軍議は踊る
架空の国の、ある国主の幼馴染みの話。こんな話が書きたいんだよ~というプレゼン的な短編です。
初めての投稿。色々手探りでして、奇妙な事をしていたらすみません。
射し込んできた光に、目を反射的に細めた。これまで歩いてきた椎の森を抜けたのだ。ずっと木々の影を踏んできたところ、突如開けた場所に出て、視界が白く焼けた。
それでも、しばらくすれば目は慣れ、真っ白だった視界に景色が徐々に浮かび上がってくる。天辺には突き抜けるような青い空があり、そこへと延び、だが急に途絶える岩肌。すっかり視認できるようになった前方にはこれから進む山頂の光景があり、太陽の位置が思ったより低いのに焦る。先を行く『敵』を追って山を登り出したが、その時の太陽の位置と今の位置からかかった時間を見積もって、進度が予定より早い事を知り。けれど目を凝らし見ても『敵』らしき姿はなく、追いついてしまっていない事に、ひとまず安堵する。だがすぐ、別の不安が過る。
(―――予想より、早く進んでるのか?)
『敵』を秘かに追尾し、先に待ち構えている味方の本隊と『敵』を挟み撃ちにするのが今回の作戦だ。味方本隊が陣取る場所と敵の本拠地への道は3つあり、その全てに別働隊が潜伏し、追尾できるようにしてあった。その一つを任され、其の為に3日ほど前から潜伏場所に待機していた。今朝方『敵』が敵本拠地より出立したと報せを聞き、同時に当たりを引いたのが自分達とも言われ、実際『敵』が自分達の潜伏場所前を通過したのを見届け、出立した。敵の機動力を考慮し、ちょうどこちらの本隊と『敵』がぶつかる少し前に敵背後を襲う段取りで部隊を進めたつもりだが、こちらが見積もったより敵の機動力が上だった、という事だろう。
身に纏う鎧の下に、冷たい汗が流れた。これでは、作戦遂行が出来ないのでは? 『敵』を知り、かつ数多の戦を駆け抜けた経験を買われ、指揮を任されたというのに。
もっとも、味方本隊だけでも、『敵』と対峙するには十分の戦力を持っていた。それを知ってなお、『敵』は正面より向かってくるだろう、というのが“軍師殿”の所見で、実際、『敵』はおそらく知っているであろうに、出陣した。出陣して、真直ぐ、こちらの本陣正面に出る最短経路を突き進んでいる。そういう気質なのだ。
勇猛果敢。あるいは、猪突猛進。
『敵』の軍は、他者からそう評されるし、また、身を持っても知ってもいる。『敵』とは、半年までは同じ夏家宗家当主を主と仰ぎ、同じ軍旗の下にいたのだから。しかし、宗家当主が突然死去し、まだ15歳の亡き当主の息子が跡を継ぎ宗家当主となったのを不服とした分家の主―――亡くなった主君の弟で直接的な主、が反旗を翻した為、『敵』となった。
つまり、『敵』とは同類だ。まして、従軍して30年の自分なんかは、『敵』が敵であるより、味方である時間の方が長いし、親しみがある。けれど自軍にもあったかの猛々しさは、やってきた“軍師殿”により『愚直なまでの』という言葉が被せられ、賢さと軍事力を得た代わりに枷をはめられて今や別物だ。だが、それも仕方がない。『敵』に勝つ為には、隣国と手を組むしかないのだから―――と頭で理解していても、胸の内の靄がかった不快感は拭えず、部下には知られぬよう、ひっそりとため息を溢し、部下の一人を呼びつけ、周辺に『敵』の姿がないか探るよう命じた。
しばらくして、帰ってきた部下より周辺には誰もいない報告を受け、道を進む。道は尾根へと延び、山頂の手前で山頂に岩山を登る道と、迂回して反対側へと下る道に分かれる。無論、物見遊山ではないので登頂などせず、ただひたすら『敵』を追わねばならないので、迂回路を進まねばならない。その道の黒い岩肌を、ざりざり、ざりざり、踏みしめる複数の靴音。また、飛び散る小石を目と耳で追うともなく追っていると、脳裏に作戦を言い渡された時の“軍師殿”の言葉が甦る。
『どうせ、南寛の連中は突進しか能がないんだろ? 頭に血を上らせて、僕らが待ち構えている所に突っ込んでくるだろうから、多勢で迎い内叩き潰す―――と見せかけて、後ろからも攻めて挟み撃ちして殲滅。これで戦争終結、僕らはほぼ無傷のこの地を手に入れるってわけさ』
臆面もなく、軍議の席で嘲笑う様に話す、見た目は童にしかみえぬ“軍師殿”に、何人が思わず腰の剣に手をやっただろう。確かに、身内に裏切られ、城を1つ奪い取られた『敵』が頭に血を上らせ突き進んでくることは、その場にいる誰もが予想できた。元身内のことだ。と、同時に“軍師殿”のいう『南寛の連中』には軍議の席にいる隣国の関係者以外も含まれている事も分かり、実際気質的にはその通りで、だからそれを曲げて『南寛の連中』をあからさまに蔑む“軍師殿”の言葉に従わなければならない現実を忘れ、皆激昂した。主の諌める言葉が無ければ、本当に軍議の場に血が流れたかもしれない。
思わず、右に手を広げ、しげしげと見た。この度、自分が別働隊の指揮を任されたのは確かにこれまでの戦績と、『敵』を良く知っている事が理由だが、もう一つ、軍議の席で“軍師殿”に反抗的な態度を取らなかった事も理由だった。少なくとも、剣に手をかける、という行動には出なかった。だが、自分とて、“軍師殿”を斬ってやれたら、とは思ったのだ。思ったが、どうせそれは成すことが出来ぬことだし、万が一成せたとしても、それは『敵』に勝つ前に隣国に滅ぼされる結果を招くことは火を見るより明らかであることを覚えていられるぐらいには、周りより自分は冷静だった。そして、“軍師殿”はそんな自分の諦観すら見抜いて別働隊を自分に任せたのだと思う。
(―――本当、ままならんな……)
それでも、主が決めた道を進むしかない、と胸に渦巻く気持ちは戦場では枷になるから、無理やり抑え込んで、先を急ぐ。
そして、再び森の中へと入る。再び生い茂る椎の影の下に足を踏み入れ、視界が暗くなる。突如穴の中に突き落とされた様な感じがし、軽く眩暈に襲われた。と、その回る世界の中に、不自然な影を一つ――否、二つ、否、三つ……… 複数の影を見つける。影はこちらから見てちょうど椎の幹の裏側から、こちらを待ち構えていたかのように、ぬっと現れ、近づいてくる。
不自然な影はやがて人型になった。自分や部下が身に着けている鎧と同じ南寛様式のものを纏っている兵だ。彼らは、何故? とさえ思えぬほど現実味がない。近づいてきているのに、足音もなく、それどころか音は何も聞えない。葉と葉の隙間から落ちる微かな光が妙に白々しい。その中、金縛りにあい、身動きさえできない。
(これは、夢か?)
白昼夢で、南寛一帯を治める夏家の本拠地・江紗の守備の要として度々戦場となったこの山で戦死した同胞の亡霊が、まるで内心不服ながら、主人に異を唱えることもできず、主家だった宗家に流されるまま剣を向けた自分を叱咤、あるいは侮蔑するかのように現れたのか?
すると、亡霊の一人が、自分の名を呼んだ。見れば、かつて自分がお守りした亡き宗家の当主だった。
(ああ、やはり憤っておられるのだ、我々の裏切りを!!!)
だが、それは錯覚だと、悟る。
「剣を取れ!!!」
己の名を呼んだ亡霊が、亡き宗家当主などではなく、その面影を強く残す、だが自分が知る亡き当主より年若い容姿の、亡き宗家当主の息子であるのだと気付き。
「わか、さま……」
亡霊が出てきて自分を責めたてるより、目の前の現実の方がより信じ難く、呆然と呟く。すると、目の前の『敵』の総大将がにやりと笑う。
「ここでオレを倒されば、内乱が終わる! で、お前が英雄だ!!」
まるで子供の揶揄のようで、だが視線には有無言わせぬ力強さがあり、思わず足がすくんだ。それは部下達も同様で、困惑したように皆、立ち竦む。その中、先程斥候に出した部下が飛び出し、『敵』の中へと加わった。元から内通していたのか、斥候に出した時に懐柔されたのかは分からない。どちらにせよ、『敵』の動静を探りに出て、『敵』を見つけたが、黙っていた。そして、自分達は罠に見事にかかったのだ。
しかし、それは、見方を変えれば、とても「らしく」なかった。南寛気質に反するし、少なくとも、自分が知る『宗家の若様』は、真直ぐで豪快だが、同時に短気、それこそ南寛気質を体現したような人となりで、裏切者はけして許したりはしないだろうし、斥候を見つけようものならその場で切り捨て、単騎でも待機している敵部隊に突っ込んでも不思議ない。それが、斥候を懐柔し、敵を待ち伏せして迎え撃つだなんて。
けれど、意外なのはそれだけではなかった。あまりに動揺していて気付かなかったがが、背後からも『敵』が現れていて、すっかり自分達は囲まれていた。その手際の良さは、どう考えてもこちら側の作戦を読んでいたとしか思えなのだが、そのような戦い方は本当に「らしく」ない。南寛の作戦といえば、「当たって蹴散らせ」がほとんどで、兵法を学びはするが、元々南寛の兵は個々の戦闘能力が高いこともあり、蹴散らした方が手っ取り早いと策という策を練らない軍だった。余所者である“軍師殿”も、だから本拠地を出て進軍する『敵』を、ただ特攻してきただけだと疑いもしなかった。なのに、別働隊の存在を察知し、それを誘い込み、本隊と切り離された状態のところを突くだなんて!
(一体、これはどういう事だ?)
これこそ白昼夢の中にでも迷い込んだような、或いは何かに化かされでもされたような気がして、呆然と呟く。目の前の人物に斬りかかり倒せば、それこそ彼が言ったように『英雄』になれる事さえ頭からは飛んでいた。ただ、到底まとまらぬ疑念だけが頭の中でぐるぐる渦巻いている。そこに、誇らしげな声が響く。
「どうだ、すげーだろ、見事にお前らの作戦を読み切ってやったぜ!!」
顔も、随分自慢げで、驚きも飛び越え、思わず問う。
「まさか、若様が!?」
だが、すぐに否定が返ってきた。
「なわけーねーよ!」
けたけたと、豪快な笑いと共に。その返答には、ですよね、とすぐ納得できた。できたが、だとすると誰が読んだのか、という疑問が当然、生じる。自分達同様、外来より『頭脳』を借りてきたのだろうか?
そんな疑問を汲み取ったのか、はたまた明言したいだけなのか。けたけたと笑っていた少年は、胸を張って告げた。
「神のお告げ、ってやつだ!!」
「……………………は?」
結局、戦意を失くした夏分家軍別働隊は、そのまま宗家軍に下った。この無血の戦こそ、『花神に愛されし将』とその名を大陸に轟かせる夏 貴明の最初の戦だった。
内乱の初戦を勝利した宗家軍は、隣国の助力を得て数的には有利な分家軍と一進一退の攻防を続けながらも、一糸乱れる統率力と決して衰えぬ高い士気、そして『神のお告げ』と称して全軍に出す策で徐々に、だが確実に分家軍を圧していった。
それから3年。
いよいよ南寛の覇権を決する戦を前にした、吉日。
首都・江紗の夏家宗家の邸宅前に、一際華やかな一団が到着した。
皆、上衣下裳の礼服に身を包み、静かに、けれど流れるような動作で、担いでいた輿を地に下す。黒塗りの屋根より垂れ下がる御簾には百花の文様があり、それで彼らが花神に仕える花家に属する神官一行である事が分かる。
そして、下された輿から、一人の人物が降り立った。
一目で一行の中で一番位の高い者と分かるきらびやかな衣装と装飾を身に着けた人物は、しかし、静謐を湛える表情泣き白き面をかぶっており、素顔は知れなかった。
その面をかぶる人物を、夏家宗家は主である貴明が、自身も礼服を身に着け、拱手して恭しく出迎える。
「お待ちしておりました、“月季”殿」
それもそのはずで、これからまさに『花神に愛されし将』と称される所以の、戦に勝つ為の策―――『神託』を得る儀式を、面をかぶる人物・“月季”が執り行うからだ。
貴明は戦の前には必ず、花家の神官“月季”を招いた。花家が信仰する花神は舞踏の神で、本来は神官が行う“神卸の舞”は厄除けなどの祓いの舞であり、神託は歌謡の神を祀る月家が預かるところなのだが、貴明は内乱の初戦の前に勝利の祈祷を行ったところ『神託』を得、勝利した。以来、専門外ながら、戦の前には欠かさず花家の神官である“月季”を呼び、祓いの舞を舞ってもらう。とはいえ、花神はあくまで祈祷・厄払いを行う神であり、神託は下さらない。ただ舞を踊ってもらう最中に、貴明が策を思いつくのだ。だが、それもまた花神の思し召しとされ、故に『花神に愛されし将』と称される。
その夏家宗家の命運を分ける儀式は、あくまで、私的なものだった。本来、神官はその地を治める豪族の邸宅とは言え、個人的に訪問して舞う事はしない。まして“月季”は南寛一帯の支部長で、最高位。花家全体の中でも序列5位の高位神官で、例え南寛を治める夏家の当主でもおいそれと呼びつけるわけにはいかない相手だ。ただ、貴明と“月季”が幼馴染故、幼馴染の無事を個人的に祈りたいと、来てくれている。もっとも、それさえ本来は禁じられている事なのだが、その辺は夏家が花家に多額の資金を奉納している為、黙認されていた。
なので本来最高級のもてなしをしなければならない賓客でも、出迎えるのは貴明とわずかな家人のみ。また、“月季”も夏家の中にまで連れる供はおつきの巫女一人だけだし、儀式を執り行うのは大広間でもなければ、客間でもなく、貴明の私室だった。
それももう何回も行われた事なので、澱みない足取りで“月季”は夏家邸宅の奥にある貴明の私室へと向かう。その後を“月季”の供、そして貴明が続く。誰一人言葉を発することなく、足音だけが廊下に響いた。
しばらくして、貴明の私室に辿りついた。私室とは言え、宗家当主の部屋だけあり、十分に広い。先に“月季”とその供が入り、最後に貴明が入る。貴明が戸を閉めると、先に入りいつもの定位置に座っていた“月季”がおもむろに面を外し言った。
「早く、見せろ」
面の下から、清廉な美少女、としか言いようのない、綺麗な顔が現れた。名の“月季”花というよりは白い花を思わせるが、何にせよ『花』を連想させる容貌とは裏腹、挨拶さえしない愛想無さに貴明は苦笑する。
「本当に、お前は、可愛げがないな、彩珂」
「……見せないなら、帰るぞ」
己の言葉が嘘ではないと示す様に、“月季”こと彩珂は面を再び自分の顔に被せ、立ち上がった。“月季”とは花家の中での位を示す名称で、夏家の家人が周囲にいない場所では貴明は彩珂個人を示す名前で彼を呼ぶ。
「あ、待て! 見せる! 見せるから!!」
それ程に親しい間柄なので、それが冗談など全く言いそうにない彩珂が半分冗談で言っている事であることは分かっていたが、分かっているからこそ大げさに慌ててみせ、貴明は彩珂が要求するものを差し出した。それは数多の書簡で、彩珂は目の前に積まれた書簡を、最初からそうすればいいんだ、といった視線で貴明を一瞥してから読みだす。手に取ったものに一通り目を通すと、次の書簡、それが終わるとまた次の書簡と読み進め、目的である“神卸の舞”を始める気配をいっこうに見せない。しかし、貴明も、彩珂の共も、誰も異を唱えない。
それから半刻が過ぎ、彩珂は全ての書簡に目を通し終える。すると、供の由宇に、すっと手を差し出した。由宇は心得たと言わんばかりに一度頷くと、胸元から書簡を一つ取り出し、彩珂に手渡す。その時、衣の隙間から由宇の豊かな胸のふくらみが垣間見え、貴明が身を乗り出してみると、彩珂が咳払いをした。
彩珂が侮蔑した眼差しで貴明を見る。だが、そういう冷たい目で見られることに慣れている貴明は、臆することなく、口笛を吹きながら視線を泳がせる。
「……帰るぞ」
「悪かった! 悪かったから、頼む、帰らずにくれ、否、下さい『神託』!!」
今度は割と真剣に謝り、引き留める。すると、彩珂は溜め息を一つ溢し、浮かせた腰を再び下ろす。それから、由宇より受け取った書簡を広げ、貴明に見せる。
それは、地図だった。今度の決戦の地となる地とその周辺の、とても詳細な。彩珂はその地図を指差しながら、語り出した。『神託』―――夏家宗家の戦略を。『神託』とは、何のことはない、彩珂が発案する策にしか過ぎなかった。
事の発端は、やはりあの最初の戦。裏切られ、憤り、すぐに戦の準備をした。叔父側が隣国の後ろ盾を得たことを聞いても怯むことはなかったが、数的な不利が頭にないわけでもなく、個人的に交友のあった彩珂に秘かに頼んだ。自軍の勝利の祈祷を。そしたら、彩珂は一言言い放ったのだ。そんな神頼みをするより、頭冷やして策を考えろと。
まるで冷や水をかぶせられたような思いだった。他の誰かに言われたなら、怒っただろうが、神官の彩珂に神頼みなどするなと言われ、突き進むのみと決していた自身を思わず顧みてしまう程、衝撃的だった。
妙に考えを改めた貴明は、例えばどんな? と、聞き返した。すると彩珂は、あれやこれや、考えられる相手方の動き、対する自軍の対応を語り出した。ただ、あまりに数多くの案が出てきたので、考えを改めたとはいえ急には利口にもなれず、で、どれなんだ? と貴明は尋ねたのだが、情報が足りんから絞れん、と返されたので、求められる情報を与え続けた。そして、一つの策が出来上がり、それこそがあの初戦を勝利した策だった。
それからずっと、彩珂を『祈祷』依頼と呼びつけては、策を出させた。彩珂はいつも、そんな重大な事を自分には決められない、といいつつも、入念な下調べを貴明に命じ、見事な策を編み出してくれた。無策で飛び込まれ死なれるよりはいい、と。だが、自分にも立場があるので、絶対に他言するなと念を押し、とはいえ考えなしで有名な夏家が突如策を弄しだしたら訝しがられるだろうし、どうしたものかと悩む彩珂に、大丈夫だ、この際『神託』にしてしまうから、と言ったのは貴明だ。それは彩珂が思いつかなかった解決策だったらしく言われた彩珂は、それはそれは驚いた顔をした。貴明はその滅多に見る事ができない唖然としたような顔に、貴明が悩み、彩珂が打開策をさっと差し出すといういつもの立場が逆転した状況に大分気を良くした。
「おい、貴明、聞いているのか?」
そんな過去の栄光に耽り、彩珂の話を聞き流してしまったようだ。見れば、怖い顔で彩珂が睨んでいる。こういう時は変に誤魔化さない方が良い。
「すまん、聞いてなかった」
貴明が素直に非を認め頭を下げると、彩珂がどこか困った様に貴明を見つめ直し、それから深い溜息を溢した。
「………全く……。もう、怒る気も失せた」
そう言うと、もう一度言うから今度はよく聞けよ、と彩珂は広げた地図を指差しながら、話し出した。多分、たった今貴明に説明していたであろう話を。
彩珂は本当に頭が切れる。話す姿など、詩でも諳んじるのが相応しいのに、内容は緻密に練られた軍略だ。その軍師としての才もさることながら、説明も上手い。頭で考えるより身体が先に動くからか、頭で考える事が出来ないから身体を動かすだけなのか、自分でも何とも言い難いがとにかく考えるのが苦手な貴明でも彩珂の話は理解できる。とても簡潔かつ、相手に分かり易いように話す。
本当に、勿体無い。
彩珂の『神託』を受けるたび、貴明はその想いを募らせた。本当に、正式に軍師だと、迎えてしまいたい、と。だが、それがどうしてもできない事である事だと、色々無理を通しては重臣たちに苦い顔をされる貴明でも分かっていた。本来『三柱の神の遣い』は、民を支配する自分達豪族ですら干渉する事が出来ぬ存在なのだから。その規則を擦れ擦れのところで何とか誤魔化し自分と交友を続けてくれている幼馴染みの顔をつぶすような真似など、してはならない。
それに、知っていた。幼馴染みだって、本当は『神官』より『軍人』になりたい、と願っている事を。その願いを、貴明は直接伝えられていない。だがずっと近くで育ってきた貴明は知っていた。そして、その願いの根底も。
だから、回りくどいと焦れ、面倒と思いながら、貴明は彩珂の、本人曰く“茶番”に付き合う。うちの軍に入れよ! という勧誘の言葉をぐっと飲み込み、今日も『神託』を授かる。
「まあ、こんな感じだ。質問は?」
貴明が思いつく何十手も先まで考え抜かれた『神託』に、口を挟む余地などなく、貴明は首を横に振って、頭を深々と下げた。終始砕けた雰囲気の貴明も、最期だけはきちんと締める。
「“月季”殿、今回も有難うございました」
しかし、その礼を尽くして感謝する貴明に、ひどく嫌そうな表情を浮かべた。その人間らしい様に貴明は笑う。
終り
軍議は踊る