謎の電話

祖父のために執筆した作品のうちの一つです。

謎の電話

 電話が鳴った。私はゆっくりとした動作で受話器を取る。本当は出たくないのだが、そうすれば私の身に何が起こるか分からない。
「大桐啓介。四十八歳、男性。血液型はО型、誕生日は八月十七日……」
 ある特定の人物の個人情報が述べられていく。忘れずにメモを取っておく。その先は住所、家族関係や職業、果ては異性遍歴までもが伝えられる。とにかく、対象の情報はあるだけ教えてくれるのだ。
 声の主はしばらく続けた後、語り終えた直後に電話を切った。こちらからの返答なぞ求めていないのだ。
 メモの内容をしっかり頭に記憶した後、それをそばのライターで燃やしてしまう。かけてあるコートを着込んで、幾らかの準備をして、そのまま出かける。
 私は彼を殺さなければならないのだ。

 彼は向こうの路地からやってきた。これも電話からの情報だ。いつ、対象が殺しやすい状況になるか、そして何が最も適した殺し方かまでも教えてくれる。正直な話、私はこの情報しか必要としていなかった。数分前から私はこの道に潜んでいた。人通りが少ない上に薄暗く、いかにもと言える場所だ。声の主は、私が困ることにならないための配慮までしてくれているのだ。そんなことをしてくれるくらいなら、私にこんなことをさせないでくれというのが本音だが。
 彼が目の前を通り過ぎるのを確認して、私はあとをつけ始めた。何度も繰り返してきたせいか、今では足音や気配まで消せるようになってしまった。それでも、やはり行動に移すときは気が引ける。しかし、やらなければ、私の方こそ……。そう考え始めると、いつか機を逸してしまうことも私は知っていた。すぐに頭からその考えを払って、意を決する。彼の背後まで近づき、隠し持っていたナイフで彼の急所を突き刺す。念のため、もう一突き。
 首を押さえつける。死ぬまでに叫ばれたら厄介だから、と言い訳はしているものの、本当は彼に私の顔を見られたくないだけだ。自分が死に至らしめた人間の、自分に対する怨念に染まった顔など、誰が見ようとするだろうか。しばらく続けると、彼はピクリとも動かなくなった。脈も計ってみるが、結果は変わらなかった。
 それを確認し終えた後すぐに、私はここまで来るのに用意していた車の中に乗り込む。彼の返り血の付いたコートを脱いで隠し、同じだが新品のコートを羽織る。電話のおかげで目撃者がいない状況になっているのは分かっているのだが、未だに見られているのではないか、という恐怖は拭えない。すぐに車を発進させる。帰ったら、この車の変装を行わなければならない。理由は同じだ。
 私は、こんな毎日を送っていた。

 初めはただのいたずら電話だと割り切っていた。その割には詳細な情報だといぶかしんだが、手が込んでいるだけだと気に留めなかった。
 だが電話は一度だけでなく、毎日続いたのだ。声の主も全く同じ人物だった。そのうちに私も興味が湧いてきて、一度だけならいたずらにのってやるのも悪くないと考えるようになってしまった。
 その最初の目標は、ある若い女性だった。電話によると、ただ彼女を後ろから突き飛ばすだけで済むらしかった。ここで既に罠をかけられていたのだ。変に道具を使わずに、手軽に行動できた点がいたずら心に拍車をかけた。
 実際に私が彼女を突き飛ばすと、天から植木鉢が落ちてきた。本当だったらそれは彼女の目の前に落ちるはずだった。突き飛ばした私自身、一瞬何が起きたのかわからなかった。何かの舞台でも見ているかのようだった。全てを理解した瞬間、私はその場から必死で逃げた。周りには誰もいなかった。

 その次からは電話に出なかった。毎日決められた時間に電話が一度だけかかるが、数日にわたって出なかった。
 ある日、電話が中々鳴り止まないことがあった。それまでは五回しか鳴らさなかったのにだ。私も最初は怯えながら早く止んでくれと願い続けていたが、精神的に追い詰められたせいか、開き直ってほとんどやけくそに受話器を取った。そしてありったけの罵詈雑言をぶちかましてやろうと思ったのだが、
「お前がやらなければ他の奴に頼むだけだ」
 と耳元で囁かれて、私はつい呆気にとられてしまった。正気に戻ったときには電話は既に切れていた。

 それから私は苦悩した。私が誰かを殺さなくてもよくなる、というのは非常にありがたいのだが、代わりに、この役割が誰か別の人間に移ってしまうのだ。私はこの死神という貧乏くじを誰かに渡すのが耐えられない、という偽善を言いたいわけではない。誰か別の人間がこの仕事を請け負えば、いつかは自分が標的にされてもおかしくは無いのではないか、という疑念にとらわれたのだ。確かにこんな仕事はしたくはないが、実際にこのような手法で殺人が行われていることを知ってしまって、それでいて普段どおりの生活を送ることなど出来るだろうか。いつ襲われるかも分からないし、その上警察に通報することすらも出来ない状況に仕上げられているのだ。誰かに助けも求められず、まるで事故にあったかのように殺されてしまうのだ。仕事を放棄してしまえば、そのことに対する恐怖に耐えながら生きていかなければならない。
 それならば、捕食者として生き続ける方が、よっぽど安全なのではないか、という結論に至った。
 それに、未だに正体のつかめないこの電話の主についての、唯一の情報源が断たれては困る。本当は相手のことなど探して見せようとも思っていないが、つまりは言い訳が欲しかっただけなのである。

 この電話についての他の特徴だが、一人を殺すとしばらくの間開放される。どれくらいの期間かは分からない。長かったり短かったりと様々なのだ。不規則なパターンのため、予測も出来ない。所謂休日にあたるわけだが、少しも休めないのは皮肉なことだ。
 ある日、私がまた殺人を終えたときのことだった。ふと、今更ながらある考えが頭をよぎったのだ。
 何故、電話の主は、このような殺人を、私なんかに委託するのだろうか。
 その瞬間、背後に物凄い殺気を覚え、私はすぐさま飛び出した。振り返ると、男が手ごろそうな石をもう一度私に向けて振りかぶっているのが見えた。
 幸運にも、私の今日の獲物はナイフだった。全てが終わった後、私は普段よりも車を飛ばして我が家へと急いだ。家に着くなり、私は自分の部屋へと転がり込んだ。恐ろしいことに、その直後に電話が鳴った。その勢いのまま出る。
「よくやった。これで負けたかと思っていた」
 とだけ言い残すと、ぷつりと電話は切れた。負け。負けとはどういうことだろうか。
 それから私は考えてみた。もしかして、今まで私が殺してきた人々は、皆、私のような人物だったのではないのだろうか。誰かからいきなり電話がかかってきて、そいつの言う人間を殺す毎日。
 では、その電話の主が指定した標的が、別の私のような、この殺人ゲームに関わる人物だったら。早い話が、「私達」は、ただ単に、殺し合いをさせられていただけなのではないか。無関係な人間などではなく。
 私達は、ただの駒なのだ。全てが、電話の主の優秀さで決まる。何が捕食者だ。いや確かに一面ではそうだが、別の一面では私も被捕食者だ。
 納得したくはないが、何故あのとき、私は殺されそうになったのか、そして電話の主が負けだなどと言っていたのか。この仮定のもとだと、結構つじつまが合っているのだ。
 頭の良い連中の手足となって、都合が悪くなれば消される。何か良い例えがありそうなのだが、焦っている頭では、中々見つからない。
 そうこうしているうちに電話が鳴った。

謎の電話

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謎の電話

電話が鳴る。それを受け取ると、私は人を殺さなければならない―――。主人公のちょっとした好奇心から始まった、悲しい毎日。

  • 小説
  • 掌編
  • サスペンス
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-11-23

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