未来 Ⅰ 事故

知らない世界

うっすらと視界が広がる。

大きなライト。青のような緑のような布の色。少し広い手術室。

手術台に横たわっているらしい。

足元に医師らしき人が、二人立っている。

足の指に少し触れて、指が動くかどうかということを話している。

周りでは、スタッフが片付けをしているような音。

一瞬戻った意識は、またすぐに消えていった。



綺麗な広い歩道を、自転車で走っていた。
自転車は、乗り慣れているドロップハンドルのロードレーサー。
残業続きで疲れていた為、時間の短縮にと、この一ヶ月程ロードレーサーで通勤をするようになっていた。
今朝は運が悪く、途中から少しずつ雨が降り出した。雨が降ると路面が濡れ、スリップなんてしてしまうとどうしようもない。
普段であれば、雨が降る日に自転車に乗ることは絶対になかった。

雨足が強くなり始め、前方に見えた四メートル程の小さな信号を早く渡ってしまおうと、少し手前まできたところでスピードをあげた。
自転車通行可の広い歩道を直進しており、大通りの様子は視界には入っていなかった。
気になったことは、既に信号が青になっており、早く渡らないと切り替わるのではないかということだけだった。

横断歩道に入った瞬間、大通りから左折してきたブルーのトラックが視界いっぱいに目に飛びこんできた。
直前でスピードをあげていた為、そのまま強くトラックに衝突。自転車ごと跳ねとばされ道路に横たわった。
右足に、すぐには止まれなかったトラックのタイヤが乗った。

「いたーい!!」

悲鳴をあげた。一瞬も我慢できない痛み。

「いたい!!いたい!!はやく!!足!!はやく!!」

悲鳴をあげ続けたのはほんの少しの間で、強烈な痛みが突然フッと無くなった。
その瞬間に、私の叫び声も止まる。
しかし、動けなかった。その場に手をついて倒れたまま、動くことはなかった。
意識はある。少しずつまた痛みの感覚が戻ってくる。

「救急車!!救急車!!」

周囲に人がいるかどうかもわからないのに、救急車を呼んでほしいと痛みに耐えながら叫んでいた。
「救急車呼んだから。」
男性の声が聞こえた。その声をきいて私の声はとまり、雨に打たれながら息をきらすようにして痛みに耐えていた。
暫くして少し我に返り、痛みを感じる足の方に顔を向けた。
「いたいっ。」
足をみた瞬間に悲愴な声がでる。右足首から下が、大変なことになっていた。血まみれだった。
「見ないほうがいい。」
足元にいる男性が私に声をかけた。警察が到着し、暫くして救急車も到着。

はやく。はやく。足がいたい。いたい。はやくなんとかして。

そんなことだけが、頭の中にあった。
救急車の中に運びこまれ、救急隊の声が聞こえてきた。
何処に運ぶか今から連絡を入れると話している。耐えられないようなこんなひどい状態なのに、今から運ぶ病院を検討するというのか。
あと少しでなんとかしてもらえると思ったのも束の間、これからどのくらい時間がかかるのかとまた絶望的な感覚と痛みが増してくる。
しかし、最初に連絡を入れた病院ですぐに受け入れの許可がおり、すぐ近くの救急病院に運びこまれたのだった。

病院に運び込まれると、意識があった為、医師や看護師からどんどん声がかかった。
声をだして返事をすることもできない状態だった。痛みに耐えている歪んだ表情のまま、首をふってうなずくだけ。
アクセサリーや洋服下着も全て外され、化粧も拭き取られた。
「ご自宅は、ご実家ですか?ご家族にご連絡します。ご連絡先を教えていただいていいですか?」
「家に…連絡をするんですか?」
息も絶え絶えに言葉を返した。こんなひどい痛みなのに、まだどれほど大変な怪我を負ってしまっていたのかがわかっていなかった。
親に心配をかけるということがすぐに頭に浮かび、反射的にこう言ってしまったのだった。
看護師に再度尋ねられ、家の電話番号を伝えた。

暫く意識がなく、不思議な夢をみていた。不思議な世界だった。

体がなくなってしまって混乱した意識の世界だけにいるような。

たくさんのカードがすごいスピードでめくられていく。

うっすらとした意識しかない。
私の意識は、このままどうなるんだろう。

今死んでしまったら…後が大変。
あれもこれも、私がしなければ、誰も分からない。

でも、頭の中が。私の体も。どうなっているのかわからない。

このまま、私が消えてなくなってしまいそう。

今までの世界は、なんだったんだろう。

ふと気が付くと、不思議な世界の中で、私は仰向けに横たわっていた。

何かケースのようなベッドのようなものの中に寝せられている。

白い大きな施設の中にいて、天井はとても高く、少しガラスばり。

天井のガラスの向こうは、宇宙のような暗闇。小さな星がいくつも見える。

私の意識は、どうなってしまうんだろう。こわい。

ICU

どのくらいの時間が経ったのか、わからなかった。
目が覚めるとベッドの上で仰向けになって寝ており、顔や目が腫れているような感覚。
ベッドの足元にはテーブルがあり、看護師の男性がこちら向きに立ってパソコンを触っている。
大きな部屋の一番端のベッドに寝ており、横にはいくつものベッドが並んでいるようだった。
医療機器の規則的な音が聞こえる。白い壁、白いベッド、白いカーテン、窓はなく照明も少し落としてある。

交通事故に遭ったのだったと思った。
病院に運ばれてからのことは、とぎれとぎれの記憶のみ。
手術前に酸素マスクを口にあてている状態で、両親や警察の人の顔をみて少し会話をしたことは覚えている。
手術をするからと麻酔科の医師や看護師から簡単な声かけもあった。
もう一人、私に話しかけた人がいた。状況の説明をしてくれたのだが、意識がもうろうとしており、きちんと頭には入らなかった。
ただ、暫く入院が必要だと言われたことに反応し、「入院…ですか?どのくらい?」等とまだ状況をのみこめず、問いかけをしてしまった。

いつこのベッドに運ばれたのかすら、記憶がなかった。
この広い部屋に、気がついたら、寝せられていたのだった。
足は包帯でぐるぐる巻きにされていた。
ベッドの横には機械がおいてあり、体と管でつながれている。
繋がれている管はいくつかあり、あまり体が動かせない状態だった。

ボーっとしていると、周囲の音が耳に入ってきた。

それぞれのベッドに看護師が必ず一名ついているようだったが、私の足元にあと二人看護師が加わり、私の様子について話をしているようだった。
何をどう話しているかはわからなかったが、不意に耳に入ってきた言葉があった。

切断

ハッとした。切断?まさか足のどこかを切断したのだろうか?
足はある。指の感覚もある…はず。
でも、よくわからない。私は、いったいどうなってしまったんだろう。
足を切断したとしたら…これから、私はどうなってしまうんだろう。
考えてもわからないのに、あぁ…とそのままボーッとした状態で仰向けに横たわっていた。

メンバー

「ごめんなさい、お母さん。ごめんなさい、お父さん。」
両親がICUのベッドまでやってきた時に、なんだか少し泣きながら謝っていた。

ICUで一晩過ごした翌日のこと、一人の医師がベッドまでやってきた。
昨日、私に今回の怪我について説明してくれた人だった。
主治医の甲斐先生といった。
若くてきれいな女性。クールビューティー。ドラマみたいな先生で、少し驚いた。

「あの…私の足は、どこか切断してしまったんですか?」
看護師の会話から耳に入り、気になっていたことを一番に尋ねてしまった。
「いえいえ、切断はしていませんよ。大丈夫です。」
「ああ、そうですか。すみません。たぶん一度説明して頂いたと思うんですが。
頭がボーッとしていて、よく覚えてなくて。申し訳ないんですが、もう一度説明して頂いてもいいですか?」
「ああ、そうですよね。大丈夫ですよ。いいですよ。」
そう言って、軽くだけれど丁寧に今回の怪我について説明してくれた。

状況を聞いてとりあえず一安心したのか、思いがけず少し涙がでてしまった。
「本当に…ありがとうございました。ご面倒おかけしました。ありがとうございました。」
軽く泣きながら、お礼を言っていた。
淡々と話していた私から、最後、突然涙が溢れだした様子に甲斐先生は少し驚いたようだった。

突然の出来事に驚きつつも、少しずつ状況をのみ込み始めていた。
今までまともに病院の世話になったことがなかったこともあり、何もかもが不思議な感覚だった。
ただでさえ、頭がボーッとしているというのに。
体の自由はきかないし、点滴とかなんとかいくつも管に繋がれてるし、
手術直後ということもあってすごく病人扱いされてるし、すごく呆然としていた。

突然、今までと違う環境にいる自分。

病人扱いされることに、とても戸惑いがあった。人に世話を焼かれている。
確かに足の怪我がひどく、まともに動けないのだが。子供でも年寄りでもない、一応立派な大人だというのに。
どう対応していいのかなんだかよくわからず、無表情で淡々と受け答えをする。

出勤途中に事故に遭い、そのまま救急病院に運ばれ、緊急手術。その後は、ICUで安静状態。
とりあえずの経過は問題がなかったようで、手術の翌日、昼過ぎに一般病棟へ移ることになった。
ベッドから起き上がり、車椅子で看護師二名に付き添われての移動。
少し動きだすと、すぐにひどい胸焼けがして一気に気分が悪くなる。
このまま移動できるかすらわからない、とてもひどい。
そんな訳で、手には二重にしたビニール袋をもたされた。
どこをどう進んでるのかすらわからず、ただ移動中に吐き気をがまんするのみ。
大きな窓がある病室の、外がよく見える窓際のベッドに寝せられた。
付き添いの看護師に、吐き気はどうかと様子を聞かれる。
本当は診察室に怪我をみせにいかないといけなかったらしい。
とてもじゃないが、これ以上の移動はムリだった。

すると、ベッドに落ち着き、ホッとして休んでいたところに、突然人が数人現れた。
主治医の綺麗な甲斐先生とボスらしき男性の医師、女性の看護師が診察道具を持ってやってきたのだった。
前日の手術後の足の様子等なんだかんだと言いながら、処置して包帯巻き直して…帰っていった。
突然現れたかと思うと、用を済ませて去っていった。
病院というところがどういうものなのかよくわからず、されるがまま、言われるがままで、ただ呆然としている私だった。

母が来てくれて、まだボーッとしつつ話をしていると、
ベッドのカーテンからひょこっとまた人が現れた。今度は、可愛らしい女性。
「リハビリ担当になりますので、よろしくお願いします。」
とても可愛らしい女の子だった。彼女は、今井先生。
入院三日目から、なんとリハビリ開始らしい。

甲斐先生、ボスの先生、今井先生。これから先、暫く私と深く関わっていくメンバー。

不思議な時間

病院関係者に対するイメージについていいか悪いかといえば、とても悪かった。
身内に医者がいるにもかかわらず。実際にやりとりをして数人に対して自分自身そう思ったこともあるし、耳に入ってくる話もあまりいい話を聞いたことがない。
今入院しているこの病院についても、都市の大規模な総合病院であり、流れ作業のように患者を扱って当たり前なのだろうと思っていた。

しかし、ここが特別なのだろうか。この病院にきてから嫌な思いをすることが、全くなかった。皆が、親切丁寧、温かく、いい人ばかり。
それまでの悪いイメージはいったいなんだったのかと疑問に思うほど。


事故後、呆然としながら日々過ごすうちに、少しずつ周囲のことに目が向くくらいの気持ちの余裕がで始めていた。
たまたまなのであるが、本当によい病院に運ばれたものだと思う。
街中の一等地と言っていい立地、近所はデパートやオフィスだらけ。
それなのに、病院の目の前は、広々とした立派な公園。高層の病院からの景色と言ったら。
病室は四人部屋だったが、窓が大きく、部屋自体も割と広く、あまり病院のことを知らない私でも、こんなにいい病室はこの辺りでは他にないだろうと思った。

怪我は、かなりひどかった。
右足の足首から下だけだというのに、大げさとも思えるほど包帯で大きく覆われていた。
トラックのタイヤに足を踏まれ、足の甲の部分の皮膚が剥がれ、腱や静脈が損傷し、骨折もしていた。
皮膚は形成外科、骨は整形外科と、二つの診療科で治療を受けている。
骨折箇所にはピンを数本差し込んであり、もちろんギプスで固定もされている。
怪我直後ニ週間は、傷の状態が落ち着かない為、応急処置のみしかできないとの話。
本格的な治療開始は、その後からとのことだった。
治療期間やどの程度治るかなどは、まだ言える段階ではないらしく、ただ、長くかかるとだけ聞かされた。

自分がこれからどうなるのか全く考えようがなく、心配したところで今のところどうしようもなく。
ただ、治療に専念するのみ。
子供のように周りに世話をしてもらい、午前中は診察に行き、午後はリハビリ。
移動は車椅子だったが、治療やリハビリのスケジュールをこなしてベッドに戻ってくるだけで、どっと疲れた。
動いては休み、動いては休み。普通の生活ができなくなってから、体力はみるみる低下しているようだった。

由木 奈々子。実家暮らしの独身アラフォー。今までずっと、自由がきく、気ままな日々を過ごしてきた。
そして、毎日仕事で忙しくしていたというのに。
それなのに、突然、全く今までと違う、経験したことのない状況。
年齢もなにもかも様々な人だらけの集団生活。
外の世界は時間が過ぎているのに、ここは違っている。外の世界にどんどんおいていかれていっているような。
普通の社会から、切り離されてしまった環境、時間。なんだかとても不思議な時間を過ごしていた。

医師に対してはもともと偏見があり、余計にやりとりをする気はなく、必要なことしか話をしていなかった。
表情もあまりなく、患者のくせに事務的。もちろん丁寧なやりとりをしていたが、それ以上でもそれ以下でもない。
しかし、意外にも私の治療にあたってくれている医師達の態度は、割と親近感を感じるような好意的なものであった。

主治医の甲斐先生は、毎朝早い時間に病室まで私の様子をみにきた。
親しげにに話していても椅子に座ることは決してなく、そういった小さなことからも礼儀正しくきちんとしている印象をうけた。
朝のうちに受け持ちの入院患者の回診を行うのは、どの医師にとっても当たり前の仕事のようだった。
それでも、甲斐先生との毎朝のやりとりは、当たり前でありながら、明らかに私の気持ちを変えていく。
当たり前の行動がこうも効いてしまうのは、甲斐先生の人柄によるところが大きいのだろう。
言動からピンときて人柄を判断してしまうのは、四十まで独身で仕事をしてきた私にとってごく自然についやってしまうことだった。

また、主治医の甲斐先生と一緒に、毎日私の治療をしてくれている医師がいた。
甲斐先生のボスであるその医師は、いかにもな雰囲気の小難しそうな印象を覚える人だった。
しかし、後々この最初の印象はかわっていく。ボスは、真田先生といった。

興味

「いたっ。いたい。いたいですぅ。」
いい年をして半泣きだった。
「うん、いたい、いたいですねー。ここね。もうちょっと。」
甲斐先生の声がする。
「あぁ、いたい、いたい。」
真田先生の声もする。

十歳ほど年下の甲斐先生といい年の真田先生から、子供に言うような優しげな返事が返ってくる。
毎日の診察がこんな様子だった。

がまんするのであるが、傷を触られると涙がでるくらい痛いのだ。
形成外科の待合で自分の番を待っていると、診察室の中から男性の声で
「いてー!いた!いた!いてぇえええ!」
と大きな声が聞こえてきたこともあった。
最初は、子供のような自分をなんだかなぁと思っていたのであるが、怪我の治療というのは、どうもこんな様子が当たり前らしい。

事故から二週間たち、傷の様子が少し落ち着いてきたところだった。
死んだ組織など余計なものを全て取り除いていくとのことで、先生が二人がかりでピンセットで傷を触るのである。

車椅子に乗せられて連れてこられ、頼りなげな様子で片足をついて診察台に上がる。
横になって、足を先生達に処置してもらう。
いたいですいたいですと小さな悲愴な声をだして、涙目になる。
母が用意してくれた可愛らしいナイティを着せられていた。
手術や診察の関係でパジャマでなく前空きのネグリジェ、どうしても可愛らしくなってしまう。
それにしても、毎日小さな子供のようだった。

形成外科の診察室は、とにかく次から次に診察が行われていて、たいそう忙しそうな雰囲気だった。
甲斐先生と真田先生の他、研修の若い医師がでたりはいったり。ベテランの看護師二名。
常にいるのは、甲斐先生、真田先生、看護師の石塚さんと浅田さん。
毎日顔をあわせるうちに、石塚さんや浅田さんにも親近感を感じるようになっていた。
四人とも、例えていうなら、まるで保育園の先生達のように思える。

ある日、いつもとは違う診察室へ呼ばれたことがあった。
その日は、甲斐先生の姿はなく、真田先生の診察。
診察が終わり、起き上がって診察ベッドに腰掛けると、真田先生より治療について話が始まった。

最初の手術でつけた皮膚が八割うまくつき、このままいくと順調にいくだろう。

最初のうちは骨髄炎が懸念されていて、最悪足の切断ということも考えていなければならなかった。

まだ骨が出ているから骨髄炎の心配がなくなったとはいいきれないけれど、その可能性はもうかなり低い。

今は、不要な箇所を取り除く処置をしているが、患者さんの負担を思えば、手術で麻酔をかけて一気に取り除いてしまう方がいいだろうと考えている。

手術をして傷がきれいになれば、皮膚の再生を促す機械をとりつけることができる。

しかし、今のところは、退院がいつになるかとか治療期間がどのくらいになるかというようなことは言えない。

ただ、治療は長くかかる。半年、一年と傷の様子は変わってくるから。

治療の内容や怪我の状況については、日々の甲斐先生とのやりとりからとりあえずのことは把握していた。
しかし、真田先生よりこんなにまともに話があるとは、意外に思えた。
主治医は甲斐先生であり、一緒に診てくれているとは言え、真田先生が甲斐先生と同じような目線で私の治療にあたってくれているとは思っていなかったから。
それに、なんとなくとっつきにくい雰囲気で一見やりにくいというか。

それなのに、今日は今後のことも含めて治療のことをゆっくりと説明してくれたのだった。時間をかけて本当にゆっくり。
私に話しながら、パソコンを見ながら、何か考えているのか、何か気にしているのか。
口が止まってじっと視線だけこっちに向けて、そのまま暫く沈黙だったり。こっちが間を気にするほど。
それまで、あまりまともに真田先生と二人でやりとりをしたことがなかったので、キョトンとしながら、子供みたいに真田先生をみて話を聞いていた。

入院してから初めのうちは、どのくらいでメドがつくのか、退院はいつぐらいになるのか等よく尋ねていたのだが、
一所懸命治療をしてくれている先生達のことをあまり考えず、早く退院したい治療はいつ終わるのかというようなことを言うのは、
なんとなくよくないような気がして、ここのところは、あまり口にしないようになっていた。
それに、職場の人間や家族とのやりとりにより、日が経つにつれ、急いで退院するより、暫く治療に専念させてもらう方がいいだろうと思い始めたところだった。

それにしても、真田先生の話し方から、どうも何かを感じてしまう。
治療が長くなるということを私に話すのを気にしているのだろうかと、気を使って自分から口を開いた。
「治療のお話は大体わかりました。最初のうちは早く退院できればと思っていたんですが、
今は、こちらで治療していただけるだけお願いできればと家族とも話していますので。」
そう言うと、真田先生は更に私にじっと視線を向けた。そして、またそのまま沈黙。

沈黙したまま、そこまで私をマジマジと見る理由が、あまりよくわからず、子供みたいにキョトンとしたままこちらも沈黙。
なんとなく、先生の左手に目をやる。指輪がなかった。
いいおじさんの真田先生だけど、実は独身なのかしら?
そう思うと、なんとなくこの不思議な沈黙と視線がわからなくもないが。
そんなことを思いつつ、とりあえず診察と説明は終了したのだった。

患者と話をするときは、まともな人柄の医師ほど視線をそらさず、きっちり目をあわせて話す傾向があるように感じていた。
患者を信頼させ安心させるためであったり、診察を滞りなくスムーズに行うためなのだろう。
医師という職業は、目をあわせて話すということを特に意識しているのではないかと普段から思っているくらいである。

今日の真田先生の視線に疑問を感じたのは、沈黙とその間の長さ、そしてそれが数回繰り替えされたからだった。
普段からなんとなくぶっきらぼうな物言いをするようだったし、少し小憎らしいような先生然とした雰囲気を感じるところがある。
甲斐先生のように最初の段階できちんと挨拶をされたわけではなく、いつのまにか診察の際に現れ、
周囲の人間になんだかんだと私のことを話しつつ、時々直接声がかかる。

そんな様子から、真田先生は管理職の医師というイメージが強く、あまり細かくやりとりすることはないだろうと自然に思うようになっていた。
白髪交じりの頭と髭、体型も年相応と、見た感じもまさにザ・管理職。
普段はそんなに口数が多いようには見えず、必要なことについては話をするが、余計な話はしそうな感じになかった。
しかし、周囲とやりとりしているのを聞いていると、意外と冗談を言っていたりすることもあり、あ、冗談言う時もあるんだと思ったことがあったなという感じ。

入院してから半月が過ぎたところだったが、この段階で初めて、この病院で今私を取り囲んでいる一人のメンバーとして真田先生に興味をもち、意識が向くようになった。
そして、この日を境に真田先生の私への対応が変わっていく。今までは一定の距離感があったのだが、その距離感が近くなっていくのを感じるようになっていった。

特別

一日寝たきり状態だと、人の筋肉は一パーセント落ちるらしい。
毎日リハビリをしてくれる今井先生が、教えてくれた。

入院してからというもの、周囲からなんだか子供扱いされているような
まるで自分が一人前の人間ではないような感覚になっていた。
しかし、リハビリ室にやってくると、そんな自分がちょっと対等に扱ってもらえているような気になった。

自発的に体を動かすように促すやりとりや、可愛らしい女の子の今井先生と気が合って普通にお喋りが弾むのが、そんな気になる理由だろう。
ベッドから離れて体を動かしに行き、楽しくお喋りをする。
なんだか、普通に生活している感覚に少し近づくような気がする時間。

足をマッサージするように触ってもらい、足の状況がどういう状況なのか教えてもらったり、アドバイスをうけたり。
今井先生とのやりとりは、足を治していく上で今の自分の状況を確認でき、今自分ができることを知ることができる少し嬉しいものだった。
そして、少しずつでも状況が変わってくると、なんだか嬉しかった。
そんな自分を冷静に考えると、やはり小さな子供のようだねと思い、笑えるのだったが。

三日程前から松葉杖の使い方を教えてもらい、やっと自分で自由に動きまわれるようになった時は、本当に笑顔になれた。
松葉杖でも、車椅子に比べるとかなり自由度がますのだ。
ベッド横にリハビリ室から貸し出してもらった松葉杖を置き、好きなように病棟内を行き来できた。
こんな大きな病院だというのに、車椅子は数が限られていて、動きたい時はナースコールで依頼をしなければいけなかったのだ。

松葉杖で病棟内中央のサービスルームへ行き、ヒョコヒョコと病室に帰ろうと歩いていると、正面から真田先生が歩いてきているのに気が付いた。
少し遠かったが真田先生も気付いたらしく目が合ったので、軽く会釈をした。そのまますれ違うかと思うと、声をかけられた。
「菊池さん、知らない?」
「ついさっき部屋から出ていかれてたみたいですけど、さぁ。」
「そう。」
そのままスタスタ歩いて行ってしまった。
菊池さんというのは、今日新しく私の隣のベッドにやってきた患者だった。
年齢が高い人が殆どの中で、久々に見た若い雰囲気の人。私と同じ形成外科の患者のようだ。
つい数時間前にきたばかりで、まだ、まともに言葉を交わしてもいないのだが、ネームプレートで名前くらいは把握していた。
甲斐先生はよく病棟まで患者の様子をみにきていたが、病棟で真田先生をみたのは初めてだった。

ベッドに戻って暫くすると、さっき行ってしまったはずの真田先生が、カーテンの向こうから突然現れて目が点になった。
「由木さん、菊池さんがいないから、由木さんに先に手術の説明しとくよ。」
「ああ、そうですか。はい。お願いします。」
ベッドから足を下ろし、腰掛ける体勢になる。
真田先生が近くにあった丸椅子を引き寄せて腰掛け、ベッド横のテーブルに手術説明用の用紙を置いた。
一人用の小さなテーブルで、お見舞いに頂いたオレンジ色のフラワーアレンジメントがなんとも可愛い雰囲気をだしている。

この前とはまたちょっと違うが、またしてもいつもと違う妙なシチュエーション。
真田先生は体格がよく、小さなテーブルを挟んで私と並ぶとどうもなんだか…という感じがした。
甲斐先生のように気安く話ができる雰囲気を感じないので、どうしても距離を置いて丁寧に対応する域を超えない。

真田先生は、書類に日付や氏名を書き、続けて図なども入れて文章を書きながら、説明を始めた。
ベッドにちょこんと腰掛け、手を膝の上に置き、丁寧にはいはいと相槌を打ちながら説明をきく。
すると、また、真田先生がじーっと私の様子を見ているのを感じた。この前ほどではないにしても、視線と一緒に少しの沈黙も。
二度目なので、まぁいいけどと思いながら、視線にあまり気を向けず、ふんふんと神妙に説明をきいていた。

ふーん、こんな字書くんだ。

先生、やっぱりなんだか独特の雰囲気だよね。

私の手と一緒にみると先生の手すごく大きーい。

説明にききいっていたわけではなく、余計なことを思ったり。
だって、やはり、真田先生の説明は、ゆっくりだったのだ。
絵を描きながら、こんなのがこうなっていてここをこういうふうにするからなどと子供にするように説明をする。

せっかくの機会なので、気になっていたことを質問してみた。
前にもなんとなく聞いてみたことがあるのだが。最終的に、どのくらい怪我がよくなるのかということだ。
装具なしで歩けるようになるだろうとは言ってもらえたが、皮膚がどの程度きれいになるのか、それはまだきちんと教えてもらえていなかった。

全身火傷をしたような人でも、治療の結果きれいによくなったようなニュースをみたことがあった。
損傷した皮膚は、そんなふうに治るものではないのかと少し思っていて、尋ねたことがあった。
「皮膚の損傷の程度によるから、深いところまで損傷してなければ、治るけど。」
そんなことを言われた。その時は、由木さんの怪我は、深いからね…と暗にきれいには治らないと言われたような気がした。

しかし、まだなんとなく聞いてみたかったのだ。
二十歳くらいの時に大怪我をし、親指が三分の一ほどきれそうになったことがあった。
十五針ほど細かくぬってもらってすぐに繋がったが、指が変色し、一時はどうなってしまうのかと本当に悲観した。
しかし、今では、よくよく見ないと親指の怪我はわからないほどにきれいに治っている。

「指はこれだけ治ったんですけど、時間が経てばこんなふうにきれいになっていきますか?」
その指を、真田先生にみせて尋ねてみた。
真田先生は、少し指を眺めていたが、何も言わなかった。

途中、甲斐先生が姿を現し、「あ、真田先生、説明ですか?じゃ、私しなくていいですね。」とすぐに帰っていった。
真田先生は私にゆっくり説明を続けた後、隣の菊池さんのところへ移り、また手術の説明をしてその日はいなくなった。

翌日、朝から形成外科の手術だった。菊池さんが最初で、私は二番目。
その日の担当看護師に車椅子を押され、手術室まで来たとき、「あれ?」と声が聞こえた。
私の付き添いの看護師が「あれ、真田先生?へぇ。」と近くにいた別の看護師に話しかけていた。
車椅子が反対側を向いていたので、真田先生の何がどうなのかわからなかったが、何かいつもと違うものを見たような発言のようだった。

手術室に入るとすぐに麻酔で意識がなくなったのだが、
手術が終わり、ぼんやりと意識がもどってすぐに、私の顔を覗き込む人の姿が目に入った。
「思う存分、今日きれいにとれたから。」
手術着姿の真田先生だった。毎日診察室で「いたいいたい」と半泣きだった私を気遣って声をかけてくれたらしい。
麻酔でまだぼんやりしていたのだが、
「あ、りがとう、ございます。」
と、とりあえずなんとかお礼を言った。

手術直後は、心電図等のために、いくつも管に繋がれた。
丸一日は、観察室というナースステーション近くの部屋で術後の管理をされる。
手術を終えた患者が何人もいるし、いつもの病室とは様子が違う。
居心地は、とても悪かった。麻酔がとれておらず、体の自由がきかない。とにかく体がきついし、部屋が暑い。
そんな状況からやっと抜け出して病室に戻ることができた時は、なんともスッキリした気分だった。
大きな窓がある広々とした明るいベッド、空気が違った。麻酔も大分とれて、割と体の自由がきくようになっていた。
少し体の自由がきくかきかないか…たった少しのことだけでも、体や気持ちの負担はかなり減るのだ。

とは言え、まだ足の麻酔がとれきっておらず、動き回るのはムリだった。
形成外科に診察に呼ばれたが、松葉杖がムリ。車椅子で連れていかれた。
診察台に移動しようとしても、やはり足に力が入らない。
「片足だけまだ麻酔がとれてないみたいで。全然力が入らなくて、足がつけないんです。」
と口を開いた。
あらあらとナースの浅田さんが前から私を抱えてくれ、真田先生が
診察台の向こうにまわり、後ろから私を診察台へ抱え上げてくれた。

この時、なんだかとても安心感を覚えた。子供が親に抱えてもらう感覚に近いというか。
まったく別の人間に触られることに違和感どころか安心感を感じるとは、私としては少し特別だった。
今まで距離感をもって接していた真田先生に対する気持ちが、この時からガラリと変わっていく。
信頼関係や安心感、そんなものが、甲斐先生に対しての感覚とは、また違う。より独特というかなんというか。
視野に入っていなかった人が、急に目の前に現れたようなそんな感じだった。

第一に、足を残すこと

第二に、足の機能を残すこと

それ以外は、第三のこと


私の怪我は、それほど酷いものだった。
最初の段階では詳しく聞かされておらず、切断のリスクがほぼなくなった状況から、ジワジワと怪我の深刻さを知っていくことになる。

事故は五月の半ばだったのだが、本格的な治療が始まったのは六月に入ってから。
毎朝、診察台の上で先生達が私の足の傷を洗い、それから処置を行っていた。
六月初めの手術で一気に処置を行った数日後のこと、診察中に足の傷をもっとしっかりシャワーで洗った方がいいという話がでた。
私は、診察台に横になり、傷が目に入らない体勢のまま、いつもされるがままの状態だった。
処置中の話には一応耳を傾けてはいるが、先生達の会話として聞いていた。
すると、真田先生が話しかけてきた。
「由木さん、いつもここで傷を洗ってたけど、シャワーの水圧で洗うのに比べると、大分洗浄力が弱いんですよ。洗面器だして少ない水で洗うのは、どうしても限界があるからね。来週くらいから、診察前に病棟のシャワーで傷を洗ってきてもらおうかと思うんだけど。」
「へ?自分で傷を水で洗うんですか?大丈夫ですか?」
「あぁ、もちろん一人で洗うわけじゃないから。看護師さんと一緒。」
「なんだ。はい。来週からですね。」
真田先生が少し笑った。

今日の処置は甲斐先生がやってくれていたのだが、真田先生も傍にきて処置の様子を見ながら、なんだかんだと話をしていた。
「傷、見てみる?」
不意に真田先生が私の顔を見て言った。
実は、傷は敢えて見ないようにしていた。なんとなくだが、少し治ってからの方がいいんじゃないかなと思っていたからだった。
「え、傷見るのは、もう少し治ってからがいいかなぁと思ってたんですけど…でも、来週から自分で洗わないといけませんもんね。もう見てた方がいいでしょうね。」
うーんと思いつつも、少し笑顔をつくって真田先生に話しながら、よっこらしょと診察台に手をついて上体を起こした。

「ひどいっ。」

小さいけれど、叫ぶような声。
処置中の足が目に入った瞬間、私の顔は一瞬で泣き顔になっていた。
それまでの和やかな雰囲気が、急に変わった。
真横に立っていた真田先生の顔は…眉毛が八の字になっていて、困惑したような表情だった。
私の顔が一瞬にして変わったのを、間近でハッキリと見ていた。私がここまでの反応をすると思わなかったのだろう。
真田先生も甲斐先生も浅田さんも石塚さんも、そのまま私が泣き出してしまうのではないかと思ったのではないだろうか。

あまりの酷さに、瞬時に目に涙がたまり、小さく叫んでしまった私。
すぐに我に返り、涙を止めた。少し足をみつめて、そのまま、また元通り横になった。
先生達は、何もなかったかのように、処置を続けた。
私も何もなかったように処置を受けていたのだが、横になったことで、少し目にたまってしまっていた涙が目からこぼれ、肌をつたっていった。
涙がでたのはほんの一瞬で、すぐに止めていたのに。
そんな私の様子を見つめる視線を感じた。

「ありがとうございました。」
診察が終わると、いつものように普通の声で先生達に声をかけて診察室をでた。
甲斐先生が、小さくにっこり笑って見送ってくれたように見えた。

酷すぎる。傷とは言えなかった。
人間の皮膚じゃなかった。まるで、映画の特種メイクのよう。
傷もひどいし、足はふくらはぎまでパンパンに腫れている。
全く怪我をせずにきれいに残っている五本の指もパンパンだった。

ああ。こんな足になって。
これからのことが、考えられなかった。
この足をきれいに治すなんてことは、所詮無理なのかもしれない。
何も考えられず、ただベッドで横になっていた。

今日が土曜でよかった。土日はリハビリが休み。
日曜は診察も休みで、病院のスタッフが少ない日だった。
こんな状態の時に、とても人と普通に顔を合わせて話をする気にはなれなかった。
何をするワケでもなく、ずっと横になったままフテ寝が続いた。

「由木さん。」

顔をむけると、甲斐先生が立っていた。
足の調子を見に、ちょっとベッドまで立ち寄ったという感じだった。
「あぁ、甲斐先生。」
起き上がってベッドに腰掛け、甲斐先生と話を始めた。
足の調子は悪くないかとそんないつものやりとりから始まり、私の怪我自体についての話も。

怪我は、デグロービング損傷というものだった。英語で de gloving と書く。
手袋を脱ぐように皮膚が剥離してしまうという意味。
もちろん最初の段階からきちんとした説明を受け、内容は理解していたのだが。
実際にこれまで酷い状態だとは思っていなかった。

甲斐先生は、私が入院するのと入れ替わるように退院した同じ怪我の女性がいたことを話しだした。
「年齢も由木さんと同じくらいの方だったんだけど、その方は怪我の範囲が大分広かったから、とても気落ちされてしまって。
最後は元気に退院していかれたから、よかったんだけど。
そのすぐ後に、由木さんが同じ怪我で運ばれてきたから、最初は、私も、ああ…と思ってしまって。」

甲斐先生は、私のメンタルを心配して気を遣って立ち寄ってくれたのだろう。
大怪我の患者なんて日常茶飯事だろうし、日々その対応に追われている人がこういう配慮をしてくれるとは。
クールな雰囲気の人だが、とてもデリケートなことに気がまわる先生。
細かいところにも気がまわる甲斐先生だから、独特な雰囲気の真田先生とうまく仕事がまわっているんだろうとなんとなく思った。

六十代後半の私の母は、いつまでたっても現役ママ。
何故か、いつまでたっても独立しない子供の世話をせざるを得ない。
四十にもなってどうなるかもわからない大怪我を負った娘を、母は毎日かかさず見舞う。
子が親を見舞うのが、普通だろう。同年代の人間は、親孝行するのが当たり前。親を看取る人だって多いだろうに。

母がきてくれても、いつものように話をする元気がでなかった。
ただ、傷を初めてまともに見たと、思ってた以上に厳しいのかもしれないと話す。
診察の時こそ、あまりの衝撃に泣きそうになったが、
今は、取り乱しそうになったり、泣きたくなったりということはなく、ただ気が沈むばかり。

ベッドに伸ばしている足を、見舞いにきた母はいつもいつも触っていた。
きれいに残っている五本の指の部分には包帯が巻かれておらず、
お喋りをしている間、腫れている足の指を母がマッサージするように触ってくれていた。

今日も私の話を聞きながら、私の顔をみて相槌をうったり返事をしつつ、母の手は指を触っている。

「由木さん、お熱お願いしまーす。あ、お母さん、こんにちは。」
ベテランぽい今日の担当ナースが、昼過ぎの体調の確認にやってきた。
差し出された体温計を受け取って、熱をはかる。
世間話程度に少し言葉を交わすと、なんとなく傷の話がでた。
「来週から、看護師さんとシャワーで洗ってから診察にいくように言われたんですけど、傷があんまりひどくて。きっと皆さんビックリされるんじゃないかって、若い看護師さんに洗ってもらうのが、なんか申し訳ないくらい。」
苦笑いしながら話す私に、彼女は気が楽になるようなことを言ってくれた。
「もっと大きな傷の方を普段から洗うことあるし、慣れてる看護師が一緒に洗うから全然気にしなくていいですよ。」
「え?そうなんだ。慣れてる方が対応してくださるんですね。」
少しホッとした声がでる。そして、続けてでた話で更に気が楽になった気がした。
「はい、大丈夫ですよ。さっきねぇ甲斐先生が、まだ早いって思ってたのに、真田先生が見せちゃったから〜も〜って真田先生のことブツブツ言ってましたよ。」
笑いながら、面白い感じで話してくれたのだ。
思わず、母と一緒にちょっと笑ってしまう。
この会話は、ベテランナースのさり気ない上手な気配りだったのだろうと思う。

ファミリー

数日前から、皮膚の再生を促す機械を使っての治療を開始していた。

怪我の部分にスポンジ状のものを巻きつけ、その上からビニールのようなもので覆う。
それには管がとりつけてあり、管は持ち運び用の小さな機械につながっていた。
機械のボタンを押すと、スポンジ部分がみるみる圧縮され、真空パックのようになる。

こうしておくと、体内からでる分泌物を管をとおして機械のケースに吸い取るらしい。
持ち運び用の小さな機械は、肩がけできる黒いバックに入れてあり、私はそれを、斜めがけにして持ち運んでいた。
寝ている間もずっと機械を動かしたまま。
週に二回、シャワー室で自分でスポンジを取り外して傷を洗い、診察室でまた新しいものを取りつけてもらっていたのだった。

最初の数回こそ、傷を洗う際にナースに手伝ってもらっていたが、結局、自分一人で洗うようになっていた。
その日その日で担当ナースがかわるのだが、傷の触り方が人それぞれ。痛くて安心して任せられなかったのだ。
いつも私の傷を処置してくれている形成外科の先生達やナース達には、そんな心配は無用だというのに。
時間がかかっても、慣れない手つきで、不自由な体で、自分で傷を洗うようになった。

初めて一人で傷を洗った日は、すごく大変でヘロヘロになって診察室へ処置に行った。
疲れた顔で甲斐先生と話していると、真田先生も加わり、傷のことについて色々と話しだした。
怪我がきれいに治ってくれるかどうかは難しいと丁寧に説明をしてくれる。
真田先生は、じっと私の目をみて話をした。

よく見たら、真田先生、整った綺麗な顔みたい。

顔小さいし。

体も、も少し小さいといいんだけどね。

真田先生の話を真面目によく聞いているようで、そんなことを考えてたり。
入院一ヶ月で、私はすっかり病院に馴染んでしまっていた。長期入院で、この先も暫くずっと病院住まい。
怪我が大変で手が掛かる患者ということもあり、先生達やナース達とは身内のようなファミリー的な感覚になっているような気がしてきた。
先のことを心配してもいくら考えても、まだ今は何の結論もだせない。
状況が変わっていくまでは、病院内で保護されている子供のような生活も仕方ない。
そんな感覚で日々過ごすようになっていた。

病院暮らし

「順調だから、そろそろ、次の皮膚移植のこと検討しようか。」

診察台に横になっている私と同じ目線にいる真田先生がいた。
突然、私の横に置いてある車椅子に腰かけ、真田先生は寝ている私の顔を見ながら話かけてきたのだった。

顔近すぎ。ま、いいけど。

「新しい治療法なんだけど、機械の使用を終わる前に移植をする方法があってね。それが早いから。
あ、甲斐先生。これ保険きく?きかなかったかな。や、きくか?」

甲斐先生に確認しつつ、真田先生は話を続ける。

「次の移植の手術は、二十六日くらいかな。こないだより痛いもんね、全身麻酔がいいだろうね。あ、家どこ?」
「神崎の辺りです。」

退院後の通院のことできいたのかな。退院なんて、まだいつになるのかもわからないのに。
今日の真田先生、いつもとちょっと違う感じ。髪のびてたのかな。それに、ちょっと痩せてみえた。
ま、何にしろ、真田先生ってなんか見てて面白い感じ。

診察が終わって病室に戻ると、少し前に退院した菊池さんからメールがきていた。
『診察できてるから、お昼過ぎからいきまーす!』
入院期間は十日程だったのだが、同じ診療科にかかり、同じ日に同じように右足の手術をしていた。彼女は、小さな腫瘍を取り除く手術をしたのだが、後は暫く経過観察ぐらいでいいらしい。
年も一つしかかわらず、とても気の合うよい病院仲間だった。

昼食の時間が終わったころ、彼女が笑顔で病室に現れた。
きちんとお化粧してお洒落して。入院患者とは、雰囲気が違うなぁ。菊池さん、普通の人になってる。
「今日ね、足みせに来たのにスカートじゃなくてうっかりパンツできちゃって。診察するときになって気がついちゃって。すみません…って言ったら、真田先生に、マジ?って言われた。マジ?って。なんか意外。実は、先生若いのかなぁ?」
笑いながら、美人でそつのなさそうな菊池さんが、へんな話をする。
「そんな訳でパンツ脱いでバスタオル巻いてカーテン閉めて甲斐先生が診察してたのに、
そこにあったパソコンを触りたかったみたいで、途中からやってきてずーっとそこでパソコン触ってて動こうとしないんだもん。
困っちゃったけど、仕方ないからバスタオル巻いたまま、なんとかパンツはいたよー。真田先生ってなんか天然だよね。絶対。」
そう言って、アハハと笑っている。
菊池さんって、ニコニコしててかわいい。

気さくでおしゃれで若々しいのに、私より一つ年上だった。
私よりいくつも年下の独身女性にみえたのに、なんと高校生の女の子と中学生の男の子のママでもあった。
更に、二十代半ばでバツイチになったというシングルマザー。
彼女のタフさと、それを全く感じさせない人柄などには、本当に驚くばかり。
実家の両親がすぐ近くに住んでいるらしく、普段から一緒に生活しているように何かとやりとりをしているという話もきいた。
なんとなく私と感覚が近いような気がするのは、そんな両親との関係もあるのだろう。

菊池さんは、真田先生の診察にあたることが多いらしく、なにかと真田先生の話がでることが多い。
真田先生のマイペースぶりによくツッコミを入れるのだが、それが結構笑えるのだった。

「真田先生が着ているウェアの袖口に大学の名前が英語でついてたから、よく見てみたんだけど。なんか、ずっと視線向けたりしてて好きと思われたら、困る!ってさっと見たの〜。先生、絶対独身だよね。すっごい天然の人に見える。」
そう言って、またフフフと可愛く笑っている。飾らない人で、素直に朗らかに話すので、何を話していてもちっとも嫌な感じに聞こえない。真田先生に対しても、ツッコミまくりだったが、ただ面白おかしく聞こえるだけ。
そして、菊池さんの真田先生についての話を聞くと、なるほど、菊池さんにはそう見えるんだなんて思ったり。

私は、真田先生に独特な雰囲気は感じつつも、菊池さんが言うように天然だとは思っていなかった。天然というとどこかぬけてしまってる人のようだが、私には独特ではありつつもシビアな感覚の賢そうな人に見えていた。
そして、絶対独身だよと言い切ったのを聞いて、あ、やっぱりそうなんだと思ったり。

入院生活が長くなってくると、だんだん気力がなくなり、時間をもてあますようになってきた。
母に、皆仕事頑張ってるんだから、気力がないなんて言わずにしっかり読書や勉強をしなさいなどと子供のように注意される始末。
しかし、単調なそんな毎日の中でも、少し楽しみにしている時間があった。形成外科の診察の時間に真田先生の様子を見物するのが、ちょっと面白かったのだ。
ドラマ風に言うと、私の病院暮らしのレギュラー陣のなかでも、真田先生は準主役的なポジション。
真田先生の言動によって、私の状況や心境は多少なりとも影響をうけるのだ。

ある日、診察室前で順番を待っていると、私が来たのに気づいてわざわざ出入り口まで出てきてくれた。
「由木さん、もうちょっと待ってて。ごめんね。」
そう言って中の方に声をかけているのが、きこえてきた。
「由木さんそっちでしようか。冷房、今入ったって。こっちの部屋、暑いし。」
最近、急に暑くなってきた為、怪我が不快な私を気遣ってくれているらしい。
診察室に呼ばれると、真田先生は隣の部屋からすぐにきてくれて色々と話しかけてくれた。この日は、本当にたくさん。

傷きれいになってきたね。

毎日処置じゃなくてたまにだから、入院してる感覚じゃなくなってくるね。
ピコっていう機械使ったら、もっと早く治療できるけど。
七月から使用開始だから、ピコまだ使えないんだよね。

話の流れで通院の話がでると、通院するより入院してた方が治りがいいと真田先生が言いだした。
通院治療にすると、悪化してしまうような場合も結構あると。
「早く退院するよりきちんと治療した方がいいって、治療第一で身内とも話してますから。」
と真田先生の話に納得したつもりで言うと、先生の表情が少し変わった。
ちょっとムキになってボソッと何か言いかけた。
「身内じゃなくて、自分達もそう考えてる。」
最後の方の声が小さくなって聞きとりにくかったが、そう聞こえた。

隣の診察室と行ったりきたりしながら、真田先生は、こっちにも目をやってくれていた。
診察台に横になっていた私が不意に起きあがると、ぱっとこっちをみたり。

暫くして、また治療期間の話がちらりとでたので、気をまわして口を開いた。
「結論としては、できるだけ入院してた方がいいって職場の方からも話がでてますから。」
そう言って少し笑うと、真田先生も少し笑ったようだった。

今日の真田先生は、なんだかいつもより私を気にしてくれてたように思えた。
身内じゃなくて自分達もってムキに言ってたことも気になった。

少しずつ

そろそろ六月も終わり。

入院以来ずっとはめたままだったギプスシーネのせいで、水膨れができてしまった。
巻きっぱなしの包帯のせいなのかなんなのか、足に蕁麻疹のようなものまででたり。
そんな体調のせいもあり、次の皮膚移植の手術の話は止まったままになっていた。
肝心の怪我の様子も、相変わらず。
「あぁ、きれいになってきてる。なってきてる。」
と先生達は言ったりするのだが。
素人の私から見ると、どこがきれいになっているのかサッパリわからない。
私に対する気休めのために、そう言ってくれてるのかと思ったくらい。

しかし、どうやら、少しメドがつくくらいの状態にはなっているようだった。
「治療順調にいってるから、二回予定してた手術、一回でいいと思うよ。この調子だと七月には仕事いけるかもよ、由木さん。」
驚いて、真田先生の顔を見た。真田先生は、明るい表情でこっちを見ている。
まだ足は結構腫れていて、順調だとしてもとても治癒には程遠い感じ。
「腫れがひいたとして、この足、どれくらいの状態になるんでしょう。」
今の状態だとこの大きさ…不安に思って尋ねてみると、真田先生は、腫れはあんまりひかないというようなことを言った。

「でていた骨が見えなくなってきたから、傷がまた治ってきたら…」
甲斐先生が処置をしながら、傷が深いところを指して私に話しかけていると、真田先生が口を挟んだ。
「傷は治らない。」
「この大きな傷が全部塞がったらっていうことですよ。」
すぐに、甲斐先生が口を開いた。

この状態で大分治っていると言うなら、実際に治療がとりあえず終わって退院する時、どれくらいの状態なんだろう。
きれいに治るとは思っていなかったが、傷だけでなく小さくてきれいだった足がどんな形になるんだろう。
今まで履いていたような靴は、履けるんだろうか。そんなことを思って、不安な気持ちになった。

悪気も何もなく発言をしたのだろうが、真田先生の発言は少しショックだった。
真田先生は、私の治療や手術はずっと甲斐先生と二人で対応してきてくれた。
気休め的に優しいことを言ったりはしないが、すごく親身に対応してきてくれていて信頼できる優しい気持ちの先生だと思っていたのに。
今日は、いつもと対応が違う気がしたし、なんだか納得いかない発言も飛び出した。
真田先生のことを、いつものようにいい感じに思えなかった。
ここのとこ、真田先生にすごくよい印象もってたのに。なんか、真田先生って全然思ってた感じとはちがう人だったのかな。

割と前向きだった気持ちが、下がってしまった。昼食もあまり食べる気がせず。
ベッドの上で包帯が巻かれた足を見ながら、指を触ってみる。
どうみても、まだ思いっきり腫れてるじゃん。
こんな腫れがそのままのわけないじゃん。
真田先生、なんであんなこと言ったんだろう。
腫れはひかない、傷は治らない、なんて。
今のこの状態が、まるで殆ど変わらないような言い方だった。

足がいつもより痛んでリハビリも休もうかと思ったが、ベッドでフテ寝してても気が晴れないしと頑張ってリハビリへ行ってみた。
そして、今井先生と処置の際に言われたこと等話す…というか愚痴ってしまった。
今井先生は、よく、いい話を教えてくれたりする。たぶんこういう意味だと思うんですよねとかアドバイスとか。
それによって気が晴れたりすることが、結構あった。
「病室に持って帰って、退院まで持ってていいですよ。」
今井先生はそう言って、簡単にリハビリできるようにと大きなゴムテープをくれた。

治療は、経過をみて先の治療を検討する流れ。幸い治療は、八割九割順調だった。
今までは、治療期間のメド等尋ねても長くかかるという話だけ。
ハッキリとしたことは全く聞かせてもらえなかったが、
とても順調だから七月いっぱいで退院して仕事できるようになるかもなんて思いがけずの話だった。
確かに機械治療を始めてから目に見えて皮膚がよくなってきていたが、ハッキリいってまだまだまだまだ治癒には程遠い。

傷と言えない程の怪我は、まだきれいに皮膚でおおわれてない。
全く怪我がない指の腫れはひいておらず、左足の指と明らかにに様子が違う。
右足は、怪我がなかった部分もぱんぱんに腫れている。
腫れすらひいておらず、皮膚移植もするのに、あと一ヶ月でどれだけ治ってくれるんだろうかと疑問に思う。

入院してからの最初の一ヶ月は治療期間を気にしてたけど、
真田先生と話すうちにどれだけかかってもできるだけ、しっかり今治療をするべきだと考えるようになっていた。
忙しすぎた職場に早急に戻るのは、体のためによくないと考えるようにもなり、
復帰したとしても仕事をセーブしていくよう今後のことをゆっくり考えるようになっていたし。
そんな気持ち、心がまえになっていたのに、予想外の真田先生の発言。
本当に、とても驚いた。

ギプスを外し、皮膚が再生してきたことはいいんだけど。
新しい皮膚は、元の皮膚のように伸び縮みできないので、足がかたくなってきている。
今までのように動かなくなってきたのも、更に嫌な気分にさせる。

気持ちをきりかえようと読書をしてみたりしたのだが、暫くして疲れて眠くなってきた。
ウトウトしてそのまま眠ってしまったらしい。名前を呼ぶ声がして目が覚める。
時々骨を診察してもらってる整形外科の田中先生だった。
若手の働き盛りという感じの忙しそうな先生なのだが、時々夕方病室まできてくれて、レントゲン確認後の診察結果を話してくれる。
今日は午後の割と早い時間。手術が終わってすぐに来てくれたような格好。よっぽど忙しいんだろう。
丁寧に、新しく作成する足の装具のことについて、明日の昼に業者さんがきてくれる等と話してくれた。
こんな風に丁寧に対応してもらえるだけで、安心感がでたりする。

夕方になって、甲斐先生も病室まで様子をみにきてくれた。
足の腫れの話をまた別のいい方で、尋ねてみる。
足の表面が腱も切れる程損傷した際、静脈も同じくたくさん損傷していて、今までより血流が悪い…
以前に比べてどうしてもむくみやすくなっている…新しい静脈ができてくるけど時間がかかると話してくれた。

ということは、血流を良くする為にマッサージをしたり、
足を上に向けたりする事でむくみを和らげることができるという話だろう。
こういう説明大事なんじゃないなんて真田先生に対して思ったり。

翌朝、ナースステーションまで行って病室に帰ろうとしていると、エレベーター前で真田先生に会った。
おはようございますと挨拶すると返事が返ってきたのだが…通りすがりに小さな声で何かいいかけてた。
よく聞こえなかったけど。なんか、真田先生、わかんない。

土曜、処置の日。

処置待ちで椅子に座っている間、右足を床についてどれだけ自然にまがるか試してみる。
やっぱりかたくて九十度近くが精一杯。

処置室に呼ばれて入ると、重症患者のことでよその科の先生が来ており、甲斐先生も真田先生もその対応で手が離せないよう。
真田先生を見るのは、この前のあの一件以来、少し久しぶりだった。
先生達の手が空かないらしく、まだ研修中のような先生が処置。いつものようにうまく処置してもらえず。
最後に甲斐先生がきて一緒に処置してくれたから、まあなんとかよかったけど。

真田先生も少し見にきてくれたので、足が曲がりにくくなってることを話してみた。
来週末から一時的に装具をつけて、足を徐々についていくようになることも。
足をつくようになれば、また曲がっていくようになるということを、目を見てちゃんと話してくれた。

真田先生…なんだかなぁ。

甲斐先生にも、皮膚移植をしたらどうなるのか尋ねてみたり。
皮膚の凹凸はだんだん平になっていくと。
凸の部分を不安に思ってたから、どうなるか更に尋ねる。
すると、凸になってるんじゃなくて元の大きさですよと。
特別変形して大きくなってる訳じゃなく、凹があるからそう見えるだけだと。
普通の靴が履けるようになるかと思ってることを言うと、まだ全然そんな段階じゃないからと、先の治療の話も少しでたり。

甲斐先生の話をきいて少し安心した。
怪我は、まだ完成系には遠いんだ、この状態からまた変わっていくんだって。
今後のことに、少し光が見えてきた。

最初からずっと、形成外科で蜜に治療をしてもらってきた。
入院が長くなって病院内あちこちやりとりがあるけれど、
形成外科に行くと、なんだかいつの間にかホッとするようになっていたり。

まだ治療は長い目でみていかないといけないことはわかっているけれど、少し嬉しい気持ちになった。
希望をもてるだけで、大分気持ちって変わってくるんだなと思ったり。
綺麗にきちんと治癒していきますように。

日々

七月一日

先週末から、ずっと痛みがでて調子悪い。何故か、また湿疹まででだして、更に調子が悪い。
そんな話を病室担当のナースにすると、暫くして、診察日ではなかったのに形成外科に呼ばれた。
廊下の椅子で呼ばれるのを待っていると、不意に真田先生が診察室からでてきた。
一瞬こっちに来てくれてるように見えたが、もうひとり先生らしき人が一緒で、そのままどこかに歩いて行ってしまった。
真田先生、ビミョーにこっちに会釈してくれた感じ。

甲斐先生が不在らしく、石塚さん浅田さんの二人で処置してくれる。
今日は、機械を外して洗うだけらしい。
途中真田先生が戻ってきて、処置に加わってくれた。
「機械つけっぱなしにしてたら、こうなるもんね。」
なんて言いながら、手術の日をどうするか確認したり、ガーゼつけて包帯巻いてくれたり。
診察室を出るとき、処置台のところに立ったまま、なんだかずっと見送ってくれていた。
久しぶりに、じっとこっちを見て目を見て話してくれた。

七月三日

今日は、形成外科・整形外科の診察とリハビリ。
足がかたくなってきているのをここのとこ心配してたけど、甲斐先生、田中先生、今井先生が大丈夫って言ってくれた。
特に今井先生が、ちゃんと足を触ってくれて大丈夫って言ってくれたから安心した。

夕方から、今度の手術の説明。今までの内容を振り返って話をきいた。
事故直後の画像は初めてまともに見たけれど、本当にひどかったんだと思った。
骨を固定してるピンのところが少し膿んで腫れていたのも、整形外科の田中先生を形成外科の診察室に呼んで甲斐先生と一緒にみてもらう。
一ヶ月近くとりつけていた機械も外し、夕方、足が落ち着いたのでよかった。
頼んでいた装具もできて、蕁麻疹も落ち着いたし、今日は良い日だったかな。
夕方の空も綺麗。

七月四日

シャワー、九時に一番のり。
形成外科の診察も、今日はスムーズに呼ばれる。

土曜だから真田先生いないのかと思ってたら、診察の帰りにどこかから帰ってきた真田先生にバッタリ。
本当はさっさと帰ろうとしてたけど、浅田さんに渡すものがあるからちょっと待ってと呼びとめられ、少し引きかえして椅子に腰掛けて待ってた時。
巻いてもらった包帯をなおすのに下向いてたけど、前からやってきた真田先生に声をかけられて頭を上げる。
「由木さん、もう終わったの?」
「はい。終わったんですけど、何か渡すものがあるからって看護師さんに呼び止められて。」
「そう。」
そんなやりとりをしたら、急ぎ足ですぐ行っちゃった。

昼食後、よくないと思いつつも昼寝。アラームで起きて、リハビリへ。
今日は初めて装具をつけて、両足で歩く。頑張ったけど、皮膚がひきつって痛かった。
でも、今度の火曜の手術の後一週間リハビリできないから、月曜までリハビリ頑張らなきゃ。

七月七日

何故か、処置が真田先生だった。
朝、甲斐先生がベッドまできて今日の処置の話をしてくれてたんだけど。
シャワーで傷洗ってきたらすぐ呼ばれて、形成外科に行ったらすぐに処置。
真田先生が最初から最後までいろいろ話しながら処置してくれた。

入院どのくらいになった?

デグロービングの治療では、早いよ。

普通半年とかかかったりするもん。

最初の皮膚がうまくついたんだろうね。

手術の後は、もう二週間くらいで形成の治療は終わって、整形の方にうつるね。

骨固定のピンいつ外すって?

その後の形成の治療は、飲み薬とか塗り薬とか。

入院長くてすることなくなったでしょ?

リハビリは、どんな感じでしてる?

ふくらはぎひきつったりしない?

真田先生の顔を見てゆっくり話す。
やっぱ、顔小さいし、きれい。体は、お腹とかすっごい気になるけど。

七月九日

昨日、三回目の最終段階の手術終了。
四十分くらいオーバーだったそうだけど、甲斐先生が細かく仕上げましたからって言ってくれた。
両親も来てくれたし、弟も菊池さんや他の友人達もメールくれた。
大変な怪我だけど、ものすごく順調に治療が進んでる。有難いことが、たくさん。
仕事のこと懸念してたけど、なんとか大丈夫かなと思えたり。
それから、手術で皮膚移植をしたから、これから診察の時の処置でお尻の傷を見せなきゃいけない。
主治医が女医さんでよかった。今朝の診察は、真田先生いなかったけど、私への配慮かな。
ナースの石塚さん浅田さんが、手術ちゃんと終わってよかったねって。
二日ぶりにゆっくりできたし、いい日だった。

七月十日

手術から二日。朝一で形成外科に呼ばれる。
甲斐先生と二人のナース、石塚さん浅田さんで対応してくれる。真田先生と研修の先生はいなかった。
甲斐先生と真田先生が、気を使ってくれてるのかな。お尻の傷の付け替えだから。
だから、手術前の日、真田先生一人でじっくり診察してくれたのかも。
蕁麻疹がよくならないから、明日皮膚科の診察してもらえるよう甲斐先生が依頼してくれた。
リハビリも、今日からゆるく再開。

懸念されてたすごく大型の台風もこず。母に台風きそうだから来なくていいよって言ってたのに、来てくれた。
欲しがってた雑誌とコーヒー持って。
最近、蕁麻疹もひどいせいかモチベーションさがり気味で、リハビリも読書も細々した活動さえ億劫になってたけど、有難いことがたくさん。
今日もいいこといっぱいあった。感謝感謝。

七月十一日

少し遅い時間の夕方五時頃に、見舞いに来てくれた母を一階まで見送りに行く。真田先生にバッタリ会った。
お手洗いに行った母を椅子に座って待ってたら、裏口から真田先生が入ってきた。
すぐ気が付いたけど、少し近くなってからこんにちはって笑顔で声をかける。
「散歩?」
「いえ、お見舞いの見送りです。」
そう言って会釈。
朝の処置の時は、少し処置室内ウロウロしてたとこみかけた。
「傷痛い?」
ってきかれたり。それだけだったけど。
見送りの帰りに売店で雑誌を立ち読みしたら、今後の足の状況を考えたファッションの参考になるような気がしたり、ベッドに戻ってからもなんか思考が前向き。
社会復帰、一旦仕事やめて来年夏までリハビリかねて仕事をせず、資格取得の勉強しようかなと思いついたり。
ネットで調べたら、費用も二十万あれば余裕みたい。
前向きな気分になったのは、なんだかんだ体動かしたのと、リハビリと、母とのやりとり、蕁麻疹おちついたのと、真田先生との笑顔のやりとりのおかげかな。今日は、久々とても良い日。前向きな気持ちになったのが、いいね。

七月十二日

十時頃、診察に呼ばれる。
今は、やっぱりお尻の付け替えばかりだから、甲斐先生が主。
でも、今日は手術ぶりに足の包帯をとったのもあり、真田先生がチョロチョロウロウロしてた。
母が、寝るとき暑いでしょってタオルケットを持ってきてくれた。
見送りがてら売店でカジュアル系雑誌を買う。これからシューズが増えるだろうから参考になるなかなって。

七月十三日

朝っぱらから、診察に呼ばれる。
形成外科の入口に座って待ってたら、予想外に廊下を真田先生が歩いてやってきた。
おはようございますと挨拶。座ってたからか背が高くみえた。
待合に私の他にも人がいっぱいいたけど、なーんか知らない人が多いと真田先生発言が少ないなあ。
処置が驚いたことに、真田先生だった。お尻なのに。
「この前、絆創膏変えたのいつ?」
とか言われながら。足は、甲斐先生メインで二人でしてくれた。皮膚百パーセントきれいについてるって。
真田先生にもなにかそんなこと言われたから、先生方がきれいって言われるのと私たちの感覚が少し違うからどんなものかなぁって感じのことを言いながら、足をみる。
真田先生もそうだねって言いながら、ボコボコなってるところは暫らくきれいにならないだろし、半年一年ってすこしずつきれいになっていくからって。
形成の治療は、あと二週間くらいですかってきいたら、傷がきえて皮膚がついたら終わりって。
そんな処置。

七月十五日

今日も割とはやい時間に診察に呼ばれる。
処置室に入ったら、真田先生の背中がみえた。座ってPC触ってた。

何故か甲斐先生いなくて真田先生の処置。お尻なんだけどなぁ。先生いつもと違って白い上着。
お尻の大きな絆創膏外しながら、かぶれどめスプレーしてるのにかぶれるねって。
「傷ある方のお尻、よくつく?」
「極力つかないようにはしてますけど。
なんか絆創膏がいつもと違うって、いつもは白いのだけどって病棟の看護師さんが言われてたみたい。」
「色が違うだけで、絆創膏は一緒。」
あはは、そうですかって笑ってみる。
「足は昨日付け替えしたから、毎日じゃなくていいもんね。これから月水金かな。」
真田先生との今日のやりとりこんな感じ。
形成外科に処置に行くの七月いっぱいかな。その後は、整形外科の治療に移るらしい。
でも、形成外科の治療で飲み薬と塗り薬を使っていくし、半年、一年って治療がかわっていくって。
それから、お気に入りの素敵なナースさんに、
「由木さんいつも穏やかだからここに来ると和みます。」
って言ってもらった。とっても嬉しい。

友人がお見舞いにきてくれた。老舗和菓子店のお菓子と健康祈願のお守り持って。たくさんお喋り。
看護師さんに和むって言われた話をすると、「自分もそう思う!取り乱したりしない人に見える。」って。
そっか。うれしい。

七月十六日

九時半 に、形成外科に呼ばれる。
今日は、甲斐先生の処置。真田先生は、昨日と同じくいつもと違う白い上着。
ちょっとチョロチョロ姿が見えたけど、他の患者さんもいたようであまりこっちにはきてもらえなかった。
でも、足の処置の時に少しこっちに来てくれて、少し話した。
足の向きを変えるのに合わせて体の向き変えようとしたら、
「由木さん、向きかえなくていいですよ〜。」
って。あと、甲斐先生が傷とっても順調って。勝手に八月メドかなと思ってるって言ったら、そうですねって。
やっぱそうか。ボチボチ色々考えはじめなきゃね。

七月十九日

昨日も今日も形成外科の処置あったけど、何故か真田先生の診察なし。
今日は診察待ちで椅子に座ってる時、患者さん呼びながらちょっと姿をみせたくらい。
最近なぜか白い上着ずっと着てる。
今日は、なんか後ろ姿をちょっと見つめてみた。
やっぱおっさん体型だな。

今日、甲斐先生と話してて形成外科の治療もう終わるけど、整形の治療予定どうなってんだってことで、その場で甲斐先生が田中先生に電話してくれた。
すると、足に差し込んでる数本のピンはまだ抜けないっていうのに、他の治療はもうないからいつでも退院オッケーみたいな恐ろしい話がちらりとでた。
まだまともに歩けないのに。ピンもいつ抜くかわからないのに。
これについては、リハビリの今井先生に相談。甲斐先生にももちろん。

早くて八月半ばと思ってた退院が七月になるとは。
大丈夫かしらと思いつつ、今日はやる気がでたから交通事故手続きについて一気に色々調べた。
こないだ生命保険の件も、頼んでる友人に連絡入れててよかった。
それにしても、もっと足の腫れがひいたり、まともに歩けるようにならないとと思うし。
どうしたもんかしら。

今日は長い時間装具つけてたのとパソコンさわってたので、頭いたいなぁ。
弟がゴディバの冷たいチョコレートドリンク持って、お見舞いにきてくれた。
母も、コーヒーとおやつと常備分のおやつを持ってきてくれた。
天気もよく、のんびりできたいい日だった。

七月二十日

この週末、退院の話がなんとなく出たことから、どうも気が落ち着かない。
まだ治療が十分じゃなく治癒には程遠いように思うから。
そう思いながらも、退院に備えてなんだか動いてるんだけど。
仕事復帰プランねったり、事故手続き色々調べたり、リハビリも頑張ったり相談したり。

気が晴れないなと思いながらも、振り返るといいこともあったり。
土曜で、病院休みだからゆっくりできた。
看護師さん達と色々話して、整形外科にいた人から色々リハビリ通院なんかの情報もらったり。
好きな看護師さんが少し担当してくれたり。
気持ちよい天気だったし。
事故関係少しゴタゴタしたけど、結果よかったような気がするし。
明日外出許可もらった。
午後からリハビリ調子よく歩けた。今までで一番良い感じで。

最近、甲斐先生が陽気なのもちょっとひっかかる。

七月二十一日

朝から頑張って装具つけて松葉杖なしで歩いてシャワーしに行ったのに、形成外科に呼ばれたのはお昼近くなって。外来多かったみたい。
甲斐先生にみてもらい、抜糸。緩んでたピンをちゃんと固定したり。
真田先生は隣の診察室で診察してて忙しそう。途中こっちにきた。

「抜糸ね。」
って言いながら、今後の整形外科の治療のこと甲斐先生に少し訊いたり。
今夜田中先生から説明がある旨、甲斐先生が伝える。
リハビリ転院の話が出る。

「転院するなら通院がいいなと思ってて。」
「通院できる?」
「でも、早く普段の生活に慣れたくて。」
「ああ…由木さん一人暮らし?」

不意に聞かれたもんで、ついとっさに照れ笑いみたいな顔をしてしまった。

「いえ、一人暮らしはしたことなくて。実家なので、家族がいるので…。」
「ああ、じゃ大丈夫だね。」
そして、
「あれ?何しにこっちにきたんだっけ??あ、カメラカメラ。」
って言って帰って行った。

まだ、暫く一日おきに形成外科の診察あるみたいだけど、いよいよ退院となったら、形成外科の診察はたまーにというか、ほんの数回みたい。
それから、今日ほんの三十分ほど病室離れたときに菊池さんが差し入れ持ってきてくれた。
行き違い。退院までにまたくるねってメールがきた。ランチでもしにいこっかなぁ。

退院検討

皮膚移植の手術から、約三週間が経った。
経過良好により、形成外科の治療はそろそろ一段落。まだ治療は続くらしいが、通院で大丈夫らしい。
今度は、整形外科の治療に移る。ピンを足に数本いれて固定した状態のまま、この二ヶ月半、定期的にレントゲンをとり、その結果を説明してもらってきた。その診察結果によって、リハビリの内容を検討してもらったり。

しかし、ここにきて、整形外科の田中先生から、診察結果の報告等殆ど連絡が入らないようになっていた。
形成外科の入院治療が終わるに伴い、整形外科の治療にどう移るのか、今後の治療の予定がどうなるのかということを教えてほしいのに。
まぁ、親切なよい先生なんだけど、最近は、またとても忙しそう。
この前のレントゲン撮影後、二、三日のうちにきてくれるだろうと思っていたが、来ない。いつもレントゲンをとると、当日中にきてくれてたというのに。

レントゲンをとった翌日のことだったが、形成外科の診察中にそんな話になり、その場で甲斐先生が電話して尋ねてくれたことがあった。
すると、ピンはまだぬけない、足が痛くてもリハビリ頑張ってどんどん歩いてと。整形外科での治療はもう通院でいいのか、退院もそろそろという話がでたらしい。
この田中先生の話に、私も甲斐先生もとても驚いた。ピンも抜かず、足が痛くてまだ松葉杖なしで歩けないというのに。

退院ということについては、この電話で少し聞いただけなのだが。本当にとても驚いた。こんな状態で退院しても、自宅療養だって不安で仕方がない。
そんな訳で、復帰について色々と調べたり、復帰プランを考えたり、リハビリの先生や色々と詳しいナースに尋ねてみたり。病室で、松葉杖を使わずに、二本足で立つ練習をじわじわとやってみたり。すると、なんと二本足で歩けた…ビックリ。
調子にのって、お見舞いにきた母が帰る時に、病院入口外の病院の敷地ギリギリまで見送りにいってみた。もちろん、松葉杖を持たずに。
歩けたわ!私、歩けたわ!ハイジ!!ってクララの気もち。

「連休中退屈でしょうから、お母さんみえたら外出されても大丈夫ですよ。」
ある日、甲斐先生が外出を勧めてくれた。連休で、診察も続けて休みになるからと。
喜んで、その話にのる。早速ナースステーションに外出届けをだし、翌日病院周辺へ母と行ってみることにした。
久しぶりの化粧。パウダーと口紅くらいしかせず、メガネをかけて帽子をかぶる。服も、久々にまともに着た。

いざ、外出。というか散歩。
はりきった割に、この日は調子が悪く、足が少し痛んだ。それに、我ながら驚くほど歩みが遅い。
病院にとても近いデパートまで行ったのだが、あんなに近い距離ですら精一杯だった。
とりあえず、デパート内にある喫茶へ行き、ゆっくりと休む。プリンやチーズケーキ、フルーツが入ったデザートセットとコーヒーを頼む。ただお茶をしているだけなのに、とても幸せを感じてしまう。

時間が結構あったので、靴売り場にこれから履くためのシューズを見にいくことにした。
持ち帰りで、スターバックスのアイスコーヒーを買い、デパ地下のお菓子売り場をチェックし、病院へ戻る。
たったこれだけなのに、すごく時間がかかってしまった。やはり、まだ、歩きまわるのは厳しい。リハビリを頑張らないと。

それにしても、この日は、日本人のマナーに対して疑問を感じてしまった。
設備が整っていなくて歩きにくいのは仕方がないとしても、明らかに足が不自由な私が端を歩いて周りに気をつかっているにもかかわらず、その逆が殆どいなかったのだ。
恐ろしい感覚と思うのだが。人のことを、全く気にしないとは。
人に聞いた話だと、フランスだとかアメリカだとかは、こういうとこきちんとしているらしいけど。
日本って、大丈夫なのかと疑問を持たざるをえない。
まぁ、今日は今の自分の状況を知ることができたし、色々よかった。
今週は、また交通事故の手続きという野暮用で外出しないといけないし。

七月の後半のある日、夜八時半頃に整形外科の田中先生が病室まで話しにやってきた。
前日の夜に話しにいきますとの連絡が入っていたけれど、昨夜は結局こないままだったのだ。
出張で夜九時戻りだったらしい。この日も日中外出だったらしく、いつもの診察時の格好ではなく、ワイシャツに白衣姿だった。

田中先生の話は…

骨を固定する為に足に入っているピン四本は退院までに抜かない。

通院で二週間おきにレントゲンをとり、診察。

時期をみて、ピンは外来で抜く。

手術専門の救急病院なので、整形の治療としては入院ではなく通院での治療になる。

リハビリは通院で継続できるが、他のリハビリ専門病院へ転院の紹介もできる。通いやすさや自分の都合で検討してOK。

なので、退院については形成の治療の都合で考えてもらってOK。

一箇所ピンがゆるんできており、ピン挿入部分が化膿して腫れてることを伝えると…
明日形成外科の処置の時、甲斐先生にみてもらって下さいと言われてしまった。
うーんという感じがだったのだが、いつもにまして忙しそうな様子。まぁ、仕方ないと余計には色々尋ねず、わかりましたと引き下がる。
すると、田中先生は、最後に私にむけてニッコリ笑顔をつくって去って行った。

忙しさで仕方がないらしく、ここ最近、さっさと片付けてしまおうとしているような適当な対応を受けているが、それをごまかすように話の最後に必ず思いっきり笑顔をつくっていく。スマイル仮面めぇと思ったり。

翌朝、形成外科の診察の際、甲斐先生に相談をしてみた。
なんと、田中先生は、昨夜遅い時間に私に話をした後、甲斐先生にもちゃんと連絡を入れてくれていたらしい
きちんと対応してくれていたんだとホッとした。
七月初めの手術後、形成外科では一日おきに診察してもらってきていたのだが、傷が治ってきたので、そろそろ診察は終わり。
自宅での生活のことを考えると、少しでもちゃんと歩けるようになって退院したいと思っていることもあり、
こちらの希望をきいてもらい、七月末日退院ということでいきましょうかと話す。
退院については家族にも説明があるとのことで、その日程も決める。

最初に、まだ先だと思っていた退院の話を田中先生からチラリとされたのが、先週の金曜日。
土日は、病院が休み状態。田中先生の対応が遅くなり、火曜の夜に説明をきいた。
水曜日に、退院について具体的に甲斐先生に相談。
先週金曜日の時点では、まだ松葉杖に頼りきっていた為、歩けないのにってかなり焦って病室でもリハビリを頑張り始めた。焦ったせいか、思いがけず意外と歩ける…と思いこんで、母とリハビリがてら外出してみたり。
でも、普通の人の速さと比べものにならないし、三時間の外出で精一杯。その後、数日は、やっぱり足が痛いとまた松葉杖に頼ったり。まだまだかなぁと思いつつも、じわじわリハビリ頑張ったり、松葉杖を一本にしてみたり。
すると、今日は午後からとても調子がよかった。だから、すごくリハビリを頑張ってしまった。


この数日、色々と動きがあった。

なんだか慌ただしい。

気分の波も大きかった。

昼前、四日ぶりにリハビリへ行った。
「田中先生、説明きた?説明が深夜ってデータにでてたけど。」
今井先生に、笑いながら尋ねられた。七月末退院、今後この病院に通院するとの話を報告する。
足の調子がよかったり悪かったりだけど、今井先生はリハビリの指導をしながら、最近曲がるようになってきてると言ってくれた。リハビリ通院は、週二回から始めましょうかって。腱がきれてしまってるから、親指、下がってきて調子悪いねと話す。

昼食後に、足につけている装具の業者さんがやってきた。田中先生と話していた装具調整の件。親切丁寧に、色々と話していってくれた。

午後二時半頃、母到着。昨日の事故現場検証の件、心労をかけてしまった。
警察に厳しい話もされ、自分自身きつかったし、父や母のことも心配だった。
でも、いつもの様子で元気に来てくれたから、ホッとした。
デパ地下の美味しい菓子を手に入れて、持ってきてくれた。

今日の担当ナースは、陽気で明るい人。面白いお喋りしてちょっと気が和む。
入院なんてしてると気が滅入る人って多いと思う。
でも、職員の人の人柄や対応ですごく気持ち的に楽になれるってことを、今回は実感した。
事故の現場検証がショックでとても気が滅入ってたけど、なんだか色々考えた。今まで考えなかったことも。
相手側の言動を考えても事故後の周囲の対応を考えても、皆が私に優しかった。本当に。

今回のことで感じたのは、人の善意。



退院まで、あと六日。

今日は、とっても嬉しかった。
色々と気が晴れなかったのに。真田先生に色々気にしてもらって話してもらったのが、すごく嬉しかった。

朝十時くらいに診察に行って、甲斐先生に処置してもらっていたら、暫くして真田先生も現れた。
ちょっとぶりに私の足をみて、素晴らしいねって。でも、由木さん的には…かなってちょっと笑った。
退院が大体きまった話になり、真田先生は知らなかったらしく、ええ、通院できる??ってビックリしてたり。
最初のうちは、タクシーで来ようと思ってるんですけど…田中先生がかくかくしかじかって話されてと説明すると、近くにきてふんふんと話をきいてくれて。南の方にリハビリのいい病院あるよって教えてくれた。

ちょっと処置が痛くて、顔が歪んでしまい、話しが中断してしまう。

真田先生がまだいたから、暫くして南の病院って香川病院ですかって話しかけたら、なんだか嬉しそうな顔してまた近くにきて話してくれた。
この数日で、部分的にだが、皮膚の色が急にかわってきていた。皮膚の色が良くなってきたところをみて、真田先生に声をかける。
「ここ、この前移植したとこですか?」
「ん、最初に移植した足の皮膚、足の皮膚があつくていいからね、最初のが全部つけばよかったけど。」
その後、甲斐先生の診察が終わって廊下にでると、真田先生が待合のイスのところでおばあさんと座って話をしていた。会釈したら、軽く会釈してくれた。
真田先生、やっぱりなんか顔きれい。肌つやつや、目クリクリ。



退院四日前。

朝の診察前のシャワー、出遅れて三番目。いつも一番なのに。バタバタと足を洗って、診察に行く準備。

ナースステーションへ行き、手続き関連の書類を自分で事務の人とやりとりする。

装具の件で、病院の職員さんが親指の不具合調整するもの持ってきてくれる。

母と形成外科へ行き、甲斐先生のいつもの処置の後、退院の説明を受ける。
ピンを触られた箇所が痛くて、まともに歩けず。
真田先生は、ちらほら姿が見えたり声が聞こえたり。
退院の説明を受けている時に、一瞬こっちに来そうな感じで先生の視線を感じたけど、やっぱり来なかった。

母が来てくれたのが朝早い時間だったけど、スタバのコーヒー、グランデサイズを買ってきてくれていて、嬉しかった。

足があんまり痛くて、リハビリを休む。

午後は、事故相手側の人が見舞いにくるのが気になり、気分があまり落ちつかなかった。

やっと外出ができるようになり、最近警察で事故処理の手続きが始まったのだが、相手側との連絡もやっととることになったのだった。事故後、初めて顔を合わせる。というか、事故の時ですら、相手がどんな人かわかっていなかった。
しかし、すごく丁寧に対応してもらい、こちらも丁寧に返す。無事、十五分ほどで面会終了。

当事者の男性は三十代半ばということだったけれど、まだ若い男の子のようにみえた。目がきれいな人だった。

直進の私と左折してきた相手、交差点での出会い頭的な事故。お互いにどうしようもない状況だったと思う。
相手に対して特別ひどいことは最初から思っていなかったが、二ヶ月半まともなやりとりをしなかったことを申し訳なく思った。
相手側は、ひどく色んな事を心配して苦しい日々だったんじゃないかと。
上司と一緒で、その上司との会話が殆どだったけれど、本人にも事故直後からの対応等お礼を言った。
また、治療で余裕がなかったものですから、長くご心痛おかけすることになりましてと、やりとりするまでに時間がかかった理由も向こうの気が和らぐように話した。
本当になんとかきちんとした対応ができて、ホッとした。

その後は、同室の患者さんにもらったゼリーと新聞で気疲れを癒す。
夜、母が退院に備えて整理をしていた荷物をとりにきてくれた。その後は、同室の人とゆっくりお喋りしたり。

振り返ると盛り沢山な日だった。

お昼寝しなかったし。

そんな一日。お疲れさまだったね。

最後

ここのところ、いつものように甲斐先生が朝ベッドまで様子を見にきてくれている。

いつもよくしてくれる看護助手さんが、廊下で声をかけてくれる。

仲良しの介護士さんも、退院間近だからと声をかけてくれる。

リハビリ、今井先生と楽しくお喋り。

午前中最後の時間、形成外科に診察に呼ばれる。

初めて、エレベーターでなく階段を降りていってみた。なんとか大丈夫。

診察室に入って行くと、真田先生が驚いた顔で話しかけてきた。
「松葉杖なしで歩いてるの初めて見た。」
「え?そうでしたっけ?ここのとこ何回か歩いてきてみてたんですけど。」
「うん、初めて見たよ。もうちゃんと歩けてるみたいだね。」
「いや、なんかペンギンみたいな歩き方。」
「なんか、マイナス思考だなぁ。」
真田先生が、少し笑った。

そんなやりとりをしていると、もう終わったと思っていた皮膚移植の際にできたお尻の傷を見られることに。
足の傷に塗るクリームを、退院後お尻にも塗るように説明してくれる。
「腫れが、大分ひいたよ。」
真田先生が、足を見ながら言った。そう言われてもというような状態の足。うーんという感じの顔になってしまう。
「由木さん的にはね…。」
少し笑うように言われてしまった。整形外科の田中先生にみてもらった話などもしてみた。
「整形外科、次の診察いつ?」
「退院が明日、木曜ですけど、その翌週の月曜です。」
「早いね。ピンを一本退院までに抜こうかなって言ってたなら、退院後の診察で抜こうと思って早くしたのかなぁ。」

真田先生が足をきれいに処置してくれる。そのうち甲斐先生もやってきて、いつも以上に二人できれいに触ってくれた。足の手入れの仕方も教えてくれたり。退院に備えて準備するのは、松葉杖か杖かどっちがいいかと石塚さんが話しだし、皆でなんだかんだ話す。
携帯の音が聞こえ、真田先生が電話にでてしまった。
「じゃ、最後明日お願いします。ありがとうございました。」
甲斐先生に声をかけて、診察室をでる。
「松葉杖ないと大丈夫かな。心配。」
そう言いながら、甲斐先生は、診察室をでていく私を見送ってくれた。

石塚さんと、形成外科窓口で松葉杖の貸出について話してから病室へ戻る。
午後から、事故の手続きのためにまた警察へ行くことになっていた。
昼食を遅れて食べた後、外出準備をしていると、病室にやってくるナースが何人も外出気をつけてとか暑いですよとか声をかけてくれる。

時間かかったけど、警察の手続きは無事終了。担当の人にも、よくしてもらった。
警察の処理が終わると、母とそのままデパートへ行った。母が病院への御礼のお菓子を買ってきてくれるというので、その間、カフェでコーヒーを二つ頼んで待つ。店の人が、松葉杖の私に親切に対応してくれた。

とても暑い日だったが、急に激しく雨が降り出し、一気に涼しくなった。
暫くしてなんとか雨があがり、病院へ戻ると虹がでていた。

夜、職場の同僚がきてくれて、色々と話す。まだ暫く自宅療養のために休職が続くのだが、退院前に顔を見に来てくれたのだった。いい話を色々ときけてよかった。

いい日だったよ。

今日は、母が真田先生のことを話していた。退院の説明を聞きに私と一緒に診察室に行った時、ウロウロしていてこっちの方にきそうだったけど、途中で母がいることに気づいてこなかったよって笑ってた。
やっぱりそっか。こっちにくるかと一瞬思ったの気のせいじゃなかったんだ。



退院当日、七時前に起床。朝から退院準備。NHKの朝の連ドラみながら、朝食。
甲斐先生が病室にきてくれて、色々と話してくれた。退院が決まってから、毎朝かかさずきてくれていた。
食事が終わって、怪しい足取りでソロソロ歩いてお膳を下げに行くと、こっちに気づいた栄養士さんが、すぐに笑顔でお膳をとりにきてくれた。
病室に戻って歯を磨いていると、外科の回診でゾロゾロ先生達が病室に入ってきた。白い巨塔みたい。
前々から他の患者さん達と、退院までに一度はみたいねって話していた外科の回診。むちゃくちゃまともに見て笑ってしまった。その集団の中には、ドクター以外にナース、薬剤師、ソーシャルワーカー、色々な人達がいた。
お世話になった薬剤師さんが話しかけてきて、今日退院だからってお薬手帳に貼るシールを持ってきますねって。
邪魔にならないように病室の外にでて、廊下の端の窓際に軽くストレッチに行ったら、外科の回診も同じくこっちに移ってきて窓際の個室に入って行く。せっかくよけて端にきたのにとあれぇと思いながら、ちょっと人の隙間ができたとこから部屋にもどろうとしたら、ソーシャルワーカーさんに笑顔で話しかけられる。楽しく雑談して挨拶して部屋に戻る。

整形外科の田中先生が、退院日こんなにギリギリになってやってきて、とりあえずの今後の話をしてくれる。
なかなか退院前の説明にこなかった先生に対して、先生にお会いしたかったですって冗談言ったのにスルーされてしまった。しかも、次の診察日間違えて伝えていったり。もを。
そしたら、まだ九時前だったのに形成外科に呼ばれたって今日の担当ナースが連絡しにきて、驚く。
「えーシャワーが九時からだから、足を洗ってからいこうと思ってたんですけど!?」
「シャワー終わってからで、全然大丈夫ですよー。」
なーんだとホッとして、早速シャワー室へ足を洗いに行くことに。
田中先生の診察日の間違いについてナースに確認を頼み、形成外科へ。お礼のカステラを持って。

診察室に入ると、甲斐先生しかいない。お礼を言いながら、菓子を渡して入院中最後の診察。
診察してもらいながら話をしていると、真田先生登場。
「おはようございます。」
「おはよう。」
真田先生は器具が置いてあるワゴンからピンセットをとって甲斐先生の正面に座り、一緒に少し処置してくれた。
でも、なんかそれだけだった。すぐに、別の患者の診察のためにいなくなってしまった。
「甲斐先生と真田先生にみていただいて本当によかったです。ありがとうございました。」
そう甲斐先生に声をかけて、診察室を後にした。
窓口のところで、石塚さん浅田さんにも退院よかったねと声をかけられ、挨拶。

病室に戻ると、迎えにきた母が私を待っていた。
急いで準備をして、看護師さん達とも最後の挨拶。お礼の菓子を渡し、最後楽しく話をしながらエレベーターで別れた。
病院一階の窓口で松葉杖貸出の手続きを済ませ、売店近くの椅子に座って待っていた母を呼びに行く。
立ったまま母と話をしていた時、ふと人の気配を感じ、横を向いた。
すぐ傍を真田先生が歩いてすれ違おうとしていた。視野に入った真田先生の姿に、何故か珍しく自分から気づいたのだった。
「あ、真田先生!本当にありがとうございました。また、今後もよろしくお願いします。」
母が一緒だったからか、真田先生は余計にまともに発言せず、こっちをみて頷いたりしてそのまま行ってしまった。

笑顔で話しかけたのにね。わっかんないなぁ、真田先生。すっごいシャイなのかなぁ。
朝の最後の診察の際、お礼をいい損ねていたのもあり、退院直前にバッタリ会えたことはよかったのだけど。
それにしても…
一階で会ったのは、十時半頃。今日は、木曜日で形成外科は手術日。朝、診察室にいたのも。どうだろ。
なんか意味あるのかな。

長期になると言われ続けていた入院生活は、思ったよりも大分早く、二ヶ月半で終わることとなった。
退院する時にどんな状態になっているのかなんて想像もできなかったが、なんとか両足で立ってソロソロと歩くこともできる

七月三十一日。天気もよく、嬉しい、幸せな日。

未来 Ⅰ 事故

未来 Ⅰ 事故

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-11-24

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 知らない世界
  2. ICU
  3. メンバー
  4. 不思議な時間
  5. 興味
  6. 特別
  7. ファミリー
  8. 病院暮らし
  9. 少しずつ
  10. 日々
  11. 退院検討
  12. 最後