脳内部室のお話 その1
部室で三人の男女が話している。
「で、ヨワキ。どうしてお前は部屋の隅でコソコソしてるんだ?」
ヨワキと呼ばれた男子生徒は、気まずそうに部屋の真ん中のソファを見やる。
「い、いやぁ。俺が出しゃばるとまたヤルキさんの機嫌が悪くなるかなぁなんて」
それを聞くとヤルキと呼ばれた少女は無言でヨワキの元に歩いていき
「安心しろ。お前のその発言のせいですでにあたしは不機嫌だ」
その胸倉をつかむとソファの方へ投げ飛ばした。
「あだ! ……ねえ、ノンキさん。俺、何か悪いこと言った?」
投げ飛ばされて仰向けにひっくり返った状態でヨワキは窓際の少女に声をかける。
「ノンキ! 言うだけ無駄だぞ! こいつには何を言ったって意味がない!」
「うーん……だってさ、ヨワキくん。あ、このチョコ美味しいー」
「……ノンキさーん、うげっ」
気付けばヨワキの腹にヤルキの足が深く沈み込んでいた。
「おい、ヨワキ。お前を見てると本当にイライラするんだよ」
「そ、そんなこと言われても……」
「だいたい! なんであたしが何かをやろうとするたびにお前はいちいち足を引っ張ろうとするんだ!」
「そ、そんなつもりはないよ。ただ……」
「ただ? なんだ、言ってみろ」
「ヤルキさんを見てると心配というか、なんというか……」
「心配だぁ?」
ヤルキが眉をひそめながら足をどける。
「え、えっとさ。たとえば今日、何かしようとするじゃない」
ヤルキから距離を置くとヨワキは床に正座して向かい合った。
「ヤルキちゃんがこの前『この小説を今日中に読む!』とか言ってたやつ?」
お菓子を食べ終わったのか、ノンキも話に加わっていた。
「そ、そうそれ! ……ヤルキさんがそういうこと言い出すとさ、いつも俺は不安になるんだよ」
「不安だぁ?」
「そ。ヤルキさんさ、後先考えずにそういうこと言い出すじゃん?」
「あー、ヤルキちゃんそういうとこあるよねー」
ノンキがぽわぽわした笑顔を浮かべながらヨワキに賛同する。
「……う、うるさい!」
図星だったのかヤルキの頬が少し赤く染まる。
「でさ、その時に思うんだよね」
「本当に終わるの?」
場の空気が凍る。
「他にやることがあるんじゃないの?」
ヨワキは淡々とつぶやく。
「明日でも良いんじゃないの?」
場の空気に気付かないまま。
「そんな言葉がグルグルと頭の中を回るんだ」
ヨワキが小さくため息をつく。
「………………」
「ヨワキくん……」
「そう思い出したら、ヤルキさん大丈夫かなって。それを言わずにはいられないっていうか」
自嘲しながらもヨワキは続ける。
「そう、これはヤルキさんに注意を促すってことでもあるわけだし! むしろ言ってあげた方が良いことだよね」
ヨワキの声がだんだん大きくなっていく。
「だから、ヤルキさんのためを思って前もって言ってあげてぐぉあぐりゃぁあ!!!」
ヤルキの拳がヨワキの顔を打ち上げ気味に殴りつけていた。
「……言いたいことはそれだけか、このクズ野郎」
「え、ちょっと待って。俺、今良いこと言ってたよね?」
心外だという顔でヨワキが言い返す。
「なんだよ、そのドヤ顔はよ! え! 何を言うかと思えば、ただの現実逃避じゃねえか」
「いや、それはヤルキさんにも言える……」
「うるさい! そんなことはわかってる! だけど、それでもやろうって思うことが大事じゃねえのかよ!」
ヤルキの顔が歪んでいる。そこには怒りよりも深い失望の色が浮かんでいた。
「お前はすっげえネガティブで仕方ない奴だと思ってたよ! ……でも、そこまでじゃねえって信じてたよ」
「……ヤルキさん」
「……消えろ。今すぐあたしの前から消えろ! あたしの邪魔になることしかしないならお願いだから消えてくれよ!」
「そ、そんな。俺そんなつもりじゃ……」
「今すぐ消えろぉぉぉお!」
「え、でも俺ヤルキさんのためを思って……」
「……ヨワキくん。本気でそう思ってるの?」
「ノンキ、さん……?」
「前に進もうとしている人がいるのに、その邪魔をするのがヨワキくんのいうヤルキちゃんのためなの?」
ノンキがいつになく真剣な顔でヨワキに問いかける。ヤルキはうつむいたまま二人の方を見ようともしなかった。
「そ、そんなわけ……」
「ヨワキくんの言っていることは、ヤルキちゃんの邪魔」
いつものほほんとしているノンキの目が今は笑っていない。
「本当にその人のためを思うなら、ちゃんと前に進めるように背中を押してあげるものじゃないの?」
「だけど、それじゃもし失敗した時に……」
「それはヨワキくんの事情だよ。ヤルキちゃんは関係ない」
ノンキはぴしゃりとヨワキの口を封じる。
「で、でも……」
「ヨワキくん、君がそうやって先のことを考えることは良いことだと思うよ」
「う、うん」
「だけど、前に進むときには希望を持って進む必要があるの」
「希望……」
ヨワキは小さくその言葉をくり返した。
「君の言葉には絶望しかない」
ノンキの目にはもはや何の感情も湧いていなかった。
それはまるで虫けらでも見るようにヨワキには思えた。
「ヨワキくんのことは嫌いじゃないよ。だけど、その考え方は改めた方が良いよ」
そう言うとノンキは窓際に置いてあったポテチの袋を取るとバリッと開けた。
「うーん、このポテチ美味しいー」
ノンキはそれきりヨワキの方を見ることはなかった。
ヨワキの目にはノンキが何事もなかったようにポテチを食べる姿が映っていた。
今言われたことは耳に入っているはずなのに頭には上手く入らなかった。
ただ、いつものノンキさんの姿をもう二度と温かい気持ちで見られなくなったことは薄々感じていた。
ヨワキはヤルキの方を見た。
ヤルキは何も言わずにうつむいたままだった。
いつもうるさいヤルキが黙っていることで部室は冷え切ったまま、ただただノンキがポテチをつまむ音だけが響いていた。
下校のチャイムが鳴る。
誰も動こうとしなかった。
ノンキはあれからいくつも新しくポテチの袋を開けていた。
どこにそれだけの量を溜め込んでおいていたのかヨワキは不思議に思ったが口には出さなかった。
ノンキは窓際に腰かけたまま、ヤルキは立ち尽くしたまま、そしてヨワキは床に座り込んだまま時だけが過ぎていった。
「おーい、お前らそろそろ帰れよー。って、なんだノンキ。お前どこにそんなお菓子隠してやがった」
突然の乱入者からの質問にノンキの反応は鈍かった。
「……ネムケ先生。え、あー…えっと…………秘密です」
いつものにへら顔もどこかぎこちない。
「あー……? ふーん、秘密ねえ。とにかく帰れ帰れ」
ネムケの言葉に三人とも無言のまま鞄をまとめ部室をあとにした。
「あー、おいヨワキ」
「え、はい。なんでしょう?」
最後に部室を出ようとしたヨワキにネムケが小声で話しかけてきた。
「なあお前ら、なんかあったのか?」
「……いえ、別にいつものことです」
「……そうか。なら良い」
ネムケはそれきり何も聞くことはなく、大きなあくびをしながら職員室の方へ帰っていった。
ノンキとヤルキはお互い何も話さないまま昇降口を出て行った。
ヨワキはそれを後ろから見送りながら深いため息をついた。
(俺の言葉には絶望しかない、か)
外はすっかり日が暮れていた。
夕日が雲を赤黒く染め、肌寒い風がヤルキに殴られて腫れた頬を冷やすように流れていった。
「俺に絶望しかないっていうなら、どうやったら俺に希望の言葉が吐けるって言うんだよ……」
ヨワキの声はしかし誰に届くこともなく、冬の夕空はやがて黒い夜空へと変わっていった。
脳内部室のお話 その1