそうしなかった。何故なら、彼らに興味があったからである。彼らを観察するのが非常に面白いことに、私は小さなころから気が付いていた。私は彼らを実験用のモルモットのように思っていたのである。親戚をそんな風に思うなんて、薄情な。やはり私もまともではない。
 大学を出て、地元の高校で国語教諭として勤めるようになると、私は実家から車で十分の所のアパートに引っ越した。キッチンとリビングと寝室と何もかも一緒くたのワンルームで、風呂も海外のようにシャワーが浴槽の真横についていて、トイレが隣にあり、カーテンで仕切るタイプのものだった。持ち物も少なく、風呂もシャワーで十分だという人間なので、苦ではなかった。私は七年前に結婚して新居を構えるまで、十年ほどそのアパートで過ごした。
 そのアパートは、母の十上の兄の息子の家のすぐ傍だった。親戚は皆近くに住んでいたのだが、特に彼らの家が近かった。母と兄は折り合いが悪くあまり彼らと会うことは無かった。私がそのアパートに住み始めて三年目、もうすっかり馴染んでしんまったころ、その母の兄の息子、つまり私の従兄が突然私の家にやって来た。彼の名前は夕貴と言った。丸顔で、乾燥肌で、皺が多く、口元に大きなほくろのある男だった。私は彼と会うのは十五年ぶりであった。彼はすっかり老け込んで、元々良くなかった顔が、さらに醜くなっていた。初め、私は彼が誰か分からずに、ドアのチェーンを掛けたまま「どちら様で?」と尋ねた。すると、彼は嫌に高い声で答えた。
 「夕貴(ゆうき)だ、君の従兄だ。ほら、ほくろにぃだ。忘れたか?僕だよ」
 私は扉を開けた。彼はヘラヘラと、恵比寿様のような笑顔で(そんな縁起のいい男ではないが)部屋に上がった。
 「叔母さんに、お前が近くに越してきたって聞いてね。と言っても、もう三年も前らしいじゃないか。なんだ、僕はそれをつい一昨日まで知らなかったんだよ」
 「へえ、まあ」
 「なんだ、雪坊(ゆきぼう)は僕の家を知ってたのか?」
 「ええ」
 「なんだ。薄情な従弟だ。知ってたなら、来てくれればよかったのに」
 私もいい歳であるのに、未だ「雪坊」というあだ名で呼ぶのには、些かならず気分が悪かった。媚を売っているようにも感じられ、この従兄が嫌いに感じられた。
 「忙しかったんで」 
 私はそれだけ言って、コーヒーを淹れに台所へ向かった。夕貴は断りもせずに勝手に小さな一人ようの炬燵へ大きな体をすべりこませた。私はそれをちらっと振り返って見て、ポットのスイッチを入れた。
 「いやあ、ひさびさだなあ」
 夕貴は炬燵の中で体を揺らして、手をこすりながら気味の悪い笑顔で言った。私は答えなかった。
 「この前会ったときは中坊だったのに、雪坊も立派になったなあ」
 「コーヒーに砂糖かミルクはいりますか」
 「ああ、いや、コーヒーはいいよ。飲めないんだ。紅茶はあるかな?」
 私は両手に持ったコーヒーを見て、少し少ない方を流しに捨てた。使い捨てのティーパックを乱暴にコップに入れて、そのままお湯を注いだ。
 「すまないね」
 「いえ」
  夕貴は皺を濃くして笑って、紅茶を受け取った。私は炬燵の前の座布団に腰を下ろした。炬燵は夕貴の大きな下半身でいっぱいだった。
 「教師してるんだってね」
 「はい」
 「大変だろうねえ」
 「ええ、まあ」
 「うちにも娘が一人いてね。ちょっと困っていて」
 「へえ」
 夕貴は紅茶を一口啜って、変な顔をした。不味かったのだろう、しかし、何にも文句は言わなかった。
 「相談できる相手もいなくて。お前なら身内だし、叔母さんみたいに私たち家族を嫌ってもいないだろうから、聞いてほしいんだが」
 正直、気が進まなかった。なぜ十五年も会っていなかった従兄の娘の相談など聞かなければいけないのか。私も中々、忙しいのだ。だが、私はそこできっぱり断ることのできるような気の強い人間ではなかった。どんなに嫌な相手でも、頼まれるとハイと言ってしまうのである。私は何も言わずに、コーヒーを飲んだ。すると、夕貴は勝手に話始めた。
 「私の娘は毬乃と言って、今年で十三になるんだ。母親に似て、綺麗な子だよ。」
 私は息を吐くような感じで笑った。親は皆、娘のことをそう言うものだ。
 「親ばかだって思うかい、でも、そうでもないんだよ。本当に綺麗な子なんだ。私の子とは思えないくらいにね」
 「その可愛い娘さんに彼氏でも出来たんですか?」
 私がからかいぎみに訊くと、夕貴はムッとして首を横に振った。
 「違う。そうじゃない。あれは男嫌いだからそれはない。彼氏ではなく妹が出来たのだ」
 「へえ、おめでたいじゃないですか。おめでとう」
 「ああ、本当に出来たなら僕も困るもんか。相談じゃなく、自慢にくるさ。でも、違うんだ。僕と妻の子はあの子だけだ」
 「つまり?」
 「あの子は昔から妄想癖があるんだ。小さい頃は気にもしなかったんだが、最近では特に酷くて、一か月ほど前から妹のことばかり話、ずっとその子と遊んでいるのだが、そんなものいないんだ。つまり、空想の妹を持ってるんだ。食事でも服でも布団でも、その妹の分も用意しないとすごい剣幕で怒るんだ。正直、手に余っているよ。それ以外は普通の子なんだが、学校も休んでその《妹》に付きっきりなんだ」
 夕貴は鼻から息を吐いて、顔を伏せた。相当参っているように見えた。話している間に不安がどんどん押し寄せてきたのか、だんだんと表情は暗くなっていった。私はコーヒーをまた一口飲んだ。落ち込んだ夕貴は、猫背で、動物園の熊のようだった。私は特に気の毒とも思わなかった。私は昔から、仲の良い友人や家族以外にはとても心の狭い人間なのである。早く帰ってくれないかしら、それが本音だった。
 「病院には行ったんですか?」
 夕貴が何も言わないので、沈黙に耐えかねて私は訊ねた。
 「何の?」
 「何のって、精神科に決まってるじゃないですか」
 なにが不味かったのか、私は当然のことを言っただけなのだが、夕貴は浅黒い顔を真っ赤にして、ドンっと右手を炬燵に叩き付けた。叩いたときに手をねじってしまい、打ち付けたところが赤くなっていた。一瞬顔を顰めて、左手でそこを抑えた。間抜けだな。私は笑いそうになったのを堪えて、無表情で夕貴を見つめた。彼は突然立ち上がった。
 「精神科?」
 「ええ」
 「毬乃(まりの)は素面だ!」
 唾を飛ばしてがなり声でそう言って、夕貴はそのまま、どしどしとドアの方まで行って、こちらを振り返ることなく帰ってしまった。私は茫然とそれを見ていた。なにがなにやらさっぱりであった。一体彼は何をしに家へ来たのだろうか。私はとりあえず、紅茶を片すことにした。

 私はてっきり、もう一生夕貴と会うことはないであろうと思っていた(願ってもいた)のだが、そうでもなかった。近いうちに、私はまた彼と会うことになった。私は家から歩いて三十分ほどの、この辺りで一番大きな本屋に行って帰ったところだった。アパートの前で、男がうろついとぃた。私はあまり目が良くないので、遠目から見たのでは誰か分からず、不審に思い立ち止まって様子を見ていた。男はアパートの前の電柱に寄りかかってみたり、かと思えば道を渡って、また戻ってきたり、とにかく落ち着きがなかった。男はふとこちら向いて、数秒動きを止めた。それで、「おーい」とこちらに叫んだ。私は後ろを振り向いてみたが、人はいなかった、私に呼びかけているのである。「おーい」また男が叫んだ。私は二度目のその声ではっとした。確かに聞き覚えがある。夕貴である。私は小走りでそちらへ向かった。夕貴は顔を、特に鼻と頬を寒さで赤くして、ムスッと立っていた。
 「君、目が悪いのか」
 「ええ、少し」
 「眼鏡を買った方がいいんじゃないか?」
 私も長く寒い中歩いて寒かったので、すぐ部屋に入った。部屋は三時間ほど開けていて、暖房も点けていなかったので寒かった。私が炬燵とストーブのスイッチを入れると、夕貴はさっとストーブの前を陣取って、「おお、寒、寒い」などと言いながら手をすり合わせた。あまり礼儀の良いとは言えない行為に私は不愉快だったが、そういう男なのだと前回から分かっていたので、気にしないことにした。
 「ああ、すぐに出るからそのまま」
 私がマフラーを外そうとすると、慌てて夕貴は言った。私は何故夕貴がすぐ帰るから私が防寒具を外してはいけないのか理解できず、苦笑いで首を傾げた。夕貴は媚びるような厭な笑みを浮かべて言った。
 「いやね、君に娘に会ってもらいたいんだ。娘に君の話をすると、会いたいって聞かなくてね。うちは親戚から疎遠にされてるから。いいだろう?」
 何がいいのか、私は怒るよりむしろ、この男の図々しさに呆れた。困った男に気に入られてしまったのかもしれない。私は生来人付き合いの上手い人間ではない。誰にでも愛想良くするか、不愛想にするかのどちらかしか出来ないのだ。あまり好きでない相手でも、嫌われて罵られたり、陰口を叩かれるのが嫌で、つい愛想良くして、何でも聞き入れてしまうのである。だから、私はその彼頼みを聞き入れて、彼の娘に会うことになった。
私達はやっと温まり始めた部屋から早速出て、彼の家へ向かった。彼の家まで歩いてものの五分である。夕貴の家は、町のわりと大きな病院の院長である父親から与えられた、大きな日本家屋の屋敷であった。しかし、手入れがされておらず、みすぼらしかった。庭は雑草が伸び放題で、家の中も雑多としていた。私は古いのやら子供のやら大人のやら色んな靴の散らかった玄関で靴を脱いで、生ごみの匂いのする台所の横を通って、娘の部屋に向かった。私は娘よりも、彼の妻に会ってみたくなった。よくここまで、汚い家にしたものである。
 「妻は今実家に帰ってるんだ。ご両親の体調がどちらも悪くてね。おかげで、この様さ、ハハハ、恥ずかしい」
 そんな短期間でこんなに荒れ果てるものか。庭なんて、あれは何年も放置しないとああはならないだろう。そう思ったが、私は彼に合わせて笑っておいた。私はこの男がなんだか薄気味悪く思い始めて、彼の娘に会うのがさらに嫌になった。
 娘の部屋は屋敷の一番奥にあった。その部屋の襖だけ、桜模様の可愛らしいもので、なにやら子供向けのキャラクターのシールがべたべたと貼られていた。その部屋に近づくと、何やら少女の声が聞こえることに気付いた。それは次第に大きくなっていき、襖の前に立った時には内容もはっきり聞き取れた。
 「あら、だめよ、だめ。おやつはさっき食べたでしょ?」
 少女の声は、そう言って誰かを優しい声で窘めていた。夕貴と私は顔を見合わせた。夕貴は眉を寄せて、口の片端を持ち上げた。
 「毬乃。雪乃(ゆきの)。入るぞ」
 夕貴が襖を開けると、十二畳の和室があった。和室なのに、ピンク色のふわふわのカーペットが真ん中にあり、その上に小さな丸テーブルと座布団があった。毬乃はその、私達からみて左手の座布団の上にちょこんと座っていた。長い黒髪の真ん中分けの少女だった。なるほど確かに、中々の美人である。目は釣り目で、細長く、赤い小さな唇は飾りのようである。これで輪郭が良ければ完璧であろう。彼女は四角い顔をしていた。
 「パパ、お帰りなさい」
 「毬乃、東先生だよ」
 何故夕貴が私のことを「先生」と呼んだのか、親戚なのだから普通に名前でいいのでは、と疑問には思ったが、私はただ愛想笑いを浮かべて「こんにちは」と言った。
 毬乃は目を見開いて、一瞬私を見たと思ったら、目を逸らして、また私の目を見て、微笑んだ。
 「こんにちは」
 「さあ、東先生、こっちに座ってください」
 夕貴は妙にヘラヘラと媚びへつらって、私の毬乃の向いの座布団に座るよう勧めた。すると、にっこり微笑んでいた毬乃が急に顔を険しくして叫んだ。
 「そこは雪乃の場所よ!」
 夕貴は顔を青くして、やはりへらへら笑って
 「いや、すまんすまん、パパはすっかりお前のことを忘れていた。いけないパパだね。雪乃。許しておくれ」
 ちらちらと毬乃の表情を伺いながら、夕貴は誰もいない座布団に向かって謝った。私は気味悪さと興味深さを感じて、黙って突っ立ってそれを見ていた。
 「東先生は、毬の隣です」
 私は毬乃の隣に腰を下ろした。毬乃からは、独特の良い香りがした。なんと形容したらよいのか分からないが、とにかく良い香りであった。
 「東先生、お茶はいりますか?」
 私は肯いた。家に来てからというもの、どうも夕貴の態度が可笑しいのが気になった。突然私を目上の人間のように扱いだしたのは、何故なのか。家に来てから、というより、毬乃に会ってからである。毬乃は全く私に話しかけてこなかった。代わりに、向いにいるらしい雪乃に向かって、時々優しく語りかけては、笑ったり、窘めたりしていた。
 奇妙な時間だった。私はただ出されたお茶を飲み、毬乃と空想の妹、時々夕貴とのやり取りを黙って見ているだけであった。私はお茶を飲み終えると、さっさとお暇させていただいた。帰り際、毬乃は来たときと同じように微笑んで、「さようなら」と言ったきり、私に見向きもしなかった。一体私は何のために連れてこられたのだろうか。たぬきにでも騙された気分であった。

 それからしばらくして、私は年末年始で家に帰った。すぐそこなのだが、両親は嬉しそうで、母なんかは子供みたいにはしゃいで私を出迎えた。母の手料理を食べ終え、テレビ紅白歌合戦を見ながら、私はふと、夕貴のことを思い出して母に話した。彼がアパートに来て話を聞いたことまで話すと、母は驚いて、笑いながらこう言った。
 「あの子の奥さんは三年前に亡くなって、子供なんていなかったはずよ」
 私の方はさらにびっくりして、言い返した。
 「でも、僕、娘さんに会ったんだ。確かに、彼の家だったよ。綺麗な子だったなあ、ちょっと頭が可笑しかったけど」
 私も母も不思議に思ったが、それ以上そのことは話さなかった。しかし、二日してわけがすっかりわかった。
朝ごはんを食べているとき、母は突然「アッ!」と声を上げた。私と父は驚いて母を見た。父は静かな声で「行儀が悪いよ」と母を叱った。母はそれどころではないと言うように、私の肩を揺すって、口をぱくぱくさせた。
「どうしたの、母さん」
「夕貴!」
「夕貴がどうしたの」
 母は次は突然立ち上がり、どこかへ走って行ってしまった。父はまた、「行儀が悪いぞ」と、今度は少し大きな声で言った。
 母は新聞を片手に持って戻ってきた。母は私にそれを押し付けて、すみっこの小さな記事を読めと促した。その新聞は一年前のものであった。母の好きなフィギュアスケート選手は大きく載っているからと、私が持ってきてやったものだった。私はその記事を読んで、母と同じように「アッ!」と叫んだ。父は箸とお茶碗をドンっと置いて、叫んだ「行儀が悪いぞ!」

 
 花沢病院の精神科病棟に入院していた有本製薬 現会長 有本一の娘、有本毬乃が行方不明であることが、巡回の看護婦によって発見された。十二月十二日の午後九時の巡回では異常がなかったことから、同日午後九時から、看護師が発見した午前二時の間に失踪したと思われる。誘拐の線もあるとみて云々…

 私はすぐに携帯で警察へ連絡した。夕貴は逮捕され、毬乃は本当の家族の元へ返された。その記事は新聞に大きく載り、泣きながら笑顔で毬乃を抱きしめる母親らしき女性と、静かな笑顔でされるがままになっている毬乃の写真を見た私は、なんとも言えぬ複雑な気分であった。
 毬乃の両親が毬乃を伴って礼に来たのは、それから確か三日ほどた頃だった。毬乃は一言も口をきかなかった。
 その一年後に、雪乃が死んだ。毬乃の中で、である。夜中に大声で泣き叫び出した毬乃の声を聞きつけて両親が娘の元へ向かうと、彼女はなにやら血の付いた布を持って「雪乃が!雪乃が!」と叫んでいたらしい。半狂乱だった彼女はすぐさま病院に連れていかれ、次の日の朝にはすっかり落ち着き、正常な、妹のいない毬乃に戻っていた。ちなみにその血は経血であったらしい。なんとも不思議なことである。
 私と有本一家との奇妙な関係は、その後も続いた。私は妙に毬乃に好かれて、よく彼女の家にお邪魔させてもらった。毬乃はずっと通っていた私立の付属高校には進まず、私の勤める公立高校へ進学した。そして、大学には進まず、高校を出て二年間家で家事などをしてのんびり過ごした後、二十歳で結婚した。
 ついでで言うと、私の妻の名前は毬乃である。

姉妹

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  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-12-07

Copyrighted
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