死人
冬がもうすぐ終わると言う頃に全てを失った俺はもう笑えない。涙さえも出ない、ただ呆然と立ち尽くす。
君と見たあの綺麗だった月も今は輝きを失い、丸い物に見えた。
最後のデート場所、海で君にプロポーズを言った。笑顔で大喜びしてくれていた。俺にとっては人生で今までで一番嬉しかったことなのだ。そしてただ海を眺め呟いた。
今行くね。貴子、と
そう呟いたと同時に声が聞こえる。
「直哉!何してるの!」
あぁ、どうしたんだろう、貴子の声が聞こえる。もう居ないはずの恋人の声が聞こえるなんて、一人ため息を零しそのまま海へ足を進めた。月の光で海は綺麗に光っている、その中へ吸い込まれるよう足がどんどんと進んで行く。
そしてまた貴子のこんな声が聞こえてくる。
「直哉!やめてよ!!」
全て幻聴だと思い込んでいる。声の方へ振り返る事もなく冷たい水が俺の足を包んでいく。その瞬間、後ろから誰かに抱きつかれ前にに倒れてしまい。俺は我に返り抱きついてきた人間を睨んだ。
「どうして、私はここにいるのに」
俺の目を見つめて離さない、貴子と瓜二つの女。まだ浅い海の中で貴子と名乗る女は俺に抱きついてくる。その女を自分の胸から引き離し強く睨み、立ち上がった。
「どこへ行くの」
再び後ろから抱きつかれ身動きが取れない。全身が濡れている為、徐々に身体が冷えてくる。
俺は鼻をすすりながらその女を突き放すかのように言葉を放ったが、まだ離れない。俺は仕方なく後ろに抱きつかれたまま歩き出してそっとつぶやいた。
「寒い」
「寒いの?これ上着かしてあげる」
そう呟いた声は女に聞こえていたのか、上着を貸してくれた。一体この女は何者なのだろうか?少し小さな上着を羽織りその女を見ていると女は微笑んで、どうしたの?と聞いてきた。
「いや、別に」
そっけなく返し、貴子と住んでいた家へ帰ろうとすると、その女は俺にはついてくる。早く歩いても俺にペースを合わせてくる。なんなんだこの女は、と思いながらペースを早め最後には全力で走っていた。怖くて怖くてたまらない。女は俺のペースについてきながら余裕な笑みを見せる。
「な、んで」
俺が止まるとピタリと女も止まる。そしてにっこり微笑み呟いた。
「どうして逃げるの?私はあなたの恋人、阪本貴子よ」
「貴子は確かに昨日…」
そう言うと女はじっと俺を見つめてきた。第一、死んだはずの恋人が生きている。そんな奇妙な話あるわけないだろう。そう思ってまた家へ向かおうとした時、女の手が俺の腕を掴んだ。その手は酷く冷たく氷のようだった。まるで死んでる人のように…
力を入れて振り解こうとしても解けない。強い。焦りながら必死に腕を解こうとすると女は言った。
「まだ、分からないの?」
「なにがだよ」
また睨むようにその女を見ると、女はため息を大きくつき小さな声で俺の耳元でつぶやいた。
「貴方ももう死んでるのよ?」
死人