With light and darkness
序
皇歴(コウレキ)133年。
その大陸は、緑が生い茂り、人間の文明も科学的には発展しているとは言えない世界にあった。
他大陸の文明も入ってこず、ビルや車など、現代の日本にあるようなものはなく、古来からずっと、昔ながらの自給自足の生活をしていた。
不便を感じることは、これより便利な物を知らぬ人々にはあまりなく、集落には放し飼いの家畜たち。
森には豊かな自然と動物たち。
そして、妖(アヤカシ)と呼ばれる種族がいた。
妖は時に人を喰らい、村を荒らす外敵でもあったが、中には人間になつき、家畜の様に飼われ、人間の生活を助ける種族もいた。
また、古より人と妖は大体の種が仲が良かったこと、それぞれが意志の疎通ができ、強い一部の妖の中には、完全な人間の姿をとれる者がいたことにより、世の中ではは人間と妖の混血児まで現れていた。
一方で、銃や刀などの武器でも妖を殺せる事を知っている一部の人間の輩は、妖の綺麗な毛皮や鱗で装飾品などを作る為に、と森に入り弱い妖を狩る奴等もいた。
共生と言いながらも、一部の妖と人間の間には深い溝が出来ていった。
そんな世界に、皇歴000年、夏。
妖と人間の王が立った。
大陸の中央に建てられた城は、東に人間の王の王室が、西に妖の王の王室が置かれていた。
人間の王に選ばれたのは魔導師と呼ばれ、占術や呪術、仙術などあらゆる不思議な力に長けた青年。
そして、妖の王に選ばれたのは、その一声でどんな妖をもひれ伏させると言われた、美しい金の獅子だった。
両方ともそれぞれの種族には人望があり、厚く慕われていた。
大陸すべてを一つの国として、そうして互いの種族を傷つける一部の輩を取り除く国防軍と呼ばれる軍隊が国の、東西南北の最端点と国中央、城下街を大きな拠点とし、国中に交番や駐在所といった小さなものまで基地が置かれることになり、二種を脅かす脅威となる者は如何なる者も厳しく取り締まられていった。
国防軍とは警察組織みたいなものであり、スリや盗撮などの事から殺人や妖の密猟、密漁などの重大なものまですべての事を取り締まった。
こうして、妖も人間も平和な世界を造り出した大陸だが、完全な平和はこの世には存在しなかった。
監視の目を抜け、悪を働く者はまだ、国がたった133年後のこの時代でも居たのである。
そのことが、ある者にとある決意をさせる事になる。
皇歴134年、春。
人間の王の王室にて、それは行われた。
「ねぇ、炎彩(エンサイ)」
現在で似た建物を例えるなら、西洋の建築。
フランスのルネサンスの時代。
シャトー・ド・シャンボールと呼ばれる建物にによく似た造りの城の中。
東の塔の上にある王室。
真四角の広い綺麗な部屋の隅。
窓辺に置かれた木製の長い机に向かう、机と対の椅子に座った紅い髪の青年がいた。
背中中程までに伸ばした髪をポニーテールにした、碧の目をした豪華な花の装飾が入った紅色の和の着物を纏った青年だった。
一見して、礼儀正しそうな好青年で有ることが分かるその青年は、なにやら必死に書類になにかを書いていた。
自身に語りかける青年の事をちらりとも見はしなかった。
それは国を纏める彼の、炎彩の大切な職務であり、今机に行儀悪く腰を下ろしている、綺麗な金糸の肩につくまでの髪(ただし左横のみ長く伸ばしており、ビーズのような丸い玉で髪をひとつに止めていた)を持つ、完全な、綺麗な顔の、碧の目をした人間の青年の姿をとった、妖にも言える事なのだが……。
「なんだい、莱祈(ライキ)」
と、炎彩は妖の王を呼ぶ。
莱祈と呼ばれたその人は、深緑の色をした、甚平のような着物を纏う青年だった。
「俺、さ」
莱祈はゆっくり言葉を紡ぐ。
「妖の王を、辞めようと思うんだよね」
にっこり、と見事な笑顔で紡がれた言葉を聴き、流石に炎彩も顔をあげた。
莱祈の顔を『本気か』と見つめている。
実はこの人間の王。
青年の姿のまま一向に歳をとらないという不思議な体質のせいで、実はこの国が出来た時よりずっとこの炎彩が、莱祈と一緒に国を纏めてきたのである。
一部で炎彩も、実は妖なのではないかという声があがっていたが、彼が人間であることは間違うことなき事実であると言うことを、彼は彼の知らないそう主張する人間の連れてきた他の魔導師より、人間であると証明されており、以降その声はあがってはこない。
「あ、辞めるって言っても休業。
他のお仕事とかは俺が信頼してる臣下とか、クロスとかで充分出来ると思うから、後の事は任せたよ」
にこにこ、と。
笑う彼に抗える訳もなく。
「止めても、貴方なら行くんだろうねぇ」
炎彩から見えたのは、諦めた様な苦笑だった。
「しかし、何故突然?」
ふいの質問にも笑顔で答えた莱祈に対し、炎彩はふっと笑みを溢す。
『如何にも、貴方らしい』そんな事を言って笑ったが。
皇歴、134年の夏。
妖の王が突如、姿を消した事が国中を巡った。
元より気まぐれな王だった為、妖たちは驚いたが、彼らは国をあげ、王を使ってある事を始めた。
それこそが『王狩り』であり、この国内にいる王を探しだした者には、富と名声を与えられるだろうという謎の噂が広がりだした。
かくして、妖達による『王狩り』は次第に本格化し、さらにそれは人間たちにまで及んでいったのである。
そんな訳で、現在この世界では至るところで、皆が『妖の王』を探している状態なのである。
とある森の妖狐
皇歴134年、夏。
そこは大陸南部に生い茂る山の麓の森だった。
蝉のオーケストラは、その日も朝から大合唱を始めていた。
小さな人間の集落があり、その集落で生きている妖の姿も多い。 山の向こう、南の端には国防軍の基地があるが、人間の軍人ならばともかく、妖の軍人ならば数時間でこの集落に駆けつける事になる。
だから、人間殺しも、人間による妖狩りなども、悪いことはあまり行われない、安定した治安にある穏やかな集落だった。
しかし、“彼ら”はそんな集落とかには近づくことはあまりしなかった。
野性的、獣である事を選んだ“彼ら”には、自給自足、弱肉強食な野生の世界が心地よかったのである。
ガサッ。
深い森の奥。
暖かな季節の到来により、一斉に開花が始まり美しく彩られた森。
そこから、季節はうつり、暑い陽射しが降り注ぐ楊になった森の奥。
木々が作り出した日陰により、ひんやりとした空気が森を支配していたが、木漏れ日の陽射しはかなり強く、焼けるような暑さであった。
その日、空に上った太陽が、真上に上った頃。
夏の季節故か、高く生い茂った草の茂みが揺れた。
刹那。
一頭の獣が、その草むらより飛び出てきた。
大きさは大型犬程度。
金色の毛並みをもつ、四つ足の犬によく似た獣だった。
よく見れば、その獣の尾は、不思議なことに二つにわかれていた。
そう、その獣こそ、なにを隠そうこの世界に生きている人間と、同等の頭脳や言葉をもつ種族。
妖なのである。
その獣は、なにかから逃げるように森の中を駆けていく。
直後。
ゴゴゴゴ、と、大きく、低い地鳴りが響き、それを鳴らした犯人が、遥か頭上の木々の上に顔を出した。
胴体は長く、怪しく黒く光っている。
大地を割り、姿を現した巨大なそいつは、所謂あの百足と言われているものに間違いはないだろうと思われた。
そいつは、飛び出した獣を追いかけるかのように、木々をなぎ倒し、猛スピードで森を駆け出した。
「虹陽(コウヨウ)っ!」
と、獣が空を見上げながら、そう誰かを呼んだ。
それは、紛れもなく人の言葉だった。
直後。
羽ばたく音を立たせながら、何かが木々の間を潜り、その獣のすぐ近くに降りてきた。
それは、紅い羽毛をもつ、綺麗な鳥だった。
大きさは小さな鷹ほど。
尾羽は長く、七つあり、それぞれが虹の色を模しており、きらきらと輝いていた。
彼もまた、獣と同じ妖だった。
「もうっ、なにやったの、琥珀(コハク)!」
同じく、人の言葉で叱責するように、金色の獣、琥珀に告げた虹陽は、上手く木々を避けるように、琥珀と同じスピードで森を飛ぶ。
「俺はなにもしてねぇっ。あいつが勝手に俺に喧嘩売ってきたんだっ」
琥珀は大きな岩を軽く跳躍し、乗り越える。
百足は派手な音を立てながら、森を壊しつつ琥珀と虹陽へと迫る。
派手な土煙があがる。
それが、百足の大きさを物語る。
その光景を見つめるのは、その森に住まう獣たちだった。
土煙と音に驚き、動物も妖も逃げ出した。
だが、その中にひとつだけ。
その様子をじっと見つめていた一頭の妖がいた事を、琥珀も虹陽もまだ気づいていなかった。
「んー」
少し考えるように、唸った虹陽は、スピードを落とし、背後に迫る百足の頭上を飛び、なにかにその耳を傾け始めた。
妖は、人語を話せない妖でも、妖の言葉を操る。
それを聞こうとしたのだ。
琥珀が森を抜け、広く拓けた草原に出てきたとき、背後にいた虹陽が、草原の中ほどで、背後の土煙が上がる森を見つめる琥珀の背中に止まり、告げた。
「琥珀、彼ね、『痛い』って言ってたの」
「痛い?」
全く身に覚えがない。
琥珀、知らないうちにあの百足踏んじゃってたんじゃない?
土の中に隠れてたんだし、見つけれなくてもしょうがないけどさぁ」
「はっ。んな理由で喧嘩売られたのかよ」
琥珀は鼻で笑って返す。
「ま、売られた喧嘩は高く買うぜ」
妖怪同士の喧嘩は日常。
これに関しては、国防軍も立ち入る事例は、人間に害がない限り、少なかった。
そう言った直後、琥珀は妖気の渦に身を隠した。
それは、瞬く間の事だった。
虹陽はその渦ができた直後、同じく妖気の渦に身を隠した。
四足の獣だったそれは、紅い鳥は、しっかりと二足で立ち上がる人の姿になっていた。
それは、どこからどう見ても人間であり、獣やましてや、妖である事さえもわからない程の変化であった。
力の強い一部の妖は、彼らのように人の言葉を解し、人と見分けがつかぬ程、上手く人に化けて見せる。
だが、力が弱いと人間の言葉を解すどころか、人間の姿をとれたとしても、耳や尾、鱗などに妖の姿の名残が濃く残った姿になる。
その点から見て分かる通り、彼らは力の強い妖と言うことになる。
背後から迫ってきたあの大百足が、彼らの目の前に立った。
草原の入り口、森の端には、百足により薙ぎ倒され、踏み潰された草木が、見事なまでに大きな道を作っていた。
地面が剥き出しになった森だった道からやってきた百足は、そのまま草原に生える草花を踏み固めると、人間の姿をとった、琥珀と虹陽の目の前、間約10mの位置につけた。
シュー、シューと、百足の荒い息が聞こえる。
茶色の背中中ほどまでの髪。
その背の毛先は外に跳ねている。
見た目的には立派な金色の目をした、長身痩躯。
しかし、その細い身は全て無駄のない筋肉である様な青年。
その身には黒いハイネックの袖無しの服、腰には上着だと思われる、同じく黒の和の着物近い服をマントのように腰に巻き付け、深緑のパンツを合わせている。
その下には黒いブーツを履いているのが、琥珀。
そして、肩につく程度の癖のある紅い髪には羽にも見えるアホ毛があり、その髪の下に覗くは紅の瞳
薄紅に近い長袖の和風な着物のような服に、薄茶の七分ズボン、それにサンダルを合わせた少女のような可愛らしい、華奢で小柄な少年が虹陽である。
服や容姿はその妖の元の性格や中身に左右されるように自然と決定されるものである。
つまり、妖は自在に人間の姿を取ることが出来るが、通常はひとつの容姿にしかなることができないのである。
服は、人間の姿の際、最後に着ていた服が次に人間の姿になった際の服になる。
だが、妖は、定期的に洗濯はしても、初めて人間になった時から服装は変えないという、妖の方が多い。
妖と人間の混血児は産まれた時より人間の姿がベースになり、妖の力を少しだけ使えたり、その姿に妖の特徴を持つ者もいる。
ただし、狐や狸など、変化の幻術を使える一部の力の妖の中には、一度見たことのある人間の姿をとれる妖もいた。
あの百足は、もう怒りで限界の様だった。
「やめときなよっ、琥珀」
「俺がこんな奴に負けるわけねぇだろ」
と、琥珀は突然右手を伸ばし、手を開く。
そして、その手に意識を集中させると、どこから出たのか、その手には大剣が握られていた。
力が強く、人間の姿をとれる妖は、例え妖の名残がある様な者であっても、生来武器(セイライブキ)と呼ばれる武器を、一人ひとつ、必ず持っており、通常は異空間にしまっている事が多いが、自分の意思で自在に取り出す事が出来る。
これも人間の容姿の様に、性格や中身に左右されるもので、他人に他の武器を借りれても、自身の武器を途中で切り替える事はできないのである。
因みに、混血児にはこの武器はない。
琥珀がその身とほぼ同じというぐらいの大剣を両手で握り、足を開いて構えた。
「琥珀ぅ」
と、困った様な声を出した虹陽。
しかし、こうなったら琥珀はその制止を聞かないことを、虹陽は理解していた。
「俺に喧嘩を売ったこと、あの世で後悔してろっ」
怒号のような声で、琥珀は吠える。
そして、強く大地を蹴った。
百足と間を詰めると、同時に百足の方も動いた。
その間を急に詰めてくる。
百足は琥珀の足元を目掛け、その大きな牙を開き、身を突進させた。
琥珀はそれを後ろに跳ねて後退、そのまま地を蹴り百足の頭上を取った。
そして、その剣を百足に目掛けて振りかざし、その頭を叩き割ってやらんとした。
しかし、百足も馬鹿ではない。
さっと身を引き、剣は大地を割った。
土煙があがる。
琥珀がちらりと横目で百足をみれば、その牙を覗かせ、再び突進を仕掛けてきた。
琥珀がその大きな牙をその手の大きな剣で受け止めようとした時だった。
突如、その百足と、剣の間。
土煙のその中に、蒼色の影が飛び込んだ。
「双方、退け」
静かな声。
しかし、その殺伐とした場が、一瞬で凛と、澄んだような空気になった。
それは、なんとも不思議な感覚だった。
その蒼い色の影が発した言葉が、まるで強い力を持っているかの様で……。
琥珀が、そっと身を立たせ、大剣を地面に突き刺した。
戦闘すると言う意思が、不思議とふっと消えたのだ。
虹陽も、土煙の中にいるその影を、少し離れたそこから見つめていた。
何が起こったのか、まだ、理解ができない。
「結果が見えている戦は無駄だ、大百足」
そう言い、場をしきりだした蒼の影。
それは、人間の姿をしていたが、そいつが妖であることは一目で分かった。
腰辺りまでの、癖がある蒼い髪は後ろでひとつに括られている。
その髪の下には、碧色の目。
長身に、無駄な脂肪がなく、綺麗な筋肉が見える身体。
肩口が見える様にデザインされた長袖の服に、腰に巻いた紅い布は、綺麗に巻き付けて右横縛られており、先は垂れ流されていた。
両耳には紅い雫の形をしたピアスがあった。
その布の裾は足首辺りまであり、その足に穿いた黒のサルエルの様な足首あまりある長いズボンに、高いヒールのサンダルという足元を隠すかの様だった。
土煙が消えるのと、静かな声に従うように、ゆっくりと大百足が森に引き返すのは同時で、その影の正体がようやく見えた。
そして、土煙が消えた後。
その場に立つその影の正体を見た琥珀と虹陽は共に言葉を無くしていた。
「……お前、誰だ」
琥珀の言。
二人の目の前に立った妖。
二人も知らぬ妖だった。
しかし、彼もまた、二人のように妖気を感じられるものでなければ妖にも見えない程に、完璧に人間の姿をとっていることから、彼も強い妖になるのだろうなんてふと思っていた。
二人の声に反応するかのように、二人の姿を振り返った彼は、にこっと笑顔で笑う。
「うわぁぁぁ、めっちゃ怖かったぁぁぁぁぁ!!」
彼の思わぬ一言を聞いた琥珀は、思わず顔を見合わせた。
「見たっ!? あの百足の大きな図体!!
か弱い俺なんか、ぱっくりって簡単に食べられちゃいそうだよっ!!」
一体、これはどういうことなのだろうか。
先ほどまでの空気とは一転。
目の前にいる彼は、かなり頼りなさげな様子で、信じられないぐらいにテンションが高い。
「……なんなんだ、一体」
これはどういうことなのか
果たしてこいつは何物なのか。
沢山の疑問が湧いては消える。
聞きたいが、相手は仮にも初対面な、得たいのしれないものである。
それを相手に軽く聞いても、話しかけても良いものなのだろうか。
そんな事を思うと、琥珀も虹陽も目の前の光景が信じられずにただただ、固まるだけしかできずにいた。
それを察したのか、彼は小さく「あっ」と言うと。
「安心して話そーよー!
俺、寂しがり屋なんだからぁ!」
にこっ、と彼は笑って見せた
「……なんでお前が、俺の喧嘩を止めた」
静かな問いだった。
当の彼は、けらけらと、軽い感じで答える。
「俺は無闇に喧嘩をするのは好きじゃないの。
それに、あの百足は勘違いをしている。
あの百足を踏んだのは君じゃないんだ」
彼はそのまま、笑顔で続ける。
「俺が気づかず踏んじゃって、君がたまたま通りかかって間違われちゃったみたいなの。
いやぁ、ほんとにごめんねぇー」
にこにこ、と。
緊張感もない相手に、琥珀も虹陽も次第にその緊張を解いていった。
「……それで」
と、虹陽の声に彼は続ける。
「かわいそうだし、自然破壊は不味いなぁって思って」
あまりにも軽いノリ。
そんな彼を見て、琥珀はため息をはけば、その手の大剣を消して見せた。
「それより、大事なことなんだけど」
途端に真面目そうに口を開いた彼が見つめているのは、琥珀ではなく虹陽の方だった。
そして、歩きだしたと思えば、虹陽の目の前に止まり、虹陽のその手を取って言う。
「“お嬢さん”、俺と結婚してください」
突然の一言だった。
琥珀が「ばっ」と、その口を開けたと同時の事。
いい笑顔になった虹陽は、あろうことか、相手が初対面であることを分かった上でそれを吐いた。
「は? 僕“男”なんだけど? それに、なに? 本気で気持ち悪い触るなくそ妖怪」
到底笑顔で吐くべき台詞でも、彼に言うべき台詞でもない。
“お嬢さん”。
その言葉が虹陽の逆鱗に触れた。
虹陽はその容姿で女扱いを受ける事が多いのだが、その扱いを心底嫌うのである。
普段は穏やかで、天然な面もある性格をしているが、天然故に普段からたまに吐く毒もかなり鋭いのだが、こういうときには相手も構わずにかなりの毒を吐く。
それが虹陽だった。
「いやだぁ、そんなに怖い顔しないでよっ、虹陽ちゃん! それと、君が琥珀ちゃんだね!
俺は君たちと争う為に来たんじゃないんだからさぁー、はい、深呼吸深呼吸!」
どうどう、と言うように虹陽を落ち着かせた彼は、にこにことその笑みを壊さないまま告げる。
もはやこの時点では質問した方の敗けだ。
「君たちに頼みがあるんだ」
優しい口調でそう言った彼。
「俺は今旅をしようと、仲間を集めてるとこなんだ」
にこっ、と。
その笑顔に騙されてしまいそうだ。
「まさか」小さく呟いた琥珀を見つめながら。
「君たち、俺と旅してくれない?」
「ね?」と、莱祈は笑顔のまま、両手を顔面で合わせて“お願い”をしてきた。
その衝撃の一言に、琥珀と虹陽は再度固まる事になる。
「なんで俺らが、お前と旅しなきゃいけないんだ。
俺は、ずっとここに住んでる。
虹陽だって、会った時からこの森で生きてるんだぞ?」
琥珀の言葉は尤もだった。
しかし、彼もさがらない。
「えぇ、俺がこんなにお願いしても駄目?」
と、頭を下げる。
彼を見つめ、虹陽は琥珀とは違う答えをだした。
「旅、面白そう!」
きらきら、と。
目を輝かせる虹陽はまるで子供の様だった。
「おい、虹陽」
と、呆れながらも琥珀は止めようと声をかける。
「僕もね、琥珀に会う前は、ずっと旅してたの。
僕、過去の記憶がないから。その記憶を探す旅をしてたの。
でも、ある日病気にかかっちゃって、それでね!
琥珀が助けてくれたの。それから、この森が気に入っちゃって、琥珀といるのも楽しくて。
それでね、ずっとここにいるんだけど……。
僕、今度は琥珀と一緒になら、また旅をしたいなぁ」
淡く笑った虹陽を見て、彼は言う。
「そうなんだ……。わかった、俺も虹陽ちゃんの記憶を探す手伝いをするよ!
琥珀ちゃんも一緒にきて一緒に旅をすればいいんだ!
こんな森に箱入り娘みたいになってないで、一緒に行かない? 金銀財宝、夢のような綺麗な景色。
この世界のなにもかもを知らずに死ぬより、それを見て死ねた方が楽しいと思うけど?」
「だから、ね?」と、彼がまたお願いをする。
「……なんで、俺たちに頼むんだ?」
琥珀が、彼を見据える。
彼はといえば、そんな琥珀を見て瞬きを返していた。
「……ん?
君たちに頼んでるのは、俺が君たちとなら楽しく旅できそうだなぁーって思ったからだよ?
それに、運命的な出会いと言えるのは、虹陽ちゃんの綺麗な紅い髪!
俺、紅い髪の子大好きなんだよねぇ! 旅をするなら、好きな子となら一緒に旅したいなぁって思うでしょ?
君たちに頼んでるのはそれが理由さ!」
「ちょっと待てっ!! 虹陽が紅髪だったから!?
だったら俺ら以外の紅い髪でもいいじゃねぇかっ」
琥珀は吠えるように彼に言った。
「だって、皆逃げてっちゃったし、君たち面白そうじゃんか。
それに、これは俺のお願いだし、旅が終わったらたくさんお礼するよ!
一人より、皆でいったら絶対楽しい!
目的はただのこの国内をぶらぶらしていくだけだから、それについてきてくれればいいの」
彼はそう語る。
「そんな事を理由に紅髪だったら猛アタックしてるから逃げられんじゃねぇのかよ。
つーか、お前がただこの国をぶらぶらしていくだけってなら、一人で良くないか?」
鋭く、吐き捨てる様に琥珀は言うが。
「えぇっ、どうしてわかったの!? 琥珀ちゃんってえすぱー!?
確かに俺、紅い髪の子には猛アタックしてたけどぉ……」
と、陰襤が「いやだぁ」と照れくさそうにすれば。
「えっ、琥珀ってえすぱーなの!?」
それは、普段は天然な虹陽には本気に聞こえたようだ。
その天然故か、今、人見知りもすることなく、彼は本気で旅をする気にもなっている。
「……どうしてそうなるんだっ!」
琥珀はそう突っ込んで、気がつく。
完全にペースに呑みこまれている。
深いため息をはいて、本題に戻した。
「……あのなぁ、旅なんて怪しすぎるだろう?
その上、初対面からの誘いだろ。
訳も話されずに共に旅をしようなんざ、悪い夢でも見てるようにしか思えねぇ。
それに、『紅い髪だ、運命的だし、旅しよう』って、ただの紅髪フェチじゃねぇか」
鼻で笑った琥珀だが。
虹陽は、違っていた。
「……僕、行きたい」
きらきらと、その眼は輝いて見える。
「旅って楽しいし、僕は、琥珀といるのが楽しかった。
記憶なんかなくても、この森にいたままでもいいかなぁって思ってた」
「でもね」と、虹陽が続ける。
「今、旅をしようって誘われて、旅をしてた時を思い出した。
それでね、気がついたよ。僕、また、旅がしたい。今は、過去が知りたいからってだけじゃなくて。
琥珀と一緒に、世界の色んなとこを見てみたい!
そう思ったんだ。ねぇ、琥珀。僕は、君と行きたいよ。
例えこいつが怪しくてど変態でも、少なくとも、彼に敵意がないのはほんとだし、彼の気持ちはまっすぐで、僕らを誘う気持ちは、本気だと思うの。
……琥珀は、どうする? この森に、残る?」
少しだけ、悲しそうに。
虹陽が琥珀を見た。
その言葉の中に、さらりと彼を批判するような言葉を織り混ぜたのを聞く限り、よほど“お嬢さん”呼ばわりが嫌だった様でいい笑顔でこちらを見ている。
琥珀は一人思案する。
琥珀が、この森に拘る理由なんて、正直そんなに強くありはしなかった。
琥珀自身、今はこの森にいるが、この森の出身ではない。
虹陽と旅をする。
そんな話は今まで長い付き合いでも出ては来なかった。
虹陽と行くのは、楽しそうだ。
しかし、彼は怪しい。
彼の言葉に騙されてはならない。
そんな本能からの言葉だった。
でも「旅に行く」
そう決めたのは虹陽だ。
もし、彼が行ってしまえば。
琥珀はまた、この森で独り、生きるしかなくなる。
それは、今の琥珀にとってはとても辛いことであることには、彼も簡単に気づいたようだ。
「君がいかないのなら、虹陽ちゃんと、お別れになるね。
旅に行くって、それは虹陽ちゃんの意思だし、君には止められない。
君が従わなくてもいいけれど、君は、どうしたいの、琥珀ちゃん」
彼は笑う。
淡い笑みだったが、その言葉は。
「……ちゃんをつけるな。
それに、お願いっていいながら最後は脅迫じゃねぇか。
ったく……俺は、虹陽に誘われたから行くんだ。
お前の為に、行くんじゃない。
俺はお前を信じねぇからな」
ふん、と、琥珀はそっぽを向く。
虹陽の為。
そうはいいながら、不思議とその「旅」に惹かれている自分がいることに、琥珀は気がついていた。
それがわかっているかのような、陰襤の言葉が腹立たしい。
「やったぁぁぁぁ! ありがとう!
琥珀ちゃん! 虹陽ちゃん!」
そう言って、彼は二人の肩をがしっ抱いた。
正直、この炎天下でのその行為はかなり暑苦しかったのだが、不思議と嫌にはなれなかった。
「あ、俺は陰襤(インラン)。
別にいやらしい意味じゃないよ。この名前は戒めだから」
にっこりと、陰襤に、琥珀は深いため息を返す。
なんでかは分からない。
しかし、彼の発する言葉は、終始不思議な力が、魅力があるように感じた。
「じゃあ、改めてよろしくね!
琥珀ちゃん、虹陽ちゃん!」
陰襤の言葉に、虹陽は「うん!」と、楽しそうに頷いて見せた。
そして、ここに、小さなパーティが生まれる。
百足により、鳴き止むことを迫られていた蝉の大合唱。
いつの間にかそのオーケストラを再開していたのを聞きながら、琥珀は再び深いため息と共に暑い陽射しが降り注ぐ青空を見上げながら、二人と並びその歩を進めた。
琥珀の瞳に映った白い雲は、とても色鮮やかに、青色の中に映えているようで、不思議と、いつもよりも綺麗に見えた。
生贄少女
虹陽という人物は、誰に対しても警戒心がうすく、人なつっこい。
楽しそうだと感じたら、すぐに話に食いつく事もある。
それが例え、どんなに怪しいものだとしても。
◇◇◇◇◇◇
パーティー結成、二日後。
「……目的は、『王狩り』でもないのか」
ため息と共に、琥珀は言う。
「そうよー。
王が一人いなくなろうと、この国にはもう一人王がいる。
それに、国防軍や一般人たちが必死になって探しても見つからないものを血眼になって探す気にはなれないねぇ、俺は。面倒だしさ」
にこにこ、と。
笑顔でそう言ってのけたその人の台詞を、琥珀は鼻で笑った。
旅の目的はあくまでもぶらぶら気ままに旅をするだけ。
そんな旅に、何故か付き合わされる事になり二日が経つ。
日は早いもので、こうして旅をするのは嫌々だったくせに、今ではもうそんな事はなく。
虹陽が「一緒に行って旅を楽しみたい」と言っていた様に、どこかこの旅を楽しんでいる自分がいることを、琥珀は不本意ながらも自負していた。
二日前より、深い森を進む三人。
獣道を行くのに人間の姿は不利と、本性に戻り進む事になった為に、陰襤と名乗る妖の本性を知るのには時間はかからなかった。
彼は天馬であった。
水色の、綺麗な鬣と尻尾をもち、純白の身体に、純白の鳥の翼を生やした、西洋に語られる妖怪。
しかし、その額には通常の天馬一族とは違い、ユニコーンの様な角があった。
ただの天馬ではない。
天馬だとしたら、異形の部類に入るだろう。
こいつは一体何者なのか。
琥珀の胸に疑問が疼く。
大型犬程しかない琥珀とは、かなりの背丈の差があった。
琥珀はそれすら不本意だったが、仕方がない。
虹陽はと言えば、空を飛び続けるのは疲れるらしく、陰襤の背中に止まり、その歩で揺れる背中で、気持ち良さげにうとうととしていた。
蝉の大合唱が聞こえる。
太陽は昼を過ぎ、日没に近い西寄りにある。
森の中は、木々のない村の通りよりは遥かに涼しい。
だが、色々な虫が煩かった。
「少し、休憩しようか?」
歩幅にかなりの差があるため、陰襤は琥珀の歩みに合わせていたが、負けず嫌い故か、琥珀は陰襤の歩幅に合わせた速いペースで歩いていた。
それを案じ、陰襤はその問いをした。
「大丈夫だ」
琥珀はそう、はっきりと返し、陰襤を見上げる。
「それより、ぶらぶらって、どこに向かう気だよ。
もう二日も森の中歩いて、野宿してって……」
「あははっ。旅なんてそんなものだよ、琥珀ちゃん」
陰襤はそう笑い飛ばし、続ける。
「まずはこの大陸(クニ)の王都の周りをぐるりと回り、それから、王都の中に入る。
この大陸は広いから、それなりに時間もかかるだろうし、色んな景色が見れたり、経験もできそうだよ」
くすくす、と。
陰襤は楽しそうに笑いながら語る。
純粋に楽しいのだろう。
そんな雰囲気が伝わる。
「……色んな景色ねぇ。
そんなもん、楽しいのか?」
「解せない」とでもいう顔で、琥珀は陰襤に問い掛けた。
「琥珀ちゃんも、ほんとに綺麗な景色を見たらわかるってぇー!」
にこにこ、と。
相変わらずに笑みを絶やさない陰襤には本当に緊張感がない。
「で、お前の目的はなんだ?」
琥珀の問い。
しかし、陰襤の纏う空気が変わることはなかった。
変わらないへらへらとしたその態度で、彼は言う。
「やだなぁ。本当に君たちと……ううん。
仲間ってものと、この世界を旅したいだけだよぉ。
王狩りなんて興味ない俺が、王狩り目的の奴等と旅しても面白くない。
だから、楽しく旅出来そうって直感で思った君たちを誘ったわけ」
「記憶をなくす前の虹陽となにかあって、記憶を取り戻す為に旅をさせようとしてる。
そんな事でもないっていうのか?」
「琥珀ちゃん。君は頭がいいね。
でも、外れ。初対面だよ。
俺と虹陽ちゃんは」
くすくす、と。
陰襤は笑ってそう語る。
それを不満げに見上げ、ふんと鼻で笑った琥珀は「気に入らねぇ」と呟いた。
「俺はただ、世界を旅したいだけ。
ほら、人間風に言えば世界一周に挑戦!
とか、そんな程度の事しか考えてないの。
もー。どうやったら信じてくれるかなぁ、琥珀ちゃーん」
わざとらしい声に、琥珀は陰襤を睨み付ける。
「うるせぇっ。それに、俺を“ちゃん”呼びすんじゃねぇっ!」
まるで犬が吠えるかのように言い、牙を剥き出し唸る琥珀に、陰襤は「あはははは」と笑みを返す。
こいつには、なにを言っても聞かないらしい。
と、その直後。
陰襤がばっと顔をあげ、足を止めた。
それに驚きながらも、琥珀は足を止める。
「おい、どうした?」
「この道まっすぐ。村があるみたいだよ」
にこっと、陰襤が琥珀に笑いかけた。
陰襤はよほど視力(目)もいいらしい。
その背丈故にまだ遠く。
木々に隠れている間より、人間たちの家を黙視したのだから。
「村に入るのか?」
琥珀の問いに、陰襤は答える。
「うん。
あ、心配しないで。
人間は“お金”を使うでしょ?
妖にはあまり必要ないものだけどね。
この旅は俺が誘ったんだし、旅にかかる費用は俺が負担するよ」
にこにこと笑う陰襤。
確かに、妖である琥珀や虹陽にはお金のことはあまりわからなかったが、人間の里に入るのであればそれは重要なものであろう。
陰襤がわかるなら、それは一先ず陰襤に任せるしかない。
「……わかった」
琥珀は素直に応じると、陰襤の背中に居る虹陽を見上げた。
「虹陽。おい、虹陽!」
何度か呼び掛ければ、琥珀の声に答えるように虹陽が目を覚ました。
「んー、あれ? ここは?」
ぷるぷると首を振り、辺りを見渡す。
寝起きは良い方である。
「この先に人間の村があるんだと」
琥珀はそう言うと、道の先を見つめた。
意識を集中させてみれば、確かに微かだが人間たちの匂いが流れてきている。
「人間の姿で行こう。
そう遠くないし、人間の“宿”に泊まることになるし、先に準備しといた方がいい」
陰襤の提案に「わかった!」と元気よく返事をすれば、虹陽は陰襤の背中より降り、地面に足をつけると同時に人間の姿をとった。
それを見て、陰襤と琥珀も人間の姿をとる。
「んー! 人間の“宿”ってことはひっさしぶりのお風呂だねー!
水浴びよりやっぱりお風呂がいいよ、お風呂! 温泉!」
にこにこと、人間の姿になっても纏う空気は変わらず。
陰襤は呑気にそんな事を言っていた。
「温泉! 僕もすきー!
あの森にも温泉があって、よく琥珀と一緒にはいってたんだー!」
と、虹陽が笑って言う。
その呑気な姿にため息をはき、琥珀は道の先を見つめた。
「えぇっ! 俺も虹陽ちゃんとお風呂はいりたーい!」
陰襤が言うとどこか犯罪の様に聞こえるのはきっと気のせいではない。
しかし、その言葉を聞いた琥珀は、虹陽が“良い”笑顔になっていくのを黙って見ている事になる。
「誰が“ちゃん”だって?」
ドスのきいた声に、陰襤は「ありゃー」とひきつった笑みを見せた。
そうだった。
彼を女の子の様に扱ってはいけなかった。
いや、女の子の様に扱ってはないのだけれど、きっと“ちゃん”も駄目だったんだろうなぁ。
そんな事を思いながら、陰襤は相変わらずにへらへらとしていた。
「キモイ、うざい、詫びるのならば今すぐ死ねっ」
真っ黒な笑顔だった。
虹陽の言葉とその勢いに、陰襤は途端にぴしっと立ち、敬礼をして見せる。
「すみやせんでしたー! 隊長!
嫌でもなんかその黒い笑顔の虹陽ちゃ……いや、虹陽さんも素敵ですっ!」
陰襤の言葉に、琥珀は額に手をあてた。
この時ばかりは仕方がない。
この男が、どうしようもない、馬鹿に見えてしまったのだから。
その後、森に虹陽の怒号が響き渡ったのは言わなくとも想像は容易いだろう。
◇◇◇◇◇◇
同刻。
石造りのその広い屋敷と屋敷を繋ぐ場所。
長い廊下では、窓ガラスのない窓枠だけがくりぬかれたような窓から、紅色の光が差し込み、カナカナカナと鳴く蜩の声は、その建物の中にも響いていた。
夕方だが、まだ、暑い。
そこを歩く、短髪の青年がいた。
薄茶の短髪だが、襟足だけは長いストレートで、髪は腰まで届いていた。
前髪の下には金色の瞳。
眉がない顔に、鼻、目、口元などに多くのピアスをつけ、両耳にもたくさんのピアスが光っている。
服は所謂パンク系。
黒を基調とし、鎖や安全ピンなどがたくさんついた派手なパーカーを素肌に纏っていた。
黒いサルエルパンツに、足元には、厚底の黒いブーツを合わせている。
長い廊下の途中で一人、その青年は窓の外を見つめていた。
RPGで良く見るような勇者がつけるデザインされたゴーグルをつけていたが、風が長い髪を揺らした直後、そのゴーグルをはずし、首に下げた。
「“王狩り”ねぇ。
俺も、本当にその王を殺せるってぐらいじゃなきゃ、興味ないなぁ」
くすくす、と。
笑うように言った彼は、にたぁと不気味な笑みを浮かべた。
「“あの男”はなにを考えているんだか。
俺を怒らせたいのかなぁ。
なら、挨拶に行かなくちゃねぇ」
話す度、彼の口の端より鋭い犬歯が覗いていた。
眼には狂気が見え隠れし、彼の言葉はぞくりと背を冷やすように冷たく鋭いものだった。
「陰襤ちゃん、か。
楽しませてくれるのかなぁ」
そう呟いた彼の言葉は、怪しい音を放って、紅い光の海に消えた。
◇◇◇◇◇◇
それから20分くらい後、琥珀たちは、村に入った。
そこは、小さな村だった。
家は主に木材で建てられた平屋のもので、この辺りの地域では一般的なものだった。
村の中央は大きな道があり、先にはまた森の入り口が見える。
人口も家も少な目だが、自給自足の生活をしている為に一軒一軒が畑や家畜小屋などをもつ為に敷地は広い。
しかし、人間と共に生きている筈の妖の姿は、どこにも見えないという、今の時代から言えば、少しだけ変わった村だった。
村の主な道路である中央の道には、小さなお店がいくつかあるのが見てとれた。
そんな中、琥珀は気づく。
今日は特別な祭りでもあるのだろうか、と。
様々な色の和紙で作られた花や、吹き流し、提灯が村のあちこちに飾られていたのだ。
しかし、人の姿は少なく、皆同じ白い着物のような衣装に身を包んでいた。
そんな村のどこか違和感があり、村の入口、森との境で三人は足を止めていた。
「うわぁっ、綺麗っ!
なにかのお祭りかなぁ!」
にこにこ、と、虹陽が楽しそうに微笑む。
虹陽には、辺りに漂う違和感も気にはならないらしい。
「んー、この時期じゃ、夏祭りには少し早いし、収穫祭とかでもなさそうだけど」
陰襤は村の様子を眺めると、いつもとは違う真面目な表情で辺りを見つめた。
なにかが、おかしい。
「普通の祭りなら、もっと人が居そうな気がするな」
琥珀が告げた言葉に、陰襤は頷いた。
「うん。琥珀ちゃんの言う通りだ。
それに、村人のあの格好。
なんだか嫌な予感がするね」
陰襤の言葉を受け、琥珀は再び村を見る。
「まぁ、ここにいても仕方ないだろ」
琥珀は歩を進める。
「あ、待ってー! 琥珀ー!」
と、虹陽が琥珀を追いかける。
「……“宿”あればいいなぁ」
二人の背を見ながら、陰襤は小さく呟いた。
◇◇◇◇◇◇
この小さな村には、宿はたったの一軒しかない様だった。
村の外れにある小さな民宿に三人が入った頃には、もう空は藍色。
宿主があまり客人を歓迎している様ではないのが気になったが、部屋もないらしく、その為に三人同室、和室の部屋、10畳程の間で寝なくてはならない。
部屋で食事をとった後、虹陽は人間の姿のままごろんと畳に寝そべっていた。
部屋の中央辺りに置かれた真四角の木製の小さな机に右肘をつき、右頬をそれで支えて寄りかかるように胡座をかいて座った陰襤の視線の先には、一人窓辺で外を眺める琥珀がいた。
一階建ての平屋の多いこの小さな村で目立つ、唯一の二階建ての木造の建築物が三人のいる宿屋であった。
二階の角部屋、三人の部屋の窓からは、少し距離はあるものの、村の中央にある広場の様な場所がよく見えている。
白い衣装を纏った村人は、徐々にその広場に集まってきており、広場の中央では組まれた木に炎が灯され、燃やされていた。
その炎の前には祭壇の様なものがあり、何かに対する食物を中心とした数多の捧げ物が並べられていた。
カーテンを少しだけ開け、琥珀は鋭い目付きでただ、見つめていた。
「……なんだか、嫌な予感がするねぇ」
部屋……いや、村中に漂う、どこか神妙な空気を察してか、陰襤がぽつりと呟く。
「あの白い服の奴等は村人だろう。
まぁ、悪い奴等じゃないが、俺たちみたいな余所者を今日はあまり泊めたくない様子だったし、なにかがあるのは確実じゃねぇか?」
琥珀は窓の外をじっと眺めたまま告げる。
琥珀も虹陽も、人間の宿屋という物ははじめてだったが、普通ではないというのは空気ですぐに理解ができた。
「僕も、なにがあるのかは気になるけど、でも……聞いちゃいけない気がするんだよね」
虹陽は起き上がり、胡座をかいてその場に座った。
「……んー、まぁ、俺たちが干渉するべきではないのかもね。
明日、朝早くに出ていこう。
それより、二人は人間の村に滞在するのや宿屋なんて初めてじゃない!?
(祝)人間の村デビュー! って感じで少しぐらい楽しもうよぉー!」
にこ、っと陰襤が笑う。
「……うん、確かにそうだけど。
……楽しむって、何をするの?」
きょとん、とした様な表情で虹陽は陰襤に訪ねる。
「旅ってやっぱり、料理と景色と温泉だと思うの」
「うん? それで?」
陰襤に問いかけた虹陽が、その話を聞く。
二人が話してるのを聞きながらも、琥珀は村の様子を見ていた。
「琥珀ちゃんも話さない?」
と、そう問う陰襤も無視し、琥珀は外を見つめる。
外が徐々に暗くなり、村の広場の炎が明るくその周りを照らし出す。
人間の数も、より多くその広場へと集まりだしていた。
そろそろ、なにかが始まるのではないか。
妙な胸騒ぎを押し殺しながら、静かに広場を見る。
琥珀は夜目が効き、その上かなり目がよかった。
暗い景色の中の人間の動きさえ、その瞳は捉えている。
そんな琥珀が捉えたのは、集まる群衆の波を分け、広場へと向かう列の先頭を行く、一際小さな影だった。
「……あれは」
琥珀が呟くように言う。
夜の闇に溶け込んだ影は、やがて広場の炎に照らされる。
数多の大人を従えて、列の先頭に、小さな小さな少女がいた。
長い腰までの黒い髪に、小柄そうなその体型。
少女が身に纏う白い衣装は、他の村人とは違い、他の村人がなに一つ着けてはいない、派手な首飾りなど、その身には数多の装飾品を纏っていた。
「なに? なにか始まった?」
と、やはり気になるのか、陰襤が琥珀の背後に立ち、外を見る。
「僕も! 僕も見たい!」
二人より幾分小さな虹陽は、二人の前に出る。
しかし、鳥目の虹陽にはあまりよく見えていない様であった。
「……まさか、ねぇ」
と、その光景を見て、有る一つの答えにたどり着いた陰襤が、信じられないと言うように呟く。
「どうしたの、陰襤?」
虹陽が、陰襤を見上げ問いかける。
陰襤が口を開こうとした時だった。
「失礼します」
その声と共に、襖が開けられた。
そこに居たのはこの宿屋の女将。
振り返った三人が、その襖の方を見る。
彼女もまた、あの真っ白な着物を身に付けていた。
「ねぇ、女将」
陰襤が、彼女を呼んだ。
「はい?」
「この村、今から執り行われる祭事って……なにかに、生贄を捧げるものじゃないのか?」
陰襤の言葉で、女将の表情が変わる。
間違いない。
陰襤は確証した。
「生贄って……」
虹陽が驚いた様に言う。
言葉を無くす琥珀に代わり、陰襤はゆっくりと、そして慎重に問いを重ねる。
「……誰に、捧げるものなんだい?」
「……この村の、近くに住まう、大蛇様に……」
女将の声は、震えていた。
「妖に、生贄を与えるなど、今の世の中で出来るのか?
国防軍が、妖と人間の問題には目を光らせている。
それに、この村だって国内にあれば、国防軍が……」
「国はあてになりませんっ!!!」
陰襤の声を遮る様に、女将が吠えた。
そして、ゆっくりと語り出す。
「国防軍なんて、国は……妖が人間を狩るのなら、妖を、人間が悪いなら人間を、なんて、実際全部の村がやれてることじゃないんです。
この村のように、軍も知らん顔をしている村は、他にもあるでしょう。
……私たちの村では、毎日、村人は妖に怯えながら暮らしています。
村に住んでいた妖も、今では一部はその妖の手下になり人間を襲い、他の妖たちも、村を守ろうとした男たちも、皆大蛇に食われました。
……国防軍には話してあります。この地区の、担当の軍人は、一ヶ月に一度だけ見廻りに来ますから。
……でも、彼らはなにもしてくれなかった!!
村から妖が消えた月。半年前より、国防軍は、見廻りにすら来なくなりました。
この村は、国から捨てられたのです。
……生贄を出し初めて、半年、ずっと。
私たちが納めた税で、ご飯を食らっているのに、国防軍には……っ!
国には、私たちの声は、なにも届かないんですっ!!!!
毎月、若い娘を生贄として妖に捧げなければいけない。
国は……国は、どんなに訴えても動いてはくれませんでしたっ!!
……私の娘も、先月、私の……目の前で、死にました」
女将の目に、涙が光るのを、陰襤は静かに見つめていた。
妖は野生の獣だ。
そう言った人間は、正しいと思う。
妖は、強いものに従う。
その習性がより強い妖の種族は、かなりの数がいる。
きっとそんな類いの妖たちが、大蛇の手下になったんだろう。
「妖の王が消えてから、こんな事が起き出したのです……。だから、私は……いや、この村の全員は、妖の王を、憎んでいます」
女将の瞳には、強い怒りが光っていた。
「……彼が戻ったとしても、私たちは恨むでしょう。
彼が責任を感じられる者ならば、何故行方を眩ませてしまったのか。私たちには、わかりません。
彼が真の王だと言うのならば、行方を眩ませるなど、しないでしょう。
……妖と共生なんて、この世界じゃ無理だったんです」
女将の声が、震えていた。
女将の言葉は、妖である三人の胸をえぐった。
妖との共生を謳う世界。
その世界で、本当に起きている事実。
この村にきて、初めて気づかされた人間と妖という種族の壁。
「妖と人間は、平等に、共生という名の元で、共に生きて、暮らしてるんじゃ、なかったのか……」
一瞬にして崩れた、今までの常識という物の形。
琥珀の言葉に、陰襤は返す。
「残念だけど、それが現実なんだ……」
そう、自分にもいい聞かせる様にして。
だが、虹陽は違った。
「僕たちが、この村を助けるよっ!」
まっすぐに、彼は女将の目を見つめていた。
「……虹陽。気持ちは分かるけど」
陰襤はそう、彼を止めようとした。
ただでさえ、妖を憎んでいる村。
その村で、自ら妖だとばらしても良いことなど、ありはしない。
「僕は……。僕たちは、妖です」
虹陽の言葉に、女将の目が見開かれる。
「僕たちなら、あの女の子を助けられる!」
虹陽の言葉に、陰襤ははっとした表情を浮かべる。
琥珀は、黙って虹陽の言葉を聞いていた。
妖だとばれることを、自らを守ることだけを、自身は無意識に考えていたことを。
しかし、虹陽はどうだろうか。
彼は、ただ純粋に。
この村を救おうとしているのだ。
虹陽の気持ちはまっすぐだった。
なによりも、優しく迷いがない。
そんな気持ちを、陰襤も琥珀も、止める事ができなかった。
「……この村の、西の山に、妖たちの、住処があります」
女将が、静かに語る。
「……お願い、します。
本当に、本当に私たちを助けられると言うのなら!!
私は妖(貴方たち)の手を借りたい!!
この村の、誰からも、私が……憎むべき妖の手を借りたからとして、憎まれても。
私は、私はもう、この村から、犠牲を出したくないんですっ」
女将の両の目の端から、大粒の涙が流れ出た。
「……僕は、妖が、誤解されたままなのは嫌だから。
僕は、人間も好きなんだから。
だから……だから、この村の人たちも、ちゃんと、助けたいんだ」
そう言った虹陽の目は、なにより力強くて。
「ありがとう、おばさん。僕たちを信じてくれて」
優しく、泣き崩れ、膝をつく女将の肩に手を触れて。
虹陽は迷いなく、女将の横を抜けて部屋を出る。
それを追いかける様に、女将のいる部屋の入り口へと、琥珀と陰襤が近づいた。
「……女将。ありがとう。
必ず、俺たちで解決する。
ちょっとだけ、待っててくれないか」
陰襤は女将を覗き込むようにしゃがむと、そう言った。
女将はそれに泣きながら頷く。
そんな光景を横目で見ながら。
「……これで、本当にいいのか?」
琥珀が、陰襤に問いかける。
「……妖として、人間に誤解されたままなのも、居心地悪いじゃないか。
この村を守ろうとした妖の気持ちも汲んでの行動をとったんだよ、虹陽は。
保身なら、いくらでもできた。
この村に住んでるわけでもないのに、初めてきたこの村の人たちを、虹陽は本気で助けようとしてる。
そのまっすぐな気持ちは、俺には、止められない」
陰襤の言葉に、琥珀はため息をついた。
確かに、虹陽の行動は立派だろう。
だが、果たしてそれは人間たちにどう映るのだろう?
皆が皆、女将の様にはならない筈だ。
妖を憎む村人が多いこの村では、妖とばれることは身の危険にも繋がってくるのだから。
「……今は、虹陽が心配だ。急いで、彼を追おう」
陰襤はそう告げると、ズボンの後ろポケットより、財布をとりだし、数枚の現金を出した。
「これ、宿泊代。お釣りは要らない。
多分、帰らないから。本当に、ありがとう、女将」
お金というものを、人間が使うのは知っていたが、どう使うのかもわからない琥珀は、陰襤が渡したその硬貨にどれほどの価値があるのかがぴんと来なかったのだが。
その硬貨を手にした女将の顔が、かなり驚いた表情だったのはよくわかった。
◇◇◇◇◇◇
「ここ、かな?」
鳥目の為、夜はあまり得意ではないのだけれど。
広場に集まる白装束の村人たちの波を抜け、儀式の前の宴の為の、華やかな音楽を聞き流し、虹陽は村の外れ。
西の山の入り口になんとか辿り着いた。
「よしっ」
と、その足を山に踏み入れようとした時だった。
「待てよ」
「虹陽ちゃん、一緒に行こうって言ったでしょー」
と、聞きなれた二人の声がして、虹陽ははっとした表情で振りかえる。
「琥珀! 陰襤!
……二人とも、来ないのかと思ってたのに」
虹陽の言葉に、ため息をつき、陰襤が答える様に口を開いた。
「あのねぇ、虹陽ちゃん。
確かに、俺も琥珀ちゃんも、君も、この村を助けるなんてのに、なんの義理もないよ。
でも、同じ妖として、少なくとも虹陽ちゃんみたいに、誤解されたままなのは嫌だとは思ったし、俺も人間は好きだよ」
陰襤はそう言って、笑う。
「きっと、琥珀ちゃんも同じだよ」
と、そう続ければ、琥珀はふん、と鼻を鳴らし、他所を見た。
「……うん」
そんな二人の様子に、嬉しそうに、虹陽は頷き、そして。
「行こう」
と、静かに山を振り返った。
◇◇◇◇◇◇
そこは、山の奥にある、忘れ去られた神社だった。
古びた木製の社はぼろぼろで、朽ちており、柱が折れているのか、建物自体が斜めに傾いている。
鳥目の虹陽に歩調をあわせ森を抜け、禍々しい妖気を放っているその場所にたどり着けば、そこには20頭ほどの妖がいた。
どれも小物ばかりであり、この中にはまだボスは居ないのだろうとすぐに分かった。
『見知らぬ妖だな、何の用だ』
牛の様な姿をした、一頭が虹陽、琥珀、陰襤の三人に問いかける。
牛の周りに集まる妖たちも、視線をこちらに向けていた。
その間は30m程である。
「あの村を襲うのを、やめて欲しいんだ」
虹陽は静かに言う。
『何故、妖が人間の肩をもつ』
『妖は優れた種族。人間は餌』
『太古よりそうされてきたではないか』
『それを、今更覆し、共生を求めたのは愚かな妖と人間だった筈』
『人間など、自分勝手なだけではないか』
『我らを家畜とし、狩らんとする種族ぞ』
『それを庇う理由があるのかっ!』
威嚇の荒い吠え声と、人間の言葉を話す獣の声が、ごうごうと辺りに響く。
一斉に吠え出した獣たちの声は、静かな森、遠くに渡る。
「……それは」
虹陽が口を閉じる。
妖と人間の関係は、一言では言えないものがあるのは事実だ。
人間の肩をもち、彼ら妖が悪である、と。
一概にそう、はっきりと言えるのだろうか。
人間が狩られているのと同じで、どこかでは、妖は人間に狩られている。
そんな世界から共生を目指す為に、立てられた王たちは、それを防ぐ為に軍を置いた。
世界は共生に動き出している。
共生という世界の絶対的ルールを犯している彼らは、悪いとは言えるだろう。
しかし、本当にそれは正しいのか。
共生をしたいという妖は、世界にどのくらいいるのだろう。
共に生きねばと、そう思ってくれる子らはいくついるだろう。
強制的に世界を変えた王は、軍に任せきりなのか。
こんな現状さえも、放置したままにされるなんて。
軍は、こういう妖を殺し、共生をする事を目的とする組織であり、それが見過ごされる事態自体が悪いのではなかろうか?
あらゆる思考が、頭を巡り、巡る。
「……僕は、人間が好きだよ。
一部では、人間も妖も、狩ったり、狩られたり。
互いに悪いとこはある。
でも、でもさ。
この世界で、僕らは生きていかなくちゃならない。
人間も妖もいる世界で、二つの種族は共生しなくちゃならない。
僕らの住処でもあれば、人間の住処でもあるこの世界でしか、生きれないなら。
助け合って生きていこうって、そう言った僕らの王さまも、人間の王さまもすごい妖(ヒト)だと思うんだ」
虹陽が、語る。
『戯れ言を』
『人間など滅ぼしてしまえばいい』
『そうだ。この世界を我らのものだけにしてしまおう』
『そうだ、そうだ』
あらゆる声が、あがる。
それを、虹陽は首を横に振って否定した。
「それじゃあ駄目なんだよ!
この世界には、人間が居なきゃ生きれない種族の妖も、存在できない妖だってたくさんいる!
そんな妖たちも死んでしまえというの!?
そんなの、そんなのは、勝手すぎるよ」
虹陽は言う。
何故、そこまで必死になるのだろう。
琥珀は、そんな虹陽を見て思う。
たった一人の人間の命の為に。
こんなにも真剣に考えて。
彼はなにを思い、なにを感じているのだろうか。
彼の目には、なにが見えているのだろうか。
「……妖王も、人間の王も。
それを立て、共生しようと言った妖や人間たちも。
すべてはより多くの種族が、この世界で共に生きていこうとした結果なんじゃないかなぁ」
と、口を開いたのは陰襤だった。
「同胞を無闇やたらに殺したい、なんて。
そんな事は皆思わないだろ?
違う種族だから、軽く考えてしまうところがあるんだ。
弱い種族には手を差しのべ、共に生きていこうと王は言った。
俺たちの種族の代表がそう言ったんだ。
共生をしないとする考えは、この世界の意志に反する。
だから、君たちは、悪い事になってしまう。分かるだろう?」
陰襤は語る。
琥珀は、静かに二人の事を見つめていた。
確かに、陰襤も虹陽も、世界から見れば実に模範的で。
さらに、正しい事をいっている。
しかし、それは世界から見れば、だ。
現場には、現場の事情もある。
琥珀は、妖たちを見つめる。
恐らく、彼らだって初めは。
好きで共生という道の掟を犯した訳ではないだろう。
琥珀はそう、感じていた。
『ほざけ』
一際重い声が、辺りに響いた。
直後。
ドンッ! と突き上げるかの様な衝撃が地面からした。
ぐらりぐらりと大地が揺れる。
やがて、卵の殻を破るかのように。
大地を割って、20mはあろう、その巨体は姿を現した。
それは、白い鱗を持つ大蛇。
額には紅い色で、なにかの華を象った様な紋様を持っている、綺麗で神々しい妖だった。
「……君が」
『妖の王は我らを捨てた』
大蛇が、口を開く。
『世界の意思が、逃げ出した。
この世界に、太古よりある人間と妖の戦いの傷から逃げたのだ』
大蛇は語る。
『そんな王は要らぬ。
我ら妖ら、新たな王を選ぶ時なのだ。
共生など、生ぬるく、高い理想だけを掲げるだけの王に代わり、我らは新たな王につく。
“彼”は言った。
『新たな世界を創るのだ』と。
我ら妖だけの、新たな世界を創るのだと』
大蛇が語る。
「……新たな、王?」
琥珀が、その言葉を復唱する。
「……妖王の地位は、強い妖なら誰もが狙う地位だ。
共生を願わない妖が、王が不在の今、新たに王とならんとする妖が居てもなんら、可笑しな事はない。
しかし……莱祈に勝負を挑なきゃ、世界の妖、全部がそいつを王には認めないだろうけれど」
陰襤が言う。
『我は永く生きている。
莱祈の過去もよく、よく知っている』
大蛇が語る。
『昔の罪を隠したまま、共生などと謳う者が、よくこの世界の意思となれたものだ。
我は新たな王につくべく、まずはあの村を侵す。
そう決めているだけの事。
人間との共生など生ぬるい。生ぬるい』
大蛇が嘲笑うかの様に言う。
「……莱祈の罪?」
虹陽の唇が動く。
『この地の軍が動かぬのも、新たな王が為。
世界は莱祈を探しだし、共生などと馬鹿げた理想を掲げ、人間の良いように使われる様になった。
そんな腑抜けた王につくより、新たに王を立てんとする動きはすでにある。
共生を基準に物を考える時代など終わる!』
大蛇が吠えた。
「要するに、その新しい妖王ってのの考えは、人間を……王を含めてすべてを殺すつもりなのか」
琥珀は語る。
『いかにも。
共生などという世界に甘んじている愚かな妖たちも、すべてすべて、消し去ってなぁ』
にたりと笑んだ大蛇を、陰襤が睨む。
「たかがそんな事の為に、共生という道を犯したのか」
静かな声には、怒りがあった。
『古き王の意思など、もはや関係なし』
大蛇が言う。
『理想論だけを語る愚かな王の時代は、彼の王が再び世に現れたと同時に滅び行くのだ!
我らだけが、新たな王を崇めているなどとは思うなよ』
「馬鹿げた事を!
人間と妖、二つの種族があるからこそ、この世界の均衡は保たれているんだぞっ!
それを、人間を滅ぼすなど、愚かな考えに侵されてっ」
『すべては、我らが同胞が為っ!
貴様らも妖であれば、何故その事がわからぬのかっ!』
陰襤の言葉を打ち消すかのように、大蛇の怒号が響き渡る。
手下の妖たちも、その声に紛れて野次を飛ばし、威嚇の声で鳴いていた。
「……俺は、今の世界の意思に従う。
共生をおかしたお前たちを、軍に代わって、赦すことなど出来ない」
陰襤は静かに語る。
「人間の居ない世界を、本当に作れると思ってるのか?」
琥珀は、静かに問いかけた。
どちらの肩を持つわけでもなく。
ただ、純粋な疑問として。
『我らは人間より遥かにすぐれた種族。
それが出来ぬことなどなかろう』
大蛇が笑う。
「……それでも、僕は。
人間が居なきゃ、この世界で一緒に生きなきゃ駄目だと思うから。
君たちの様な、そんな勝手な考えで、今の世界の“平和”が侵されて良いわけがないんだっ」
虹陽が吠える。
『正義の味方を気取るというのか。
なんと、愚かな妖たちよっ』
だんっ! と、大蛇がその尾で大地を叩いた。
『貴様らの、莱祈の掲げる馬鹿げた理想など、壊してくれるっ!』
にたり、と。
怪しく怪しく。
その大蛇は笑った。
『あの村の人間の様に。人間は簡単に裏切る。
我を祀り、この地におさえつけておいて、人間は我を永く忘れた。
人間は必ず裏切る。共生などと言っておいてもなぁ。
そんな裏切りはもう御免だ。苦しめて、苦しめて。
全ての人間たちに不幸を味合わせ、じっくりじっくり殺してやるのだ。この世界、全ての人間を』
大蛇は言う。
「……そうか、それであの村を」
陰襤が紡ぐ。
「……でも、如何なる理由があれ、共生という今の掟を破った事には代わりはない」
意思は、互いに揺るがない。妖たちが殺気を高めた。
『貴様らなど、皆殺しにしてやるっ!』
大蛇が吠える!
刹那。
ダッ、と。
妖たちが一斉に動いた。
虹陽たちと間を詰めれば、三人を取り囲むかの様に、あらゆる方から襲ってくる!
「虹陽っ!」
琥珀の声と共にその背中に翼を出し、虹陽が宙に羽ばたく。
それを追撃するのは飛行系の妖たちだった。
「陰襤っ」
いつの間にか始まってしまった戦を前に、琥珀は陰襤を呼ぶ。
円形となった妖たちに囲まれた二人は、目の前から向かってくる敵の妖を体術だけで防いでいた。
思いきった攻撃をする虹陽とは違い、どちらかと言えば二人は避けだ。
彼ならば、その一声で止める事も可能なのではないか。
以前、自分達にやった時のように。
そんな思いが言葉はなくとも伝わったのか、陰襤が口を開いた。
「俺なら、この戦は止められる。
しかし、それを止めた所でこの妖たちが止まる事はないだろう。
彼らの心は闇に堕ちてる。もう俺たちの言葉は聞かない。だから、こうなったんだから」
陰襤は静かにそう言えば、琥珀を見据える。
「あの大蛇を止めてくる。琥珀。他の妖たちを、お願い」
緑の瞳が、静かに琥珀を見る。
「……仕方ねぇな」
ここまで来てしまったのなら。
やるしかない。
ふと頭上を見上げれば、得意の炎の妖術で、虹陽は妖たちを次々に撃ち落としていた。
翼を抜かれた妖たちは、燃える身体で暴れまわる。
「ありがとう」
落下してくる妖と、自身に襲いかかる妖を軽い足取りで避けた陰襤は、まっすぐに大蛇に向かっていく。
琥珀は一人。
その妖の輪の中心に残って戦っている。
大蛇は陰襤の動きに気づいたのか、その巨体を動かし太い尾を地面に叩きつける。
ぐらり、揺らいだ大地。
尾の先を避け、高く跳躍した陰襤は、宙で身を翻し、そのまま大蛇の顔に乗る。
膝をクッションに、片膝をついていた陰襤はゆっくり立ち上がる。
大蛇の巨体から見る眺めは、何階もある建物から辺りを見下ろすかの様だった。
『ぬ……っ』
「もう、わかったか。大蛇。
俺は、殺ろうと思えばすぐに君の首をはねられる」
ぴくりと動いた大蛇だったが、その瞳にはまだ激しい怒りがあった。
「君も、昔は人間が好きだったんだろう?だから、この土地の神を引き受けた」
『黙れっ』
陰襤の穏やかな声に、大蛇は未だ興奮しているかのようだった。
大蛇の目と鼻の先に、凜と立つ陰襤は、怯むことなく言葉を紡ぐ。
「もう一度だけ、人間にチャンスをくれないか?」
静かな問いに、大蛇はまた怒りを爆発させる。
『ふざけるなぁぁぁぁっ!!』
びしん!! と、大蛇の声が辺りに響く。
「やだなぁ、そんな怒っちゃぁ。
……なーんて、ね?
君が人間を食べていたとか、俺にはそんな程度の事の方はどーでもいいんだ」
けらけらと笑った陰襤だったが、刹那。
その瞳が不穏な光を灯した。
「俺が、わざわざ君だけを狙いに来た理由。君に分かるかな?」
その瞳に映ったのは狂気。
陰襤の瞳に思わずその瞳を見開いた大蛇。
今までにない殺気が、陰襤より立ち上がる。
陰襤は右手を銃の様な形にして自身の足元に……大蛇の額に向けた。
冷たい空気が、その二人だけを包み込む。
「“莱祈の罪”を知ってる、って言ったね」
陰襤の口調は、それでも穏やかだった。
『貴様は……莱祈とはどんな関係が』
「君が知る事でもないけれど、罪を知っている時点で、君を生かす事は出来ないんだ」
そう語り、まるで本物の銃を向けられているかの様な威圧感を放つ陰襤の姿が、大蛇にはふと、過去に見た別の妖に重なって見えた。
『まさかっ、貴様は……っ!!?』
「さようなら」
ばぁん! 銃を放つ仕草をした陰襤は、一歩だけその足を後ろに引いた。
その指先に凝縮されたのは、見えてはいないが、陰襤の放つ妖気の塊。
渦巻くそれは、まるで巨大な弾丸の様で、大蛇の身体を見事に撃ち抜いた。
『……ぁ、が……っ』
陰襤の目の前に広がったのは、額からまっすぐに、1m程の巨大な穴を開けた大蛇の顔だった。
ぐらり、その大蛇の身体が揺れる。
陰襤はその大蛇の顔より、音もなく地面に降り立つ。
刹那。
二つに割けた大蛇の体は、血の雨を大地に降らせながらずしーん! と重い音を立てて崩れ落ちる!
血の雨にその身を濡らした陰襤。
いつの間にかその姿は本性の天馬の物だったが。
「……今……なにが」
小さく呟いたのは、空中にいた虹陽だった。
一番、彼の近くにいた。
一番、彼の目線に近かった。
陰襤がその大蛇に乗ったのはわかっていた。
しかし、今。
「なにが、起きた……」
地面にいた琥珀さえも、当然、なにがあったのかわからなかった。
いきなり倒れた大蛇と、そこに立つ血濡れた天馬。
一気に固まったのは大蛇派だった妖たち。
それに、琥珀と虹陽だった。
かな臭い臭いが充満する中、静かに陰襤が言い渡す。
「お前たちのリーダーはもう居ないけれど、これでもまだ人間を狩り続けるかい?」
妖は本来、強い者に従う生き物だ。
大蛇を倒した妖に、自身らが敵う筈もないと妖たちが散り散りになり逃げていく。
「これであの村は大丈夫だろう」
浴びた血を振り払うかのように、身を震わせる天馬。
その異様な光景に、琥珀が強い想いを抱く。
琥珀の隣に虹陽が降りたったのと、陰襤が二人の前に立ったのはほぼ同時だった。
はっと、我に返ったかの様に、琥珀は陰襤を問い詰める。
「……今、なにをした?」
「なにって?」
きょとんと、いつものように首を傾げた陰襤に、琥珀はその鬣を右手でわし掴み、強く問いかける。
「いたたたたっ、痛いって琥珀ちゃん!!」
「本気で殺す必要があったのかっ!!?」
琥珀の怒号に、陰襤はふと、真顔になる。
「……じゃあ、琥珀ちゃんなら、どう解決したの?」
その問いに、琥珀は言葉をなくした。
その通りだ。
誰かが殺らなきゃ、きっと、殺られてた。
「……琥珀」
虹陽が、心配するかのように琥珀を呼んだ。
きっと、虹陽だって同じ気持ちを持ってる筈だ。
「……くそっ」
陰襤の鬣を離し、顔を逸らした琥珀に、陰襤はへらりと笑いかける。
「村には帰れないし、このまま行こうか。歩けるよね、二人とも」
そう笑った陰襤に、琥珀と虹陽は暫く、口を塞いだままだった。
◇◇◇◇◇◇
深夜。
あの場所からもう十数㎞は離れた森の中。
ふくろうの鳴く声。
虫の鳴く声。
時折吹く風の音。
時折動く動物たちの動いた音。
そして、陰襤と琥珀の足音だけが、その森の獣道に響いていた。
血濡れた身体を近くにあった川で洗い流した陰襤の背中に、虹陽がちょこんと乗っている。
鳥目の彼にはこの闇を飛ぶのは難しい。
「ねぇ、陰襤。琥珀」
と、虹陽がふと二人を呼ぶ。
「どーしたの、虹陽ちゃん」
へらりとだらしない笑いを陰襤が浮かべれば、ちゃん付けをされた事に怒った虹陽がその背に鋭い爪を立てる。
「あたたたたっ!! なんでしょうかっ、虹陽さんっ!!?」
陰襤の言葉でその爪を緩めた虹陽が、口を開いた。
「あの大蛇が怒ったのも、世界が不安定なのも、全部莱祈が失踪しちゃったから、なんだよね?」
その言葉に、琥珀は。
「……まぁ、そうだな」
と、そう答える。
「なら、悪いのは莱祈って事でしょ!?
だったら、僕が莱祈にがつんと言ってやりたいんだ!
ねぇ、どうせなら王様も探さないっ!?」
「はぁっ!?」
虹陽の言葉に琥珀はそう返すも、それとは対照的に「あはははっ」と、笑い声を挙げた陰襤が、楽しそうに答える。
「いいねぇ、虹陽!
俺らで探してやろうじゃない!
莱祈も殴られたら自分のしたことに気づくんじゃないかなぁ」
と、けらけらと笑う陰襤に、琥珀は睨んだ様な視線を向ける。
「……あのなぁ。お前の目的は王狩りでもないんだろう?」
「目的なんてないんだし、作っちゃってもいいじゃない」
陰襤が明るく返す。
「じゃあ決まり!
僕は記憶を探すのと、皆で莱祈を探すんだ!
世界を回っていたら、いつか手掛かりもある筈だし!!」
虹陽が楽しそうに言うのを見て、琥珀はため息をはく。
こうなったら、最後までこいつらについていくしかない。
琥珀は自身の運命を呪いながら、一人、複雑な思いで道を進んでいった。
異国の妖
パーティー結成、5日後。
前夜。
人間の村の宿で初めて一夜を過ごした一行だったが、虹陽の記憶も莱祈の手がかりもなにも掴めないまま、一行はその村を後にするしかなかった。
円形の王都を軸に、はじめに琥珀、虹陽の住んでいた南の地区から反時計回りに順調に旅を続けてる一行は、炎天下の中、今日も深い森を歩いていた。
大都会、王都を取り囲む大陸のほとんどが深い森である。
その森に、所々人間や、妖の種族の小さな村が点在しているといった感じだ。
永遠に続く巨大な森だが、歩いていればいつかは村がある事は、この一行は分かっていた為、その歩を止める事はなかった。
「……“異国”?」
と、旅の会話にその言葉を聞いた琥珀は、眉をひそめた。
「そう。妖たちの隠れ里の事でね?
そこの妖たちは普段この国の、同じ土地の中に在るのに、普通じゃたどり着けないんだ。
その隠れ里に住む妖たちが使う言葉は、大体その隠れ里独自のもので、俺たちとは違う言葉を使うんだよ」
そう言ったのは、陰襤だった。
「へぇ、面白そう! いってみたい!」
と、目を輝かせたのは虹陽だった。
もう特等席となった、天馬姿の陰襤の背に乗った虹陽が笑う。
「ここの近くに、ひとつあるんだ。
俺の“知り合い”の居る村なんだけど、どうせならそいつもつれていこうかなぁーって思ってね」
ウインクをする陰襤に、琥珀は。
「なら俺たちを誘うんじゃなく、初めからそいつを誘って旅に出たらよかったんじゃないか?」
と、ため息混じりに言う。
「んー、そうなんだけどさぁ、その子、色々“問題”があってね?」
陰襤はそう、苦笑する。
「……問題?」
虹陽がきょとんとした顔を見せれば、陰襤はその言葉を続ける。
「……うん。それ以外はいい子なんだけど……でも、俺は君たちを誘った事は後悔してないし、楽しいよ?
虹陽ちゃん超可愛いしー!」
にこにこと笑った陰襤の背に、恒例となったかのように虹陽が爪をたてる。
「あたたたたたたっ! ごめんなさいっ、虹陽さん!!
マジで昨日血出てたから手加減してぇー!!?」
「……最初から言わなきゃいいだろーが」
陰襤の言葉に返した琥珀に虹陽は強く頷く。
「そーだよっ! 言わなきゃいいの!」
ぷくー、と頬を膨らませ、虹陽は陰襤を見る。
「あははははっ。だって可愛いしー」
へにゃりと笑った陰襤に、もうかける言葉はない。
琥珀が深いため息をはいた時だった。
「……あ、ほら、あれ! 古びた鳥居、分かる?」
と、突然陰襤が前を指し、立ち止まる。
ふと顔をあげた琥珀と虹陽は、陰襤の指し示すものを見つけた。
三人が歩く獣道の先。
数十m先に少し拓けた場所があった。
その拓けた場所は楕円形になっており、ほぼ中央に巨大で、捻れた幹をもった樹があった。
その樹の幹に巻き込まれるように、古びた朱色の鳥居が立っている。
「……あれのこと?」
「木に巻き込まれてるぞ」
虹陽と琥珀が声をあげる。
「そ。あれがここの隠れ里の入り口なんだ。全くわからないでしょ?
俺ら妖にさえ、知らなきゃ見つけるのが難しいぐらいに隠されてるんだよ」
陰襤は語る。
「隠れ里は、分かりやすく言えば結界内に閉じ込められた村でね?
世界に端はないけれど、ひと度知らずに迷いこんでしまえば、見知らぬ言葉を使う妖たちと、見知らぬ村がある。
村を逃げるように出ていっても、次はどこまで行っても広く広がる草原に出る。
でも、草原を走っても、また不思議な村にたどり着いてしまう。
この異国の構造はどの村も同じだよ」
陰襤の言葉に、虹陽は「へぇ」と小さく声をあげた。
「つまり、入ったら自力じゃ出られねぇと?」
琥珀が言えば、陰襤は頷く。
「でも、異国の妖は往き来できる力があるし、頼めればかえってはこれる。
迷いこむって言っても、異国側の妖が招いてくれなきゃ普段は入れないしね。
それに異国毎に違うんだ。この異国へと続く道を開ける鍵となる妖術は。
迷いこむのは、滅多にこちら側には来ない異国の妖が、こちら側に来る際や、向こうに帰る時にたまたまその時空の渦に巻き込まれてしまった者たちだよ」
陰襤はそう言えば、その歩を再び進め出す。
琥珀もそれに続き、鳥居の前に立つ。
「だが、その異国にいる妖に、どう連絡をとるって言うんだ?」
それは、琥珀の純粋な疑問だった。
陰襤は目を瞬かせる。
「あ……考えてなかったし、そこまでは俺、知らない」
陰襤の言葉に琥珀が片眉をはねあげる。
「……知らない、だぁ?」
不機嫌そうな琥珀の声に、陰襤はそれでもへらりと笑う。
「あはははは。なんとかなるよー」
陰襤の言葉に保証はない。
「何日も待つの?」
虹陽の問いに、流石の陰襤も言葉を詰まらせる。
「う、うーん、なんとかなるよー!」
と、取りあえずの返事をした陰襤が、その右前足で鳥居を触る。
「いきなりばかっと開いてくれるとかさー!?」
情けない声に、琥珀はこれは駄目だと言わんばかりにその場に座り、後ろ足で頭を掻く。
「琥珀ちゃーん!」
虹陽はといえば、異国の入り口に興味はありげだが、開かないと分かると眠気の方が勝ったのか、大きな欠伸をしだした。
「虹陽ちゃんまでぇー!?」
情けない声を出す陰襤に、琥珀はため息をつく。
虹陽は眠さのせいか、今回は怒ることはなかった。
「大体ほんとに知り合いがいるのか?」
琥珀の問いに、陰襤は胸を張って返す。
「知り合いはいるよぉ!? って言うか、あのね琥珀ちゃん!
俺にもお友だちの一人や二人や三人くらいいますっ!!」
「すくねぇな」
琥珀にあっさりと切られた陰襤がぶーと不満そうな顔を見せる。
「全く、失礼だなぁ琥珀ちゃん!
俺だって実はすっごい妖怪だったりしちゃうんだからね!?
ただのあほじゃないんだからねっ!?」
「ほー違ったのか?」
「琥珀ちゃん!?」
鳥居の前で繰り広げられる二人の会話を聞きながら、虹陽は一人うとうと、と身体を揺らす。
そんな事を続けること、約10分。
「大体琥珀ちゃんはね真面目すぎるの!!
そんな事じゃもてないんだからねっ!?
世の中肉食じゃないともてないんだからねっ!?」
「……さっきっからなんの話をしてるんだお前はっ!!
というか、今はそんな話関係ねぇだろうがっ!!!」
怒号一発。
琥珀がそう吠えた時だった。
ふいに、ふと陰襤が振り返るように顔をあげた。
その背に乗る虹陽はもうぐっすり寝息を立てていたが。
琥珀もほぼ同時に空を見上げる。
「……なんだ?」
と、琥珀は小さく呟いた。
“なにか”が来る。
微かな妖気が、こちらに真っ直ぐ向かってくる。
琥珀が目を細め、鳥居を背にして立つ。
陰襤もその身を返し、空を見る。
「お、ちょうどいいタイミング」
にこにこと笑った陰襤が、そう言ったのと同時。
空からこちらに降り立つ、一頭の妖が二人の目に止まった。
鷲の様な顔と翼に、獅子の身体を持った妖。
色素が薄く、鋼色の毛並みは、きらきらと陽の光に輝く。
滅多に見ない種族ではあるが、それは確かに妖だった。
グリフォン。
そう呼ばれる種族である。
2m程もある大きな身体をそっと降り立たせれば、舞い上がった風に陰襤の鬣と尾、琥珀の柔らかい毛が遊ばれる。
その妖は、陰襤と琥珀、虹陽から、わずか数m離れた場所に降り立てば、左右の色の違う瞳で三人を見た。
左は蒼、右は紅。
澄んだ瞳が静かに見つめる。
「やぁ、ちょうどいいタイミング!! ひっさしぶりだねぇー!!」にこにこと、笑った陰襤の様子から、恐らくこの妖が知り合いの妖だとわかる。
しかし「異国の妖は独自の言葉を使う」といっていたが……。
陰襤の言葉は通常のものだ。
動く事もなくじっと三人を見つめる。
「言葉は通じてるのか?」
琥珀の問いに。
「うん、大丈夫。“彼”はこっちの世界の言葉もぺらぺらさ」
と、笑った陰襤。
三人を見つめて暫く、グリフォンは片目を細め、片目を見開く。
まるで眉を寄せるかのように、にわかに厳しい表情をとった、陰襤曰く雄のグリフォン。
そのグリフォンが漸くその口を開いた。
「……なんでお前がここにいるんだ?」
低めの男の声がした。
「なんでって、やだなぁ。ひっさしぶりの再会なのに喜んでくれないのぉー!?」
けらけら笑った陰襤に、ふんと鼻を鳴らしたグリフォンは、琥珀と虹陽を見る。
「そいつらは?」
「俺の仲間ぁ。かわいいでしょ」
にっこりと笑った陰襤を、グリフォンは呆れたかの様に見る。
「まさか、ここで会うとはな」
「だって、凰伽(オウガ)ちゃん。君は世界を飛び回る身だよ?
会える確率的に高いのって、ここじゃない? 君の出身の村の入り口」
にこにこと笑った陰襤の言葉で、グリフォンの名前を知る。
凰伽というらしい妖は、呆れたといわんばかりの顔だ。
「また、なにを企んでいるのかは知らんが、俺はもうお前と組みたくはないぞ」
凰伽の言葉に、琥珀は陰襤を見て問いかける。
「どういう知り合いなんだ?」
「うん? あぁ、昔一緒に悪さしてたり、なかったりしてぇー?」
そう答えた陰襤の言葉に信憑性はどれ程あるだろうか。
「あ、凰伽ちゃん。紹介するよ。
こっちの妖狐が琥珀ちゃん。背中で寝てるのが虹陽ちゃん」
にこにこと笑顔を浮かべる陰襤を、凰伽は見つめたまま言う。
「俺に何の用なんだ?」
「よくぞ聞いてくれましたー!! 凰伽ちゃん!!
君には俺たちと一緒に来てほしいんだよねぇー!!」
陰襤の言葉に、凰伽は返す。
「断る」
「ええぇっ!!? どーしてっ!!?」
あっさりと切られた陰襤が、食いつく様に凰伽に詰め寄る。
「お前といるとろくな事が起きない。それに、俺は今忙しいんだ」
「凰伽ちゃんだって旅してるなら一緒に来てくれたっていいじゃーん、けちー!!」
ぶーぶーと文句を言う陰襤に、ひきつった表情を見せた凰伽。
「確かにそうだが、俺は今……」
「凰伽ちゃん!!」
凰伽の言葉を切るかの様に、陰襤はぐいっと顔を凰伽に寄せる。
「凰伽ちゃんに、一生のお願い!」
「いや、以前二回ぐらい聞いただろ?」
「来世と次の世で恩返しはするからぁー!! ねっ!?
凰伽ちゃんの実力を買って、こんなに俺が紳士に頼み込んでるんだよおぉ!!?」
「どこが紳士だっ、どこがっ!!」
吠える様に言った凰伽。
その声でか、やっと陰襤の背中にいた虹陽がはっとしたかの様に目を覚まして辺りをきょろきょろと見渡す。
陰襤は仕方ないと言った様に言う。
「……あのね、凰伽ちゃん。
この旅に付き合えば君の夢が果たせるかもしれないよ!?」
「……夢?」
陰襤の言葉にいやーな予感を感じ、琥珀は小さくその言葉を復唱する。
「琥珀、琥珀」
と、虹陽はさーと、琥珀の隣に降り立てば琥珀を呼ぶ。
「なんだ?」という様に琥珀が首を傾げれば、虹陽は問いかける。
「あの妖(ヒト)誰?」
琥珀はとりあえず、分かった情報を教えてやった。
「あれは忘れもしない。そう、つい昨日……いや、一昨日の夜!」
と、突然陰襤がいきなり力を込めて口を開く。
「虹陽と琥珀がある宿の、俺たちが泊まる部屋でね、一点を見つめ始めたんだ」
真剣に語りだした陰襤。
その話に思い当たりがあり、琥珀は。
「それ、昨日の晩だろ」
と、ぼそりと呟く。
「『二人してどーしたの?』って俺が言うとね!?
『この女の人誰?』って虹陽ちゃんがいうのっ!!
琥珀ちゃんにも確認したら琥珀ちゃんまで顔が蒼いのっ!!!
俺には全く見えないなにかがそこにいたらしいんだよっ!!?
超怖くない!!?
俺、その後一人でトイレも風呂も寝るのも出来なくて琥珀ちゃんとブルブルしながらなんで平気なのかわからない虹陽ちゃんと一緒に頑張って夜を過ごしたんだよ!!
……ところで、凰伽ちゃん。
君は幽霊とか宇宙人とか未確認生物とか妙に詳しいし、大好きだよね!!?
一緒に来て俺をその変なのの脅威から護ってくれないっ!!?」
陰襤の言葉に、ぴくりと凰伽が反応する。
琥珀や虹陽、陰襤が妖なのは、もう皆が知る事実だろうし、妖というのは一般的にはお化けなどの一種である。
それなのに、この世界の妖たちは霊感がなければ同じお化けの仲間である筈の妖の幽霊や人間の幽霊を見ることはできないのだ。
「俺は怖がってねぇ!! 怖がってたのはお前だけだろうがっ」
琥珀はそう吠えるが。
「えー、そう? 琥珀も苦手じゃない、幽霊」
と、虹陽に言われてうっ、と言葉を詰まらせる。
「……ふん。
大体、なんでまた仲間を増やしたいのかは知らないが、そんなんでほいほいお前の気まぐれな旅に付き合う妖がそうそう居てたまるかよ」
琥珀はそう言って鼻をならす。
しかし。
「……幽霊、か」
凰伽は、興味がありそうにぽつりと呟いた。
その反応に『まさか、な』と、琥珀はひきつった笑みを浮かべる。
「……付き合ってやってもいい。俺も、今は私用で旅をしているだけだしな。
お前についていっても、やることは変わらない」
凰伽が応える。
おいおい、忙しいんじゃなかったのか?
琥珀は一人心の中で突っ込んだ。
「やったぁ! さっすがぁっ!
話がわかるねぇ、凰伽ちゃーん!」
瞬時に人の姿になった陰襤が、凰伽の首に手を回す。
グリフォンのままの凰伽の首を抱き抱える事は出来ないが、彼は満足した様だった。
「凰伽さんって妖(ヒト)も一緒に来るの?」
虹陽が首を傾げれば。
「凰伽でいい」
と、そう答え、凰伽は人の姿になった。
背は陰襤と同じぐらいで、やや凰伽の方が高いという長身。
色白の肌に、艶のある漆黒の黒髪は、襟足以外は短く、襟足だけが肩についている。
ゆったりとした丸い襟の服で肩を出し、中には黒のタンクトップを着ている。
スカートのついたパンク系のズボンを纏い、黒の革の靴を履いた青年の姿。
綺麗なオッドアイは、先程のグリフォンと変わらない。
「もー、相変わらず美人さん!」
陰襤にがっしりと肩を組まれた凰伽は、呆れた表情で腕を組んでいる。
そんな凰伽の姿を眺めた虹陽は、心のどこかで、彼に会った事があったかのような。
そんな不思議な、懐かしい様な感覚に襲われた。
そんな感覚を圧し殺し。
「……じゃあ、これからよろしくね、凰伽!」
と、虹陽は笑って言う。
一方、琥珀は一人考えていた。
陰襤という妖は、なにが目的なのだろうか。
凰伽はあの陰襤の友人だ。
陰襤の様に変人である可能性はかなり高い。
この旅を、一緒に行こうとした目的が本気で霊感がある琥珀(オレ)や虹陽と一緒にいることで、霊感がある奴程遭遇しやすいとされるオカルト現象を体験するのが目的であってもなんら不思議はない。
しかし、俺は……?
俺が彼の……陰襤の、目的もなにもない、気まぐれな旅に付き合おうと思ったのは、恐らく偶然ではない。
虹陽が行くと決めたからって、俺まで行こうと言わなくてもよかったのだから。
だとしたら、何故。
俺は今、ここに居るのだろう?
陰襤という妖の何に惹かれ、俺はここまで来たのだろう?
陰襤という妖が、なにをしようとしているのか。
それに対する言いようもないぐらいの恐怖を、琥珀が感じていた時だった。
「……ゃん、琥珀ちゃーん!」
気がつけば、陰襤が琥珀を呼んでいた。
「どうかしたの?」
きょとんとした顔を見せた陰襤に「なんでもねぇ」と小さく返す。
不思議そうにした陰襤だったが、特になにかを追求したりはしてこなかった。
「ねぇねぇ、凰伽!」
と、虹陽がちょんちょんと跳びながら凰伽と陰襤の前に立った。
凰伽が静かに言葉を待つ。
「僕異国って場所見てみたい!」
きらきらとした目で虹陽がいう。
その言葉に、凰伽はぴくりと反応し、その視線を虹陽から鳥居に向けた。
やがて、ゆっくりと凰伽が口を開く。
「あの村は……」
「駄目だよ、虹陽ちゃん。異国はあくまで隠れ里だからさ。
普通の妖とかは普段、偶然じゃなきゃ入れないんだよ。
俺だって凰伽ちゃんとは長い付き合いだけど、入れたことないんだー」
凰伽の言葉を遮るように、陰襤は笑う。
まるでなにかを隠しているかのように、琥珀にはそう不思議に思えたが。
「うー、そうなのー」
と、残念そうに言う虹陽はその言葉をすんなり信じたようだった。
「初めは入ろうとしてたんじゃなかったのか?」
琥珀の言葉に、陰襤は笑う。
「まっさか。凰伽ちゃんはね、普段この村の中に居ないんだ。
いつも旅してるんだって言ったでしょ?
“この季節だけ”は帰ってくるから、ちょうど帰って来てくれたら誘おうかなーって程度だったんだけど」
陰襤は凰伽を見て笑う。
「いやぁ、凰伽ちゃんちょーどなタイミングで帰ってきてくれたし、やっぱり凰伽ちゃんは俺の事大好きなんだねー!」
にこにこ、と陰襤が笑いながら凰伽の背を叩く。
「……どうしてそうなるんだ」
嫌そうな表情で凰伽が返す。
「でもどうしてこの季節に帰るの?」
虹陽がきょとんとした顔をする。
「祭りがあるんだ。だから、帰る。
まぁ、参加しなくてもいいものだし、このまま旅に行ってもいい」
と、そう答えた凰伽。
「んー、行けないのは残念だけど、仕方ないよねー」
虹陽は苦笑した様に言う。
「さぁて、じゃあ、凰伽ちゃんも合流したしー、また出発しよっかぁー!」
と、陰襤はそう言って凰伽から離れて天馬の姿になる。
その背中にちょこんと虹陽が止まる。
「ほら、行こー? 琥珀ちゃん、凰伽ちゃん」
にこにこと笑った陰襤が、その歩を進め出す。
そんな陰襤に、軽いため息をはいた琥珀が続き、あの本性では狭い獣道では困難だろうと思った凰伽は、人の姿のままその後に続いたのだった。
その様子を、じっと見つめる影があったことに。
まだ、誰も気づいては居ない様だった。
風の妖
凰伽の故郷、異国より。
20㎞程離れた森の中。
パチパチ、と。
火の中で枝がはぜる音がする。
森の中。
小さな小川の近くで、今夜は夜を明かす事になった。
ぱちん、と。
人の姿のままでいる凰伽が、身体に寄ってきた虫を叩いた。
深夜。
火の番をしていた凰伽は、ふと、今は寄り添い、仲良くぐっすりと眠る本性姿の琥珀と虹陽を見た。
自分や陰襤と比べたら、まだ幼い妖の様だ。
陰襤が旅をしている事は今日知ったし、その目的は分からないが、その仲間としてつれていくには何故この妖たちだったのかがわからない。
「凰伽ちゃん、考え事?」
炎の光に照らされた蒼い影は、にっこりと凰伽を見ていた。
いつのまにか、人の姿をした陰襤がそこにいた。
「……お前はなんで旅してるんだ?」
凰伽が、陰襤に問いかける。
「単純に、俺もこの、今の世界を見てみたかったから。
そして、虹陽ちゃんの記憶探しと、王を探す為」
笑って答えた陰襤に、凰伽は驚いた様に目を見開いて返す。
「『王狩り』だと?
お前は、そんなのに興味はないと思っていたし、そんな事しなくても、莱祈の居場所とか知っていそうだが……」
すぅ、と細められた凰伽の眼。
だが、その鋭い追求に動じる事なく、陰襤は笑って見せる。
「あはははっ。やっだなぁ、凰伽ちゃん。
俺が世界の王様の行方なんて知るわけないでしょー?」
陰襤の言葉に、凰伽はふん、と鼻を鳴らす。
「お前は余計な事をよく識っているからな」
「俺の知識なんて大したことないよ」
けらけらと、陰襤が笑う。
「凰伽ちゃんは、なんの旅してたの?」
と、陰襤の問いに、凰伽は応える。
「俺も、王を探してた。俺は、王を……莱祈を見つけなきゃならない」
まっすぐに、凰伽が揺れる炎を見つめる。
「……そうだね」
陰襤は苦笑する。
「君は、この国の創世。莱祈を支えた妖。
彼の隣にいるべき妖なんだよね」
その言葉に、横目で凰伽が陰襤を一瞥する。
「お前たちも『王狩り』をしてるなら話は早い。莱祈の姿を見つけたら、すぐに殴ってやる。
この国を捨てるのに、正当な理由など俺には思い付かないからな」
凰伽が静かに。
だが、その意思は強く宣言する。
「凰伽ちゃんは、この国と莱祈が好きなんだね」
にっこりと、陰襤は笑う。
やがて。
「見つかるといいね。莱祈」
他人事の様に言った陰襤に、凰伽はため息をつく。
「相変わらず、お前は軽い。その軽口で、お前の真意は余計見えない」
「あはははっ。誉めてくれて嬉しいよ」
陰襤にはなにも言っても無駄だろう。
そう感じた凰伽が、口を閉ざせば。
「ところで凰伽ちゃん」
と、その口調はまた明るくなっていた。
「……なんだ」
こんな奴の相手になるか、と何度思った事だろう。
しかし、真面目に応える凰伽に、陰襤はその心情がわかったかの様に「優しいねー」と冗談っぽく笑って続けた。
「俺、おしっこ行きたいんですけど」
随分と間抜けた言葉に、凰伽が片眉を跳ねあげる。
「行ってくればいい。俺は火の番で動けないぞ」
凰伽は冷たくそういい放ち、陰襤をはね除ける。
「うえぇー! そんなぁ! じゃあ、じゃあ、俺が15分経っても帰らなかったらなんかあったと思ってさ!!?」
次に続くのはきっと『迎えに来て』だろう。
「断る」
そんな面倒に付き合えるか。
凰伽は突き放すが、陰襤も引き下がらない。
「一生のお願い!!」
「何度目だ」
右手を陰襤に両手で包み込まれるかの様にがっしりと握られた凰伽は変わらない冷めた視線を向けていた。
「凰伽ちゃんのけちー! あーだめっ、漏れちゃうー!
凰伽ちゃんだけが俺の命綱なんだからねっ!! 絶対助けにきてねっ!!!」
そう言われても、離れる気など凰伽にはない。
「逝ってきます」
敬礼をして林の中に消えていく陰襤の姿を、凰伽は呆れたように眺めていた。
いってきますの言葉が、どこか違うように聞こえたのもきっと、気のせいなどではなかったのだろう。
◇◇◇◇◇◇
数分後。
「ふぅー」
と、事を済ませた陰襤が、道を戻ろうとした時だった。
キラリ。
なにかが暗闇に反射した気がして、ふと陰襤は顔をあげる。
陰襤が大きな樹の高い枝に、ちょこんと座った人影を見つけるのに、そう時間はいらなかった。
「……お前は」
小さく、陰襤が呟く。
「陰襤、ってのは君だろぅ?」
にやり。
いやらしい笑みだった。
そいつは足音はなく地上に降りるが、そいつのつけるアクセサリーの、ジャラリという音ははっきりと耳に聞こえてきた。
そいつの金色の瞳が、獣のように闇に光る。
夜目が効く陰襤は、そいつの姿をはっきりと捉えていた。
そいつは、中華服の様なデザインだが、黒を基調にし、フードのついた、金の刺繍糸で前面に龍の描かれたパンク系パーカーを纏い、そのフードを目深に被っている。
それに合わせた光沢あるブラックデニム 地で作られたバイカーパンツを纏い、その足元にはスニーカーを履いている。
鳴っていたのは、腰につけられたいくつものチェーンと、首から下げたいくつかのネックレスらしい。
デザインされた造りのゴーグルが、その首にはかけられていた。
フードを外した彼の髪は一見短髪の薄茶色の様だったが、どうやら襟足だけはかなり長く、腰の辺りまである様だ。
眉はないが、左目の上、眉辺りにに3つのピアス。
また、右の同じ位置に1つのピアス。
鼻にも左には2つ、右には1つのピアスが光り、その口の左端にも2つピアスが並ぶ。
中々の個性的なファッションだ。
渇いた唇を舐める舌にも、左と右の端に、それぞれ1つずつのピアスが見えた。
そんな派手な見た目を持った人物を知り合いの中から検索するが、そいつは陰襤の脳内に一向に現れてはこない。
「……やぁ、天馬」
だが、向こうは陰襤を知っているかのようだった。
「……野郎の立ちション見つめるなんて、相当な悪趣味の持ち主だね」
嫌な予感がした。
陰襤は、軽い口とは対照的に、慎重にそいつから無意識に距離をとる。
そいつから微量に漏れる妖気は、そいつが結構な手練れである事を示していた。
そいつの本性は、恐らく、鎌鼬。
陰襤はその瞳で鋭くそいつを射抜く。
そのまま、一歩。また一歩。
その足を引いて後退し、間をとった。
「そんな所見る趣味はないんだけどぉ」
にたり。
嫌な笑い方をする奴だ。
慎重に出た陰襤とは対照的に、余裕のある嫌な笑みをする。
陰襤は、片眉を跳ねあげる。
「……なんの、用だ?」
自身を知っているのなら、なにか目的がある筈だ。
陰襤は静かに問いかけた。
「……俺は帝喃(テイナン)。ある人間に仕えてる妖怪さぁ。
“ちょっとした事情”があってねぇ?」
ねっとりと、耳に貼り付くかの様な。
逃しはしないよ。
まるでそんな風に、言うかの様な。
独特な声が、帝喃の口から溢れる。
「俺は君を。君の“罪”を赦さない」
帝喃の瞳がきらりと狂気を映す。
「……俺の“罪”?」
陰襤が小さく呟く。
「あははははっ! あくまでも、惚けようというのかぃ?
天馬ぁ。君の秘密を俺は知っているんだよぉ」
ぺろり、と唇をなめる帝喃の動きを陰襤は黙って見つめていた。
「……さぁ、なんのことか、俺には分からないな」
ため息と同時に、陰襤が瞳を閉じる。
しかし、そのため息はあきれなどから来たものではない事は、すぐに分かった。
恐ろしい。
陰襤は思う。
今、目の前にいる帝喃という妖の存在に、自身が畏怖しているのがわかる。
「……ねぇ、陰襤」
その声に、はっとして目を開けた陰襤がその眼に捉えたのは。
なんの気配もなく自身のすぐ真横。
狭い獣道のそこで。
自身から見て、すぐ、左隣にいた帝喃の姿だった。
いつの間に。
冷や汗が垂れる。
恐らく、この帝喃という妖の実力は、初めに自身が感じた恐怖より遥かに上だ。
そう、思い知らされたかの様だった。
「―――」
悪魔が。
帝喃が、陰襤の耳元で囁く。
その言葉に、陰襤は思わず目を見開いた。
刹那。
陰襤は身を返し、帝喃と対峙すれば、右の人指し指の先に妖力を込める。
鋭い殺気を含んだ妖気の渦が陰襤を中心に巻き上がると同時。
その渦を回避するかのように、身軽にバク転をし後退した帝喃がにたり、と笑う。
「殺る気ぃ?」
そう笑った帝喃の両手に、瞬時に二丁の拳銃が現れる。
スタームルガー・ブラックホーク。
それに似た、リボルバー式の拳銃だ。
「……それがお前の生来武器か」
「飛び道具はイイ。どんな時でも優秀に動いてくれる」
陰襤の言葉に、まるで恍惚に似た表情を返し、答えた帝喃はその顔に不敵な笑みをまだ、はり付けていた。
鋭い犬歯の覗く、歪んだ口元はより、不気味さを引き立てる。
その言葉に妖気をおさめ、陰襤は両手に自身の生来武器を出した。
深緑の柄をし、その柄の先に飾りをつけた、半月型の長めの二本の剣。
「俺は君を殺したいんだぁ」
帝喃は言う。
「……俺も、そこまで言われちゃ君をいかしては置けないね」
苦笑のように笑う陰襤だが、その瞳は決して笑ってはいなかった。
「その余裕、どこまで続くかなぁ」
まるで瞬間移動したかの様に、軽く宙に舞ったまま、頭上から陰襤の目の前に出た帝喃は、陰襤の額に銃口を突きつけ、躊躇いなく引き金を引く。
瞬間、身を縮め足元に転がり帝喃の背後に回る。
銃口から細い煙がのぼる。
宙に浮いたまま、その身を返した帝喃の喉元目掛け、立ち上がり様に左手の剣を振るった陰襤だったが、その陰襤の刀はむなしく空を斬る。
獣道の癖に、器用に木々を避けるものだ。
陰襤が感心する。
宙に浮いているのに、地面に浮いているかの様に華麗に舞い後方に後退した帝喃を見て、陰襤は忌々しげに言う。
「……なるほど。鎌鼬の風の操術か」
「お前には風を斬ることができるかなぁ? 天馬ぁっ!」
ジャキっ、と二丁の銃の先を帝喃が陰襤に向ける。
そして。
ダン、ダン!
鋭い音と共にその銃が弾を放つ。
銃弾が当たった地面は、周囲を2m程陥没させるという、ただの銃弾の威力としては有り得ないものだった。
地面を飛ぶ様に蹴り、避けた陰襤が、地面に空けられた巨大な穴を見て、思わず目を見開く。
咄嗟に森の木の陰に身を隠した陰襤が、険しい表情になる。
ただの銃弾じゃない。
陰襤がその銃を睨み、思案する。
「……妖気で出来た弾かっ」
「初めのは挨拶で、ただの銃並みにしてあげたけれどねぇ?
今はそう言ってらんないだろぉっ!」
直後。
陰襤の目の前に、帝喃の足が見えた。
バシィ!
回転を加えられた蹴りが、陰襤の左、顔面にあたる。
「っ」
横に飛ばされた陰襤だが、どうにか体勢を直し、剣を地面に指して衝撃を止めながら、暫く地面を後ろへと滑る。
口の中に広がった血の味に、陰襤は奥歯を噛み締める。
こいつは、本気で殺りにきてる。
陰襤が帝喃を睨む。
「よっわ! 君の実力には絶望したよ」
嘲笑うかの様な帝喃の言葉に、陰襤は策を練る。
こちらが闇雲に攻撃をしても、帝喃の操る風は、銃などの飛び道具の軌道を変えてしまうだろう。
力でやろうと近づいても、彼の武器は二丁の銃だ。
そして、その銃の威力はとてつもない。
陰襤が険しい表情を見せるのとは対照的に、帝喃は無邪気な子供のような笑みを見せる。
ならば、妖術で蹴りをつけるか。
陰襤は剣を握る両手に力をこめる。
ここはただの獣道だ。
まずは辺りの木々を伐り、視界を良くしたい。
そんな事を考えていた陰襤だったが。
帝喃はそんな陰襤へと間を詰めてくる!
「あまり使いたくないのだけど……」
陰襤は両手を使い、印を結ぶ。
それを認めてか、否か。
宙を舞う帝喃の動きが停止する。
「やはり、お前が……」
陰襤が、最後の印を切る直前だった。
ヒュン!
と、なにかが空を切る音がした。
きらり、暗闇に一瞬だけ、月明かりを反射して光ったそれを、帝喃と陰襤が同時に察知。
陰襤が印を結び終える前に動きを止める。
帝喃は避けようと後退しようとするが、それは一瞬で帝喃の左の二の腕に突き刺さる!
「……っ、いったぁ……邪魔するなんて酷いじゃないかぁ」
二の腕に深く食い込んだのは、一本の矢だった。
「すまんな。何分、そいつは莱祈の大切な“友人”なんだ」
二人から少しだけ離れた森の茂みに。
弓を構えた青年を見た。
「凰伽……」
陰襤が彼を呼ぶ。
彼の生来武器。
それは今、その手にしている大きな弓だった。
帝喃は躊躇いなく、自身の二の腕に刺さった矢をずぶり、と抜けば、たらりと血が腕を伝う。
その腕に感じた違和感に、帝喃はぴくりと片眉を跳ねあげれば、自身の服の袖を破いて腕に強く巻きつける。
「……ちっ、ご丁寧な事だ。毒矢だろう?」
吐き捨てる様に言った帝喃に、凰伽はゆっくりと瞬きをして返す。
「即効性だ。仕留めたつもりだったんだが」
帝喃は「ふん」と鼻をならす。
が、直後には。
にたり、その笑みは不適なものだった。
「さっきのを見て、確信したよ天馬」
ぎらり、帝喃の瞳が怪しく光りを放つ。
凰伽は陰襤の隣に立ち、陰襤と共に帝喃を睨んだ。
「君ならお得意の妖術を使ってくるだろうと思ったのに……俺相手に使うのを渋っていたのは……やはり“そういう理由”からだったんだぁ?」
にぃ、と笑って帝喃は一瞬にしてその姿を消す。
「おいっ、待てっ!」
陰襤が声をあげるも。
ザザザ……。
流れていくのは、ただの風の音だった。
◇◇◇◇◇◇
翌日。
森の道を行く、四人の姿があった。
夏場の森の道は、草木が生い茂り進みにくい。
実は、点々とある人間の村と村を繋ぐように、広めの馬車走り慣らされた様な歩きやすい道も続いていたりするのだが、三人はこれまではわざわざ獣道を歩いていた。
陰襤も琥珀も虹陽も元々森に生きていた者。
わざわざ人間の切り開いた道を行かずとも特に苦労はなかった上、人間と妖が対立しだしたこの時代、妖の姿でその道を行く者も中には居ないこともないのだが、それもそれでかなり珍しく目立ってしまうという理由から、その道を行かずにいた。
しかし、凰伽が加わった事により、彼の巨体では森の道が困難だという事になり。
「ここからは人間の道でいこう」と、人間の姿でいう陰襤の意見に、琥珀も虹陽も従う事になった。
稀に、村から村へと移動する人と馬車に行き違うような大きな林道を歩きながら、琥珀はふと、いつもの様な軽口を叩き、虹陽に見事に拳を決められている陰襤をみて、口を開く。
「……そういえば、陰襤」
と、琥珀が前を行く陰襤を呼び止めるのを聞き、琥珀の右隣を歩く凰伽は気にするかのように、琥珀を見下ろした。
「昨日の晩、なにかあったのか?」
琥珀の問い。
「そういえば、朝方まで凰伽も陰襤も居なかったよねぇー?」と、虹陽も気になる様に陰襤を見る。
歩みを止めず、振り返り、後ろ歩きで歩を進めたままの陰襤は、軽い足取りと同じぐらい軽い口調で言う。
「実は……凰伽ちゃんと俺は……」
琥珀と凰伽は嫌な予感に襲われる。
「結婚してるんです!!」
どやっ、と、陰襤が得意気に笑む。
「……え、えっ!!?」
虹陽が陰襤と凰伽を足を止めて交互に見れば、凰伽は額に青筋を浮かべ、腕を組み、凄まじい怒気を放っている。
「ほらぁ、嫁と旦那って言うと色々あるじゃなぁい?」
「やめろ。そういうことを言うのはやめろ。虹陽の為にも変なことを軽く言うのはやめろっ!!!」
琥珀の怒号に押されたのか。
「わっ、とっ、とっ」
ずてーん。
得意気に後ろ歩きをしていた陰襤が、躓いて尻餅をつく。
「いててぇー、やだぁ、琥珀ちゃんこわぁぁい」
陰襤がわざとらしく手で口を覆い怖がる仕草をすれば、凰伽が陰襤を見下しながら冷めた口調で吐き捨てる。
「仮にお前と夫婦になれと言われたのならば俺は自害する」
「どっちが旦那さんなのー?」
凰伽の言葉の後にそう聞いてくる虹陽。
そんな光景に、琥珀は心なしか、それともこの日差しのせいなのか、頭痛を覚えてきた。
気がつけば、今日も元気な蝉たちの奏でる大合唱が、この森に盛大に響き渡っていた。
「ごめん。まだ、真相は教えられないよ」
そう言った陰襤の言葉は、琥珀に向けてだったのか。
それとも……。
琥珀は、陰襤という妖に、奇妙な違和感を覚えつつあった。
それを悟られないように、睨むように陰襤を見る琥珀に向けて。
陰襤はただ、けらけらと笑みを返していた。
◇◇◇◇◇◇
同日。同刻。
その日、朝方に帰ってきた同僚は、珍しく深手を負っていた。
赤紫色に左腕を変色させ、腫らせた彼はその腕の痛みなど、どうでもよいと言うような風に嬉しそうな、上機嫌のまま帰宅してきた。
ここは、王都。中央部。
西隣に建つのは、今は主のいない妖の王の王宮で。
今、彼と自身がいるのは、人間の王の側の塔だった。
王宮の奥にある寝室。
目覚めたばかりの王の隣。
王の世話をする為に、簡素な木製ベッドの横に立っていた自身は、まさか、同僚である彼が大変な事になっているとは思ってもいなかった。
いきなり、ノックもなしに開いた部屋のドアと、よく知る彼の痛々しい姿を見て、背中中程まである長い紅い髪を結おうとしていた、碧の目をした、若い薄い着物姿の王は、かなり驚いていた。
彼は、すたすたと王の前に出て、痛めた腕を突き出した。
「……その傷は、どうした?」
と、腕を見てベッドの端に腰かけたままの王はそう聞いてきた。
「なぁに、ちょーっと遊んできたのさぁ。炎彩ちゃん、この腕治してよ」
けらけら、と笑った彼に、自身は堪らずに言う。
「……炎彩。帝喃が勝手に負ってきた傷。手をかける事はない。我が肩口から切り落としてやる」
「ええぇっ! 皇我(コウガ)ちゃんの意地悪ぅ」
帝喃が、自身を……皇我を呼んだ。
薄い灰色に見える様な銀色の肩につくぐらいの長さの髪に、紫の透き通った瞳をもつ、小柄で華奢な、憂い気のある表情を見せる皇我という青年。
皇我の服装はアフリカの民族衣装の様だった。
口元を隠す様に巻かれた長い藍のターバンは膝辺りまであり、首には金色の二つの環をはめている。
薄い上着もまた、藍に染められており、中には薄い白の七分のシャツの様な長い服は腰に紅い布を巻いてとめており、七分の裾に装飾のあるズボンを穿いていた。
足元には女性もののような、ハイヒールのサンダルをあわせている。
「我が意地悪だというのではない。私用で炎彩を使うなと言っている」
珍しく口調を強めた皇我を「まぁまぁ」と炎彩が苦笑して宥める。
「その様子だと、会ってきたんだな」
炎彩は帝喃が突きだした腕をそっと両手で包む。
「あぁ、行ってきたよ。ねぇ、炎彩。君にも聞きたい事があるんだ」
淡い金色の光が、帝喃の腕を優しく包む不思議な光景を冷たい視線で見ながら、帝喃は炎彩に問いかける。
「あの天馬って一体何者なんだい?」
と、帝喃の問いに、炎彩は苦笑を返して口を開く。
「彼は……莱祈の友人さ」
そう、返すのと同時に、腕を包んでいた光が消える。
「そ? ありがとう。炎彩ちゃん」
にこり、帝喃は笑って、すっかり色の戻った腕を軽く動かし、手を握り、開くを繰り返す。
「おかげで全て繋がった」
にたり、笑った帝喃を、皇我は静かに見詰めていた。
なにを考えている?
そう、問いかける様な目で。
金の獅子
136年前。
国が出来る2年前の事だった。
まだ世界が、今のように。
きちんと妖と人類が共生をしようとして居なかった時代。
人類の陰に、妖が細々と生きていた時代の話。
ある秋の夜明けの刻。
ある山の山頂の、崖の上。
辺り一帯の土地を見下ろせ、見渡せる高い高い山の頂。
そこに立ち、朝日を浴びながら、輝く彼は……。
誰よりも先駆けて、莱祈は言った。
「凰伽。よく聞け。俺は、この大陸を……世界を変える。
妖も人間も、種族の壁をなくした、住みやすい世界を……国を造る為に、俺はこの大陸の……国の王になることにした!」
突然の一言だった。
だが、その言葉はまだ、異国以外の言葉が拙かった凰伽の為に、凰伽の国の言葉で発せられた、彼の強い決意だった。
「……はぁ?」
莱祈の言葉に、凰伽はそう返すのでいっぱいだった。
国を造る、だと?
そんな事、できやしない。
人間は自分たちと異なる種族を下に見る傾向がある。
恐れ、我々に近づいても来ない。
そんな種族とどう国を造るというのか。
疑問で溢れ返る、まだ幼かった凰伽の頭を、莱祈は優しく撫でた。
「いいアイディアだろ?」
イシシ、と笑った莱祈に、凰伽はぷるぷると首を横に振り、手を払う。
「どうやって造るってんだ! 妖と人間が共に生きれる世界なんてありえない!」
凰伽が吠えるも、莱祈は自信のある笑みで応える。
「出来るさ。俺一人では無理だけど、もうじき、世界には妖が進出する」
確信に満ちた表情で言った莱祈の顔を、凰伽は未だに覚えている。
◇◇◇◇◇◇
彼がそれを成し遂げて見せたのは、それから僅か2年後の事だった。
その時からだと思う。
莱祈と言う妖の存在が、あまりに怖く見えてきたのは。
皇暦133年、秋。
莱祈が失踪する数ヵ月前の事だった。
妖の王の側の王宮。
西の塔の上にある王室にて。
凰伽は窓辺に立つ莱祈に呼ばれ、ふと、視線だけで答えた。
彼の部屋には、家具がひとつもない。
白い大理石の床と、豪華な装飾のある紅い柱が四隅に立つ真四角の部屋。
仕事をする為の部屋に行かなければ、机も、椅子も、ペンも、紙も。
なにひとつない、16畳ある部屋。
それは、ある意味異様な空間だった。
そんな中で莱祈はよく一人、部屋に籠っていた。
何をしているのかは知らない。
呼ばれて、部屋を覗けばいつも。
莱祈は窓の外を静かに見つめていた。
南を向いている窓からは、王都でもある城下町の密集した住宅郡が見えていた。
「凰伽」
と、彼は数歩後ろにいる凰伽を振り返らずに呼び掛ける。
「今後、俺にもし、なにかがあったら。蒼い髪に、俺と同じ眼をした青年が現れるだろう。
彼は、俺の大切な友人なんだ。だから、なにかがあったら彼の力になってあげて欲しい」
「いきなり、何を言い出すんだ?」
凰伽の疑問は尤もだったが、莱祈は振り返り、にこり。
誰にでも、よく見せる笑顔を見せてきた。
それ以上、その言葉については聞けなかったので、凰伽は意味深な言葉を胸の片隅に置いた。
そして、皇暦134年、夏。
つい先日の事。
そいつは本当に現れた。
誰より莱祈の側に居た凰伽も知らない、莱祈の友人。
蒼い髪の天馬。
彼は一体なにを知っているのだろう。
凰伽の心には、なんとも言えぬ感情が渦巻いていた。
莱祈。お前は……。
一体なにをしようとしているのだ?
◇◇◇◇◇◇
皇暦134年、夏、現在。
夏とはいえ、その日になるともう秋は近かった。
夜には、気の早い虫たちがすでに鳴き出している。
ある新月の晩。
彼はある森の中で、ある人と話していた。
穏やかな流れの川のほとり。
そこにある巨岩の上に胡座をかいて座っていた彼は、右膝に右の肘をおき、頬杖をついて川の流れを見ていた。
川のせせらぎに、耳を傾けている。
……かの様に見えていたが、その視線の先には、妖術で作られた水鏡がある。
会話の相手は、もう100年近く、歳を取っていない不思議な紅い髪の青年だった。
「……と、言うわけでさぁ。
南の国防軍の偉い奴からずばっと切っちゃって、新しいちゃんとした子をつかせてくれないかな。
あ、そういえば。
そっちは変わった事あったかい?」
『国防軍の事は、早いうちに手を打ちましょう。
……そうですね。
先日、帝喃が怪我をして帰ってきました。
彼は私が王についた時から、私に仕えてくれている妖だということは、貴方も知っているでしょう?』
「……あぁ、知っているよ。俺の友人がやってしまったのかな?
それは、悪いことをしたと思ってる」
黒いフードつきのマントを纏い、フードを目深に被ったその者は、青年の言葉にそう返す。
水鏡を覗き込む体勢をとっているからか、美しい金色の長い髪が、フードの端から垂れているのが目に入る。
左の横髪だけが、目立つ様に長く垂れている。
深緑のビーズの様な飾りで止めた髪は、新月で明かりもない、暗い暗い闇の森の中。
それでもその金色は、自ら輝いているかの様に。
遠目でも、はっきりその色を捉える事ができた。
「友人にはきつく言っておく。
でも、彼はなにもなければ無闇に攻撃はしない筈だから、君のかわいい小飼の妖にも十分にきつく、こう伝えてくれ。
『余計な詮索をするな』って」
金色の影が笑う。
くすり、笑んだその影のフードを、ふわり。
吹いた風が捲りあげる。
途端にその顔が露になった。
風に遊ばれる金色の髪がきらり、きらり、輝いている。
『莱祈。貴方は本当に困った人だ』
「君には本当に感謝してるんだよ? 炎彩」
水鏡に映った青年を、金色の影が呼んだ。
「俺はまだ、帰れない。あと少しだけ、待っていて欲しい。
俺が、俺の罪を償い終わるその時まで」
ゆっくりと目を閉じた莱祈に、炎彩はゆっくり頷きを返す。
『わかっています』
「ありがとう。炎彩(友よ)」
そう言って、莱祈は水鏡を消した。
そして、立ち上がり、空を見る。
「……真っ暗だなぁ」
そう呟いた彼だけが、暗闇の中。
ただひとつの太陽の様に明るく輝いていた。
記憶の欠片
同日。
皇暦134年、夏の終わり、新月の晩。
その日は人間の宿に泊まる事になった。
凰伽と合流し、初めての人間の村だった。
今日も森の中にある道をひたすら歩き、結構疲れが溜まっていた。
部屋決めの“アミダ”をして、僕と一緒の部屋になったのは、凰伽だった。
凰伽とはたわいもない会話をし、ご飯とお風呂を素早く済ませ、すぐに僕は久々の、ふかふかのベッドにダイブして。
思わず本性になった僕に、凰伽が“見つかるなよ”と、ただそれだけを言った。
すぐに眠くなった僕は、いつの間にか眠っていた。
そして、その日。
僕は不思議な夢を見た。
それはきっと、初めて見る、僕の記憶に関係がある筈だと思える夢だった。
黒煙をあげ、ごうごうと燃え上がる紅い炎。
その中に立つ、紅く、腰まである長い髪を持ち、背中に綺麗な紅い翼を持った、長身の、凛とした佇まいの青年。
風が吹いているかのように、結われてない長い髪は激しく揺れ動く。
その青年の顔だけは、ペンで黒く塗りつぶされたかのようで見えない。
右の手の甲には、太陽の様な不思議な紋様の刺青がある。
この人は、一体誰だろう?
僕は、彼を彼の正面から見つめていた。
僕が見たこともない、どこかの民族衣装の様な服を纏っている様だが、それもはっきり見えない。
見えるのは、手の甲の刺青と、紅く長い揺れる髪、長く尖ったエルフ耳だけ。
僕は、彼を知らない。
見たこともない彼を不思議に思い見つめていれば、青年の背後から、ある人影が見えてきた。
大きな弓を片手に持った、短い黒髪を持つ青年。
纏っている服はボロボロで、全身傷だらけだった。
だが、その青年を、僕は見たことがあった。
ふと、俯いている青年がその顔をゆっくりあげる……。
紅い髪の青年の背後に見えた、綺麗なオッドアイの青年の顔を見て、僕ははっと目を醒ました。
目をさませば、部屋は真っ暗だった。
いくら僕が鳥目だと言えど、すぐ隣のベッドに眠る、彼の背中ぐらいは見えた。
「……あれは……」
夢に出てきた黒髪で、オッドアイを持つ青年。
それはまさしく。
「……凰伽」
見間違える筈がない。でも、なんで……。
そして、あの青年は。
あの青年は、一体誰だと言うのだろう?
僕は、寝息をたてる凰伽の背を、暫く見つめずにはいられなかった。
竜と人の里
皇暦134年、夏。
つまりは、現在、正午前。
それは、新月の晩の翌日だった。
ここに『王狩り』と『記憶探し』をする旅人たちのパーティーがあった。
再び森の中にある、人工的に造られた道を行く小さなパーティーだった。
「……おい、どんだけ森が好きなんだよ」
そう言ったのは琥珀だった。
再び、午前のうちに元気に村を出たのはいいが、なんだかほぼ毎日。
村以外の場所はどこも似たような森の中に走る道を歩いている気がする。
広い道を四人で横に並んで歩いていた。
「仕方ないでしょー。前にも言ったけど、この大陸は王都以外……つまり、大陸の80%はこんな森と点在している村と異国しかないんだからぁ!」
陰襤が答える。
「そうだよ!このオーストラリア大陸ぐらいの大きさの国の80%が森と村だって言うのなら森ばかりしかないのは当然だよ!」
と、虹陽が胸を張るが……。
「ちょっと待て。オーストラリアってどこだよ?」
琥珀が真顔で問う。
そんな場所、この大陸では聞いたこともない。
「ええぇっ!? 嘘っ!?
琥珀ちゃん、あのオーストラリアを知らないのっ!? 凰伽ちゃんでも知ってるよ!!?
知らないなんて時代遅れだよっ!?」
陰襤がわざとらしく大袈裟に驚く様子を見せる。
「……然り気無く馬鹿にしたな」
凰伽はひきつった表情で陰襤に言うが。
「いや、馬鹿にしたなってお前はなんでオーストラリア知ってんだよ」
琥珀の言葉に、凰伽は真顔で答える。
「俺も実際知っている訳じゃない」
「……素直だな」
琥珀は呆れながらそう返せば、虹陽が言う。
「あのね、オーストラリアって、カンガルーがいる所なんだよ!」
どや顔で言った虹陽だったが。
「いや、カンガルーってなんだよっ!?」
琥珀がさらにツッコミをいれる。
「ええぇっ!? 嘘っ!?
琥珀ちゃん、あのカンガルーを知ら……」
「てめぇの反応(ソレ)は態とやってんだろおぉぉ!!?」
陰襤がまた同じ反応をする前に、琥珀は阻止する様に突っ込む。
「……というか、後の20%全部が王都だと言う点もどうかと思うぞ?」
と、今更になってだが凰伽は言う。
「まぁまぁ、まだまだ先は長いんだからぁ!
あまり細かい事にツッコミいれてばかりだとやっていけないぞ」
ウィンクをして陰襤が言う。
「気持ちわりぃ」
それを一刀両断し、琥珀はまだまだ続く道の先を見た。
あぁ、この道はいつ終わるのだろうか。
「……あ、そういえば、この辺だった気がするなぁ」
陰襤がふと、口を開く。
「なにがー?」
きょとん、とした虹陽に、陰襤は答える様に言う。
「竜と人の里さ」
にこり、笑った陰襤を見ながら、虹陽は首を傾げたのだった。
◇◇◇◇◇◇
天気は曇天。
たまに厚い雲より、陽が出る様などんよりとした天気のある日の昼前。
琥珀たちは、とある町の入り口に居た。
目の前に広がる、巨大な集落に思わず目を奪われ足を止めていた。
「わぁ、おっきな町ー!!」
明るく声をあげ、虹陽は軽い足取りでトントン、と人の波間を抜けていく。
「確かに賑やかだな」
と、やはり異国とは町並みが違うのだろうか?
辺りをもの珍しげに覗む凰伽の目には好奇心が宿っている。
凰伽の言う通り、人間が平和に暮らしていそうな町だった。
煉瓦造りの建ち並ぶ建物の屋根や入り口の柱の上などには、至るところに竜や龍の彫刻が飾られている。
見たところ、人間に混じり竜人や龍人など竜や龍の妖の姿も確認できた。
ここでは、竜や龍という妖は、人間と同じように町に住み、暮らしているのだろうと思える。
「虹陽ちゃーん! 一人だと迷子になっちゃうよー!」
立ち止まり、そう声をあげる陰襤を見上げ琥珀が口を開く。
「ここがーー?」
琥珀の言葉に、陰襤は大きく頷けば、にっこりと笑みを浮かべて答えた。
「そう。竜(龍)と人の里、さ」
琥珀はゆっくり、瞬きをした。
◇◇◇◇◇◇
大きな町の為、すぐに宿も見つかった。
昼頃には立派な宿をとることができていた。
ジャンケンで決まった部屋割りは、陰襤と虹陽、琥珀と凰伽が同室だったのだが、虹陽の猛抗議により琥珀と虹陽、凰伽と陰襤という部屋になった。
昼飯を済ませ、久々に琥珀と二人きりになった虹陽は、ふかふかのベッドに身を埋めながら、窓辺にたち、景色を見つめる琥珀を眺めた。
町は石畳の道で飾られ、石や煉瓦造りの家々が建ち並ぶ。
雲の切れ間から差し込む陽射しに照らされた町。
雨にも負けない活気ある町。
道端には露店商が連なり、旅人の姿も数多い。
賑やかな町。
いってしまうのは簡単だ。
しかし。
「琥珀?」
険しい表情だった琥珀を、虹陽は呼ぶ。
しかし、応答はなかった。
なにか考えているのだろうか?
「琥珀……琥珀!」
三度めではっとしたように虹陽を見た琥珀に、虹陽は苦笑を浮かべる。
「どーしたの、怖いかおして」
「……いや」
琥珀は言葉を濁す。
しばしの沈黙の後、琥珀は口を開く。
「おかしいと、思った」
「……え?」
琥珀の思わぬ言葉に、虹陽は瞬きを返す。
「今は知っての通り世界は『王狩り』が行われ、妖を排除しようとする人間が大多数にあたる。
そんな中、この町がここまで妖も人間も影響を受けず、ずっと同じようにこの活気を保ち続けているなんて、おかしいと思わないか?」
琥珀の金の双眸が怪しく煌めく。
言われてみれば、確かにそうだ。
世界は今、混乱の中にある。
それなのにこの町は――。
「ねぇ、琥珀」
虹陽が琥珀を呼び、ベッドから跳ね起きた。
「なんだ?」
「町を見に行こうよ」
虹陽も、町が気にならない訳ではなかった。
「……そうだな」
二人は、陰襤たちのいる隣室に向かった。
◇◇◇◇◇◇
「ほんっっっっっっとに大丈夫っ!? 二人だけで帰れる!?」
「馬鹿にしてんのか」
陰襤の言葉に、琥珀は冷たく返す。
虹陽と共に陰襤と凰伽のいる隣の部屋を訪れ「二人で町を見に行く」と言っただけで陰襤の反応はこれだった。
窓辺にある椅子に座って部屋にあった雑誌を捲っていた凰伽が知らん顔を決め込んでいるのをじと目で見つめる。
はっきり言ってうざい。
「だってだってだって!! 虹陽ちゃんこんなにぷっりてぃーなのに!!
誰かに誘拐とかされちゃったらどうするの!? このお話どーなるの!?」
陰襤に両肩を掴まれ、ゆさゆさと激しく身体を揺らされている虹陽の顔にはブラックな笑みがあった。
「お前が心配するほど俺らだって弱くねぇーよ。どこのモンスターペアレントだてめぇ」
「琥珀ちゃん。君は虹陽ちゃんの価値に気付いてないだけだ!」
ビシリと指をさされ、琥珀は引き攣った表情を浮かべる。
なんだよ、価値って。
「虹陽ちゃんのこの綺麗な紅髪だけで俺だったら国を献上する!」
「虹陽の価値を語る前にお前の頭をどうにかしてこい」
琥珀が冷たく言い放った直後。
我慢の限界だったのだろう、虹陽の拳が陰襤の鳩尾を貫いた。
◇◇◇◇◇◇
数十分後。
「大丈夫か?」
琥珀と虹陽は陰襤が倒れてすぐに部屋を出て行った。
当然の行動だろうと凰伽は思う。
「うぇ……き、きもちわる……あぁ、出る……これなんかでてくる……内臓とか……寄生虫とか……きっと、なんか出る……」
「出すな。というか、いつまでそう蹲っているつもりだ」
自力で床を這いずり、ベッドの上でごろごろと鳩尾を押さえ、のたうちまわっていた陰襤がやっと落ち着いたと思い声をかけたが。
こいつの脳は未だなにかが欠落しているのか、おかしな働きをしているのは凰伽にも目に見えた。
「……それより、いいのか」
溜息と共に凰伽が言った。
陰襤はぴたりと動きを止め、やがてしばしの沈黙の後にベッドの上に胡坐をかいて語る。
なんだ、大丈夫じゃないか。
やたらと大袈裟な男だ。
「真実を知ることは時に成長には必要なことなのだよ」
と。
陰襤は静かに言った。
「……真実を知り、心を壊す者も居る」
凰伽は窓の外を見やる。
賑わう町に、楽しげに消えた二人の少年の背が、瞼の裏に焼き付いている。
「彼らは大丈夫さ。でも、もし壊れてしまったその時は――」
陰襤は自身の長い髪をスッと耳にかけながら笑う。
「所詮、それだけの器だったんだって思うしかないよね」
にこり、その表情の陰襤に凰伽はぞくりと寒気を覚える。
凰伽は知っている。
そして、陰襤も知っていた。
この町の……竜と人の里に隠された、共生の秘密を。
「……気分が悪いな」
ぽつり、凰伽は呟いた。
「それはこの町のせい?」
陰襤が瞳を閉じる。
長い睫毛が影を落とす。
「いや。趣味の悪い事をする、お前のせいだ」
「あはははは」
陰襤は嗤う。
そう、この男はただ。
ただ、おかしそうに嗤ったのだ。
◇◇◇◇◇◇
同刻。
竜人たちと人間と、人間と竜と、旅人と村人と。
様々な人が町の市場を埋める。
溢れる活気、売り出されるおいしそうな食べ物の山や見たことのない道具。
「あ、ごめん」
きょろきょろと辺りを見回して、肩を老人にぶつけてしまった虹陽が両手を合わせて笑う。
老人は怒る事なく通り過ぎる。
「気をつけろよ」
「あはは、こんな賑やかなの初めてだったから」
琥珀が虹陽の隣に並ぶ。
確かに。
琥珀もこの様な光景に出会うのは初めてである。
だからこそ、違和感は募る。
「いい町だね」
「……人間と妖の共生、か」
「こんな町や村が増えたらいいのに。そしたら、莱祈とか王様だって苦労しないでしょ」
「その王様はとうに失踪してる訳だがな」
「うーん、そうだけどー」
苦笑を浮かべ、頬を掻いた虹陽を琥珀が見やった時だった。
確かに、その声は二人の耳に聞こえたのだ。
『ごめんなさいっ』
泣き叫ぶ、子供の様な幼い声。
この声は――妖の声。
妖にしか、聞こえない声が聞こえてきた。
「……琥珀」
「あっちか」
示し合わせたかの様に、二人はふと市場の奥。
暗がりに通じる路地裏への通路を見やった。
◇◇◇◇◇◇
「この役立たず!」
鞭が振り下ろされる。
ピィピィ、小さな小さな、水色の子供の竜の身体に。
人間の持った、太い鞭が。
暗がりの路地裏。
ここまでの道を辿るまで、路地裏と言うごみだめに捨てられ落ちていた獣の骨。
その骨の正体を、琥珀と虹陽はよく知っていた。
それは捨て去られた竜たちの――。
「っ」
鞭を振るうその姿に、虹陽が思わず息をのんだ。
初老の人間の男は、その身なりからしてこの町の商人だろう。
琥珀と共に路地裏を進み、行き止まりになった場所まで行けば、あの声の持ち主は泣いていた。
『ごめんなさい』
ただひとつだけ知っている言葉かの様に繰り返す謝罪の声は、人間の耳には獣の泣き声にしか伝わらない。
物陰に潜み、その光景を目の当たりにしていた虹陽と琥珀。
我慢できずに飛び出しかけた虹陽を止めたのは琥珀だった。
「琥珀っ」
小声で虹陽は言う。
「……駄目だ」
琥珀が首を横に振る。
「ここで出て行ったら、俺らは怪しまれる」
「だからって、放っておくの?」
「お前はどうする気だ」
「人間だけを、殺す」
虹陽の紅い瞳が爛々と光る。
怒りに燃える瞳に映る正義は立派なものなのだろう。
「あの子を助けても、あの子はこの町の妖だ。もし、これがこの町の“共生”だとしたら……」
「……琥珀?」
「とにかく、もう少しだけ耐えてくれ」
琥珀は嫌な予感に襲われていた。
虹陽はまだ気づいていないのかもしれない。
この町の“共生”の姿を。
やがて、男性は小さな竜の身体をわし掴む。
「お前はまだ教育が足らなんだ様だな」
しゃがれた声で男性は言えば、ゆっくり行き止まりになった壁の方に向かう。
トントントン。
道を塞ぐ煉瓦の壁の一か所を三回叩けば、くるりと壁が回転した。
琥珀と虹陽が思わず顔を見合わせる。
やがて男性は、竜と共にその奥に消えれば、壁はくるり、元に戻った。
辺りを見回し、琥珀と虹陽が壁に駆け寄る。
「確か、ここだったよね」
虹陽が真似して叩く。
トントントン。
くるり、回転した壁の向こう。
そこにあったのは、地下に通じる階段だった。
蝋燭の揺れる炎の明かりだけが階段を照らしている。
「……行こう」
そう言ったのは、虹陽だった。
◇◇◇◇◇◇
階段を下りる二人の足音が響く。
どこまで続くのか。
意外に長かった地下への階段を下りきれば、そこにあったのは広い広い地下空間だった。
「さぁさ、いらっしゃい」
大声で、闇の商人が手を叩く。
並べられるのはどの店も同じ、鉄格子の頑丈な檻。
その中に入れられ、蹲るのは小さな小さな竜の身体――。
地上の市場と同じ様に、そこは人間たちで賑わっていた。
異様な光景に、琥珀と虹陽は息をのむ。
「おぉ、若旦那ぁ、よかったら見てってくだせぇよ」
立ち尽くしていた琥珀と虹陽の前に、一人の商人が現れた。
商人に連れられ、二人がその商人の店の前に立つ。
商人の背後には木材で出来た棚があり、瓶になにかの錠剤がぎっしり詰められ並べられている。
「竜の躾にお困りなら、この薬がよぉく効きますよ」
にたり、笑った商人のすきっ歯が覗く。
商人の手にあるのは、大きな紙袋に包まれた瓶の様ななにか。
「……これは」
琥珀が掠れた声で問いかける。
「おや、もしやこの町に来た旅人さんかなにかかい、旦那たち。
この中にあるのは、この町に昔からある、竜をしつける為の薬よ。
この薬があれば、竜たちはたちまち薬に酔ってしまう。
竜たちの麻薬みたいなもんでさぁ、この薬を仕事の後とかに褒美に与えてやったりすれば、竜たちは犬みたいに大人しくなるんでさぁ。
嘘だと思うなら試してみやせんか?
この町には竜は腐るほどいやすからねぇ」
キシシと笑った商人に、虹陽が問いかける。
「腐る程いるって……そんな竜たちはどこからくるの?」
「ギシシシ、そりゃあ旦那もここに来るんなら聞いたことあるでしょうに」
笑った商人は続ける。
「この地下街の奥でなぁ、薬の中毒になりすぎて、働けなくなった竜たちが人間様の為にせっせと卵を産んでくれるんでさぁ」
その言葉を聞いて、なにかが千切れたかの様に、虹陽が商人の胸倉に掴みかかる。
「お前たちっ」
虹陽の怒号に、商人は瞬きを返す。
何故怒られているのかが解らない。
そうとでも言うように――。
琥珀には、どちらも止めることは出来なかった。
動けない琥珀の代わりにか、虹陽は昂ぶった感情をぶつける。
「そんな外道な行為を“共生”と呼んでいるのかっ」
「だ、旦那ぁ、落ち着いてくだせぇよ。この里のことは国だって黙認してるし、旅人も村人も誰でも知っていること。
それに、竜たちだって気持ちよくなりたくて従ってるんでさぁ。
所詮妖なんざただの獣と変わらねぇってことですよぉ。わっしに怒ったとこでこの町は変わりやせんって」
ギシシシ、商人は嗤う。
ハッ、と我に返ったか、虹陽はその手をゆっくり離して顔を俯かせる。
確かに、その通りだ――。
彼だけに怒ったところで、この町の現状は変えられない。
「……な、旦那ぁ」
商人の何度目かの呼びかけに、顔を上げた虹陽に、商人は商品と言っていた薬を手渡した。
「それで、試してみやすかい?」
にたり、笑った顔に、虹陽は思わず商品の薬を叩きつける。
パリン――。
瓶が割れる。
商人が後ろに倒れこむ。
紙袋から、転がり出る小さな数多の錠剤。
商人の身体で壊れる棚と、背後にあった商品。
止めるのが遅れたことを、琥珀は後悔した。
なんの騒ぎだ、と。
この人混みが仇となり、たちまち大勢に囲まれた。
「っててて、何しやがるんでぃ!!」
怒った商人に、今度は虹陽が掴みかかられる。
「虹陽っ」
琥珀が止めに入ろうとした時だった。
「あー、いたいた。もー迷子になっちゃ駄目でしょー」
やけに間抜けた、聞きなれた声がした。
人混みを十戒のごとく掻き分け、こちらに近づく二人の青年。
「……陰襤、凰伽」
掠れた声で虹陽が二人を呼んだ。
「やー、ごめんねぇ。連れが悪い事をした。ここの商品は俺が全部買おう。
それと、慰謝料を足して払う。それで勘弁してくれないか?」
そう言った陰襤は、どこからともなく金の入った袋を取り出した。
ぱんぱんに膨れた小袋を見て、初めは怪しんだ商人だったが、陰襤に確認を促されて小袋を見る。
開いた袋の中にあったのは、金色に輝く小判の山――。
周りにいた人だかりから上がる驚嘆とざわめきの声。
「だ、旦那、これぁ」
「示談にしてくれるよね?」
にこり、笑った陰襤に、商人は深々と頭を下げる。
「帰るぞ」
そう言って、虹陽と琥珀の背を押したのは凰伽だった。
◇◇◇◇◇◇
夕刻の宿。
その刻まで、陰襤と凰伽の部屋にいたまま、琥珀と虹陽は口を閉ざし、窓辺の椅子に座っていた。
時折ぼぅっと外に広がる町を見やるだけ。
流石の陰襤も、いつもの様に話しかける事はしなかった。
凰伽も、黙ったままベッドの端に座り、陰襤もその凰伽の背に凭れる様にベッドの上で胡坐をかいていた。
「……陰襤」
と、沈黙を破ったのは琥珀だった。
「んー?」
「この町は、なんだ?」
それは、ずっと抱えていた疑問。
「漸く聞く準備ができた?」
柔らかく笑った陰襤を、琥珀は見つめる。
それを肯定ととったのか、陰襤は語りだした。
「この町については、あの商人が言っていた通り。
村全体で竜を犬や猫みたいな愛玩の家畜の如く麻薬で制御することで、人間に逆らえないようにし、それを“共生”と呼んでいる。
この国ができた時代ぐらい前からずっと続く事なんだよ」
外を見ていた虹陽も、陰襤を見やった。
「昔、ここは竜だけの土地だった。竜だけの里があった。
この里の地下やあたりの山からはよくいい鉱石がとれるんだ。
人間はどうにかしてここへ来ようとしたが、近づけず、長年竜に虐げられてきた。
そこである時人間はある薬を作り出した。
竜を酔わせる薬、それが今の竜用麻薬の原型とされるもの。
竜を酔わせることにより、その間だけ里に近づける様になった人間たちは、さらに欲を増幅させた。
人間の手で鉱石などを掘ったりするより、竜を使おう。日常に竜を取り入れよう」
陰襤は語る。
その真実を知るにつれ、虹陽は顔を蒼褪め、思わず口に両手をあてた。
「そんな時代が何年も続いて、今の形になったとされているんだ。
これがこの町の“共生”の秘密。
国がこれを黙認するのは、竜たち妖側の者からの抗議がないからだ」
陰襤は目を閉じる。
「虹陽も琥珀も、妖なら聞いたことがあるはずだ。
妖の中でも竜という種族は数が多く、個々が恐ろしく強くなる妖としてられている。
竜はそれをいいことに妖に対しては威張り散らすというか……まぁ、強く出る事がよくあるだろ?
他の妖としてもそんな存在が、自分たち以下の扱いをされるのを見るのは優越感を産ませる。
虹陽みたいな正義感なんか、大抵の妖は持ち合わせていないからね。
抗議しようとしても、妖だと知られたら町の竜に殺されるという噂だ」
陰襤は小さく息を吐く。
「この町に入った時に違和感があったと思う。
それは、妖の声がないこともあったんだろうと思うんだ。
……そう、この町の竜は言った通り脳を麻薬で支配されている。
従って、自身の意思さえ考えられる竜の存在はほぼ居ないといっていい。
薬に溺れ、奴隷として竜が人間に飼われることにより平和を保つのがこの町。
竜と人の里の真実だ」
語り終えた陰襤から、琥珀は視線を外す。
ふと見つめたのは、夜の明かりを灯し始めた、未だに賑わう町だった。
この町の真実を知りつつ、平和の為なら黙認する。
それは、本当の平和なのだろうか?
「……知っていて、ここに寄ったのか」
琥珀に聞けるのはそれぐらいだった。
「俺たちは世界を救う救世主じゃない。休むためにここにきたただの旅人さ」
陰襤の言葉は尤もだった。
琥珀は立ち上がり、静かに部屋を出て行った。
虹陽はまだ、小柄な身体を震わせている。
そんな虹陽を見て、陰襤は立ち上がり近づいた。
そっと頭に手を置いて、優しく宥める様に撫でながら言う。
「……明日の朝、なるべし早くこの町を出よう。なるべく早く休むんだよ」
虹陽の震えが止まるまで、陰襤はずっと頭を撫でた。
◇◇◇◇◇◇
翌日。
その日は前日深夜から続く雨がまだ残っていた。
午前九時過ぎ。
冷たい雫が降る中を、透明な合羽を着た四人の旅人たちは、静かに里を後にした。
記憶の欠片 弐
黒煙をあげ、ごうごうと燃え上がる紅い炎。
その中に立つ、紅く、腰まである長い髪を持ち、背中に綺麗な紅い翼を持った、長身の、凛とした佇まいの青年。
風が吹いているかのように、結われてない長い髪は激しく揺れ動く。
その青年の顔だけは、ペンで黒く塗りつぶされたかのようで見えない。
右の手の甲には、太陽の様な不思議な紋様の刺青がある。
この人は、一体誰だろう?
僕は、彼を彼の正面から見つめていた。
僕が見たこともない、どこかの民族衣装の様な服を纏っている様だが、それもはっきり見えない。
見えるのは、手の甲の刺青と、紅く長い揺れる髪、長く尖ったエルフ耳だけ。
僕は、彼を知らない。
見たこともない彼を不思議に思い見つめていれば、青年の背後から、ある人影が見えてきた。
大きな弓を片手に持った、短い黒髪を持つ青年。
纏っている服はボロボロで、全身傷だらけだった。
だが、その青年を、僕は見たことがあった。
ふと、俯いている青年がその顔をゆっくりあげる……。
紅い髪の青年の背後に見えた、綺麗なオッドアイの青年の顔は――。
◇◇◇◇◇◇
竜と人の里を後にして、二日後。
またさらに北へと道を進んだ森の中。
二日間降り続いた雨が上がったのはその夜。
まだ残る雨雲の間より星々が煌めいているのが見える。
パチパチ、薪の爆ぜる音に揺れる炎。
オレンジの温かな光が一帯を包み込む。
炎を見つめ、虹陽は瞬きをする。
あの日から、繰り返し見る夢がある。
夢の中で、凰伽が、こちらを見つめている不思議なあの夢だ。
ハッと目を醒ますと、毎回。
疼く様に背中にある傷が気になって――。
「どうした?」
と、優しい声がした。
本性になって丸まっていた虹陽が顔をあげる。
鳥目だが、明かりのおかげで支障ない。
炎に照らされていたのは、黒髪の青年だった。
「……凰伽」
声の主を呼んだ虹陽は身体を起こし、ふるふると身体を揺らした。
すぐ隣では同じく本性の陰襤と琥珀が安らかな寝息を立てている。
虹陽はチョンチョンと地面を跳び、凰伽の隣に移動する。
「昼寝のし過ぎで寝れないか?」
なんて、凰伽が苦笑交じりに言う。
「凰伽こそ、こんな夜遅くまでいつも起きてるの?」
凰伽が眠っているところはあまり見たことがない。
「寝つきが悪いんだ」
凰伽が誤魔化す様に言う。
虹陽は暫く、黙ったまま炎を見ていたが、やがて決心したかの様に凰伽に話しかける。
「凰伽」
「なんだ?」
「……聞きたいことがあるの」
「なにを?」
凰伽が虹陽を見つめる。
「凰伽の知り合いに、長い紅い髪をした、手の甲に太陽みたいな刺青をもった人っていない?」
その問いかけに、凰伽が瞬きを返す。
「なんでそんな事急に?」
「……うーん、実はね」
虹陽は語った。
自身の記憶の事と夢の事を。
凰伽は黙って聞き終えて、そして思案するかの様に口を開いた。
「なんで俺が夢に出るのかは解らないが……その様な見た目をした者なら知っている」
「知ってるの!?」
と、虹陽が声をあげる。
「知り合いという訳ではないがな。その妖は、天空を司り、天から生まれた妖だと云う――」
凰伽は近くに落ちていた棒を手にする。
そして地面に文字を書く。
「……羅天(ラテン)?」
「あぁ。天空の大気が集まり生まれた者。妖というよりは神に近かった存在だと伝えられる伝説の妖だ。
この国の創世の神話にそんな者がでてくるんだ」
凰伽は語る。
「羅天に対になる様に、左手の甲に大地の刺青を持ち、大地の大気より生まれし妖を地羅(ジラ)。
そして、その二頭の妖をまとめるのは水や自然を司った鬼の姿をした妖、玖羅王(クラオウ)だという」
「……地羅と、玖羅王」
「いずれも昔話に出てくる、伝説の妖。例え実在していたとしても、彼らは生きていないと思うぞ」
「どうして?」
「この国が出来る前に起きた戦争があった。共生を望む者と望まぬ妖たちの戦だ。
共生を反対し、戦った妖の代表がその玖羅王。そして、それに従っていた地羅と羅天は当然玖羅王の側についた」
「……今は、共生って世になっているから、勝ったのは共生の方ってこと?」
「そうなるな」
「でも、どうして共生を嫌がったの?」
虹陽の問いに凰伽は暫く間を置いた。
「凰伽?」
「いや、俺もそこまで詳しくなくてな」
凰伽が苦笑する。
「……そっか」
虹陽はそう言って伸びをした。
「でも、聞いてよかった。ありがとう凰伽」
にこり、笑顔を浮かべた虹陽へ、凰伽は優しい笑みを返した。
「凰伽も少しは休んでね」
そう言った虹陽は、琥珀たちの隣へと戻り、また身体を丸めた。
その姿を見送って、凰伽は小さく息をはく。
そして。
「……莱祈」
小さく、王の名を呼んだ。
掠れた声は、夜空の星に呑まれて消えた。
魔盗
某日深夜。
獣たちも寝静まった、静かな晩。
月は流れる雲に姿を隠す。
パチパチと爆ぜる薪が燃えるたき火を囲む、三頭一人の影を見つめる、小さな影が茂みにあった。
三頭の獣は深い眠りの中。
最後の一人もうとうととし始めていた。
「ふふーん。ちょろいわ」
一枚のカードを取り出した影は、そっとその獣たちへ近づいた。
◇◇◇◇◇◇
次の村についたのは某日の昼過ぎだった。
晴れ渡る空には雲ひとつないいい天気。
前日はぐっすり眠ったし、道は森の中を切り開いた人間たちの馬車が通る平たい道。
それにのに、何故か朝から全員身体にどこか怠さの様な違和感があった。
しかし、問題にする程度でもなかったため、誰もなにもその違和感について触れる事はなかった。
漸く休む場について精神的に復活したのか。
怠さのせいかいつもより元気がなかった森を歩く時とは違い、村についた途端に元気になり、軽やかな足取りになった虹陽はタンタンと人の波を渡る。
どうやらここには妖は居ないらしい。
陰襤、凰伽、琥珀の三人は小さくも賑やかな村をきょろきょろ眺めながら、先導する虹陽の後を追っていた。
旅人がよく立ち寄る村なのか、宿屋や飲食店が建ち並び、道を歩いていた時に自分らを抜かしていった見覚えのある馬車が店の前に止められていた。
「んー、いいにおーい! お腹すいたー!」
虹陽は振り返り、三人を見る。
「やだ……虹陽ちゃんが俺を見てる。天使の笑みをたたえて俺を……いや、天使じゃないな。これは――」
などとぶつぶつ言いながら、顎に手を当て、俯いて思案の表情を浮かべる陰襤。
そんな陰襤がふと顔を上げれば、目の前には笑顔を浮かべた虹陽の――。
「きもいんだよ」
虹陽の右ストレートが、陰襤の顔面に華麗に決まった。
「ぶべっ」
後方に倒れた陰襤に見向きもせずに虹陽は歩を進め始める。
「今のはお前が悪い」
凰伽が冷たく言い、虹陽を追って通り過ぎる。
琥珀は冷たい視線を陰襤に送ってそのまま二人に続いた。
◇◇◇◇◇◇
「ねぇねぇこのお店にしようよ!」
虹陽がある店の前で立ち止まり指をさす。
琥珀と凰伽もそれにならって足を止めた。
「なんでここなんだよ」
琥珀の問いに。
「だってすごくおいしそうな匂いするんだもんっ」
と、虹陽が頬を膨らませる。
確かに、かなりいい香りが漂っている。
「店に入るのには金がいるぞ」
腕組みをしながら凰伽が言う。
「あ」
琥珀と虹陽が同時に言った。
「お金持っている奴ごと道に落としてきちゃった」
「お前が殴ったせいだろ」
琥珀が溜息を吐く。
「だってきもかったもん」
「否定はしない」
凰伽が頷く。
「だが、我慢するしかないな。あれは中々死にそうにないし、紅髪好きは一生治らないだろう」
遠目で言った凰伽の背後から、いつの間にか復活してついて来ていた陰襤を琥珀と虹陽がじと目で見つめれば。
「え、えっ、なになに? 俺に内緒でなんの話ー!?」
などと、いつもの調子で話しかけてくる陰襤が居た。
◇◇◇◇◇◇
「んー、おいしかったぁー」
四人は、四角いテーブルを囲んでいた。
「細身のくせによく喰うな」
琥珀がデザートにと皆で頼んだくずきりに手を付けながら言う。
虹陽の前にはたくさんの小皿や大皿かせ重ねられていた。
「逆に琥珀ちゃんは小食すぎるよ。駄目だよーちゃんと栄養つけないと綺麗な髪になれませんっ」
「どーでもいい」
陰襤の言葉をバッサリと切った陰襤の隣で、凰伽が珈琲を口にしながら店にあった新聞を眺めていた。
その光景にふと目を移し、琥珀は先日の宿屋で雑誌を読んでいた凰伽の姿を思い出しながら問いかける。
「そういえば、お前は人間の文字が読めるのか?」
琥珀の問いに顔をあげた凰伽は不思議そうに瞬きをしたが、やがてなにかに気付いた様に答えた。
「あぁ、俺は読める。そういえば、不思議だよな。
妖は普通人間の生活には馴染まないのが今の世の中。
人間と妖では言語も違うからな。
……俺は人の文化には元より興味があってな。
異国の育ちだから、こちらの言葉を覚える時に読み書きもやったんだ」
凰伽の言葉に「ふーん」と返した琥珀。
凰伽はさらに続ける。
「文字を理解できるほどの脳を持つ妖は人型をとれるほどの妖でなければ到底無理な話。
だが、お前たちなら覚えたら読める様になるんじゃないか?」
クスクスと笑いながら言った凰伽に、琥珀は肩をすくめた。
「必要ねぇーよそんなん」
と。
「俺は別に人間の文化に興味ないし」
「えー、でも言葉って読み書きできると面白いよ」
陰襤は笑う。
「え、陰襤も読めるの?」
虹陽が瞬きをした。
「うん。一応読み書きできるよ」
陰襤はウインクをする。
「へぇ、ねぇねぇ、ちなみにその紙、なんて書いてあるの?」
虹陽が凰伽の新聞を覗き込む。
「これは国のニュースだな。
先日、南の地区の国防軍が解散したニュースがあった。
それに代わって、新しい国防軍の大将に、王宮を護っていた名のある者がつくことになったという記事だ」
凰伽の言葉に、虹陽は瞬きをする。
「南の国防軍って……」
琥珀を見た虹陽。
その視線に気づいた琥珀は険しい顔をしていた。
南の国防軍とは、あの大蛇の村のあった範囲を守護していた軍の筈だ。
何故、その軍が急に解散させられたのか。
あの村の誰かが国に直訴した――?
いや、それは考えにくい。
一体誰が――。
思案していた琥珀の肩を叩き、陰襤は笑う。
「琥珀ちゃん、怖い顔しないのー」
けらけら笑った陰襤は語る。
「そういえば、漠然と王都とか言っていたけど、虹陽ちゃんと琥珀ちゃんは王都の事ってどこまで知っているの?」
陰襤の問い。
「全然知らない」
虹陽がキッパリと答えたのを聞いた琥珀が小さく息を吐いて言う。
「今は居ないが、莱祈と共に人間の王が住むでかい宮殿があり、そのあたりを囲む町はここより文化が発達している……なんて話を聞いたことはある」
琥珀の言葉に陰襤はうん、と大きく頷いて口を開いた。
「王都というのはこの大陸の中央部にあるんだ。
この大陸の面積は7,692,000km²あって、王都とはその中の92,000km²を占める。
この大陸では、昔大きな戦争があったとされていてね。
その時に巨大なクレーターができた。
王都はそのクレーターの中にあり、入口はたったの一か所。
クレーターの中には王宮を囲む様にいくつかの大都市があるって訳。
クレーターの外……つまり、今俺らがいる村や寄ってきた町に暮らす人々は『昔ながら』の生活を重視する人々。
『国民』であるから国の方針……つまり国王が出した法令や思想、意志などには従うけれど、王都みたいなすごい町になじめない人々なんだ」
陰襤はにこりと笑う。
「へぇ……全然しらなかった……」
虹陽は吃驚とした表情になる。
「あはは、普通、こっち側に居たら王都に用がないもんね。
王都の範囲内はまだ国の力が強く働いていて、うまく共生がされている。
人間の王がたった一人で治めている今の状況でもね。
莱祈が帰れば、この外の世界の妖たちも統制できるんじゃないかって思われているからこそ、共生派の妖は必死に莱祈を探し、反共生派は莱祈に代わって王を立てる為、強い妖の元に集い王都を落とさんとしている……これが今のこの国さ」
顔の前で手を組んだ陰襤が、一瞬だけ険しい顔をした。
琥珀はその表情を睨み付け、言う。
「やけに詳しいな」
「俺だってただずっと旅してた訳じゃないよ。
さ、王都の話とかはここまでー。
休憩もたくさんしたし、さっさとお金払って宿とっちゃおーよ」
にこっと笑った陰襤が、服を探り財布を取り出そうとした。
「……あり?」
様子がおかしい。
凰伽、琥珀、虹陽は瞬きをしながら背中なども見だす陰襤を見つめた。
漸く落ち着いた陰襤が取り出したのは一枚の名刺ほどの金色のカード。
「……あの、財布の……代わりに……こんなのがありました……」
陰襤がススッとテーブルの中央に差し出した。
『あなたのお宝いただきました』
妖の言葉で明るく書いてあった一言に、三人は絶叫した。
◇◇◇◇◇◇
「……どうすんだ」
「どうしようねぇー」
「……どうするって」
「あーもうっ、どうしよう!!」
「いやいやいやちょっと待って。もう五分経つから。
この言葉延々言って五分経つからっ。
ちょっと前向きに考えよ?」
陰襤が叫ぶ様に言った。
「た、食べたの出したら怒られないかな……」
「やめておけ。出したらさらに怒られるぞ」
えづこうとした虹陽を凰伽が止める。
「つーかいつ盗られたんだよ」
「わかりません」
「誰にとられたんだよ」
「わかりません」
琥珀の言葉に縮こまりながら陰襤は答える。
「つーか、なんなんだよこれっ」
琥珀がカードを掴む。
なんの変哲もないカードであるが今の状況ではただむかつくだけの品物だ。
「わかりません」
陰襤の言葉に、琥珀が額に青筋を浮かべた。
「……あの、財布さえあれば……お金はあるから……ね? ね?」
陰襤が動揺しながらら言う。
「もしなかったらどうするの?」
「……ここの店の店長さんにものすんっごい怒られて天日干しにされちゃう……」
「えぇっ、そんなっ」
……いや、天日干しはないだろう、多分。
本気で信じている様子の虹陽の隣で琥珀と凰伽が心の中でツッコミを入れる。
「……ひとまずこのカードを店員さんに見せて見て……」
陰襤が震えながら琥珀の手のカードを指差した。
「いや、これ金じゃないんだろ? なんの価値もないんだろ?」
人間の事は詳しくなくとも、ここまでの旅で解った。
金と言うのは人間の中ではかなり大切なものであり、人間の村でなにかをしたらそれを渡す必要があると。
そんなお金に匹敵する価値もないことは陰襤と凰伽の様子から理解できた。
「でもでも、これ金色だし、陰襤の持ってるお金と一緒の色だよ?」
「それでも駄目なのよ……虹陽ちゃん……」
陰襤が頭を抱える。
「どうすんだ。ただでさえ長居してんだぞ」
凰伽が息を吐く。
「……素直に言ってみるのは」
琥珀の言葉に陰襤は答える。
「ここは……プランSでいこう……」
「ちょっと待て。SってなんだSってっ! Aから飛ばしまくってないか!?」
「プランS!」
琥珀のツッコミに構わず、陰襤が語る。
「今から三十分をめどに犯人を二人が探す。
昨日寝る前までは確実にあったし、落としたとしたらこの町だと思う」
「現実見ろ。落としたんじゃない。盗まれてんだよ」
「だから、二人がここに残り逃げる気はないアピールをしつつ、二人が財布を捜すんだ!」
「人の話きけよっ」
陰襤の言葉をかき消す様に琥珀は吠える。
しかし。
「……解決策がない以上、ここは陰襤の指示に従うしかない」
凰伽が静かに告げる。
「……その三十分が過ぎたらどうすんだ?」
琥珀の問い。
「……店の人に正直にお話シマス」
陰襤がズーンと落ち込みながら答えた。
「じゃあ、僕が――」
虹陽が手をあげてなにかを言おうとするのを、陰襤はさえぎる。
「俺と琥珀ちゃんで行ってくる。万が一昨日の野宿の場まで戻るとしたら俺と琥珀ちゃんの方が足が速いからね」
陰襤の言葉に凰伽と虹陽が顔を見合わせる。
そして。
「うん、わかった」
「……仕方がない」
と、了承をした。
「ありがとう」
そう言うと同時に、陰襤と琥珀は席を立った。
◇◇◇◇◇◇
五分後。
「……うー」
虹陽が机に突っ伏す。
「心配か?」
凰伽の問いに、虹陽が泣きそうな顔をする。
「天日干しなんて絶対いやだよっ」
「……そうか」
なんとも言えない顔をしながら、凰伽はさり気無く二人を待つ芝居をするかのように新聞を眺める。
虹陽が机に伏したまま黙りこんで暫く。
凰伽も最後のページにたどり着いてしまった。
軽く息を吐きながら最後のページに目を通していれば……。
「……これは」
とある記事が、目についた。
その声に、虹陽はふと顔をあげた。
◇◇◇◇◇◇
同刻。
「うわぁーっ、ないっ」
焦りを見せる陰襤に「落ち着け」とあきれた様に言いながら、二人は来た道を戻っていた。
「琥珀ちゃん、匂いで辿れたりしないのっ」
「こんなに人がいたらわかんねぇよっ」
琥珀はそう吠える。
「あーん、もうどーしようっ」
陰襤が立ち止まり頭を掻いた。
数歩先で琥珀が立ち止まり、振り返る。
「そういってないで探せ。じゃないと本気でやばいんだろ?」
「そうだけどさーっ、こう……なんの手がかりもないとさーっ」
陰襤ががしがしと頭を掻く。
確かに、陰襤の言葉も解るが……。
「だからって、立ち止まるわけには……」
と、琥珀が溜息をつきながら言った時だった。
「あ、これもちょーだい」
明るい少女の声がどこからか聞こえた。
ふと見れば、近くの店の前になにやらひとだかりがある。
「……なんだ?」
琥珀が気になったかの様に見つめる。
「さすがに人混みには落ちてないでしょー」
けらけらと陰襤が笑い飛ばす。
……が。
琥珀は暫くその人混みを睨んでいる。
陰襤は呆れたかの様に肩をすくめれば、やがて人混みを割って小さな影が出てきた。
その影は、少女。
明るいオレンジの髪は右側でサイドテールにしてゆってある。
下ろせば、その髪は腰下までありそうだ。
色白の肌、華奢な身体、見た目は十代後半。
膨らんだ胸に、左手首には女の子らしいシュシュ。
コルセットの様なもののついたファンタジー世界の女の子衣装。
腰につけた小さなポーチと小刀の入った鞘。
丈の短いスカートからは細く長い足が伸び、足には流行りの柄タイツ。
足元にはファーつきのハイヒールブーツ。
細い腕に抱えた、少女らしいたくさんのバッグやぬいぐるみなどのファンシーなグッズ。
少女はオレンジの髪の下、紫の瞳が琥珀と陰襤を認め立ち止まる。
「あ」
と、琥珀、陰襤、その少女が同時に言う。
少女の手にあったのは、陰襤と琥珀には見覚えのある財布だった。
◇◇◇◇◇◇
数分後。
「魔盗、シキ?」
虹陽が瞬きをしながら凰伽が示した新聞の記事を覗く。
「あぁ。この記事によると、最近名をあげてきたらしいな。
年齢や容姿などは全くの謎だが、妖ばかりを狙い窃盗を繰り返す盗賊らしい。
手口は、相手を薬で眠らせて、その間に犯行を行い、必ずさっきのカードを置いていくのだと」
凰伽が息を吐く。
「もしや、朝の怠さは……」
と、小さな呟きを虹陽は聞いていた様だ。
「凰伽も調子悪かったの!? 僕もだったよっ」
虹陽は言う。
「……つまりあれか……」
「四人全員薬でぐーっすりしていた間にうまく掏り取ったんだってぇ」
聞きなれた声に、虹陽と凰伽が声の方を見れば、見知らぬ少女を後ろ手で拘束した陰襤と琥珀が、いつの間にか机の近くに立っていた。
「その娘誰?」
きょとんと首をかしげる虹陽に、琥珀は頭を押さえながら言う。
「……こいつがその盗賊って奴だよ」
琥珀の言葉に虹陽は驚いたかの様に瞬きをした。
「ったいっ! もう離しなさいよっ! ちゃんとお金も全部返したじゃないっ!」
元気よく吠える少女は陰襤の拘束から逃れようと大声で暴れていた。
「よくないよ。君は悪い事したんだからね」
陰襤は溜息をつき、財布を出す。
「とりあえず、天日干しにはならないみたい」
にこり、陰襤は笑った。
◇◇◇◇◇◇
数分後。
村郊外の森の中。
「もう逃げない」と約束し、拘束を解いてもらったシキは四人から距離をとった場所で腕組みをしていた。
「とりあえず、なんでこんなことしているのか聞かせてよ」
陰襤の言葉に、シキは吠える。
「うっさいわねっ! アタシがなにしようが勝手じゃないっ。
親気取って説教でもする気なの? あんた、馬鹿じゃない」
ふん、とシキは顔を逸らす。
「大体なんで妖が人間の村にいんのよ。
妖は人間の村にも近寄らないし、どうせその金だって人間から奪ったもんでしょっ。
妖に人間の文化なんか解るわけないんだから、アタシが獣の代わりに使ってなにが悪いのよ。
妖のくせに人間に化けてご飯だなんて理解できないわねっ」
余程激昂しているのか、シキはイーッと威嚇しながら言う。
「俺らには俺らの事情もあるの」
と、陰襤は宥める様に言う。
「魔盗……と、呼ばれているみたいだな。妖からしか物は盗らないのか?」
凰伽の問いに、シキはふんと鼻をならす。
「妖なんて所詮家畜みたいな獣じゃない。
でも、そんなものの毛皮とか鱗とかって、不思議と高く売れるのよ。
あと、あんたたちは違ったみたいだけど、使い方知らないくせに金もってる妖とかもいるわけ。
要はアタシは妖を有効利用してあげてるの。お金なんて妖が持ってても普通意味ないもの」
シキの言葉に、琥珀は返す。
「お前は妖が嫌いなのか?」
琥珀の問いに、シキは答えない。
「……そんなに嫌っているのに不思議だな」
凰伽は静かに言葉を紡ぐ。
「お前の身体からは確かに人間の香りが強くする。だが、微量ではあるが妖気も感じる。
つまり、お前の身体の中には妖の血が――」
「うるさいっ!!」
凰伽の声を遮る様に、シキは吠えた。
「……あんたたちなんかとは、もう会わないわ」
シキはそのまま身を翻して森の茂みの奥に消えていく。
四人は黙ってそれを見つめた。
「……妖と人間の混血児、か」
凰伽は呟く様に言った。
「……どういうこと?」
虹陽が問いかける。
「妖と人間の間にでも、子供はできるんだよ」
陰襤は語る。
「尤も、確率は低いけれど。
共生の世の中だったら、なんの問題もなく普通の少女でいれた筈だ。
でも、今、この土地、この状況の中に生まれた彼女は恐らく親に捨てられている」
琥珀が瞳を閉じた。
「完全に共生の世なら、妖と共にいてもいい人間だが、今の世だとそんな人間は人間から異端とみなされる。
そして、妖の世界に人間が足を踏み入れるのもまた難しい。
つまり、子を成したところで自身らの手では育てられない」
琥珀は告げる。
「……だからって、妖を嫌って……妖を悪者にして、妖からものを盗む生き方なんて……」
虹陽の声が震える。
「……正しくはない。でも、そうしないと彼女は死んでしまうだろう。
引き返す道を誰かが教えてあげられればいいのだけど、彼女はそれを望まないだろうさ」
陰襤は言う。
「本当に、どうしようもないのかな――」
虹陽が呟く。
その呟きを、森を駆け抜けた風が拾っていった。
◇◇◇◇◇◇
その夜。
四人は同じ村で一泊をする事にした。
複雑な思いを抱えながら、宿屋の部屋。
虹陽は枕を抱えながら敷布団の上で胡坐をかいていた。
あの少女の事が、気になって仕方がない。
竜と人の里の時もそうだった。
わかっていながら、なにもできなかった。
虹陽の胸には悔しさがあった。
「どうした?」
深刻な顔をしている虹陽を見つめ、同室になっていた凰伽が問いかけた。
「……僕は、非力だなって。なにもできないのかな……どうにもならないのかな。本当に……」
里も、少女も。
僕の力では、変えれない。
「……莱祈が、早く戻ればいいな」
凰伽が呟く様に言った。
「莱祈は完全な共生を目標にしていた。妖と人間の完全なる共生。里のことも、どうにかしようとしていた。
だが、その暫く後に失踪してしまった。
他の妖に殺されるなんて心配はしていないが、奴がいない間に力をつけた妖に王都を落とされれば共生は難しくなる。
お前があんだけ考えてた、竜の里の事も、あの少女みたいな混血児たちも苦しみから真に救う事はできない」
凰伽の言葉に、虹陽は目を閉じる。
そして――。
「必ず、莱祈を見つける」
虹陽は、強い意志の灯る瞳でそう言った。
◇◇◇◇◇◇
同刻。
隣室には、陰襤と琥珀がいた。
「あー今日はつかれたぁー」
布団の上に寝そべり、ゴロゴロとする陰襤を一瞥し、琥珀はしばし黙り込んだ。
「……琥珀ちゃん?」
そう呼ばれ、琥珀は陰襤を見る。
「どーしたの、難しい顔して」
けらけらと笑う陰襤に、琥珀は思案の表情のまま語りかけた。
「……竜の里の時に、不思議に思った。
お前は、旅をしていると……俺らと初めて会った時にいったな」
「うん?」
陰襤が瞬きをする。
「あの里を知っているということは、お前は少なくともあの里を一度は訪れていた筈。お前は来た道を戻ってるのか?」
琥珀の問いに、陰襤は思わず吹き出す。
「やだなぁ、そんな苦労するわけないでしょ。噂で聞いていたんだよ。ずっと昔にね」
陰襤が笑う。
「……なら、もうひとつ」
琥珀は続ける。
「俺は金の価値は解らない。しかし、あのシキとかいう魔盗が狙うほどの宝……つまりそんだけ重要な価値があり、今まで何か所かの村を回るたびにこうして人間の村で人間の旅人と同じように俺たちは休んでいる。
それにはそれなりの金がかかるはずだが、お前の資金はどこからくる?」
その言葉に、陰襤は顔を逸らす。
「……答えなきゃだめ?」
「答えろ」
「……どーしても?」
「どーしても」
琥珀の言葉に溜息を吐いた陰襤は、琥珀を見つめて言う。
「実は……俺のうんこ……人間のお金になって出てくるんだよね」
「嘘ならもっとマシなのをいえーっ」
怒号一発。
琥珀の勢いに押された陰襤だが、やがてけらけらと笑って返す。
「世の中には光があれば闇もある。知るべき時に闇の部分はしるべきさ。そうでないと――」
陰襤が目を閉じる。
『コワレテシマウカラ』音のない声で言って、陰襤は右の一指し指を立てて唇に近づける。
その様子を、琥珀はじっと見つめていた。
天空の柱
ここではないどこか――。
その世界は通称、死後の世界と呼ばれている。
死んだら、万物なんでも魂は広い広い花畑を抜け、一次審査を受け三途の川を渡る。
そうして閻魔の裁判室に通されては、極楽か地獄の二択を言い渡されるのだという。
極楽はとても棲み心地のよい場所らしいが、地獄はあらゆる苦痛が待つ世界であると云う――。
◇◇◇◇◇◇
「うわぁ、すごーい」
「遺跡、だね……」
「なんのだ」
「……よく解らないが、祭壇の様だな」
魔盗、シキの一件から一週間。
二か所の村を経た四人は、さらに北へと向かっていた。
天気は晴れ。
今日も元気に蝉は啼く。
森の中、いつもの様に人間の道を進んでいた四人。
ふと、虹陽が森の茂みの奥に大きな影を見たと言った。
確かめる為に、森の奥に行ってしまった虹陽を、三人は追うしかなく――。
たどり着いたのは、数十mの広さだけ、突如拓けた森の中央にある、不自然な石の階段だった。
巨石を積み上げられ出来た、高さが五m程ある階段。
しかし、そこにはその階段と、階段の頂上にある棺の様な形の四角い巨石のみ。
階段の裏側は垂直な壁の様で、なにもない。
なんとも不思議な建造物だった。
階段の下、四人は横に並び、階段を見上げて立ち尽くしていた。
「……こんなところに階段。そして人数はばっちし……」
陰襤が突如口を開く。
「これはグリコをやる為だけの階段だっ!」
びしっと階段を指差した陰襤を、凰伽と琥珀が同時に殴った。
「った、いたっ、グーは痛いってグーはっ」
と、大袈裟に喚く陰襤を無視し、琥珀は溜息をつく。
「こんなん見る為に寄り道してたらこんな広い世界の旅なんざおわんねぇよ」
琥珀の言葉に凰伽は頷く。
「虹陽。琥珀の言う通りだ。あまり勝手に行動するな」
「えへへー、ごめんなさーい」
と、虹陽は二人を見て頭を下げる。
「え、ちょっと俺は無視? 無視なの? ねぇ、無視?」
陰襤の存在は三人の中から消されているようだ。
「それにしても」虹陽が再び階段を見上げる。
「なんなんだろうね、こ……れ?」
なにかに気付いた虹陽は、思わず首をひねった。
「あ?」
琥珀は眉をひそめ、固まる虹陽の視線の先を追った。
そして、同じく固まった。
「……どうした?」
凰伽も同じく視線を追ったので、陰襤もそれに従った。
階段の頂上。
祭壇の上。
足を組んで座る、人の影――。
ざんばらで短い髪は綺麗な紫から毛先にかけては水色のグラデになっている。
大きな胸を潰す様に、きつくさらしを巻いただけの上半身に、長いゆったりとしたサルエルパンツのような黒いズボンを纏う、裸足の女性。
筋肉質だが、細身の身体、エルフ耳をしたその女性。
だが、その身体は明らかに半透明に透けている。
遠く空を眺めていた様だったが、ふと四人に気付いたかの様に四人を見下ろした。
『あ?』
「あ」
彼女がふと気づいたかの様に口にした言葉に、虹陽がすぐに反応した。
「……なんかあるのか?」
と、不思議そうに凰伽が首を捻るのを見た琥珀は喰いかかるかの様に言う。
「お、お前、あれ見えてねぇのかよっ」
琥珀は女性を指差して吠える。
「あははははははははは。いやいやいやいや、ないね。これはないね。そんなことないね。
半透明で意思があって動いて喋れる人間なんてこんな世の中に存在しないよね」
陰襤が遠い目のまま女性から顔を逸らす。
「え、あれお化けじゃないの?」
さらり、虹陽が女性を指差して言った直後。
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああっ」
陰襤が絶叫しながら後方に生えてる木の影に隠れる。
同時に絶叫すらなかったものの琥珀も同じ場に避難していた。
それを見つめ、虹陽は不思議そうに瞬きをする。
「どうしたの?」
虹陽の問いは、今の二人には聞こえていない様だった。
「こ、琥珀さん……あ、あれだよね、なんかここ空気よくないよね。とっとと出た方がいいよね。危険な植物の胞子のせいだよねあれ」
「幽霊なんかいない幽霊なんかいない幽霊なんかいない幽霊なんかいない幽霊なんかいない」
しかし、二人の目には祭壇の上にいる半透明の影はばっちりと映っている。
「……ゆ、幽霊がいるのか?」
どこか嬉しそうに凰伽は言う。
「凰伽、見えないの?」
「俺は幽霊は好きだが霊感はない」
虹陽の言葉にキッパリと返した凰伽。
「……なんなの……なんで凰伽ちゃんには見えないのおぉ……」
陰襤が頭を抱えて嘆きだす。
「まさかお前ら……」
凰伽が琥珀と陰襤を見る。
「幽霊が怖いのか?」
凰伽の問いに、ビクンと二人は反応するが……。
「べ、べべつに怖くなんかないよぉー。俺はその……あれ、ちょっと日差しが強かったから日陰にいっただけでぇ……」
「……い、異国への入り口がある気がしたんだけどなぁー」
陰襤と琥珀の無理のある言い訳に、凰伽と虹陽がじと目をすれば。
『おい、お前ら』
と、祭壇の上の女性が動いた。
ふわり、地に降り立った女性の背は意外に小柄で、虹陽とほぼかわらない。
階段のすぐ下に居たままだった虹陽と凰伽の目の前に立ち、彼女は言う。
『どうやら僕が見えているらしいじゃないか。あっちの二匹と君か。この妖は除くのな』
にやり、笑んだ女性が、凰伽の胸を叩くが、凰伽はそれにすら気づかない様だ。
「えっと、君は誰?」
首をかしげた虹陽。
「ちょっ、虹陽さんっ!!?」
「やめろっ、虹陽っ!! そんな透明な奴はただの幻覚なんだよっ!! 関わったらいけないんだよっ!!」
陰襤と琥珀が大声をあげて慌てだす。
『おい、そこの二頭。とって食ったりしねぇから大人しくこっちに来い。僕の言葉に従うってなら大人しくなにもせずに帰してやる。
だが、僕に逆らった場合はお前ら全員に幽霊五十体ずつとりつかせてやるからなー』
彼女はそう言いながら耳をほじっていた。
その言葉にゾクリ、反応した陰襤と琥珀は慌てた様子で虹陽たちの隣に立った。
彼女はその反応を見て満足そうに頷いている。
「……え、えっと……」
これは完全に彼女のペースになってしまった。
名前を聞きそびれた虹陽は困り果てている。
「……一体なにが起きてんだ……?」
と、凰伽はただひとり、首をかしげていた。
◇◇◇◇◇◇
『僕は戒麻(カイマ)。当の昔に死んでいる妖怪だ』
階段に腰を下ろし、足を組んだ彼女は戒麻と名乗った。
階段の前に正座させられ、何故か四人は並べられていた。
凰伽は戒麻がいるという階段を凝視し、虹陽はきょとんと見上げていたが、琥珀と陰襤は俯いて顔を蒼ざめさせていた。
この状況、嫌な予感がする……。
琥珀の第六感がここから逃げろと叫んでいる。
「戒麻さん? 僕は虹陽っていうの。それでこっちが……」
やめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええ!!
幽霊に紹介しないでええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえええええええええっ!!
陰襤が心の中で叫ぶが虹陽には届かない。
「それで、なんで戒麻さんはここにいるの?」
虹陽が問う。
『探し物があるが、一人で見つけるには大変なんだ。人を貸してほしい』
にやり、戒麻が嫌な笑い方をする。
「探し物……?」
『そういうわけで……』
虹陽の言葉を聞かずして、戒麻はスッと立ち上がり、優雅に階段を下りる。
そして――。
『こいつら、借りてくわ』
と、琥珀と陰襤の肩をぽんっと触った。
◇◇◇◇◇◇
「なんでだああああああああああああああぁぁぁぁぁあああああっ!!」
何処までも続く紅く、熱く、乾いた大地。
草木は枯れており、あちらこちらより悲痛な呻き声と断末魔の様な悲鳴が聞こえる。
金臭い血の匂いが辺りに充満しており、眼球のなくなった、ガリガリの人間の姿をした者たちが、ぶつぶつとなにかを言いながら通り過ぎていく。
見慣れた妖の様な化け物たちの姿もあちこちにあり、牢獄のような檻が点在している。
空は夕日より濃い燃える紅。
そんな異質な世界に、陰襤の絶叫が響き渡った。
「なんで俺たちっ、ねぇ、なんで俺たちっ!?」
と、戒麻の肩を掴み、ぐらぐらと戒麻を揺らす陰襤の隣で、琥珀はズンと落ち込んでいた。
ここは……話に聞く地獄という場ではないだろうか――?
琥珀たちがいた世界にこんな場があるとは思えない。
空気自体が異質だった。
琥珀と陰襤は戒麻に肩を触られた直後、なにやら眩い光が身体を包み込んだ。
……かと思ったら。
戒麻と共に琥珀と陰襤はいつの間にかこの土地に立っていたのだ。
この状況を呑み込みたくない。
『なんでって……お前ら連れてきた方が面白そうだったからに決まってんだろ。
安心しろ。肉体は無事だ。お前たちは今魂の状態なわけだが……』
と、真顔でさらりと返された陰襤が、がくんと膝をつく。
「あ、あはははははー琥珀ちゃーん。俺たち二次元に飛ばされたみたいだよーどーしよー。ホラーゲームみたいだよー」
「そうだな。少なくとも俺がしっかりしなきゃならねぇことだけはよくわかった」
琥珀は陰襤の代わりに戒麻に問う。
「それで、俺らになにさせる気だ?」
琥珀の言葉に、戒麻はにやりと笑んだ。
◇◇◇◇◇◇
同刻。
現世――。
階段の下。
いきなり倒れた陰襤と琥珀の二人を前に、凰伽は動揺していた。
深く閉ざされた瞼は開く気配なく、身体は徐々に冷たくなる。
「一体なにが起きたってんだ!」
焦ったかの様な凰伽に、虹陽は答える。
「えっと、戒麻って言う幽霊が二人にぽんって触ったら突然白い光に包まれて……気づいたら二人とも倒れてて……」
と、虹陽もなにがなんだかと言うように慌てている。
「ぼ、僕がこんなとこ寄ったから……」
虹陽が目に大きな雫を溜めだす。
「……泣くな」
凰伽が優しく言う。
「大丈夫。あいつらならなんとかしてくれる」
と。
◇◇◇◇◇◇
同刻。
冥界、地獄。
「……ピアス?」
琥珀が復唱する。
『大事なものなんだけど、今日の朝方にどっかいっちゃったんだよねー。ほら、ここにいるのああやって呻ってたりするのばっかだし。
僕の話理解できる知能もなさそうだろ?
僕の弟たちに知られる前に見つけたくて、霊力を持つものをあの祭壇に惹きつける呪(マジナ)いをしたのさ。
あそこの祭壇は“天空の柱”と言ってお前たちの世界とこの世界を繋ぐ中継点となる為の祭壇のひとつなんだ』
「……それでまんまと虹陽ちゃんがつれちゃったんだ」
陰襤は未だ頭を抱えている。
『安心しろ。見つかったら返してやる。ただ、見つからなかったら――』
戒麻はそこで言葉を切り、にこりと笑みだけを二人に向けた。
陰襤と琥珀の背を、悪寒が走った。
「ぴ、ピアスってどんなんだ?」
琥珀の問い。
戒麻はスッと、その手に対になっていたであろうひとつのピアスを取り出した。
『風呂の間、外していたら盗られたようだ』
それは、金で出来た三角形のもの。
先には紅玉の雫が四つついている。
「それを見つければいいんだねっ」
早く帰りたい。
そう顔に描いてある陰襤が言う。
『あぁ。戻すのとは別にお礼もしてやろう』
戒麻はにこりと笑んだ。
◇◇◇◇◇◇
数十分後。
「……見つからない」
この乾いた大地だ。
あんな光る金属ならすぐに見つかるはずだろうに。
しかし、現実には未だ見つかっておらず、戒麻が人手を欲していたのは少しばかりは理解できた。
陰襤の顔がどんどんと遠くを見つめる様になる。
しっかりしろと言わんばかりに、琥珀は陰襤を小突く。
「……ちなみに聞くが、ここは地獄という場所か?」
そろそろ現実に慣れてきた琥珀が戒麻に問いかける。
『あぁ。とある現世ではそう言われてるな』
さらりと戒麻は答える。
「……とある現世?」
言い方が気にかかり、陰襤が聞く。
『世界はお前たちの暮らす世界だけではないということだ』
戒麻は語る。
『この世にはいくつもの世界が存在する。その世界を管理するのは、所謂神と呼ばれる者たちだ。
その者たちが居る世界だけはたったひとつだけ。
ここ、冥界はそんな神々の世界の末端にある死後の世界。
だから、この世界から先の世界だけはこの世にただひとつだけ存在している領域になっているわけだ。
ここには、数多ある世界から毎日毎日多くの死者がやってくる。
ま、死後の世界はここしかないわけだから当然だが……。
死後はな、閻魔の審判を経て、死者はここ、地獄か極楽へと逝く。
生前の行いが良ければ極楽、悪ければ地獄って訳だ』
戒麻は小さく息をつく。
『僕は君たちの世界とは別の世界で生き、死んだ妖。審判によりここで罰を受けている。
……が、まぁ持つべきものは優秀な身内だな。
魂の管理をし、ここ地獄の世界を統治する任務を与えられた弟が僕にはいてさ。
その弟が口利きしてくれたから、僕ももう一人のその弟の兄弟もこうして地獄でもああやってうろうろするだけの存在になってない訳』
「……弟、か」
と、陰襤が小さく呟く。
『なんだ』
戒麻が陰襤を見つめた直後。
陰襤はなにを思ったのか。
戒麻の胸にムニュっと両手で触れた。
その光景に、琥珀は愕然とする。
「いやー気になってたんだけどこの胸本物じゃない? かわいい女の子なのになんで僕とかっていってるのかなぁ……って……」
胸に触れたまま陰襤が思案していると。
戒麻の拳が陰襤の鳩尾を突いた。
「ぐはっ」
後方に派手に飛ばされた陰襤。
地面にたたきつけられ、土煙が舞う。
ビュン、と拳を下ろした戒麻は冷めた目つきで陰襤を睨んで告げる。
『僕は男だ。二度と女扱いするな』
「そっちかよっ」
琥珀は思わずツッコミを入れる。
「普通胸の方になにか言うだろっ」
『野郎の胸だ。触られても問題はない』
「でも本物って――」
次の瞬間。
琥珀の鳩尾にも同じく拳が叩きつけられた。
◇◇◇◇◇◇
『……気が付いたか』
聞きなれない声がした。
ぼんやりと、視界がもどってくる。
数回瞬きをして、琥珀はやっと目を醒ました。
「ごほっ、ごほっ」
まだ鳩尾が痛む。
咳き込みながら身体を起こせば、陰襤も隣で鳩尾を撫でていた。
ふと見れば、声の主は戒麻ではなかった。
戒麻の姿を探したが、近くにはない。
一体どこにいったのか……。
代わりに近くにしゃがんでいたのは長身の男だった。
黄緑の鮮やかな短い髪。
だが、左の横髪だけは長く、鮮やかなオレンジをたたえており、その髪は綺麗に三つ編みにされていた。
軍服の様なもののいい服を纏ったその男の足元は素足。
どうやら陰襤と琥珀を診ていた様だった。
戒麻の様なエルフ耳には、先程戒麻が見せたのと同じピアスが対になって下がっている。
「……あんたは」
『戒麻の弟。戒麻を長男とする義兄弟の次男。名は凱(トキ)だ。戒麻が悪い事をした』
丁寧に謝られ、琥珀は何故か悪い気持ちになる。
『あいつは男として育てられた。だから、女扱いするのは危険だ。下手したら本当に死ぬぞ。お前たちはまだ生者だろ』
凱はそう言って立ち上がる。
釣られたかの様に、陰襤と琥珀も立ち上がる。
「うー、あの戒麻って人実は相当強いっしょ」
陰襤が引き攣った笑みを浮かべている。
『ここ、冥府は色んな世界の歴史も記憶する役割を持っていてな。
その中にある膨大な量の、いろんな国の資料を漁っても、戒麻に匹敵する妖は中々いない。
俺たちの生きた時代でも、世界でも、戒麻という妖は生きる伝説だった』
凱が静かに語る。
琥珀と陰襤の顔は思わず引き攣ってしまっていた。
そんな相手に殴られたんだ、俺……。
二人は同時に鳩尾をさする。
『あっれぇーなぁーにこのしゅうだーん』
と、いきなり背後からまた聞いたことのない声がした。
陰襤と琥珀、凱が振り返れば、そこには痩躯で長身の男が立っていた。
栗色の色素が薄い髪はざんばらで肩につく程度。
毛先には少し癖があり、襟足あたりの髪が外にはねていた。
金色の双眸に狂気を揺らしながら、その男は宙に浮いて笑っていた。
その双眸と髪の色に、陰襤はふと帝喃を思い出す。
ファーのついたフードつきの長いマントの様な衣装に身を包んだ男は、凱や戒麻と同じ世界のものなのか、エルフ耳をしていた。
まるで魔導師の様な見た目の男は、嫌な笑みのままこちらを見る。
『天空(ソラ)さん』
凱がその男を呼んだ。
『ねぇねぇ、凱。その二人って生者でしょー。いっけないんだぁ。理を犯してこの世界につれてきちゃってなにするつもり?』
クスクスと天空は笑う。
『戒麻の客人の様だ。なんの為に呼んだのかは知らない』
凱は答える。
「……理を犯したってなんだ?」
琥珀が小声で陰襤に問う。
「ここは本来死者の世界って言ってたろ?
俺たちは魂だけここにきていてさながら死者の様だけど、閻魔の審判とか受けてない、言わば不法入国者ってとこなんじゃないか」
陰襤の言葉に琥珀はあぁ、と理解を示す。
『ねぇ、凱。戒麻に言っといてよ。確かに君の末弟はここを統治する妖だけど、僕も同じ地位だってこと。
それに、僕は君らをも超える力を持った妖だったことをね』
にこり笑った天空に、ゾクリと悪寒が走った。
『……伝えておきます』
早く離れたいのは凱も同じようだった。
『最後にさ』
と、天空は笑いながら続ける。
『探し物は案外近くにあるものだってのも戒麻にいっておきな。燈台下暗し、ってね』
天空はそれだけ言えば、スッとその姿を消した。
「……なんだったんだ」
琥珀は呟く。
「……とりあえず、その探し物が問題なんだよ……」
陰襤は深い溜息をついている。
『探し物?』
事情を知らないのか、凱は琥珀と陰襤を見つめる。
『よぉ、見つかったか?』
と、琥珀が事情を話そうとした時だった。
突如、戒麻が姿を現した。
「うおっ」
「……どこいってたんだよお前」
驚く陰襤をよそに、琥珀が問えば、キシシと戒麻は笑う。
『天空とは仲良くないからな。近くに来るのが解ったから、遠くまで探し物してただけ』
「……自由だな」
琥珀は呆れたかの様に言った。
その時。
「おにーちゃーん!」
高めの声が聞こえた。
陰襤と琥珀が同時に振り返ると、そこにはこちらに駆け寄ってくる小柄な人影があった。
色白で痩躯。
スタイルのいい小柄な影は、腰下までおる長いくせのある髪をと白い薄いワンピースを風に靡かせながらこちらにやってくる。
素足とエルフ耳、そして銀の髪の間に見え隠れする金のピアスの三点を認め、この者が戒麻と凱の弟なのだと琥珀と陰襤は確信した。
……が。
「弟!?」
琥珀と陰襤が思わず同時に声を上げる。
ワンピースに長い髪、華奢な色白の身体、高めの声……どう見ても女の子にしか見えない。
「あら、誰なのこの人たち」
陰襤と琥珀を瞬きしながら見つめたその少年を、戒麻と凱は優しげに見つめる。
『悠(ハルカ)。それより、用事』
戒麻にせかされ、あっと小さく言った少年、悠は手に大切に握ったそれを戒麻の前に出した。
「もう、おにいちゃん。これ落ちてたわよ。アタシ、ずっとおにいちゃん探してたんだからっ」
ぷーっと悠が頬を膨らませる。
『お、あったあったー』
戒麻はけらけらと笑い、悠の手からピアスを受け取った。
「……と、いう事は」
「帰っていい? 俺たち帰っていいのっ!?」
陰襤と琥珀は勢いよく戒麻に迫った。
◇◇◇◇◇◇
夕刻。
ピクリ。
身体が動いた。
「琥珀っ」
叫ぶように、虹陽が身体を揺すれば……。
「っ、い、ったたたたたたたたたっ」
琥珀はそう言いながら目を開けた。
祭壇の影に寝かせた二人。
目を琥珀が醒まして暫く。
「いたああぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああっ」
と、騒がしいあいつも目を醒まし、凰伽は漸く安堵の息を吐いた。
「琥珀っ」
虹陽は思わず泣きながらその首に抱き着く。
「ってて、なんだこれ」
身体が軋む。
琥珀を見つめながら遠い目で陰襤は言う。
「あはははは、これ死後硬直じゃねー」
陰襤の声は棒読みだった。
『よぉ、世話になったな』
と、その声に顔をあげた陰襤と琥珀。
四人の前には、再び戒麻が姿を現していたのだ。
「……戒麻さん」
虹陽の言葉で、凰伽はやっと戒麻がそこにいることを理解する。
『僕の世界の妖は約束は必ず守るんだよ。だから、礼をしに来た』
戒麻の声。
それは、凰伽の耳にも届く――。
「この声は――」
「戒麻さんのだよ」
凰伽の呟きに、虹陽が応える。
『特別に短い間、お前にも僕の声を聴ける様にした。だから、大人しく聞け。
これが僕からの礼だ』
キラリ、夕日に戒麻のピアスが光る。
『死後の世界。ただひとつだけの領域が司る、死者の魂の裁判とは別のもうひとつの役割。
冥府は色んな世界の歴史も記憶する役割。
その役割の中から、お前たちにいい話を聞かせてやるよ』
戒麻が怪しく笑んだ。
「歴史の話? どうして俺たちに?」
凰伽の問いに、戒麻は答える。
『お前たちの未来は、この国を揺るがすものになる。
その日の為に、その時まで胸に刻んでとっておけ――』
戒麻は意味深な言葉を残し、語りだす。
『この世界は、現在の国がたち、共生という意志を統一させる前の話だ。大きな戦があった』
「……それって、この前陰襤が言ってた反共生派との戦のこと?」
「あぁ、あの……王都のクレーターのできた戦の」
虹陽と琥珀は告げる。
戒麻は頷いて続ける。
『この世界には、共生を望まない妖がいた。
その妖率いて、反共生派として戦ったのは玖羅王、羅天、地羅の三人を筆頭にした妖の集団だった』
戒麻の言葉に、虹陽が目を見開く。
「それは、神話の……作り話のことではなかったの?」
虹陽の問いに、戒麻は答える。
『現実だ。創世神話となっているらしいな。誰かがなにかを隠そうとしたのか……作り話の様に語られているが、その三体の妖は記憶上実在している』
戒麻は続ける。
『その三体の率いる反共生派と戦った筆頭は、共生を唱えていた莱祈の一派だった。
莱祈の軍は反共生派が十とすれば、たったの二しかいなかったが、莱祈は類まれなるその戦闘の才と優秀な仲間と共に勇敢に戦った』
戒麻が目を伏せる。
『だが、いくら優秀な才も数には勝てん。莱祈の軍は日々苦戦していった。ついに莱祈の軍はたったの数十頭にまでなってしまった時、莱祈は“あること”をしたんだ』
戒麻の言葉に、早まる鼓動を虹陽は抑えられなかった。
真実を知りたい。
虹陽は、戒麻を見据える。
しかし。
『莱祈は――を……して――』
突如、言葉の途中で戒麻の魂がその場から消えた!
「戒麻さん!?」
虹陽が驚きの声をあげる。
「……なにが起きた?」
一瞬の事で理解が出来なかった。
琥珀も目を細める。
「……わからん」
凰伽はそう言って、ちらりと陰襤を見た。
夕陽を逆光に浴び、俯いた彼は嗤っていた。
まるで、すべてを知っているかの様な顔をして。
新緑の双眸に灯った狂気に凰伽はハッと息を呑んだ。
こいつが――。
戒麻を消した、本人だ。
「……えー、ちっとも約束まもってないじゃん」
と、変わらぬ様子で陰襤は笑ってみせた。
「……ったく、なんなんだよ」
琥珀が溜息をつく。
「でもでもすごく気になる話だった!」
興奮しながら虹陽が言う。
琥珀や虹陽に囲まれて、変わらずに笑う陰襤。
凰伽の背に、ゾクリ。
昔、どこかで感じた事があると同じ悪寒が走り抜けた。
兄と弟
祭壇よりさらに北へ三日。
たどり着いた村は長閑な農村だった。
夏の終わりの晴れ空の下、村人たちは畑仕事で汗を流す。
自給自足の小さな村に、妖の姿は目に見えるうちになく、宿屋はひとつの民宿だけだった。
夕刻に村についた四人は、その民宿の話を聞き、そこに向かったのだが……。
「えぇ、満室!?」
陰襤が声をあげる。
「えぇ、でも隅の一室だけならあいてますぅ。四人で一緒の部屋なら、なんとかなりますがねぇ……少し狭いと思いますぅ」
女将が困った顔で頬に手を当てる。
「大丈夫! 僕と琥珀が本性にな……もごっ」
琥珀は咄嗟に虹陽の口を塞ぎ。
「大丈夫だ。同室だろうと、ないよりマシだ。仕方ない」
と、そう言って返す。
「……確かにな」
凰伽も溜息と共に同意をする。
「すんませんねぇ、今日は珍しく旅人さんがおうてしもてぇ……」
女将さんは終始、苦笑を浮かべていた。
◇◇◇◇◇◇
数十分後。
農村に、時刻を伝える鐘の音が鳴り響いたのと同刻。
「天然温泉のお風呂だって!」
どこから聞いてきたのか、宿屋の探検から部屋に駆け戻ってきた虹陽は嬉しそうに言う。
そして、部屋の隅のクローゼットから浴衣を漁ってとりだした。
「一緒にいこうよ、琥珀!」
と、壁に凭れて休んでいた琥珀の分の浴衣を渡しながら虹陽はにこりと笑う。
「えーっ、ずっるーいっ! 俺も虹陽と一緒に風呂入りたいっ!!」
陰襤はそう言いながら部屋の畳の上をごろごろと回転する。
「女の子の胸をいきなり両手で揉んだりする変態と一緒の風呂に入りたくない」
虹陽はにこり、笑顔で告げる。
「……お前」
と、凰伽が陰襤に軽蔑の視線を見せる。
その話は凰伽は初耳だった。
「ちょっ、琥珀ちゃんっ!? あの事はなしたのっ!?」
跳び起きた陰襤は慌てて琥珀に迫る。
「あー……うっかり話したような、違うような……」
目を逸らしながら返した琥珀の手を、虹陽はとる。
「じゃ、そういうことで」
バタン!
強く扉を閉められて、陰襤と凰伽は二人きりになった。
◇◇◇◇◇◇
「ずーるーいー」
ごろごろごろ。
陰襤は畳の上を転がる。
「やかましい」
凰伽は新聞を読みながら深い溜息をついた。
正直、この状況は耐えられなかった。
あの日から、ずっと気になることがある。
何故、陰襤は戒麻の言おうとした真実を隠すかのように消したのか。
あの時感じた、昔も感じたことのある悪寒の正体はなんなのか。
そして――。
凰伽の脳をぐるりぐるりと言葉が巡る。
「……ん、……ゃん、凰伽ちゃんっ」
ハッと、陰襤の声に我に返る。
「どーしたの、怖い顔して」
けらけらと笑う陰襤。
しかし、この顔は作り物なのだろう。
「……なぁ、陰襤」
凰伽は静かに問いかける。
「お前は、一体何者なんだ――」
◇◇◇◇◇◇
同刻。
「温泉っ、温泉っ」
るんるんと廊下を行く二人が、ついに風呂場の暖簾を目の前にした時だった。
「いい湯でしたね」
優しい青年の、柔らかな声が聞こえた。
琥珀と虹陽はふと立ち止まる。
「そうだな」
同意の声がすれば、暖簾がひらりと揺れた。
中から出てきたのは二人の青年。
一人は180cmはある背の持ち主。
金糸の髪は長く腰まであり、ストレートの髪で三つ編みにされている。
色白で華奢な女顔の美人。
この宿屋の浴衣似あう。
もう一人は、そんな青年とほぼ同じ長身。
漆黒の髪はざんばらで肩につく程度。
筋肉質というわけではなく、ただ痩躯。
目つきは鋭く、口の端には犬歯が覗く青年。
こちらも、纏うのは浴衣である。
二人はふと、琥珀と虹陽の姿に気付く。
金糸の髪の青年が、長い睫毛をたたえる瞳で瞬きをし、琥珀と虹陽を見つめる。
琥珀も同じように青年たちを見つめ返す。
「……琥珀?」
違和感を感じ、虹陽が琥珀を呼ぶ。
その声に、琥珀は答えず、ただこう言った。
「……兄貴」
と。
「……えっ、琥珀!?」
虹陽が琥珀と二人の青年を見比べる。
「琥珀……どうしてこんなとこで……」
そう言って、琥珀の前に立ったのは黒髪の青年だった。
「……虎迭(コテツ)」
琥珀が黒髪の青年を呼ぶ。
「元気にしていたかい、琥珀」
にこり、虎迭の背後で柔らかく、金糸の髪の青年が笑う。
「……雀李(サクリ)」
琥珀が、青年を呼ぶ。
「なんでお前ら……」
驚きを隠せず、琥珀は動揺したままに問う。
虹陽は静かにその様子を見守っている。
「なんでって……そりゃ俺らが旅してんのは知ってるだろ」
虎迭はそういい、琥珀の肩を叩く。
「こんなところで立ち話は長くできませんね。もう一度いきますか。琥珀もその友人も温泉に来たのでしょう」
柔らかく、雀李が笑う。
「……俺らさっき出たばかりじゃねぇか」
虎迭が雀李に言うが……。
「いいお湯は何度も入りたくなるものですよ」
にこり、笑んだ雀李のペースに呑まれることになった。
◇◇◇◇◇◇
「こっちが雀李。長男だ。そして、こっちが虎迭。次男」
温泉に浸かった四人。
小さな民宿とは思えぬ程、温泉は立派だった。
男女共に露天となっている温泉は、かなり広いかけ流し。
なんでも、この村の野菜や酪農製品と共にこの温泉を目当てにする旅人もくるのだと雀李は先程語っていた。
虹陽に琥珀が二人を紹介する。
「……なんで俺らまで入ってんだ」
ぶつぶつと言いながら、虎迭は頭を掻いていた。
「虎迭はなんでも気にし過ぎだよ。もっとゆっくりのんびりしましょう」
雀李がふんわり笑う。
本当に優しく笑う人だ。
虹陽は雀李に好印象を持っていた。
「俺は三男になるわけだが、俺とこいつらは義兄弟なんだ。
俺らは野狐になりたての頃に出会い、暫く一緒に生活をしていた。
でも、雀李がどうしても外を見たいといって、旅に行こうと言い出した。
俺は、旅とか興味なかったし、どうせ腐れ縁だったからな。好き勝手にあの森に残ったんだ」
琥珀が語る。
「へぇ、そうだったんだ。やっぱ二人も妖だったんだね」
兄弟がいるのは初耳だった虹陽が納得したかの様に言う。
「それで、兄貴。こいつは虹陽。兄貴たちが森を出てってちょっとしたら、森に迷い込んできた妖鳥だ」
「はじめまして」
琥珀の紹介に合わせ、虹陽がにこりと笑んでお辞儀をする。
「あぁ、これは丁寧に」
雀李もお辞儀を返し、続ける。
「琥珀がいつもお世話になってます」
雀李の言葉に、琥珀は複雑な気持ちになる。
「あ、こちらこそ!」
虹陽は慌てたように言う。
「お前らも旅の途中で一泊してくのか?」
琥珀の問い。
「あぁ。久々にいい報酬があったからな。人間の村でゆっくり休もうってなったわけだ」
虎迭が答える。
「……報酬?」
と、虹陽が瞬きをしながら首を傾げた。
「私と虎迭は、悪さをする妖たちを時に退治しながら旅をしています。人間たちからの依頼です。
そうして、お礼としてお金を稼いでいるわけです」
雀李はふわり、笑む。
「そっか、じゃあ琥珀のお兄さんたちも共生派なんだね!」
「ふふ、そんな大層な派閥に入っていませんよ。ただの個人的興味です」
雀李は笑う。
「琥珀。そして虹陽さん。温泉から出たら少し、私たちの部屋に来ませんか。もっとゆっくりお話しがしたいので」
雀李の言葉に、二人が否という筈がなかった。
◇◇◇◇◇◇
数十分後。
『嫌だなぁ、なんで突然そんなこと聞くの? 俺は俺だよ。凰伽ちゃん』
笑った陰襤がどこか恐ろしくて。
凰伽は「散歩にいってくる」と、部屋を出たのが少し前。
夏の終わりの時期の夕刻。
秋の綺麗な夕焼けに近い空を見上げながら、凰伽はぼぅっと考え事をしながら歩いていた。
そうしていつの間にか、農村の郊外の畑に来ていた様で。
宿屋からはかなり距離があった。
あぜ道にあった巨石に腰を下ろす。
凰伽はぐるりぐるり、思考を巡らせる。
さわり。
風が駆け抜けた。
髪が風に遊ばれる。
あの日……。
今は昔のある記憶。
莱祈に言われた「今後、俺にもし、なにかがあったら。蒼い髪に、俺と同じ眼をした青年が現れるだろう。彼は、俺の大切な友人なんだ。だから、なにかがあったら彼の力になってあげて欲しい」との言葉。
その言葉通り、現れた陰襤という謎の妖。
天馬だと語る彼の本性は、自身の知る天馬一族のものとも異なる。
まさに、存在自体が怪しい妖。
しかし、ここで陰襤を疑うのは、莱祈の言葉を疑う事になるのではないか。
なにか、恐ろしいことが起きている。
そんな気がしてならなかった。
深刻な顔をして、考え込む凰伽の耳に、それは突然届いた。
「後ろの正面だぁれ」
嫌にねっとりと耳に残る、独特な声――。
バッと、凰伽が振り返り、身を起こせば、そこに居たのは見知った妖だった。
「やぁ、天馬の世話係」
「……帝喃、といったか」
いつの間に背後をとられていたのだろう。
いや、それより彼が何故この場に――。
凰伽が険しい顔をする。
その眉間に、スッと動いた帝喃は、自身の生来武器である銃を突きつける。
「……なんの真似だ」
押し殺した声で、凰伽は問いかける。
「俺の目的を成すのに君が邪魔なんだ。君はあの世で陰襤という男を待っていればいい。すぐに送ってやるからさ」
にたり、帝喃は笑い――。
銃の引き金にかけた指に力をこめた。
◇◇◇◇◇◇
同刻。
温泉からあがった四人は、雀李と虎迭の部屋にいた。
「んー、ほんとにいい湯だったねぇ」
ほっこりしたように虹陽は言って畳に足を投げ出して座り、笑っている。
虎迭と琥珀は座椅子に座って共に胡坐をかいていた。
雀李は部屋の隅に重ねてあった座布団を取り出せば、畳に敷いてその上に正座する。
そして。
「……遅くなってしまったけれど、琥珀と虹陽さん。なんでここにいるんですか?」
雀李が優しい口調で問いかける。
「あのね、僕らも今旅してるの。琥珀と僕と、あと陰襤と凰伽って四人で、王狩りと、僕の記憶を探す旅をしてるんだ」
虹陽は言う。
「記憶?」
虎迭が首を傾げる。
「虹陽は森に来る前……つまり、俺と会う前の記憶がないんだよ」
琥珀は答える。
「……王狩り。莱祈の情報はなにも手がかりもないし、大変でしょう」
「まぁ、どちらかというとパーティーメンバーが問題だな」
琥珀は頭を掻く。
「……ともかく、また琥珀とこうして会えたのも縁。
琥珀たちも、王狩りをしているのならこの話を聞いてください。今、私と虎迭が旅の中で探っていることです」
雀李はそう口を開く。
「……探ってる?」
「なんのことだ?」
虹陽と琥珀は顔を見合わせた。
「皇暦134年、春莱祈失踪。これは今年の出来事ですね。今はそれが世間で騒がれる大きな出来事ですが……。
真に目を向けるべきは、この国の成り立ちだったんですよ」
雀李は語る。
「私は以前より、あることを疑問に思っていました。
文献をあたっても、答えが見つからない。
故に、古くからの文化を今に伝え、昔と変わらぬ生活を送る王都の外の村々を回り虎迭と情報を集めることにしたのです」
雀李が目を閉じる。
「結果、わかった事がありました。皇暦000年、この国に二人の王が立ちました。
人間でありながら、妖術の様に不思議な術を自在に操るたった一人の魔導師、炎彩。
反共生軍との戦を勝ち、共生の道をその炎彩と示した妖、莱祈です。
しかし、その国が出来る前、今の王都を囲むクレーターを作ってしまうような巨大な戦がありました」
雀李がゆっくり目を開く。
「その時からです。古来から妖として語り継がれてきた者たちと、今現在、妖という種で括られる我々とがまったく違う存在になりだしたのは」
雀李の言葉が、理解できなかった。
「……古来より妖と呼ばれている者と、今の妖が違う? どういう意味?」
虹陽が首を傾げる。
「俺たち、皇暦000年以降に生まれた妖も確かに妖だ。術だって使える。だがな、おかしいとがあるんだ」
雀李の言葉を継いだのは虎迭だった。
「古来より妖とされてきた者は、動物の姿をしたものたちだけではない。物質から出来た妖、植物からできた妖。そんな妖が世界のどこかしこにもいた。
しかし、今はどうだ? 獣と呼ばれる俺ら妖は、皆、なにかの動物や生き物をベースにしたものしか存在していないだろう?」
虎迭の言葉に、雀李は頷く。
「今現在、物や植物が妖と成ることはありませんね? つまり、現在生きている妖と、古来から伝わる妖には少し違いがあるのです。
文献や話を聞くにあたり、行き当たったのがこの国の建国時なのです。
つまり、神話で共生派と反共生派が争い、クレーターを作った戦の直後を境に、我々妖という種族には何らかの変化が起きていた筈なのですよ」
雀李が語る。
「……じゃあ、今妖って呼ばれる種族ってのは……」
琥珀が掠れた声で言う。
「えぇ。古来の種とはまた違う種の妖ということになります。
昔、妖と呼ばれていた者は、今の我々妖の様に、生来武器なども持ってなかったと伝えられています。
生来武器というものを持つ、妖と呼ばれる獣。古来の文献とは少し違った種族――」
雀李は言葉を止める。
「私は、世界の真実を識るべきだと思い、旅に出ました。琥珀。あなたをおいて」
雀李が琥珀の頭に手を伸ばし、撫でる。
「……元気そうなのには安心しました。しかし、出来るなら……琥珀。あなたは普通に生きていて欲しかった」
悲しげな色が、雀李の瞳に浮かぶ。
「……兄貴?」
琥珀は首を傾げる。
「虹陽さん。どうか、琥珀をよろしくお願いします。この子が悩んだりしたら、手を貸してあげてください。友人として、必ず」
雀李の言葉を不思議に思いながら、虹陽は頷く。
「さて、今の話はあまり他言しない様にお願いしますね。私たちもまだ確信しているわけではありませんから。
ほら、二人とも、部屋に戻りなさい。お仲間が心配いたしますよ」
にこり、雀李は優しく微笑んだ。
◇◇◇◇◇◇
琥珀と虹陽が部屋を出て行ってすぐ。
カタカタカタ。
窓が揺れた。
雀李が立ち上がり、窓を開ける。
すると、その窓からトン、と長身の青年が入ってきた。
「弟くんには甘いねぇ、おにいちゃーん」
けらけら笑う青年がつけた、数多のアクセがジャラリと揺れる。
「……いつかあの子も知ることになります。今語ろうが、時期はすぐそこまで来ているのですから」
青年の言葉に雀李が言う。
「散歩って、どこまで言ってたんだよ」
虎迭は青年を見据えて、呼ぶ。
「帝喃」
「んー、町の郊外にさ、前に腕に一発くれた異国の妖が居たから挨拶をしにー」
「……それは琥珀たちのお仲間のことですか」
帝喃の言葉に、雀李は溜息をつく。
「そうともいうー」
ケタケタと笑った帝喃がドサリと座椅子に腰を下ろす。
そんな帝喃の様子に小さく息をついた雀李は言った。
「大体、琥珀たちがここにいるなんてきいてませんよ」
と。
しかし、そんな言葉は帝喃には届かない。
耳をほじりながら、怠そうな態度で帝喃は言う。
「あーでもやっぱ兄弟ってにるんだねぇ。義兄弟でも、君たちは互いに国の真実を暴きたいと思ってる。
それがどんな結果を引き起こすかも知らずに――。
……でも、まぁ俺の存在を知り、あの炎彩ちゃんに取り入ってまで真実を知ろうとするなんて、美人な狐はやっぱりやることが違うよ。
ってわけで、雀李ちゃんと虎迭ちゃんには特別に、俺が調べてわかったこともすべておしえちゃいましょー。所謂、この国の真実ってやつを」
にこり、帝喃は笑って口を開いた。
◇◇◇◇◇◇
同刻。
琥珀と虹陽が部屋に戻れば、座布団を枕に陰襤が一人眠っていた。
「あれ、凰伽は?」
虹陽はきょろきょろと部屋を見渡す。
「散歩とかじゃないのか」
琥珀はそういい、座椅子に腰を下ろす。
「んー、とりあえずー」
暇な虹陽は寝ている陰襤の側に寄る。
そして髪を変な風に結びだす悪戯を始めた。
「おい、虹陽」
「いいのいいのっ。いっつも僕が変な風にされてるんだからっ」
虹陽が頑張って悪戯をするのを琥珀はぼんやり見つめていた。
この国の真実。
それは、一体なんだというのだろう――。
あの戒麻の言葉といい、雀李の言葉といい、考えさせられることばかりが起こる。
こんな筈ではなかったのに。
「見て見て琥珀ー!」
虹陽の声に深刻な顔を消して、虹陽の方を見れば。
たくさんの輪ゴムで雑に髪を縛られたまま、未だに眠る陰襤がいた。
そんな陰襤に瞬きを返した時、この部屋のドアが開いた。
そこにいたのは、凰伽。
陰襤の惨状を見て、呆れた顔で彼は。
「なにやってんだ……?」
と、そう問いかけた。
◇◇◇◇◇◇
数分後。
目を醒ました陰襤は、凰伽を連れて温泉に向かった。
悪戯された頭に、彼はまだ気づいていない。
「あーぁ、虹陽ちゃんと温泉はいりたかったなー」
愚痴りながら陰襤は暖簾をくぐり、脱衣所の鏡をふと見つめた。
そして、そこで初めて絶叫した。
◇◇◇◇◇◇
「もーっ、酷いよ虹陽ちゃん!」
強引にゴムを慌てて急いでとった陰襤。
腰にタオルを巻き、片手には持ち込みのシャンプーやリンスの入った桶をもち、陰襤はぶつぶつ言いながらも露天への扉をあけた。
凰伽は黙ったままそれについていく。
日頃の行いを見れば、あの程度の悪戯ならかわいいものだと思う。
ガラリ。
扉があき、曇り硝子の向こう。
露天の湯煙の中に人影を認め陰襤は瞬きをする。
「あれー、先客さん?」
けらけらと笑った笑みは、その姿をはっきりとらえた直後に一瞬で真顔に返る。
「やぁ、天馬」
湯船にいたのは、帝喃だった。
◇◇◇◇◇◇
風が吹いた。
「……やーめた」
帝喃はそう言って、凰伽の眉間から銃を下ろす。
「……」
なにが起きたか解らずに、凰伽は困惑する。
「だって、悪者を今成敗しても、俺は正義のヒーローになれないもん」
そう言って、帝喃は悪戯な笑みを浮かべた。
「なーんでお前がいるんだよっ」
「さーなんでだろー」
陰襤の言葉をケッとした表情で帝喃が受け流す。
「さっさと出てけよ」
「君が出たら?」
「俺も凰伽ちゃんも今来たばかりでしょっ」
「俺もその少し前にきたばかり」
などと、目の前で行われる帝喃と陰襤の低レベルな争いの声で、凰伽はふと我にかえる。
何故、帝喃は撃たなかったのだろう。
そうすれば完全に、俺は死んでいた筈だし、陰襤を殺しやすくなるはずなのに。
「君は随分難しい顔しているねぇ」
帝喃は、いつの間にか凰伽を見ていた。
「……それは」
「君たちのことは憎い。殺したいほど憎い。でも、待つことにした。最高の絶望の舞台の元、君からすべてを奪う方が楽しそうだろ」
にやり、凰伽の言葉に応える様に帝喃はそう語った。
「うぇー。なんだかわかんないけど悪趣味ー」
陰襤は、バシャバシャと帝喃に向かいお湯をかける。
「まぁ、もう少し旅を楽しみなよ」
帝喃はにこりと笑った。
◇◇◇◇◇◇
同刻。
「……世界の真実」
雀李は呟く。
帝喃の話を聞いた雀李と虎迭の表情は重かった。
「……帝喃の言う通り、俺たちにできることは今はない」
虎迭はそう言い、続ける。
「莱祈が王都に戻る日を。“断罪の刻”を待つしかない」
と。
その言葉に、雀李はそっと瞳を閉じた。
◇◇◇◇◇◇
その夜。
虹陽は一人、夢にうなされた。
虹陽は、見知らぬ土地にいた。
虹陽は空に立っていた。
足元を見下ろせば、どこまでも続く戦で荒れた大地があった。
森は消され、乾いた大地がむき出しになっている。
あちこちで炎と黒煙があがり、戦で使われた武器や倒れた者の死体が転がる場。
「ここは――」
虹陽は辺りを見回す。
ふと、すこし離れたところに小さな軍勢が見えた。
スーッと、上空を移動して近づいてみれば、そこにいたのは綺麗な金色を称えた妖の青年だった。
長身の青年は白い戦衣装に返り血を浴び、衣装には紅の模様がうかぶ。
ざんばらな金糸の髪。
左だけ長い横髪が、ふわり風に遊ばれる。
あれは……あの妖は。
『莱祈』
と、その青年を呼び、莱祈を囲んだ仲間を掻き分けある人影が莱祈の前に立つ。
今となんら変わる事のない、その容姿。
黒い短い髪は襟足だけが長い。
纏っていたものこそ戦衣装であったが、この人影は、虹陽もよく知る……。
「……凰伽」
虹陽が、呟く。
どうして、凰伽が莱祈と――。
その時の凰伽の腕には、ある青年が拘束されていた。
鎖で身体を締め付けられた青年が称えるのは、燃える様な紅く長い髪。
凰伽は乱暴にその青年を地面に転がせば、他の仲間が青年の首の近くに長槍の切っ先を地面に突き刺しうごきを封じた。
風に揺れる、ボロボロの青年。
どうしても顔だけは見えないが、虹陽は彼も知っていた。
あれは、羅天だ……。
『羅天』
莱祈の凛とした声が、羅天を呼んだ。
『妖は、新たな時代に移る』
莱祈は語る。
『ふざけるなあぁぁぁぁぁぁぁっ』
羅天の怒号が、莱祈の言葉を裂いた。
『莱祈っ、貴様がやらんとしていることは――』
羅天が吠えるが、言葉を遮る様に、莱祈が羅天の頭を踏みつけた。
『羅天。お前たち旧世代に従うつもりはない』
莱祈は言う。
『お前は、ずっと変わりゆく世界を見ていればいい』
◇◇◇◇◇◇
翌朝。
ハッと、虹陽は目を醒まし、飛び起きる。
まだ陽が上る前。
外は暗い。
「っは、はぁ……」
息が乱れる。
胸が、苦しい。
背中の傷が、疼く――。
隣では、陰襤も琥珀も凰伽も、まだぐっすりと眠っていた。
「なんで……なんで」
虹陽は動揺したまま、揺れる瞳で凰伽を見つめる。
「……凰、伽……」
なんで、莱祈の側に――。
どうして、羅天を――。
『詳しくは知らない』そう語ったのは……嘘?
「あ……ぅ……」
込み上げる想いは誰のものか。
涙が、溢れて止まらなかった。
疑念×嘘
ずっと、夢を見る。
莱祈と羅天、そして――君が出てくる夢を。
聞きたい事がある。
確かめたい事がある。
いや、これはやらなければならない事なのだ。
だから――。
◇◇◇◇◇◇
農村より、北に三日。
その日は野宿となった。
森の中、静かに流れる川辺を見つけ、四人はそこにキャンプをおいた。
時刻はまだ夕刻。
暗くなる前に、近くの森の中を探索しに行った虹陽と琥珀がたき火の元に戻ってくる。
「陰襤! 凰伽! あっちに温泉が湧いてたの見つけたよ! 今日もゆっくりできるね!」
にこにこと笑う虹陽は嬉しそうだ。
ついでに薪を拾ってきていた琥珀は、薪を置きながら言う。
「虹陽。お前、どうせ長いんだから暗くなって戻れなくなる前に行ってこい」
琥珀の言葉に虹陽は珍しく素直にうなずいた。
「わかったー。あ、道わかるの僕と琥珀だけだから、僕と琥珀は一緒じゃいけな……」
「はいっ! はいはいはいっ!! 俺、虹陽さんと入りたい!! らんでぶーした……」
「凰伽ー。一緒にいこー」
がしっ、と虹陽は陰襤を無視して笑顔で凰伽の手を掴む。
「俺か?」
「だって陰襤は嫌」
ぷー、と頬を膨らませた虹陽の気持ちはまぁ、解らなくもない。
「いこっ」
半ば強引に、凰伽は虹陽に引っ張られていった。
◇◇◇◇◇◇
森の中にあったのは、小さな温泉の天然露天風呂。
まさに秘湯だった。
虹陽はすぐに服を脱ぎ、湯に飛び込んだ。
凰伽もそれを見て「子供の様だな」と苦笑しながら湯船につかる。
そういえば、虹陽と共にこうして湯に入るのははじめてか。
なんてことを凰伽はふと考えていた。
「んー、気持ちいい」
と、伸びをする虹陽の背が、湯煙の奥に見えた。
そにあったのは、大きな十字架の形の古い傷……。
かなり大きな怪我のようだが……。
「……虹陽」
凰伽が声をかける。
「その傷は?」
凰伽の問いに、瞬きと共に振り返った虹陽は笑いながら言う。
「覚えがないんだ。言ったでしょ。僕、記憶がないの」
「……そう、だったな」
凰伽は呟く様に言う。
「……でも、なんでかな。凰伽と出会ってから、いつも不思議な夢を見るの」
虹陽は言う。
「夢?」
「うん。前に少し話したでしょ? 羅天って妖が出てくるって教えてくれた……」
「あぁ、そのことか」
凰伽が頷く。
「……でも、初めは、その羅天って人の後ろに、凰伽が立ってるだけだったんだ。
……最近はね、違うの。
莱祈が、出てくるんだ。羅天も、相変わらず顔は見えないけど、出てくる。そして――」
虹陽が、凰伽を見据える。
「君が、戦場で莱祈の側に居るんだ」
虹陽ははっきりと言う。
「……知っているなら、答えてほしいの」
黙ったままの、凰伽に言う。
「僕のこと、凰伽はなにか知っているの? 僕は……あの戦に……反共生派と、莱祈のあの戦の場に居たの?」
虹陽の縋る様な視線を受ける凰伽だったが。
「……すまない。本当に、お前のことは全く知らない」
凰伽は答える。
「お前の事をあの戦場で見た事はないが、俺は莱祈という妖の近くにいたことは確かだ。
その戦にも参加し、玖羅王、羅天、地羅の三頭と刃を交わせた。
俺は莱祈の方についていた妖だった」
凰伽が語る。
「国が出来てからも、城でずっと莱祈の側に居た。
しかし、今年の春、突然莱祈は居なくなった。
だから、俺は莱祈を探す旅を始めた。
その途中でお前たちと合流した。陰襤がいたために」
凰伽が瞳を閉じる。
その言葉にも、態度にも嘘は感じられなかった。
「……陰襤とは、昔からの知り合いなんでしょ? だったら、陰襤は莱祈を知っていて、その戦の事も知ってるんじゃないかな?」
虹陽の問いに、凰伽は首を横に振った。
「いや、彼は知らないと思う。
陰襤を戦場で見た記憶はないし、なにより……彼を莱祈の側で見たことがないんだ。
莱祈本人は、陰襤の事を友人と言っていたが、俺も陰襤の事はよく解らない」
凰伽の言葉に「そっか」と短く返した虹陽は残念そうだった。
「……なに。焦ることはないだろ。夢゜で少しずつお前の記憶が返っているのは確かなんだから」
凰伽の言葉に、虹陽はぱぁっと表情を明るくする。
「うん、そうだよね」
そういって、虹陽は笑った。
凰伽はそんな虹陽を見つめる。
あの背にある傷に、凰伽はひとつだけ心当たりがあった。
しかし――。
「まさか、な」
凰伽は静かに目を閉じた。
◇◇◇◇◇◇
「おせーよ」
「えへへー気持ちよかったからついー」
と、戻ってきた虹陽と凰伽を見て、琥珀は安堵の表情を浮かべる。
「虹陽さんとお風呂虹陽さんとお風呂虹陽さんとお風呂虹陽さんとお風呂虹陽さんとお風呂虹陽さんとお風呂……」
呪詛のようにぶつぶつと言っている陰襤は火の前で体育座りをしており、どうやら相当未練がある様だった。
「ほら、俺らも遅くなんねぇうちにいくぞっ」
ぶつぶつと言っている陰襤の服を掴んだ琥珀は、強引に陰襤を引きずって森の奥に消えた。
◇◇◇◇◇◇
結局、温泉まで陰襤を引っ張ってきた琥珀は、わずかな距離であったはずなのに疲労感を覚えていた。
「……なんで俺がこんな……」
と、愚痴る様に言い、俯いていた顔をあげて、琥珀は温泉の方を見ると――。
湯煙の奥。
何故かそこに人影がある。
「……あ?」
瞬きをする琥珀の右肩に、いつの間に復活したのか、陰襤が片肘をおき、片手で顎を押さえて思案していた。
「うーん。あの影からすると胸はC、ウエストは五十台、ヒップが……」
陰襤の言葉を遮るかのように、湯煙の中から陰襤の顔めがけ、何かが飛んできた!
「ぐはっ」
それは陰襤の額に見事に命中。
陰襤がその場に倒れる。
よく見れば、投げられたのは岩石のようだった。
「……なに覗いてんのよ、変態っ」
その声に、聞き覚えがあった。
湯煙を掻き分け、こちらにくる影の持ち主は――。
「……お前は」
と、琥珀は驚きの声を上げる。
「なによ」
「シキ」
そこに居たのは、水着を纏った少女、シキだった。
シキは腕組みをし、二人の前に立つ。
「ここ、アタシが見つけたお風呂なんだけど」
シキはふん、と鼻をならす。
「お風呂ぐらいいいじゃーん混浴でもー。君は水着だし、俺、腰にタオル巻く派だからさ!」
陰襤はそう言って立ち上がる。
「ふざけんじゃないわよっ! 湯煙の中の影を審査しだす様な変態と一緒の湯なんて御免よっ」
「え、じゃあ琥珀ちゃんならいいの?」
「あんたの仲間なら断固拒否よっ」
シキは吠える。
「大体、何でこんなとこにいるわけっ!? アタシあんたたちの事嫌いなんだけど」
「えー、俺は君に興味があるんだけどなぁー」
陰襤はにこりと笑う。
「君の中に流れている妖の血は、竜の血だね。竜の力をどれだけ使えるのか興味が……」
「ばっかじゃないのっ!!」
怒号一発。
シキの拳が陰襤の顔面に炸裂する。
「……今のはお前が悪い」
琥珀は呆れたように言う。
シキは妖を嫌っていた。
なのにそんなことをいうのは、相当の馬鹿かこいつ以外にいないだろう。
「あんたたちなんかだいっきらい」
そう言ったシキは湯からあがり、近くに置いてあった荷物を手に森の中に消えて行った。
「……なんだったんだ、今の」
琥珀は呆れたかのように呟いた。
◇◇◇◇◇◇
その夜。
パチパチと薪が爆ぜる音がする。
琥珀と虹陽が安心した寝息を立てる中、ほぼいつもと同じような状況になった。
最後まで起きているのは凰伽だが、その前まで一緒に起きているのは大体陰襤だった。
「うー、まだいたい……」
殴られた箇所をさすりながら陰襤は呟く。
琥珀から事情は聴いていた為、凰伽は慰めはしなかった。
凰伽は小さく息を吐く。
聞いてしまえたら、楽だろうな、と。
陰襤が、隠そうとしているなにかの正体を――。
そして、お前が何者なのかを。
凰伽は瞳を閉じる。
「凰伽ちゃん?」
やけに静かな凰伽に違和感を感じたのか、陰襤が問いかける。
「……なぁ、陰襤」
意を決したかの様に、凰伽は口を開いた。
「祭壇での時……戒麻と言う幽霊の声を消したのは、お前だろ?」
と、その問いに、陰襤は瞬きを返す。
「へ、なんの話?」
恍ける陰襤に、凰伽は続ける。
「あの時、お前は確かに嗤ったんだ。
……俺は、それを知っている。
なぁ、陰襤。お前は……お前は、本当になにも――」
凰伽の言葉を遮るかの様に、陰襤が凰伽の眼前に手を出した。
『ゴメンネ』音もなく動かされた口を認めた凰伽は、次の瞬間どさりと地面に身体を倒す。
「……起きた時には、忘れてるよ」
陰襤は静かに言う。
揺れる炎を見つめた陰襤は、暫くしてその瞳を閉じた。
このことを目撃したものは、誰も居ず。
翌日には誰の記憶からも忘れ去られていた。
◇◇◇◇◇◇
同刻。
深夜。
どこかの深い森の中。
その人影は確かにそこにいた。
黒いフードつきのマントを纏い、フードを目深に被ったその者が。
フードから零れる金糸の髪は、森を抜けるそよ風に揺れる。
「莱祈様」
声がした。
しかし、その姿はどこにもない。
「西の準備が終わりました」
「残るは最北のみ」
「実験も成功いたしました」
「これで、莱祈様の願いが叶います」
様々な声に応える様に、莱祈がフードをとれば。
辺りは太陽に照らされたかの如く輝いた。
「ご苦労様。南は俺が終わらせたし残る北のも頼むよ。そこの地の龍脈さえ奪えちゃえば、こっちのもの。
全部が終わり次第、俺も王都に戻る」
そう言った莱祈は笑顔だった。
どこまでも優しい笑みで笑う。
「仰せのままに――」
風が、森を通り過ぎていく。
莱祈は一人、夜の空を仰ぐ。
「もう少し」
莱祈は確かにそう言った。
◇◇◇◇◇◇
同刻、王都。
中央王宮、人間側の塔。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ。
大地が揺れる音がして、建物全体が揺れる。
その振動に炎彩は目を醒ます。
「……炎彩」
ずっと側にいたのだろうか、皇我がベッドの側にすぐに姿を現した。
暫くしておさまった揺れに、炎彩は溜息をつく。
「ここのところ、王都がおかしい」
炎彩は呟く。
皇我は静かに窓の外に目をやった。
「……我には聞こえる。大地が、啼いている」
皇我の言葉。
その言葉に、炎彩は心当たりがあった。
「……莱祈、か」
炎彩は呟く。
「……嫌な予感がする」
と。
炎彩の言葉がなにを示しているのか。
この大地の泣き声はなんなのか。
この時の皇我には、まだわからなかった。
カウントダウン
季節は秋になろうとしていた。
徐々に気温が下がり、過ごしやすい気温になる。
長かった陽の出る時間は、気づけば急に短くなっていた。
いつの間にか、周りは漆黒の闇。
満点の星空。
この山の周囲には村もない。
王都のある遠い遠いその場だけ、眩い光が放たれているのが確認できる程度で、あとはすべてが黒く染まっていた。
ここ、北の大地の山ではすでに、木々の葉が落ち始めている。
季節の変化をかみしめながら、彼は一人その山の頂にいた。
千mを超えるその山は、大陸の最北にある。
国防軍の拠点よりさらに北だ。
王都を望む斜面の反対側。
その方角からは少し離れた場所に、蒼い蒼い海が望める。
頂にある、巨石で出来た洞窟の入り口。
彼はそこから王都を眺めていた。
纏う服は、さながらどこぞの国の軍人のようにビシッとしたものである。
深い緑のマントは、頂を吹き抜ける風に煽られ遊ばれる。
背中中程までのびた漆黒の色をした癖っ毛の髪も風に揺れる。
痩躯だが筋肉質の身体は手練れた者の気配を放つ。
ふと、その風の中に妙な気配を感じた。
同時に、背後に何者かが降り立つ気配も。
「……何用か」
彼は、その者に問いかける。
顔も見ず、ただ背中を向けたまま。
「ひっさしぶりだね! 妖山の主、莱晴(ライセイ)」
明るい声が語りだす。
「あの莱祈の弟だから、心配はしていないけれど様子を見に」
笑った気配がし、彼は漸く振り返る。
「兄の話をするな。鎌鼬」
金の瞳がギラリと睨んだのは、数m先の帝喃の姿だった。
「あはは、ごめんごめん。でもね、ここが落ちると厄介なことになる」
「先程から、貴様の話は見えん」
ふん、と莱晴は鼻を鳴らす。
「君の馬鹿兄貴を止める為、俺に協力してほしい」
帝喃は告げる。
「炎彩といったか。人間なぞに仕える、腑抜けた妖の話など聞くに値しない」
「今から俺が語る話は、これから起きる現実だ」
帝喃とは、以前より顔を合わせた事もある。
よく知っていた仲であったが、その為に解った。
いつもと様子が違う事が――。
その様子を感じ取ったのか、莱晴は口を閉ざして話を促す。
帝喃はこくんと頷いて語りだした。
「俺からの頼みはひとつだけ。この山を、死守してほしいんだ」
◇◇◇◇◇◇
同刻。
大陸の北に位置する大地のエリアにほど近い森の中。
「ねぇ、これ食べれるかな?」
とある小さなパーティーは、餓えていた。
森の中、ある広葉樹の根元にしゃがんだ虹陽の視線の先には、濃い紫をしたキノコが何本か生えていた。
「食ったら死ぬぞ」
琥珀があきれた様にいって「きのこ……」といいながらグーとお腹を鳴らす虹陽の服の項付近の襟を掴み、ずるずると引っ張り強引にはがす。
「……ったく。この国の北の辺りには村はねぇって陰襤(アイツ)から聞いていたが」
琥珀は虹陽を引きずったまま溜息を吐く。
「喰いもんである食料さえ品薄なんてのは聞いてねぇ」
琥珀はぶつくさと言いながら、茂みを掻き分けていく。
やがて、少し拓けた場についた。
そこには炎の明かりがあり、温かな雰囲気が宿っている。
「おかえりー」
にこにことしながら出迎えた陰襤の前には、大きな鹿が一頭横たわっている。
「……それ」
「うん、とってきた」
「お肉!」
さらりと言った陰襤に、琥珀は引き攣った笑みをたたえる。
ここ数日こんな感じだ。
琥珀も虹陽も、森で生活していた為、狩りなどはできる筈だが――。
それは獲物を見つけられて初めて成り立つものである。
この辺りにはこんなものいなかった気がするのだが……。
「お前、一体どこまでいったんだよ」
と、琥珀の問いに、陰襤はけらけらと笑いながら答える。
「んー、ちょーっとそこまで?」
笑った陰襤はなにかを誤魔化している様だった。
しかし、久々となる食料を前に、琥珀はあまり余計な詮索はしなかった。
「……凰伽はまだ戻ってねぇのか?」
琥珀の問いに、陰襤は「うーん」と言いながら凰伽が初めに消えた森の茂みの方を見る。
「遅いから心配だね。鳥目だし」
なんて言う陰襤の口調は相変わらず軽かった。
「大丈夫かよ」
琥珀が溜息をついた時。
ザワッと大きな風が吹いた。
突如、空に影が出来、思わず三人は顔をあげる。
そこにあったのは、翼をもった大きな妖の影――。
炎の上空まで来た妖は、人間に姿を変えて地に降り立つ。
「遅くなった」
そう言った彼の肩に担がれていたのは大きな二頭の猪だった。
「……だから、どこまでいったんだ」
琥珀の表情はさらに引き攣った。
◇◇◇◇◇◇
同日、深夜。
誰もが寝静まった頃。
天に出ていた三日月が、雲に隠れれば、ザワザワといやな風が吹いた。
莱晴瞳を閉じて、ただじっと。
頂の洞窟の前に立っていた莱晴。
その背後では、巨石に凭れかかりながら、帝喃が空を見つめていた。
「そろそろ、来るころだとは思ったよ」
そう言ったのは帝喃だった。
周囲にはなんの影もないが、帝喃は一人語りだす。
「莱晴ちゃんが相手となれば、君が直々にお出ましになるんだね」
月が、雲から顔を出す。
すると、大地に人影が伸びた。
月を背に、深くフードを被った青年が、宙に浮いたまま。
新緑の双眸で莱晴と帝喃を睨んでいた。
「やぁ、莱祈ちゃん」
ひらり、帝喃が手を振って立ち上がる。
莱晴がゆっくり目を開ければ、莱祈はそのフードを脱いだ。
太陽の様に輝く、眩い金の輝き――。
「王様休業して、なにしているの」
にやり、嫌な笑みで帝喃が問う。
「罪の償い、だよ」
優しい笑顔で、莱祈は答える。
「失敗のやり直し、の間違いだろ」
鼻で笑った帝喃に、莱祈はにこり、笑みを向ける。
刹那。
ダァンッ!
見えないなにかが動いた――。
「がはっ」
帝喃の身体が、巨石に叩きつけられる。
衝撃で巨石が凹む。
「ぐ……っ、そっ、重力……っ」
帝喃がどんだけ力を込めようが、その見えない力には逆らえなかった。
「……くそ兄貴」
莱晴は莱祈を見る。
「貴様がどこでなにをしようが、俺は知った事ではない」
莱晴の言葉に、莱祈は笑みを浮かべたままだった。
「だが、この山を泣かす事だけは赦さない」
怒号が響く。
一瞬で、莱晴が莱祈の眼前にでれば、右の拳を莱祈の顔面に叩きこむ!
しかし。
パシッ。
軽く片手で止められた莱晴の腕を、莱祈はぐるりと強引に捻じ曲げる。
嫌な音が響き、飛び出した骨が皮膚を、服を突き破る。
絶叫が空を切った直後、莱祈の蹴りが莱晴の腹部に入る。
空を飛び、先程までたっていた大地に、莱晴の身体が叩きつけられる。
「ぐぁっ」
「いつまでも、君如きが俺と同じ程度の戦闘力を持っているなんて勘違いをしないでくれるかな」
莱祈は笑う。
「っ、ざけるな……っ」
ブチッ、細胞が、身体が軋み、千切れ、血が噴き出す。
しかし、帝喃は抗うことを止めなかった。
「……莱祈っ」
帝喃の金の双眸が、莱祈を見据える。
「この国がお人好しの馬鹿ばかりで構築されていて助かったよ。
炎彩も、あの子たちもなにも気づかないうちに、俺はこうして目的をはたせたのだから」
莱祈が笑む。
「……っ、の……」
莱晴が、その身体を無理矢理立ち上がらせる。
「第一、君たちは勘違いしている」
クスリ、莱祈は笑いながら告げる。
「俺はひとりじゃない」
そういった直後。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ。
大地が、山が揺れだした。
バサバサバサッ!
突然の揺れに、鳥たちが驚き宙に舞いだす。
獣たちが混乱したかの様に飛び起き、山を駆け回る。
「まさか――」
帝喃がハッとして、なにかに気付いた時には、もう遅かった。
キィィィィィンッ!
山から紅い光の柱が、天に向かって伸びる。
その光は暫くしてフッと宙に消えていく。
同時に、莱晴と帝喃の周りに姿を現したのは、十体ほどの人の影――。
いや、それは人の象によく似ていたが、人ではなく……。
「……これ、は――」
莱晴の背に、ゾクリ、悪寒が走る。
そこに立っていたのは、人間の様な象であれど、目玉が数多ついていたり、翼が腰についていたり。
到底人間とは呼べぬ者たち。
そして、妖とも呼べぬ、醜い姿の者たちだった。
その者たちからするのは、かなくさい血の香――。
妖の、血の匂いだった。
莱晴の目が見開かれる。
「莱祈さま」
「莱祈様」
「任務は無事遂行いたしました」
「邪魔立てした妖共は消しました」
「これで莱祈様の目的は」
「これで世界は――」
「この山の妖たちをどうしたーっ!!」
莱晴が吠える。
ドサリ。
帝喃にかかっていた術がとけ、帝喃の身体が地に落ちる。
帝喃の瞳が揺れる。
「そんな――」
ボロボロになった身体を、よろめきながら無理矢理立たせ。
帝喃が莱祈を睨んだ時には、醜い姿の化け物たちは消えていた。
莱祈はにこり、どこまでも優しげな笑みを二人に残し、身を返すと、なにも言わずに姿を消した。
「莱祈――っ」
帝喃が、夜空に吠えた。
◇◇◇◇◇◇
同刻。
王都、中央部。
人間側の王宮にて。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ。
大地が揺れた。
「……大地が、啼いている」
皇我は、王宮の庭にいた。
夜空を眺めながら、この時ばかりは炎彩より、なにか嫌な予感の方が強くって――。
皇我がしゅがみこみ、大地に手を置く。
「……力が、大地の気の流れが……かわった……」
皇我が呟く。
「……なにか、起きた……」
なにが。
なにが――。
「皇我」
と、考え込む皇我を呼んだのは、よく知った声だった。
立ち上がり、振り返れば、そこに居たのは――。
燃える様な紅い髪をした、西洋の司祭の様な服を纏った青年の姿。
「……炎彩」
「胸騒ぎがしてな。眠れずにいたが……」
炎彩は瞳を閉ざす。
「どうやら、私は利用されたようだな」
炎彩の言葉に、皇我は目を細める。
「莱祈は『罪を償う旅をする』といっていた。だから、私は力を貸した」
炎彩は瞳を閉じる。
「……私の選択は間違っていた。私が、全ての引き金を引いてしまった様だ」
炎彩の言葉は重かった。
「なんとしても、止めねばならぬ」
炎彩は続ける。
「今更悔いてもカウントダウンは始まってしまった。
羅天を、この王都に呼び、力を借りるしか莱祈を止める術はない。勿論、お前の力もいる。皇我」
炎彩は、静かに告げれば、皇我はひとつ、頷きを返した。
真実は、もう目の前にあった。
北の大地
季節は秋。
森はすっかり紅葉している。
夕刻。
枯れ葉を楽しげに踏みしめながら、虹陽は森の道を行く。
ここまで旅をしてきていくつもの村を見てきた。
そこには、もう妖の姿はなく。
旅の途中、森で出会った妖たちは口々に「共生などできぬ」と言った。
虹陽はそうは思えなかった。
莱祈という妖が作ろうとした理想郷。
二種の異なる種が生きているこの大地だからこそ、必要な国の形がある。
『竜と人の里』の様な一方的な支配ではなく『生贄少女』の時のような、妖に怯えきる生活でもない、第三の国のかたち。
虹陽は、ふと足を止める。
振り返れば、後ろからついてくる三人との間にはかなり距離があった。
虹陽は皆に聞こえる様に大きな声で告げる。
「ねぇ! あそこに村があるよ!」
虹陽が示した先には、大木で出来た柵にかこまれ、厳重に守護されているかのような異様な空間。
道が続く先にある村の入り口には見張りの櫓が建ち、かなり重たそうな扉はぎちりと閉められ、簡単に開けられそうにない。
「……村?」
虹陽においつき、隣に立った琥珀がその怪しげな村を睨む。
「うーん、かなり厳重な態度だねぇ」
陰襤が、片手を額に当て、遠くを見るしぐさをする。
「しかし、久々の村だぞ。半月ぐらいは野宿続きだっただろ」
腕組みをした凰伽は言う。
「確かに、貴重なオアシスは逃がせないよねー」
陰襤はうんうんと頷く。
「とりあえず、いってみよう」
陰襤はにこりと笑ってそう告げた。
◇◇◇◇◇◇
「何者か」
頭上から声が降ってくる。
櫓の上にいるのは、人間の様だった。
しかし、その姿は一般の村人というのではない。
袈裟を纏い、錫杖を手にしたいかつい顔のご老人――。
「ひ……っ」
虹陽はこういうタイプの怖い人は苦手らしい。
琥珀の背にサッと隠れた。
「俺たち、旅してるんですー。休みたいので、この村に泊めてもらえませんかぁーっ」
陰襤が大きな声で問いかける。
「ならんっ」
ダンッ! と、老人が錫杖をついた。
「この村にやすやすと素性も知れぬ妖の滞在を赦すわけにはいかん!!」
老人の言葉に、琥珀が片眉をはねあげる。
こいつ、一瞬で俺たちの正体を――。
いままでどの村に行ってもこんなことなどなかったのに。
「……あの人間」
「聞いたことはある。ただの人間でも、修行をすれば霊や物の怪を見ることができる、見鬼(ケンキ)の才を得ることができるのだと」
琥珀の言葉に、凰伽は返す。
「あ、あの人こわいよ……」
虹陽は今にも泣きそうだった。
「……うーん、ただの村じゃなさそうだし、ここは退いた方がいいかも」
陰襤が思案の表情で言えば、虹陽はぶんぶんと首を振って何度もうなずく。
「……そうだな」
ただならぬ気配は感じていた琥珀も同意し、凰伽も静かにうなずいた。
ここで変な揉め事に自ら巻き込まれに行くこともない。
四人が背を向けようとした時だった。
「待たれよ」
凛とした声がした――。
四人が進ませかけた足を止めて振り返る。
ガコン、ゴゴゴゴゴ。
土煙をあげ、巨大な村の扉が開いた。
そこに立っていたのは、がたいの良い、190cmはある筋肉質な身体をもった男と、その腕に抱かれた6歳児程の大きさの小さな少女――。
男……といってもその男は人間ではなかった。
日本の戦国時代にあったような鎧のような衣装に身を包んだ人間の体だが、その背におる鴉の翼と顔が、人間ではない明らかな証拠だった。
そんな妖に抱かれる少女は、スチームパンクな衣装を纏っている。
小さな飾りのついたハットに、コルセットの巻かれたワンピース、柄タイツにハイヒールのブーツを合わせている。
少女の右目には、ばつ印の様に白いテープが貼られ、黒く腰まである長いストレートの髪が垂れて風に揺れる。
切りそろえられた前髪の下、紫の澄んだ瞳が四人を捉えた。
「く、クロスさまっ」
櫓の上に居た男が狼狽したかの様に、クロスと呼んだ少女を見つめる。
「その者たちの入村を許可する」
クロスは告げる。
「な……っ、このものたちは素性も知れぬ妖ですぞっ!?」
櫓の上の男が叫べば。
「やかましい。クロス様はこの村の主。主の言葉は絶対である」
鴉男の口が開かれる。
ぐっ、と押し黙った男を一瞥し、クロスは四人を見つめる。
「久しいの」
クロスはくすり、笑んだ。
「……まったくだ」
そういって、クロスの前に出たのは――。
「え、凰伽ちゃん?」
「……まさか」
陰襤と琥珀が声をあげる。
凰伽はそれに応える様に告げた。
「クロスは、昔莱祈の下にいた妖だ。俺とも面識がある」
凰伽の言葉に、虹陽は瞬きをした。
◇◇◇◇◇◇
四人が村に入る。
そこにあったのは、たくさんの旅人たちと村人の姿と、賑わう市場。
かなり豊かな村の様で、あちこちに物があふれている。
珍しいものが並ぶ光景に、虹陽は興味津々という様子できょろきょろと辺りを見回した。
村のあちこちから、笑い声が聞こえる。
今まで訪れた村とは違う、温かで不思議な雰囲気の村。
その村には、ごく自然に、人間と生きる妖の姿があった。
それがとても珍しく――。
「ねぇ、この村って妖も住んでるの?」
虹陽がクロスに問いかける。
抱かれたままのクロスは、虹陽を見下ろして返す。
「はは、珍しかろう。これが莱祈の目指した理想郷のあるべき姿。人間も妖も平等な村」
クロスは自慢げに語りだす。
「ここでは僕が絶対のルールだ。だから、僕は常に正しくあらねばならない。
その点では少し難しい時もあるが、この村では妖も人間もうまく共生が出来ていることが実証できている。君たちが今見ている通りな」
クロスはそう言う。
「……確かに、竜の里とも、今までの村とも違う」
琥珀は呟く。
「へぇ、でも妖って普通他人のいう事聞かないじゃない。なのになんでこんな大人しくできてるの?」
陰襤の問い。
「ここに住み着いた妖たちは、昔から人間と仲のよかった種だけだ。そのため今の所、この村の中では大きな問題はない。
訪れるのも大概は馴染みの商人たちだ。
しかし、外部とでは厄介でな。ここの村の周りには村という村が少ない。
それはこの村から先が所謂北の大地と呼ばれる土地になっていて、寒さが厳しく、村を作りにくい環境の為、あまり周囲に村がないことが原因だ。
故に、山や森で生きる妖たちに狙われやすくてな。その対策として、人間の僧たちやガクたち鴉天狗を守護につかせているわけだ」
クロスに呼ばれ、ガクという鴉天狗は頷く。
「私はその鴉天狗の頭を務めさせていただいております。先程、貴女方の妖気を察知したクロス様は、慌てた様子で屋敷をお出になられ、貴女様方を迎え入れたのです。ご友人とは存じ上げず、無礼な事をいたしましたこと、お許し願いたい」
ガクが頭を垂れる。
「いや、知り合いっても凰伽だけだろ。そんな大げさな……」
琥珀は頭を掻く。
「いいえ。クロスさまのご友人のお仲間とあれば同じこと」
先導していたガクがふと足を止めて四人を振り返った。
「今夜は、クロスさまの御屋敷にて、旅の疲れを癒してくださいませ」
ガクの背後にあったのは、立派な和式の豪邸だった。
◇◇◇◇◇◇
「……ひろーい」
屋敷の中に入り、虹陽はますます表情を明るくさせていた。
長い廊下を行き、たどり着いた先は二十畳はあるだろう和室だった。
窓の外には、縁側と大きな池をもつ日本庭園の綺麗な景色が広がる。
「今夜はこちらのお部屋をお使いください」
ガクは言う。
「えっ、こんな広いとこいいの!?」
陰襤の言葉にガクはひとつ頷きを返す。
「食事は時間に運ばせましょう。布団などのご用意もさせます。この屋敷には広い湯があります。まずはそちらで疲れをお癒しください」
ガクが告げる。
「……なんか、一気に金持ちになったみてーだな」
「あはははは、四人一緒に狭い部屋でとまったり、水浴びしてたりしたもんねー」
琥珀の言葉に、陰襤が笑う。
「凰伽」
と、クロスが凰伽の名を呼んだ。
「お前とは今から少し話がしたいのだが」
クロスの言葉に、凰伽は頷く。
「俺は構わない」
「では、こっちに。ガク。そのものたちを頼んだぞ」
クロスがガクの腕より降り立ち、言う。
「かしこまりました」
ガクは深く頭を垂れた。
◇◇◇◇◇◇
数分後。
「凰伽よ」
凰伽がクロスの後を行き、ついたのは奥にある十畳ほどの和室だった。
二人は正座し、対峙する。
ここまで来るのに迷いそうなほど、部屋は数多くあり、廊下は複雑に入り組んでいた。
ここは、どうやらクロスの自室のようだった。
「……お前は莱祈の失踪後、莱祈の代理として妖の王の座にいた筈では」
凰伽が静かに口を開いた。
「あぁ、そうだ。しかし、王の代理である前に、僕はここの村の主。自分の村の方が僕には大事だったのだよ。
お前も知っての通り、僕は莱祈に仕えても居ない。僕はただ、建国後。
この村で妖と人間の共生を成功させたということで『そのやり方を教えよ』と呼ばれたにすぎん。
まぁ、この村以外の現状を見るに、国全体に守護を置き、掟で共生をさせようとしても莱祈の理想郷は王都のみという訳か」
クロスはクスクスと笑う。
「ところで、お前こそ最後まで城に残っていたのに。何故旅を?」
凰伽を紫の目が捉える。
「莱祈を探しに」
そう答えた凰伽の言葉には迷いはなかった。
「クク、やはり、莱祈が大事か、凰伽よ」
クロスは笑う。
だが、次の瞬間にはその笑みを消した。
「さて……凰伽。本題だ」
クロスは重い口を開いた。
◇◇◇◇◇◇
同刻。
「凰伽とクロスさんどこいったんだろーねー」
ガクが説明をし去った後、虹陽は畳に寝そべり、ごろごろとしていた。
「もしかして、二人……できてたりして」
「いや、ねぇだろ……多分」
陰襤の言葉に、琥珀は呆れながら返す。
「えーっ、わっかんないよーっ。凰伽ちゃん顔は美人だし、意外と気が利くしいい奴じゃーん」
けらけらと陰襤が笑った時、スッと虹陽が起き上がった。
「虹陽?」
琥珀が呼ぶ。
「ちょっとトイレ!」
虹陽が部屋を出ようとする。
「迷うなよ」
と、けらけら笑いながら言った琥珀に対し、虹陽はむーっと膨れながら。
「大丈夫だもんっ」
そう返して廊下を走って行った。
◇◇◇◇◇◇
廊下を歩く。
厠からの帰り道。
「……ほんとに広いなぁ」
虹陽はきょろきょろと辺りを見回す。
少し探検してみたくなって、虹陽は建物の奥に足を踏み入れる。
とある部屋。
襖が少し、開いていた。
「……なんだろ?」
遠目にそれを認めた虹陽は、好奇心で近づいた。
その部屋には、二人の人影があった――。
◇◇◇◇◇◇
「凰伽よ。何故、お前があの紅髪の子と共にいる」
クロスが凰伽を見据える。
「成り行きだ。莱祈が失踪する前、莱祈に頼まれた。あの蒼髪の男は莱祈の友人だという。
その男とあの妖は旅をしていたから、一緒にいる。なんでも記憶がないのだと聞いた」
「……なるほど。しかし、君は気づいているんだろう?」
「……あぁ」
凰伽は瞳を伏せる。
「莱祈が罪を犯した時も、お前は莱祈の隣にいた」
クロスの瞳がきらり輝く。
「俺は莱祈をとめられなかった」
凰伽は言う。
「結果、大きな犠牲が出た」
「莱祈は、そこに大きな箱庭を作り上げた」
「それこそが王都――」
「莱祈が、共生という名を偽りにかたり、造り上げた巨大な生きた実験場」
凰伽が瞳を閉じる。
「莱祈は『罪を償う旅をする』といった」
「しかし、その莱祈は今はどこにいる? 彼の罪はまだ続いているというのに」
「……風の噂すらない。見つけるのは難しい」
「弱音を聞きたいわけではない。凰伽よ」
クロスは小さく息をはく。
「莱祈は、本当に『罪を償う』気だったのだろうか?」
「……と、いうと」
「莱祈の武器はあの口のうまさ。奴がいった事を鵜呑みにしたら騙される――」
「……あいつが嘘ばかりついてる様に言うな。そんなことはない」
「しかし、今回はうまく乗せられた。世界はまんまと騙された」
クロスが瞳を閉じる。
「いや、真に始まるのはこれからだったな」
凰伽は口を閉ざした。
「お前は莱祈につくのか」
クロスの問いに、凰伽はしばし沈黙する。
「……俺は」
「ふふ、ながら愚問だったな」
クロスが笑う。
「凰伽よ。莱祈がやろうとしている事については、理解しているな」
「……あぁ」
「今のお前は止めたいと願うか」
「……できるのならば、そう願う」
「ならば、なんとしても守り抜かねばならぬ」
クロスが凰伽を見つめる。
「あの紅髪の妖、羅天。そして、地羅の二頭を」
クロスが言った直後――。
バタンッ!
勢いよく、襖が開いた。
「……聞いていたのか」
クロスが溜息をはく。
部屋の前に立ち、二人を見下ろしていたのは……。
「……虹陽」
凰伽が小さく名を呼んだ。
「……今の、話……どういうこと……?」
虹陽の声は震えていた。
「僕が、羅天……? なんで、なにそれ――」
「……虹陽」
凰伽が虹陽を見つめる。
「お前は未だ、思い出せないだけだ」
凰伽は告げる。
「ほぅ、記憶がなかったというのは本当だったのか」
クロスが笑う。
「話してやってもかまわぬぞ、羅天」
その言葉を聞いて、虹陽は黙り込む。
そうして、漸く。
意を決したかの様に告げた。
「……返してください。僕の、記憶を――」
「いい眼だ」
怪しく笑んだクロスが虹陽を側に招いた。
部屋の襖がパタンと閉まる。
◇◇◇◇◇◇
「……遅いな」
虹陽のことを言っているのだろう。
琥珀は外を見つめている。
「うーん、まぁ大丈夫じゃない?」
なんて、陰襤がけらけらと笑っていたけれど――。
「……胸騒ぎがするんだ」
琥珀は言う。
なにかが、動き出している。
そんな気配がした。
◇◇◇◇◇◇
同刻。
森を走る獣がいた。
白銀の毛の、一頭の狼だった。
首には金色の環を嵌めている。
長く美しい毛をなびかせて、木々の間を駆け抜け、倒木を飛び越える。
風を纏ったかのように。
疾走する獣が目指していたのはとある村だった。
間に会え――。
どうか、すべてが闇に変わる前に。
狼はただ走る。
紅の真実
虹陽が、凰伽の横に正座する。
「これから僕が語る物語は、すべて現実だ」
クロスはそう言い、語りだす。
「皇暦000年より前。そう、今から百三十年以上昔の話。
この国には、二つの種族がいた。
人間に“アヤカシ”と呼ばれた、所謂我ら妖怪の元と、人間だ。
“アヤカシ”は闇の住民だった。逆に人間は陽の元で生きる光の種族。
人間はもとより欲深く、業の深い種族であった。
それ故、古来“アヤカシ”は人間に利用され、人間に見世物にされ、人間の支配下にあった。
それは一方的な支配だった。古来の僕ら“アヤカシ”は人間の言葉を話せなかった。
そして、術も使えず、戦う武器も生まれ持たない。
ただの獣同然の生き物だったのだよ。だからいくら泣き叫んでも家畜の様に扱われ続けていた。
そんな中、一部の“アヤカシ”に突如変化が現れた。
先祖に人間と交わった者がいた家系の“アヤカシ”が純血の“アヤカシ”と交わるうち、その中に人間と同じ高知能を持った“アヤカシ”が一頭、また一頭とうまれてきたのだ。それは人間も予想しない進化だった。
しかし、それでも“アヤカシ”は“アヤカシ”。家畜の様な扱いは変わる事がなかった――」
クロスは瞳を閉じる。
「“アヤカシ”というものは元々、成仏できない人間の霊が化け物と化した者たちの成りの果てであった。
人間に捨てられた襤褸にその魂を宿らせたり、生き物に宿らせ“アヤカシ”となっていたのだ。
死しても、人間というものは変わらんな。
高度な知能を徐々に得だした“アヤカシ”が次に会得したのは僕らが常に使っている妖術と呼ぶ戦う術だった。
妖術とは言ってしまえば自らの持つ気の力を物質化したり、その力を自然の力と合わせ、雷や風を操る力にし、また気の力を使うことにより、人間と同じ様に姿を真似ることも覚えたのだ。
こうして戦う術を身に着けた“アヤカシ”たちは、人間の悪政より逃れようと決起した。
莱祈と呼ばれる、たった一頭の妖の指揮によって――」
クロスは言う。
「ちょ、ちょっと待って。“アヤカシ”は人間に無理矢理従わされていて、莱祈はそんな人間に復讐しようとした……ってこと?
莱祈って、人間と妖の共生を目指して戦争したんじゃなかったの!?」
虹陽が声をあげる。
「まぁ待て、焦らずとも話してやる。
莱祈も、元は人間に従わされ続けていた一頭だったのだ。人間を憎んでいて当然だ。
やがて莱祈の率いる“アヤカシ”たちの軍は、人間を食い殺す獣に進化をしていった。
人間を殺し、人間の血を浴び、その名を轟かした莱祈をはじめ、人間は“アヤカシ”を恐れ始める。
そして人間は身勝手なことを始める。そう。今まで好き勝手に家畜扱いしていた“アヤカシ”を次々殺戮し処分していった。
莱祈をはじめ“アヤカシ”たちは怒り狂った。
だが、高知能を持つ“アヤカシ”の数は人間より圧倒的に少なかった。
人間に狩られる一方だと悟った莱祈の一軍。そして彼は思わぬ行動に出る。
『人間たちと同等の知能を持った“アヤカシ”には、特例として共生を』と、そういう風に人間に掛け合い始めたのだ。
初めは誰も信じなかった。あの人間を狩り、暴れていた妖たちの言葉だ。それも当然だっただろう。
しかし、莱祈は人間に罵倒され、叩きのめされても『共生』を願い出た。
それが何年も続いた時、人間たちは莱祈を信じる事にした。
それが共生派の誕生の第一歩。
しかし、そんな莱祈の姿を悪く言う妖の一派が現れだした。
同じく高知能を持つ妖の一派、後に反共生派とされる玖羅王の一派だった」
クロスがゆっくり瞬きをする。
「玖羅王は莱祈に言った。『血迷ったのか。この悪政をただす為、我らは決起したのではないか』
莱祈は答えた。『恨みはどこかで絶たなければ、永遠に悲劇を繰り返す。俺らが人間を狩り、人間を支配した所で同じことだ』と。
玖羅王の一派はそれに納得しなかった。数は圧倒的に玖羅王の一派が多かった。
そうして亀裂は大きくなり、やがて“アヤカシ”による戦争が始まった」
「……それが、王都を作るクレーターの……」
虹陽の言葉にクロスは頷く。
「戦争は日々共生派が劣勢になっていった。
そうして、戦争が終わる運命の日が来る。ある夏の暑い日の事だった。
莱祈は自身につき従う“アヤカシ”たち以外のすべての“アヤカシ”をこの大陸より殲滅したのだ。
それが、クレーターのできる原因となった莱祈の渾身の攻撃だった」
虹陽の目が見開かれる。
「生き残った妖は、数えるほどしかいなかった。
わかるか? 大陸からすべての“アヤカシ”を消したという罪の重さが」
クロスは言う。
「……消した、って……ちょっと待って。じゃあ、今大陸にたくさんいる妖たちは!? それはどこから――」
「……莱祈が生み出したのだよ」
クロスは告げる。
「動物をベースに、莱祈は玖羅王、羅天、地羅という三頭の特別な妖の膨大な気の力と大陸に流れる気を使い、人間や動物たちを今の妖という新たな化け物に造り変えたのだよ。
……これこそが現在妖と呼ばれる種族の正体だ。
そして、その妖たちには各々に戦う術を生まれながらに与えた。
自身の気を物質化させ、武器にさせる能力。それこそが僕らが持つ生来武器。勿論、この術は生き残った妖たちにも与えられることになる」
クロスの言葉に、虹陽は鼓動が早まるのを感じていた。
『皇暦000年、この国に二人の王が立ちました。
人間でありながら、妖術の様に不思議な術を自在に操るたった一人の魔導師、炎彩。
反共生軍との戦を勝ち、共生の道をその炎彩と示した妖、莱祈です。
しかし、その国が出来る前、今の王都を囲むクレーターを作ってしまうような巨大な戦がありました。
その時からです。古来から妖として語り継がれてきた者たちと、今現在、妖という種で括られる我々とがまったく違う存在になりだしたのは。
今現在、物や植物が妖と成ることはありませんね? つまり、現在生きている妖と、古来から伝わる妖には少し違いがあるのです。
文献や話を聞くにあたり、行き当たったのがこの国の建国時なのです。
神話で共生派と反共生派が争い、クレーターを作った戦の直後を境に、我々妖という種族には何らかの変化が起きていた筈なのですよ。
古来の種とはまた違う種の妖ということになります。
昔、妖と呼ばれていた者は、今の我々妖の様に、生来武器なども持ってなかったと伝えられています。
生来武器というものを持つ、妖と呼ばれる獣。古来の文献とは少し違った種族――』
雀李の言葉を思い出した。
「じゃあ……今まで、僕たちが接してきた妖たちは……もともと人間や動物たちだったというの――?」
虹陽の顔が青褪める。
「あぁ。元々は、な。しかし、知っての通り彼ら妖に造られたという記憶は一切ないのだよ」
クロスは頷いた。
「さらに恐ろしいのは、この話の続きとなる物語を、莱祈が造り上げようとしている事にある」
クロスは続ける。
「『共生』を謳いながら、莱祈の頭にあったのは人間に対する復讐だった。
莱祈は王都を造りあげ、人間の王をたて『共生』の第一歩となる始まりの大地、大陸中心部のクレーターに大きな街を作り上げ、住民として人間たちと共生に賛成した心優しき妖たちを集めた。
しかし、それは表向きだけの告知に過ぎない。
莱祈は、その国に住民たちが十分な数住み着いたことを確認すると、天を塞ぎ、街を塞いだ。人工の厚い壁によって。
そうして入口をひとつとし、天上には人工的に空の景色を投影させた街を造り、住民たちを事実上街に閉じ込めた」
「……そんなことして、なにになるの……?」
虹陽の問い。
クロスがにやり、嫌な笑みを浮かべる。
「王都の中央の地下街には、玖羅王が封印されている。その玖羅王の力と住んでいた妖を使い、莱祈は……王都に住んでいたすべての人間と妖を融合させ、人間を妖に変えていったんだよ」
「っ、そんな――」
「人間から妖を造るというのは前例がなかった。噂では失敗作も多く生まれたらしい。
人間から妖にさせられた者たちも、基本的に人間だった記憶をなくしている。ただ、人間たちから作り出された妖たちには妖としての能力の成長などを監視する為、全員の項にバーコードがいれられている」
「で、でも……王都には、人間の王様もいるんじゃ――」
「そんなもの、いやしない」
クロスがきっぱりと否定する。
「人間の王として君臨する炎彩。奴は確かに妖ではない。しかし、人間でもない。
あやつは……炎彩とは、莱祈らが愛し合っていた二頭の妖。羅天と玖羅王。二人の細胞から造りだしたホムンクルス――。
元々知能は高いが、人間よりは低い。
魔導と言う不思議な力も妖術と同じ仕組みにすぎないよ」
「……それじゃ、莱祈のやってることは……」
「共生とは名ばかりの、人間への復讐だよ」
クロスははっきりといいきった。
虹陽は、その話を受け止められなかった。
そんな話、聞きたくなかった。
「……羅天は」
クロスの話が終わったのを認め、凰伽が口を開く。
「羅天からは、俺がその記憶も、羅天として持っていた能力も封じた。莱祈の、命だった……」
凰伽が瞳を閉じる。
「お前の背の傷。あれは俺がつけたもの。そして、その十字架の真ん中に、莱祈の妖気を固めた欠片が入っている。
その欠片がお前から、羅天の能力と記憶をうばっているものだ」
「……凰伽は、その事実を知りながら……莱祈と行動していたの?」
虹陽の問いに、凰伽は沈黙を返す。
「……なんで。なんでとめないの」
「なんでとめなかったああぁぁぁぁっ!!?」
怒号一発。
虹陽が凰伽を押し倒し、胸に馬乗りになる。
そして生来武器を手に召喚。
その長剣の切っ先を凰伽の首に当てる。
ツー、と皮が切れ、凰伽の首から血が垂れた。
凰伽は、瞳を閉じる。
「……すまない」
凰伽の言葉に、虹陽は刀を持つ手を震わせる。
「……前時代。人間の悪政から逃れようとした第三の一派がいた」
クロスは虹陽と凰伽を見つめながら言う。
「その一派は、この世とは別の次元に世界を造り、その場に村を造って平和に暮らしていた」
クロスは続ける。
「その国を他人は“異国”と呼んだ。“異国”の妖は独自の文化を持ち、この世界の争いには参加していなかった。
しかし、莱祈はそんな一派を……“異国”の妖たちも、反共生派とみなし狩りだした。
その凰伽こそ今は無き幻の妖の楽園“異国”の唯一の生き残りの妖。
まだ幼かった凰伽の村も襲われ、凰伽自身死にかけた。
しかし、莱祈は気まぐれに彼を拾って側で育てた。
物心つく前の話。つまり、莱祈は凰伽の敵である前に凰伽の育て親でもある。
つまり、彼も被害者だ」
「……言い訳にしかならない。それがただしいと思っていた。信じていた。王都しか、世界を知らなかった。
外に出て、初めて知った。俺らの過ちに気が付いた。だから、俺は必死に莱祈を探している。しかし、見つからない」
凰伽の言葉に、カランと虹陽が刀を落とす。
「……もう、わけがわからないよ……。すべては……すべては、莱祈が悪いの?
……いや、違う。元々は人間……でも、それだとまた繰り返して――」
「……わかったか、羅天」
クロスが語りかける。
「答えは、残酷な道しかないのだよ」
◇◇◇◇◇◇
「……しかし、妙な気分だな」
琥珀は言う。
陰襤と二人きり。
沈黙が苦しいのか、琥珀の口数は珍しく多い。
「お前がいった通り。何故この村では妖と人間が平和に暮らせているんだ?
いくら『妖と仲のよい種族しかいない』っていっても、人間は嫌がるだろ。
この村では妖は妖の姿のまま闊歩してる。
人間は妖を恐れていないのか?」
琥珀の問いに、陰襤は小さく息を吐いた。
「……琥珀ちゃん。なんでも知りたがるのはよくないよ」
ごろごろとしていた陰襤は身体を起こす。
「……どういう意味だよ」
「真実を知ったら、心が壊れる時もあるってことさ」
陰襤は笑う。
「受け止める覚悟はあるかい?」
陰襤の言葉に、琥珀はまっすぐに陰襤を見つめ、沈黙を返す。
それを肯定ととり、陰襤は頷いて語りだす。
「それは、この村の妖の遺伝子に秘密があるんだ」
陰襤は言う。
「これは莱祈から聞いた話だから本当だと思うよ。
この村の妖は、人間に攻撃しようとすると死んでしまうんだ」
「……は?」
琥珀は片眉を跳ねあげる。
「処刑される、とかではないんだよ。
ここの村に今住んでる妖たちの祖先たちとなる妖の遺伝子に、長は、人間に攻撃できないように細工した遺伝子を組み込んだ。
人間を攻撃できない妖。つまり、人間に逆らえない、人間と戦えない、武器をもたない妖を意図的に造ったんだよ」
陰襤が笑いながら言う。
「……長って、あの女の子が……?」
「彼女は莱祈の友。莱祈の一派の生き残り。そしてここは、第一の実験施設だったんだ」
「……第一の、実験?」
「莱祈の真の姿を知りたいかい?」
陰襤は問う。
その新緑の双眸は、怪しくほの暗い光をともしていた。
◇◇◇◇◇◇
獣が道を駆ける。
あと少し。
もうすこし――。
視界が徐々に開ける。
そうして、行きついたのは、北の地区の入り口の村。
莱祈の国、王都の様に。
厚い木の壁に覆われた村の入り口だった。
莱祈
話が終わる頃には、外はすっかり陽が落ちていた。
他の部屋に灯りが灯りだすが、琥珀も陰襤も話し込んでいたせいか、二人の部屋に灯りはつかない。
「……王都が、人間に復讐する為に造り上げられた……実験場?」
琥珀には自身が冷や汗をかいているのが解った。
こんな話、信じられるか……いや、信じたくなかった。
「冗談、だろ……」
「いいや。残念ながら、これが世界の真相。莱祈の罪」
陰襤は瞳を閉じる。
「この村の妖の遺伝子を変化させる事に成功したのも、元は彼らのベースとなった生き物たちがいたからだ。
それぞれのベースとなった動物の遺伝子を改造し、また妖に組み込んでしまえば大人しい妖の完成。
莱祈のやった王都の例とは少し違うけれど、これも莱祈の行った実験のひとつ。その結果生まれた村。外の世界で唯一の莱祈の実験場」
陰襤の言葉に、琥珀は蒼褪める。
「……そんな」
震える声で、琥珀は言う。
「……まさか、そんな……こと……」
確かに、今の話が本当ならば。
雀李たちの言葉も納得がいく。
しかし……なんだろう。なにかが、ひっかかる――。
「なぁ、陰襤……」
琥珀が陰襤を呼ぶ。
「んー?」
いつもの様に、彼は笑っていた。
「お前は……何故そんなにも、なんでも知っているんだ?」
琥珀の問い。
陰襤はにこり、笑う。
「やだなぁ、いったじゃない。俺は莱祈の友人なんだって。
そして、友人である前に俺と莱祈は同じ意志を持っているんだから――」
陰襤はそういい瞳を閉じた。
「……同じ、意志……?」
「どういう意味か、って顔してるね」
陰襤は笑い、スッと立ちあがる。
「……おい」
「羅天は我が手にあり、地羅もこの地に集う。三頭が再び集まる時。新たな物語は始まる」
詩の様に歌った陰襤が、その場で自身の耳についたピアスに手をかけた。
その光景を食い入るように見つめる琥珀――。
刹那。
陰襤が、勢いよくピアスを引きちぎる。
裂かれた耳朶から血が滴った直後。
陰襤の姿は変わる――。
「やぁ、はじめまして」
陰襤の声で、陰襤ではない彼は言った。
耳から滴る血をものともせず、陰襤だったそいつが、ピアスを畳に落とす。
「俺はこの国の妖の王――」
黒いフードを被った彼が、フードを外す。
琥珀には、目の前の出来事が呑み込めなかった。
「お、まえ……は……」
「俺の名は、莱祈。ね、琥珀ちゃん。俺は注意してあげただろ」
暗い部屋の中、太陽の様に輝く美しい彼は嗤う。
「知りすぎるのは、よくないって」
刹那――。
琥珀の眼前に、瞬時に間を詰めた莱祈。
驚き、固まった琥珀には、思考の処理が追いつかず――。
琥珀の腹部を、莱祈の腕が貫いた。
「がはっ」
琥珀が血を吐き、莱祈の腕が抜かれると同時に畳に倒れる。
琥珀の腹部には、大きな穴が開いていた。
内腑が崩れ落ちる様に動いて、大量の血と共に飛び出す。
「旅もおしまい。あきちゃったもん」
莱祈は笑って、琥珀の横を行こうとする。
琥珀は朦朧とする意識の中、左手で莱祈の足首を掴む。
視界がかすむ。
止めなければ、彼を――。
ヒュー、ヒューと息が掠れる。
足を止めた莱祈が、足元の琥珀を睨む。
「君に用はない」
グシャリ。
なにかが、潰れる音がした。
「うが、ぁあっ」
掴んだ腕を、莱祈に踏まれた。
畳にめり込んだ腕が、肘から先で突如はじけた。
鮮やかな紅色が弾け飛び、畳を汚す。
白い骨は粉々に砕け、小さな塊が肉塊の間から覗く。
莱祈の術だろうか。
琥珀の腕は、肉塊と化す。
血のついた足跡を残しながら、莱祈はその部屋を去る。
血だまりに遺されたのは、一頭の狐だった。
◇◇◇◇◇◇
「!」
ごく近くで妖術の発動を察知する。
虹陽と凰伽が同時に立ち上がり、クロスは目を細める。
「……なに、この感じ――」
虹陽が冷や汗を垂らしながら告げる。
強大な妖気が、こちらに近づいてくる。
感じた事のない、強大なものが――。
「……これは」
凰伽が小さく呟く。
そして――。
「逃げろ、虹陽」
「えっ」
「早くっ!!」
凰伽が怒鳴る。
虹陽はハッとしてそれに従うように部屋を飛び出した。
妖気が近づく方とは逆に、虹陽が薄暗くなった廊下を駆ける。
ギシ、ギシ。
廊下の木材が啼く。
クロスと凰伽の居る部屋へ、妖気の主が顔を出す――。
耳を裂いた、莱祈。
その身体を濡らし漂う、莱祈の血とは別の血の香。
「……やぁ、凰伽ちゃん」
莱祈が笑う。
「……お前、その……声は――」
凰伽が目を見開く。
莱祈の声ではない。
その声は、陰襤の――。
「けほっ、けほっ、あー、まだ声まで戻るのは時間がかかるみたいだねー」
けらり、莱祈が笑う。
「……どういう……」
「陰襤という架空の妖になっていたのさ。姿は勿論、声帯すら変えて」
にこり、莱祈が笑う。
その声が徐々に変わっていく。
「風の噂を聞かないのも当たり前だ。莱祈という妖は、俺が陰襤だった間完全に失踪していたのだから」
莱祈の笑みが、背筋を冷やす。
「……じゃあ、お前は……虹陽のことを知っていて……旅に誘って……」
「うん、そうだよ」
莱祈が無邪気に笑う。
「琥珀ちゃんまでついてきたのは予想外だったけど、彼ぐらいならすぐに消せるし問題ないと思ってたから」
莱祈がひらひらと血に濡れた手を振る――。
「まさか、お前――」
凰伽の脳裏を、恐ろしい結末が過ぎる。
「さぁ、凰伽。おしゃべりはおしまいだ」
莱祈がぱんぱんと手を鳴らす。
「クロスもこの村の管理、ご苦労様。変化はなさそうで安心したよ」
「莱祈。君も変わりないな」
クスクス、クロスは笑う。
「お前は……仲間を殺しといて、笑えるのか……」
凰伽の瞳が揺れる。
「仲間? そんなこと一言もいってないよ」
莱祈は笑い、続ける。
「ほら、なにしてるの凰伽。羅天が逃げた。捕まえて。地羅の捕獲は俺がいく。屋敷は借りるよ、クロス」
さらりと告げて、莱祈が二人に背を向け、廊下を歩きだす。
「ま……っ、莱祈っ!!」
パァンッ!
凰伽の言葉を遮る様に、莱祈は強く手を叩く――。
◇◇◇◇◇◇
同刻。
「待て! この先の村には一歩たりともいれさせぬ!」
門番の僧が、一頭の妖を櫓の上から見下ろしていた。
ごうごうと、松明の炎が揺れ動きながら櫓の上から辺りを照らす。
大きな門の前にいたのは、一頭の妖狼――。
その狼は、瞬きひとつで青年へと姿を変える。
「我が名は、皇我。炎彩に仕える妖」
皇我が、門の前で名乗りを上げる。
「お待ちしておりました」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ。
地面が揺れて、門が開く。
「ようこそ、クロスの元へ。ようこそ、莱祈の第一の村へ」
門の向こう。
村の敷地内で深々と頭を下げたのは、ずらりと整列した鴉天狗たちだった。
◇◇◇◇◇◇
同刻。
「……莱祈」
そこは、王都。
中央部にある王宮の地下。
王以外、立ち入ることが禁止される場所。
全てのはじまりとおわりの間――。
大陸全土の龍脈が集まる地。
鍾乳洞の様に、王宮の地下に広がる洞窟の空間。
その空間を、炎彩は杖の先に発動させた仄かな光を生み出す魔法により照らす。
洞窟の中央。
直径十数mを誇る巨大な岩の柱がある。
その柱を前に、炎彩は足を止める。
岩でできた柱に、埋め込まれるように。
人間の身体の様なものが浮き出ている箇所があった。
華奢な身体、膨らんだ胸、長い髪、尖った耳。
左の額より伸びる一本の角。
岩に覆われたその身体から、わかるものは怒鳴っているかのように、吠える獣のように。
鋭い牙をむき出して、大きく口を開け、その人間が苦悶の表情を浮かべていることだけだった。
その柱に埋め込まれている者の正体を、炎彩は知っている。
「……玖羅王」
かつて、神と呼ばれた獣。
「……あなたの手にこの世界が堕ちていたら、なにが変わっていたのでしょうか――」
世界は変わる。
莱祈という、ただひとりの妖の手で。
誰もが望まぬ方向へ――。
これは、莱祈の復讐劇。
そして、これはまだ序盤。
「……どうか、止めておくれ」
私を殺してもいい。
だから――。
この世界が変わる前に。
今度こそ。
あの、悲しき妖を止めておくれ。
そう、願う事しかできないから。
炎彩は独り。拳を握りしめる。
With light and darkness