黄昏れの使者 〜ロリポップ・ガール〜

2

 テナントオフィス用のエレベータが、通用口のある2階フロアに到着した。ドアが開くと少女が1人立っている。
「お疲れさま」
「来ちゃったの?」
「うん。町中のセンサー類全部死んでるし。あっちは今頃喧々囂々。警察もてんやわんわ。だから平気だよ」
「ケイ」
 軽く、諌める。
「ハイハイ。壁に耳有り、障子にMaryね」
 私は肩にトートバッグを提げている。中身は、ライフル。分解し、カモフラージュされている。
「またつまんない事言って」
「早くウチに行きましょ」
 そう言って、ケイは私の袖を引っぱった。
 私たちは普通の親子のように通用口を出た。
 タワーの外では、夕闇にエアパトがサイレンを鳴らしながら飛び交っていた。
「てんやわんや」
「ケイ!」
「ハイハイ」
 私たちは普通の親子。本当にそうなのだけど。
 私のバッグの中身について。そしてそれをステルス化してしまうケイのスキル。私とケイは親子であって、同時に仕事上のパートナーだ。
「おじさん、大丈夫かな」
「あぁ、彼なら心配ないよ」
 私たちは依頼人とは接触しない。もちろんターゲットとも。
 私たち親子は、エイジェントとして仕事をこなしながらセイフハウスを転々として暮らしている。町の人とは上辺を撫でるように付き合う。「そういえばそんな親子が居たかも。だけど、よく覚えていないな」って具合。だから、ケイには友達がいない。
 日本人とアメリカ人のハーフ。黒い髪、黒い瞳。だけど顔立ちはあの人に似ている。すらりとした長駆で、街を歩けば人は振り返る。それでもケイはそしらぬ風で歩いていく。子どもの頃から身に付いた習慣。殺し屋は目立ってはいけないはずなのに、彼女はどの町でもちょっとしたポップアイコンみたいなものだった。流れ者。私たち親子が訪れれば事件が起き、事件とともに去る。「どこの学校?」なんて訊かれることも度々だが、彼女は「東京のインター」なんて言ってかわしている。これも子どもからの習慣。平日日中にうろついていると怪しまれるので、彼女は人生のほとんどの時間を小さな部屋の中で過ごしてきた。もし私が撃ったあの子のように笑い合える友達がいたら。
 私たちのIDデータは、公式には全く保存されていない。あるのは最低限の生活を送る為に必要な偽造データ。偽りの名前、偽りの人生。
「今回も、上手くいったね」
 彼女が声の調子を落として囁いた。
「そうね」
 上手くいった。そうかもしれない。失敗すれば、私たち親子の生活は破滅する。一度だって失敗は許されない。命を頂いて生きる。大きな幸せは手に入らないかもしれないけれど、ささやかな親子の日常。血の色をした小さな幸せ。だから、彼女がドンドン染まっていくのが心底辛い。目映い少女として成長していく娘が、将来裏の世界でしか生きていけないのではないかと思うと、もし僅かでも可能性があるのならば陽の当る場所で安穏として暮らせるようにしてやりたいという気持ちが強くなる。
「今晩、何食べようか」
「私、ラーメンが食べたいな」
「え〜、また?」
「だって、好きなんだもん」
 確かに肌寒い。秋の日はつるべ落としってヤツか。
「それじゃ一回、荷物を置きに帰らないとね」
「え〜。センサー類は全部ブラックアウトだよ。気にしなくていいよ。もし必要ならば…」
 そういって、彼女は携帯端末を取り出す。
「ダメよ。なんだってそうやって帳消しにできるわけじゃないの」
 人生は帳消しになんかできない。どんなに暗い記憶でもそこにあり続ける。
 ケイはプッと膨れる。
 10代の少女。長い手足。艶やかな髪。くっきりとした目鼻立ち。どれもこれも眩しいばかり。だからこそ、私のような人生は歩ませたくない。もう血はたくさんだ。この年頃特有の儚さや危うさが、段々と血の色に染まり、果てには私のように血の臭いがまとわりつく真っ黒な大人へとなってしまうのではないか。この子だけは私が守りたい。
 市域の中心部は、いつもと変わらない灯りに包まれている。行き交う人達もいつも通りだ。だけど時折耳に届くのは、ひそひそと聞こえる「殺人事件」という単語。不安げに足を速める人もいれば、まったくいつも通りとばかりの人もいる。この町で「抗争」が始まってからは、町の人にも「慣れ」が生まれ出している。人が死ぬ事に慣れる、か。私は、未だに慣れない。現に今だって腹の底ではイガイガとした何かが蠕動(ぜんどう)し、私が心の中で弁疏(べんそ)していた良心を責める。屈託のないケイの笑顔だけが私を癒してくれると同時に、その明るさが内面の暗さにくっきりとした輪郭を与える。
 小さな繁華街を抜けるとすぐに穏やかな住宅街に変わる。私たちのセイフハウスは、以前ならば学生が好んで借りていたようなアパートだ。今では外観もすっかり煤けてしまい、住人は学生ではなく、日雇いの中年や片親の世帯ばかり。事前のリサーチでは住人の入れ替わりも激しく、近隣の住人もあまり関わり合おうとしないらしい。私たちにとって格好の隠れ家だ。
 目立つ外見で学校にも通っていない年頃の少女と、母親は時折出かけるが、大方職探しといったところか。どこかに男でもできたら部屋を出て行くに違いない。
 そんな風にでも思わせておけばいい。
 それが純粋なる偏見であっても構わない。私たちにはそういう先入観こそがありがたいのだ。人権が、尊厳が、そんなことは他の誰かにやってもらえばいい。第一、私たちは他人様(ひとさま)の命を奪うという、最大の人権蹂躙を行っている。
 音の響く金属製の階段を上り、セキュリティ上まったく役立たずなスチルドアの前に立つ。廊下は照明が疎らだ。
 バッグを肩から下ろし、ケイに渡す。
 私は、少し屈んでズボンの裾をめくり、アンクルホルスターからナイフを抜く。ケイはバッグから取り出した鍵を私の右手に握らせた。 
 鍵をあけ、ゆっくりとドアを開く。部屋の中は、ケイが常時使用しているラップトップ3台のモニタの灯りで仄かに明るい。人影はない。
 玄関に入ると脇に備え付けてある下駄箱を開け、一番手前のショートブーツから銃身の短いハンドガンを1丁取り出し、ケイに渡した。
 私は先に部屋に上がり、枯れ草に被われた裏庭に面するベランダへとまっすぐ向かう。ベランダの掃き出し窓には薄いレースのカーテン。外から差し込む陽の光は通すが、外から室内を伺う事はできないという防犯カーテンだ。カーテンの繊維には赤外線と摩擦を感知するセンサーが編み込まれていて、契約先のセキュリティ会社が常時監視し、もし侵入者があれば警備員が駆けつけるという代物。セイフハウスでは、センサーはケイが使っているラップトップの1台につながっており、侵入者の形跡を記録している。形状こそ違え、同様のセンサーが部屋の全ての侵入可能経路に設置してあり、監視している。
 私は窓を開け、ベランダと周囲を確認した。
 ケイは部屋の照明を灯し、センサーの記録を確認する。私に「OK」の目線を送る。
 私は室内を一通り確認すると、足からホルスターを外しナイフを鞘に収めた。
 ここまでの一連の動きがいつも決まった「ただいま」の儀式だ。
「じゃ、いつもの所にしようか」
 緊張の糸を緩めて言う。何事もなかったようにケイも続ける。
「う〜ん、この前隣のオジサンに聞いたら、国道沿いのお店が美味しいって言ってたよ」
「あんた、いつそんな話したの?」
 諌めるような、呆れるような。
「たまたまよ」と、ケイは何事でもないように言う。手にしているハンドガンにセイフティをかけたのか、指でくるくると回し、玩んでいる。
「alright」
 無意識に肩をすくめてしまう。アメリカ暮らしの僅かな名残り。
「その店って遠いの?」
「う〜ん、ホームセンターのちょっと先って聞いたから、歩いて10分ってところかな」
「そう」
 押し入れのふすまを開けて、ライフルが入ったままのトートバッグと外したホルスターを仕舞った。商売道具であるライフルのメンテナンスは、戻ってから入念に行う。今は護身用に代わりを選ぶ。
「ケイ、どれにする?」
「えー。どれも嫌なんだけど」
 ケイは露骨に嫌がる。現にさっきはタワーまでも丸腰で来ていたくらいだ。
「そう」
 私は先ほどよりも大振りの、普段携帯しているコンバットナイフの収まったショルダーホルスターを選んで、パーカーを上から羽織った。
「ラーメン、行きましょ。お母さま」
 ケイは、下駄箱のブーツに銃を戻した。無骨なデザインのワークブーツ。ただ銃を仕舞っておく為だけに買ったもの。お洒落の為に履くブーツは、私には縁がない。滑らない、転ばない、音を立てない、そして目立たない。ソールの厚いスニーカーか、ソールにゴムを張ったパンプス。服装についても、カジュアルならばジーンズにパーカー、フォーマルならダークスーツの一張羅だ。娘からは「もっとお洒落したら?」と皮肉のように言われる。逆に母親としては年頃の娘にお洒落をさせてやりたいが「見すぼらしくなかったら何でもいいわ」なんて言う。プロ意識なのか、私への気遣いなのか、それとも本音か。ケイはそういうことがわかりにくい子だと思う。もっと子どもらしくてもいいのに。だけど。
 部屋の灯りはつけたままにして、再びドアを閉める。
 タワーのある市の中心部は夜でも煌煌とし、黒い空を赤々と染める。私たちは郊外へと伸びる国道を並んで歩く。
 国道は渋滞していた。渋滞を嫌って、地上路面にエアカーが流入しているのだろう。いつもなら3層に区分けされたエアゾーンを分散して航行しているエアカーも、地上に一番近いゾーン1のみに航行規制されていて、かなり停滞している。市域外へと伸びる国道に検問が設置されているということだ。
「私たち、かなり人目についてるんじゃない?」
 ケイは、車列を一瞥する。
「そうね。いくらアナタでも人の頭の中まではクラッキングできないよね」
「う〜。やってみた事ないけど、試してみる?」
 ケイはニィっと笑う。
「もしできたら、アナタは本物のマジシャンになっちゃうわね」
 私も彼女のジョークに付き合った。だけど彼女は、「もしできたら…」と言って黙り込んでしまった。
 ヘッドライトが連なる国道。腹立ち紛れのクラクションがあちこちから聞こえる。歩道に人影は少ない。いつもなら街灯のセンサーやカメラも私たちの姿をはっきり捉えてたことだろう。しかし今日は朝から全てのセンサーがブラックアウト。データを管理していたサーバも、バックアップ諸共役立たずの状態だ。
 ケイの通り名は「キャンディ・マジック」、ただのハッカー、クラッカーではない。ネットワークを通して扱えるものはほとんど何でも手指にしてしまう。サーバーの設置されている施設の電源を操作し、コンピュータへ過負荷をかけて物理的なダメージを与えるなんてことも朝飯前。電気設備自体がその負荷に耐えられず、漏電火災で建物全体を炎上させたこともあった。日中、狭いアパートメントの部屋の中でラップトップと共に過ごしきた育ってきた彼女だからこそのスキル。もはやネットワークは彼女の神経細胞の延長とも言えた。同世代の友達との他愛のない会話や笑い声。箸が転んでも可笑しい年頃。ファッションや音楽、そして男の子の話で話題が尽きない。遠い過去の私にもあった、微かな記憶。
 軒先に赤い幌屋根を突き出したラーメン屋に着いた。
 大将が張りのない声で「らっしゃい」と言ったように聞こえた。人の疎らな店内で、私たちは壁と天井のトライアングルコーナーに取付けられたテレビが見える場所に座った。テレビではローカルニュースの時間だった。
 70歳にはまだ何年か間のありそうなおばさんがお冷やの入ったグラスを2つを持ってきた。私は味噌もやしラーメン大盛り、ケイはチャーシューメン煮玉子乗せを頼んだ。
 他の客が麺を啜っている。
 カウンターの中で初老の主が調理をしている。
 その連れ合いと思しきおばさんは、カウンターの傍らに立ち、私たちと同じようにテレビを見ている。
 壁にはラーメンのメニューが、短冊に手書きされていた。
 その横には何年も前から貼付けられて色あせた指名手配犯のポスター。
 私が日本に戻り仕事を始めた当初は、「本宅」にあたる家で生活を送っていた。私が仕事で留守をする時は、エイジェンシーのスタッフがシッターとして協力してくれてた。ケイもエイジェンシーのスタッフやその家族等と交流を持ち、私たちの境遇にしては恵まれた環境だった。ただその環境は誰にでも与えられる「普通の生活」ではなく、事情を抱えた者同士が寄り集まったクローズドサークルだった。ケイにパソコンを教えたのは、エイジェンシーで情報操作を担当していたオフィサーだった。彼女は私が所属していたエイジェンシーでもトップクラスのスキルを持つ女性、クレイジー・ボム。当時はまだ二十歳くらいだった。小さかったケイの為にオリジナルで簡単なゲームを作ってくれたりしていた。学校に行けないケイが、計算や語学など基本的な教養、知識を身につけられるような配慮までしてくれた。制限だらけの退屈な毎日で、ケイはクレイジー・ボムの与えてくれた魔法の小箱に夢中になった。お陰で通常の社会生活への心配はなくなったが、同時にコンピューターがケイを捕えて離さなくなってしまったように感じた。
 クレイジー・ボムと呼ばれた女性が死んだのは、ケイが14歳の時だった。セイフハウスにいた彼女は何者かの襲撃を受けて殺された。エイジェンシーのメンバーがセイフハウスで襲撃されるというのは、あってはならないことだ。エイジェンシーは襲撃犯の特定とその依頼人等について、徹底的に調査し、そして我々は速やかに報復をした。だが代償として、メンバーやその家族が暮らしていたセイフハウスをすべて放棄し、別々の場所に身を隠す必要が生まれた。私たち親子もその一件を機に「本宅」を手放し、本当の意味での放浪生活を送るようになった。そして同時にエイジェンシーはケイのスキルを認め、私のパートナーとして情報操作全般を任せるようになった。私が家にいる間は遠慮をしていたのか、彼女はあまり我が家には顔を出さなかったが、クレイジー・ボムの英才教育はチャットなどを通じて続いていたらしい。彼女はケイに自身の知識、技術の全てを残していった。そして彼女がいたという記憶、思い出も。

「はいラーメン2丁、おまたせ」
 柔和な声が聞こえた。私たちの前には白い湯気が立ち上る丼が2つ。
「味噌もやしラーメン大盛りは?」
「あ、私です」
「じゃ、こちらはチャーシューメンに煮玉子ね」
「はい」
 ケイは箸と散り蓮華を両手に構え、臨戦態勢だった。
「いただきます」
 自然と2人の声が揃い、熱いスープに口をつける。
「どう?」
「うん、おじさんが言ってた通り。私こっちのお店の方が好き」
「そう。母さんもよ」
「じゃ、次からこっちにしようよ」
「そうね」

黄昏れの使者 〜ロリポップ・ガール〜

黄昏れの使者 〜ロリポップ・ガール〜

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 成人向け
更新日
登録日
2014-10-31

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