百合
例えば、耳が聞こえない人と目の見えない人が一緒に生活したらどうなるんだろう、と思った。
ひとりは声でひとりは手話で、ああもう考えただけで頭おかしくなりそう。
他人と住むって少なからず頭おかしくなりそうなことなのかもしれないとわたしは思う。
いま同居してるひととの生活は逃げたいくらい苦しいわけでもめちゃくちゃ楽しいわけでもなく地に足つけてどうにか成り立ってるかなと思う。
ただそうしてるとなんとなく、いままでこの辺を指してた針が傾いてくのがわかる。こう、20が22になる感じ。多分あっちもそう。普通が歪む。でもその歪んだ普通も誰かにとっては正しい普通だからいちいち考える方がおかしいのかも。
信頼関係とか協力とか、わたしにとってそんなのは重要じゃなくって、ただ直感ですきと思うか嫌って思うかのどっちか。
このまえあっちも「僕は何も信じないけど何も疑ってないよ」って言ってた。あと、「因果関係について最近考えすぎじゃない?」とか。
直感ですきと思ったのは慰め方。
初めて駅で会った時わたしは泣いててあっちは心配そうに遠くから見てた。そのあと「どうしたの?」って言われたけどなんで泣いてるかわたしにもわからなかったから「わからない」って言ったら「僕も泣いていい?」って言っていきなり隣で泣き出した。ふたりで訳もなくしくしく泣いてそのあといっぱい好きな歌を教えてくれた。
あとになって「あなたもあのとき悲しかったの?」って聞いたら「汚い駅で可愛い女の子が綺麗に泣いててもったいなくて申し訳なくて・・・」とかなんとか言っていた。
わたしたちはよく泣く。しくしく泣く。その声が部屋に響くとまた悲しくなって22が25になる。
「百合ちゃん」
わたしの名前は百合、あっちの名前は紺。
「散歩行こ」
近くには橋がある。そこを夜に歩くのがわたしは好きだけど紺は昼間のほうがいいっていう。今は夕方。
「今日は魚見えるかなー」
紺は魚を見るのが好き。わたしは水を見るのが好き。
「百合ちゃんって百合っぽいよね。白くて細くて節がなくて、ほら、影が百合みたいじゃない?」
「じゃあわたしはちゃんとしないとね。」
意味わかってんのかわかってないのか知らないけど紺は頷いた。
百合は腐るとそこらへんの草花よりひどい匂いになるらしい。だからちゃんとしなさいよと、わたしは昔から言われていた。
家に帰って雑誌を見ていると紺が横から覗き込んできた。
「百合ちゃんどれほしい?この中だったら」
紺はよくわたしに服やら靴やらを買ってくれる。しかもいきなり勝手に買って帰ってくる。本人曰く「サプライズがしたいけど一応趣味は押さえておきたい」らしい。
「これかなあ、でもピンクより白か黒が可愛いかな。」
「なんで?百合ちゃんピンク好きじゃん」
「好きな色と似合う色は違うもん」
「えー、似合うよこれ、ねえ、買ってきたら着る?」
「サプライズにしたいんじゃなかったの?」
ああそっかと笑いながら紺はわたしの膝に頭を乗せて横になった。
わたしはいろんな感情をできるだけ口に出さないようにしている。
わたしが何か言ったら紺の針を動かしてしまう。紺は多分紺のままでいい。優しくてかっこいい男の子だから。
髪の毛を撫ででいたらいきなり起き上がって、
「百合ちゃん」
と言った。
見透かされていそうで怖くて目をそらした。
「百合ちゃんはさあ、どういう子供だった?」
と紺が聞いた。
「わたしは、わたしは、別におもしろくないよ、普通の子だった。」
「普通って。」
ちょっと怒ってるみたいだった。
わたしは必死で思い出した。
「えっと、でもなんかちょっと変だったかも。死んだスズメバチを裸足で踏んで足の裏がパンパンになったり、おんなじ本を延々と読んで暗記したり。思春期に入って、いろんなことあってはやくおとなにならなきゃいけなくて、んー、割り切らなきゃいけないことに囲まれてて。わがままとか上手な甘え方とか、親からのうっとおしいくらいの愛情とか心配とか、わかんなかったな。夏が嫌いであんまり外に出ないから怒られたりしてた。あなたは繊細すぎる、いろんなことを細分化しすぎる癖があるからもっと肩の力を抜きなさいって何度も言われたけどどうしてもできなくって、なんか、わたし多分大して変わってないのかもしれない、ねえ紺くん、わたしおとななの?」
紺は困ったように笑ってわたしを抱きしめて、「子供」と言った。
「百合ちゃんはさ、火を消したあとのフライパンでやけどするしおんなじ小説ばっか読むし思ってること隠そうとするし甘えるの下手だしひきこもりだし、おとなになったと思うほうがおかしいよ。どうせ僕のこと子供だって思ってたんだろ、ちょっとしたら飽きてまた別々になると思ってたんだろ。」
「うん。」
涙は出なかった。
「百合ちゃんのほんとにすきなものなに?」
「・・・水、夜、お月様が川に映るのが綺麗、あまい紅茶、チョコレート、服やさんの匂い、お母さんの指、紺くんの喉と胸と顔、夜中のラーメン、霧、黒猫、しゃぼん玉、レースとリボン、あとピンクのワンピース。すごくすきだけど、だから言いたくなかった。わかってもらえなくても好きだけどわかってもらえなかったら悲しいから。」
「わからないとおもった?」
紺は泣いてた。
わたしが全部間違ってたと思った。全部やり直しだった。
いままでしたことないくらいつよく抱きしめたらまた泣いてた。
泣いてる紺もすき、って耳元で言ったらわあわあ泣いた。
わたしは知らないうちにこの子をいっぱい傷つけていたんだなあ。
目が見えるからって、耳が聞こえるからって全部見えたふり、聞こえたふりをしてたけどそんなの全然良くなかった。
これからはいっぱいはしゃいでメモリと針の因果関係なんて考えなくてもいいくらい忙しくしよう。
「百合ちゃん、明日ワンピースのお店行こうよ。」
紺が涙を拭いながら言う。
「それで、全色試着してみてさ、全色似合ったら全色買ったげるからさ、そしたらいっぱい着てよ。」
「うん。」
「絶対百合ちゃんピンク似合うからさ、行こうね。」
「うん、ありがとう。行こうね。」
百合