practice(155)




 手が埋まるぐらいに長い毛のフロッピーは,一緒に庭をぐるぐると散歩中だから動いている。ぽかぽかと暖かい日に,舌を出して涎を垂らし,息を整え中空に鼻を突き出し,ちょうちょを見つけて走り出そうとする。リールはなしの,軽い散歩だから,走り出したらきっとそのまんま。お花を咲かすものをママが植えようと,大事に手を加えている最中の花壇も踏み越えて,土だらけでお家には上げてもらえない。その後にホースで水をかけられて,お兄ちゃんと僕と妹の,家族三人と一匹で,風邪を引くぐらいにぱしゃぱしゃっと遊ぶことになる。それもまた楽しそうだし,フロッピーの頭を爪先立ちでどうにか撫でることが出来る僕に,走り出したフロッピーは止められない。刈られた芝を踏み込み出し,縦に長い胴体を空に投げ出しては,さくさくした音を跳ねた感じで期待させて,フロッピーはだんだんと僕の側を離れ出し,僕らのことを忘れ始める。昼日中の運動も兼ねて,半ズボンと汚れてもいい靴下を履いた僕は,後ろを振り向き,傘の陰で微笑む大きいおばあちゃまに言い聞かせた。
「気をつけてね。フロッピーは大きいから。」
 長いスカートを擦りながら歩く,大きいおばあちゃまは「構わないよ。」と小さな声で言った。聞き取りにくいって,お兄ちゃんとかママがキッチンの中でこそこそと言っている,あの声だった。喉にヤスリを忍ばせたような,しゃがれた触り方をするけれど,綺麗だったんだろうなと思う,パパに聞くとそうだったと頷く,形も残って無事な鈴がチリンと遠くで鳴っている,今のおばあちゃまの大きな声。
 僕が聞き取れるのは何故?と質問をされても,よく聞いているからとしか言えない。多分,こうなる前のフロッピーも同じはず。側にいるのがフロッピーだから。僕より小さい妹は,まだまだ言葉が足りないぐらい。
 だから,こんな風に言えないと思う。
「天気がいいね,おばあちゃま。」
 指はそこをさしたまんま。傘から顔を出して大きいおばあちゃまは,傘を元に戻して,陰の中で,こっちに微笑んだ。
 僕がうんうんと,頷いた。
 
 

  昼日中の会話。加えて,妹が無くしたと騒いでいたしゃくとり虫の縫いぐるみの話。おばあちゃまの長いスカートの裾を掴んだりして,フロッピーがほじくり返した土はひょいっと,穴ぼこと一緒に避けられた。
 「あらまぁ」という顔をして,大きい声で直さなきゃとおばあちゃまが言ったのを聞いていた。それは電話が鳴る前で,ママが帰ってくる前。妹が家の中を走り出して,お兄ちゃんがふてくされた格好で現れまで。チャイムが鳴り出して,鍵を鞄の奥から探し出す前に,ママが開けた玄関を通って,パパが遅くに帰ってくるまで。テーブルに座って,スピーカーが笑って,椅子が引かれて,雑誌が座って,フロッピーが庭で寝ている。おばあちゃまは,広いベッドの明かりの中で,いつも通りに皺のある頁を動かしながら,早く眠るまで。物置きのどこかにあるスコップが,使われていない色を目立たせて,穴がある。
 きっと夜の時間。明日の朝までかかる,大きいお部屋で,小さな声で語られる昔のお話を聞き終えるまで。起きていられるだけ。



 しゃがれた感じで。



 マフラーを巻いてもらって,庭の真ん中で,僕はスコップの裏っかわで土をぽんぽんと叩いた。寒い日だから,大きなおばあちゃまは部屋の中だ。長い毛が温かそうなフロッピーが鼻を突き出してきて,僕はそれを押しのけながら,今朝のパパから出して貰った園芸用の土をこぼして,叩く。固くなるまで。平たくなるまで。転けたりしないように,大きなおばあちゃまが,庭が見える窓までゆっくりと歩いて来て,内側からノックをして,合図する。部屋に居るときだけ肩から掛ける暖かい色の,ママがストールと呼ぶもの。
 僕は手を振った。唇が動いていた。
 コップ一杯が約束だよと,おばあちゃまが内緒で言っていた。



 庭に立って,大きく,大きく頷いた。






 
 



 



 





 


 

practice(155)

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-12-02

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