忘却の彼方に

忘却の彼方に

ポスト・モダンの手法で描かれる幻想の街。そこに現れる怪しげなパーティ、パブ。夜の街を知りたい人のための初歩的夜遊びガイド。

1.
 「地下日日新聞」に「忘却の彼方に」という小説が連載されると聞いた。風の噂ではある医師の記憶を発掘するある医者が居り、彼の長い間封印されていた記憶を呼び戻す作業をおこない医療の謎を解こうと試みた、という小説らしい。どこで発行されている新聞かわからず、ぼんやりと停車場でその分厚い本をひろげてみた。その本の推薦文に「加茂川光太郎氏推薦」とあつた。内心「どうせこんな本は贋物だろう」と思い、その本を開いてみる。最初に不思議な言葉があり、「改版序」をぬかしてながめて見ると不思議な記号が多用されていた。「改版序」にこのような言葉があつた。


「この都市は、記号と配色によつて構成されている街で、束縛され解放れたりすることに無上の歓びを感じる“自由な熟年世代”および“平成初頭の世代”にささげたくないが、ささげたい気持ちもあり、その世代と犬猿の仲であつた“団塊の反抗的世代”にささげたくないような、ささげたい気持ちもあり、その世代の息子世代、おそらく砂漠化した空間の隙間の光に無上の喜びを感じる“分析かつ論理的、深遠な知を求めるであろう世代”にささげたくないような、ささげたいようなそんな物語である。」



「ノコギリの階段/風を感じる/大阪に行くとある新聞社の煙草の箱のような立派な社屋が見える/何色にも代え難い/この都市の配色はかつて原色だつた。/私はカンカン列車の近郊におり、お□□様のような/廃工場の煙突をながめる/名門会社の面々と筆記試験/狂人/便所のかおり/「狂的体質」/「あの頃はご政道に関心を持たなくて日曜に自由にのんびりとできた」/「私を罰してください。管理人さん」/犯罪がおきる/執念深い購読料取立人。NHK偉いと思つた。新聞販売員「張り紙とマジック、セロハンテープ」賢いのか愚かなのか理解しがたい/ 鯛焼き「志向性の問題」/水に弱い/野イチゴ」


時代の変遷を微妙な筆で描いている。不思議な小節だつた。どこの都市かおおよその検討がついたがため息をついた。


2.
どんな作品であるか想像してみる。呆然として空中をみると風にまって、新聞の切れ端がとんできた。ヤツとつかむと、その新聞にはこうあつた。


「不思議な音色だった。笛の音であろうか、お狐さんを想像させる音声が旧制高校の枠争いに敗れた敗北者を受け入れるとき必ず事件が起こる。背後に父母会の愛情あり。疎外された本人は震える。これ教育非対称性の法則」


思春期につきものの当り前の風景じやないか、医者でもご気楽な商売の方の懺悔録に違いないと、本に没頭しようとすると、少年が私にしきりに問いかけてくる。「あのねー。うちにわねー」一人寒風に吹かれている私に対して彼女なりの情けをかけてくれているに違いない。昔はこのような男とも女ともつかぬ少年はいなかつた。かつての大勢の腕白小僧の姿を思い描いて、無言でその言葉を聴く。



「この都市はいま灰色の街と化している/しかしながら、どこか昔の情緒をたたよわせている。私はかつてカンカン列車の近郊におり、お□□様のような/裏通りの店を閉めることに/「殉死」/くだりの坂/明らかに退廃的なかおりがただよう/店舗を閉めようとした蕎麦屋/「狂的体質」/「ナイトシアター鑑たいのですが」/「やっとらん。午前と午後間違えるな」/風呂場のとなりに/執念深い白服の人/「危ない人か思もた」/ □□□□木材店/水に弱い/ゲンが悪い。「気味が悪い」「何であんなに歩いとるんや」「なんかの修行中や」「もう二度とくるな。阿呆。なんだんねんあの男?」/死骸に大量の猫が反応し港湾局職員驚く/奇怪な男がいた/ゴルフ場で食事摂る/警察用の自動車がとまる」



「過程だけ楽しむ男」。「アカンやないか」。「これが愚の骨頂いいまんねん」。「死のかおりがただよう」。「海をくさい漁船でわたるんちゃうんか」。「外で遊ばんかい」。「まあエエんちゃうか。そういう奴やで」



参.

老境に入ると私のように入場切符だけを買つて、かつての田圃の畑のならびをしのび寒風を素肌で感じ空想にふける、そういうことだけにこころの楽しみをおぼえる。子供はいわば私のこころの造型物いやヤジウマとでも言ってよいのではなかろうか。今度は青年といおうか壮年がやつて来る。


「おつさん暇やろ。おもろいから、これ読んで、座布団にでもしといてくれ」



「くだらん。やめろ。お前たちが讃えている小説をよませてくれ」



「これや」



「この非対象をどのように自己で克己するか(一.兄弟を作る、(二.親子で教育費の高さとその内容を引き換えに報告義務を課す、(三.何らかの動物を飼つて遊ばせておく、(四.仲の悪かった友人にPTA肝いりで仲間に入れてもらう、(五.精神科医は怪しくないと説得し金銭を使って診療内科に行かせる。(但し医師から親への報告義務あり、云々」


あまりにも初歩的でくだらない理論であるし小説ではないので、



「これは小説ではなく家族相談の欄だろう」



と内心、学生のこころづかい、いやなんというかその青年の懊悩のはけ口として私にかりそめの優しさをみせる。けしからぬことだと憤激しながらも面には出さず、しずかなこころを保とうと、小声で「小説みせてくれー」と風に声をはこんでもらつた。



 次ににやにやした青年らしい青年がやつてくる。



「これです。先生」



内心、ウムとうなずきながら、その文章を拝読させていただいた。



「私の高校の学士号は"鳥はなぜ人の声をまねるか"」


「君は自己顕示欲が強いようだねえ」


「内容を読んでください」


「催眠療法は危険であるかどうか、私には専門外なのでよくわかりません。わたしも被験者として語らせていただきますが、こころに一点の曇りがあればそれを吐き出してしまうように、また薬物に頼らないように、山伏および修験者のように山を歩きまわることをお薦めします。叡山はきちんと正面から登ること。これは必須条件。ロープウエイは、既に廃止されてしてしまつたので、裏山から登ると土地の人から最も軽蔑される。関西の山々(高野山も含む)は、観光客が多く山がすり減るので登山は一度にする。中国地方の大山もすり減つて来たようだ。だから東北へ行く(冬季にゆくのは危険)。
 私の叡山初登山。あれは皐月のことでございました。滋賀県は琵琶湖の風を受けとても寒いところだと聞いていたので、晩夏になればジャンパーとベスト。これを常に携帯すること。くれぐれも坊主に神学論争をいどまれても無視すること(これ絶対条件)」

4.
「君の体験記かね」


「懐にしまっておいてください」


まともな青年もいるが、わたしの姿をみてこころのなかで嗤つているのがよくわかる。大学生にありがちな行為だ。再び書物に眼を落す。長い小説。エエんか?この長さが。


「この都市はゆるぎない停滞を/健康なご老人が/将棋に腰掛て/ところどころ昔の情緒かんじさせる。/私はカンカン列車の近郊におり、どこかのお□□□様のような/軽食を高い値段で買つた/能力が高い/数学解けるか否かで/工場の管理/「狂的体質」/「3次元映像の恐怖」/「あんまりかわらんと思うな」/風呂場に霞のような男/扇風機と体重計/「危ない人か思もた。」(わしもそう思た)/エエなこの情緒/昔、痩せ細つて死にそうな時/忙しい人がわざわざ/倉庫のあいだ/風が吹く/人の気配」



河岸をかえてみた。コンクリートの巨大な谷底のような溝。おそらく呑んだくれが最終列車に乗り遅れたのだろう。大勢の世を諦めた青年がたむろしている。赤茶けた新聞が浅い側溝のなかにあつた。評判の小説を求めて拾う。その新聞のシワをのばして拡げてみるとこうあつた。



「性化を求める時代、青少年を幻惑させるように生物学の倫理にもとることをしてもよいのか非常に悩んだ。異能の人が如き“倫理と諧謔の間”の苦悩を感じなければ、この大衆の熱き欲望に応」「九十年代、頽廃したこの街に足を踏み入れた時、ポルノ映画の針金をとつていた残り少ない人生をお楽しみになつていたご老人が親切に道を」「天満屋の壮麗さに驚き“武士の家計簿”」「岡山から四国にぬけようと」「氏の男児のらしき決断になみなみならぬものを」「停車場の向こうから子供が走つてきた」「私も臨終の時かと決意し、より前屈みになり週刊誌の内容に没頭する苦しい、あと二十分で」「せめて島がみたい。あの青空に一点の曇りのない白い敷布が飾つてある家を」「高松市に到着」



大勢の若者の肉体と熱気に圧倒された私はこの商売を早く辞めるべきだ、と決心した。若者は黒い森のように私の存在を圧迫する。私はこれらの若者の熱気から逃れるため、よりこの老体を竦めて新聞にみいらねばならない。私たちは同朋なのだ、彼らと私はある舞台をみたいか、みたくないかではなく、その存在を知つているか知つていないかである。こんな風の吹きつさらしの場所から私は去つてゆきたい。お前たちの腹のなかはわかつている。頼むよらないでくれ頼む。



「フエリー/船倉ドツクからみような電磁波が/オイ、又、老境のオレと忙しい彼を呼び出そうとする/二十代前半で何も役に立たない馬鹿者が/なにが修験者だ/ワシは一人息子を/脱力感で/「狂的体質」/ボール投げれます/この河岸に寝転んで/信じられんもん見てしもうた/そんなんゆうたらアカンで/「どこに風呂屋あるんか教えてください」(友人ちやうんかな)/道を説明する/団地の坂をくだる/なんでみんな波乗屋稼業できるんやろ/夜の散策/自動車「この程度の男だ」/バタン」



5.
 老人の回想は続く。あれは洗練されたレストランが改装された時だつた。「寒いなあ。止めようぜ。社会人がこんな遊びをしてどうするんだ」「エエやないか、三泊四日や」「お前よう応じてくれたなあ」



「コイツら遊びまわつとる/しおり/「お払い箱」/嫌な予感する/「まあ、まあ充分に引き継ぎも終わつたことですし」/役割終わつた/ハローワークで金もろて専門学校の個室で/常套句や/「あんな奴信用するな」/法律/奇妙な名前の会社/「私結婚してますの」/何か懐かしいものを感じてしまう/ヨダレを垂らしそうになりながらヴイデオを鑑ている変人がおるらしい/哲人も落胆する/すさまじい気魄未だに健在/魚料理/四タコ/俺はゲンにこだわらん/不合格通知/外資系で社員5人の会社があるですが如何?」


「催眠療法は危険であるか私には専門外なのでよくわからない。わたしも被験者として語らせていただくがこころに一点の曇りもあればそれを吐き出してしまうように、また薬学に頼らないように、山伏および修験者のように山を歩きまわることをお薦めする。叡山はきちんと正面から登ること。これは必須条件。ロープウエイは既に廃止されてしてしまつたので、裏山から登ると土地の人から最も軽蔑される。関西の山々(高野山も含む)は観光客が多く山がすり減るので登山は一度にする。中国地方の大山もすり減つて来たようだ。だから東北へ行く(冬季にゆくのは危険)。
 私の叡山初登山。あれは如月のことでございました。滋賀県は琵琶湖の風を受けとても寒いところだと聞いていたので、晩夏になればジャンパーとベスト。これを常に携帯すること。くれぐれも坊主に神学論争をいどまれても無視すること(これ絶対条件)」



6.
老人の回想は続く。あれは洗練されたレストランが改装された時だつた。「寒いなあ。止めようぜ。社会人がこんな遊びをしてどうするんだ」「エエやないか、三泊四日や」「お前よう応じてくれたなあ」



「コイツら遊びまわつとる/しおり/「お払い箱」/嫌な予感する/「まあ、まあ充分に引き継ぎも終わつたことですし」/役割終わつた/ハローワークで金もろて専門学校の個室で/常套句や/「あんな奴信用するな」/法律/奇妙な名前の会社/「私結婚してますの」/何か懐かしいものを感じてしまう/ヨダレを垂らしそうになりながらヴイデオを鑑ている変人がおるらしい/哲人も落胆する/すさまじい気魄未だに健在/魚料理/四タコ/俺は験にこだわらん/不合格通知/外資系で社員5人の会社があるですが如何?」



 老人は坂を登りながら回想をする。昔はこんな宇宙空間のような建物はなかった。薬師川先生が一夏、長方形の茶色の塔にこもってこもって「いやー。私も若いころこれくらいの努力をすればもっとすごい学者になれたでしょう」。英文を読む「セールスマンがモーテルに泊まる。もっと早くそこに気がつけばこんなことにならなかったのに」「亜米利加は十年後の日本」。それから四十年。権利を主張し合う個性化教育に力をいれた結果、「力の余った若者が大量冷凍保存され。その食欲並びに情報探査力、常人ではない地域」「お前ら”探偵物語”と”友情物語”好きやろ。走りまわっとけばイイんだよ」「親が沈めば子は浮かぶ、子が浮かべば親が浮かぶ」「どこまでこの落としあいゲームやりまんねん。漫才みたいや」



 ハツと老人は若い女子大生数人をつれた、大学教授らしき二人を見つける。怪しからん奴だ、この坂を道玄坂のような汚れた坂に「飲ませようかな?飲ませないどこうかな?」



「こうやって両親の本棚を調べてそのうちの家風を調べる。これがやつらの常套句だ」
フフフフ、俺も自宅に帰れば膨大な資料がある、社会のなかで革命を再びおこして官計にかからぬようワシもなにかやるぞ、老人は肉体を鍛え若者は連帯を深めておけ、今にみていろ純粋な世代め、その偽善性に気づくだろうから。



 文春で読んだ山田洋次の「安心、安全理論」。テレビで観たぞ堺屋太一「自分のためにやりなさい」。梅原猛が書いとるじゃろ「自分のために書きなさい」。逆手の竹村健一「年長者優遇、イタリアでは当たり前」だと、阿保の若者「ログがついたらアウトじゃと?生意気なことを言うのもほどほどにせい。君はコボル様式を知っているか?」年寄りになると「平穏無事変わりありません。これがイインじや」老人は池の近くの喫茶店に足を運ぶ。


 老人の回想は続く。あれは洗練されたレストランが改装された時だつた。「寒いなあ。止めようぜ。社会人がこんな遊びをしてどうするんだ」「エエやないか、三泊四日や」「お前よう応じてくれたなあ」



「コイツら遊びまわつとる/しおり/「お払い箱」/嫌な予感する/「まあ、まあ充分に引き継ぎも終わつたことですし」/役割終わつた/ハローワークで金もろて専門学校の個室で/常套句や/「あんな奴信用するな」/法律/奇妙な名前の会社/「私結婚してますの」/何か懐かしいものを感じてしまう/ヨダレを垂らしそうになりながらヴイデオを鑑ている変人がおるらしい/哲人も落胆する/すさまじい気魄未だに健在/魚料理/四タコ/俺は験にこだわらん/不合格通知/外資系で社員5人の会社があるですが如何?」



老人の回想は続く。あれは洗練されたレストランが改装された時だつた。「寒いなあ。止めようぜ。社会人がこんな遊びをしてどうするんだ」「エエやないか、三泊四日や」「お前よう応じてくれたなあ」



「コイツら遊びまわつとる/しおり/「お払い箱」/嫌な予感する/「まあ、まあ充分に引き継ぎも終わつたことですし」/役割終わつた/ハローワークで金もろて専門学校の個室で/常套句や/「あんな奴信用するな」/法律/奇妙な名前の会社/「私結婚してますの」/何か懐かしいものを感じてしまう/ヨダレを垂らしそうになりながらヴイデオを鑑ている変人がおるらしい/哲人も落胆する/すさまじい気魄未だに健在/魚料理/四タコ/俺は験にこだわらん/不合格通知/外資系で社員5人の会社があるですが如何?」



 老人は坂を登りながら回想をする。昔はこんな宇宙空間のような建物はなかった。薬師川先生が一夏、長方形の茶色の塔にこもってこもって「いやー。私も若いころこれくらいの努力をすればもっとすごい学者になれたでしょう」。英文を読む「セールスマンがモーテルに泊まる。もっと早くそこに気がつけばこんなことにならなかったのに」「亜米利加は十年後の日本」。それから四十年。権利を主張し合う個性化教育に力をいれた結果、「力の余った若者が大量冷凍保存され。その食欲並びに情報探査力、常人ではない地域」「お前ら”探偵物語”と”友情物語”好きやろ。走りまわっとけばイイんだよ」「親が沈めば子は浮かぶ、子が浮かべば親が浮かぶ」「どこまでこの落としあいゲームやりまんねん。漫才みたいや」



 ハツと老人は若い女子大生数人をつれた、大学教授らしき二人を見つける。怪しからん奴だ、この坂を道玄坂のような汚れた坂に「飲ませようかな?飲ませないどこうかな?」



「こうやって両親の本棚を調べてそのうちの家風を調べる。これがやつらの常套句だ」
フフフフ、俺も自宅に帰れば膨大な資料がある、社会のなかで革命を再びおこして官計にかからぬようワシもなにかやるぞ、老人は肉体を鍛え若者は連帯を深めておけ、今にみていろ純粋な世代め、その偽善性に気づくだろうから。



 文春で読んだ山田洋次の「安心、安全理論」。テレビで観たぞ堺屋太一「自分のためにやりなさい」。梅原猛が書いとるじゃろ「自分のために書きなさい」。逆手の竹村健一「年長者優遇、イタリアでは当たり前」だと、阿保の若者「ログがついたらアウトじゃと?生意気なことを言うのもほどほどにせい。君はコボル様式を知っているか?」年寄りになると「平穏無事変わりありません。これがイインじや」老人は池の近くの喫茶店に足を運ぶ。


6.
老人は語る。


「この街にはよくない噂がある。歴史と宗教にちかよると自我の恐怖に怯える」


電話が掛る。


「わししゃあ、何も悪いことをしとりません。津和野で真面目に働いていただけでございます」



「津和野というと、あの小京都という」



これを真実性の試験という。そんな債権があるのか、ということを電網部に問う、五分待つと、小さなメモに数字が書かれていた。



「たいした額じゃないですね」



大変な仕事の後に胃が痛くなるような話をする。イイネエ。この演歌調なのが、いつお落るかもしれぬ二十歳(ハタチ)のこの命、不完全燃焼のままでは終われない。



「津和野で器を焼いておりまして、このご時世誰も助けてください。部長さんですか?」



諜報部(フふふふ、この借りは絶対返してみせるぞ)



「つつくん。見えたよ。透明な色をした人間が踏切の向こうから襲ってくる」



「そんなことはあり得ない」



「いいやあるんだよ。本当なんだ」


黒く焦げた団地群。昔見た風景。いったい誰が住んでいるのだろうか。花の広島城。櫓しかなかった。水色の慰霊塔。図書館に入る。童話と週刊誌が好きだ。「昔、○○○○という国がありました。贅の限りをつくし滅びたとのことです。まるで、今の日本を思わせるような話やないですか」「ホンマにネエ。敦煌のロプノール湖を思わせるような話ですねえ」「また怒られそうなこと言いましたか?」「いいえ、そんなことありません。昔を知ってもらうように若い人たちに灸(やいと)を」



「もう、私逃げたいんだよう。この仕事から」



言外からそれが聴こえてくる。老人の回想は続く。何故、私の周囲で不自然な出来事が起こるのか。




7.
電話の声は続く、



「津和野は昔、小京都といいまして、こんなよいところはございません。昔、毛利侯のおほせで山口県の県庁を萩に移せと申されまして」



「津和野といえば、あの美しい庭や塔籠のある」



「そうでございます。苔むしたる塔籠は、」



老人の回想は続く。このような西洋風の建物が立ち並ぶ前、私は友人に天神祭にさそわれ一人でも祭をみにゆこうと思った。すると、工事現場、鉄筋の入った急速な工事現場をみて「ここまでも、ここまでも、近代的建築の虜(とりこ)に」と絶句した。



私の父の養育方法は欺瞞的だと思った。苔むしたる寺、今は自衛隊駐屯地。長く歩きたる後、嘔吐が私を襲う。しばらく「体育すわりをして休んでおきなさい」。かすかにお堂をみる。ほんとうに漠然たる風景を私は観た。帰りは「庄屋さんのような家に住めたらいいね」と言うと、田畝(でんぽ)の中を歩め、という。お百姓(おひゃくせい)は怖い、私は足のくるぶしあたりまで土に埋まり、足のくるぶしあたりまで泥に埋まる。「これでは私の人生終われん」と思って力をぬくと、再び畦(あぜ)道まで帰りつくことができた。



天神祭が始まる。環状線に乗ると、柔道場の看板が眼に入る。すると苔むしたる男子のそばに百済観音様のような女人(にょにん)が座っている。「知識があればうつくしくみえる
」本当だと思った。



「毛利侯がどのように身代を建てられたかご存じか」



「陶(すえ)公を安芸の宮島にさそいよせ大内公の庇護のもと旧敵を打ち、三人の子供を分家し、中国地方を護った」



「その通りである」



8.

あれは熱い夏の日だった。


初春、「和田式受験勉強術」で、三科目入試の特徴をほぼつかんだ私は、親切な八百屋さんかコンビニエンス・ストアで昼食と夜食を仕入れるかで思案していた。赤本と呼ばれる過去門題は、まるで新築の家に足を踏み入れるように、秋口あたりから様々な大学の特徴を分析したこの用紙に触ることに恐怖を覚えていた。


早稲田の壁は厚い。「何故、早稲田志望者は六、七時間の努力が出来るのに私には出来ないのか」。「新兵器を投入すべきか否か」。十年前の過去問題を解いてみたが、英語五割二分、国語四割三分、社会三割三分。三年間同じ数値。「“政治経済”という科目に変更しようか」
「日本語がおかしくなつています」


 はすかいに組まれた畳の部屋は涼しい。昔、家族で小型のテレビで、ドラマ「人間模様」を鑑た。遠藤周作先生の「沈黙」もここで読んだ。失われた国語力が回復できるかもしれない。松本清張先生の大作「西海道談綺」を読もう、「日本の黒い霧」も読もう。いかん、クーラー病だ。これでは戦えん。自室でカーテンを敷いて暑さをこらえてこの大作を読みながら対策を考えよう。予備校仲間とは顔を合わせられん。関関同立入試となれば、なおさらだ。



 「ブーブーマン。ブーブーマン」



不思議な音色が隣室から聴こえる。つでに壁に肉体をぶつける音。クラッシックや演歌を歌う声も。私は友人のタケシ君に「女性とはこんなものかね」と問い掛けた。「どうせ、ノイジーガールってゆうんでしょ。ケダシ君。」「君の言う事はワン・パターンだ」。「浜松のウナギパイあげる」。「俺たち案外もてるんじゃないか?」


9.
 ツービーリヴイング・サモアという団地のようなマンションには、さまざまな住人が居た。学友会名簿によると階下に住む若者は一年下の大学入試検定で入学してきた経済学部の人だということ。事件は深夜に起こる。私は飯野利夫先生の「会計全集」という冊子を並べ悦に入つていた。時計は午後11時。



ドン、ドン。



マンションのノゾキ穴から見ると、小山のように大きい男が立つている。男は大声で言つた。



「ガスが漏れているような気がする。調べさせてくれ」



私は深夜であるし、男の体の大きさから部屋に入れるべきか否かを小考したが、ガスが漏れているということは、全館破滅につなりかねない。仕方がないので鎖を外しドアのノブを開ける。私は強迫神経症。白い手袋を常にはめている。



「どうぞ」



招じ入れる。男は部屋をグルリとながめると「どんなガス・コンロ使つていますか?」と聞いてきた。私は咄嗟に意味を理解し、「たしかにステレオのコンポの音が大きすぎたような気がします」と言つた。男は静かに立ち去つた。


老人は語る。


「昔はのう。池があつてイバラが生えてフキが野生化したような草が生えておつて。よく擦り傷や怪我をしていたものだ。沼に入ればヒシがある。フナを捕まえようとすれば、どんどん深みにはまつてゆく。ヒシが足の裏に刺さつて、もうこんな馬鹿なことはするな、とよく母親に怒られたものじや。生態系もよく理解できるように島をつくつておく。するとフナやカメが集まる。メダカやドジョウを取りたいか?それならば、農業の用水路から池に入つてくる水路をつくればよい。だんだん藻が増えてきて、メダカが繁殖してくる。ワシも理学部などと軽蔑しておつたが、専門性にこだわらぬ人間がついにやりおつたのう」



「そうですよ。あの子たちは、恵まれすぎた世代ですの。昔の人の痛みを悟りたいがためにあえて苦行をおこなうなんて。あの随筆読みましたか? お金色さんのノミを親切にとつてあげるなんて、あの小説は戦後の作品ですの。それを真に受けて“下流志向”なんてことを」



「“下流志向”。本当かどうかは若者にあつてみないと分からんよ。本当にこんなに何でも先生の責任にする人いるんじゃろうか」


10.
その新聞の連載となつている「諧謔と倫理の狭間にて」と題される医師の回想録にはこのような手記が綴られていた。


「宝暦記念動物園に勤務する私のもとに、寛保水続館に勤務する深山博士から当該依頼があつたのは一九八八年の二月のことだった。


当時、急上昇していつた国民総生産に付随して家計部門の貯蓄が増大し、所謂(いわゆる)団塊ジュニア世代と呼ばれる十九六九年から十九七四年までの大学進学率が大幅に上昇した。その一方、団塊の世代およびバブル景気時に入社した平成初頭組との相克が鮮明となり、社会的フラストレーションが増大している。


また、巷に流布されたる根拠なき学歴信仰のために、無意味な偏差値による大学入試競争が厳然として存在し、団塊ジュニア相互間でも競争が激化し、社会のガス抜きとして当該動物園に以下の事項を依頼したい、とあつた」



老人は語る。


「仮にこうしてみよう。現代の日本が中国の春秋戦国時代に当たるとしよう。秦の孝公に仕え刑法を提唱した宰相商鞅までもが、自らの法にかかり車裂きの刑にされるような“パンとサーカス”の衆愚主義の社会の到来じや。」



「あなた、そんな縁起でもない話はおよしになつてください。」



「なんの。共和政後期のローマのように日本国民は高度成長期の四十年“耐えがたきを耐え忍びがたきを忍び”生きてきたのだ。いわば、ローマの各ポリスの人々が外征をして帰つてきたら、年老いて故郷の土地は荒廃し、征服地からは安い穀物や奴隷が大量に流入し、荒れ果てた故郷をみすてて都市に流入してきた民衆は、政府に無料で食料と娯楽を要求する。」



「その生贄が例の」



「ウム。イデオロギーの対立軸が終焉した一九八七年から、世界は徐々に均質化し同質化していつたともいえるじやろう。しかし大衆は娯楽を求め、その時代、時代にふさわしい恐怖を与える悪役的英雄を待望する二〇〇三年あたりから、ハイアラーキーというあらゆる壁を喪失した人間は物質ではなくこころの内面に格差を求めだした。その反動が例の分け前分配方法に関する異議申し立てと後生に対する嫌がらせじや」


喫茶店の窓から、農業灌漑路から流れ出た上水道の水流に逆らうように鯉のような鮒がはねあがる。




11.
諧謔と倫理の狭間にて(二)


再び「諧謔と倫理の狭間にて」と題される医師の回想録に眼を落とす。


「寛保水族館に勤務する深山博士の依頼は、“水に潜る習性のあるカワセミがニメートル近くある大水槽の底に一旦沈み、そしてはばたきながら水面に浮かび上がる瞬間を映像に撮り当水族館の名物にしたい”という旨であつた。


 当時、女優の宮沢りえさん演じる「スワンの涙」というバレリーナをこころざしたもののこころざし半ばで諦め、シンクロナイズドスイミングに取り組んだ少女の物語が巷の若者の大きな共感を受けた。その彼女の人気にあやかつて、彼女の健気さを表現するような水中花のようなカワセミの姿を売り物に水族館の集客力を高めたい、とあった。


 私は苦悩した。鳥好きが高じて大学は理学部に。専攻は異なるが、鳥類年鑑は勿論、サイエンス誌“ネイチャー”を購読していた。この宝暦記念動物園には五羽のカワセミがいる。しかし、カワセミは水面の上に浮かび上がってきた魚を捕えるために一瞬、水に潜るにすぎない。深山博士が要求するように、ニメートルもの深さを潜水夫のように潜る習性はない。時代のガス抜きとは云え、私には動物学の倫理にもとるようなことはしたくない。」



老人は運ばれてきた珈琲にミルクを注ぎながら言った。



「仮にこうしてみよう。社会に金が有り余っているとする。会社を辞めてブラブラしている中年以下の男、嫁入りせずに存在感だけ増してゆく中年以下の女。これらをストレス解消として自衛隊駐屯地に集合させる。そして防火訓練、防犯訓練などをおこない訓練に参加したものには日当一万円与える。」



「まあ、いいんじゃありません。でも私年のせいか、なんだか柔道場に毎日出かけてゆく息子を見て、何故か恐怖を覚えますの。その上訓練なんか近所ですれば迷惑この上ない」


「おう。あんたもそうじやつたか。われわれ年よりだけならいいんじゃが、どうも息子くらいの人間に指示されると、不快感を覚えて“ワシはそんなに年じやない”とついつい言つてしまう。育つた環境も違うしな。そうやつて我を張ると、お互いの溝が深まつてゆく。どう、この世代間格差を埋めていくかなんじや。」



「私この間も嫁と孫の養育方法でもめましたの。」



12.
お見合いパーテイ・イン・梅田


「さあー。いつまでも、はけない男とはけない女。ひと夜限りのお見合いパーテイ。こよいこそ念願のツガイが見つかるでしようか。さあ、皆さんよつてらつしやい、見てらつしやい。今宵もつどいましたる三十過ぎの独身男女四十名。今、親御さんはこころのそこで願つてる。あー、早くうちの息子と娘はけへんかなー。さあ、今宵は最大のチヤンスです。悔いのないよう一時間半しやべつてしやべつて、しやべりまくつて生涯の伴侶を見つけてください。」



ウイスキーの瓶のような体にタキシードを着た坊主頭に黒淵の眼鏡を掛けた亀のような男が、お見合いパーテイなるものの開催を告げた。



私は先輩の案内でお初天神近くのこの秘密のお見合いパーテイに参加した。今回の応募条件は「三十過ぎで上場企業勤務の男女」。ビルのエレベータで十七階に上がると、鋭い殺気立つたなんとも言えない悶々とした雰囲気が場内に満ちている。入口で社員証を示し一万円を支払うと、受付嬢が会社名と氏名を書きとり無言で番号札をわたした。



会場の白いテーブルにセロテープで留めた番号札があり、先輩と別れその椅子に座る。どんな面々がいるのだろうと、ぐるりと周囲をながめると、何か申し訳ないことをしたかのように顔を伏せた男女が静かに椅子に腰掛け、開催の合図を待つている。女性がお見合いの方法をつげるため、マイクを握った。



「お手元にカードをお配りします。これから一時間半、二十〇名の方と五分間お話をしてもらいます。そしてカードに気に入つた異性の方の上位五人の番号を記入していただき、上位二位の方と相性があいましたら、目出度くカツプリング成立となります。最後にカードを回収いたしますので、カツプリングが出来た人の番号をこちらから読み上げます。残念ながらカップルになれなかつた方はご退場、ということでお願いいたします。」



私は五分くらいの話で相性が分かる訳はないのだが実に公平なシステムである、と思つた。血走つた男女の眼は私の呑気な視線を不快そうに避けた。ブロイラー式のお見合いが始まつた。



私は漠然と今の六畳一間のマンションから、貯金をはたいて会社ちかくの交通の便が良い土地に借家を借りたいと願つていたので、夫婦共稼ぎを狙つていた。女性の中には浅黒い顔ながら整つた顔つきの女性が一人おり、その女性を狙つて、さまざまな駆け引きが行われていることを知つた。そこで私は、なんとなく見覚えのある、小柄な老人ホームに五年勤務しているという看護婦さんを第一希望にした。だが、まてよ、もしかしたらあの見覚えのある看護婦の女性はもしかして昔、旅行サークルに仮入部してきたあの女性ではないか、また「老人ホームで何をなさつています?」と尋ねた時、何度か聞きなおしたため女性は不快感を示したようなので、案外わがままな女性かもしれない、と思いなおし、四十がらみのおとなしそうな女性を第五位から第一位にし、看護婦の女性を第一位から第五位に書きなおした。



結局、二人の女性と支配人がカードを回収し集計すると、その日のカツプルは二組だけだつた。会場になんとも言えない怒りがほとばしるのを感じた。



亀のような黒いタキシードを着た支配人が再びあらわれて、憤懣やるかたないといつた感の今回もからぶりに終わつた男女に告げた。



「エー。最後に演歌歌手テルテルさんが瀬川瑛子さんの“命くれない”を歌います。」



六十くらいであろうか、白い化粧の顔に着物姿のテルテルさんがそそくさと壇上にあらわれ“命くれない”を歌い始めた。



“イーノチくれーない。イノチくれないー”ふたりずれだよー“わたしや、あんたの影法師。イノーチ、果ててもー、サザンカのーヤードー”



私は何となく滑稽な感じがして「見て帰りましょうよ」と先輩に告げたが、今夜もカツプリングに失敗した先輩は不快そうに「君、もう帰るぞ」と言つた。

13.
少子高齢化論


私が先輩とともにお初天神通りの焼肉屋に入ると、


「お前、あの会場につめかけた三十過ぎの男女の数の多さについてどう思つた?」


私はビールを片手に、


「この後に、男性は三十歳以上。医師、弁護士、会計士、税理士の五十人以上のお見合いがあるんでしょう? 難波会場でも土日に同じようなお見合いパーテイがある。のベ二百人の独身カツプルが一万円払つてまでも入場したがっている。みんな結婚したいのだけれども、なかなか踏み切れないんじゃないでしょうかねえ。」



「まったく。男も女もメロドラマみたいにイイ男やイイ女が、そこらにたくさん転がっているものだと思い込んでる。大学の間にツバつけとかなきや、ホント結婚は程遠くなるばかりだ。」



「都会化すると、いろいろな魅力を持った男女が巷にあふれてきて、それこそ目移りして結婚年齢が遅くなるんじやあないですかねえ。」



すると私の携帯電話のベルが鳴る。「ハイ。ええつ。無料でいいからもう一度会場に来てくれつて?本当にいいんですか?」



私はもう疲れはてていたので、先輩の顔色を見ながら断りの文言を言った。すると今度は先輩が席を外す。「モシモシ。ああ、ええ、そうですか。もういいですよ。明日会社があることですしね。」



先輩も誇らしげに「俺にも無料再入場の電話が入った。」と言った。



老人は語る。



「どうも最近この街の小学生、中学生が大幅に減少しているようじや。ワシの息子が行つておつた小学校は息子が在籍していた時の三分の一に。同じく中学校も息子が在籍しておつた時期に比べて三分の一に。」



「多分それは、皆さん新しく鉄道が敷かれた住宅地に引っ越していったんだと思いますは。」



「ウウム。折角、こんなに自然にあふれた住宅地を捨てて新興住宅地にのう。ワシも一回行つたことがあるんじやが、中心に噴水広場があつて大手百貨店が三店舗程ある西洋風の住宅地じやろう。ワシの息子が小学生の頃は、ここも町内祭りで相当な人が集まつたし露店も出た。あの頃が人生の花じやつたのう。息子も従順でワシに指示するようになるとは思はなんだよ」



「結局、子供の数が三分の一に減つた今、その子供にかかる期待は両親の期待も含めて六倍になる。学校の先生や家庭教師は注文が多くて大変だろうな。」



「そうですねえ。辻仁成氏の“海峡の光”つて読みまして? 青春つて残酷だわ、と思つかは。」



14.
諧謔と倫理の狭間にて(三)


新聞の「私の苦悩の遍歴書」と題された連載を読む。


「私は“カワセミがニメートルもの深さに潜水することは日常行動ではまずあり得ず、カワセミにその様な行為を行わせることは動物の生理学上困難な事と思はれる”との旨の見解をまとめ、真意を確かめるため寛保水続館の深山博士宛に電話を掛けた。


すると、先生の回答は私の予想通り至極難解で私が生理的に拒絶したくなるようなものだった。



いやなに、研究熱心な君をかりだすのは甚だ申し訳ないとだと思うのだがね。君が熱心にやっている植物分子細胞生物学というのかね、あの分野からの息抜きという意味でカワセミかゴイサギといったああいった鳥類を純粋に追いかけてみないか、という提案だ。


葛西臨海公園という水族館が来年オープンする。そこに、無味乾燥な受験勉強から解放された団塊ジュニア世代と呼ばれる受験生や大学生、丁稚として無意味な出世競争にあけくれる平成初頭組の親子を呼び込む。そのための目玉が欲しいんだな。目玉が。


君の熱心に研究しとる、あれ何て言ったかね? そう、植物分子細胞生物学。あれを応用して、カワセミのような小さな鳥が一匹の魚を捕え一心に水面の上に上昇してゆく鳥の姿。どこか、この芋の子を洗うが如し過当競争を生き抜く世代を少し皮肉りながらも元気づけるよい方策とは思えないかね。


君は大学で一部壊死したフォアグラ、あ、失礼ガチョウの臓器細胞の機能分化やプログラム細胞死等に注目して、その分子機構を細胞生物学や分子遺伝学等の手法を用いて解析たと聞いた。


カワセミでもゴイサギでもいい。とにかく素潜りできる鳥が欲しい。


私は受話器を置いて大きなため息をついた。つい先ごろ、ムツゴロウ先生こと畑正憲氏が猫の映画を撮る際に、感動的な映像のために大量の猫を川で溺死させてしまったとの報道があったばかりではないか。深山博士に動物の生命の尊さという観念はないのか、私はこの冷酷非情な命令に激しい怒りを覚えた。」



老人が再び口を開いた。



「イネさんと言ったかね。貴女。最近の若者はなかなか嫁しづかないようなんじゃ。あなたは、最近の若者がどこか薄っぺらくなっていることを肌で感じんかね。」



「さあ。どうでしょう。昔、三島由紀夫さんがおっしゃってましたでしょう。「無機的な、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない世代」。あれを作って体感してきたのは私たちですもの。」



「そう、若者は大抵その白亜の大豪邸で育ってな。何事につけても浅い人生しか歩んどらんよ。人間の絆も浅い。文化といえるようなものはペンペン草程度。その中で交流したとしよう。所詮上つ面の薄つぺらい交流しかできんよ。三十半ばの青年の交流録なんぞ、風が吹けば吹っ飛んじまうようなニスのような酷薄な代物だ。モノ言えば唇寒しつて諺(ことわざ)あるじやろう、そんなお仕着せの交遊なんぞクソくらえだ。」



15.
三十路の男が語る理想の女性


5年ぶりに総合商社から家具メーカーに転職したという同郷で同学の杉原から電話が掛ってきた。全国的に見て標準的な田舎の高校における「九鬼と天野」と呼ばれた私たちだが、高校時代までは同じクラスにいるも没交渉。大学時代に一度会うも学部が異なるため三回生まで音信不通。予備校時代の友人を介して電話で恋愛相談する仲になっていた。


「よう。野崎ちゃん。結婚した?」


「まさか。お前さん課長に昇進したそうじゃないか、お前こそどうだ?」


「女は抱き捨て。世は情け。ワン・ナイト・スタンズって訳でね。時折、興味本位に風俗に行くだけ。今家具メーカーは忙しくてさ、木材選びにスウエーデンに部長と同伴旅行。仕事が忙し過ぎて立つものも立たねえや」



「先日、先輩と“お見合いパーティ”つて奴にいったんだがな。酷いもんだよ。五分間で一生の伴侶を見つけろって話でね。お前さん女性は何で男を選ぶと思う?」



「まあ、安定した生活でしょう。“お見合いパーティ”の趣旨を見りゃ一目瞭然じゃないですか。女性は無条件、男性だけ上場企業勤務だとか、弁護士だとか条件をつけてくるでしょ?。結果はどうだったの」



「勿論、外れだ」



「それじゃあ、先輩の方は?」



「先輩も外れだね。まあ、先輩は専門学校時代の仲間の女性とつきつ離れつの関係らしいけどね。あの人は、とにかく几帳面で神経質な人でね。自分と同じ分野の仕事をしていることが逆に足かせになっていると言ってるんだ」



「お前さん今どこ勤めてるの?」



「辛うじて上場を保っているような企業だ。正直、先のことを考えると憂鬱で結婚どころじゃないんだけど。経理マンはシステムの進化でお先真っ暗だ。そんな憂鬱な話よりお前の理想の女性ってどんな人?」



「それは言わずもがなでしょう」



「おい、おい。あれから二十年だぜ。お前さんどうかしてるよ。そういうお前はどうなの?」



「俺もげんなりした自分の息子の機能回復が先だよ。嫁さんなんか先の先の先の話」



「おいおい誰かがおレンチの呼び鈴を鳴らしやがった。それじゃあ、またあ」



16.
大阪道頓堀徘徊(一)

イネさんは「愚痴は老人の特権だ」と言ってくれた。


私は妻に「俳句の会」に行ってくると偽り、一人深夜の京橋に出掛けた。この街は一九九二年を境に大きく変貌した。ワタシは京橋駅東側の大阪城公園の方には絶対行かない。第一、あの浄化された空間が嫌いだ。むしろ京橋駅西側の以前の京橋の面影を留める下町を歩いてみる。以前、道に迷って大阪アメニティパークという高級マンションの立ち並ぶ界隈に足を踏み入れたことがある。整然としているが人間の活力が欠けた空間だ。私はその時、思わず生命の息吹きが吸い取られたような気がした。



赤いラーメンの屋台の傍で八十くらいの老婆が声を掛けてくる。



「どうなすった旦那。こんな夜中に物騒なことこの上ない」



「そういうあんたは大丈夫かい」



「ああ、ぼちぼちやってるよ」



老婆は私の存在が視野から消えて失せたように、次に通りかかる人に声を掛けようと視線を外した。ふと煙草のヤニで黄ばんだビルの一角にけばけばしく東欧美人多数と書かれた原色の張り紙が貼られ四角いネオンサインが明滅するパブを見つけた。



年老いたボーイとでも言おうか、案内役らしい小柄だが黒づくめの服で巌のような強靭な肉体を持つ中年の男に声を掛けると、彼は「エエ、八千円で一時間飲めます。どうぞー」と無愛想に答えセロハンテープでちぐはぐなチラシが貼られたエレベータの中に私を招じ入れた。



17.
大阪道頓堀徘徊(ニ)


弾力のなくなったエレベータのスイッチの4階を押すと、そこは漆黒の闇だった。これまたスーツケースのような黒いタキシードで身を包んだボーイと呼ぶには年老いた男がワシを長いソファのある席に誘った。



さまざまな色の照明が交差する舞台には二つの道祖神のような円柱が立ち、東欧の眼鼻立ちのくっきりした女性がその円柱の間を五、六人で踊っていた。どの女も変わらないのは、一様に四十台とおぼしく皆肥ていることである。ワシが外遊した者に聞くと外国人の女性というのは若い頃は奇麗だが、四十を超えると一応に太り出し皺が多くなりあっという間に醜くくなってしまうということである。亭主に三行半をつきつけられたのであろうか、肥えて何やら惨めな観のある東欧女性は悲しげな亜米利加風の雰囲気の音楽に合わせて踊っていた。私以外のお客は斜め向かいの前の席に男性の二人づれ、背後に三人の客が座っていた。



一人の女性が舞台から降りて私の傍らに座り麦酒を注いだ。



「ギブ・ミー・ア・テップ」



いきなりこれだ。私は日本語で「何故、東欧から大阪に来たのか」を尋ねたが、女はしきりにかぶりを振ると、「ウエイト・ア・ミニッツ」と言い、舞台の上の他の女性に声を掛けた。女性は私の座る長椅子に座ると、



「ウエアー・アー・ユウー・フロム」



と質問してきた。私が「ファイン」と答えると、女はけたたましく笑い出した。私はこの漬物石のような女め、と思いながら「オーサカ」と答えた。



「キャン・ユー・スピーク・ジャパニーズ?」と言うと。これまた「ノウ」と言う。「ドー・ユー・ハブ・ア・ドリンク」というと笑顔で硝子のコップを差し出した。女性の杯に麦酒を注ぐと女性は一気に飲み干した。しばらく沈黙が続いた後、私は「ドー・ユー・ノウ・ザ・トウゴウ・ヘイハチロウ?」と言うと奇妙な顔をして前の女と同じように「ギブ・ミー・ア・マネイ」と言った。私は再び不快になり、すぐ酒場をあとにしようとした。



すると黒服の男が「何かお気に触りましたか?」と尋ねてくる。時間は午後11時二十分。あと四十分ゆっくりと、言いたげな様子だった。私は男に八千円払うと酒場を後にした。



19.
流行の終焉

老人はイネさんに言った。



「何だか最近、気持ちが楽になったなあ」



「そうですね」



(つづく)

忘却の彼方に

忘却の彼方に

ポスト・モダンの手法で描かれる幻想の街。そこに現れる怪しげなパーティ、パブ。夜の街を知りたい人のための初歩的夜遊びガイド。

  • 小説
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  • コメディ
  • 青年向け
更新日
登録日
2012-02-05

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