ウサギ、月に行く。

あそこが俺のルーツだ


俺の名前はレニー。ウサギだ。
俺の飼い主でもあるミチコさんが名付け親だ。レニーという名前の由来はミチコさんが崇拝する「レニー・クラヴィッツ」にあやかったものらしいが俺にはよくわからない。
ミチコさんは二十六歳。独身で一人暮らし。毎日、決まった時間に「会社」に出掛け、決まった時間に帰ってくる。
時々、マコトという男がやってきて一緒にゴハンを食べて、一緒に寝ている。
そしてマコトよりも時々、ミチコさんは親と俺にはわからない言葉を使って電話で話す。
「方言」という言葉らしい。
ミチコさんは北国の出身だ。ミチコさんいわく、人よりもウシの方が多い年寄りばかりの退屈なところらしい。
「その内、雪の重みで村が沈んじゃうわね、きっと」とニヒルに言っていた。
そこに嫌気が差したミチコさんは単身故郷を飛び出し、俺と暮らしている。
嫌気が差したはずなのに、結構嬉しそうに、そしてマコトとは違う雰囲気で話すミチコさんを、俺は不思議な気持ちで眺める。
「じゃあレニー、行ってくるわね」
弾んだ声のミチコさんはおめかしをして出掛けて行った。今日は「会社」に行かない日だ。マコトのところだな、と俺は思った。
おめかしをしたミチコさんが出掛けると、大抵マコトと帰ってくる。そして次の日の朝、ミチコさんがマコトを送り出す。
いつものパターンだ。
ところがその日は様子が違った。ミチコさんは一人で帰ってきた。
「ただいま、レニー」
一夜で萎れた花のように乾いたミチコさんは肩を落として俺に帰宅を告げた。
なるほど。
俺は察したが一応ミチコさんにどうしたのか訊ねた。
「ねえ、レニー。私って田舎くさい?」
ミチコさんは俺を膝に抱いて逆に訊いてきた。
そんな事はない、ミチコさんはいい匂いだ。
俺は心からそう言った。
ミチコさんはちょっと困った感じで
「そうじゃなくて。私、田舎者に見える?」
と改めて俺に訊いた。
田舎の出なのだから仕方がないではないか。
俺は思ったが素朴な感じで俺は好きだ、と言うにとどめた。
「それってやっぱり田舎者って事じゃん」
ミチコさんは少し寂しげに笑って俺を撫でた。
やっぱり。俺は確信した。
マコトと「終わった」のだ。
ミチコさんは優しくて甲斐甲斐しくておまけに色白の美人だ。ペットの贔屓目抜きにしてそう思う。実際、ミチコさんはモテる。
だがどうも長続きしない。
前の「マコト」は俺の事をよく可愛がった。そいつがいつかこんな事を俺に言っていた。
「ミチコちゃんってキレイだし、つくしてくれるんだけど、それがちょっと重たい感じなんだよなぁ」と。
たぶん、と俺は思う。
ミチコさんが雪で沈んでいく退屈な故郷に嫌気が差したように、マコトもミチコさんの重さに嫌気が差し、去って行くに違いない。
「男って勝手よね」ミチコさんは俺に、というより自分に向かって言った。
だけどミチコさんはモテるから、しばらくすれば別の「マコト」と仲良くなる事を知っている俺は、まあ、そうだよね、といつものように曖昧に相槌を打ってミチコさんの膝の上で丸くなる。

「わあ。見て、レニー。凄く綺麗な満月」
少々長いお風呂からあがったミチコさんはビールを飲みながらベランダから夜空を見上げて感動の声をあげた。
どれどれ。
ほう。これは見事な満月だ。美しい。
「今夜は中秋の名月だからね」
ミチコさんは満月を見つめながら言った。
何の意味かはわからないが月が綺麗な日、という事らしい。
「レニー、お月様にはね、キミと同じウサギがお餅をついているのよ」
白い肌を少し赤らめたミチコさんは俺にイタズラっぽい笑顔で言った。
何と。
俺は耳を疑った。あの美しいところに俺と同じウサギがいるのか。
ひょっとすると俺はあそこから来たのか?
俺はミチコさんに訊ねた。
「フフ。そうかもね」ミチコさんはさもおかしい風に言った。
それではそこが俺の故郷では?
興味がわいた俺はミチコさんに行ってみたいとお願いした。
「月に?遠いわよ」
どのくらい?俺は訊ねた。
「んーと、確か地球から三十八万kmだったかしら」
何だ、それは。よくわからん。
「地球一周がだいたい四万kmだからその約9倍よ」
ますますわからん。
「この間、レニーと新幹線乗ったじゃない?」
乗った。
「新幹線だとだいたい三ヶ月くらいかかるんじゃないかしら」
三ヶ月。と言うと?
「うん。冬眠したクマが目覚めているわね」
何と。そんなに?
「そうよ。お月様は凄く遠いところにあるの。それに空気がないから息ができないの」
何?じゃあ彼等はどうやって餅をついているのだ。
「そりゃあ杵と臼を使っているんじゃない?」
そうじゃなくて。
「フフ。不思議よね」
ミチコさん、そんなに遠いところから俺はどうやってきたのだ?全然覚えてないぞ。
「どうやって?う~ん。そう言えばかぐや姫はどうやってきたんだっけ?」
かぐや姫?
「お月様から来たお姫様よ。竹から産まれたの」
竹から人が?何だそれは。
「エキセントリックよね」
じゃあ月にはウサギだけじゃなくて人もいるのか。
「まあ、お餅をつくくらいだからいるかもね」
なあ、ミチコさん。月は一体どうなっているんだ?
「あ~。ゴメン、レニー。私眠くなってきちゃった。続きは明日ね」
大あくびとともにそう言ったミチコさんはそそくさとベットに潜り込んで電気を消してしまった。
ミチコさん、ハミガキしてないよ。
夢の中に入ってしまったミチコさんに俺の声は届かない。
やれやれだ。俺は苦笑した。
この分だとマコトの事はすぐ吹っ切れそうだ。
そんな俺達を月も笑っている気がした。

時計の規則正しい針の音。ミチコさんの静かな寝息。カーテンからこぼれる月明かりが部屋を照らす。部屋は安穏とした空気に包まれている。
だが俺は眠れずにいた。
気になって仕方がないのだ。月が。
いや、そこにいるウサギが、だ。
俺の小さな頭はその事でいっぱいだ。ミチコさんが買ってくれた俺のお気に入りのおもちゃをかじっていてもそれを頭から消し去る事はできなかった。
俺は寝るのを諦めてカーテンの隙間からじっと月を見上げた。月は幻想的で怪し気な光を放っている。
俺は思った。
月に行ってみたいと。
俺は強く思った。強く。
その時。
急に空が明るくなった。俺は朝になったと思ったくらいだ。
だがそれは勘違いだとすぐにわかった。
太陽が昇って明るくなったのではなく、何かが降りてきて明るくなったからだ。
俺はその「何か」が何であるか知っていた。
UFOだ。
ほとんどの人間がイメージするUFOの形、そのまんまのUFOが俺の目の前に浮かんでいた。
俺は驚いた。自然と耳がピンと立つ。
以前、ミチコさんが何かの拍子にUFOの絵を描いた事があった。たぶん俺が訊いたんだろう。それでミチコさんが「まあだいたいこんな感じよ」と言った具合に軽い気持ちで描いたのだ。
まさにそのまんまのものが目の前にあった。
描いたミチコさんが凄いのか、作ったこいつらが凄いのか、よくわからない。
UFOは空中でピタリと止まった。闇夜の向こうに操る黒子がいるみたいにピタリと。
するとカーテンがするすると開き、窓が音もなく開いた。
そしてUFOから何かが出てきた。
「やあ、ウサギ君」
クラゲとタコを足して二で割ったヤツが俺に話しかけてきた。
これもミチコさんが「これが宇宙人よ」と言って描いたイラストにそっくりだ。
ひょっとしてミチコさんは宇宙人ではないか。そう思うと俺は可笑しくなってきた。
「ぼく達はこれから月に行くんだけど、よかったら乗せて行こうか?」
唐突な誘いに俺は戸惑った。
「何で俺を?」俺は警戒心あらわに宇宙人に訊ねた。
「いや、何。近くを通りかかったら君の声が聞こえてきたんだ。月に行きたいって言うね。まあついでだし、君がそんなに行きたいんだったら乗せてってもいいかなって」
宇宙人は近くの駅まで乗せて行くかのような軽い口調で言った。
「でも凄く遠いんだろ?三ヶ月じゃないか」
すると宇宙人は脳天気に
「そんなにかかんないよ。これならあっという間に着いちゃうよ」
宇宙人は数十本ある、手なのか足なのか、とにかくその内の一本でUFOを指した。
「本当か?」
「うん。本当」宇宙人は即答した。
どうしようか。俺は少し迷った。すぐに着くかもしれないが、凄く遠いのは確かなのだ。ミチコさんがそう言っていた。間違いない。
ミチコさんは「あまり遠くに行っちゃダメよ」が口ぐせだ。月は当然その範囲内だ。
「じゃあ頼もうかな」
「そうこなくっちゃ」
ところが俺は了承していた。
月への知的好奇心は強くなる一方だ。そんな手軽に行けるものなら行ってみたい。すぐに着くならすぐに帰れるって事だ。これはチャンスだ。こう言うの、何て言ったっけ?
「渡りに舟?」宇宙人が答えた。
「それだ」俺はぴょんとはねた。
「それじゃ行こうか」
宇宙人がそう言うと俺の体はふわりと浮き、UFOに吸い込まれていった。

「着いたよ」
「何?もう?」
俺は心底驚いた。UFOが動いているというか感覚すらなかったのだ。
「言ったでしょ。あっという間だって。降りる?」
「もちろんだ」俺はシッポを小刻みに振って答えた。
「じゃあこれ」と言って宇宙人は透明の鉢を俺に差し出した。
「何だ?これは。金魚鉢ではないか」
「違うよ。これは生命維持装置。頭に被って。そうすれば息ができるから」
ああ、そうか。そう言えばミチコさんが空気がないって言ってたな。
「そうなんだ。ついでに言うと気温はマイナス百度くらいだよ」
「マイナス百度?」
「えっと、氷の百倍冷たいって感じ」
「何?めちゃくちゃ寒いではないか」
「うん。でもそれを被っていれば大丈夫だから」
「頭だけ被ってどうやって寒さを凌ぐんだ」
「いいからいいから。とにかくそういう風にできてるの」
宇宙人は手をウニウニ動かして言った。
「みんなこれを被っているのか?」
「ううん。ぼく達は平気」
「じゃなくて他のウサギだよ」
「他のウサギ?」
宇宙人のウニウニが速くなる。
「まあいいや。百聞は一見にしかずって言うじゃない?とにかく降りてみようよ」
ほれっと宇宙人は俺に金魚鉢を被せて一緒にUFOからスルリと出た。

俺は月にふわりと降り立った。
ずいぶん体が軽いと思った。
「驚いた?」宇宙人が隣で言った。
「ああ、驚いたよ」俺は言葉を失った。
この景色に。
岩と砂で覆われた灰色で無機質な世界。無音が俺の長い耳に刺さる。
「ここが月?」俺は落胆を隠さず言った。
きっとこの気持ちは、以前ミチコさんから聞いた、ブラジルに移民した人達と同じに違いない。体は軽いのに、俺は思い描いた景色との落差で体が沈んでいきそうだった。
「他のウサギはどこにいるんだ?」
「ここいるウサギは君だけさ」宇宙人はウニウニを活発化させて言った。
「ウサギが餅をついているんだろ?それにかぐや姫だっているはずだ」
俺は宇宙人に詰め寄った。
「いないって。ここにいるのはぼく達だけ。見たらだいたいわかるでしょ?」
それもそうか。俺はガックリきた。俺は何しにこんなところに来たのか。
「なあんだ。君、ウサギがいると思っていたの?それ、人間の空想だよ。自分の仲間がいると思ってここに来たかったんだね」
「そうだ。てっきり俺はここが自分の故郷だと思ったんだ」耳が力をなくしてお辞儀のようになる。
「そうだよね。君、ペットだから他のウサギに会いたくなったんだね。さみしいもんね。でも大丈夫。ぼくんちすぐそこなんだ。みんないるから一緒に行こうよ。きっと気にいるはずさ」
「みんな?」俺は前歯を見せて露骨にイヤな気持ちを表現してみせた。
このウニウニのタコクラゲが大勢いるところに行っても楽しめるとはとても思えない俺はその誘いを断り、逆にうちに帰してくれるようお願いした。ここは一度来ればもうたくさんだ。
ところが宇宙人は「それはムリ」とにべなく断ってきた。
何故と訊けば「だって疲れちゃったし」というメロウな答えが返ってきた。実際俺は脱力した。
それにさ、と宇宙人は続けて
「今君が帰っても居場所がないと思うよ?だって君の飼い主さんはもうおばあちゃんになっていてきっと住むところも引っ越しているはずだから」と、訳のわからない事を言った。
「はあ?何を言っているんだ。ミチコさんがおばあちゃんになるほど時間は経っていないぞ。月にはすぐに着いたじゃないか」俺は反論した。
「そう。地球から月まで短時間で着いたって事はその移動速度がめちゃくちゃ速かったって事なの。自慢じゃないけど光よりも速いんだから。光よりも速く動くと君の時間はゆっくりになるの。だから君の一秒は飼い主さんの一時間になっちゃうんだ」
「何の事かさっぱりわからんぞ。ウサギにもわかるように説明しろ」
俺は宇宙人に迫った。
「弱ったな。だってそういう風にできてるんだし」宇宙人はウニウニを加速させた。どうやら困っているようだ。
「そうだ。キミ、浦島太郎のお話知ってる?」
「知ってる。ミチコさんから聞いた事がある。確か城で乱痴気騒ぎをした若い男がうちに帰るとじいさんになったって言う話しだろ?」
「微妙に違うけど。でもまあそういう事だよ。君は今、逆パターンの浦島太郎になったんだよ」
「月にいるのに?かぐや姫ではないのか?」
「うん。月にいるけど、浦島太郎なの。それに君、オスでしょ?」
「ああ、もう訳がわからん」
俺は後ろ足で立ち上がり、前足を真っ暗な天にかざしてプラトーンさながらのポーズをした。
「とにかく帰せったら帰せ。ミチコさんがおばあちゃんになったってミチコさんはミチコさんだ。早く俺をミチコさんのところに連れて行け」
俺は真ん丸のシッポを逆立てて怒鳴った。
「そ、そんな事言ったって。ぼく疲れてるし。少し休んでからでもいいでしょ?ぼくんちで。ね?」
まるで下手な女の口説き文句だ。バカにしやがって。
「うるさい。つべこべ言うな。帰さないとこうだぞ」
と言うが早いか俺は後ろ足で地面を蹴り、宇宙人に体当たりをした。
ウサギの見た目は可愛らしいが実は凶暴なのだ。
「ウゲッ」
まともに俺の体当たりを受けた宇宙人はカエルみたいな呻き声を上げて吹っ飛んでいった。
「なんだよ。そんなに力いれてないのに」
俺はぴょんぴょんと跳ねて宇宙人を追いかけた。
「ウゲッ」
今度は俺がカエルになった。
見ると宇宙人の手足が全部取れていて胴体はアメーバみたいになって地面に広がっていた。
「お、おい。大丈夫か?」
俺は焦った。こいつがいないとうちに帰れない。
「う、うん、大丈夫」
ほっ。よかった。だが甘い顔は禁物だ。
「おい。さっさと俺を帰せ。じゃないともっとヒドイ目に合わせるぞ」俺はすごんだ。
「わ、わかったよ」
アメーバになった宇宙人はネロリと浮き上った。
「小さくて可愛くて美味しそうだから連れて来たのに。こんな凶暴なら連れて来なきゃよかった」
「何?美味しそう?じゃあお前、俺を食べるつもりで連れて来やがったのかこの野郎」
「うわわわわ。もうそんなつもりないよ。帰すから暴力はやめて」
宇宙人は広がったり縮んだりして懇願した。
「ふん。始めからそう言えばいいんだよ。じゃあ行こうぜ」
俺は意気揚々だ。
「ちぇっ。まったく骨折り損だよなァ」
「骨がないくせに」
「まあそうだね」
するとUFOが音もなく近づいてきた。
「じゃあ乗って」
俺達は来た時と同様にスルリと乗りこんだ。
俺が金魚鉢を取ると「はい、これ」と宇宙人が錠剤を渡してきた。
「なんだこれ?」
「忘れ薬。飲めばぼくと会った事を全部忘れちゃうから」
「本当か?睡眠薬だろ、実は」
俺はジロリと睨んだ。
「違うって。信じてよ。だってルールなんだもん」
「ルール?」
「そう、ルール。ぼく達が自由に地球を探索できる条件。地球に戻す生物がもしいたらこれを飲ませてぼく達を忘れさせなくちゃならないの」
「誰が決めたんだよ」
「人間のえらい人。ぼく達がいる事がバレると色々面倒なんだって。変だよね?ぼく達色々教えてあげているのに」
「ふーん」俺には縁のない話しだ。
「ところでさっき『もし』って言っただろ?戻ってきたヤツっているのか?」
「この薬飲ませるの、君が初めて。捨てないでよかったよ」
「帰ったらミチコさんを探さないと」
俺は決意新たに言った。
「あ、大丈夫。時間、戻しておくから」
「お前な、時計じゃないんだぞ」
「大丈夫だって」
「じゃあミチコさんはおばあちゃんじゃないのか?」
「うん。ぼく達が月に向かった時間にしてあげる」
「最初から言えよ、それを」
まったく。
こんなひ弱でとぼけた奴らに食われたヤツがいるのか。めでたいヤツがいたもんだな。
俺は薬をごくんと飲んだ。

「わあ。見て、レニー。凄く綺麗な満月」
少々長いお風呂からあがったミチコさんはビールを飲みながらベランダから夜空を見上げて感動の声をあげた。
どれどれ。
ほう。これは見事な満月だ。美しい。
「今夜は中秋の名月だからね」


おわり

ウサギ、月に行く。

読んで下さり、ありがとうございました。
今回は小説っぽく書いてみました。
ぼちぼち作品を仕上げていきます。
また読んで下さいね。

ウサギ、月に行く。

ウサギのレニーはミチコさんと暮らしている。 ある日、ミチコさんの一言でレニーは月に興味を示す。その時、レニーの前に何者かが現れた。 どうなる?

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-11-20

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