蝉の息
ある日同窓会で地元には帰る草太は、自分を育ててくれた祖母が年老いていたことに戸惑う。祖母は草太に迷惑をかけたくないという思いから、自らヘルパーを頼み暮らしていた。そして、ヘルパーとして祖母つた子に献身的に尽くす
幸と出会う。草太と幸は互いの深い傷を隠したまま、互いに寄り添っていく。
蝉のように声をあげて鳴くこともできない二人は息もできない現実を歩く、
どうにもならない、現実となにかに怯えながら
互いに重く背負った運命が動き出す。
連載中
同窓会
pm10:00
ガラスからこぼれるオレンジ色の光。
外に出された看板の居酒屋一気という文字が
チカチカと照らされている。
扉の格子の部分には筆で乱雑に書かれた、
貸切の文字。
その横には北一高校同窓会同窓会書かれている。
大勢の笑い声が騒がしく響き渡る。
引き戸を開け、店に入る
横溝草太(27)
「悪い……遅れて」
息を切らす草太が顔をあげると
40人ほどの男女が一斉に入り口を見る。
「でたーーーーー」
大きな声で叫ぶ同級生古谷武(27)
酔いがまわったおぼつかない足でテーブルに
立ち上がる。
「はい!北高全員注目!みなさんお待ちかね!
イケメンカリスマ美容師登場ーーー!!」
武は大声で叫ぶと一瞬よろつく。
武の服をひっぱり机から降ろそうとする草太。
「やめろって…恥ずかしい」
机から降りた武は草太の肩に手を回す。
「なんでだよー。なんでよーいいじゃんかよー」
酒の匂いが漂う武の近ずく顔を手で払う草太。
「はい!マジ聞いてください!みんな注目!」
大声で叫ぶ武の口を手で塞ぐと
息ぐるしそうに叫び続ける武の横で
顔を赤らめる草太。
「勘弁して…」
6人ほど座れるカウンターテーブル。
忙しそうに洗い物をする店主。
草太と武は隣同士で座っている
「っていうかよー!おまえたまには帰ってこいよ!」
草太の肩を組みうなだれる武。
「帰ってるって」
呆れたように笑う草太。
「うわーーこいつマジで水くさい!なんなの?
連絡ぐらいしろよ!」
「いやっ…帰ったっていっても仕事あるしさすぐ
また帰る感じだから」
「なんだよー!連絡ぐらいしろってー」
グラスビールを飲み干す草太。
「…まってよ!あれじゃん!おまえも都内きてん
だろ??」
バツが悪そうに表情を曇らせる武。
「……まあ…そうだけど」
「おまえも連絡してないじゃん」
大声で笑う草太と武。
「でもまじな話どう?」
武の真面目な顔に一瞬驚く草太。
「どうって?」
「どうって色々だよ!」
「……」
草太は深いため息をついた。
「……ちょっと疲れてるかな」
「何に?」
「色々」
「なんだよ……色々ってすげえ気になる」
草太の肩を武は軽く叩く。
「まあ……でも俺なんて安月給サラリーマンやっちゃって
三年だけどさ、お前は俺らが遊んでる時からバイトしてやって
たもんな。なんか社会にでておまえのすごさっていうか
そおいうのかんじちゃってるわけよ!」
鼻で笑う草太。
「なんだよ……それ」
武は草太の耳もとに顔を近ずける
「ここだけの話いくら?給料?
客とかかわいい子食いまくりなの?今度さ……」
武を突き放す草太。横目で武をにらむと
「っとに……ゆきちゃんに言いつけるよ」
焦って立ち上がる武
「いやいやいやいや……やめてよ
そおいうのーーー」
笑う草太。
「横溝くーーーーん」
甘い声で草太の名前を呼ぶ同級生。
三人の女子に囲まれる草太。
気まずさから逃げるようにグラスを持ち
カウンターを離れる武。
「さーー。むこうで飲も!」
「久しぶりだね」
草太は近ずく同級生達に笑いかける。
忘れかけた面影
波の音だけが響いていた。
空はまだ夜とも朝ともどちらともいえない
重苦しさを残していた。ただもうすぐ
夜明けであることは確かだった……
サーフボードを脇にかかえ、
ウェットスーツを着た草太が
海岸でただ1人波を見つめていた。
ただ、草太は波打つ水面に、走馬灯のように
流れる悲しい情景を見ていた。
建物の大きさに比べ広い庭には
芝生が敷き詰められている。
手入れをされていない花壇には花が飾られて
いた時代があったのだと想像できる。
そこは草太の実家であり、
半年ぶりの帰郷となった。
草太は青く茂る芝生の上にサーフボードを
置くと、庭の古びた水道で砂を落とした。
首からかけられたタオルには髪の雫がたれている。
ガラガラと音をたて玄関の引き戸を開けた。
「ばあちゃん?」
草太は首にかけてあったタオルで足を拭くと
玄関へとはいっていく。
「ばあちゃん?いる?」
静まりかえった家から声は聞こえない。
台所からかすかに
鍋を煮る音が聞こえ
台所にむかう草太。
祖母は台所にいる、そう思った。
「ばあちゃん?昨日同窓会があって
そのままさぁ……」
草太は台所にかけられた古い暖簾をくぐる。
そこには台所で料理をする西上幸(24)に
足をとめる。
そして、祖母ではなく見たことのない幸
がいたことに驚いただけではなかった。
草太のが幼き頃の記憶に残る亡き母の姿が一瞬
重なったのだ。
「……」
幸は草太に会釈する。
「…おはようございます」
草太は我にかえったように大声をあげた。
「あの!ばあちゃんは?」
居間から聞き覚えのある声が聞こえる。
「草ちゃんかい?」
それは草太を呼ぶ横溝つた子(84)
の声だった。
古いタンスが置かれた8畳ほどの居間には、所狭しと
布団が敷かれていた。
古い毛羽立った畳に手をつき、
ゆっくりと布団の上に正座するつた子。
ほころびた髪に浴衣姿が、かつて健康だった
つた子の姿を変えていた。
「ばあちゃん。どうしたんだよ」
つた子はバツが悪そうにこめかみに手をあて
目を閉じる
「なんでもないんだよ。たいしたことないんだよ
ほら……朝起きる時に腰をヒョイっと変な体勢で
やってしまってね腰をね。でもたいしたことないんだよ」
心配そうにつた子の背中をさする草太。
「なんだよ。連絡しろよ。平気じゃ
ないだろ?」
「大丈夫だよ。おばあちゃんも年なんだよ。
心配することじゃないよ」
襖が開いた。
そこにはお盆を持つ幸がいた。
「横溝さん。食べられそうですか?」
つた子は幸を見て微笑んだ。
「ありがと、ありがとそこに置いてくれれば食べるよ」
草太は幸を信頼するつた子を見つめ
半年ぶりに訪れた祖母の姿が変わり困惑する
感情におしつぶされそうだった。
つた子は草太の肩を軽くたたくと
「孫なのよ。前に話した」
幸は草太に会釈すると笑いかける
「前につた子さんが話されてた、東京の…美容師さんですよね?」
「そうなのよ」
つた子は自分のことのように、誇らしく言った。
草太は幸に会釈する。
「幸ちゃん。腰を悪くしてからお世話になっている
ほら、えっと介護員さん」
幸はクスッと笑った
「ヘルパーです」
「そうそう、ヘルパーさん」
つた子と幸は肩を揺らして笑う。
「ばあちゃん!そんな悪いの?」
草太の頭の中に余裕が消えていた。
「大丈夫だよ」
「大丈夫って、ヘルパーさん雇って
いつからだよ。電話でもなんで言わないんだよ。」
「立てることは立てるし、つかまれば大丈夫
なんだよ」
つた子は椅子につかまり、ヨロヨロと立ち上がる。
「ほら!大丈夫だし、立ってしまえば動けるんだよ」
「………」
心配そうに見つめる草太。
「大丈夫だから」
幸は壁にかけられた時計を見て立ち上がる。
「横溝さん。私時間なんで行きます」
「ありがとありがと」
「それじゃあ、また、きますね」
草太に会釈をすると、幸は部屋をでていく。
つた子は手を振り幸を見送ると草太の肩に
手をかけた。
「お隣の浅井さんがね、介護保険のことやらなんやら
教えてくれて…それで幸ちゃんがきてくれてね、
とってもいい子だよ」
心配そうな表情を変えない草太につた子は
優しく笑いかけた。
「大丈夫、おばあちゃんは大丈夫だから、
なんとかこうしてやってるから」
うつむき静かに草太は頷いた。
腐っても鯛
表参道では人々が幸せそうに歩いている。
ガラス張りの広い美容室の
店内は若い女性が本を読んだり喋ったりと
楽しげにその空間を彩っている。
たくさんの観葉植物が置かれた店内のフロア
では忙しく中心となり働く草太がいた。
草太働く笑顔で一人見送ると
金本麗奈が待つ椅子へとむかった。
手足が長く、まるで人形のような麗奈の目は
草太を追う。
草太ははしゃぐ麗奈の話を笑顔で聞いている。
窓際にある広い受付から
二人の様子を見つめるネイリストの岩崎花苗
とアシスタントの浅井真美。
花苗は首を一周まわす。
「…腐っても鯛ね…」
隣にいる真美は花苗の顔をじっと見つめる。
「なんですか?それ?」
花苗は大きくため息をついた
「だから!腐っても鯛なのよ」
言葉の意味がわからない真美に顎
を使い指した方向は草太と麗奈だった。
「あの麗奈って子…やっぱりモデルやってただけあって
きれいだってこと!」
「あーーー!そういうことですかー?
腐っても鯛ね!先輩すごーーい!」
花苗は真美を笑いながら睨む。
「完全に狙いを絞ってきたのね…」
草太と麗奈の姿を見つめながら二人は
同時にうなずく。
「なるほどね…ハサミを使う職業を狙ってくるとは
あなどれない女だわ…」
「確か…収入もよければ、見た目もいい、そしていつも
きれいにしてもらえる、一石二鳥!いや!一石三鳥ですね!」
草太と麗奈の様子を見つめる二人は
突如はいってきた女性客に一瞬驚くが、
笑顔で切り替える。
「いらっしゃいませーー」
人には見えない悲しみ
営業が終了した静まりかえった店内。
たくさんの従業員達がモップをかけたり
掃除をしている。
草太は自分の道具を丁寧に磨き上げる。
時折何度もポケットの携帯の着信を確認する。
カバンを肩にかけた、後輩の黒田真斗と
真美、花苗がバックヤードからでてきた。
「おつかれっすー」
黒田は軽い口調で草太に話しかけた。
「おつかれ」
軽い笑顔で対応する草太に真美は
鍵を閉めるジェスチャーをする。
「鍵閉めですか?草太さん?」
「うん」
黒田は調子いい口調で酒を飲むジェスチャーをすると
「行っちゃいます?」
とみんなを飲みに誘った。
花苗は顔を手で覆うようにさわり
「でも肌ボロボロになるのよねー
でもらそんなに言うならーー」
嬉しそうに対応する。
黒田は草太の肩に抱きつくと
甘えた口調で絡む
「そうさん!行きましょーよーー」
草太はポケットから携帯をだし、
画面を見ると困惑しながら
「えっとどうしようかな…」
RRRR…
その瞬間草太の携帯が鳴った。
急いで携帯をだし、画面を見る草太。
「悪い!今日はパスで!」
慌てて店外に出る草太を見つめる
黒田、花苗、真美立ちすくむ。
「…女ね…」
ボソッと言う花苗にリアクション大きく反応する
黒田。
「もしかして、鯛からですか?」
と花苗に聞く真美の言葉に
さらに大きなリアクションで反応する黒田。
午後11時を回っている表参道には
まだ多くの人が賑わっている。
店の横の壁にもたれつた子と電話をする草太。
「…うん。大丈夫?
なんで、電話でてくれないの?
毎日さ…うん…心配だからさ…」
うつむき草太はスニーカーを見る。
「うん…わかった…うん
来週またいくから。
いいんだよ。俺が行きたくて行ってるだけ
だから。
わかってる…うん
なんかあったらすぐ電話はしてよ…
うん…じゃあ…」
草太は電話を切ると空を見あげた。
「……」
再び携帯をいじり、ブックマークを開くその
画面には
有料老人ホーム
心安園
「……」
草太は深いため息をついた
微笑みの答え
そこは暗闇だった。
真っ黒な暗闇の奥には小さな光が
こぼれている。
その光の穴から風が吹くと
血のついた万札が数枚舞う。
草太は恐怖から逃げるように起き上がった。
夢から覚めると
肩で呼吸をしながら額の汗を
腕でぬぐった。
そこは都内のマンション
広い寝室のベッドに座る草太。
混乱した表情で目を閉じると
右手を強く握りしめた。
広い市役所のロビー
天井からかけられた看板には
支援課と書かれている
草太の対面に座る初老の男性の名札には
白井の文字
達筆な字でメモをとっている
「…なるほどなるほど」
白井は紙に書かれた草太の名前に赤い印を
つける
「ではあなたがキーパーソンと
いうことでいいんですね?」
「はい」
「ご両親は亡くなられてて…」
草太は言葉を詰まらせる
「……はい」
白井は優しく微笑む
「いやっ…横溝さんの話だとご家族いらっしゃらない
ということでしたから……
よかった」
草太は両手を握りしめる
「………祖母が…そう言ったんですか?」
白井は草太のこわばる表情をなだめる
ように微笑む
「きっと迷惑かけたくなかったんでしょう。
そおいう方とても多いんですよ」
「……」
「みんな家族には迷惑かけたくないものなん
ですよ」
「…はい」
草太は絞り出すような声で答える
「大丈夫ですよ!
私達も精一杯やっていきますから」
草太は白井に深く頭をさげると
思いたったように顔をあげる
「あの!もしも……このまま一人でいる
のが無理な場合……」
白井は草太の深刻な表情に困惑した
「大丈夫ですよ」
「…でもっ、もし……」
「そうですね。その場合色々な方が
おられますよ。ご家族で看る方も
いらっしゃいますし…
施設へ入居される方もいらっしゃいますし」
「……」
「なにかお考えがあるのですか?」
草太はうつむいたまま静かに答える
「……いえ」
白井は草太の肩を軽く叩く
「……介護という中にはお金や家族…
色々なものが複雑にからまってきます。
みなさん、考えて考えてなにが最善なのかを
手探りで見つけていってるんですよ」
草太は唇を噛み締めると
静かにうなずく
「今日もこれから行くんですか?」
白井は草太の足元の買い物袋を指さすと
再び微笑む
「こんなに思ってくれるお孫さんがいるだけで
幸せですね」
固くなった草太の心をほぐす言葉だった。
蝉の息