1人じゃない<本編>

 短編小説 5作目「1人じゃない」です。
登場人物紹介を先に読んだ上で、お楽しみ下さい。

 春。一学期が始まって、初めての日曜日。
 桜が咲き、何かが始まる予感がする。
 自然と笑みがこぼれる。
 私、朱雀希(のぞみ)。高校2年。自分で言うのもなんだけど、元気が取り柄の女の子。
 今日は親友・湊とショッピングの日。
 湊とは小・中・高ずっと一緒。何でも話せる友達。
 久しぶりのショッピングだから楽しみ。何買おうかな。
 家の廊下を走り、ルンルン気分。
 玄関に座り、お気に入りのミッキーがプリントされたスニーカーを履く。
 両手で紐を蝶々結びにして、準備万端。
 上半身を後方に傾け、リビングに向かって、”いってきます”と叫ぶ。
 姿は見えないけど、”いってらっしゃい”と母親の声が返ってくる。
 ドアノブに手をかけ、開く。
 鍵もかけずに飛び出す。
 後で、母がため息をつきながら、閉めてくれるだろう。
 歩道を早足で歩く。
 待ち合わせ時間には間に合うけど、少しでも早く着きたい。
 コーディネイトに気合を入れたから、湊と早く会いたいな。
 後ろ髪を肩まで垂らし、中心髪をポニーテールにする。前髪は眉毛を隠す長さ。
 五分袖の赤Tシャツに七分袖の白Tシャツを羽織り、腹部で蝶々結びにして、可愛らしさを演出。
 黄フリルのミニスカで春らしく。
 ベージュと白のストライプの靴下。右が膝上、左が太腿ラインの非左右対称(アンシメントリー)。
 黒リボン付きの白レンガ模様バッグを肩にかける。
 バッグの柄はシルバーチェーン。
 太陽光が眩しい青空。晴れてよかった。
 とっと。空を見てたら、危うく赤信号を渡る所だった。
 危ない危ない。
 バッグからケータイを取り出し、時間を確認。
 待ち合わせ5分前。うん。待ち合わせ時間ジャストに到着かな。
 ケータイをバッグにしまうと、ちょうど青信号になる。
 スキップしそうな勢いで、ルンルン気分で渡る。
 キキーッ
 いきなり踏み込んだかのような急ブレーキ。
 右を向いたら、驚いた顔の運転手と目が合う。
 “えっ?”と思った瞬間には車にはねられていた。
 ドン
 放物線を描き、宙を舞う。
 先程とは変わらない青空。お店もいつも通り。違うのは自分だけ。
 浮遊感から急速に落下。
 ドシャ
 道路に仰向けで叩きつけられる。
 頭と背中を強打。
 歩道から大勢の人の叫び声や話し声がする。
 出血多量で背中を中心に血だまりが広がる。どんどん大きくなる。
 意識ははっきりとしている。
 交通事故に遭ったという事実を冷静に受け止める。
 自分の事なのに人事のように感じるから。
 右手を動かそうとすると、ズキッと痛みが走り、動かせない。
 最初に車に接触したせいか。
 足も同様に動かせない。
 頭だけ動かし、下を見ると、車から約10メートル先に自分がいる。
 結構、飛ばされてる。
 頭を元の位置に戻し、上を見ると、血まみれのバックがある。
 はっと気づく。
 湊に、湊に連絡しなきゃ。
 左手を握り締める。動く。左手をバッグの方へ伸ばす。
 目が霞んできてよく見えない。
 あと、あと、もうちょっとで届くのに。
 しかし、左手が力なく落ちる。
 ピーポー ピーポー
 遠くから救急車のサイレンが聞こえる。
 その場で力尽き、意識が途切れる。
 


 ・・・、・・・、・・・み、・・・ぞみ。
 遠くから自分の名前を呼ぶ声がする。
 ・・・ぞみ、のぞみ、のぞみ、のぞみ。
 どんどん近づいてくる。あれ?この声、湊だ。
 開けなきゃ。連絡しなかったから、怒ってるんだ。謝らないと。
 瞼が重い。でも、開けなきゃ。遅くなると変にこじらせちゃう。
 ゆっくりと目を開ける。
 最初に見たのは白い天井。どこ、ここ?
 右に湊と兄、左に母と父がいる。
 湊は泣き笑顔。母は泣いている。兄と父は安堵した表情。
 「希(のぞみ)!」
 やっぱり、湊の声だ。怒ってなくて良かった。でも、何で皆いるのかな。
 「どこ、ここ?」
 「病院だよ」
 兄が私の頭を撫でながら答える。
 近頃は子供扱いされてるみたいで敬遠してたけど、久しぶりだと安心する。
 病院?私、何かケガしたっけ?
 「なんで?」
 皆、複雑な顔で、互いに目配せする。
 ん?何だろう。
 代表して、兄が説明するようだ。
 「あまり思い出したくないだろうけどな。希(のぞみ)、お前は交通事故に会ったんだよ」
 交通事故・・・?
 急に車にはねられた事がフラッシュバック。
 湊との待ち合わせ場所に向かうため、横断歩道を渡っていた時に交通事故に巻き込まれた。
 右手に力を入れて、起き上がろうとしたのだが。
 「イツッ!」
 痛くて無理だった。
 兄が怒った口調で注意する。
 「全治3ヶ月の重傷だぞ。安静にしてなさい」
 「う、うん」
 諭されて起き上がるのを断念。
 ちょうど先生が来て、家族を伴っていた。何の話だろうか。
 湊と二人っきり。
 ショッピングに行けなかった事、謝らないとね。
 「湊、ごめんね。楽しみにしてたショッピング駄目にしちゃって」
 しゅんとして落ち込む。
 「希(のぞみ)のせいじゃないんだから。謝らなくていいよ。ショッピングはいつでも行けるしさ」
 泣くの我慢した笑顔の湊。ここは約束しないとね。
 「すぐ治すから待ってて。今日のやり直ししよう」
 虚をつかれた湊の顔。そんな意外だったかな。
 左手を出して、湊と指切りする。 


                                                                                                                                                                                           
 あれから1ヶ月。絶対安静からは解禁。まだ2ヶ月は入院だけど。
 ずっと横になってるから、色々な所が鈍(なま)ってる。
 早く動きたいんだけどな。すぐ動こうとすると、看護士さんに止められる。
 ふぅ。ため息が出る。
 あの時、自分ではそんなにケガしていないだろうと思ってたんだけど、そうでもなかった。
 兄から聞いた私の容態はひどい。
 車にはねられる時、右腕直撃だったので、右腕複雑骨折。全治1ヶ月。
 有り得ない方向に曲がっていたらしい。私には記憶がないから分からない。
 そんな右腕も現在完治した。
 後頭部強打による脳挫傷。全治2ヶ月。
 未だに頭には包帯が巻かれている。
 両足も道路に叩きつけられたから、両足骨折。全治1ヶ月。
 そろそろ完治するからリハビリしないとな。
 結果、全治3ヶ月の重傷。
 先生は生きている事自体が奇跡と言ったらしい。
 一般的に私の容態だと死ぬ確率が高いそうだ。
 交通事故のその後についても話してくれた。
 青信号で渡っている途中、信号無視した車にはねられたそうだ。
 私が青信号で横断歩道を渡っているのは、間違いない。
 運転手は現行犯逮捕された。
 私をはねたショックで茫然自失だったそうだ。はねられる瞬間に目合ってるしな。
 今、裁判中との事。結果が出たら、兄に聞こう。
 今は昼間。暖かい日差しとそよ風が病室に入り込む。
 お昼食べ終わって何もすることなく、暇。
 ケータイをいじろうにも病院の中では何か気が引ける。
 個室だから、話し相手もいない。
 タイミング良く、見舞い客が訪れる気配もない。
 うーん。閃いた。
 恵姉(めぐねえ)に会いに行こう。あっちは仕事だけど、少しだけ話し相手になってもらおう。
 そう思ったら、善は急げ。
 車椅子を腕の力だけで、近くに引き寄せる。握力上がったと思う。
 180度回転。座る部分を手前にする。
 匍匐前進で、車椅子の所まで行き、滑り台を滑る感じで着地。
 微調整でOK。約30秒。
 最初は一人で出来なくて、誰かの支えが必要だった。
 でも、何度かトライしてたら、コツが掴めてきて、出来るようになった。
 嬉しかった。今ではすんなりと出来る。
 さて、ドアを左で左に引いて開けて、ナースステーションへ出発。
 多分、いるはず。
 恵姉(めぐねえ)は看護士だから。
 名前は三橋(みつはし)恵(めぐみ)。28歳。
 私担当。はきはきとした姉御肌。こんなお姉さん欲しかったなあと思うくらい。
 よしっ!次の角を曲がれば。ナースステーションは目の前だ。
 曲がろうとした瞬間、恵姉(めぐねえ)と誰かが話してる声が聞こえる。
 角で待機。耳をすます。これは断じて盗み聞きではない。
 「希(のぞみ)ちゃん、元気いい子よね」
 知らない看護師さんだ。私の事?
 「本当に。車椅子もすぐマスターしてしまうから、手が掛からない子なのよ」
 恵姉(めぐねえ)が褒めてくれる。”そうでしょ”と胸を張る。誰も見てないけど。
 「でもね、希(のぞみ)ちゃん、もう足が動かないんでしょ」
 えっ?何、それ?
 「そうなのよね。ご家族の方は、希(のぞみ)ちゃんに伝えない方針のようね」
 周りの音が遮断され、暗闇に突き落とされる。
 私の足が動かない・・・。
 骨折治ったら、動くんじゃないの?
 いつのまにか、ベッドにいた。どうやって帰ってきたのか覚えていない。
 何も考えたくない。
 夜は泣いて過ごした。シーツが涙で濡れる。
 翌日、見舞いに来た兄を問い詰める。
 最初ははぐらしてたが、しぶしぶ話してくれた。
 私の容態はもう1つあったのだ。
 背中強打による頚椎損傷で、下半身付随。
 一生立てない。歩く事なんて無理。
 1か月前、先生が家族を呼んだのは、その話をする行為だった。
 話を聞いた後、長らく沈黙したまま。
 兄は私の気持ちを察し、静かに帰る。
 1人で考えた。時間は沢山あるから。

 窓から夕闇が差し込み、病室はオレンジ色に染まる。
 もう夕方なんだなと顔を上げる。
 考えても埒があかない。悩むキャラでもないわ。
 あきらめが悪いのよ。小さい事からコツコツといけば、絶対に治るさ。
 出来ないって事はないんだから。
 1人で意気込み、右手を真っ直ぐ伸ばす。気合入った。
 まず、自分の状態を把握。
 腰から下が動かない。うーん、確認するまでもないな。
 とりあえず力を入れる所から。
 力入れてるはずなのに、動かない。
 とりあえず、頑張ろう。 

 更に1ヶ月経過。
 何で!何で何度やっても駄目なの。
 毎日かかしてない。力を入れているはずなのに次の動作にどうしてもいけない。
 無理やりにでも立とうとすると、ベッドから落ちる。
 痛い。そして、新たなケガを負ってしまう。
 車椅子に乗れない。
 ナースコールも押せない。
 ただそこにいる事しか出来ない。
 1時間後、巡回で訪れた恵姉(めぐねえ)に助けられ、ベッドに戻される。
 恵姉(めぐねえ)に注意を受けるが、黙りこくったまま返事をせず。
 申し訳ないという気持ちより、苛立ちが募る。
 最近の私の変化を察して、厳しく言わず、仕事に戻っていく恵姉(めぐねえ)。
 また1人になる。
 何で。何で、私がこんな目に合うの。何も悪い事してない。
 悪い方へ、悪い方へと考えが行く。
 一人では何も出来ない。
 自分に対して苛立つ。
 周りも見えなくなり、常にいらいら。
 そんな折、湊が見舞いに来る。
 自分で立って、歩いて。当たり前の事だが、悔しくて仕方ない。
 夏らしくアップした髪。
 ノースリープの白シャツに赤と黒のチェックネクタイ。
 黒フリルのミニスカ。自分は歩けるんだと大胆に見せつけている。
 サンダルを履いているから、尚更、足が際立って見える。
 湊はそんな事思っていないだろうが、それさえどうでもいい。
 腹が立った。自分に出来ない事を軽々やられて。
 私は髪に気を配る余裕もなくて、ボサボサ。肩より少し長い。
 黒キャミロングワンピース。私の気持ちを表す。
 足を見せたくないから、隠している。靴を履く必要がないので裸足。
 「希(のぞみ)」
 「・・・」
 名を呼ばれたが、返事しない。
 「あのね」
 湊の言葉を遮り、叫ぶ。
 「何でそんな服出来たの。私、足が動かないのに!見せつけ!?」
 いらいらする。
 「ごめん。そんなつもりなかった」
 「・・・」
 そんなつもりなかった。違う。何も考えてないの間違いだ。
 二人して沈黙。空気が重い。
 「希(のぞみ)なら、立てるようになるよ。一緒に頑張ろう」
 両手を握り締め、足を叩く。声を荒げる。
 「もう頑張ってるよ!湊何かにこの苦しみが分かるわけないよ」
 帰るのかと思いきや、湊が予想外な事をする。
 「分かんないよ!言ってくんなきゃ。いつもみたいに言ってくんなきゃ分かんないよ」
 何かがキレる音がした。もう止まらない。
 「いつもって何!?私は何も変わってない」
 「変わったよ。いらいらしてる。私が知ってる希(のぞみ)は、どんなに周りから出来ないって言
 われても、頑張って頑張って乗り越えてきた」
 涙でぐしゃぐしゃになりながら、湊が吐露する。
 「私だって、頑張った。一生立てない。歩けない訳ないだろって。何度も何度もやっても出来ない。1人じゃ、何も出来ない!・・・悔し  い」
 泣きじゃくる。もうなんかぐちゃぐちゃだ。
 「1人で頑張らなくていいんだよ。私もいる。真兄(まこにい)もいる。おばさん、おじさん、皆いるよ。一緒に頑張ろう」
 湊が子どもを諭すように優しく私の頭を撫でる。声も手も震えてる。
 子どものように泣く私。私はいらいらして、湊にあたって、情けない。
 勘違いしてた。1人で頑張らなくていいんだ。湊が思い出させてくれた。
 何で、早く頼ろうとしなかったんだ。
 初めての事で、気が動転してた。違う。
 自分1人で頑張らないといけないという思い込みのせいだ。
 涙を乱暴に左腕で拭う。
 泣き腫らした目で湊を見る。
 「ありがとう、湊」
 「いつもの希(のぞみ)だ」
 二人で泣き笑い。
 「私、もう一度頑張ってみる。今度は力を貸して」
 「もちろん」
 私は湊と抱き合って、自らの足で立ち、歩く事を決意した。 

 朝、兄と母が見舞いに来る。
 昨日の出来事を話す。
 1か月前、自分が下半身付随である話を聞いた事。
 母は虚をつかれ、両手で顔を隠し、泣き始める。
 静かに落ち着いて見る私。
 兄に視線を移すと、神妙な顔つきのまま黙って聞いてる。
 話の続きをする。
 1人で頑張る事を決意して、自主リハビリした事。
 母は泣いている。兄は静かに聞く。
 1人ではどうにもならなくて、自暴自棄になったけど、湊ととことん話して決意した事を話す。
 胸に刻んだ決意を二人に言う。
 「私、どんな低い確率でも。先生に一生歩けないって言われても、それを覆してみせる。自力で立って、歩くから。だから、だから、力 を貸して下さい」
 二人に向かい、勢いよくお辞儀する。
 泣きながら、うんうんと頷き、首を上下に振る母。
 兄は私の頭を撫でながら笑う。
 「当たり前だろ」
 泣き笑いしながら頷く。
 先生にも恵姉(めぐねえ)にも伝える。
 二人共、私が下半身付随の事を知っていたの驚いていたけど、協力を約束してくれる。
 翌日から、過酷なリハビリが始まる。
 恵姉(めぐねえ)特性リハビリメニューに基づいて、実施。
 まず、硬くなってしまった筋肉をほぐす為に、屈伸運動。
 言う事は簡単だが、実際チャレンジすると難しい。
 当たり前だが、一人では無理。
 恵姉(めぐねえ)に足を腰の方に押す・伸ばすを繰り返してもらう。
 初めは少し押してもらうだけで、痛みが走る。
 我慢我慢。少しずつ少しずつ。
 しばらくした後、屈伸運動が我慢しなくても出来るようになる。
 大きな進歩だ。嬉しい。
 1人の時は、イメージトレーニングをする。
 足が動くイメージ。脳から命令が下り、神経へと伝達、足に届く。
 すると、シーツの下で何かが起きた気がした。
 シーツを引っぺ返し、もう一度、同じ事をする。足が動くイメージ。
 足の指が少しだけ動く。
 込み上げる。人の力を借りずに自分の意思で動いた。
 喜びのあまり、大きな声で叫ぶ。
 「やったー!」
 「何が”やったー”なの?」
 !!
 ちょうど見舞いに来た湊が扉の前にいる。
 突然の大声に驚いた顔をしながら、ベッドの近くへと来る。
 我が親友ながら、なんてタイミング。
 私は足を指差す。
 「足に注目」
 “?”な顔をする湊を尻目に足に全神経を注ぐ。
 すると、先程と同じように足の指が動く。
 驚いた顔で私を見る湊。
 してやったり顔の私。
 大きな一歩。湊とハイタッチして喜び合う。
 足の指動いた後、どんどん動かせるようにはならなかった。
 現実問題、そんな上手い話はない。
 先生によると、足の指が動くまでの期間が驚異的な早さらしい。
 この早さなら、立って歩く事も夢ではない、と言われた。
 言われなくとも、夢で終わらせつもりはない。
 その言葉をバネに更なる努力をする。
 足首が動かせるようになり、人の手を借りずにゆっくりながらも屈伸運動するまでに回復。
 ここまで頑張れたのは皆のおかげ。
 後一歩で目標が達成できるという時に大きな壁にぶつかる。
 “立つ”には、自分の全体重を足で支えないといけいない。
 事故が起きる前は意識せずに立てた事が嘘のようだ。
 ベッドの上でのリハビリにも限界が来たという事で、新メニューに移行。
 車椅子で向かった先はリハビリルーム。
 多くの人が立つ為に歩く為にリハビリを行う場所。
 同じ目標を持った人々。
 ここまで連れてきてくれた恵姉(めぐねえ)は次の仕事でこの場を離れる。
 車椅子でポールの近くまで行こうとし、進んでいたら、何かにつまずき、倒れる。
 イタタッ。
 車椅子は左に横倒し。私は前に投げ出されたが、マットの上だったので、ケガせずに済んだ。
 車椅子を見てため息。自分だけでは直せない。
 「お嬢ちゃん、大丈夫かい」
 上から優しい声が降ってくる。
 顔を上げると、優しそうなおじいさんが心配そうに私を眺めている。
 杖をつきつつ、右足を引きずりながら、歩く。
 安心するように笑顔で答える。
 「大丈夫です。下がマットで助かりました」
 「そうかそうか。それは良かった。お嬢ちゃん、新人さんじゃの。初めて見る顔じゃ」
 おじいさんも私につられ、笑顔になる。
 「はい。今日からここでリハビリをします。私、朱雀希(のぞみ)です」
 「希(のぞみ)ちゃんか。可愛い名じゃの。わしは源(みなもとの)虎(とら)吉(きち)じゃ。皆からは”源(げん)さん”と呼ばれとる。よ ろしゅうな」
 「はい、よろしくです」
 簡単な自己紹介を終える。源(げん)さんは会釈し、リハビリルームを出て行く。
 車椅子は理学療法士さんが直してくれた。感謝。
 よし、私はリハビリしますか。
 マットの上に投げ出されたのは、ラッキーかな。
 両手に力を入れ、上半身を反らす。
 両足を腰の方にゆっくりと曲げる。伸ばす。
 両手の限界でぺしゃんと倒れ込む。
 手を握り締める。横になったまま実行。
 何度か繰り返した後、上にポールを発見。
 ポールを掴みながら、”立つ”練習をすればいいと閃く。
 もう一度上半身を反らし、両愛を引きずりながら、ポールの所まで行く。
 何度も力尽き、一休みを繰り返しながら。
 ポールの真下に辿り着く。ポールとの差が約1メートル。
 上半身を最大限に反らし、右手と左手とでポールを掴む。
 深呼吸して、落ち着く。これからが勝負だ。
 上半身を真っ直ぐに背筋を伸ばす。自動的に腰が直立体勢に移行。
 そのまま足を折り畳み、正座。
 両手を一旦離し、休憩。
 自分の太腿をペシペシと叩き、気合注入。
 ポールに手を伸ばし、しっかりと両手で掴む。そのまま伸ばして、膝付きの状態に。
 伸ばす。の・・・伸ばす。
 頑張れ自分。
 ぐぎぎぎっと唸りながら、勢いをつけて伸ばす。
 出来た瞬間に力が抜け、ぺしゃんと座り込む。
 拍子で、手を離し、マットに顔面強打。
 「希(のぞみ)ちゃん、大丈夫かい」
 そこには源(げん)さんがいた。マットの上とはいえ痛い。
 “大丈夫です”という思いを込めて頷く。
 「苦戦してるようじゃの」
 首を上下に振り、頷く私。立つって難しいんだなと今更ながら、思う。
 「よしっ。わしが立ち方を伝授してしんぜよう」
 源(げん)さんが後光を背負って光り輝いてるように見えた。間違いなく神様に見える。
 源(げん)さん立ち方レクチャー開始。
 「まず、”立とうと思わない”事じゃ」
 予想外な事を言われたので間抜けな声が出る。
 「へっ?」
 これから立つ為に頑張るのに、なぜ?
 「なぜって顔しとるな。ふぉっふぉっ。立ちたいと強く思っておるとな、色々な所に力が入ってしまうんじゃ。そうすると、先程の希  (のぞみ)ちゃんのようにすぐ疲れてしまうんじゃよ」
 なるほど。発想の転換だ。納得。
 「よしっ。一緒にやってみようかの」
 源(げん)さん、右足を引きずりながら、歩き、手近な長椅子に座る。背もたれはない。
 ポンと右手で長椅子を叩く。
 “ここまで来なさい”という事か。その挑戦受けた。
 腕の力だけで匍匐前進。長椅子の真下に到着。
 長椅子の上に両手を乗せ、背筋を伸ばす。
 長椅子の柄を掴み、腰を乗せる。
 180度回転。寝そべった体勢から座る体勢へ。ちょうど源(げん)さんの左隣。
 それが出来るまでじっと待っててくれた源(げん)師匠に感謝。
 「源(げん)師匠お願いします」
 「準備万端じゃな。お尻を見る為に前屈み」
 上半身を太腿とくっつける程に屈む。
 自然と腰が持ち上がる。
 「その調子じゃ。そのまま手を1,2,3,4と太腿から胸へと手を上げる」
 1に太腿、2に腰、3にお腹、4に胸。
 「ほら、立てたじゃろ」
 いたずらっ子のような顔だ。
 自分を見て驚いた。立てた。あんなに大変だったのに。まるで魔法がかかったようだ。
 足が震え出し、長椅子に座る。出来た。嬉しい。自然と笑顔になる。
 「源(げん)師匠ありがとうございます」
 何度も何度も頭を下げる。
 「持続時間を伸ばすのは希(のぞみ)ちゃんの頑張り次第じゃ」
 ポンと頭に優しく手を置く。
 頑張るぞー!
 そして、努力が実る時が来る。
 いつものリハビリルーム。
 大勢の人がリハビリをしている。
 今日は、祝日という事もあって、付き添い者もいる。
 私の付き添い人は、湊、兄、母、父、恵姉(めぐねえ)がいる。
 たとえ、転けて顔面強打する寸前でも支えてくれる人がいる。
 車椅子で近場の長椅子へ。そこにはすでに源(げん)さんがスタンバイ。
 準備万端。皆に私を注目するように促す。
 「見てて」
 湊、家族、恵姉(めぐねえ)、そして、源(げん)師匠が私に注目。
 座る体勢から前屈みに、お尻を見ながら、背筋を伸ばし、立つ。
 自力で。何の支えもなしに。
 湊と母が嬉し泣き。
 兄と父は驚嘆の表情の後、満面の笑顔。
 恵姉(めぐねえ)と源(げん)師匠はしてやったりの顔。
 私は時計を見た。記録更新。
 勢い良く両手を振り上げ、バランスが崩れる。
 だが、バランスを保つ事に成功。
 湊と母の涙につられ、笑顔のまま泣くという芸当を披露。
 リハビリルームにいた皆がいつのまにか、リハビリや作業を中止し、私に拍手してる。
 その場が一体となり、不思議な気持ちになる。
 交通事故から約4ヶ月が経過した事の出来事である。


                                                                                                                                                                                           
 ケガは完治。先生から退院許可が降り、車椅子のまま、久しぶりの我が家へ。
 4ヶ月離れていたのに、1年、10年という長い間、離れていた気がする。
 自分の部屋は2階の為、一時的に1階の客間と交換。
 階段を登って、自分の部屋に行く事を目標とする。必ず実現する。
 高校には退院した翌日から車椅子で登校。
 勉強は入院中、湊と頑張っていたので、そんなに遅れは感じず。
 ここでも階段が難問。しかし、高校にエレベーターがあったので、あっさり解決。
 移動教室でも移動できるから。一先ず、安心。
 兄から裁判結果を聞いた。容疑者に判決が下り、刑務所に収監されたそうだ。
 そして、リハビリは最終段階に移行。
 歩行訓練。通院しながらのリハビリ。
 見知った顔が多いリハビリルーム。
 “歩く”とは”立つ”よりも大変。
 バランス感覚、足運びのスピード、両足での支え、3拍子が必要。
 まずは立つ。ポールを掴む。
 支えなしで歩くのは困難。
 右足を上げ、前進しようとすると、重心が前に傾き、支えきれずに前に倒れる。
 重心を左足で支えようとすると、後ろに倒れる。
 バランスを取らねば、歩けない。
 高い壁にぶつかる。
 あきらめない。あきらめたら、そこで終わりだ。
 ある日の放課後。授業が終わり、その足で病院へ。
 いつもの歩行訓練を開始。
 訓練の成果が見え始め、支えありながら、歩けるようになってくる。
 高い壁にヒビが入った状態。
 順調順調。
 そこに母親と車椅子の少年が入ってくる。
 母親は看護士との話終え、足早に立ち去る。息子を置いて。
 少年は母親の背を無言で見送る。
 なんか寂しいなと思う私。
 おっ、予想外な事に少年、こちらに来る。
 挨拶挨拶。
 「よろしくねー」
 笑う私。真顔で私の顔を見てスルーする少年。
 スルーするな、くそガキ(怒)。
 いかんいかん。落ちつけ、私。
 あろう事か、少年、バッグからPSPを取り出し遊び始める。
 リハビリしないのか。
 ここにいる意味がない。
 「リハビリしないの」
 当然の疑問を投げかける。
 画面から目を離さず、言い放つ。
 「立って歩くなんて、無理に決まってる。先生が不可能って言ってたんだから」
 ゲームの音が響く。簡単にあきらめるな。抗(あらが)え。
 ポールから左手を離す。無言でPSPを取り上げ、マットの上に放り投げる。
 少年、怒り、吠える。
 「何すんだよ、ばばぁ!」
 少年の胸倉を掴み、凄む。
 「取り消せ。不可能なんてない。あきらめるな」
 手を離し、ポールを掴み、リハビリを再開。
 私とて、先生に立つのも歩くのも無理だと言われた。
 だけど、皆が支えてくれて、立てるようになった。
 歩く事も決して不可能ではない所まで来た。
 自暴自棄になっていた時の自分を見ているようで、”あきらめるな”と励ますのだ。
 誰かがそんな役割を担わないといけないと私はそう思う。
 後は少年次第だけど、大丈夫。私の気持ちは届く。
 PSPを拾い上げる。ピッ。電源を消す音。
 少年は私に向けて、謝罪と決意の覚悟を口にする。
 「さっきはごめんなさい、お姉ちゃん。先生に立って歩くの不可能だって言われて、ママが可哀想な目で見るんだ。苦しかった。勝手に あきらめてた。ありがとう。ぼく、頑張る」
 少年に視線を移すと、先程とは全く違う決意の顔。
 思いが届く。
 「少年、よく言った」
 左手をポールから離し、親指を立て”グッ”のポーズ。
 「ぼくの名前は明渡光流(あけわたひかる)。7歳。覚えといて」
 「光流くんね。私は朱雀希(のぞみ)。17歳。目標実現に全力疾走!」
 右手を高く上げ、握り締める。光流くんも真似する。
 その後、二人で指切りした。”立って、歩く”事を。


                                                                                                                                                                                           
 交通事故から半年後。
 季節は桜の花弁が散る春から紅葉が散る秋へと移り変わる。
 今日は、湊とのショッピングの日。
 2階の自分の部屋から玄関へ、階段を下りる。1階の客間は卒業。
 玄関で上半身を反らし、リビングに向かって、”いってきます”。
 兄、母、父が見送りに来る。”いってらっしゃい”。
 もう一度、私は”いってきます”と言う。
 靴棚に掴まり、ゆっくりと慎重に立つ。
 少しふらつく。
 兄が支えようと手を伸ばすのを制止し、バランスを取る。
 玄関のドアノブを握り、押す。
 あの時とは違う。
 前に進む。ポニーテールが歩く度に左右に揺れる。
 蛍光ピンクTシャツの上に黄色のパーカーを羽織る。肌寒い秋にちょうどいい。
 膝丈で蝶々結びをした緑パンツ、黒靴下に、茶の紐ブーツ。
 足を見せるには勇気が必要。少し不安だけど、大丈夫。
 チャームポイントに花ゴムを付けた茶のショルダーバッグも左右に揺れる。
 よそ見はしない。
 ここは交通事故が起きた交差点。
 あの時、私は渡りきる事が出来なかった。
 ここに来るまで本当に長い時が必要になった。
 信号が赤から青へ。
 右、左、右と念入りに確認。
 二度と交通事故に遭いたくない。
 周りの人が渡り始める。
 私もゆっくりと歩を進める。
 胸の鼓動が大きくなる。
 横断歩道の中心を過ぎる。ほっとしてはならない。
 渡りきるまでが勝負。
 一歩、一歩、噛み締めるように歩く。
 横断歩道を渡りきる。
 両手を上げて思わず、”やったー!”と言ってしまう。
 周りの人から視線が集中。恥ずかしい。
 手を下ろし、湊との待ち合わせ場所へ。
 手を振る湊に気付き、私も手を振る。

 リハビリルームで一緒に頑張った皆。
 先生。看護師さん達。
 自分と似てる光流(ひかる)くん。立てたと連絡が来た。自分の事ように嬉しい。
 歩けるようになったら、一緒に散歩すると約束した。待ち遠しい。
 立方を伝授してくれた源(げん)師匠。
 リハビリメニューを考えてくれた恵姉(めぐねえ)。
 私を見守ってくれていた母と父。
 私を支えてくれた兄。
 そして、あきらめない事を思い出させてくれた湊。

 1人じゃない。皆がいたから、ここまで来れた。

1人じゃない<本編>

 読んで頂き、有難うございました。如何だったでしょうか。
1人で出来なくても、多くの人に支えられ、不可能を可能に変える事が出来る、という事が伝われば、幸いです。
では、また、次回作でお会いしましょう。

1人じゃない<本編>

主人公希(のぞみ)は親友・湊とのショッピングの待ち合わせに向かう途中、交通事故に遭う。幸い、命に別状はないけれど、3ヶ月の重傷を負う。1ヵ月後、絶対安静から解禁された希は暇な入院生活を送っていた。話し相手を探しにナースステーションへ向かう途中、衝撃の事実を知る。両足が動かない事を。1人で頑張るが、結果が出ず、自暴自棄になる。 果たして、希は立ち、歩く事が出来るのか。それとも、あきらめてしまうのか。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-02-01

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