放課後群像劇
1,吹奏楽部 秋嶋真湖(あきしままこ)
ひとつ、情けない話を聞いてくれるか。
私には、ひとつ下の後輩に私を慕ってくれる子がいる。私と違う楽器担当だというのに、センパイ、センパイと私の周りをうろちょろするのだ。同じ楽器の三年のところへ行けと言いたいが、そいつはチューバ、私はユーフォニウムと似た楽器であり、またそれぞれの楽器の担当が自分しかいないのだった。顧問や他の部員から一緒に扱われることも多々あり、いつの間にか、そいつがまっさきに頼るのは私になっていた。直属の、先輩にあたるのだろう。
私は認めたくはなかったが。
率直に言えば、私はそいつが好きではない。仮に同じクラスであったならば、用がない限り近づきたくはない。距離を置いておきたい人物だった。
もう一度言うが、好きではないだけで、そいつが嫌いなのではない。
そいつに問題があるわけではない。素直で真面目で、部活の練習では誰よりも集中して取り組み、着実に課題をクリアしていき上手くなっていった。噂に聞けば成績優秀で常に10番以内をキープしているらしい。先生や先輩、年上に対しては礼儀正しく、同学年や後輩には優しい。容姿もそれなりに整っているから、ひそかにモテるらしい。そいつと同じ部活だと言うと、男女問わず皆「羨ましい」と言った。
そんな、人望があり、まるで後輩の見本と言うべきそいつを、私は好きではない。
完璧すぎて、気持ちが悪いのだ。
つまり、生理的に受けつけないのである。
だが、しかしながら、そいつは何も悪くはないのだ。そして私も悪くはない。
気持ち悪いと思いながらも、そいつは確かに私の可愛い後輩なのである。
頼ってくれるのは、先輩として嬉しい。気が利いて、雑務も率先してやってくれる。たまに褒めると、素直に喜び笑顔をみせる。かわいいと思う。かわいいと思うのだが、私はそいつだけに線を引く。そいつと距離を取り、決して近づかせないのだった。
周囲と比べて、私たちの先輩後輩関係には温度差があった。他の楽器パートには少なからずある和気あいあいとした雰囲気はみじんもない。柔和な音色のわりに練習はどことなく凍った空気があると評され、いつしか裏で軍隊パートと呼ばれるようになった。言い得て妙だとおもった。主に私のせいだが。
そいつへの苦手意識を自覚した頃から、それを周囲に気づかれないようにできるだけ無表情でいるようにした。もともと喜怒哀楽が表情に出にくいほうだったから、あまりかわらなかったようだが。それも、軍隊と呼ばれる理由のひとつらしい。
話がそれた。
私はそいつのことでずっと悩んでいた。かわいい後輩を好きになれず、気持ち悪いと思ってしまうことを。そのせいで、先輩らしいことを何もしてあげられないことを。何も悪くないそいつを生理的に無理だと感じてしまう私自身をどうにかしたかった。
誰にも相談できなかった。
友人や周囲の人を信頼してないということではない。ただ、私の気持ちが何らかの事故でそいつの耳に入ることを恐れた。苦手意識が強いだけで、そいつを傷つけたくはなかった。
なのに。
私は存外弱くできていたらしい。
二年の春から緩やかに積み重なったストレスと、日に日に膨らむ答えのない悩みのせいで、最近は眠れなくなっていた。もうすぐコンクールもある。練習を休むわけにはいかなかった。コンクールが近いということは練習時間が自然と増えるということであり、つまりはそいつと過ごす時間も長くなるということである。コンディションも環境も私にとっては最悪の状況だった。それでも、私は今まで通り練習に参加しつづけた。何も聞かれないことをいいことに体調不良を隠しつづけた。我慢しつづけた。
そうしてコンクールが明後日に迫った日、私はついに倒れた。
意識がフェードアウトする瞬間、そばにいたそいつが驚きながらも私を支えようと手を伸ばしたのが見えた。「触るな」とつぶやいて、私は床に倒れた。
私は初めて、そいつを拒絶したんだ。
私を助けようとしてくれたのに。
あいつ、気づいていたんだ。私が調子悪いの、だけど、いつも通りを押し通そうとする私を見て、気をつかって何も言わなかったんだ。
自分だって練習があるのに、なのにあんなに気にしてくれていたのに、なんてことしてしまったんだろう。
傷つけてしまっていたら、どうしよう。
秋嶋は保健室のベットの上で横になっていた。両手で顔を覆い、静かに泣いていた。
震えるその華奢な背中を部長の中島悠斗(なかじまゆうと)がさすっていた。
「なんだか盛大な惚気を聞いた気分。」
中島はため息をついた。
「は?」
秋嶋は指の隙間から中島を睨む。
「「は?」じゃねえよ。何言ってんだ。お前、紀行(のりゆき)のこと大好きじゃん。」
「お前は人の話を聞いていたか?私は長谷が苦手なんだ。」
そう言うと自分で言ってて落ち込んだのか、枕に顔を押しつけた。
「長谷に触れられるのが怖くて拒絶したんだ…」
「お前ね、さっきからグダグダぐだぐだ言ってるけど、要約するといつも紀行のこと考えて夜も眠れませんでしたって言ってるからな?」
「どうしてそうなる!私はさっきから苦手だと」「思いたいだけじゃねえの?」
秋嶋はグッと詰まった。
「普通は苦手な奴をそこまで気にしたりしないよ。だいたい、そんな奴が傷つこうが気にしないだろ、好き嫌いの激しいお前なんか特に。」
秋嶋は何も言わない。ただ黙って枕に顔をうずめていた。
「俺から見た秋嶋と紀行はさ、確かに軍隊と言われるだけあってどのパートよりも真面目で優秀でさ、練習中私語とか全くないしな、それで言葉数少ない中でお互いを信頼しあってるようにみえてさ、俺の中の理想の先輩後輩だったよ。」
「紀行の好意はあからさまだったな。全身で「センパイ大好き!!」って感じで。練習中はきりっとしてるのに、終わったら秋嶋にひっついてさー、あと秋嶋に近づく男どもには睨みをきかせてさー。」
「まて部長何の話を」「さっき秋嶋運ぶときも「センパイをお願いします」って睨まれたわ」
戸惑う秋嶋を無視して中島は続ける。
「それなのにお前は根拠のない理由で紀行が苦手だとか。」
「矛盾してんだよ。生理的に無理な相手に可愛いとか。」
「これは俺の推測だけど」
「お前、自分の恋心を気持ち悪いものだと勘違いしてないか?」
「…降参だ。」
弱弱しい声で秋嶋は呟いた。
「確かにお前の言う通りかもしれないな。」
秋嶋は横を向いて泣きはらした顔を見せた。
「しかし、私は恋をしたことがないから、長谷を恋愛対象として好きなのかはよくわからない。」
「えっお前初恋まだだったの?」
「うるさい。だからよくわからないんだ。お前に話してもまだ長谷を苦手に思うし。」
秋嶋は寝返りを打って身体ごと中島から背けた。
「だけど、この気持ちが恋だというのなら、今度は長谷に優しくできるかもしれないな。」
なんとも優しい声で呟いた。
「…やっぱり大好きなんじゃん」
さて、と中嶋は椅子から立ち上がった。
「俺はもうそろそろ練習戻るよ。お前はもう少し寝てから帰れ。今日は戻ってくるなよ。」
「…わかった。練習を中断させてしまった上につまらない話まで聞かせてしまって悪かった。でも助かったよ。ありがとう。」
「いいんだよ。倒れたのはともかく話のほうは無理やり聞いたようなもんだから。」
秋嶋が何かを思い悩んでいるのには気がついていた。中島は気づいていながらも倒れる前に話をきいてやれなかったのを後悔していたのだった。
「…それでも助かったよ。答えはないと思っていたから。」
「もーいいって。はークサい言葉ばっか言ったからなんだか今更恥ずかしくなってきた。」
「さっさと戻れ。」
「はいはいっと。じゃあ紀行、あとは頼んだわ。」
「は?」「はい」
秋嶋が飛び起きるとそこには中島の姿はなく、代わりに長谷紀行がいた。
いつもよりもにこにこしている。上機嫌だ。
「い…つからいたんだ長谷。」
「はじめからです。部長の後についてずっといました。センパイが目覚めそうになったとき、部長に追い出されたんです。」
「…あいつなんてことを」
「盗み聞きしてすみませんでした。」
「お前は悪くない。謝らなくていい。だから…その」
「聞かなかったことにはしません。というよりできません。」
長谷が秋嶋に近づいた。
今までのどの距離よりも近くに。
「センパイの驚いた顔、初めてみました。」
可愛いです。
長谷の一言に秋嶋の顔が真っ赤に染まった。
2.写真部 河合祝人(かわいのりと)
「如月をモデルにしたい。」
「いきなりどうした。」
お昼休み、俺の向かいに座って無表情でパンを食っていた河合が突然言った。
河合は無表情のまま続ける。
「如月って綺麗だよな。」
「ああ、そうだな。」
「如月を撮りたい。」
「なるほどわからん。まずはそこに至る経緯を説明してくれ。」
我が3年3組には美少女がいる。名前は如月蝶子(きさらぎちょうこ)。肌は透き通るように白く、切れ長の目が知的で且つ色っぽく、腰まで伸ばした癖のない黒髪が印象的な美人さんだ。しかしながら河合と俺、そして如月は、特に親しくはないが3年間同じクラスだった。言っちゃ悪いが、如月の美貌には見慣れている。それが突然「如月が綺麗だ」とかいいだしてどうしたって話だ。
「俺、最近、朝、近所を走ってるんだ。」
「へえ、すげえなお前。」
「すごくないよ。ただの運動不足解消。それで、近所にある神社の横通るんだ。」
河合は思い出すように少し俯いた。
「今日、早く目が覚めて、それで、いつもより朝早く走りにいったんだ。そしたら」
「神社に如月がいて、何か熱心に参拝?願いごとしてた。」
「手をあわせてさ、目を閉じて少しうつむいて…朝日の差してきて、如月がすごく綺麗だったんだよ。」
「そのときにさ、如月って美人だなって思って、」
河合は気づいているのだろうか。頬が淡く赤く染まってデレデレに溶けかかった顔を俺に晒していることに。その顔に書いてあることに。
お前、如月に惚れたな。
と、言おうとしてやめた。
「如月が綺麗だってのはわかったよ。で、どうしてまた写真を撮りたいだとか。お前写真部でも幽霊部員じゃん。」
「失礼だな。俺はちゃんと活動してるし。」
「コンクールに碌に作品を出さず、文化祭で一枚きり出すお前が?」
「黙れ。趣味で撮ってるんだよ俺は。」
「部活の意味。」
「うるさい。」
赤い顔のままで俺を睨む。全く迫力がない。
「ともかく、俺は如月を撮りたい。」
「具体的には」
「神社で祈っている如月の横顔を撮りたい。」
「盗撮ですか?」
「そこなんだよ。」
あああ、と河合は頭を抱えた。さっきとは一転して小さく見える。
「中島」
「断る。」
「俺何も言ってない。」
「言わなくてもわかる。俺は犯罪の片棒担ぎたくはない。」
大方、早起きさせられて如月にばれないように撮影できるよう手伝って欲しいというものだろう。
露骨に嫌そうにしたせいか、俺の考えていることが伝わったらしい。
「違うから!違うからな!?盗撮とかじゃねえから!!」
「じゃあなんだよ。」
「如月に協力してほしい…ちゃんと本人に許可撮りたい。」
「ほう」
「でも俺如月になんて言えばいいのか…」
確かに。こいつの場合、如月が綺麗だから撮りたいのであって、コンテストや文化祭のためといった理由がない。完全に個人の趣味なのだ。
正当な理由があっても、写真のモデルの依頼というものは了承してもらいにくいものではないだろうか。如月は美少女でも普通の一般人だ。ましてや趣味で、なんて言ったら河合には悪いが気持ち悪い。そこらへんは河合もわかっているようだった。
「難しいなー…コンテストでっち上げれば?」
「適当なこと言うなよ…しかもそれおれやりそう。」
うーんと唸って河合は机に突っ伏した。
「写真くらい、いいわよ。」
凛とした声が俺の後ろから響いた。
河合ががばりと起き上がるのと、俺が勢いよくふりかえるのはほぼ同時だったと思う。
如月蝶子が無表情で俺たちを見ていた。
いつも通り?それだけでいいの?と、若干首をかしげて如月は河合に問う。
憐れ河合は頷くので精いっぱいだ。
「じゃ、じゃあ俺カメラセットしてくるからちょっと待ってて」
どもって噛んで早口で言うと河合は走って神社の敷地から出ていった。
「で、なんで俺はこんな朝っぱらからここにいるんでしょう?」
「それは河合君があんな調子だからでしょう。」
「解せない。俺関係ない。」
「はいはい、そんなこと言わない。」
如月は無表情のまま返す。しかし不思議なことに声に温かみがあるためにそれほどまでに冷たい印象はない。声に表情が濃くついてるような感じがする。
あの日の昼休み、如月は俺たちの会話を全部横から聞いていたらしい。俺たちが如月を綺麗だなんだと言った挙句盗撮の相談までし始めてために気恥ずかしさとクラスメイトの犯罪防止のために声をかけたのだそうだ。
と、聞いていたのだが、俺はそれだけじゃないなと思っている。
ちょっとちょっかいかけることにした。
巻き込まれたからって意趣返しだとかそんなことはない。全然ない。
「如月」
「何?」
「こんな朝早くに何の願掛けしてるの?」
「秘密」
即答された。
だよな。言うわけないよな。
「古いし無人だし、知ってる人少ねえと思うけど、さ、ここ、もともと縁結びの神社だったらしいよ。」
「へえ、そうなの。知らなかった。」
ポーカーフェイスは完璧だ。でも声に動揺が表れている。顔と声がちぐはぐだった。
「中島くんこういうの詳しいんだね」
「いいや?興味はないよ。縁結び云々はそこの掲示板みたいなとこに書いてあった。」
鳥居の横に神社の紹介書きがあった。俺は隙を見てチェックしておいたのだ。
「あ、本当だ。気づかなかったわ。」
「ふーん」
「…何?」
「如月さんは毎朝こんな早くに誰を思ってるんだろうと思って」
「だから秘密」
「誰を想っては否定しないんだ。」
「揚げ足をとるようなこと言わないで。」
そろそろ怒りそうなのでやめる。ここで帰られたら面倒だ。
「おーい準備できたぞー」
「今行くー」
河合の声がして、俺と如月は鳥居に向かった。
「如月は願掛けしなくても叶うと思う。」
「その話は」
「まあ聞けって。」
如月は黙る。若干不機嫌そうだ。
「河合は全身…てか主に顔に出るしわかりやすいし、如月は声に出るんだな。」
「なんのこと」
「好意がダダ漏れって話」
如月は立ち止まって俺を凝視する。相変わらずの無表情だがその眼は困惑の色を浮かべている。
だがしかし、俺はそんな如月を気にしない。
「好きなら願うよりもそいつと話をしたらいいと思う。」
鳥居の前で如月を見返す。
「学校外でも会える場所見つけたじゃん。使えるもん使っていこうぜ。あ、俺はもう使うなよ。」
今日俺がここにいたのは主に如月を前に緊張してしまう河合のためだったのだが、如月にも活用されていた。如月も河合の前で緊張していたらしい。河合の前ではよく通る綺麗な声だったのだが、河合が消えた途端、声は低くなりハリが消えた。微細な違いだったのだが、俺は耳がちょっとイイため聞き分けられた。さすが吹奏楽部とかいってみる。
如月はため息をつくと呆れたように俺を見ていった。
「バレバレだったの。」
「さっき気が付いた。」
「え」
「まじで。確信もったのさっき。」
もう一度ため息をつくと如月はしゃがみこんで俺を睨んだ。
「最低」
「怒るなって」
「…黙っててね、今のこと。ちゃんと、自分から話せるようになるから。」
「おう。」
そっぽ向いたほのかに赤い顔が、朝日に照らされて白く、淡く光る。
それを見て、その美しさに納得した。
河合はこれを撮りたかったのか。
そこにいたのは、ただの恋する女子高生だった。
放課後群像劇