机の上

私ってどんな人間だと思う、と聞くと、彼は少し考えてからいつも通り「自分のことも他人のことも、あらゆる人間のことが嫌いだから人を近づけない雰囲気を持っていて、それでいて誰に対しても残酷なほど優しい、そのせいで色々なことで損をしている人間」と答えた。じゃあわたしのことどう思う、と聞くと、間髪を入れずに、またいつものように「哀しくて、それでいて僕にとって唯一愛しい人」と返ってきた。わたしは単純だから、その言葉を聞いただけで少し嬉しくなる。「会えた日はいつも同じ質問をするんだね」と彼は言わないし、私も「会えた日はいつも同じ質問をするようだけど」とは口に出さない。
「そっか」と答えると、彼は少しだって微笑まずに、生真面目な表情で、これだけが世界でただ一つ変わりようのない正論だとでも言うような重さで、「そうだよ」と頷いた。お互い、それ以上はなにも喋らないまま、今さっき喫茶店のマスターが挽いてくれた、少し冷めかけているコーヒーを口に運んだ。
私たちが会う日はいつも決まったように雨が降る。私も雨が好きで、彼も雨が好きだ。静かに存在を主張するように怖じ気づくことなく乾いた音を立てて、少し湿った空気と、母親の胎内にいた頃を思い出させるような、ほんの微かに甘くてややほろ苦い、それでいて無味であるような、何とも言えない落ち着いた香りを運んでくる。
私が黙ったまま煙草に火を点けると、彼は少し眉を上げて、彼自身の煙草にも火を点けた。
二筋の細い煙がこの店の薄暗くて低い天井近くに溜まり込んで、揺らぎながら出口を探し、そして出口なんか見つけられないうちに内側から順にそっと消えていく。
「この煙、私たちみたいだよね」と呟くと、「そうだね」と彼は困ったように微笑んだ。それを見受けて私も少し微笑んだ。
「私たちって誰かの手のひらのなかで一生を終えるしかないのかしら」
「誰かって?」
「誰かは誰か。神様かもしれないし、人間かもしれない。神様じゃないかもしれないし、人間じゃないかもしれない」
「うーん、絶対に手のひらの上ってわけじゃないかもしれないよ」
「じゃあ何の上で生きていると思う?私たち、何の上の重力にしがみついて生きているの?」
何も考えずに口からついて出た言葉に対する答えを駄々をこねるように求めると、彼は目元を和らげながら「そうだなあ」と言った。
「机の上っていうのは?」
「机?」
「そう。誰かの持ち物の用で、誰の持ち物でもない、机の上の空間。僕たちはそこで、机の上に落ちてしまわないように重力という階段で足踏みをしながら、時に机の上に落ちてしまいそうな人を階段の上に引っ張り上げて、時に階段の上から机の上に向かって人を突き落として、そうやって最期までの時間をただ食い潰しているのかもしれない」
「単純ね、人生って」
「そうだよ、単純明快。単純明快なのが一番複雑なことだって、前に君が言ってた」
「そうよ。単純明快っていうのが一番、複雑で迷宮入りで、恐ろしいことに感じるもの」
「君は全てのことが恐ろしいんだ」
「そう」
今度は私が生真面目な表情で、けれど軽く一つ頷いた。
「私は臆病だから、何をするのも何を見るのも何を聞くのも怖いの。あなたとこうやって時々会うのも、とてつもなく怖いの」
彼は微笑んだまま、ただ静かに私のことを見つめていた。
彼は知っている。私が朝起きてから、夜寝ている間にも、常に全てのことに怖がって、怯えながら生きていることを。
「臆病なように見えないんだ、君は。それはとても強いことだし、誰にだって出来ることじゃないんだ。皆が君のように繊細なわけでも、世界に対して優しいわけでもない」
繊細、優しい、という言葉を、彼は私に対してよく使うけれど、私は繊細でもなければ優しくもない、と言うと彼は「本当に繊細で優しい人はいつだって自分がそうだってこと分からないんだよ」と、穏やかな声で話しながら私の頭を撫でる。
「あなたのほうが何倍も繊細だし、優しいのに」
そう言うと、決まって彼は困ったように「僕はそんなことないんだ、全然。もしそうであれば、どんなに良かったか」と答える。そんな繊細で優しい彼のことが大好きで、私はまた、何も言わないまま煙草の深い煙を肺に吸い込み、のどの奥へコーヒーを流し入れた。
「この後、どこへ行く?」
「観覧車に乗りたい」
「観覧車?」
「そう。何年も乗ってないの。でも今ふと、あれに乗って私たちの机の上を見たくなった。あなたと一緒に、別々の箱に乗っかりながら」
私が笑いながら言うと、彼も可笑しそうに笑って、
「じゃあ今から出て、観覧車のあるところまで少し歩こう」
と答えた。
「雨が降っているから、机の上はハッキリ見えないかもしれない」
「それくらいがいいじゃない。ハッキリ答えが見えたら、そんなの鼻白むじゃない」
「それもそうだね」
彼が私の手を引いて立ち上がるのに合わせ、私も左手に荷物をまとめて掴んで、立ち上がった。
マスターが微笑んで会釈をしてくれたので、私たちも微笑んで会釈を返して、代金を喫茶店の机の上に置いて歩き出した。
「いつもありがとうございます。またどうぞ」というマスターの声を背に受け、カランカランと低く鳴り響くベルがぶら下がったドアを開けた。見えない机の上に落ちない為の救済措置である重力を靴の裏で感じながら、私は冷え込んだ風から隠れるように顔をコートの襟にうずめ、そうして彼の隣を一歩、歩き出した。

机の上

会話文というのは難しいものですね。

机の上

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-10-30

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