救済
人は猫に救われる、そんな事もある
「やあ、君。少し話しをさせてもらえないか?」
「は?」
「少しでいいんだ。そこから飛び下りる前に私の話しを聞いて欲しい」
「あ、あの」
「君の気持ちはわかるよ。長年付き合った女性と別れる事になった、その悲痛さがね」
「え?」
「それも別の男性の子を身籠っていたと聞かされさぞ辛かっただろう。しかもその相手が自分の友達だったんだからね」
「あの」
「身を引いた君の気持ちはわかる。君は派遣社員、片やその男性は開業医だ。彼女の将来を考えれば君の選択は正しいと言える。彼女に至っては天秤にもならなかっただろうね。そして二人の住まいのこのマンションの屋上から飛び下りるというセンセーショナルな身の引き方もね」
「はあ」
「人生の幕の引き方はそれぞれだ。正解はない。いや、多数あるのかな。だから私は君の行為を否定しないし、もちろん肯定もしない。私が君に言いたいのは」
「あ、あの。ちょっといいですか」
「何かね」
「基本的な事を聞きたいんですけど」
「何だい?」
「あなたは何なんですか?」
「私か?私は見ての通りだよ」
「ええ。あなたはあの、どこからどう見ても」
「うむ。そうだ。私は猫だ」
「猫ですね」
「吾が輩は猫である」
「くだらない。一体どこにマイクがあるんです?それでどこからぼくを見てるんです?」
「実に全うな推理だが残念ながらハズレだ。マイクはないし、当然マイクの向こう側の人物もいない」
「だったらどうして猫から人の声がするんですか」
「それが私の声だからだ」
「ふざけてますね?」
「心外だな。私は至って真面目だよ。私の声と口の動きを比較したまえ」
「あっている気がする」
「気のせいではない。一致しているんだ」
「じゃあロボットだ。猫型の」
「私に四次元ポケットはない」
「そっちの猫型ロボットじゃなくて」
「残念ながらまたハズレだ。私の大きさでしかもしなやかで滑らかな動きをするロボットを人類は開発していない。それに触ってみろ」
「あ、温かい」
「この命の温もりを人工的に再現するなど、世界平和よりも無理だ」
「じゃあ本物の猫??」
「そうだ。何なら動物学者と獣医を百人連れてきて私を検査するといい。全員が私を猫だと判断する」
「ムツゴロウさん一人で充分かと」
「うむ。気持ちに余裕が出てきたな。結構だ」
「出てない。パニックしてる」
「混乱はしているが君の思考回路は至って正常に機能しているよ。これは幻覚でも幻聴でもないしもちろん君が猫語を人語に変換できているわけでもない。私が人語で君と会話をしている。これは事実だよ」
「事実?」
「その通り。あとは君が事実を受け入れるんだ。彼女の不貞を打ち明けられた時のように」
「そんなバカな」
「そうでもないだろう?彼女の事実に比べれば私の事など易しいものだ」
「なんて事だ。何で猫がしゃべっているの?」
「それは私が自分の意思で訓練したからだ」
「ウソでしょ?訓練でできっこないじゃん。犬がニャアって鳴くのと一緒だよ」
「だから私はその為に構造から変えていったんだ。長い年月をかけてね」
「長い年月」
「そう。長い長い年月だ。君の想像を遥かに越えた時間を私は費やしたんだ。血の滲むような努力を信念を糧にしてね」
「あなた何歳?」
「私は長生きなんだ。死という絶対をどこかに落としたと確信するくらい長く生きている」
「猫なのに?」
「猫なのに、だ」
「信じられない。どうなってんの、これ」
「うむ。やはりすぐには理解は難しいようだな。セクシャルマイノリティと同じだ。では一服つけたまえ。さっき最期のタバコと言って吸っていただろう。まだあるはずだ。吸いながら私の話しを聞いてくれ」
「話し?」
「そう。話しというよりお願いかな」
「驚かないで聞いて欲しい」
「猫がしゃべる以上に驚く事なんですか?」
「はは。いいね。君はどうやら柔軟な思考の持ち主のようだな。それに頭の回転も速そうだ。政治家向きだよ、君は。友人に恋人を寝盗られて身投げする男とは思えんよ」
「イヤミに聞こえますけど」
「褒めているんだよ、繊細だとね」
「それで驚く事というのは?」
「うむ。まず結論を言おう」
「はい」
「ある人物を救いたいんだ」
「はい?」
「驚いたかい?」
「まあ多少」
「それは良かった」
「そのある人物というのはぼくじゃないですよね?」
「?何故君を救うんだ?」
「そこまで純粋に問われる事ですか?だってぼくは今、まさに」
「飛び下りようとしているな。ここは十五階の屋上。落ちたら即死だ。だが私は言ったぞ、肯定も否定もしないと」
「うっ」
「このお願い事を君に頼むのは君にまんざら無関係ではないからだ」
「ぼくの知っている人?」
「そう、よくね。私が救って欲しい人物は君が飛び下りる原因を作った人物だ」
「え?それって」
「そう。君の恋人を妻にする君の友人、堀友明氏だよ」
「え?何それ?何で助けなくちゃならないの」
「堀氏が危機に直面しているからだ」
「ぼく以上に?」
「ある意味では。だから私は堀氏を救いたい」
「ぼく以上に?」
「ある意味では」
「ぼくなんて今まさに命の危機に直面しているんですけど」
「自ら赴く事と連れて行かれる事では意味が違う。私の言ったある意味とはこういう事さ」
「?つまり彼は殺されそうだと?」
「近い将来必ず。私は心配なんだ」
「彼があなたの飼い主だから?」
「少し違う。私の飼い主は彼の妻になる女性だ」
「は?」
「私の飼い主は紅林佳寿美。君の元恋人だ」「??あの、相関図がまるでつかめないんですけど」
「だろうな。では説明しよう。聞いた君はきっと私の頼みをきく気になる」
「彼女は結婚詐欺師だ。堀氏の資産を手に入れようと画策している。このままでは堀氏は不慮の死を遂げてしまう」
「ちょっと待った」
「何かね」
「どこの彼女の話しですか、それ」
「君もよく知る紅林佳寿美だよ」
「そんなバカな」
「彼女に関わった男達はみんなそう言ったよ」
「信じられない」
「猫がしゃべる以上にかい?」
「うるさい」
「じゃあ聞こう。君は彼女の過去、生い立ちについて何か知っているかい?」
「うっ」
「確信を持って言うが君は知らない。そうだよね?」
「ええ、まあ」
「彼女が意図的に隠してきたんだよ」
「そんな風には見えなかった」
「彼女は巧妙で計算高い。長い経験で狡猾さも増した。君に微塵も気取られやしないさ」
「じゃあ最初から騙すつもりで?」
「その通り。君が彼女と出会ったきっかけは会社の同僚が主催したパーティーだった。そうだよね?」
「まあ」
「君は派遣社員とはいえ、勤め先は誰もが知っている大企業だし、学歴も申し分ないものだ。内向的な印象の君は彼女にはうってつけの獲物だったんだ」
「獲物」
「だが誤算があった。君は派遣社員で預貯金も微々たるものだった。彼女にしたら噛みついたらただのハリボテだった。そんな感じだっただろう」
「ハリボテ、ですか」
「言葉が強かったかな?ところが思わぬ収穫があった。君の友人の堀氏だよ。彼は資産家の一人息子で開業医だ。彼女が堀氏に狙いを定めたのは当然だった」
「それでぼくは捨てられて、彼はまんまと騙されそうだと。子供まで作って逃げようがない、と」
「少し違う」
「違う?」
「彼女は妊娠していない」
「は?だけど」
「彼女は巧妙だと言っただろう?男性に肉体関係があったと思わせるくらい、実に容易いんだ」
「で、でも普通確かめるでしょ?」
「倫理観に邪魔をさせたんだよ」
「信じられない」
「こうして彼女は堀氏と婚姻関係を結ぶ。ついでに堀氏に生命保険の契約を結ばせる。そして彼女のシナリオでは今月中に流産する」
「したようにみせる、と言う事?」
「そうだ。それも堀氏に責任を負わせてね。その原因を彼に作らせるんだ。これが見えない鎖となり、堀氏の自由を奪うんだ」
「そんな事ができるんですか?」
「できるんだよ。罠をはり、エサをまき、獲物を誘き寄せる。彼女はこういう手口で男性から大金をせしめてきたんだ」
「だから彼を救いたい、と。でも何で彼なんです?彼女はずっとこうして騙してきた、それをあなたはみてきた。でも今までは救う事はしなかったんでしょ?何で今するんですか?」
「ひとつ聞くが堀氏は友人の恋人を寝盗り、妊娠させるような男かい?」
「そ、それは」
「堀氏はきっと君以上に苦しんでいる。最近彼に会ったかい?」
「いいえ」
「だろうね。会えば驚くよ。彼の眉間に渓谷のようなシワができているからね。まるで哲学者だ」
「何が言いたいんですか?」
「それに大石遥子」
「な、何でその名前が今出てくるの」
「君の幼なじみだね。彼女も君を心配していてね。酒屋の看板娘から笑顔が消えて売り上げが落ちて困っている」
「何でそこまで知っているんです?」
「猫に国境はないんだ」
「どこかで聞いたような」
「それにね、人懐っこい猫にはつい人は心を許してしまうものなんだよ」
「まるで詐欺師だ」
「飼い主に似たのかな」
「でも今のぼくにはシワも売り上げも関係ないよ」
「君の事を自分の事のように大切に想う気持ちが本当に君と無関係かい?」
「うっ」
「君が彼女で命を投げ出すように、あの二人も君の事で命を張るんじゃないかな?」
「だからぼくが彼を救え、と?」
「そう。君が何に対して命を賭けるのかは自由だがその為に別の誰かが不幸にあってはならない。君の命を賭けた恋は君で完結すべきだ。堀氏の幕を下ろさせてはならない」
「何かぼくが悪いみたい」
「そう思わせるのも詐欺師のスキルだ」
「じゃあやっぱり詐欺師じゃないか」
「事情はわかったかな?だから私に力を貸して欲しい。飛ぶ鳥あとを濁さずと言うじゃないか」
「イヤな言い方するね」
「了承してくれるかい?」
「いいよ、やるよ。やんないと何か後味悪いし。で、どうすればいいの?」
「簡単だ。私のかわりに電話をかけてくれ。それだけでいい。用件は私が話すから」
「電話をかけるだけ?」
「そうだ。私の手ではいかんともし難いのだ」
「手というか前足ね。まあそれじゃ電話は無理か」
「猫の手のかわりに人の手を借りるわけだ」
「うまくないよ、それ」
「では頼む。電話は持っているね?」
「うん。最期に彼女に泣き言言う為に」
「怨み節だろ?」
「うるさい。それで?どこにかけるの?」
「殺し屋だ」
「は?」
「私も長く生きてきた甲斐があって腕の立つ殺し屋を何人か知っていてね。その中のカマイタチに依頼しようと思っているんだ」
「それ、本当ですか?世間話みたいに軽く言いましたけど」
「私は決意を内に秘めるタイプなんでね」
「殺し屋に電話するって事は誰かを殺すって事ですよね?」
「そうだ。私は紅林佳寿美の殺害を依頼する」
「ええ?」
「それが堀氏を救う事に繋がる」
「自分の飼い主を?」
「うむ。殺す」
「猫が言うと洒落にならないんですけど」
「私は本気だ」
「で、でも」
「君のためらいはわかる。だが彼女は真性の嘘つきだ。騙す事に快楽を覚える女だ。そこに何の呵責もない。そして今回は命を奪う事への呵責も捨てようとしている。彼女はもう駄目だ。生きていればこの先何人もの命と財産を奪い続ける。だから彼女を殺す。私が彼女の業を断ち切らなくてはならないんだ。飼い猫の私がね」
「でもだからと言って殺す事は」
「彼女の嘘は本能であり確信的だ。始末が悪いのは九割事実を言い、残りの一割で大事な真実を偽る。だからみんな騙される。彼女の嘘は治らない」
「でも、それなら警察に行けば」
「警察は彼女の罪を立証できない。だから私が罰を与えるんだ」
「それでも殺人はいけないよ」
「君が殺すわけじゃない。番号を押すだけだ」
「だけど」
「カマイタチは一流だ。失敗も証拠を残す事もない。これで君に何らかのトラブルが起きる事は皆無だと断言する」
「そう言う事じゃなくて」
「じゃあなんだい?何故君はためらうんだ?彼女はある種ガン細胞だよ。切除は当然だ」
「違うよ。彼女はガン細胞じゃない。人間だよ」
「ものの例えなんだが」
「知ってる。でもやっぱりぼくには無理」
「気に病む事はない。君は番号を押すだけだ」
「でもそれで彼女は死ぬんだよね?という事はぼくは彼女と同じになる」
「ならないよ」
「一緒だよ。殺人を目論むんだから」
「ほう」
「それはイヤだ。ぼくは彼女と同じになりたくない」
「ではどうするんだ?このままでは堀氏が犠牲になる」
「彼に事情を話すよ。きっとわかってくれる」
「君から出向くのかい?」
「ちょうどぼくは彼のマンションにいるしね。これから行ってくるよ」
「これから?じゃあ飛び下りはその後かい?」
「まさか。しないよ。彼女の為に死ぬなんてバカバカしくなったよ。彼女が邪魔をしなきゃいいけど」
「しないよ」
「え?」
「彼女は君の邪魔をしない。存分に語り合い、溝を埋め、友情を深めてくるといい」
「??何それ」
「やれやれだ。ずいぶん回りくどい手法をさせるものだ」
「何言っているの?」
「なに、独り言さ。気にしなくても彼女は留守だ。健診と偽ってのパチンコだがね。今日は風が強くないかい?こんな時にカマイタチは起こるんじゃないかな」
「?あの」
「彼女はそのまま戻って来ないよ。二度と君達の前に姿を見せない」
「?何を言っているんですか?」
「ハッピーエンドだよ。さあ、君は堀氏のところへ行きたまえ。私もそろそろおいとましよう」
「は、はあ」
「ああ、そうだ。君にひとつ打ち明ける事があるんだ」
「何ですか?」
「私は君にひとつ嘘をついていた」
「嘘?」
「そう、今までの私の発言でたったひとつね。わかるかい?」
「猫がしゃべる事、ですか?」
「はは、ハズレだよ。何か知りたいかい?」
「そりゃ気になりますよ」
「ではヒントだ」
「ヒント?」
「君はお酒が好きかい?」
「ええ、まあ」
「だったらお勧めの酒屋がある。今時珍しい看板娘がいる酒屋でね。君の大好きな銘柄のお酒とそしてヒントがある。いや、正解かな。行ってみるといい」
「?何ですか?それ?」
おわり
救済
読んでくださり、ありがとうございました。
この作品は「私に四次元ポケットはない」というフレーズが先に浮かび、書きました。
それがオチになる予定でしたが、前半で出すという失策のおかげで当初の構想とは別物になるという体たらくになってしまいました。グズグズです。
それでもご意見ご感想、よろしくお願いいたします。
また、お付き合いくださいね。