practice(149)



 庭の盛り土の上に乗せた置き物に直接,ママが園芸用に使っている霧吹きで,石の表面の色が濃くなるまでしゃこしゃこと動かしながら,まん丸に近い深夜の灯りを遮って,もう一方の袖口を歯で噛んであげた。曲げた肘に引っ掛けるぐらい。置き物の膨らんでいる頬っぺたを掴み,回れ右(と思ったけど実際には『回れ左』)をさせ,固まっている足と手の裏にぺたっとくっ付いた土が湿っていた。そこを霧吹きでさらに濡らしたら,剥がれて下に戻るかと思ったけれど,見た目という点でも大して変わりなく,振っても落ちない。ただ,もう片側の下部は既に水浸しに出来ていた。頭から吹きかけて,指が冷たくなった。口角をいっぱいに上げた正面の顔は,重そうな瞼を開けようとしているのか,閉じようとしているのか,ひと吹きをして,ふーふーと口笛鳴らし,乾かないだろうけど,乾かそうとした。手はきらきらとふにゃけてる。霧吹きは,腿を合わせたそこの『台』に置いて,置き物は両手でぎゅっと地面に押し付けた。スコップを使っていた盛り土は,まだまだ硬く出来るぐらいで,丁度良かったんだとそこから口に出してみた,けれど,仕事帰りが遅いパパもすっかり眠った後では,ゆらゆらしている雑草しか動かない。寒さも運びそうな庭の風に,背後のお家の一箇所の隙間が,しーっと指を立てて,じっとりと雲が動いていく。パジャマのズボンでそれを拭けないけれど,自然に乾くのは待てるんだと聞いていた。かちゃかちゃと,レンズとフレームを動かしたあとで,目を開けたら明るい空の暗がりが,じんわりと裾に広がっていた。隣町にあるとも言える,端っこの高台の階段の途中からでも見えたのは,ぽつぽつとした人工的な灯りとお喋りする姿だった。塀に囲まれたここからでは,見えないもの。
 お尻から頭にかけて,傾斜する背中を矢印に見立てたら,置き物の方向は間違っていたから,ぱっと,取って,ぐっと,直した。



 ◯月◯二日,アイスクリームはバニラだった。
 △月五△日(タイプミスだと思う),魚は骨から取ることにした。お箸は便利だ。
 そして◇日,階段を登った日。肌は冷たく,でも楽しかった。吐く息は全部白くて,消えていった。笑いながら,肺を膨らませて,鼻から出した。難しかった。明るい灯りが綺麗だった。あれがタケシンチだと言っても,確かにそこからじゃ,どれかが分からなかった。見えているのに,と残念に思った。指差しはあまり便利じゃない。でも,カンケリでは使える。最後にミチサンを見つけた。遅くなったから,速く帰った。
 明日もまた来たい。あるいは,また来れたらいい。
 きちんと白紙も綴っていて,六日,七日。覚えているのは,塀に近付いて庭によく居た姿。くいっと素早く作られる「笑顔」。小さい電話もかけていて,早口で,沢山に何かを話していた。
 直されたあとで,「白紙も語る。」。
 最後まで続く長い,長い記述には優先順位に書かれた持っていくもののリストと,その理由と,荷物を詰め終わったブリーフケース等の手に持ったり,担いだりするものの重さ,荷物の入れ直し,同じ事項の再検討を行った結果,僕にあげるものが増えたこと。タケシに双眼鏡を渡して欲しいこと。ミチサンに代わりに,挨拶をしておいてくれとのこと,手摺は鉄の匂いがすること,アイスクリームは出来たら送って欲しいとのこと(時間はどんなにかかってもいい,のだそうだ)。それからパパに,ママにお礼の言葉,倉庫の電気は換えておいたから,庭の手入れは怠らないように,という注意事項も列記された。去年の落ち葉の挿し絵が,切られて貼られた写真の隣にあった。その分のスペースを予め確保して,全体図も,開け放した部屋から眺めた通りのものだった。それから野菜もきちんと食べるように,お腹を出して,毛布を蹴っ飛ばして眠り続けないように。面倒臭がって,宿題を渡しに来ないように,それとヤマカンは一日二度,間を置いて,体調が不調であればしないようにと,トイレの電気はつけ忘れないようにと言うように,手で書き記すように,段落も変えて打ち込んでいる。名前は文字で書いてあった。ひゅるひゅるひゅる,っとばかりに「とめ」とめや「はね」がうまいこといかず,だから上手とは,決して言えない。でも,一所懸命なのが分かるねって,一緒に見ていたママが言った。お酒を付き合って貰う機会が暫く無くなって,ネクタイを外したあとのパパは,寂しそうだった。僕は何度も読んだ。デスクライトが眩しくて,くいっくいっと,直して枕と眠った。
 ワープロで打ち込まれて,印刷したものを丁寧に製本した,日記だった。



 霧吹きから出る水が輝く。
 「中くらい」の電話を内緒で使って,一度,話した時には,元気なんだということを聞く前に先に教えられて,質問事項に沿う形で,元気だということを教えるのに苦労した。パパに見つかり,ママに替わって,戻って来た順番に,お互いに頼みごとをした。見つからないように,階段を降りて,見つかるように祈って,小さい鉢が並ぶラックの一番上から,カーテンから漏れる光を頼りに,つま先をカーペットに立てて,こうして見つけた。シンクを叩く音を気にして,蓋を緩めた状態で選んだ,廊下を渡る洗面所からの玄関に至る静けさと,オフになっていることを伝える,スイッチの青いライトは,手がかりまでの遠い気持ちが起こされて,どきどきと胸打つ,でも,足取りは止めなかった。再び踏ん付けたカーペットの上で軽く走り,カーテンは全部開けず,からからと鳴る,ドアから始まる外ではすぐにつっかけが目に入った。後ろは一度振り返り,他人のふりをしたソファーもクッションも台所の方ばかりを向いている。ママが読む,雑誌も低いほうの,机の上にある。風が入り込んだりする前に,靴下脱いだ素足にぴたっと吸い付くつっかけを,転ばないように引っ張って,からんと一度,セメントから芝生の感触にひと安心をした。撫でる風は,でも薄手の長袖に肌寒さを走らせた。勢い,息を短く吸う。吐いた息は,でも白くならなかった。まだそんな時期じゃなかったから,ただ,明かりがすんなり落ちてくる,その分だけ透る縮こまりが庭にあちこちに,それに昼に入って目立った曇天は,掃除機で吸い込まれたみたいにごっそりと,けれど残った小さい塊が,この時から移動していた。そういう青い,青い色。通信手段に長けている,二,三個の瞬きがある。塀に近い庭の奥。そこはママの領域であったし,パパはたまに,灰皿を持って行くぐらいだった。球根を植えたりしていたし,少し離れた場所で,夏に捕まえた蝉も。陶器の置き物は,ひとつずつ増えたり減ったりしていた。犬も居たし,風車もあったし。紛れていても。冷たく背中が,つるっとしていた。
 雨が好きだったなんて知らなかった。


 
 ◯月◯日,短い返事があった。
 靴を履いてくるという。お土産のクッキーは袋入りのものが多いんだそうだ。

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-11-02

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