心中
丸裸のうねうねとした電球が、十分とは言えない明るさの真っ白な光を放っている。テーブルの上には少量の玄米と、味噌汁と、箸と、水の入ったコップとが二人分、きちんと揃えてある。殺風景で、静かな部屋である。流台側の剥げたピンク色の椅子に座った霧子は、丸裸の電球を見つめて、そらから食卓を見て言った。
「ねえ、あなた、ご存知。オレンジ色の灯りの方が食事が美味しく見えるんですのよ。霧子、白い電気は嫌いよ」
春一朗は遅れて、向かいのオレンジ色の、やはり剥げた霧子のより少し脚の長い椅子に座った。霧子をチラと見て、電球を見て、溜息をついた。二人とも色白、顔も体も細長い。霧子は白い唇に口紅を塗って、赤くしているが、男は口紅なぞ塗らないので、春一朗は目と睫毛と眉と以外真っ白な顔をしている。二人とも黒髪である。
「白くてもオレンジ色でも味は変わりません。霧子」
「美味しくありませんものね、どちらにしても」
「仕方ないでしょう。物資が少ないのだから。電気があるだけ幸せだよ」
春一朗は箸をとって、玄米を食べ始めた。霧子はしばらく不服そうに春一朗を見ていたが、やがて同じように箸をとった。味噌汁には具はなかった。汁だけである。玄米もパサパサであった。とても美味いとは言えない味である。テレビもラジカセもなにも無いので、二人の食事の音、食器の触れ合う音だけが響いていた。大方食べ終えたところで、と言っても量が少ないのでほんの五分ほどのことだが、春一朗がさりげなく言った。
「来週、塵紙屋が本を取りに来ます」
霧子は箸と空の味噌汁のお椀を持ったまま春一朗を見た。
「どの本を」
「全部」
霧子は息を吐いて、肩を落とした。それから箸を置いて、目を閉じて、いかにも残念そうな顔をした。それを見た春一朗は、何も言わなかった。自分も箸を置いて、じっといていた。
「全部、売るのですか」
「うん」
霧子はまた息を吐いて、箸を再びとり、無言で食べ始めた。次は春一朗がそれに倣って箸をとって、残った一塊の玄米をひょいっと口に入れてしまうと、手を合わせて、食器を流しに持っていった。
霧子は食事を終えると、部屋の隅っこにある木製の、本が溢れて上にまで積まれている本棚から、深い緑色の小型本を取り出した。春一朗は横目で黙って見ていた。霧子は椅子に座って、それを読み始めた。春一朗はただ黙ってぼーっと虚空を見つめていた。
十分経ち、二十分経ち、三十分したところで、唐突に、霧子は本から顔を上げた。
「あなた、死にましょうか」
「はい?」
春一朗は思はず上ずった声を上げた。
「生きていても仕方ありません。私は本を売ってまで飯を食べて生きていきたくはありません」
二人は数秒見つめ合った。
霧子は昔から突拍子のないことを言い出すことがあった。春一朗はあっけに取られて口をポカンと開けていた。しかし、霧子は確かによくめちゃくちゃなことを言うのだが、いつも真剣であった。霧子は真剣に生きていた。霧子はそれ故少し変な子だった。また本を読んで影響されでもしたのか、心中ものの本か、と思い至って、少し口を綻ばせたが、霧子は唇を一の字にしっかり結んでこちらをあんまり真摯な目で見つめるので、春一朗もなんだか深刻な気分になってきた。霧子はもう一度言った。
「ですから、死にましょう」
春一朗は迷った。確かに考えてみれば、物資もなく、明日生きているかもわからず、かつて愛した文学や音楽ももはや廃れ、高価なだけの無駄な代物と化し、国同士が争い続けるこの世の中に、生きる意味などないのかもしれない。いや、ない。確かに自分の生きている意味など微塵も、ない。いやいや、一つだけある。霧子である。愛する妻である。彼女が死にたいと言っているのなら、うん、やはり死ぬしかないのだろう。
春一朗はそんなことを、白くて長い、ごつごつとした骨の浮き出た手で口を覆って考えていた。やがて、その手を下ろして、言った。
「そうですね」
「それでは」
春一朗が頷くと、霧子は本を置いた。
「死に方を決めましょう」
「死に方ですか」
「はい」
「首吊りはお断りだよ」
「霧子は飛び降りが嫌です」
「焼身自殺もよくないね」
「入水もいけません」
「でも、他に何がありますかね」
二人はそうやって小一時間悩み続けた。そう言えば昔、心中ものの本を読んだが、それでは薬を飲んでいた。しかし、薬なぞ高くて今の世では病気の時でさえ買えない。どうせ死ぬのだ、ならば盗むか。
話は遺書の話に移り、死に場所に移り、また死に方に戻り、右往左往して二人は話し続けた。
「練炭自殺がよいと思います、あなた」
「そうですね」
「場所はやはりここかしら」
時計の針が九時を示した時、けたたましいサイレンの音が外から聞こえてきた。この時計は五分早いので、今はまだ九時前である。サイレンはすぐ止まったが、俄かに外が騒がしくなった。人々が何か話しながら家の前を通り過ぎていくようだった。
「空襲ですね」
「逃げた方がいいかしらん」
「大丈夫ですよ。ここは田舎ですから」
二人はまた話に戻った。子供の泣き声が聞こえてきて、やけに耳につんとくる音で、霧子は顔を顰めた。時計は九時五分、今は丁度九時である。
「霧子、早くあなたと死にたいわ」
何かが光った。子供の泣き声が止んだ。時計の針も止まった。霧子と春一朗は、跡形もなくいなくなった。
心中