告白
夕暮れの校舎。
茜色に染まった教室に負けないくらい私の顔は真っ赤に染まっていただろう。
最近付き合い始めた同じクラスの三浦君と二人っきりとなっているのだから。
更に彼からは先ほど問題発言も飛び出した。
「・・・も、もう一度言ってもらっていいかな?」
私は彼に尋ねる。
「今週末、映画を観ようと思うだけど、松本も一緒にどう?」
「えっと、その、大丈夫だよ・・・」
「おしっ! じゃあ週末時計台前に集合な」
満面の笑みで話す彼を見て、私も元気良く頷いた。
私、松本結城、高校2年生。
16歳の冬、はじめてデートにお誘いを受けることに相成りました。
しかし・・・。
明日、デート当日だというのに、自室で私はうなだれていた。
デートって服、何着てきゃいいの?
化粧ってあんまりしたことないよ・・・。
嫌われないか、不安だ・・・。
「デートってどうすりゃいいの?」
小さく呟いた声と同時にノックの音が響いた。
自室のドアを開ける。
「ただいま、ケーキ買ってきたぞ」
そこには仕事から帰って間もないのだろうスーツを着た20代の長身の男性が立っていた。
「なんだ、お兄ちゃんか」
「なんだよ、その恨めしそうな顔は」
「何でもないよ」
「そうかい、そりゃ結構。ケーキ冷蔵庫に入れておいたから食えよ」
立ち去ろうとする兄に向かって声をかける。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「お兄ちゃんはさ、大切な人いるの?」
「あん?」
一瞬不審そうな顔をして兄であったが。
「いるな」
「えっ、いるの?」
「誰?」
「決まってるだろ、家族だよ」
ぶっきらぼうにそう言って立ち去る兄。
私は呆けた顔で兄の去っていた方向を見ていた。
* * *
兄は不愛想である。
おまけに目つきが悪い。
顔は悪くないのだが、その野犬のような目つきのため人に好かれることはあまりなく、友達も少ないほうだった。
それでも兄は身内には優しかった。
今日みたいに私にケーキを買ってきてくれたりする。
気まぐれな奴だが、兄は意外といい奴なのだ。
妹の私が言うのだから間違いない。
そんな兄に恋人がいたのは私を驚かせた。
しかも美人。
以前、しつこく会わせろと言った私に、根負けしてこっそり恋人を紹介してくれた。
喫茶店で待ち合わせてやってきた彼女を見たときに息を呑んだ。
白い。
線の細い華奢な身体に、綺麗なきめ細かな白い肌をしていた。
漆黒の髪を肩まである姿は、綺麗なお姉さんというのには貫禄があり、年齢が兄より上だとなのが分かった。
兄は隣で少し居心地悪そうにしていた。
私を見て微笑んだ女性。
「こんにちは結城さん」
透き通るような声だった。
「こ、こんにちは」
「うふふ、かしこまらなくていいのよ。私も会いたかったし。はじめまして加賀洋子です」
洋子さんは気さくに話してくれた。
兄を時々おちょくりながら話す姿は茶目っ気もあって、第一印象からいい意味で変化した。
「洋子さんは兄とどこで知り合ったんですか?」
「ああ、喫茶店でナンパされたの」
「違うっ!」
大げさに兄が否定するのを見て洋子さんは本当に楽しそうだった。
喫茶店で店主をしていた洋子さんに変な客が絡んでいた所を兄が一喝したことが知り合ったきっかけだそうだ。
「接客業だから変な客から絡まれることも多かったんだけど、この人が一喝してからは激減したわね。さすがイケメンね」
「嫌みかよ」
不機嫌そうにしている兄を後目に洋子さんは色々と話してくれた。
兄のこと。
自分のこと。
初対面とは思えないほど、とても楽しい時間だった。
時間はあっという間に過ぎていった。
「あっ、ごめん。そろそろ子どもを迎えにいかなきゃ」
洋子さんが時計を見て、立ち上がった。
「すまんな、忙しいところ」
「ううん、楽しかったわ。結城さん、また話しましょうね」
「えっ、あっ、はい」
微笑む洋子さんが伝票に手を伸ばそうとしたのを無言で制止した兄を見つめながら、私は混乱していた。
いま、子どもって・・・。
結局、兄にはその日聞けずじまいだった。
* * *
トントン。
「開いてるぞ」
夜、私は久しぶりに兄の部屋に入った。
兄は布団に寝ながら読書をしていたのか、文庫本を手に持っていた。
「どうした?」
「そのちょっと話したいことがあって・・・」
「なんだ?」
「その・・・」
廊下でもじもじとしている私に兄はぶっきらぼうに声をかけてくる。
「廊下で突っ立ていても寒いだろ、とりあえず入れ」
「うん」
扉を閉めたが、それでも居心地悪そうにしている私に兄がデスクの椅子を出してくれる。借りてきた猫のようにちょこんと座る私。
「んで、話したいことってなに?」
「その、お兄ちゃんは・・・洋子さんと結婚するの?」
兄は少し間を空けて答えた。
「するな」
「いつ?」
「まだ分からん。でも、そう考えている」
真剣な表情の兄に私は更に尋ねる。
「でも洋子さん、離婚しているんだよね。しかもお子さんもいるんでしょ」
「ああ、5歳の女の子がいるな」
兄が表情を変えずに答えるのを見て、少し苛立つ。
「いいの、それで?」
「質問の意味が分からん」
雲を掴むような会話に、私は声を遂に荒げてしまう。
「そんな人でいいのってこと!」
「・・・どういう意味だ」
「もっとお兄ちゃん、真剣に自分のことを考えてよ。洋子さんと結婚したら大変だよ。これから子どもが出来たときに、その子と比べちゃうんじゃないの? そんな大変な人よりももっと他の人と付き合うことだってできるんじゃないの? もっと幸せになることの近道はあるんじゃないの?」
「・・・・・・」
「私、私・・・お兄ちゃんには、幸せになって欲しいんだよっ!」
両目から涙がポロポロとこぼれてきた。
「洋子さんのこと、いい人だと思うよ。でも・・・!」
両目を固くつぶる私に柔らかなタオルの感触が伝わる。
「お前は昔からため込んで吐き出す奴だな」
兄が目の前に立って、私の顔を優しく拭ってくれる。
「お前がそうやって心配してくれる気持ちは嬉しい。だけど、そうやって家族を想う気持ちは、俺も同じように洋子達に想っている気持ちなんだ」
兄の優しい声が続く。
「俺の幸せを願ってくれるなら、俺の大切な家族になる人たちのことも少しずつ分かっていってくれ」
兄の言葉に頷かず、切り返す。
「さっき聞いたお兄ちゃんが言った大切な人って、洋子さん達のことなの?」
「バカ、それだけじゃない。俺が言ったのは『家族』だろ。お前も俺の家族だろ」
それを聞いて、ずっと引っかかっていたものが、やっと理解した。
ああ、そうか。
私は兄を誰かに奪われるんじゃないかって、ずっと不安だったんだ。
ずっと一緒だった兄が離れていくのが怖かったんだ。
それに気づいた自分の浅ましさと恥ずかしさを隠すように、私は言葉を続けた。
「もういいよ、バカ兄貴。私は私でもう大切な人がいるんだからな」
はっ、私、な、何を言っているんだ。
動揺する私に、兄が冷めた声で答える。
「知っているよ、明日お前その大切な人と会うんだろ?」
「な、なぜ、それを!?」
「さっき部屋に入った時に、床に大量に脱ぎ捨てられた服、顔に残っているチーク、何よりカレンダーにピンクの蛍光ペンで花丸が書いてあった」
自分の顔が瞬間湯沸かし器のように赤くなるのが分かった。
「うっっぅ!!」
「怒るな、泣くな、喚くな」
両目から涙がポロポロと溢れる。
「泣くなと言っただろうが」
「泣いてなんかいないもん、泣いてなんかいないもん、泣いてなんか・・・」
両目をつぶった私に、柔らかなタオルの感触が伝わる。
「まずは顔を拭け。それとココア持ってくるから。それ飲んで落ち着いたら寝ろよ」
私はタオルで顔をゴシゴシと拭く。
兄は身内には優しい。
ムカつくほど優しい。
* * *
翌日、待ち合わせの場所に現れた私を見て、三浦君は驚いていた。
「松本、目真っ赤だけど大丈夫か?」
「うっ」
結局、兄のせいで私はあの後も大泣きで、本日の両目はウサギのように充血して、腫れ上がっていた。
格好悪いことこの上ない。
今日は体調不良で休もうかと思ったが、楽しみにしている彼のことを思うと嘘をつくことはできなかった。
「ごめん、変な顔で・・・」
「あっ? 目のことを心配しているだけで、顔は関係ないだろ」
不思議そうな顔をしている彼に、自分のことを心配してくれる人が増えていてくれることに驚く。
「暗い所で観る映画は目に負担があるからやめな。喫茶店で話でもするか」
「・・・じゃあこの辺で知り合いの喫茶店があるんだけど、そこへ行くのはどうかな?」
「へぇ~、いいね。行こうぜ!」
彼が頷くと、私も頷く。
「知り合いってどんな人?」
「綺麗で、気さくで、私の大切な人になる予定の人」
「なんだよ予定って」
「予定は、予定なの」
「変なの」
彼は可笑しそうに笑った。
私も、つられて笑う。
まだ大切な人になるかは分からない。
分からないこそ、もっと知ろう。
話して、聞いて、もっと洋子さんのことを知ろう。
何も知らずに否定する駄々っ子は卒業して、私は私で判断する。
そうやって私も大切な人が好きになった人のことを好きになっていきたいから。
ほんの少しだけ背伸びしてみようと思った、高2の冬。
冬の澄み切った空気が気持ちよくて私は軽やかに歩き出した。
告白