平凡と思われる、初老の男の手記
「えぇ、えぇ、えぇえぇ。そう、私は、これからいつ死ぬかわかりません。あと五十年、二十年、それとも、明日か、一月後か。しかし、その時はいずれ来るのです。必ず来るのです。そう、その時はどうか、私の願いを聞き届けてやってください。
それはなにかともうしますと、実は、葬式をとり行わないで頂きたいのです。通夜なんか、全然やらないで頂きたいのです。奇妙な願いだと存じましょう。しかしこれが、私の本望なのでございます。
葬式も、告別式、通夜など、すべての私の死に関する儀礼を、行わないでください。もちろん、お別れ会などもです。
それは、葬儀代を避けるとか、宗教法人の金儲けを嫌うとか、そんな意識から望むんじゃありません。ただ単純に、私はそれらを行って欲しくない。
いや、この言い草も正確ではありませんね。正確に申し上げれば、私は、自分が死んだら、この世にはなにも自らの痕跡を残したくは無いのです。全く、完全に消えて無くなりたい。ほんとうに、完全に無になりたいのです。出来れば、戸籍も、住所も、私が存在したすべての書類をも、消し去りたい。しかしそれは不可能ですので、せめて未来に私を残したくない。
ですから、墓なども用意していただかなくても構いません。いやむしろ、墓など作らないでください。墓になど、私の存在を押し込めないでください。
私は、世を儚んでいるのではありません。他人の愛情を与えられなくて、自暴自棄になっているのではありません。この奇妙な願望は、私の自然な願いなのです。
自殺願望もありませんし、狂信者でもありません。ただの、譲れない願いを持った小市民でございます。
ああ、もうここまで言ったのだから、正直に申し上げましょう。私は、自分が死んだ後、存在が無に帰ることを、安らぎとして生きてきました。何もかもが失われ消え去るという予測に、喜びがありました。甘美な、暗い情動がありました。ですから、それのみを信じてこの命を生きてきました。その考えに縋って生きてきました。そして、これからも今までと同じ通りに、生きていくことでしょう。
この世が苦しいのです。世界が辛いのです。ですから、無を望む。
私は変態ではない、まして精神病ではない。どこまでも正常です。もっとも、狂った世界が正常と認めるのは、狂った人間だけなんですが……。
私には家族も財産もありません。私が死ねば、少ない家財道具は社会に飲まれるでしょう。捨てられ、ゴミとなり、焼かれる。あなたは惨いと思うかもしれませんが、それこそが私の望むところ。持ち物など、そうなるしか幸せな道はないのです。
私は火葬に伏されるでしょう。そこで、あなたにお願いがあります。遺灰を、海か山、どこか自然の中に撒いてください。いや、いや、自然の中などもったいない。それこそ人生に未練がある。そう、どこでも良いのです。都会の薄汚いドブにぶち込んでください。油で汚れ切った大川に流してください。海になど行く必要はありません。
あるいは、劣悪品のセメントに混ぜて、暗い雑居ビルの壁にしてください。酔っ払いの立ち小便を引っ掛けられるような、コンクリート塀の材料にしてください。私は、死後誰からも尊重されたくないのです。むしろ、存在にすら気づかれないでいたい。この現実社会の無機質の中に、無機的に埋れていたい。永遠に。
その時にこそ、私は安寧を手にいれるでしょう。心臓が脈打つ間、手が、目が、現実を認識している間、決して訪れなかった安らぎが、無音で訪れるでしょう。いや、それは安らぎではありません。安らぎとは、原則的に苦痛の可能性を内包しているからです。逆も言えましょう。苦痛は、安らぎの芽を含んでいるのです。
その時になれば、そもそも私は存在すらしていません。ですから、安らぎも苦痛もない。表情もない、声もない、記憶も喜びもない。私は無いんです。
繰り返させていただきます。
絶対に、葬式も、通夜も、執り行わないでください。墓も、遺灰も、この世に残さないでください。ご迷惑かもしれませんが、重ね重ねお願い致します。
こんな非常識な願い、あなたは叶えられないと仰るでしょう。少なくともあなたが私に同情しても、世間がそれを許さないと仰るでしょう。世間の人々は、ひいては我々日本人は、そのような突飛な提案をひどく嫌がるのですから。そして、なんのらためらいもなく、それらを無視することができるんですから。
あなたはそれをよく知っている。私ももちろん、その事情をよくわかっている。こんな願い、そもそも現実的じゃあ無さすぎる。
しかし、しかしでございます。だからこそ、だからこそこのように私はお願い申し上げる。謙って、懇願している。あなたが気まぐれを起こし、この手記を振りかざし、世間をなんとか納得させ、私のささやかで、人生をかけた唯一の願いを、聞き届けて欲しいのです。
万にひとつです、万にひとつ、あなたがこの願いを受け入れてくれる。その可能性を希望として、私はこれからの日常を生きていくでしょう。
ですから是非、是非お願い致します。どのように死ぬかわからない。誰がこの手記を読むかわからない。でも、この手記を読んだあなたに運命を託す。あなたは、私の友人でしょうか、それとも、見知らぬ都会人でしょうか。でも、あなたにこれを託す。私の、人生をかけた運命を託す。心より、お願い致します。
昭和○○年 荒川謙吉」
荒川謙吉は、肺を患って、都内の病院で死亡した。家族がいないので、誰も看取らぬ寂しい最期だった。
この手記は、彼の自室の戸棚から見つかった。全財産を預けている銀行通帳に、黄ばんだこの手記が挟まっていた。
荒川謙吉の葬儀は、彼が長年務めた工場の所長が主導して執り行われた。参加した誰もが、手厚く、純粋に弔った。
彼の故郷である新潟の、遠い親族が代表でひとり、上京した。
謙吉の残した少ない預金は、葬儀代となって消えた。足りない分は、新潟の親族が負担した。
謙吉の遺灰は、新潟の荒川家本家の代々の墓に収められた。
謙吉は梨が好物だったので、墓前には梨が供えられた。
……
この手記は、誰にも読まれなかったわけではない。幾人かが目を通した。
しかし残念ながら、誰にも理解されなかった。
平凡と思われる、初老の男の手記