密告者になろう
へぇ、旦那、旦那、こっちです。
すいません、暗くってわかりづらかったでしょう。このカフェはメッタに人もいないし、時間帯によってはマスターですら大鼾をかいて眠っているのでお話には向いていると思いまして……、エエ。ヘェ、そういえばまだ名も名乗っておりませんでした。私はアキヤマと申します。もしお疑いでしたら免許証でもお見せしましょうか。私が、これから旦那にお話しすることは、偽りのない、純粋に私が感じ取ったままの事実であると信じていただきたいのですから、今更名前なぞを隠したりは致しませんヨ……。
帽子?ああ、これはすいません。人とお話しするのに帽子も取らないなんて、些か無教養でしたね……エエ、取りますトモ。私の顔なんかで良ければ、じっくりとお眺めになってください……。
無教養ついでに……へへ、申し訳ありませんが旦那のお名前を頂戴してもよろしいでしょうか……。いえ、いかに人が少ないと申しましても、あすこに帽子をかぶった客が一人、いるでしょう。普段は誰もいないんですけれどね。珍しいこともあるもので……。店内で旦那、旦那と呼び続けては不自然かと思いまして、ついてはお名前をば……。無理にとは申しません。旦那に信用していただきたいのは私の都合であって、旦那から見て私が信用に足る人物とは限りませんものね。では……そうですね、単純な偽名ではありますが、「佐藤様」と呼ばせていただきます。その方がよろしいのですね。では、これからは佐藤様と呼ばせていただきます。ナニ、いいんですよ。
しかし、インターネットというのは不思議なものですね。様々な需要があるものです。誰しもが秘密を話したい衝動に駆られていることから生まれた『密告者になろう』というホームページ……佐藤様はこれを通して来られたのですから説明の必要などないでしょうが……このホームページに投稿してしまうと重要な事実が文字という形で残ってしまうし、誰がいつ記録を取っているかわからない……。だからこそ我々、『重要密告者』はこうして直接会って互いに秘密を話し合っているのだと思うと、インターネットの匿名性というのは、アナログには敵わないのでしょうね。デジタルでも、当然、ある程度まで保障されているのでしょうが……。もっとも、秘密を抱えたまま生きられない人間がもっともアナログな存在であるのに、こうして自ら秘密を漏らしてしまうのですから、どっちもどっちでしょうか。ホラ、「人の口に戸は立てられない」という例えもありますし、ね。
おお、すいません。話が横道に反れてしまうのが私の悪いところですねェ……へへ……。では私の『密告』を聞いていただきたいのです。偶に、こういう密会――まァ、密告者の会ですから、密会でしょう―-の際には、家人を殺した犯人を知っている家政婦とか、働いている社長の金庫の番号を知ってしまった掃除人とか、そういうイカニモな話があるそうですが……私の話は、佐藤様からすれば、アナログで話さなければならないような話ではないと思われるほどちっぽけな話です。それでも、私にとっては重要な秘密ですから、笑わないでお聞きください。
そう、密告と言いますのは、実は私自身のこと……私の秘密を、私が『密告』するのです。『密告』は二つ。当然、他言は無用ですよ。私はあなたを、信じています……。
◆
どこからお話すれば良いのか、実は私はまだ決めあぐねているのです。長々と私の話に付き合っていただくのは心苦しいですが、話そびれて消化不良があっては、元も子もない。だからほんの少し長くなるかもしれませんが、できるだけ早く終わらせますから、許していただけませんか。あなたの『密告』も聞かせてもらわなければなりませんし。
私は、母と姉と妹と、暮らしてきました。父は妹が生まれる少し前に女を作って逃げてしまいましたので、家族の中で男は私一人でした。ところが、私が高等学校にあがった頃に、母が病に伏せってしまいました。末期癌で……エエ……肺にも転移していて…………………………………………………………………………………………すいません、すぐに泣きやみますカラ……ええ、ええ。すいません。みっともないところをお見せして……。ええ、大丈夫です。……間もなく母は亡くなりましたが、私には9歳離れた姉がおりまして、すでに働いており、また、母の死亡に依る保険金もそれなりに入っておりましたから、苦しいながらも生活は維持できました。
そこからです。姉がおかしくなったのは--。いや、姉が私におかしかったのは元から、だったようですが……ともかく、一般人という枠の外に出たとハッキリ認識できたのはあの辺りからでした。
ある夜、私が布団に入って寝入っていた時、身体中がもぞもぞとしました。まるで、乾いた蛸でもいるかのような……。慌てて布団を開けると、顔を真っ赤にして酩酊した姉が、私の身体をまさぐっていました。私は、母が亡くなったばかりで気が沈んでいた姉を見ておりましたので、今日は酒に酔いたい気分なのだろうとーー私も未成年でなければ酒に逃げていたかもしれないとーーそう思い、布団の中で姉を抱きしめました--あらぬ疑いをかけられる前に断っておきますが、これは家族愛です--すると、姉はより激しく、私の身体をまさぐり始めました。私は正直、気持ちが悪いな、と思わざるを得ませんでしたが、酔いが醒めれば終わることでもありましたし、そもそも私にも姉を跳ね退けるほどの気力はなかったのです。それほどまでに、母を失った私たちは疲弊していたのです。
その蛸……ならぬ姉は私の性器を手で手繰り寄せると、撫でたり吸ったりとおおよそ家族の間では考えられないことを始めました。その他にも、まァ色々……。そして、最終的には、その、なんといいますか、近親相姦をしてしまったのです。
すべてが終わって、姉が私のベッドで半裸になって眠った時、私が何も言わなければ終わる話だと思い、口をつぐむことに決めたのです。ところが、姉は私が起きるまでベッドにおり、昨日の痴態のことを微に入り細に入り話し始めました。私にはそれが何を意図しているのかがわかりませんでした。そうこう、考えているうちに、姉が大真面目にこう言うのです。「私たちの母さん父さんは幸せな家庭を築けなかったから、私たちが新しく幸せな家庭を作ろう」と。
私は、姉が母の死によって気ちがいになってしまったと思って、それは普通じゃない、僕以外の人と幸せになるべきだ、と諭しましたが、姉は私のことがずっと好きだったのだと言います。前は母がいた手前、それを実行に移すことは能わなかったけれど、母がいなくなったからには、もう、ニガサナイ……。と言うのです。私は子どもの頃に呼んだ妖怪の漫画本なんかの、蛇の妖怪ーーあれを思い出しました。私はまさに睨まれたカエルのように動けなくなって、表情がなんとか引きつった笑いを取るのが精一杯でした。あの、瞳孔が吃と締まった眼を見て、動ける男はそういないと思うのです。
そうして、姉と肉体関係を持ってしまった高校生の私は、金銭的な事情で一人暮らしをすることもできず、また、親戚付き合いもなく、そういう問題をどこに相談すればよいのかをわかっておりませんでしたし、仮にどこか、児童相談所のようなところに相談したところで、行政が行うであろう処置……つまり、どのような形であれ、姉と私が離れ離れになってしまうのが、たまらなく淋しかったので何も言えませんでした。……そう聞くと、私が姉に恋慕の情を欠片でも抱いていたように聞こえるでしょう?それは違います。それだけは違います。私は、姉と肌を重ねた時に、抱いたのは嫌悪のみでした。それは間違いありません。何も、姉の容姿が悪いわけではないんです。ただ、私は幼い頃に父がいなくなり、そして母が亡くなったことで、家族の損失について臆病になっていたのです。そう考えてしまうのも、仕方がないことだと思いませんか?嫌悪したからといって切り離すことができないのが、家族ではないでしょうか?私の思いは間違っていますか?……すいません、少し熱くなってしまいした。コーヒーのおかわりを……あなたはエスプレッソでもいかがですか。
失礼しました。それでは続きをば……。
そうして、姉は公然と私のことを恋人扱いし始めました。買い物にただついて行くだけならまだしも、手を繋いだり、腕を組んだり……。車の中でキスをせがまれたり、一緒に風呂に入ったり、流行ってない映画館の中で性交したこともありました。買い物途中に、スーパーの障害者用トイレの中でも……。私は、言葉の上では逆らいこそしましたが、拒めなかったのです。なにせ、姉が傷心して、私と妹を捨ててしまったら……そんなことはしないと、私は姉を信じていますが、万が一、そう思うと、私は胸が締め付けられました。
姉は、私が行為を拒まないことで、却って好意があると勘違いをしたのでしょう。私の部屋で膝枕をして、またあの真面目な顔で「今度こそは赤ん坊を作ろう」と、そう言いました。私は、吐き気を我慢した自身を褒めてやりたいと思います。禁忌とされている近親相姦で、赤ん坊を作るなんて何を考えているんだろう……。私はますます、姉から逃げられなくなっていくのを感じました。
そこで私は、恥を忍んで中学生の妹に相談を持ち掛けました。最近の中学生は性が進んでいると聞いていましたから、妹には少し早いかもしれないと思いながらすべてを話しました。姉が関係を迫ってきていること、私がそれを快く思っていないこと、このままではなし崩しで子どもができてしまうだろうこと--妹は母が恋しかったろうに、母がいなくなってからも気丈に生きていて、それこそ僕が頼りたいくらいに心強かったのを覚えています。それからは何度も妹の部屋に行って、妹の膝を枕代わりにしながら話していました。あの時の私にとって、どんなことよりも心安らぐ時間だったのを覚えています。妹はそんな私を優しく撫でて、優しく、優しく話を聞いてくれるものですから、私もつい赤ちゃん言葉になって、彼女の指をですね、へへへ、咥えながら、話したものです。妹は一瞬、躊躇しながらも、指を咥えさせてくれるんですよ。私の妹の可愛さが、佐藤様にも伝わればいいのになァ……。きっと、虜ですよ。神々しくって、女性らしくって……。ああ、だめです。妹の可愛さは僕が独占するんです。佐藤様には他に、きっと良い人がいますヨ……。
妹に話を聞いてもらうようになってから、姉は僕と出会えなくなりました。なにせ僕は毎日妹の部屋にいるのですから、姉が僕と会えなくなるのも当然の帰結です。そう、毎日です。姉は、妹に対しては僕らの関係を隠そうとしていましたから、私を無理矢理連れ出すこともできなかったのでしょう。私が妹の部屋で寝泊まりをし出してからは流石に文句を言い始めましたが、「妹が母がいなくなって淋しがっている」とかナントカ嘘を吐いて、ずっと一緒にいました。僕が夜中に起きた時なんかには、姉が僕の部屋のベッドに寝転がって「私の赤ちゃん、赤ちゃん」と泣きすがっておりましたが、家族でなければ見捨てているような人非人のことですから、私は気持ちが悪くなって見ないふりをしたものです。ああ、あの時、私はなぜ酩酊した姉を抱き締めてしまったのだろう!あれがなければ、私は引き返せたはずです!このまま姉がカフカの『変身』のごとく芋虫になってくれれば、僕は気兼ねなく駆除ができたのに、と思うほどでした。
一方、妹は、私の話をよく聞いてくれました。そして、姉から守ってくれました。妹は私のことが好きに違いないと思い、キスをしました。妹の胸に触れました。妹の腹に触れました。そしてその下にも触れました。撫でたり、吸ったりしました。性交を--しました。妹は、言葉の上では嫌がっていましたが、押し退けたり、逃げたりはしませんでした。これは好きに違いがありません。これを好意と捉えない人は、恋愛をする資格がないと断言して差し上げましょう!僕はその羞恥が見たくて、見たくて--つい、ひどいことをしてしまうのです。
そして、妹と過ごすうちに、私はとうとう夢を口にしてしまいました。「父と母のことは残念だったけれど、僕と君で幸せな家庭を作ろう」と。僕は精一杯の恰好がつく顔で言ったつもりでしたが、妹は薄笑いをしたまま固まってしまいました。きっと、急に言われたから心の準備ができていなかったのです。心の中では嬉しいに違いなかったのです。僕は姉を遠ざけるために、よく妹と手を繋いで外出しました。腕を組みました。私も若かったですから、外で妹の身体を蹂躙したりもしました。かつて姉と訪れた映画館で、記憶を上書きするように性交してみせたこともあります。風呂にも、一緒ニ……。
おや、佐藤様、どうしました?この店のエスプレッソは苦すぎましたか。あまりに渋い顔をされるものですから、私の話が不快だったのかと不安になってしまいました……。
どこまで話しましたっけ……。そうそう、ともかく私は妹と関係を持ってしまったのです。エっ、それが二つ目の秘密か、ですって?滅相もない。妹と恋人になることなんて、どこが問題でしょうか。確かに家族同士ですが、愛する人がたまたま家族だっただけです。却って、縁を感じました。ああ……妹がいてくれなければ私は姉から逃げられなかったことでしょう……。それを考えるだけで、おぞましい……。
私の二つ目の秘密というのは、妹の身体に、愛の結晶ができてしまったことなんです。私はこれを聞いたときに小躍りしてしまいましたよ!親になるって、いいですね……。うっとりとしてしまいます。佐藤様はもうご結婚はなさっているんで?……なるほど、まだ独身でしたか。結婚はいいですよ。心が豊かになる。早いうちにご結婚なさい。まァ、私もまだ法的には結婚したわけではないのですけれど……。話を戻しましょうか。僕と妹の関係の開始から2年が経ち、妹は高校生、つまり16歳になりました。女性であればもう結婚ができる歳です。私としては、高等学校を辞めて僕の家庭に入って欲しいんですがね、妹としてはそうしたくないそうなんです。まァ、今の世相からすれば、高校くらい出たいという妹の気持ちもわかるんですけれど……。
おっと、ここからは『密告』ではなく相談になってしまいますね。へへ……すいませんでした。後半からは、のろけ話になってしまって……へへへ……僕の『密告』は以上です。長くなってしまってすいません。夕飯時ですね。ここのスパゲッティは美味しいんですよ。僕の奢りで、どうです?エっ、食欲がない?それは残念。
それでは、引き続き佐藤様の『密告』をどうぞ。
◆ ◆
……なるほど、佐藤様は教師をしていらっしゃるんですね。失礼ですがどこの……ヘェ、○○高校……。教え子と関係を持ってしまったと。佐藤様も自らの『密告』ですか?はぁ、違うんですか。ヘェ……。じゃあその生徒の『密告』なわけですか……。エエ、そこの女子生徒から「兄に関係を迫られて困っている、兄は気持ち悪くて、精神を病んでいて、関係を拒んだら何をするかわからない」と相談を受けているうちに良い仲になったと……。エエ、エエ……………………………………。
エーっ、先生とその生徒の間に子どもができたんですか。そして先生と一緒に暮らしたいと言っている……。婦人科で色々調べた結果、その子どもは先生との間にできた子どもに間違いがない……。ちょ、ちょっと待ってくださいよ。ドウモ話が混乱しますナ……。し、失礼ですが、そ、その生徒の名前は、な、な、な、ナント言うのでしょうか……。ア、ア、ア、アキヤマと言うんですか……。アキヤマ トウコ……。待ってくださいよ、待ってください。ソンナ……。ソンナことがあってたまるものですか。うるさい、ちょっと待てったら!まさか、まさか!い、妹は僕のものだ。僕をあんなにも優しく、優しく撫でてくれたんだぞ!僕を拒まなかったんだ!僕は母親を亡くしてかわいそうなんだ!僕から妹を奪うのか!この人非人!お前にその権利があるのか!僕が妹の初めての人だ!僕が、僕が、僕がーー!
ナっ、なんだ!もう一つ『密告』があるだと!?ソンナもの、どうでもいい。そこらの畜生にでも話してろ。知るか、お前なんか、お前なんか、妹は知らないって言うぞ!彼女は僕の味方なんだ!お前は何様だ!いきなり私たちに割り込んできやがって!クソっ、なんだこのマズイコーヒーは!まるで土だ!僕は土を飲みに来たんじゃないんだぞ!あのドグサレ店主め!こんな店、二度と来てやるもんか!なんだ、なんだよ、まだお前、ここにいたのか。帰れ!帰れ!ナニ……もう一つの『密告』を″畜生″に話したら帰る、だと!?僕が畜生だって言うのか!ふざけやがって!ナニ?その生徒の兄の『密告』だと?……つまり、ソレは僕じゃないか!僕のことを僕に『密告』するなんて、ハハハ、さてはお前、馬鹿だな?本人に『密告』してどうする!ナニ?いいから聞け、だと?ふん、狂人め、ペテン師め、クサレ脳みそめ!良いだろう。言ってみろ。お前ごときが何を言おうと、僕はもう動じない。妹のこともどうせ嘘なんだろうーーエっ、「振り向け」?ハッ、それが『密告』か。何を言ってるんだ。この店には今、客が一人いるだけだろう。
今…
客が一人いるだけ…
客が…
一人いるだけ…だ…ろ…アアア……
ね、姉さん!なんで姉さんがここにいるんだ!ち、違うんだ。今のは全部でたらめだ。嘘だったんだよォ……へへ……僕は姉さんも失いたくないんだ。姉さんも僕を失いたくないだろう?姉さん、姉さん!そ、それよりもアイツだ!アイツはトウコと一緒に暮らすなんて嘯いてるんだ!愛しい妹だぞ!アイツが憎いだろう!アイツは僕らから家族を奪おうとしてるんだぞ!そんなひどいことを言ってるんだ。アっ、アイツは鬼だ、悪党だ、悪魔なんだ……!
エっ、家族ならもう失われている……?姉さんの、お腹の中にできていた赤ん坊……もう堕ろした……。姉さん、やっぱりあの時、できてたんだ……。い、いや違う!やっぱり、じゃない!僕はそんなの知らない!ぼ、僕の、僕のせいじゃない!アアア……そんな蛇みたいな目で見ないでくれ!ご、ごめんなさい!僕のせいじゃないんです!許さないなんて、言わないで……
ーーオイ!お前、勝手に帰るな!大体ナァ!先生と生徒が恋仲になるなんて倫理的に許されると思っているのか!?ナァ!聞いてるのか!佐藤……!
(了)
密告者になろう