祖父のために執筆した作品のうちの一つです。

「これがその商品なのか」
 ケイ氏はあっけにとられた。彼の目の前にあるその「商品」は、想像していたよりもずっと小さく、まるでオルゴールの小箱のようだったからだ。先ほど聞いた機能のことを考えれば、ただのおもちゃにも見えた。
「はい、こちらが件の通信機になっております」
 そうセールスマンは答えた。ただケイ氏は念を押されても、なかなか納得できなかった。
「それで、値段は、本当に先ほどの金額でいいんだね」
 狐につままれた気持ちから脱け出せなかったものの、ケイ氏は商談を進めることにした。いかんせん、その金額というのも、ちょっといい洋服を買えるかどうかと言えるものだったからだ。もしもこれが偽物で、損をしてしまったといっても、ケイ氏にとっては痛手でもなんでもない。
 セールスマンは満足そうにうなずいた。これにて商談は成立し、ケイ氏はその商品を手に入れたのであった。

 ケイ氏はそれを持ち帰ると、早速説明された通りの準備を行った。それも「魂」の一部を箱に閉じ込める儀式であった。
 なぜこんな物騒な儀式をしなければならないかというと、理由がある。まずこの商品は、いわゆる通信機の一種なのだ。これを用いることで、いつでもどこでも、好きな相手と通信を行うことが可能なのである。その通信の仕方も独特で、この箱に手を触れて、相手のことを念ずるだけで、通信ができる。通信を行うと、相手と精神的に会話を行える。そのために魂の一部が必要になるのであるらしい。原理だけを聞くとあまりにも怪しいと言わざるを得ないが、ケイ氏は先ほどのセールスマンの不思議な魅力のせいで、どうしても嘘っぱちであると思えなかったのだった。
 儀式を終えると、ケイ氏は恐る恐る箱に触れてみた。思い浮かべたのは自身の妻で、現在は我が家にいるはずだった。そしてケイ氏は現在出張先のホテルにいた。当然だがインチキな代物なら通信などできるはずがない。暫くすると、閉じた目に妻の顔が浮かび上がってきた。
「あら、あなた?変ね、これは夢なのかしら」
 突拍子もない事態にも関わらず、ケイ氏の妻は割と驚かずに対応してくれた。ケイ氏は通信機のこと、それを手に入れたいきさつなどを説明した。妻は最初こそ納得しなかったが、現に自身の夫だと確信できる人物が、よくわからないけども確かに会話できている。ケイ氏もそうだったが、無理にでも納得するしかなかった。
「なんてすごい機械なの。それがあれば、相手が寝てるときでも話ができるのね」
「そうなんだよ。しかも、魂を使うからなのか、盗聴されたりすることも絶対にない。こりゃあ世紀の大発明になるぞ」
 二人はこの装置のすごさを改めて実感していた。ただ、まだよくわからないことがあった。それは原理についてではなく、なぜこれを自分が手に入れられたのか、ということである。
「この通信機は確かにすごいが、もっと別に使うべき人がいると思うんだ。たとえば、スパイ活動をしている人とか。彼らの方が大事な情報を扱っているものだろう」
「確かにそうね。でも、あなたも世界中飛び回って、いろいろな場所で会議をしては連絡を取り合っているでしょう。あなたも持っていて得のない人だとは言えないんじゃないの」
「それもそうなんだが……」
 その疑問についてケイ氏は妻と話し合ってみたものの、結局こちらも納得のいく答えは得られなかった。そのうち妻と世間話をするようになり、落ち着いたところで通信を切った。
 だが、通信を終えてからも、ケイ氏はまだそのことを考えていた。……どうして、自分がこんなものを手に入れられたのだろうか。あのセールスマンと会ったのは、このホテルのバーだった。だとすると、このホテルとつながりのある企業が、卸しているのだろうか。値段からして、金もうけが目的とは考えられない。それでも、自分が勤めている企業はこのホテルと深い関係にあるというのは聞いたことがない。ということは、ライバル会社が自分の持っている情報を手に入れるために、こんな怪しい装置を売りつけたのだろうか。これのせいで、自分の思考はあのセールスマンに筒抜けになってしまっているのかもしれない。……
 ケイ氏は様々なことに思いをはせたが、どうしても、ケイ氏はこんな魂を使う装置なんてものが開発できるとは思えなかった。けれども、ケイ氏が先ほど話した妻は確かに妻本人だといえる確信を得ていた。あとで国際電話をして、裏もとったのだ。この装置はおそらく本物であるが、こんな超常的なものを生み出した割には、先ほど考えた理由は人間的過ぎるというべきなのかはわからないが、理屈に合わなかった。もしやこれは神のあたえし神器なのではないかとも考えた。だが死者にはもう魂がないためか、交信することはかなわなかった。神器というにはまた半端な能力なのであった。
 ケイ氏はそれからその箱について夢想する日々が続いた。
 しかしあくる日。仕事上で急な変更があり、取引先に連絡しようとした矢先のことである。その取引先の人物が、どうやら飲酒運転が原因で事故を起こし、病院に搬送されてしまったのだ。それだけなら自業自得で済んだのだが、そうはいかなかった。この担当者とは何度も会って、様々なやり取りを行ったのだが、酒について以外はかなり几帳面な人物であるらしかった。会議の際にたびたび使った資料や、重要な書類を金庫にしまっておいたらしいのだ。そこで肝心なのが、暗証番号である。彼は当然その番号を誰にも教えておらず、どこにもメモしていないというのだ。隠された数字は彼の頭の中にある。そんな彼が、その事故で意識不明になってしまったというのだ。このままでは金庫を使えないため、これまで進んでいた話が振り出しに戻ってしまう。そうなれば我々の仕事に支障が出てしまうことになる。当然他にも契約している会社はいくらでもあり、この件で理由はどうあろうと信用を失ってしまえば、わが社は立ち行かなくなってしまうのだ。ケイ氏は悩んだ。何とかして、番号を聞き出さなければ……。
 そこであの通信機のことを思い出した。あれさえ使えば、うまくいくのではないか。意識は落ちてしまっているが、魂となれば話は別だ。早速ケイ氏は準備に取り掛かった。しかし、呼び出しても出てくるのは妻のみ。正しい手順を何度繰り返しても、結果は変わらなかった。うまくいきそうな妙案が失敗しそうになったとき、とてもがっかりしてしまうものだ。ケイ氏は焦ったが、ここでまたしてもあることを思い出した。儀式である。もう一度、ケイ氏は自分の魂の一部を箱に閉じ込める儀式を行った。すると、意識不明の彼と話ができるようになったではないか。うまく番号を聞き出して、どこで知ったかはごまかしつつ、会社の上司に伝えた。それのおかげで何とか持ち直し、会社がつぶれてしまう危機は乗り切ったのだった。
 ケイ氏は社内でちょっとしたヒーローのような扱いを受けるまでになった。取引先の人物も快復したようで、ケイ氏と通信したことは夢だと信じてくれている。箱の存在は未だに明るみに出ていない。
 しかしケイ氏は今回の件で一抹の不安を抱えた。それは魂の一部が一つにつき一人の人物としか繋げられないということだった。ケイ氏は魂の一部、といってもそれがどれだけの割合を占めているのかは知らない。現時点で二つの魂の一部を使って、二人の人物とそれらをつないでいる。あとどれだけ魂を使える余地が残っているのか、そして魂をすべて使ってしまった後は何が起こるのか、すこしも分からないままである。あれから度々あのホテルのバーへ向かったが、あのセールスマンとは二度と会えなかった。もしかして彼は死神で、便利の良さにうつつを抜かして、魂全部を箱の中に閉じ込めてしまった後で、それを美味しくいただいてしまう魂胆なのだろうか。そう考えると一応のつじつまは合う上に、魂を使うなんておどろおどろしい仕組みになっている理由も納得できる。
 たびたびそんな不安に襲われたケイ氏であったが、社会はそんな彼のことを気遣うこともなく、面倒な機会に次々と遭わせていくのだった。そしてその都度、ケイ氏はやむを得ず、箱に頼ることになった。

 もうあれからどれだけの時が経っただろうか。ケイ氏は箱に頼る日々を何度も続けてきた。彼の魂はどれだけ残っているかはわからない。そして今回も、彼は箱に頼らざるを得ない機会に見舞われていた。いつものごとく、不安に襲われながら儀式を行う。
 すると何やら箱から金具のはずれる音が聞こえた。実はこの箱、箱といいつつ絶対に開けることができなかったのだ。ケイ氏は箱を見つめてしばらく呆けたが、そのうち何かに導かれたように箱を手に取り、蓋を開けた。箱はいとも簡単に開いた。
 中には紙切れが一枚だけ入っていた。それには「もう余裕がありません」と書かれていた。結局、それから何度試しても、儀式はうまくいかなかった。
 それがきっかけなのだろうか、私の普段の振る舞いが少しおかしくなっていたことに気づき始めた。
 いつの日か私は使わないのに化粧品を買ったり、好きでもないのに酒を求めたり、興味もないのにギャンブルをしたり、やりたくないのに運動をしたり、かつての私がやらなかったことをやり始めているのだ。
 そこで閃いた。なんてことはない。私の魂の一部と、行先の人物の魂の一部をつなげていたのではない。それらを交換しているだけのことなのだ。そのため、私の魂は一部が他人のものとなり、私が必要のないものを買ってしまったりやってしまったりするわけなのだった。妻なら化粧品も買うだろうし件の取引先の人物も酒が必要だ。そして私のもともとの魂は、全てを別の人物の魂と交換したということなのだ。もう余裕がありません、道理でこれ以上他人との儀式が行えないはずである。
 しかしそこで気づいた。今の私の魂は、全てが別の人物に入れ替わっているはずなのである。では、今の私は一体何なのか?

よろしければ、twitterの方で感想をお願いします。ダイレクトメール、リプライどちらでも構いません。「何々を読んだ」、という一文を入れてくださりますと助かります。

以下の文章は、以前ツイッターで当作品の感想を頂いた際に、いい機会というのもあって、自身がどういう風に作品を制作しているかの姿勢を述べたものです。

 箱のアイディアは2013年9月に生み出されたもので、完成まで1年以上かかってしまったことになる。完成したのが2014年11月。個人的には元からアイディアが生き生きしていたので、面白くなってくれるだろうという期待があった。私は外山滋比古先生の思考の整理学(ちくま文庫)にならって、アイディアをメモに取ったらしばらくの間忘れることを信条にしていた。作品の方にもその信条を徹底させていて、書いては忘れた後に書き足すという作業を何度も繰り返した。結果、うまくいったと思う。見直すたびにアイディアに力があることが感じ取られた。終盤に差し掛かるころにはオチも用意できるようになった。以下がそのアイディアのメモである。「ケイ氏が死ぬことで切り取った魂が残る。残った魂はつながっている人物に取り付く」。だが実際は完成直前になって、現作品のオチにつながるアイディアが生まれた。そちらの方が個人的に不思議そうなオチにできると思えたため、そちらを採用した。ただ、仕上げには時間をかけることができなかったため、最後は駆け足になってしまった。
 実は落ち直前の部分まではすらすらと書き進めることができた。なぜなら元からアイディアに力があり、流れに乗るままに書いていったからだ。しかし大体の作品において、オチはまた別のアイディアが必要になる。一年も期間が空いたのはそのせいだと言っていい。つい最近完成させなければならない状況になったため、自身を追い込んだことが効いたか、先ほどのアイディアが出てきてくれた。起承転結の起承、転結はそれぞれ別のアイディアが一つずつ必要なのだ。
 このように、まず話の雰囲気や、面白味を含んだ核となるアイディアが生まれ、それをある程度期間を置いた後形にする。そしてその後、大抵オチに苦しむことになるので、またアイディアが生まれるまでしばらく寝かせる。こういった感じで毎回短編・掌編小説を書いている。このスタイルが確立したのは大学に入ってからである。高校のころはまだアイディアを寝かせることなんて知らなかったし、オチでつまづくとしばらくパソコンの前で苦しみ、結局無理やりひり出したもので終わりにさせてしまったものが多かった。当時の作品たちにはかわいそうなことをしたと思っている。
 箱についての感想を書いてくださった人がいたので、箱執筆における背景、加えてそれに関連する話を書いた。

ある出張で利用したホテルのバー。そこで謎のセールスマンが謎の箱を売りつけてくる。『魂を込めないとこの箱は動かない』そう告げられた主人公は、少しずつこの箱の力にのめりこんでゆく……。いつものショートショートです。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-11-23

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted