Death 第一章
#0 プロローグ
僕はきっと、悪い夢を見ていたんだと思う。
それは世界が狂い始めた数百年前から始まり、何度も同じことを繰り返した哀史の、何とも無意味な結末……。
僕の好きな人たちは皆、その無意味の中で死んでいったのだ。
息もできない……ただ、それを見届ける傍観者にも感情はあるのだ。
僕は、これを作り出した彼を決して許しはしない。
必ずこの手で絞め殺してやろうと思う。
――とある、無惨な結果を迎えた天使の日記より
#1 死の可能性
「ふぁ……ぁ……」
僕は目を覚ますと、思わずあくびをし、それから無意識に目蓋を開く。
この場所には全く見覚えなどない、初めて見る景色だった。
瓦礫の山が、ただそこに留まっていた。
本当の色かさえもわからなくなった地べたに這いつく黒い塊の数々、水も出ることのない壊れた小さな噴水、沢山の人々で賑わっていたであろうこの広場はあまりに閑寂すぎた。
灰色の空の下で、孤独を感じるのはこれが初めてだ。
ふと気がつくと、僕の左手に、厚みはないが幅が広く黒い箱と、手紙のような何かが握られていた。
「何これ……」
その白い紙を見ると、少ない文章が書かれていた。どれどれ……。と、実にこれから読み始めるといった言葉をぼやき、内容を確認する……。
『この"エンゲイジリング"を、あなたが愛する9人の子に渡しなさい』
黒い斜体の文字で丁寧に書かれていた。
……なんの事ですか。……エンゲイジリング?
その後は何も書かれていなかった。唯一僕がこの世界を知りえる手掛かりと思い、紙をポケットにしまい、気になる箱を開けてみる。
「うわ…ぉ」
てっきり、とんでもなく派手な指輪なのかと思っていたのだが……。
その9個のエンゲイジリングは粛として、そして燦然としていた。それにしてなんと清楚な指輪だろう……。
成程、この指輪を僕の大好きな9人の子に……と、思う訳がない。《昨日》が無かった僕にとって、意味さえもわからないその言葉がずっと、僕の心に残り続けた。
*
僕の目の前に広がる光景にひとつだけ、無造作に落ちていた鏡……側に歩み寄り覗き込むと、そこにあるのはこの世界の一部、そして僕。
「……!」
鏡に映ったその顔は、驚愕の二文字だった。
所々が糸で繕ってある……。目には活気が、光が無く、衣服はずたずた……。言うなれば、つい先程まで死体だったかのような姿をしていた。自らの顔に驚く事もあるものなのだと初めて実感する。
顔に対する驚きに厭きたところで、再度前方を向き、辺りを見渡す……やはり、崩壊した街並みを見ていると、何故だかこちらも悲しくなってくる。
何と無しに、崩れた瓦礫の向こうを眺めていると、鬱蒼と茂る森が見えた、僕は唐突に、そこへ向かわなければならない衝動に駆られて森へ向かい歩き始めた。
*
近づいてみると森は広大で、しかし薄暗く本当に気味が悪かった。だが、まるで星が揺らいでいるかのような夜のしじまには、安堵さえ覚えた。エメラルドグリーンの輝きは、行き場に困っている僕を案内しているようだ。この広さでは、道に迷うことも考えたが、その心配はなさそうだった。獣道ができている。……ここを外れれば、きっとこの世の終わりまでここを彷徨うことになるだろうが……。
*
僕が見渡す限りで、この森の広い場に出たようだ。人工的に作られたと思しきその広場……中央には大樹が現存し、その周りに長椅子が数個配置されていた。
その中に……一人、青年を見つけた。
銀髪の青年は、長椅子に腰掛け、僕を気にする様子もなく眠っていた。
なんだか起こすのも申し訳ないと思いつつも、何か情報を手に入れたいと哀願する僕は彼に声をかけた。
「す、すいません……」
「…………」
「……はぁ」
予想通り、返事は返ってこなかった。流石に2度目は躊躇してしまい、結局何も分からぬまま獣道の先へと進んでいった。
それが間違いであることに気づくまで、数分も掛からなかった。
*
僕は今まで何ともなかった身体に疲労を覚え始めた。
こんなに歩いたのだから、そろそろ出口があってもおかしくないのだが……。と、どうでもいいことを考えていると、何やら近くの草むらからガサガサと気まずい雑音が聴こえた。
「グルルルルアァァァァァ……!!」
呻き声と共に、突如獣らしきものが僕の目の前に現れたのだ。鋭く尖る牙、殺気を放った瞳、二本で立つ脚、今にも裂き殺されそうな指爪、巨大な腕……それぞれ想像していただろう『獣』とは違った位置に付いているものだから異例の醜さを覚えた。
その獣は僕を見るなりこちらへ向かってきた。
恐怖と焦りが僕を呑み込んだ。
巨大な腕が振り下ろされる……一瞬の判断で避けた……が、獣の攻撃は止まず、次々僕めがけてやってくる。武器も何も持たない手ぶらの僕は必死にその攻撃を避けることしかできなかった。
それも長くは続かず、獣の攻撃が肩から腹部にかけて僕を切り裂いた。
「っう……あぁ……」
痛みを抑えようとする...が、傷口が開いて、赤黒い血が滲み、段々意識が薄れてゆく。
もしかしたら、僕はここで……。死に際までもが、僕の脳裏を過ぎって行く。
……?
突然の静けさに戸惑った。
丁度、終焉を悟ったばかりの僕の耳に、人とは到底思えない断末魔が入ってきた。
……??
重たくなりかけている目蓋を無理矢理開くと、獣は既に事切れていた。
獣の残骸は首がなくなっているように見えた。辺り一面が血で溢れ返り汚れている……。
誰だろう……僕を助けに……?
すると、先程見かけた青年らしき人影が、視界に入り込んだ。
彼は僕の方へと歩み寄ってきて……
そこで、僕の意識は無くなった。
#2 冷酷な瞳
木漏れ日が、僕の目を開かせた。
「やっと目を覚まされましたか……」
初めて人の、僕以外の人の声が聞き取れ、辺りをゆっくりと見渡す。
「いい加減、起きたらどうなんです?」
そう言われ上半身を起こすと、先程の青年が、待ちくたびれたといった素振りでそこにいた。きっとここまで僕を運んだのは彼だろう、そう確信した。彼がいなければとっくに死んでいたのかもしれない。
しばらく沈黙が続く。その沈黙の中、僕は彼に目を向けていた。彼は質素な鎧を身に付けていた。僕は彼の白群の瞳に見とれていた。そのしっかりとした体躯からは、どこかの城の兵士のような雰囲気を漂わせていた。
……長々と見ていたんだろう、彼は不思議そうな顔で僕を見ていた。
「あ、その、さっきはありがとう、ございます」
「何の事でしょう」
「さっき、僕を助けてくれましたよね?」
「さっき? ……あぁ、その事でしたか、お気になさらずに」
「……? 僕はどれくらいの間眠っていたんです?」
「大体一昼夜程、といった所でしょうか」
「あぁ、そうでしたか……」
思えば、何故こんなことを彼に訪ねているのか、と僕は苦笑いを浮かべていた。
「そんな片言になさらなくても、普通に喋っていただければそれで良いのですが……ご主人様?」
彼は僕に近寄り膝をつき、せせら笑いを浮かべながら確かにそう言った。
「え……?」
「ですから、私(わたくし)の命を捧げると言っているのです。ご主人様」
「は、はぁ……」
「貴方に死なれては困ります。あぁそう、申し遅れました。私はレイセンと申します……さて、先を急ぎましょう、ここは危険です」
話が進みすぎていて、頭の整理が追いつかない。彼は僕のことなど気にせず、立ち上がると先へ進んだ。
「あの……話についていけないのですが」
「ですから、それはやめてください」
「……はぃ」と、口から溜め息のように返事が漏れた。
見渡すと、ここは僕が通り過ぎたはずの大広場だった。先程とは違い、二人で歩いていることに安心感を抱いていた。
「えっと……レイセン君……?」
「なんでしょうか」
「あ、あー……えーっと……」
そう言った瞬間に、聞きたいことが数珠のように連鎖を重ね、とうとう言葉を失ってしまった。
「ここは……どこ?」
「ここはソノラ樹林。その縹渺たる樹林は”一歩獣道を外れるとこの世の終わりまで彷徨うことになる”と言われ、その別名は『迷い死ぬ者達の森』……そう呼ばれております」
「あ、ありがとう」
その殆どが僕の耳から通り過ぎてしまったが、ここがソノラ樹林だということは辛うじて理解した。気を取り直し、別の質問をする。
「あのさ、僕がご主人様って……どゆこと?」
「それはそのうちわかります」
「そう、なんだ……」
じゃあ……レイセン君は、と、言いかけた途端に彼はその場に崩れた。
ゆっくりと時間が流れ、静止する。
僕は気がつくとその場に佇立していた。急いで傍に駆け寄ると、その背には目に余る程の無数の傷が……。彼の上半身を起こすよう両手で支え、膝に乗せる。
思えば一瞬の出来事だった。彼は口から血を流し動かなくなった。
「あ……うわああぁぁ……!」
*
どうしよう、どうしよう、どうしよう……。
落ち着けるどころではなかった。深い傷、しかも致命的な傷をどうこうしようなどと、考えたこともなかったのだから。
気づけば僕はあろうことか木に背を押さえつけ、彼を遠くから見下ろし狼狽えていた。傷口は塞がる様子がなく、徐々に開いているようにも見えた。
「う……うぅ……ぇ」
もし僕があのままでいたら、彼のように血をやむことなく流し死んでいたのかもしれない恐怖……。数え切れない程の恐怖が僕を過ぎっていく。
それはまるで、死神に見透かされているようだった。
思わず嘔吐しそうになるが、必死に抑える……。
「ぐっ......」
「レイセン……くん……?」
彼は懸命に、命を此処に留めていた。もう助からないだろう……。
しかし、祈らずにはいられなかった。
――お願い、神様……レイセン君の傷を治して……!――
彼の指が動く。
「!!」
彼の傷口は、塞がっていた。そして、彼は今まで眠っていたかのように起き上がってくれた。僕は思わず涙を落とした。
「レイセン君! 大丈夫!?」
「え、えぇ、この通り。……そういえば、先程何か言いかけませんでしたか?」
「……いや、何でもないよ」
*
「おわー、すご……」
「クス、ご主人様、口が開きっぱなしですよ……それを世間では『みっともない』と、言うのです」
「う、ごめん」
森を抜けた先は街だった。無限回廊のような道、左には家や店が淡々と並び、右には海。夜の黒く光る波は街灯の明りと融合しているかの様だ。
「あ、あれ?」
この美しい光景に浸っていると、人ではなく《人影》が僕とレイセンを横切っていく。これも充分不思議な光景であるはずなのに、僕の目にはこれが当たり前のように見えていた。散々不思議なものを見すぎたせいだろう。一本道をただひたすら歩いても、見える景色の変化は全くなかった。
「ここは?」
「ここはマーファ街灯です。朝が来ることはなく、いつまでも夜が続いています。……マーファ街灯のモールは全部で9番までありますね、大体3マイルです」
レイセンが片手を腰にあてる。
「は。僕たち、まだ2番モールに着いたばかりだよね?」
「心配いりませんよ、5番モールに宿がありますから」
「うぅ……にしても、遠いよぉ……」
*
「あ」
歩き続けて約数十分。僕の視界に、お菓子が入り込んだ。それも沢山の棒付きキャンディー専門の店が……。
僕はその店に駆け寄る。その時はキャンディーの事しか頭になかったけれど、レイセンは顔だけ伏せていた。笑いをこらえていたのだろう。羞恥を覚えたのはずっと後の事だった。
「あ、アメ」
「如何なされました? ……あぁ、食べたいのですか」
「え……あぁ、うん。でもキル持ってないや……ヘヘ」
僕は手をぶらぶらとさせ、キルが無いことを示す。
「はぁ。すみません、ここの飴を全部頂きます」
「畏まりました」
何やら大量のキルとキャンディーを交換しているように見えた。
「……え!?」
「有難うございます……。これで宜しかったでしょうか?」
レイセンが僕にくれたのは、それはもう大量の、一日では食べきれないほどのキャンディーの数々だった。レイセンとは彼方此方の店を歩き回ったが、こんなに嬉しいことは初めてだ。
「レイセン君、ありがとう!」
*
「あぁぁ……やっと見えた」
間もなく宿屋の目前に到着する。明らかにこれは重労働だ。とっておこうと腕に抱えていたキャンディーが、より一層重く感じる。
「中に入りましょう、冷えてきましたからね」
「……うん」
そのとき、『何か』が僕の横を通り過ぎていった。人影ではない、姿形のある――《人》。
「ひ、人だ! 人だよレイセン君!」
「はぁ?」
レイセンの腕を、半ば無理矢理掴んで追いかける。人影に紛れ見失いそうになっていた僕を哀れんだのか、レイセンが先頭に立ち、僕を引っ張って歩く形になった…。必死に追いかけ辿り着いた先は……。
「バ……バー・オブ・レスト……?」
扉を恐る恐る開け、僅かながら室内を覗けば……中はまさに酒場だった。
ただ僕の歩行を邪魔するだけの奴だと思っていた人影が、ここでは祭りのように集まり、騒いでいるのを見た時は甚だしく不思議な気分になった。酒やらビールやら……人影はそれらを囲み、大いに食していた。
ごちゃごちゃと賑わう人影の中に、僕達が追いかけていた《人》を見つける。
「……いた」
店員と話していたようなので、そっと声を掛けたつもりだったのだが……。
「マスター、ミルクティーをっ……おわぁ!?誰だお前!」
Death 第一章