観覧車
全編 ~迷っていることがあれば右~
近所の動物園の中には小さな遊園地がある。戦争が終わり、日本が平和な国家として生まれ変わろうとする頃にここに出来て以来、復興のシンボルの一つとして存在している。
近くで商店を経営していた両親にはよく連れて行ってもらった。私のお気に入りは観覧車だった。他の遊具は動きが速く、当時の自分を恐怖に陥れるには充分で、喜びながらジェットコースターやクルクル飛び回る椅子に乗る姉たちの気が知れなかった事を思い出す。その点観覧車はゆっくりと回り、園内の一番高い地点に登る。決して大きなそれではないが、観覧車の中からは街が一望でき当時3歳くらいだった自分を満足させてくれたものだ。
私は遊園地に行けば必ず観覧車に乗って、力強く移り変わる戦後の復興をこの観覧車からずっと見守りながら大人になり、一般的な学校を出て、一般的な会社に就職し、一般的な女性と結婚し、三十路の時に娘が生まれた。五月一五日生まれに因んで葵(あおい)と名付けた。裕福ではないが、仕事をすればそれなりの対価が得られる。収入の安定しない家業を継ぐより会社に勤める方が時代と自分には合っていて、忙しいのも受け入れることができた。
動物園は古くなったが今も変わらずそこにあって、ここに来た子供たち、かつては「子供たち」だったお父さんお母さん、かつては「お父さんお母さん」だったお爺さんお婆さんを今も変わらず満足させる。
自分が生まれた頃から回り続けている観覧車も勿論健在だ。あの時少年だった自分が娘を連れてここへ来ると思うと感慨深くなって、ついつい時間が経つのを忘れてそれを見上げては立ち尽くす――。恥ずかしいが今でも動きの速い遊具は苦手だ。
今日は葵が三歳の誕生日だ。小さく生まれて来たが大きな病気一つせずちゃんと成長している。最初は何をしていいのかわからずオロオロするばかりだったが、「好き」「イヤ」「ぶーぶー」「だーだー」だけで彼女の考えていることが大体わかるようになったのだから親というのは不思議なものだ。
仕事の終わった土曜の午後、動物が好きな葵を連れて家族三人で動物園に行った。今では多種多様な娯楽も増えたが、自分が子供の頃はこの動物園くらいしか近くに娯楽施設がなかった。父が連れて行ってくれるのもいつも此処で、自分が父になった今、子供を連れていく先の選択として動物園はいつも選択肢の中にあった。
私と同い年のゾウや器用に道具を使うチンパンジー、葵は動物たちを見てご機嫌な様子で、私達は喜ぶ娘の姿を見てご機嫌になった。抱っこをするのは私の役目だ。仕事が忙しく、留守を妻に任せる機会が多いにも関わらず、葵は私になついてくれる。
一通り園内を練り歩いたあと、併設の遊園地に足を踏み入れた。いろんな遊具がある。三歳の娘に乗れそうなものは多くはない、大人になっても速い遊具が苦手な自分の子なのでそれは構わなかったが、三歳でも乗れるものが一つだけある。そう――、それが観覧車だ。私はその大きな車輪を見て、娘に私自身が長年暮らしてきた街を高い所から見せてあげたくなった。
二人分のチケットを買おうとすると妻がやんわりと断った。
「あなたと葵ちゃんとで乗りなさいな、私は結構ですから」
妻のお腹には新しい命がある。今夏、葵は姉になるのだ。車内で何かあったらお腹の子供に良くないと説明する妻は母親らしい優しい笑顔を娘に向けた。
「二人だと葵はぐずるよ」母の手を離さない娘の顔を見た「そんな気がしてならんのだけど」
「またそう言って私を誘うんですから――」
妻は暗に自分も乗るように言っているのが、私の口癖でわかるようだ。
「大丈夫ですよ、葵はお父さんが好きだから。ほら、行っといで」
葵は私の手を引いて「カンランチャ、カンランチャ」と言いながら私をその遊園地一大きなものへと誘った。
*
ここの観覧車は不思議な事に入り口が二つある。小さなゴンドラの両方向に扉が付いていて、観覧車のホイールの両側に階段がある。私のような常連客ともなると二つある階段の前で「今日は右にする?それとも左?」とか言ったものだ。これは階段がホイールを挟んで左右に別れているが、通な話になると右から階段を登ればゴンドラは右から来るそれに乗る、左なら当然逆だ。乗る方向で観覧車が時計回りか反時計回りになるので、いつしかそれを左右で表現するようになった。
乗る方向で景色が変わるかって?そんな事はない。どっちから乗ろうがそれはただのゴンドラだ。
「迷っている時は右、思い出したい事があったら左」
根拠は全くないが、自分の中で観覧車に乗る時の基準としている。今日は仕事に少し疲れていたので右側から乗ることにした。階段を上がり、向かって右側からゆっくりとゴンドラがやってきた。直径2メートルもない円柱状のそれは青く塗られていて、「30」と番号が充てられている。
係員に誘導されて私は葵の手を引いて小さなゴンドラに乗り込んだ。
そして私は膝の上に葵を乗せると、何故か反対側の扉が開いた。係員の姿は見えなかったが、「どうぞー」の声とともに一人の女性が乗り込んだ。年の頃なら同じくらいだろうか、髪は長く、最先端のファッションだろうか、あまり見たことのないワンピースを着てスニーカーを履いている。少しふっくらしているのは太っているのではない、妻と同じでお腹に赤ちゃんがいるみたいだ。
係員の誘導ミスだろうか?いや、何度となくこの観覧車に乗っているがこんなことは何度かあった、詳しくは思い出せないがそのいずれもが楽しかった記憶が朧気ながらにある。みんな夢をもって乗る観覧車だ、僕は相席になってもいいと思うし、むしろそれを願いさえもする。
「すみません」
女性は私に微笑みかけた。母親になろうとする女性の笑顔は私を充分に癒してくれる。初めて会うはずなのに、私は何故かその女性に惹かれた。
「いえいえ、構いませんよ」私も子のいる父親の顔を見せた。
ゴンドラの扉が閉まり、ゆっくりと動き始めると娘が興奮してゴンドラの中で跳ねてはしゃぎ出した。
「ほーら、葵。大人しくしなよ」
「はいっ!」
「えっ?」
私は暴れる娘の腰を捕まえると、元気な返事が返って来たので驚いて頭を上げた。三歳の娘が返事をするはずがない。返事をしたのは相席の女性だった。面白い事にそのタイミングがピッタリで、まるで葵が応えたみたいだったので私は思わず吹き出してしまった。
「あっ、ごめんなさいね」女性もつられて笑いだした「この子、葵ちゃんというのですか?」
「そうです」
「実は、私も『葵』なんです――」
「はぁ、それで思わず返事したのですな」
「私も何だか父に呼ばれたような気になって、つい……」
お互いに笑いあった。
「今日が、誕生日なんです。五月一五日生まれなので『葵』にしようと父が名付けてくれたのですよ」
「奇遇ですね。うちの葵も今日で三歳なんですよ」
小さな葵は大人の葵『さん』に一生懸命練習した「3」を指で表現しようとする。
「まぁ。葵ちゃん、おいで」
娘は葵さんの膝の上にちょこんと乗ると、急におとなしくなった。
「おや、これは珍しい」私はその光景を見て思わず声が漏れた。
「人見知りする子で、知らない人にはなつかないのですが」
その姿はまるで妻が娘を抱いているようにしか見えなかった。まるで違和感がない。下にいる妻が見たら何と言うだろうか?やましい事はないのだが、どこか後ろめたいが癒された不思議な気持ちがゴンドラの中に生じるのを感じた。
「そうですか、私は保育士でしたから……」
「『でした』ですか?」
葵さんは私のお腹に視線が移るのを感じたようだ。彼女は「ええ」と返事をしただけで、おおよその事は聞かなくてもわかった。
*
観覧車はゆっくりと上がり、半分を越え、園の外の風景が見え始めた。「何ヵ月、ですか?」
葵さんはその質問を待っていたかのように、聞かれて表情が明るくなった。
「7ヶ月です」彼女は満面の笑みを浮かべた「結婚は早かったんです。ですが……」
結婚10年目、やっとのオメデタだそうだ。夫とはうまく行っているようだが姑とはそうは行かず、口を開ければ「孫の顔」と言われ続け辛い日々を送ってきたようだ。欲しくない訳ではない、とにかく今まで出来なかったのだ、流産も経験した。そしてそのプレッシャーを打ち払うが如く今回の妊娠は安定期に入り、気分も上向いて来ていると言うのだ。
「それは良かったですね」
「33で初産ってのも遅いでしょう?」
喜んではいるが不安もあるようだ。
「いえいえ。私の妻も33ですが今年出産します。第二子ですが」
私はそう答えた、彼女の不安を少しでも軽くしたい、一人の人間として思った。話が進み、妻が下で見ているのを教えようとしたが誤解を招きかねないので黙っていることにした。
「ママ、あっこ、いる」膝の上にいる葵がゴンドラの下方を指差した。私はドキッとしたが、葵さんも私の思惑を察してくれたのかただの思い過ごしか、妻の姿を見つけられなかったようだ。
「先生もママと来てるんだよ」
葵さんは慣れた口調で娘に語りかけた。夫の出張を理由に姑のもとを離れてこの近くにあるという実家に帰って来ているのだと説明があった。
「ママ、いるね」
葵は妻の方を見て手を振ると、妻も手を振り返した。私は少し気まずい気持ちで下を見た。大人の葵さんが指差す先には妻がいる。周辺にもにたような年代の人はちらほらいるが、葵さんの母親らしき人物は結局見つからず観覧車はどんどん上がり、人の表情も見えないくらいに小さな粒へと変わっていった。
*
ゴンドラは頂点に到達せんとする。周囲に見える街の景色、北方の山は緑々と茂り、南方の海は多くの貨物船が行き交う。この瞬間が一番好きだ。土俵入りの横綱が最初の四股のあとジリジリとせりあがるように泰然と頂きに到達する。学校や会社でも一番になれない私は、この時だけは一番になった気になれる。そして頂点を越えればあとは下がるのみ、当たり前のことなのに現実が下から手を引いて戻そうとする気がしてそれが少し寂しい気がする。
「そうですか、実の親御さんは喜ばれたでしょう?」
私はもう一度下を見たが、やっぱり葵さんの母親と思われる人は見当たらない。
「はい」元気な返事が返ってきた「初孫なんです。母は自分の事のように喜んでくれて……、ただ……」
「ただ……?」
今度は小さな葵が私の膝の上に乗った。
「だーぶーぶ?」
娘は大人の葵さんの顔を見て声を掛けた。3歳の娘が言う突拍子もない言葉に大人は照れ笑いを浮かべた。娘が言う「だいじょうぶ?」は私が仕事から疲れて帰って来た時に言う口癖だ。仕事では自分を殺し、いつもカリカリしていると妻からよく聞かされる、自分に掛けられた暗示のようなものを解くのが娘の一言だ、それで私は癒される。
葵さんの顔を見ると、確かに少し曇ったような気がした。私には感じないものを娘は感じるようだ。
「母は良いのですが父の状態がよくないのです」
「そうですか……」
私は無礼な質問をしたことをお詫びした。
「父は仕事の虫でした」
ゴンドラは頂点を越え、ゆっくりと現実世界への帰路につき始めた。
父は会社人間で、記憶では遊んでくれた記憶は乏しいと言う。小さい頃は「仕事終わったら遊ぼうね」と聞かされて父の帰りを待つのだが、起きている時間には会えずじまいの日が多く、思春期にはすれ違いも多かったようだ。そして父は40余年の勤めを果たし定年退職を迎えた。しかしそもそもが強くない体に現役の頃の無理がたたったのか最近病気がちで状態が良くないとのことだ。初孫の顔は見られるかどうか、それが心配だと葵さんは言う。
「男ですねぇ、貴女のお父さんは」
私は葵さんの父について、一理納得できるところもあった。仕事をする以上は会社のため、そしてそれは家庭のためとなる。時には自分を犠牲にして鬼にならなければいけない、そう考えている男は自分含め多い。仕事に徹する彼女の父を少しでも弁護してあげようと思い、ついそんな台詞が出た。
「仕事に生きる男は私も理解できます。でも体を壊しては、元も子もありませんよね」
「確かにそうですね」葵さんは私の言葉を否定しなかった。
「でも父は『実家を継いだ方が良かったのかな』とよくこぼしていました」
私は返す言葉がなかった。自分自身も家業を継いで欲しいという親の希望に耳を傾けず自由は少ないが収入の多い会社勤めを就職先として選んだからだ。病気一つせずに還暦を越えても今も現役で店を切り盛りしている父を思い浮かべると、それを話題に挙げることは出来る筈もなく、そしてそれは葵さんの父に言っている言葉なのに、自分にいわれているようにしか聞こえなかった。
「本当なら父と乗りたかったんです。もう一度だけでいいので……」
今日ここへ来たのも、久し振りに観覧車にでも乗ってみたらという父の提案があったそうだ。自分の変わりに行って欲しい、葵さんにはそう聞こえたようだ。
*
ゴンドラは水平線を下回り、ゴールが近付いてきた。もう少しこの時が続いて欲しい、そんな気持ちとは関係なく観覧車は同じスピードでゆっくり降りてゆく――。「現実」という終着点に確実に向かっている。
「ありがとう……、ございました」
葵さんは私に深々とお辞儀をすると、娘も同じようにお辞儀をした。
「いえいえ、私こそ」私がそう言うと、葵が膝の上から飛び下りて、葵さんのお腹をさすった。
「あーちゃん、げんき。パパ、だーぶーぶ」
「まあ、葵ちゃん。ありがとうね」
葵さんの変化を見て、なぜかそれがそこに答えが書いてあるかのよう に悟った。
「胎動ですか?」
「ええ、この子は私がさすらないと動かないのに……、不思議ですね」私は二人の葵を見て、あり得ない仮説が浮かんだ。私は暗示にかかっているのだろうか?わからない。いや、たとえそれが暗示だとしてもかかっても構わないと思った、
「葵……さん」
「はい?」
彼女の名前を呼び始めたところで葵さんはその顔を私に向けた。
「できますよ、必ず。根拠は有りませんが……」
「何が、ですか?」
「お父さんとここに来ることですよ」それから私はつい、無責任な口癖がこぼれた。自信はないけど、そうなって欲しいと思う時に出てくる言葉だ。
「そんな、気がしてならんのですよ」
彼女は顔をこちらに向けず、娘の頬をつついていた。私がそう言うのを最初からわかっていたかのように小さく答えた。
「私も、そんな気がします――」
右側の扉が開いた。係員が私と小さな葵を誘導する。ここは観覧車「待って」と言っても待ってはくれない。次の客を乗せるために、ゴンドラはゆっくりと動き続ける。
「こちらこそ、ありがとうございました」
私が降り際に会釈をすると、葵さんはニコッと微笑んで左側の扉から降りていった。左側の扉も開き、葵さんも同じように降りていった。そして青く塗られた30番はゆっくりと向かって時計回りに移動していった。
*
「行くよ、葵」
娘は歩く気はない様子だ。私は葵を抱きかかえ階段を降りた。その先で身重の妻が私たちを迎えてくれた。この観覧車の出口は先が別れていて、たとえ相席になっても出口で一緒になることがない。今までもそうだった。大人の葵さんの姿はそれから園内でも見ることはなかった。
「どうでしたか?」
「ああ……」私は整理できていない頭のまま口を開いた
「あおいちゃん、いた」
「そう?葵ちゃんいたの」
「あーちゃん、いた」
妻は葵の説明をニコニコしながら聞いている。本当の事として聞いているかはわからないが、私はそのやり取りを横からボーッとして見ていた。
「どうしたのですか?まるで誰かと会って来たような顔ですよ」
私はなにも答えなかった。不思議なことにゴンドラの外からは相席した葵さんは見えなかったようだ。何故だかわからないが、以前相席になった時もそうだった。亡霊でも見たのだろうか?そんなはずはない。私と葵はさっき乗った「30番」のゴンドラで葵さんと同じ時を過ごした。それは間違いなく本当だ。
「あの……」
「なんですか?」
「僕……、店、継ぐよ」さっきの言葉が脳裏によみがえった。今まで頭の片隅にあった思い、本当は小さい頃から家を継ぐつもりでいた。だけどそれに頼らずに生きる姿を見せたい自分も同じようにあった。今まで誰に言われても動かなかった意思が、観覧車で出会った女性に動かされるとは不思議なものだ。
「収入は減るかもしれないけど、いいよね?」
「あなたがそう思われるのでしたら、私は、反対しませんわ」
妻は私の告白を喜んで受け入れた。というよりも彼女はそれを望んでいる。口に出したことは一度もないが様子でわかる。
「お義父さん、喜びますよ」
「かもね」
私たちは観覧車に背を向けて歩き始めた。
「また、何故そう思われたのですか?」
「葵が、そう言ってるような……」娘はご機嫌な様子だ。今度は妻のお腹にいる弟か妹に何やら話し掛けている。
「またまた、今日はおかしいですよ」
お互いに笑いあったあと、私と妻は全く同じタイミングでいつもの口癖が出た。
「そんな気がしてならんのだ」
後編~思い出したいことがあったら左~
「葵、動物園にでも行ってみましょうか」
母の何気ない言葉だった。
小さい頃から動物園にはよく連れていってもらった。近所にあるのと安価であることだけでなく、父は動物園が大好きだったので遊びに連れてくれるといえばここくらいしか私の記憶に鮮明なところがない。
父は会社勤めで毎日忙しく、私が大きくなるにつれ、一緒に遊んでくれたという記憶は薄くなった。多感な年頃の時は仕事に没頭する父を恨みさえした時もあったが、自分が大人になって社会人となり、父のような勤勉な人間が日本における戦後の高度経済成長を支えてきたことがわかるようになった。今の日本は親の世代が建て直したと言っても過言ではない。私たちの世代は既にできあがったものを引き継がれ、それを維持も発展も出来ずにドロップアウトした者がいかに多いことか。
便利で裕福になった社会の代償。私たちは大切な何かを昔に忘れてしまったのかもしれない。
「お父さんが小さな頃から動物園はあってね、観覧車が大好きだったのよ……」
母の話では父は速い乗り物は苦手で、ここの遊園地には何度となく来ているのに、観覧車しか乗らないそうだ。その話は祖父母や伯母たちにもよく聞かされた。人気のテーマパークに連れて行ってくれなかった一因であるのは大人になってからわかった事だ。
*
私は葵、五月一五日生まれで、葵祭の葵をとって父に名付けられた。
祖父が経営する商店街の真ん中にある小さな店で育ち、一般的な学校を卒業し、地元の幼稚園で保育士として就職した。23歳の時に一般的な男性と結婚し、この街を離れて10年、出張の多い夫の留守を守ることが多い。そりが合わない姑から孫の顔が見たいとプレッシャーをかけられ続け、二度の流産を乗り越えて、33歳にして今回の妊娠は初めて安定期を迎え、年度の変わった先月、産休をとる予定だったが夫と相談した末、退職することにした。
結婚生活に文句がないといえば嘘になるが不安はない。夫にしても、今のご時世嫌な事から逃げ続けて生きることもなく、一世代前の人に言わせればそれが当然だろうが彼なりに一生懸命奮闘していると思う。子は無意識に親を理想若しくは基準とするそうであるが、私もそのようで夫のそんな真面目なところに惹かれた。留守を守ることが多いのも親から見ればそれは贅沢に聞こえるだろうか。
今日も夫は先週から出張中で、私は実家の母の元へと帰った。店は現在弟が切り盛りしていて、時代にうまく適応させた。現役を退いて近くで隠居している祖父母は、父は店を継がなかったが孫である弟が継いだことがとても嬉しいようで、いつでも死ねると冗談を言えるほど健在だ。
しかし――、父である。父は現役の頃の無理が祟ったのか、元々体が強い方ではなかったのか、病に冒され入退院の繰り返しだ。病院からは、父が長くない事を聞いている。何かしてあげられることがなかったのだろうかと考えては自分の無力さを恨めしく思う。そして祖父母が健在なだけにあまりにしのびない。
「ここから、観覧車が見えるんだ」
母と一緒に父の見舞いに行くと、父が病室の窓から見える観覧車の方を見て呟いた。動物園は見えないが、観覧車だけは高いところにあるため上端から3分の1くらいが遠くに見える。
「あそこへ行けば、元気をもらえる」
そう言ったあと、希望をこめた事を言うときの父の口癖が出た。
「そんな気がしてならんのだ――」
日に日に痩せ細って行く父、何もできない自分を恨む。とにかく何かしてあげることができないだろうか。そんな思いを読んだのか、母が言った言葉がこうだった。
「葵、動物園にでも行ってみましょうか」
動物園の中の遊園地、そこにある観覧車。私も嫌いじゃないけど、それを愛して止まないのは病床に伏せる父なのだ。なのにその父を前にそんな事を言う母の様子を疑った。
「あら、勘違いしちゃだめですよ」
母は笑って私を諭した。本意を直接に表現しない世代の、穏やかで温厚な父が「私の変わりに動物園に行きなさい」とやんわりと命令しているのだと母は言っているのだ。それだけのやり取りで通じあう二人を見て、夫婦生活の長さと深さを感じずにはいられなかった。
父の一言から私も同じように窓から見える観覧車が急に懐かしくなり、久し振りにあのゴンドラに乗ってみたくなった――。
*
私と母は病院をでてバスに乗り、久し振りに動物園のゲートをくぐった。お腹の子供も喜んでいるようで、いつもよりお腹を蹴る回数が多い。園内は老朽化が進んでいるが私の記憶にあるそれとは変わらず、傍にいる母が「あの時はあなたが――で、その時は……」と解説してくれて、当時の記憶とシンクロする。父ともよく来たし、今は店主となった弟とも来た。そのカケラになった記憶はどれも楽しいものだった事だけは記憶にある。
そしてたどり着いたのが観覧車だ。父の話だと、父が3歳くらいの頃に出来たというから、かれこれ60年だ。その間多くの人を夢の世界に連れて行っては戻って来た。父は速い乗り物が苦手で、一緒に乗った事がある遊具は観覧車だけだ、私は嫌いでも苦手でもないが、そんな理由で他の乗り物は自分の記憶に薄い。母の話では私が三歳の誕生日の時に初めてこの観覧車に乗ったと教えてくれたけど、残念ながら遠すぎる記憶は思い出せない。今はお腹に新しい命があるので、そんな速い乗り物には乗らないが、唯一乗れそうなのがこの観覧車である。
ここの観覧車のゲートはなぜか入り口が二つある。観覧車の断面を分けるように右と左に。父がよく言ってたことだが、右に行くと観覧車は時計回りに、左に行くと反時計回りに見える。小さい頃父とよく乗ったものだ。父の説明では
「迷った時は右、何か思い出したい事があったら左に行くといい」
と言っていた事を思い出した。左右どちらの方向から乗ったところでゴンドラから見える景色が変わるわけではないうえ、理由を聞いても教えてくれた事がない、若しくは覚えていない。でも父ならこう言っていただろうと想像がつく
「そんな気がしてならんのだ――」と。
遠慮をした母を残して私は一人、観覧車に乗ることにした。どっちでもよかったが、私は左に行くことにした。父の変わりに何かを思い出させてあげたいと直感したからだ。
向かって左側からゴンドラが来た。見慣れた円柱形のゴンドラだ、青く塗られて「30」番と番号が振られている。そもそも観覧車というものはゴンドラ毎に順繰りに人を乗せるため完全に停止することがなく、ゆっくりと動く。私は係員に誘導され、ゴンドラに乗り込んだ。するとどうだろう?なぜか見知らぬ子供連れの男性が既に乗っているのだ――。
年の頃なら私と同じくらいだろうか、背広のズボンにネクタイをしている。連れている子供は3歳くらいの女の子だ。二人とも共通して服のセンスがかなり古く、お父さんは七三分けで、女の子は昭和の頃に流行ったであろうアニメのキャラクターがプリントされた服を着ている。
私はその親子を見て「すみません」と会釈すると、
「いえいえ、構いませんよ」とニッコリと微笑んでくれた。
*
小さい頃からこの観覧車には何度も乗っているが、今までにも相席することは何回かあった。それはそれでいいと思っている。何故なら相席したときは楽しかったような気がしているし、滅多にないラッキーなことだと思うからだ、自分もその相手も。例えば、彼氏とデートしている時にそうなったら気まずいのだろうが、その時に相席になったことは一度もない。とにかく、私見では全然嫌ではなかった。
相席の女の子。目がくりくりしていて可愛らしい。自分も子供ができたらこうやって観覧車に乗せてあげるのかなと思いながら、景色を見るのを忘れて仲のよい親子の様子に視線を奪われた。
「ほーら、葵。大人しくしなよ」
目の前のお父さんははしゃぐ娘の腰を捕まえた。その言葉を聞いて私は思わず大声で返事をしてしまったのだ。
「えっ?」
お父さんは娘ではなく私を見てビックリした様子で私を見ていた。私は、思わず返事をした経緯を話してもいいと思い、つい吹き出してしまった。
「この子、葵ちゃんというのですか?」
「そうです」
「実は、私も『葵』なんです――」
「はぁ、それで思わず返事したのですな」
「私も何だか父に呼ばれたような気になって、つい……」
お互いに笑いあった。
「今日が、誕生日なんです。五月一五日生まれなので『葵』にしようと父が名付けてくれたのですよ」
「奇遇ですね。うちの葵も今日で三歳なんですよ」
小さな葵ちゃんは私にに一生懸命練習したであろう「3」を指で表現しようとする。
「まぁ。葵ちゃん、おいで」
私が両手を広げるとこぼれそうな笑みを浮かべて私のところに来た。
「おや、これは珍しい」お父さんがポツリと呟いた。
「人見知りする子で、知らない人にはなつかないのですが」
「そうですか、私は保育士でしたから……」
「『でした』ですか?」
お父さんの視線が下がるのが見えた、私のお腹を見て言わずともわかった様子だ。
「何ヵ月、ですか?」
子を持つ親の顔で質問をしてきた。顔がほころんでいるのがわかる、優しい顔だ。
「7ヶ月です」
私は自信をもって答えた。安定期に入るまでに二度の流産を経験しているだけに、私の周囲ではこの質問がタブーになっていた。今なら聞かれても怖じ気づかない。「結婚は早かったんです。ですが……」
私は、初めて会う人に自分の事をベラベラ喋った。普通ならそんなプライベートな話はしないのに、不思議と魔法にかかったかのように話していた。目の前のお父さんは嫌な顔ひとつせず黙って私の略歴を聞いていた。なぜだかわからないが、とても温かい気持ちがして安心するのを覚えた。
「それは良かったですね」
「33で初産ってのも遅いでしょう?」
「いえいえ。私の妻も33ですが今年出産します。第二子ですが」
お父さんは周囲を見回して少し落ち着きがない。それもそうだ、偶然とはいえ見知らぬ同年代の女性と観覧車に相乗りしているのだからドギマギするだろう。おそらく『葵ちゃん』のお母さんは下にいて、この光景を見られたらどう言い訳しようかと考えている様子だった。
「ママ、あっこ、いる」
葵ちゃんが下方を指差した。しかしゴンドラが上がってきたのと同年代の母親らしき人物が多すぎてどれがお母さんなのかわからなかった。
「先生もママと来てるんだよ」
今度は私が葵ちゃんにそう教えて、さっきと同じ方向を指差した。私の母は私を小さな子供を見るかのように手を振っていた。
「ママ、いるね」
葵ちゃんが母を見つけたかはわからないが、ご機嫌で下に手を振り替えしていた。
*
ゴンドラは頂点に近づく、何度乗ってもこの瞬間は緊張し、テンションが上がる。人である以上頂を望むのは本能なのだろうか?とにかくこの一瞬は気持ちがいい。
「そうですか、実の親御さんは喜ばれたでしょう?」
「はい」私は元気な返事をした「初孫なんです。母は自分の事のように喜んでくれました」
ゴンドラがピークを過ぎた。登れば下る、当然の摂理である。いつも「もうちょっとだけこの時が止まって欲しい」と思うがそれは叶わぬ事だ。
「ただ……」
「ただ……?」
目の前のお父さんを見て、病院にいる自分の父がだぶって見えた。
「だーぶーぶ?」
突然聞こえた葵ちゃんの幼児ことば、「大丈夫?」と心配された。まるで心を読まれたかのように私は話を続けた。
「母は良いのですが父の状態がよくないのです」
「そうですか……」
お父さんは何も悪くないのに謝っていた。日頃は優しい人なんだろうなと思える感じだ。
「父は仕事の虫でした」
愚痴を喜んで聞いてくれる人はそういない。言う方も決して楽しくない。なのに私は口が滑るのを止められない。気付けば見ず知らずの人にとりとめのない話を一方的にしていた。
「男ですねぇ、貴女のお父さんは」
目の前のお父さんは夫とは違った優しさがある。話し方や仕草がどこか父に似ていて、私が話すのを文句一つ言わず聞いていた。
「仕事に生きる男は私も理解できます。でも体を壊しては、元も子もありませんよね」
「確かにそうですね」私は頷いた。見た感じは同年代なのに、話の内容や考え方が一世代上の人間が言っているように聞こえて仕方がない。
「父は『実家を継いだ方が良かったのかな』とよくこぼしていました」
私は外の景色を見た。父のいる病院が微か遠くに見える。
「本当なら父と乗りたかったんです。もう一度だけでいいので……」
私は、本人には面と向かって言えない言葉がこぼれた。まるで学生時分の友達に告白の練習をしているような気になった――。
*
ゴンドラは水平線を割り、徐々にゴールが近付いてきた。
「ありがとう……、ございました」
思わずお礼の言葉が出た。色々ととりとめのない話を聞いてくれて本当にありがたいと思ったからだ。メールや電話で夫と話をするよりもよほど温かく思えた。
「いえいえ、私こそ」私がそう言うと、葵ちゃんが膝の上から飛び下りて、私のお腹をさすった。
「あーちゃん、げんき。パパ、だーぶーぶ」
「まあ、葵ちゃん。ありがとうね」
お腹の子供が喜んではしゃいでいる。彼女を仲間と認めたと叫んでいるようだ。
「胎動ですか?」
お父さんも私の心が読めるのだろうか?胎動は外見ではわかりにくいものなのに、彼にはそれが見えているようだ。
「ええ、この子は私がさすらないと動かないのに……、不思議ですね」
この親子から発せられる雰囲気は何だろうか?初めて会うのに懐かしいような、偶然が重なり続けている。もしやこの人たちは?否、そんな筈はない。私は考えている間にもゴンドラは確実に進んでいた。
「葵……さん」
「はい?」
沈黙を破ったのはお父さんだ。私は葵ちゃんのかわいいほっぺをつついていた。
「できますよ、必ず」
「何が、ですか?」
「お父さんとここに来ることですよ」そして私の疑問が確信に変わる口癖が聞こえた。
「そんな、気がしてならんのですよ」
これが幻でも私は構わない。父の言う通り、左側からゴンドラに乗り込んだ事で遠い昔に置き去りにした何かが見つかったような気がした。
「私も、そんな気がします――」
無意識に私は答えていた。
*
右側の扉が開いた。二人は外に出るように係員に促される。
「こちらこそ、ありがとうございました」
私が会釈をすると左側の扉も開き、私はお腹を押さえながらゴンドラから降りた。そして青く塗られた30番はゆっくりと向かって反時計回りに移動していった。
観覧車の出口は入った扉の方向で違っており、以後はあの親子を見かけることはなかった。探したとしても見つからないだろう。
「そんな、気がする――」
私が観覧車の正面に戻ってくると、母がベンチで待っててくれた。
「どうだった?」
「うん……」まとまらない感想を表現できず、返事だけはする「良かったよ」
「まるで誰かと乗っていたような顔よ」
私はそれには何も答えなかった。それよりも、さっきの出来事を父にどうしても話したかったのだ。
「病院に戻ろうよ」
「戻る?誰か入院しているの?」母は私の頭に日傘をさした「お父さんが待ってるわよ、早くお店に帰りましょう」
「お店?」私は驚いたが、事態を理解するのに不思議と時間はかからなかった。
「ああ、そうだったね。早く帰りましょう」
私は観覧車を背中に歩き出した。観覧車はゆっくりと回り続けている昔も、そして今も――。
観覧車