無剣の騎士 第1話

プロローグのまえがきにも書いた通り、プロローグを原作者様に見せたところ意外と好評で、つづきを書くことになってしまいました。
また、原作者様と協議の結果、やっと登場人物たちの名前が決まりました。

scene1. 母子(おやこ)

 その国は戦乱と政争に明け暮れていた。周囲の国々で繰り広げられる覇権争いが国内にも飛び火し、陰では熾烈な勢力闘争が演じられていた。
 ある者達は近隣の大国と結んで他国を圧倒する案を推進し、またある者達は他の小国と同盟を結んで大国に対抗する勢力を作り上げようと考え、更に別の者達は独立を守るため飽くまで単独で戦いを続けるべきだと論じる……という具合だった。
 このような状態で、国が安定を保てる道理がない。
 建国以来、長らく平和を享受していた歴史は過去のものとなり、年老いた者達は昔を思い返しては現状を嘆くのだった。

 その国の名をアストリア王国という。「王国」の名の通り、国家の最高権力者として王を戴くが、現王は近年病気がちで政務を全うすることが困難なため、その実権のある程度の部分は王位第一継承者である王太子に既に委ねられていた。
 王太子の名はエドワード・ヴィルヘルム・プロ・アストリア。若干17歳にして国政の一部を預けられているのは、彼自身の有能さに依るところも大きかった。
 それに、アストリア王家の歴史において、このような“二重支配”が行なわれるのはこれが初めてという訳でもない。何代か前の王がまだ王太子でありながらそのような支配を始めた時には、王にだけではなく王太子にも直属の近衛騎士隊が組織された。以後、実権の程度に関わらず王太子は近衛騎士隊を持つことが慣例となり、現在に至っている。

        *    *

「そして、エドの近衛騎士隊の一員が、僕という訳だね」
少年は嬉しくてつい口を挟んだ。少年の名は、アーシェル・クレア・ヴァーティス。まだ幼さの残る12歳でありながら、先日、エドワード王太子の近衛騎士に任命された。幼い頃から実の兄弟のようにして共に育った王太子の、その近衛騎士になれたことが嬉しくてたまらない様子である。
「これ、アーシェ。きちんと“エドワード王太子殿下”とお呼びなさい」
そう言ってたしなめたのは、少年の母親、クララ・パトリオ・ヴァーティス。アーシェルの父親であり、国王直属の近衛騎士でもあった夫に先立たれてからというもの、代々 近衛騎士を輩出する名家 ヴァーティス家を切り盛りしている当主である。
「さて、ここまでの話は問題ないですね?」
「はい、母さま」
 アーシェルも遂に近衛騎士として王宮に出入りするようになったため、主君であるエドワード王太子の置かれている立場や周辺事情について、改めて説明してやっているところであった。幼い子供にどろどろとした政治の裏側を教えることは今まではばかられてきたのだが、今後 近衛騎士として仕えていく以上そういう訳にもいくまい。
「では、ここからは、アーシェには伏せられてきたこと、教えられてこなかったこと――でも、知らなければならないこと――を、話しますよ」
アーシェルはごくりと唾を飲み込んだ。
「覚悟はよろしくて?」
そして、しっかりと頷いた。

        *    *

 現在、王宮には幾つかの派閥があるが、最も有力な派は大きく二つ。国王およびエドワード王太子を中心とする勢力と、王弟 フロックス公爵および大臣でもあるオークアシッド侯爵を中心とする勢力である。前者は、近隣の小国で同盟を作って大国に太刀打ちしようと考えているが、後者は、隣の大国リヒテルバウムと組んでその庇護の下で国としての力を保とうと主張していた。
 対立といっても飽くまで議会での論戦が中心であり、少なくとも表面上は平和的な関係にあるという体面を保とうとしていた。例えば、オークアシッド侯はエドワード王太子の妃シェリアの実父である。若い二人が幼馴染であり互いに好き合っていたことが彼らにとって幸いではあったものの、その実その結婚は政略結婚の側面も持ち合わせていたのだった。つまり、エドワード王太子とオークアシッド侯との関係が、ひいては両人が属する派閥どうしの関係が良好であることを内外に示そうとしたのである。

        *    *

「…………」
 幼馴染として共に育った二人の結婚にそんな大人の事情があったことを知るのは、アーシェルにとってやや衝撃的なことであった。
(でもねアーシェ、これはまだ序の口に過ぎないのですよ……)
クララは心の中で我が子を哀れんだが、この程度でいちいち立ち止まって慰めてやる余裕はない。実際、エドワードの姉たちは純粋な政略結婚により他国へと嫁いでいた。エドワードとシェリアの場合はむしろ例外的に幸せな事例なのである。
 クララはアーシェルの表情に敢えて気付かない振りをして、説明を続けた。
「そこまでして派閥どうしが友好関係を喧伝しなければならないほど、実際の関係は冷え切っているともいえるのです」
 一部の過激な考えに走る者達が、相手側の有力者達を狙い、失脚や幽閉、果ては暗殺までをも目論んでいるとの噂があった。
「もちろん、陛下も王太子殿下もそのようなことは望んでおられません。配下の一部の者達が勝手にそのようなことを画策したと判明した時には、お二人とも彼らを厳しくお咎めになりました。……ですが……」
「?」
顔を曇らせたクララに、アーシェルが首を傾ける。
「……ですが、証拠はありませんが、オークアシッド侯爵たちは……」

scene2. 密談

「さて。わざわざ自分の屋敷に私を呼び出して大事な話とは、いったい何だね? オークアシッド」
 豪華な衣装に身を包んだ長髪の男はどっかりとソファに腰を下ろして足を組むと、傍らの口ひげの男に語りかけた。
「わざわざご足労をおかけし申し訳ございません、フェリックス殿下」
口ひげの男――オークアシッド侯はそう笑いながら、隣のソファに腰掛けた。
「例の件について、内密にご相談申し上げたかったのです。しかしまずは、今宵の宴をお楽しみください」
「ふん、例の件、か」
フェリックスと呼ばれた方はそう言って少しだけ眉間にしわを寄せたが、反発するでもなく従った。
 フェリックス・セシル・フロックス・オブポラリス・プロ・アストリア、通称 フロックス公爵。現国王の弟にして、第二の王位継承者である。
 国王および王太子に反抗する最大派閥の頂点に立つ二人が今、オークアシッド侯の屋敷の大広間に顔を揃えていた。卓上には戦時下とは思えぬ贅沢な食べ物や飲み物が並んでいたが、それらに加えてこの日は旅の一座による曲芸が人々を楽しませていた。
 遥か東の国から訪れたその一座は、戦乱の中にも関わらず、いや、戦乱の中だからこそ、民衆に束の間の幸福を届けるべく各地を旅しているのだという。とりわけ女子供には評判が良く、この度はご多分に漏れずシェリア妃も大いに演目を楽しんでいた。父が旅の一座を招くと聞いて帰ってきていたのだ。
「そちの娘を嫌う訳ではないが、シェリアを見るとあのエドワードを思い出すな」
フロックス公はシェリア妃を遠くに眺めながらごちた。
「先回の策が失敗に終わったのは、誠に残念でございました」

 数ヶ月前のこと、彼らはエドワード王太子を戦いの最前線で戦死させようと画策した。
 隣国リヒテルバウムとの小競り合いが発生した時のことである。リヒテルバウムと密かに繋がりを持つ彼らは裏で手を回し、王太子の部隊を集中的に攻撃するよう敵方に伝えておいた。更に自国の兵士達には、頃合を見計らって撤退することにより王太子たちを最前線で孤立させるよう買収したのだ。自らの手を下さず、戦死として王太子を葬り去る計画だった。
 だが、王太子も近衛騎士たちも存外な強さを発揮し、激しい集中攻撃を辛くも凌ぎきって帰還したのであった。

「エドワードも先月あのシェリアと結婚してからというもの戦に出向く気配はなし、同じ策は使えぬな」
 王太子は結婚後、最前線に赴く任から外れるのが慣例だった。
「加えて、買収した兵士どもを口封じしなければなりませぬ故、そう何度もは」
 リヒテルバウムの兵士達から国王・王太子派へ情報が漏れることはまずないだろうが、自国の兵士達はいつ密告しないとも限らない。危険の芽は摘んでおくに越したことはない――。こうして、証拠も証人も一切残さない。それが、彼らのやり方だった。
「そこで、次の案なのですが」
オークアシッド侯はやや声をひそめた。
「今度、宮廷で行なわれる園遊会に、この曲芸団を招くよう陛下に進言して頂きたいのです」
「それは構わんが……どういうことだ?」
 宮廷の中庭で催される園遊会には、平常時に国王への謁見を許されている身分の者達のみならず、顕著な功績のあった民間人なども招かれ、王族と間近に接することができる。その意味では警備が薄れるため、王や王太子の命を狙うのに絶好の機会といえなくもなかった。
 しかし、そこに旅の一座を招き入れたところで何になろう。
「……あの男を使うのです」
 不敵な笑みを浮かべたオークアシッド侯が示した先――大広間の中央には、浅黒い肌の男が一匹の動物と共に進み出た。そして手にした笛を構えると、陽気な音楽を奏で始めた――。

scene 3. 園遊会

 見慣れない形をしたその笛は、聞き慣れない音を発した。とはいえ、紡ぎ出される音楽は、思わず踊り出したくなるような明るいものだった。この日のために宮殿の中庭に設けられた舞台の上で、男は笛を吹き、一座の者たちは踊る。

 今日は年に一度の園遊会。好天の空の下、大勢の人々が宮殿の中庭に集められていた。普段、公の場に姿を見せることが少ない国王も最近は体調が良いとのことで、久々に公務として出席していた。傍らには、王太子夫妻をはじめとする王族達の座がある。そこへは、この日招かれた客達が入れ替わり立ち代わり、挨拶に訪れていた。
「本日はご健勝にておみえになりましたこと、心よりお喜び申し上げます、陛下」
「おお、これはヴァーティスの。久しいな」
クララが恭しくお辞儀をすると、国王は顔をほころばせて答えた。
「ご子息は、元気かの? エドワードの近衛騎士になったと聞いたが」
「はい。愚息には身に余る光栄でございます」
「父上、アーシェルは本当に良くやってくれています」
傍らに座っているエドワードも加わって、三人は話に花を咲かせた。
 一方、クララの後方、舞台の上では、笛の演奏が続いていた。舞台の上では音楽に合わせて一座の者達が踊っていたが、音楽に合わせて動いていたのは、彼らだけではなかった。
 国王の座のすぐ後ろにも、いたのである。「それ」はゆらゆらと頭を揺らしながら国王の座の前方へ向かってゆっくりと進んでいた。幾人かの座の下を通り抜けたものの、足下の「それ」に気付く者はいなかった。
 そして遂に「それ」は、国王の座の下から顔を出した。
(毒蛇!)
「それ」の標的が王であることにクララが気付き、
「――っ!」
声ならぬ声を上げて王の前に飛び込んだのと、ひときわ甲高い笛の音を合図に蛇が標的に飛び掛ったのとは、ほぼ同時だった。
「キャーッ!」
 それはクララの声だったか、それとも周りにいた女性達の叫び声だったのか。――クララはその場にくずおれ、痛みに顔を歪めた。
「父上、お下がりください! 近衛兵!」
エドワードはそう叫びながら素早く剣を鞘ごと抜くと、その勢いのままに振り下ろし、蛇の頭を地面に叩きつけた。即死だった。
「ヴァーティス!」
「クララ殿!」
 王は周りを取り囲んだ近衛騎士たちを押しのけて、またエドワードは剣を手にしたまま、クララの元に駆け寄った。
「しっかりなされよ!」

scene4. 推理

「母さま……」
 アーシェルは泣き出しそうになるのを堪えながら、寝台に横たえられた母の顔を不安げな表情で見つめていた。あの後、クララは気を失ったきり、今は急な高熱にうなされていた。
「解毒剤がない、だと?」
エドワードは眉間にしわを寄せて医者を睨みつけた。
「はい、申し訳ございません、殿下。殿下が仕留められた毒蛇を拝見いたしましたが、あれはアストリアには棲息していない、いいえ、それどころか私どもが今まで見たこともない種類の蛇にございます。
 解毒剤もございませんし、そもそも毒の影響がどんなものかも、もう少し調べてみませんと……、どうやら致死率の高い毒のようだということ以外、現時点では何とも……」
「そんな……」
 シェリアは思わず胸の前で手を組んだ。
 いくら戦時下で薬品や器具が不足しているとはいえ、ここは王宮の医務室。アストリアでも最高峰の医療機関の一つのはずなのに。
「…………」
エドワードは立ったまま壁に背を預け、腕組みして何事かを黙考した。
「……シェリー……」
「何じゃ、エド?」
呟くような夫の呼びかけにシェリアは首を傾けた。
「此度の園遊会に、異国の曲芸団を招くよう進言したのは、叔父上であったな?」
「うむ、フェリックスの叔父様じゃ。
 先日、オークアシッドの家で宴があっての、わらわも参ったじゃろう? その時あの曲芸をご覧になって、たいそう気に入ったとのことじゃった」
「その日と今日とで、何か変わったことはなかったか?」
「変わったことかや? ……う~む、舞台が大きゅうなった分、演目も大掛かりになっておったことじゃとか……」
「……あの日は動物の踊りであったのが、今日は人間の踊りであったとか?」
「あっ、そういえばそうじゃ! あの笛の男、あの日は……」
「やはりな」
エドワードはシェリアから詳細を聞き出すや、踵を返して医務室の戸を開けた。
「誰か!」
「御前に」
部屋の外には近衛騎士が幾人か控えていた。
「今日の園遊会が中止になる直前まで舞台上で笛を吹いておった、異国の曲芸団の男を連れて参れ! 早急にだ!」
近衛騎士たちが立ち去ってから、シェリアはエドワードに声を掛けた。
「さてと、エド、どういうことかわらわ達にも説明してくりゃるかえ?」
振り返ったエドワードは先程と比べると幾分穏やかな表情になっていた。
「なに、事実を論理的に積み上げていけば自然と導き出される結論だ。別段難しいことではない」

 クララを咬んだ毒蛇は、アストリアやその周辺に野生では存在しない種類だった。つまり、誰かが遠い国から持ち込んだものと考えられる。他国との往来が難しくなっている昨今、可能性は異国から来たという曲芸団にほぼ絞られる。
「異国には、笛の音で蛇を自在に操ることのできる者が居ると、文献で読んだことがあったのだ。それ故もしやと思い、そなたに確認した」
「そうじゃったのか……」
オークアシッド侯の屋敷では、あの男は笛の音に合わせて蛇を踊らせていた。ただの笛吹きではなく、蛇使いだったのだ。
 そして、毒蛇を飼う者なら、万一に備えて解毒剤を常備しているはずである。エドワードが男を連れてくるよう命令したのは、そのためであった。
「さすれば、おば様は助かるのじゃな!?」
「その男が無事に連れてこられればな」
それを聞いてシェリアは跳ぶようにクララの枕元に駆け寄り、アーシェルと手を取り合って喜んだ。
(間に合えば良いのだが)
しかし、エドワードの顔はまだ晴れない。
(それに、問題はもう一つの結論だ……)

 実は、蛇使いの男を連行したとしても、解毒剤が手に入らない可能性もわずかながらにあった。男が毒に対して耐性を既に持っている場合である。蛇を完全に制御できるならば人を襲う危険性も低い訳で、従って解毒剤が必要になる場面もないことになるからだ。しかし、そのような最悪の場合でも男さえ連れて来れば、血液を採取して血清を作ることができるだろう。
 ――そんな風にエドワードは考えていた。ところが現実は、彼の考えていた最悪の事態よりも更に悪かったのである。

scene5. 殊勲

 エドワードによって遣わされた近衛騎士たちが旅の曲芸団のもとへ着いた頃には、肝心の蛇使いの男は、そこからいなくなっていた。聞くと、少し前に別の兵士達がやってきて連れて行ったとのことだった。困ったことに、それが誰の使いで何処へ連れて行ったかを知る者はいなかった。
 近衛騎士たちは、男が戻ったら早急に知らせをよこすよう一座の者たちに言い渡してから、近辺の捜索に出かけたものの、男の足取りはようとして掴めなかった。なんと、日が暮れても男は戻って来なかったのである。
 さすがにこれは何かあったに違いないということで、翌日は人手を増やし、更に一座の者たちも総出で男の捜索に当たった。そして、その日の午後――、宮殿から程近い森の中で、変わり果てた姿の男が発見されたのである。酷いことに、男は焼死体となっていた。身に着けていた金属製の装身具や、周りに散らばっていた荷物から、身元は確認された。

「そうか。苦労をかけたな」
 報告を受けたエドワードは、玉座に腰掛けたまま、手を額に当ててうつむいた。
「それから、殿下のご指示どおり一座の者たちに尋ねてまいりましたが、あの曲芸団に蛇使いはあの男ただ一人だけだったようでございます。他の者では、解毒剤のことはおろか、飼っていた蛇の種類さえよく分からないと申す有様でして……」
 解毒剤が見つからない。焼死体では、血液を採取することもできない。それどころか、クララを襲った蛇があの男のものかどうかさえ、確かめる術がない。
(やられたな……。まさかこれほどとはな……)
完全に八方塞であった。
「捜索および報告ご苦労。下がってよいぞ」
「はっ」
近衛騎士たちが引き揚げるのを見届けてから、エドワードは大きな溜息を一つつくと、おもむろに立ち上がった。そして、重い足取りで医務室の方へと歩き出した。

        *    *

「――以上だ。皆、本当にすまない」
 エドワードの話は事実上、死の宣告に等しかった。
 言葉を失って呆然とするアーシェル。両手で口を覆って涙を流すシェリア。ゆっくりと瞳を閉じるクララ。

 しばしの沈黙の後、最初に口を開いたのはクララだった。
「我がヴァーティス家は代々、王家にお仕えしてまいりました。このアーシェルも、この子の父親も、近衛騎士として……」
クララは手をそっと伸ばしてアーシェルの頭をなでた。
「ですが、私にはそれができません。剣をとって戦うことも、陛下や殿下を警護することも……。そのことを常々、口惜しく思っておりました」
3人はじっとクララを見詰めている。
「そんな私がこの度、陛下をお守りすることができたのです。長年の夢が、叶ったのです。ですから、陛下のためならばこの命、少しも惜しいとは思いません」
クララはそう言って微笑んだが、その笑顔がとても悲しげに見えるのは何故なのだろう。
 不意にエドワードが口を開いた。
「クララ殿、貴女の犠牲によって成し遂げられたのは、それだけではない。もう一つ、大きな功績を残された」
「と、仰いますと……?」
「うむ、此度の一件について考えたのだが……」

        *    *

 本来なら舞台上に居るはずの蛇が何故、王の席に現れたのか? 蛇は威嚇や攻撃を受けた訳でもないのに、何故 人を襲ったのか?
 答えは一つしかなかった。あの蛇使いの男が笛の音で蛇を操り、国王の命を狙ったのだ。
 とはいえ、旅する異国の者が一国の王の命を狙う理由などない。恐らく、金で雇われたか、何か弱みでも握られて脅されたか、そんなところであろう。
 事実がどうあれ、男の背後に何者かがいることは確かだった。最も疑わしいのは、その旅の者たちを宮殿の敷地内に招くよう進言した男――フロックス公その人であった。

        *    *

 これが、エドワードのたどり着いたもう一つの結論であった。
「元々は、事件の首謀者について蛇使いの口を割らせるつもりだったのだがな」
今となっては、確かな証言は得られない。しかし、男が殺されたという事実そのものが、エドワードの推理を補強してもいた。
「此度の件だけではない、これまでも何度か、父上や余は命を狙われてきた……」
しかし、いずれの件においても証拠はなく、証人となりうる人物もことごとく不審な死を遂げていた。未だに犯人はわかっていない。
「一連の事件と今回の件、やり口が似ている」
「もしかして……」
アーシェルが問うような視線を投げかけると、エドワードは確信を込めて頷いた。
「全ての事件の犯人は恐らく、叔父上だ。共犯はいるかも知れぬが、身分や権力から考えても、首謀者であることはほぼ間違いない」
エドワードがそこで一旦言葉を区切ると、シェリアが声を上げた。
「そこまで判っておるのなら、兵を出して叔父様を……」
「いや、証拠が何一つない現時点では、それは出来ぬ」
エドワードは首を振った。
「だが、これだけでも大きな前進といえよう」
そして、クララの方に向き直った。
「クララ殿、貴女のお陰で、真実に大いに近づくことができた」
クララも大きく目を見開いてエドワードを見つめ返す。
「今まで父上も余も、得体の知れぬ何者かに命を狙われるという恐怖にまとわりつかれてきた。だが、これからは違う。敵の正体があの派閥とわかっていれば、身の守り様もあるというもの」
エドワードは枕元に近づくと、クララの手を取った。
「クララ殿は、父上の昨日の命を救っただけではない。父上と余の、明日からの命をも守ってくれたのだ。
 ――さすがはヴァーティス家の当主、近衛騎士の鑑だ」
「……っ。そんな、もったいのうございます……」
 クララは唇を震わせながらやっとのことでそれだけ絞り出すと、静かに涙を流した。

 アーシェルが母の涙を見たのは、父の死以来のことであった。と同時に、それが最後ともなったのだった――。

scene 6. 葬儀

 ヴァーティス家の当主 クララ・パトリオ・ヴァーティスの追悼式は厳かに執り行なわれた。場所は皮肉にも彼女が毒蛇に咬まれた王宮の中庭であったが、これは式の一切を取り仕切るのが王家だったからである。ヴァーティス家は、身分そのものはそれほど高くはないものの、代々 王家に仕える名家としてアストリア王家とは懇意にしており、今やエドワード王太子がアーシェルの後見人ともいうべき立場になったのであった。そのため、式は国葬に準じる形で行なわれた。

「計画通りなら、本物の国葬になるはずだったのだがな」
 参列者の席でフェリックスは隣に座るオークアシッドに囁いた。
「ええ。まさかあの女が陛下をかばって飛び出すとは予想外でした」
「それにしても、計画が失敗したのなら予定通りにあの男の後始末までする必要はなかったのではないか? 解毒剤を奪った上に口封じまでせずとも……」
「いいえ、それはなりません、殿下」
オークアシッドは更に声をひそめた。
「あの男の口から我々のことが知れるのは絶対に避けるべきでした。
 それに、あの女は陛下の派閥の有力者でもありましたから、消しておいて損はないでしょう」

(クララ殿、貴女の尊い犠牲は決して無駄にはしない。安らかに眠られよ)
 エドワードは一輪の花を手向け、棺を見つめながら心の中で語りかけた。瞳を閉じれば、クララの最期の言葉が耳に蘇ってくる。
『どうか、息子を、アーシェルを、よろしくお願いいたします』
 そんな追想は、いつの間にか傍に来ていた次の参列者に遮られた。
「エドワード、此度は残念であったな」
「叔父上……」
フェリックスはさも悲しげな表情で肩をすくめてみせた。長身の彼はどうしてもエドワードを見下ろす形になってしまう。
「亡くなったヴァーティス家の御当主殿とは、親しかったのだろう? 何でも母親のように慕っていたとか。それを、先日の園遊会で蛇に咬まれるなどという“不慮の事故”が元で失うとは、嘆かわしいことだ」
フェリックスはそう言って首を振った。
(ふん、“不慮の事故”か……)
エドワードは片方の眉根を軽く吊り上げて、横目でフェリックスを観察した。今のエドワードにとって、フェリックスの言動は白々しいものにしか見えない。
(少し揺さぶってみるか……)
エドワードはわざと視線をフェリックスから外して宙を見つめながら、今思い出したかのように声を上げた。
「そういえば叔父上、あの園遊会の日は体調でも優れなかったのですか?」
「うむ?」
唐突な質問に、フェリックスは意図を図りかねてエドワードを見返した。
(何を言い出すんだ、この小僧は?)
そんなフェリックスの心中を知ってか知らずか、エドワードはけろりとした顔でフェリックスを見上げてくる。
「普段、あのような席では必ず父上や余の隣にお座りになるのに、あの日は随分と後方に座っていらっしゃいましたから。お辛そうな顔で民の前にお出になるのがはばかられたのかと思いまして」
 フェリックスは元来、目立ちたがり屋で、且つ国王や王太子に対抗心を抱いていた。式典などで同席する際には必ず張り合おうとし、席次にさえその下心が表われていたことを、エドワードは知っている。
 だが、あの日だけは違った。王の後方、やや距離を置いた位置に席を設けていたのだ。まるで、王の近くで何かが起きることを事前に知っていて、それを避けるかのように。
「う、うむ、実はそうだったのだ。心配を掛けたくなかった故、誰にも知らせてはいなかったのだがな」
フェリックスはそう言いながら無意識のうちに少し後ずさりしていたが、頭の中では別の思考が非常な速度で駆け巡り始めていた。
(落ち着け、まだこれだけで露見する訳がない……)
フェリックスの視線は当てもなく宙を彷徨ったが、対照的にエドワードは視線を外すことなく真っ直ぐにフェリックスを見上げてくる。
「ああ、それで外套まで着込んでらしたのですね。あの日はかなり暖かかったのに」
……そう、まるで何かを隠し持つかのように。
「う、うむ、少し寒気を感じたものでな」
 この場は早目に退散すべきとフェリックスは判断した。
「こんな場所で立ち話をしていては、他の者らに迷惑がかかる。ではな、エドワード」
足早に戻っていくフェリックスを、エドワードは複雑な心境で眺めていた。
 病気であるのなら、儀礼など欠席すればいい。病時の寒気など、着込んで和らぐものではない。フェリックスが嘘をついているのは明らかだった。
 この時の会話は、エドワードにとって疑念を確信に変えるのに十分な材料となった。そして、フェリックスにとっては――。

「如何なさいました、殿下?」
 オークアシッドの隣に戻ってきたフェリックスは傍目にも明らかなほど落ち着きを無くしていた。
「あの小僧め、この私を疑っている……!」
「…………!」
その一言で、オークアシッドは全てを悟ったようだった。
「ご心配召されるな、殿下。証拠は何一つ残っておりません。貴方様がどうにかされることなどございませんよ」
オークアシッドはそう言ってなだめたが、フェリックスは聞く耳も持たず小声でまくし立てた。
「だから私は実行役など嫌だと言ったのだ! そちの兵でも使えば済む話であったろう! 何故わざわざ私自ら動かねばならなかったのか。そもそもそちが……」
 危険を冒してまでフェリックスを実行役に立てたのは、王の背後を陣取っても怪しまれない人材が他にいなかったからだ。しかも、毒蛇を皮袋に入れて隠し持っても見つからないようにする必要があった。しかし、王族でなければ王に近付く前に身体検査を受けるだろう。そもそも護衛の兵士達には、定められた携行品以外を所持する方法がなかった。
(しかし、その説明をここで繰り返しても殿下は静まってくれそうにないな……)
オークアシッドはとにかくフェリックスを落ち着かせることに終始した。その一方で、彼は心の内で歯噛みしていた。
(エドワード殿下に感付かれたとなると……、しばらくは目立った動きは慎まなければならぬな)

 こうして、エドワードとの会話は彼らにとって、今後の活動に大きな枷をはめるものとなったのだった。

        *    *

 葬儀が終わり、日もかなり傾いた頃には、中庭はいつもの静けさを取り戻していた。ほんの数時間前まで、多くの花や様々な飾りに彩られ、大勢の人々が行き来していたのが嘘のようだ。
(終わったんだ……)
アーシェルはぼんやりと中庭全体を眺めながら、一人佇んでいた。
「どうしたのじゃ? ぼーっとして」
後ろから不意に声を掛けてきたのは、シェリアだった。
「シェリー……」
「こうして改めて見ると、広いものじゃな、ここも」
シェリアはアーシェルの隣に並び、同じようにして中庭を見渡した。
「うん。だから、たくさんの人が来てくださってたのも、夢だったような気がして」
「そうかや?」
「うん。今日はたくさんの人が僕のところに来て、母さまのことを話してくださったんだ。それで、『母さまはこんなにたくさんの人たちに慕われてたんだなぁ』って思ったんだけど……」
「だけど……どうしたのじゃ?」
「そんな人たちがみんな帰っちゃって、そしたらもうその人たちは母さまのことを思い出すこともないんだろうなって思ったら、急に寂しくなってきたっていうか……」
 シェリアにも、アーシェルの気持ちは分かる気がした。
 死んだ人が、段々と忘れ去られてゆく。そして、人々の話題にも上らなくなると、その人は本当にいなくなってしまったのだという恐怖にも近い感覚に襲われる。アーシェルは早くもそれを察して、喪失感を抱き始めているらしかった。その喪失感で心が埋め尽くされた時、この子は母の死を本当に自覚して涙するのかもしれない――シェリアはそう思った。
「確かに、皆の者からは忘れられてゆくやも知れぬ。しかし、それならば。いや、それじゃからこそ」
シェリアはアーシェルの方を向いて微笑んだ。
「その分、そなたが忘れなければよいのじゃ、アーシェ」
夕日に照らされたその笑顔は、今まで見たことのない笑顔に見えた。
「…………」
「それを、おば様も願っておられることじゃろう」
「……うん、そっか」
そう言って、アーシェルも笑った。

last scene. 追憶

 葬儀が終わった、その夜。宮殿の北側にある屋上で、エドワードは一人、星空を見上げていた。
「…………」
戦争の苦しみやクララの死の悲しみさえも小っぽけなことに思えてくるような、満天の星だった。
 後ろで戸が開く音がして、軽く振り返ると、そこにいたのはシェリアだった。
「さすがに今日は、アーシェもエドも元気がないようじゃな」
シェリアはエドワードの顔を覗き込むようにして微笑んだ。
「シェリーこそ、無理をしているのではないか?」
クララの死に際して、三人のうち最も感情を露わにして激しく泣いたのはシェリアだった。その割りに、この日はさほど涙を見せていない。
「一番辛いのはアーシェのはずじゃ。そのアーシェがあれほど気丈に振る舞っておる手前、わらわがいつまでも泣いておる訳にはゆかぬ」
「……だから心配なのだ」
エドワードの顔が曇った。
「アーシェの奴、今日も努めて毅然としていた。泣きたい時は泣けばよいと思うのだが……」
アーシェルはこれまでほとんど涙を見せていなかった。最愛の母を亡くしたにも関わらずである。
 悲しみを無理に抑えて背伸びをしているのだとしたら、遅かれ早かれ精神的な限界が来るのではないか――エドワードは心配だった。
「そういえば、アーシェはずっと強がっておる風じゃな。おば様が亡くなられたあの時も……」

        *    *

 最期の時は着実に近付いていた。クララ自身も、自分の死期が近いことを悟ったのだろう、エドワードとシェリア、それにアーシェルを枕元に呼んで、一人一人に言葉を送った。
「シェリア様。オークアシッドの家に生まれながら、王太子殿下のお妃として今は王太子派に属していらっしゃるその御身。さぞお辛い経験をなさってきたことと思います」
対立する二つの派のどちらにも組みし得る、特殊な立場。他の誰にも分からない、板挟み状態の気苦労があった。それなのに、心ない者たちは「日和見主義のコウモリだ」などと陰口をたたくのだ。
「この争いが続く限り、その苦難はきっと絶えないことでしょう。もしかしたら、これから先もっとお辛いことが起こるかもしれません。
 それでもどうか、決して挫けずに。エドワード殿下をお支えできるのは、貴女だけなのですから」
「はい、おば様」
シェリアはクララの手を握って、しっかりと頷いた。

「エドワード殿下。内憂外患の非常に難しいこの時世に、若くして国政を担っておられるその御身、苦労はいかばかりかとお察し申し上げます」
 国内では政争が、諸外国とは紛争がある。若干17歳にしてそんな国の舵取りをかなりの程度任される重責。並みの人間では務まらない。
「この国で最もお忙しい方にこのようなことをお願いするのは気が引けるのですが……、どうか、息子を、アーシェルを、よろしくお願いいたします」
「親に万一のことあらば、弟の面倒を看るのは兄の務め。心配なさらずともよい」
エドワードはクララを安心させるように頷いた。クララもほっとした表情で頷き返した。

 この後、クララがアーシェルに何と言い遺したのかは、エドワードもシェリアも知らない。なぜなら、二人きりで話がしたいというクララの希望により、二人は一旦部屋を出たからだ。家族同然の間柄なのに何を今更、という気もしたが、やはり実の親子水入らずで話したいこともあるのだろうと、クララの意思を尊重することにした。

 二人が部屋の外で語らいながら、どれほど待っただろうか。それほど長くはなかったが、決して短くはない時間が経った頃――。
 部屋の中が突然、騒がしくなった。医師たちの緊迫した声、アーシェルの叫び声。二人が慌てて飛び込んだ時には、既に全てが終わっていた。
「残念ですが……」
医師の言葉が静かに響く。クララの表情は先ほどまでと何ら変わらない、安らかなものだった。
 枕元に立つアーシェルを見やると、彼は泣いていなかった。少し目を赤く腫らしているように見えたが、それでも涙を流すことはなかった。

        *    *

 クララを看病している時には今にも泣き出しそうだったアーシェルが少なくとも二人の前でさえ涙を見せていないのは、クララの遺言に理由があるのかもしれないが、二人とも敢えてそれを聞き出そうなどという野暮はしなかった。
「夕方、アーシェと二人きりで話したのじゃが……、今は悲しいというより寂しいという感じじゃったぞ。それも、やっと今日になって寂しさを感じ始めた様子じゃ」
「そうか……。いま無理をしているのでなければ、それでよいのだが。余やシェリーに泣きついてくるのは、もう少し先なのかも知れぬな」
 エドワードはそう言って再び星空を見上げた。その声音は少し調子を取り戻したようにも聞こえたが、表情が晴れないままなのをシェリアは見逃さなかった。
「悩んでおるのは、アーシェのことだけではないじゃろう……?」
「……さすがにお見通しか」
エドワードは苦笑するほかなかった。幼馴染でもあるこの妻に隠し事はできなさそうだ。
「シェリー、あそこに北極星群(フロックス・オブ・ポラリス)が見えるであろう?」
「うむ。……?」
「あれが、余のもう一つの悩みの種なのだ」
 一夜を通じて、また一年を通じて、星は絶えず夜空を動く。その中にあって、常にほぼ真北に位置して動かない星々を北極星群(フロックス・オブ・ポラリス)と呼んだ。古くから船乗りたちが方角を知るための目印として親しまれてきた星たち。とりわけ明るい星が含まれている訳ではないが、互いに寄り添ったまま動かないことから、協力や一致団結の象徴ともいわれている。それ故に、王家の字にも採用されているのだ。――例えば、王弟のフェリックス・セシル・フロックス・オブポラリス・プロ・アストリアといった具合に。
「今日の葬儀の際に叔父上にカマを掛けてみたのだがな。やはり余の推測は当たっていたようだ」
「そうじゃったのか……」
一致を象徴する星の名を字に持つ王弟が、分裂を引き起こしているという皮肉。その亀裂が、命を脅かすほどのものになっているという現実。これから、この国はどうなっていくのであろうか。
(否、どうにかしなければならぬのだ。他でもない、この余が)
 エドワードはもう一度、北極星群を見上げた。

        *    *

(眠れない……)
 アーシェルは布団から半身を起こして、窓の外の北極星群を眺めた。
 彼にしては珍しく、この夜は布団に入ってしばらく経っても寝付けないのだった。
(今日は、母さまのお葬式があったからかな……)
様々な気持ちが複雑に絡み合い、結果的に気分が高揚しているのかもしれない、と彼は考えた。そしてもう一度 布団を被り、今日のことを思い返す。
『その分、そなたが忘れなければよいのじゃ、アーシェ』
 先ほどから、すぐに思い浮かぶのは夕日に染まるシェリアの笑顔だった。自分が忘れなければいいのだという考えに目から鱗が落ちる思いだったが、それと同時に何故か彼女の笑顔も印象深く心に刻み込まれていた。
(やっぱり、眠れない……)
アーシェルは寝返りを打つと、もう一度 窓の外の北極星群を見つめた。
 シェリアも、あの星を見ているのだろうか。彼女は今、何をしているのだろうか。明日もまた、会えるだろうか――。

 幼い彼は、まだ知らなかった。その想いを世間では“初恋”と呼ぶことを――。

無剣の騎士 第1話

第2話 (http://slib.net/48132) につづく……

無剣の騎士 第1話

プロローグの続きです。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-10-30

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  1. scene1. 母子(おやこ)
  2. scene2. 密談
  3. scene 3. 園遊会
  4. scene4. 推理
  5. scene5. 殊勲
  6. scene 6. 葬儀
  7. last scene. 追憶