群れをなす青

 青を初めて見かけたのは、しとしとと何日も続いた雨が漸く上がった日のことだった。薄曇りの隙間から日が顔を出すと、あとは手のひらを返したように雨雲は去り、爽やかな風が吹き抜けた。
 その風につられるように踏石を踏んで庭へ出ると、空は青く、空気は澄み、枝葉に付いたしずくがぴかぴかと光っていた。家に引籠りきりでいい加減長雨に倦んでいたからだにめいっぱい清々しい空気を吸い込むと、肺を洗ったようないい気分になる。そのまま幾度か深呼吸をしてふと目に入った向いの屋根に、それはいた。
 青、である。
 他に何と云い表わせばよいのか。点々と青い物体が屋根の上に寄り集まっている。ひとつひとつは雀くらいの大きさで、それが六、七ほどの集まりになって時折ふるふると震えている。ぴょこぴょこと跳ねて移動するものもある。それが黒や茶や、自然な色をしていたならば、あるいは小鳥の群れと見間違えたやもしれぬ。しかしそれはおよそ町中で見かけるには似つかわしくない、雨上がりの空の青を一点に凝縮したような、吸い込まれそうに深い、しかし濁りのない青をしていた。間違っても屋根の上にいて見過ごせる類のモノではない。私は疑うようにそれをじろじろと眺めていたが、いっこう逃げる様子もないので「おい」と振り返って家内を呼んだ。台所で洗い物をしていたらしい家内は「はいはい何ですか」と云って、前掛けで手を拭きながら縁側まで暢気に歩み出てくる。
「あすこに見えるのは何だろう」
 私が指差す先を家内は訝しがりながらじろじろと見て、
「はぁ、何か見えますか」
 と云った。
「馬鹿を云うんじゃない。向いの屋根に屯しているあの青いのだよ」
 そう云っても家内は眉を顰めるばかりで全く要領を得ない。
「さあ、私には何も見えませんが」
 と云われて漸く私はアレが自分にしか見えていないのだという発想に行きついた。「本当にあの青いのが見えないのだね」と念を押し、何ですか気味の悪いと云う家内を家の中に追い返して私はもう一度甍を見上げた。
確かにいる。
見逃すはずのない不自然な青色が、群れをなして震えている。
 私は不審に思いながらもそれ以上気にすることをやめ、家の中に引っ込んだ。

 次にそれを見かけたのも、また雨上がりの夕暮だった。野暮用で郵便局に寄った帰り、今日の夕飯は何かしらんなどとつまらぬことを考えながら(みち)を行くと、電信柱の脇の水溜りにうごめくモノがある。
 青だった。
 私は立ち止まってやはりこの前のは見間違いではなかったのだと確信した。往来の人は私が道端でじろじろと水溜りなんかを覗き込んでいるものだから、何だろうという視線を投げては行くが、それ以上は特に気にする風もなくそのままスタスタと去ってしまう。やはり見えていないのだ。道の片隅とはいえこんな真っ青なモノが動いていれば気づかぬはずはない。こんな珍奇なモノに気づけば人集りくらいできてもよかろう。それがみんな知らんふりして行ってしまうのだからこれは愈々私にしか見えぬとみえる。私はその不思議な物体をそうっと傘の先でつついてみた。するとそれは寒天のような白玉のような弾力で傘を押しかえすや、ふるりと傘の先を逃げていく。私はひとつくらい持って帰って研究でもしてやろうかしらとも思ったが、同時に気味悪くもあったのでその日はそのまま帰ってしまった。

 その後も何度か青を見かけたが、そう何度も目にするとなると、こちらもだんだんと見馴れてしまってたいした興味も抱かなくなっていた。ただ、その何度かでわかったのは、そいつは雨とともに現れるということだった。それを見かけるのは必ず雨の最中(さなか)か雨が上がった直後であって、晴れが続いた日などにはさっぱり姿を現さない。しかしそれがどこから涌いてどこへ消えるのか、それはとんと検討のつかぬことであった。
 梅雨に入り、降ったり止んだりの煮え切らない天気が一月(ひとつき)も続いた。その間、暇を持て余した私の気を引いたのは、庭に涌いた青だった。最初に気づいたとき、青はひとつだけで庭の隅にある南天の影へ隠れるように落ちていた。そのときは「ああまた青いモノが落ちているな」と思うだけで歯牙にもかけなかったが、次に見たときにはその青が二つ三つと増えていた。どこから涌くものか知らないが雨が長引くにつれそれは次第に数を増やし、一週間もすれば十五か二十か、こんもりと山をつくるようになった。かと思えばちょいと晴れ間が出たあとには心持ちその山が小さくなっている気がする。私はそれが増えたり減ったりするところが見たくて終日(ひもすがら)縁側にへばりついてみたりもしたが、どういうわけか私の見ているそばではふるふると震えるばかりで一向に変化する様子はなかった。
 そんなふうに日々を過ごして、いつか青の山は腰丈にもとどこうかという大きさになった。こうなると威圧感すら覚えるほどの存在感だ。青は数を増すにつれその色を深め、空の(あお)というよりかは海の(あお)という具合になっていた。

 その日は前の晩に仲間内で宴会をやったせいもあり、日が高くなるまで私は蒲団を被って寝ていた。しかしそうぐうたらしていても腹は減るもので、腹の虫が昼餉を知らせる頃になって私はやっとこさ蒲団から抜けだす覚悟を決め、のそのそと起きあがった。寝惚け眼で障子を開けると、白く眩しい日差しが眼を刺した。
とっさに目を細めた私の前で、青が、ぶるりと震えた。
 あっ と思うまもなく青は、ざざざ、と宙に舞い上がり、鳥の群れが一斉にはばたくように青い空へと散り散りに吸い込まれた。一瞬のことであった。それはさながら、俄か雨を巻き戻して見たかのような光景だった。
 一瞬の静寂のあと、待っていましたとばかりにそこここで蝉が鳴きだした。
 ああ、梅雨が明けたのだな、と私は思った。

群れをなす青

群れをなす青

少し昔の幻想文学を意識した掌編です。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-11-08

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