ときこ

私の知り合いにとんでもない女がいる。
時子という女で、歳は私と同じ二十五である。男の好きそうな、体格の良い茶髪の女で、眉をくいっと得意げに上げる癖がある。色気のある外見とは裏腹に、性格は子供のような所があって、可愛らしく、そこがまた男心をくすぐるのである。笑うと顔がくしゃっとなって、やけに気取った形だけの笑みではなく、十くらいの少女が心底嬉しそうに笑ってるような、そんな笑顔なのである。好き嫌いがやたらに多くて、辛いもの、苦いもの、すっぱいものはまず食べない。野菜も人参と玉ねぎのジャガイモ以外食べない。しかし、キムチは大好きで、そこが今でも謎であるが、それもまた、可愛いらしい。花が好きで、家の庭で祖母と沢山花を育てている。花の好きな女はいいものであるらしいが、女嫌いの私にはよくわからない。私は通り掛かりにその庭を拝見したことがある。見事なものであった。花のことはさっぱりなので、ほとんど名前もわからなかったが、色とりどり、特に赤色が目立っていたか、とにかく沢山の花が庭を埋め尽くしている。私は椿の花が好きなのだが、椿の木もあって、私からしたら嬉しく良いことであった。
こんなことがあった。私は友人は少ないのだが、知り合いというものは山ほどいる。その知り合いの一人の、昉正という一つ下の男が被害者である。昉正は同じ歳の恋人がいた。確か、愛美だか真名子だか、そんな名前だった。顔もきちんと覚えていないが、正直に言えば、美しい顔立ちとは言えなかった。背丈は大体百五十前後、標準である。体型は少し丸かった気がする。悪くも良くもないという印象だが、一度だけ夕食をご馳走していただいたのだが、彼女の料理は格別である。あれは、コックに雇いたいくらいだ。なるほど、昉正君がその恋人を大切にするのも頷ける。私も食事をとるのが遊びの次に好きなので、そんな人が現れたら、すっかり胃袋もろとも心を掴まれてしまうだろう。
彼はとても実直な人間であった。捻くれ者の私も、彼には素直に好感を抱いていた。なかなかの美青年でもあった。男であれ女であれ、私は美しいものには弱い。つい、甘くなってしまう。だから、彼への評価には少々偏見が入っているのも否めないが、しかし、確かに彼は素敵な人であった。彼は確か公務員だった。役所で働いていた。将来も有望である。料理の上手い女に、実直でよく働く男と、素晴らしい組み合わせである。私は彼らと時々飲みに行くことがあったが、一度も酔ってヘマをすることはなかった。あまり飲まないのである。少量の酒をちびちびと、しかし、気立てがよく、なにかと話も弾み、つい何時間も話し続けてしまう。つまり、接待上手でもあった。私は大酒飲みで、酔ってヨロヨロで家に帰ることもザラなのだが、彼らと飲むときは、酔わないでしっかり歩いて帰られた。
確か、三年前の冬であった。彼から電話が来て、暇だったので一緒に飲むことになった。私の家の近くの、狭い常連相手の居酒屋で待ち合わせをした。急な用事が出来たので、私は二十分ほど遅れて店に着いた。曇りガラスから光が漏れる引き戸を開けて、すぐ右手のカウンター席に彼を見つけ、私は申し訳なさから苦笑して右手を挙げた。いつもにこにこしている彼だったが、その時はにこりともせずに微かに会釈しただけだった。怒らせたかしら、電話を入れておけばよかったろうか。私は少しハラハラした。あまり気の強いたちではないのである。私は彼の右手の席に腰掛けた。
「いや、すまないね。弟の家へ届け物の用事が出来たので、遅れてしまって」
「いいですよ」
やはり彼は笑わない。なんとも気不味い雰囲気である。彼といて、こんなに気不味いことは今までなかった。
「元気がないね」
私はポケットから煙草を取り出して火をつけた。気不味い時に煙草を吸うのは私の癖であると、弟に言われたことがある。
「実は、別れたんです」
「え？」
彼は大きな溜息を吐いた。私のせいではなかったらしいが、これは意外であった。いや、そうでもないかもしれない。ふとした事で、破局は訪れるものである。だが、一体何があったのだろう。
「どうして、また」
彼はお絞りを両手で顔に押し付けて、ごしごし拭いた。それから私の分の酒も頼んで、話し始めた。
彼の話はこうであった。

いえね、大里さん、時子って女は知ってますか？ああ、知ってるなら話が早いです。僕は今年の春に、友人の繋がりで彼女と知り合いました。あの子は、とんでもない子ですね。ええ。ありゃ、まさに悪魔ですよ。サタンの娘だ。とんでもない。本性を見せるまでは、素敵な子だと思ってたんですがね。ええ。彼女はとても気さくな子でね、会ったことがあるならご存知でしょうが、とても魅力のある子です。変に媚びたりもしないから、時々遊んだりしました。もちろん、二人きりのことはありませんでしたよ。真名子に申し訳ないですからね。その、彼女を紹介した友人と三人で遊ぶことがほとんど、時たま二人の共通の友人の男が入ることもありました。大抵は居酒屋で飲むか、映画に行ったりもしましたね。彼女、本が好きで、僕たちも本はよく読みますから本屋に行くこともしばしば。まあ、普通の友人ですよ。時子は写真が好きでね、最近の携帯は内カメラ？で自分で写真が撮れるんですね、知ってました？僕は携帯はもう何年も使ってる古い、分厚いのなんで、彼女のを見るまで知りませんでした。私たちはよくそれで写真を撮りました。ええ、楽しかったですよ。お前の顔がなんだと大笑いでした。写真は、全員写るときもあれば、ツーショットもありました。僕はたかが写真と気にしていなかったのですが、そのツーショットが不味かったんです。
今朝のことです。滅多にならない携帯に、電話が入っていました。僕は休みはいつも昼過ぎまで寝てますので、今日も一時を過ぎた頃にやっと布団から這い出て、充電しておいた携帯電話を確認すると、十時頃に三度ほど、時子からの着信が入っていました。はて、こんな早くにどうしたのだろうかと訝しく思いながら、私は彼女に電話を掛けました。二回コールがなって、彼女は電話に出ました。
「もしもし」
「もしもし、僕だけど、時子ちゃん？ごめんね、寝てたんだ」
「いえ、あの、今から会えますか？」
「時間はあるが、どうして？」
「相談したいことがあるんです。恋人のことで」
彼女に恋人がいるなんて初耳でしたが、まあ、いたっておかしくないような可愛い子でしたから、頼まれて断れる性格でもありませんので、僕は彼女の相談に乗ってやることにして、さっさと支度して、近所の喫茶店に出向きました。
昼はひどい雨だったのを知ってますか？あら、知らない。へえ、ずっと家でいらしたんですか。家にいても、窓に打ち付ける音なんかで気付きそうなものですが、まあ、いいです。とにかく中々ひどい雨でしてね。出かける直前に気付いて、内心毒づきました。なんでまた、こんな日に呼び出すのかって、でも、承知してしまったものは仕方ありませんからね、雨でびしょびしょになりながらやっとのことで喫茶店に着きました。傘はさしたてんですがね、斜めに降り込まれちゃ仕方ないです。
黄色い壁のお洒落もなにもない建物の喫茶店に入ると、静かな音で昔の流行歌らしきものが流れていました。僕は時子や友人と遊ぶ時は、よくそこで集合していました。人は疎らでした。午前中は繁盛しているのですけど、午後となると、あまり人の入りはよくない店で。まあお店のおばさんはそんなこと気にもしていないようですけどね。
僕は傘立てに傘を立てて、時子を探しました。すると、僕の姿を先に見つけた時子が立ち上がって僕を呼びました。
「昉正君！」
時子は奥のテーブル席にいました、奥の席は、よく見えないんです。ほら、レストランとかでも、真ん中に壁があって、左右にテーブル席がある、わかりますか？いや、僕はどうも説明が苦手なんで、すみません。とにかく、向こうの席は座っていると入口から見えないんです。僕は小走りでそちらへ向かいました。それで、そこにいる人を見て唖然としました。もう、予想できたんじゃないですかね？そうです、真名子ですよ。真名子が時子の向かいに、僕と向かい合う形で座っていたんです。恐ろしいくらいの無表情で。
その後は、ご想像できるかと思います。時子はあのツーショット写真を幾らか真名子に見せて、こう話したらしいです。
自分は昉正と付き合っているのだが、貴女のような彼女がいる事を全く知らなかった。友人から教えられて、つい最近知った。恋人がいるのにお付き合いをするなど耐えられない。一度きちんとお話したい。と。
普段温厚な真名子は怒り狂って僕を責め立てて、本当に色々酷いことを言われましたよ。時子は泣きだすし、もちろん、演技でしょう。真名子は時子を慰めて、私をさらに罵ったあと、別れを切り出しました。私は一言も反論できないまま、気付いたら真名子と別れ、一人喫茶店の四人席でぽつんと座ってしました。喫茶店のおばさんの視線の冷たかったこと。全く、僕は悪くないのに、とんでもない女ですよ。

私は何とも言えなかった。変に慰めてもいけない気がした。このような話は、すでに五回も別の知人たちから聞いたことがあった。時子は、そういう女なのである。理由などない、それが楽しみなのだ。時子は自分からそういう話はしない。私が知人から聞いたことを話すと、得意げにふふんと笑って、眉を上げる。私はそんな彼女が、結構好きである。女としてではなく、単純に、彼女の噂は面白いのだ。私も大概、性格の悪い人間らしい。時子と同じである。
私は昉正に頼まれ、事情を説明し、真名子を説得して寄りを戻させた。しかし、彼らは結局一ヶ月後に別れたらしい。