呼び声の街
おめでとうございます、君は招かれました
君は、ふと気が付く。
見回すと、そこには自分以外の人が誰もいない。
何を仕事としているのか良く解らない会社の社名がいくつも入った、特徴のない雑居ビルが並び建ち景観を作っている。そこは色味がまったく感じられない。既に日は完全に暮れているのも手伝って、夜の黒とコンクリートの灰色、そして恐怖を煽るようにワザとらしく点滅を繰り返す街灯の白だけが目に映る。
君は足を止めてしまうだろう。
どこかで見た様な風景。しかし君はその道の一切を知らないのである。いつかどこかで通った事がある、そんな既視感はあれど、そこが何処なのかはとんと見当がつかない。
何故こんな所を歩いているのだろう?
「おや、お嬢さん。立ち止まってどうされましたか?」
君は弾かれたように声のした方を向く。
自分の立っていた場所の、直ぐ真横にビルの間に狭い路地があった。路地の先には、今時片手に携帯ランプを携え、そんなに寒くもない筈だがコートを羽織った老人の姿がある。コートの下には高そうな、皺ひとつない、折り目のきちんとついたスーツ。そしてシルクハットを目深にかぶり、如何にも紳士という風貌をしている。
老人は、返事をしない君にもう一度、しゃがれた声で呼びかける。
「どうか、されましたか?」
温和に優しい声色で話しかけられている筈なのに、身の毛がよだつ様である。
「いえ、道に迷ってしまったようです」
「おやそれはいけない。しかし申し訳ないが、私もこの辺りはあまり詳しくないのです。せめて、人の多い所まで案内いたしましょう。どうぞこちらへ」
老人は踵を返して路地の中へ歩いて行ってしまう。
君は、段々小さくなる老人の姿を見て不安になるだろう。置いて行かれてはたまらない、そう思うだろう。怪しいながらも、老人についていく方を選んだ君は、意を決して路地に踏み込んだ。
路地に入ってから、やはりおかしな事に気付くだろう。
既に100mは歩いているが、隣のビルの壁が途切れることは無く、また路地の終わりも見えない。景色はずっと変わらないのだ。
「あの・・・」
「お嬢さん、この街は初めてですか?」
景色の違和感に耐え切れずに話しかけ、問い詰めようとしたが、老人に遮られる。
「えっと、はい・・」
「そうでございましたか、ではさぞかし戸惑われた事でしょう」
老人は君の不安を汲み取ったかのように、にこりと微笑む。
「私も聞いた話ですがね、この周辺はよく迷い人が多い様なのです。同じような景色ばかり続いていますから」
「あ・・そう、なんですか」
「ええ、今から案内します場所の、お客様の大半はお嬢さんと同じ境遇の方達なのですよ」
「へぇ、あの、そう、案内してくださる場所はどういう所なのでしょうか?」
「お嬢さんの年齢では少し入り辛い場所化もしれませんがね、小さなBarでございます」
君はBarと聞いて少し高揚する。まだ中学生の君の頭の中では、Barとは大人の空間と言うイメージがあり、憧れの対象でもあったからだろう。
「行ってみたかったので、少し楽しみです。でも、アクシデントがあったとはいえ、こんな夜更けに酒場に行くなんて・・少し悪い事をしている気分ですね」
「ふふふ」
老人は楽しそうに、声を上げて笑う。
「悪戯をしている時は楽しいものですからね。ああ、見えてきましたよ」
老人が指を指したその先、今までまったく変わらなかった路地の景色がそこだけ変化していた。
ビルの壁に取り付けられた白熱電球のライトが入り口を照らしている。灰色の壁に、温かみのある木の、アンティーク調なドアを見て君はほっと胸をなでおろす。
「さあ、お嬢さん。入りましょう」
「はい」
老人が入り口を引いて、先に通してくれる。
君はドアをくぐる。
『ええ、いらっしゃい。お嬢さん』
男の様な女の様な、子供の様な大人の様な、それとも先ほどまで一緒だった老人の様な声が耳元で聞こえて、君は恐ろしくなって振り返る。
いつの間に閉まったのか、目の前には木のドアがあるだけだ。
「・・・・え?」
「どうかしましたか?お嬢さん」
それは間違いなく老人の声である、いつの間に自分より先に入ったのだろう。
疑問はあったが、きっと店について安心して、少し呆けていただけだろうと無理に納得して、君は口を噤む。
「・・・いえ、あの。私、どこで道を聞けばいいですかね?」
老人は、私の言葉にはっとしたような顔をして、それから二・三度頷くと、こう言った。
「お嬢さん、この街は初めてですか?」
習うより慣れる日常
とある男は、路地の隅っこでガタガタと震えていた。
男は襤褸切れを纏い、髪も髭も伸ばし放題で明らかに薄汚れている。
そんな絵にかいたような浮浪者の男は、足を折りたたんで小さく小さくしゃがみ込み、俯いて、何やらぶつぶつとうわ言をずっと口にしている。
「みるなみるなみるなみるなみるなみるなみるな…」
男の焦点は合っておらず、瞬きもしない瞳は乾いて赤くなっている。
男はずっと俯いている。
まるで、空を忌避しているかのようだった。
///
この街は一週間に5日位は曇りの日。
晴れているのは珍しい位で、かといって雨が降るのも珍しい。今日も何時もの通りの曇天で、気持ちの悪いじめっぽさに嫌気がさす。
「はぁ・・まあなんと、見事な土左衛門で・・」
と、無造作に掛けてあるシーツを捲りながら、眠たそうな目でそう言った。
余りの状態の良さに純粋な褒め言葉が出たのだが、連れの一人は駄目だったようで橋の手すりに上半身を乗り出して川に嘔吐していた。
「ニール、あんま乗り出してダイブしちゃ駄目だよ。あんた図体大きいから私じゃ引き上げられないからね」
「おぅ…白夜ちゃんはなんとも無いのか?」
「慣れだよ慣れ。なーに、半年もすりゃ慣れるさね」
その言葉にニールは青ざめて乾いた笑いを出していた。
シーツを元に戻し、近くにいた警ら隊の制服を着た男を呼び寄せた。彼は無表情にこちらに近づいてきて、礼儀正しく頭を下げる。
「ご苦労様です、巫条さん。解りましたか?」
「こんだけ状態いいからそりゃあね、こいつは滞在歴6年のアラン・ミリアンだ。蝋人形館に住んでた筈だよ。にしても・・まあ随分やつれてる事だね、一瞬誰か解らなかったなぁ」
「まあこの街でやつれない出来事なんかありませんからね」
「そりゃそうか。ニールもこんなんになる前に早く慣れろよ」
「慣れたくないなぁ・・」
「それならそれで構わないけど・・慣れなきゃ気が違ってこの通りだよ」
そう言って土左衛門を指さすと、ニールは涙目になりながら小さく「頑張ります」と発言した。
「では、私は蝋人形館に行って話を聞いてきますので。後の事は任せます」
「ええ、お疲れ様です」
警ら隊の男と別れると、こちらも撤収の為の準備を始めた。いくつか写真を撮った後、シーツに取り付けられたタグにサインをして立ち上がった。
「さ、帰ろうか」
「この死体は・・その、どうするんだ?」
「サインしたから放っておけば倶楽部の連中なりが取りに来るさね」
「倶楽部・・?」
ニールが『倶楽部』という単語に疑問を示したが、今精神力が削られている彼にこの知識を与えるのは憚られた。ぐずぐずしていると倶楽部の奴が来てしまうし、来てしまったら紹介せざるを得ない。
彼の精神安定を鑑みれば、今すぐ事務所に戻った方が賢明だろう。
「・・・・・・・・いつか会う事になるからその時にね」
「え?でも仕事に関わる事なんだよな?知っておいた方が・・」
食い下がるニールに苦い顔をしつつも、まあ食い下がれる元気があるし、遅かれ早かれと思い立ち止まった。
「今のお前に会わせるか迷ったんだけど・・・まあお前がいいんならいいか。『倶楽部』ってのは、『屍姦倶楽部』の略称でね。ま、名前から連想するイメージの通りの連中だ。ついでだし、会って・・」
「急いで帰ろう!白夜ちゃん、ダッシュで!!」
今日も迷い招かれ誘われる人
この街では、入れ替わり人が死に、立ち代り人が迷い込む。
「おう、白夜はいるか?」
事務所の扉が開き、ワイシャツの首元のボタンをだらしなく開けた、いつも通りの恙が入って来た。部屋には数人程度人がいるが、その中の眼鏡をかけた少年が部屋を見渡して、いつものソファーにいないのを確認した。
「いないけど」
「あー、白夜なら古橋に水死体上がったって聞いたから確認しに行きましたよー」
「そうなのか。すまねぇな小鳩ちゃん、ちょいと待っててくれるか?」
と、言って部屋に招き入れられた少女は俯きがちにオドオドしていた。
部屋に居た人はそんな少女に注目し、容姿が愛らしいのもあってどんどんと集まって来た。
「え、恙さんその子新入り?」
「ああ、新しい拉致被害者だ。まだ年端もいかない健常者で一般人だから、お前らキチガイがわらわら寄って集ると怖いだろ。離れてやれ」
「ひどーい、この中じゃ恙さんが一番犯罪者なのにー」
「俺は悪い事は軒並みやったが、お前らほど異常性癖がないだけマシなんだよ。ほれ、しっしっ」
恙が人を払うと、眼鏡の少年がお茶を運んできた。
彼は慣れた手つきで紅茶をいれ、部屋には美味しそうな香りが漂い始めた。それに刺激されたのか、少しだけ少女の表情が和らぎ、少年がカップを差し出すと少しはにかんで受け取った。
「流石アーサー君、モテ男だねぇ」
「茶化さなくていいよ。それより恙さん、白夜姉さんをご指名って事は、この子の教育に?」
「ああ、パッと見健常でまともに会話できる上、一人でこの街を歩いても大丈夫な女はアレ位しかいないからなぁ。それに年も離れてなくて同性の方が、色々いいだろ?」
「まあそうだろうけど・・白夜姉さんって今、ニールさんの教育についてるよね?掛け持ち大丈夫なの?」
「あ、あー・・」
「忘れてたんだ」
「まぁなんとかするだろ。他の奴つけるより、掛け持ちで疲弊しても白夜に任せた方がマシだ。そうだろ?」
「・・まあ、そうだね。僕もそうする」
この街は生きていくには少々過酷が過ぎて、大半の人間がどこかしら狂っている部分を持つ。突拍子もなく奇声を上げる位なら全然マシで、大抵は2年ほどで廃人になって死ぬ人が多いのだ。
最近はそれも、この恙が立ち上げた自治組織『いらない結社』が迷い人を保護、教育する事で大分マシになった。この少年、アーサーも半年前に迷い込み、その時の教育に白夜がついていたのだ。それ故に、彼女の力量は恐ろしい程に理解している。
アーサーはちらりと少女を見た。こんな大人しそうで放っておいたら瞬く間に発狂しそうな少女、白夜に任せなかければ半年持たずに死んでしまうかもしれない。
「あ、えっと・・その・・」
じっと見てしまっていたからだろうか、少女は戸惑っているようで言葉が覚束ない。
「ああごめん。自己紹介がまだだったね、僕はアーサー・篠宮。そこの篠宮恙さんの養子で、このいらない結社で事務をやってるんだ。よろしく」
「あ、はい。私は葛原小鳩と申します。よ、よろしくお願いいたします!」
見た目通り、一挙一動初々しくて可愛らしい。部屋の中は一気に和み、アーサーは心の中で周りの狼どもからこの子を護らなければと一人危機感を覚えていた。
そんな中、事務所の扉が開き、何故かニールを担いで現れた白夜がひょっこりと顔を覗かせた。
「だれか濡れタオル持ってきてやってー。おい、ニール事務所ついたぞ、そろそろ気をしっかりもて」
「どうしたの?白夜姉さん」
「帰りに飛び下りに遭遇して、激突の瞬間の顔と目があっちゃったらしくてなぁ・・・ははは、ま、巻き込まれなかっただけ運がいいって。よぅこのラッキースケベ」
けらけらと笑いながら話す内容ではないが、もうこの程度では笑い話にしかならないのがこの世界なのである。
もちろん、この話で笑えていないのは新入りのニールと小鳩だけである。
「白夜ちゃんスケベ関係ねぇ・・うえっ」
小鳩はニールの様子を見て、この世界で生きていく自信を少しばかりなくした。
そして物事の前提まで
男は話す。
まず前提から話そう。
ようこそお嬢さん、この狂った神様が治めるぶっ飛んだキチガイの街へ。
見ての通り、精神を病んだ奴らの巣窟だ。しかしこいつらも決して最初からこうだった訳じゃあない、この街に来てから、軒並みこうなったのさ。
ま、中には俺やそっちの白夜みたいに最初から変だった奴もいるけどなぁ。
原因と言やぁ、簡単に言えば夢見が悪かったんだろうよ。幻覚やら幻聴やらで惑わされて、現実が見えなくなっちまったんだろ。
ん?薬かなんかやってたんじゃないかって?まあ薬やってたやつは大半だろうけど、大抵薬っつーもんは頭がおかしくなってから使うもんだからなぁ。火に油は注いだろうが、予兆は避けられなかっただろうぜ。
どのみちこの世界は俺たち人間が暮らすのには適しちゃいねぇって事だ。おおっと、でも恐れなくていい。お嬢ちゃん達一般市民が健全に過ごせるよう、サポートすんのが俺等結社の役目だ。
この街の市民を管理して監視して徹底的に安定させて、生活を脅かす不和が発見されれば要因を突き止めて突き詰めて排除する。なーに簡単に言えば便利屋さぁ、気軽に使ってくれ。
市民よ健やかであれ、足元の屍を見るでない。ってな。
///
「此処が、今日から貴女の住む所。『幽霊邸』だよ。ああ、幽霊っていっても出る訳じゃないから安心して、ちょっとネーミングセンスが悪いだけさ」
とっぷりと日が暮れて、真っ暗な中で見上げる大きなお屋敷はおどろおどろしいものがある。『幽霊邸』、と紹介されたそこは、まるで明治時代にタイムスリップしたかのような、洋館と日本屋敷を足して割ったかのような、レンガ造りと屋根瓦が妙にマッチした見栄えをしていた。
「此処の大家さん、一週間前から行方不明なんだ。だから挨拶はいらないよ」
「えっ!?行方不明って・・」
「よくある事さ。大家がいないから少し不便な事もあるかもしれないけど、長くてもあと二週間辛抱して貰えれば、新しい大家がくるから問題ないよ。さ、小鳥ちゃん、鍵は預かってあるから部屋に案内するよ」
「え、え・・と、はい」
前を先導する白夜に、戸惑いながらついていく。
木造のドアが軋みながら開き、玄関をくぐると直ぐに目の前に大きな階段、隅に机と暖炉と少しの椅子が無造作に置かれていた。どうやら、玄関兼談話室の様だ。
「あら、白夜ちゃんいらっしゃい。その子が新しい入居者の子?」
入り口をまじまじと見渡していると、二階から降ってくる声に頭をあげた。
男の人・・の、様だが、口調と物腰がなんだかあやふやに感じる。やけに身長は大きいから男の人に見えただけだろうか?細身でモデル様な体つきをしていて、階段から降りてくるときにハイヒールを履いているのが見えた。
「小鳥ちゃん、この人は貴女の隣の部屋に住んでる路城慈恩さん。滞在歴5年の古株だし、ちょっとオネエな所以外は目立っておかしい所も無いから信用していいよ。あと、重ねて言うけどついてるもんはついてるから、そこの所は分別つけてあげてね」
「えっ、ふえ!?」
「やだもう白夜ちゃんたらセクハラよ、それ。改めて初めまして、慈恩って言うの。これから色々大変だろうけど、出来る限り力になるからね」
どうやらこの街では、比較的『普通』と称される人々でも少し規格外の様です。
役所-1-
「消耗品とかは此処の商店で買った方がいい。此処に無いものがあれば聞いてくれ、下手な所で買い物しようと思うと大変なものを掴まされる事がある」
「大変なものって、ぼったくり・・って意味でしょうか?」
「いや、言葉通りの『大変なもの』だよ。形ばかりはその通りのものかもしれないが・・まあ、原材料とかがなぁ」
「・・・あの、白夜さん。それってやっぱり詳しく聞かない方が・・」
「聞いてもいいけど、実際にそういう事があった人は自殺未遂をしたよ」
白夜から街を案内されていると、やはりこう言った話にどうしてもなってしまう事が多い。ぼかして話をしてくれるお陰で小鳥にそこまでダメージはないが、話を聞くと『自分にもいつかこういう事が起きてしまうのかな』と少し陰鬱な気分になってしまう。
白夜は街角のカフェに立ち寄り、珈琲とミルクを買って、ミルクの方を小鳥に手渡した。二人は歩きながらそれに口をつける。
「気を付けて生きていれば大丈夫だよ、私も2年こっちにいるけどピンピンしてるし・・・ああ、そう言えば小鳥ちゃんは案内されてこっちに来てたんだったね。じゃあ他の人より適正はあると思うし、大丈夫だよ」
「案内?」
「そう、こっちの世界に来るのには大まかに二通りあってね。誰かと一緒にこの世界に来るのと、本当に偶発的に一人でこっちに迷い込んでしまう場合がある。前者の場合は常識では考えられない、大いなる何かが人を選んで招いているから、この世界への順応があると言われてるんだよ」
とは言っても、その大いなる何かと接触出来るのは本当に最初の案内の時だけである。だからあれが何であるかは推測の域をでないものではあるが・・。
白夜はメインストリートから外れる様に歩き、街の景色は徐々に陰惨とした景色になっていく様子をあまり小鳥に見せない様に車道側を歩いた。
「小鳥ちゃんの場合は、ほらBARのマスターの姿をした老紳士だったって聞いてるけど。あの案内人ってこっちの世界に来て一番最初に出会う人の形をしているらしいからね」
「へぇ・・そうだったんですか。あ、じゃあ白夜さんも誰か迎えに来たんですか?」
「私は後者だと思うよ。こっちに来た時の記憶がないから確かな事は解らないけどね」
さらりとカミングアウト染みた事を言うと、小鳥は僅かに顔を曇らせた。
「・・・すみません」
「謝る事じゃないよ。ただ、記憶を無くしたという事はそこで何かがあった筈なんだ。その衝撃が無かったら、もしかしたら私はとうの昔におかしくなってたのかもね」
「・・あの、白夜さんは・・怖く、ならないんですか?」
恐る恐る小鳥が聞くと、白夜はカップのコーヒーを飲み乾して街角のごみ箱に落とした。
ゴミ箱の中には、良く見なければ解らなかったかも知れないが、誰かの体の一部が落ちている。見慣れていなければそれの区別はつかないだろう、だが白夜にはそれがハッキリと切り取られた『舌』である事が確認できた。
「ニールにも良く言ってるけどね。結構慣れるもんだよ」
白夜は当たり前の様に、ごみ箱の中を無視して歩き出した。
それから暫く歩いて店らしき店がなくなった頃、白夜は古めかしいアパートの前に立ち止まった。
入り口となるドアを開けると、おかしな事にそこは直ぐにエレベーターであった。エレベーターに入ると「開」と「閉」以外のボタンが見当たらず、白夜が「閉」を押すと直ぐにエレベーターは下降を始めた。
「あの・・白夜さん、ここは?」
ごうんごうんと、大きな音を立てて下へと潜りこんでいくエレベーターの箱の中、小鳥は随分不安そうに白夜の方へ目を向ける。
白夜は不安にさせまいと、滅法いつもどおりに変わらない表情で平静に言葉を返した。
「此処は『役所』だよ。この街が創られてから此処だけは一切変わっていないからずいぶん古いけどね」
大きな浮遊感と共に、エレベーターは止まった。エレベーターから降りると、日の光がまったく当たらない真っ暗な部屋だけが見える。辛うじて部屋の全貌が見えるのは弱弱しい蝋燭の光があるからだろう。
「やあ、白夜君。そして君は葛原小鳥さんだね。ようこそ」
聞こえた声に少し小鳥が驚いて、肩を震わせた。その声は密閉した空間に良く響き、空気が止まっているかのような無音さを突き破ってさぞかし大きく聞こえた事だろう。
部屋の中央、大きなデスクの上に山の様に本を積み上げて、椅子に深々と座りながら悠々と本を読んでいる50代後半位の男がいた。彼は老眼鏡を外し、二人をにこやかに迎え入れた。
「座りたまえ、直ぐにお茶にしよう」
彼こそがこの『役所』のただ一人の管理人である。
呼び声の街