practice(154)




 上を向いた蛇口に付いてた,石鹸の泡が伝って溢れて見えなくなる。水のせいだよというけれど,水栓を開いたのはソックスを脱いで,タオルを置いた,あなただった。
「そこ,跳ねない?」
 排水口に向かってくる冷たさに裸足を遊ばせて,運動場を広く見ている私に聞いたことだ。
「あんまり。気にならないよ。」
 そっか,と言って,ばしゃばしゃと黙った。顔を洗うのに外されたチューブの容器の蓋と,買ったばかりと分かる本体の脹らみは,見慣れた習慣を改めて思い返させる。化粧水をここで使う気はないのだと分かる。メニューもまだまだこなしていない。
「調子は?」
 聞いて,ひと間は待つつもりだった。
「勿論。」
 タオルを探しながらのサムズアップ。見つかって,顔を押さえている。汚れ落としが二回続いて,蛇口から見える水飲み場のアーチが大量に負けて,私の方に向かってさらさらと流れてきた。
 ホイッスルが鳴る。朝会で先生がいつも立っているところで,マネージャーと思われる子と,新人で審判を任されたかもしれないチームメイトが,長い紐が垂れ下がって,いくつかあるものを一つひとつ試していた。ピッとなる,新しいもの。ピーッと伸びなかったら,ダメみたい。
「そっちは?練習はしてないのか?」
 タオルから離れた顔で聞く。こっちも顔を見ながら答える。
「してるよ。もちろん。」
 ぱしゃぱしゃと,裸足で跳ねる。



 使い終わったハードルを片付ける,陸上部のお喋りは「あはは」とリズムが心地いい。そう言って,窓の開け閉めが交互になる。拭いている布巾を絞る手はじんわりと痛い。はぁー,っとするまで。



 罰として課せられた空き教室のカーテンは,捲っても不思議と埃が立たない。厚手で日差しを遮るのだけれど,風に包まれてよく広がる。そのまま引っ張られる格好になる度,備え付けのレールはキッと軋んで,静かになる。椅子も机も他に比べれば少ないだから,何か出来れば良いのだろう思うけれど,生憎,暇がない。ロッカーの上を背面の黒板で,端から,真面目にこちらに向かってくる姿を認めたら,軽いごみ箱を持って,「ちょっと待ってよ,」なんて慌てふためきを床に零しながら,蓋を引っこ抜く。がちゃんと勢いよく着地した蓋は,ブランコみたいな動きを見せたのを,視界の隅になんとなく捉えて,
「早くしてよね!」
 と低い姿勢で突進してくる彼女が集める色とりどりの,欠片は置き場を押しやられて,来る。踵を踏んづけていた彼女がつんのめった。あっ,と思って,ごみ箱を持ったまま,そこに立つ。顔を上げて,睨まれてまま,四階の高さに薄められた外からの音が紛れて,転がる。
 緑色の変色が目立つ黒板の前で,ほら!と怒られるかと思って,眉間に皺を寄せたつもりになって,キョトンとした顔を見せていた。
 うん,そうなのかもしれない。



 緑色した黒板の前で,練習場所の変更が伝えられて,クラリネットの写真を掲載したページが捲れ,ある教室の電話番号と住所が,丁寧な指導と参考となるスケジュールとともに書かれている広告の箇所からもう,動かない。筆箱の忘れ物なら,もう届けたからと廊下に伸びた話し声で,年上の人が,誰かに言っている。



 ポーン。



「五問目は?」
「答えを知らないんだ。知ったら出すよ。」
 ホイッスルが切るスタートは周りを回って,すごい勢いで通り過ぎた。短い息遣いまで聞こえて,振り上げる手に足があった。姿は止まって,少し辺りを暫く歩く。
  水栓が閉まる。きゅっという。
「風邪引くなよ。」
  裸足の足がすいすいと,動きを見せた。

practice(154)

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-11-28

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