六大陸の部屋

六大陸の部屋

ページめくり屋さん

 科学者の過ちが、おまえにタナトスを教える

 自宅で眠っていたおまえは科学者に拉致されたが、その睡眠は心地よく深い熟睡だったため、連れ去られたことに気づかないまま、ある特殊な部屋へ運ばれた。科学者はおまえを運び終えるやいなや、未来の智慧を使って部屋の出口を消し、いずこかへ姿をくらませたが、おまえはそれを知らない。風がなく窓がなく、外界の空気がいっさい入らない無菌室に捨てられたのだ。この部屋は立方体の形をしており、東西南北天地の全ての壁面は――六方向のそれぞれが強化ガラスで覆われ、その下に液晶ディスプレイが備え付けてある。液晶ディスプレイは、六大陸の人々や風景を無音声の動画として映し出す機械仕掛けとなっている。アフリカ大陸の動画を垂れ流す床の上には、ラジオと梯子だけが置いてある。おまえは奇妙な空間に密閉されたことをまだ知らない。

 部屋の中心に設置された透明な円い、半径三メートルほどの物体の中で、おまえはまるで臨月の妊婦の腹に宿る胎児のように丸まり、無意識のうちに親指をしゃぶりながら、やわらかい寝息を立てている。おまえはまだ目を覚まさない。

 だが突如としてラジオが、
――起きなさい起きなさい起きなさい起きなさい。
という低周波の電波をおまえに向けて送り込み、けたたましい騒音が耳底をつらぬく。連続音は快適な安眠を妨害するので、おまえはゆっくりと瞼を開いた。

 おまえは目を覚ます。最初に気づいたのは、部屋のことではなく、自分が衣服を身に着けていないことだった。なぜ生まれたての姿になっているのかと驚く。更になぜ自分が円い物体の中にいるのかと頭を振る。この情況はどういうことだと胸に問いかけるが、確かな答えは得られない。ふと思うままに物体の表面を指先でそっと触り、表面が透明な薄い膜でできていることを知る。清流のように透き通った膜を、おまえのまなざしの先は突き破る。そのまま部屋の正面を捉える。オーストラリア大陸を映し出す巨大な壁だ。おまえはどこの地域なのかを知る由もないが、どうやら先住民アボリジニが白人の手により尊厳を穢され、生きる希望を足蹴にされていることを――白豪主義に屈していることを――知る。おまえは見慣れない痛ましい光景を見たくなくなり、まなざしを逸すが、どこを向いても緊迫した場面ばかりだった。部屋の動画から逃れることはできない。

 そしていつしか本能的な興味によりまなざしは順に地球を捉えていく。すなわち六大陸の人々と風景――天井はユーラシア大陸――床はアフリカ大陸――右の壁面は北アメリカ大陸――左の壁面は南アメリカ大陸――正面はオーストラリア大陸――背面は南極大陸――だ。おまえのまなざしは六方向にぐるぐると回る壊れかけの水車になる。

――起きましたか起きましたか起きましたか起きましたか。
 床の上――アフリカ大陸の動画の上に置かれたラジオの存在に、おまえは初めて気づく。ラジオの発する単純な言葉の連なりがおまえの耳から脳へと徐々に伝播し、浸食し、蝕んでいく。おまえはこの不可思議な情況について「なにか」を考えていた。しかし、「なにか」が結実した答えに到達する前に、ラジオの声が「なにか」をかき消し、おまえの頭の中身を「起きましたか」一色に塗り替える。
――起きましたか起きましたか起きましたか起きましたか。
 とめどなく響き渡るその音と、目の前で間断なく映し出される動画に、おまえは気が狂いそうになってくる。吐き気がする。眩暈がする。まだ音は止まない。おまえは音を止めたいと思う。
 おまえはラジオを止めるため、薄い膜を突き破り物体の外へ出ると、気色の悪い感触を味わう。膜の正体は水飴のようにぬめぬめとした粘液だった。拭きたい洗いたいと思うが、浴室が見当たらないのですぐに諦め、そのまま下半身を丸出しにしたまま、ふらふらと小走りし、ラジオのスイッチを押して止めようとするが、止まらない。何度押しても、止まらない。おまえは嫌な汗をびっしょりとかく。

 おまえを嘲笑うようにラジオは喋り出す。
――起きましたね。それでは私の指示に従ってください。まず、このラジオが置かれている床に、アフリカ大陸の動画が映し出されているのがわかりますか?
 赤黒い肌を持つ人々が銃撃戦をしている映像だった。周囲は夥しい数の戦車で溢れている。瓦礫の山になった、かつての家々の脇では、茂りつつあった灌木を焼き尽くす火の輪が赤々と燃えている。そんな危険区域を、女たちは子どもを背中におぶさって逃げまどっている。男たちは皆、普段とは違う戦闘服に「粧し込み」、革命だ、などという声を張り上げて戦っている。おまえは正視できなくなり、頭をふるふると右に左に下に上に小刻みに震わせながら声の主のほうに向き直る。そして一呼吸おいて、人間ではないラジオに無言で頷く。
――現在、アフリカ全土で内戦が勃発しており、もうすぐアフリカに住む人々は絶滅します。ですが、私たちは絶滅だけではつまらないので、核ミサイルを投下してアフリカ大陸を消滅させようと思っています。それを実行するには発射ボタンを押さなければなりません。現在映し出されている動画の右隅にボタンがありますので、あなたがボタンを押して消滅の手伝いをしてください。
 おまえはわけがわからないまま、床へ――アフリカ全土で内戦が行われ、そのせいで血まみれになった人々や兵士の屍が横たわる動画に切り替わった床へ――頭を抱えて倒れこむ。いまおまえの足の裏は、白骨死体の頭蓋骨を踏んでいる。おまえはそれに気づくと、泣きたくなった。涙腺が緩むのを感じた。それは感動からくる涙とは違う、哀しさからくる涙だ。おまえは足の裏から伝ってくる死の感触を恐れ、立ち上がる。そして少しでも感触を断絶しようとジャンプを始めた。ジャンプをすることで宙に己が存在する瞬間だけは、死の縄に搦め捕らわれずにすむ。おまえは跳びながら、苦しい息をはっはっはっと吐き、蝿が何十匹もたかった白骨死体に、大粒の涙を滝のように流した。
――ボタンを押しなさい。押しなさい。押しなさい。押しなさい。
 おまえはジャンプを続けたまま、両手の人差し指を両耳の穴にねじ込み、声を遮断する。そのまま一向に押そうとしない。
 だから、
――押せよ。押せよ。押せよ。押せよ。押せよ。
 と、ラジオは嬲るような口調に変えて言う。おまえは声に圧迫され、ジャンプをやめた。いま、おまえの足の裏は幼いアフリカの子どもを踏んでいる。幼いアフリカの子どもは、可愛らしいフランス人形を偶像崇拝するようにひしと抱きかかえて、裸で死んでいる。血の気を失ったまなざしは赤黒い肌とは正反対の白斑のような色になって、いまもなお寂しげに天を見ている。
 おまえは裸で生きているが、幼いアフリカの子どもは裸で死んでいる。
 おまえはボタンを――押せない。
 ラジオは痺れを切らしたように、
――忠告です。一分以内にボタンを押さなければ、あなたの身体に激しい変化が起きますが、それでも押しませんか?
と告げる。おまえは悩みに悩むが、アフリカ大陸を消滅させることはできないと思い、一分経っても押さない。
――そうですか。押しませんか。残念です。あなたの身体にはあるモノを埋め込んでいるのですが、それを作動させます。作動するとあなたは死にます。それでは、死んでください。
 その瞬間、おまえの身体は急激に熱くなった。火鉢の中に入り込んだような熱さが全身を包み、脳みそが焼け爛れるような気さえした。
――苦しいですか? 苦しいですか? 苦しいですか? 苦しいですか?
おまえは一言、苦しい、と答える。
――この苦しさは一分以内に終わりますが、苦しさの後には死がやってきます。ただし、ボタンを押せば元に戻してあげます。
 と言われ、おまえは何の迷いもなくボタンを押した。すると苦しさが消えた。だが引き替えにアフリカ大陸を映した動画に異変が起きた。何十発もの核ミサイルが爆発し、一瞬にして大地が粉塵に成り果て焦土と化した。動画は不鮮明な白黒映像に切り替わり、すぐにぷつんと消え、液晶ディスプレイは真っ黒の壁になった。おまえはそれを見て、震えた。黒という色が心底、怖くなった。涙はとうに涸れて一滴も出なかった。
――それでいいのです。同様に、正面のオーストラリア大陸、背面の南極大陸、右の壁面の北アメリカ大陸、左の壁面の南アメリカ大陸を順に消滅させていき、最後に天井のユーラシア大陸を吹き飛ばしてください。
 おまえは怒涛の出来事のせいで意識が朦朧としているが、怪しい魔の誘いに騙されないよう、頭の中を「ある言葉」でいっぱいにする。押してはいけない。押してはいけない。押してはいけない。押してはいけない。押してはいけない。
 しかし、ラジオはおまえの気持ちを斟酌せずに、
――もう一度作動させましょうか?
 と冷たく言ってのける。
 これまでの圧倒的な陵辱にも似た事態に絶望を感じていたおまえは、震える指でボタンを押した。オーストラリア大陸は消え、液晶ディスプレイはアフリカ大陸の時と同じく真っ黒の壁になる。二つ目の黒い壁が出来上がり、暗い領域が増えてしまった。
 ラジオは冷たい声で言う。
――背面の南極大陸を消してください。
 おまえは移動しボタンを押す。
 三つ目の黒い壁が出来上がる。
 ラジオはもっと冷たい声で言う。
――右の壁面の北アメリカ大陸を消してください。
 おまえは移動しボタンを押す。
 四つ目の黒い壁が出来上がる。
 ラジオはかなり冷たい声で言う。
――左の壁面の南アメリカ大陸を消してください。
 おまえは移動しボタンを押す。
 五つ目の黒い壁が出来上がる。
 部屋は天井以外が真っ黒になった。おまえの手で真っ黒になったのだ。その黒い不吉な色を見たくないおまえは、天井で爛々と光り輝く動画だけを一心に見つめた。
――これで最後になります。あなたはとても優秀な人間です。これまでに何度か他の人間にも手伝いをしてもらいましたが、誰一人としてボタンを押さずに死んでいきました。愚かな人間ばかりでした。その反面、あなたはとても優秀で、賢い人間です。さあ、梯子にのぼってください。そして最後の、ユーラシア大陸を葬り去るのです。
 おまえは梯子にのぼらない。
 だから、
――もう一度作動させましょうか。
と言われ、ひどく恐怖した。
 おまえは梯子の一番上まで、重い足取りでのぼった。天井に映し出されたユーラシア大陸の動画はどこか懐かしく、幼き日々を思い起こさせるものだった。おまえは、自分の育った故郷はこういうところだったと感じる。山々の綺麗な稜線、せせらぐ小川、爛漫と咲き乱れる花、そこに生活する黄色の肌を持つ人々。おまえは――懐かしい――と感じ、涸れていたはずの涙が命を取り戻し、静謐さに満ちたサファイアのような一筋の涙を頬に流す。
――押しなさい。
 目の前にあるボタンを押せばユーラシア大陸は消える。だがこれまでの大陸と違い、思い入れのある大陸を、おまえは消すことができないと思った。
 そんなおまえの心を見透かすようにラジオは、
――他の大陸は消せても、故郷の大陸は消すことができないのですか?
とこれまでで一番冷たく言い放つ。おまえは心の奥の奥を刺された。図星だ。押せない。あそこには繋がりのある人が沢山いる。父、母、兄、姉、弟、妹、恋人、友だち……。
――作動させます。
 おまえは、その言葉を恐れ、ついにボタンを押してしまった。ユーラシア大陸は消えた。天井の液晶ディスプレイが真っ黒の壁になった。六つ目の、最後の黒の壁が出来上がる。六方向全ては黒一色になった。おまえは、梯子の上に立っているせいか、暗闇の中心に存在していると錯覚する。いや、それは錯覚ではないとおまえは悟る。
「自分が暗闇なんだ」
 そうぽつりと言った瞬間、天井が真っ二つに割れて白い光が差し込み、おまえの暗い身体を雪白に染め上げる。すると突然、右の黒い壁と左の黒い壁がぐらぐらと揺れ、外側に倒れるような格好になり、部屋は立方体が開いたような形に倒壊した。
おまえのまなざしの先に映るのは、どこを見渡しても、全てが白い、なにもない世界だった。

――これが君の作り出した新しい大陸だ。

 おまえはラジオに向かってある注文をし、裸のまま死んだ。

――君は最期まで優秀だ。

六大陸の部屋

六大陸の部屋

短編15枚 形式:二人称

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-12-07

Copyrighted
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