一人心中
もう待ちきれない。私は兄さんを監禁する。
もう待ちきれない。私は兄さんを監禁する。
大体、今までそうしなかった方がおかしいのだ。兄さんは私を必要としている。明確に言葉にされたことはあまりないが、そうに違いないのだ。私が献身に献身を重ねて尽かしてきたというのに、兄さんと言えば昭和の夫婦のようにご飯だのトイレだの名詞でしか話をしないのだ。いや、夫婦のようには言い過ぎた。いずれはそういう関係になりたいと望んでいるし、兄さんもそれを望んでいるに違いないと確信--この気持ちは確信だーーしているけれども、それでもやはり段階を経ないとならないのだ。否、否ーー問題にしているのは夫婦がどうとか、そういう話ではない。それは私たちにはまだ早い。いやいや、お互い、結婚ができる年齢なのだから早くはないのだが、そうではなくてーーそう、気持ちの問題だ。だから監禁なのだ。だから今、監禁なのだ。今までは兄の気持ちを尊重したいと、それを大切にすることが兄にとっての最良の女性像だと、そう言い聞かせて辛抱していたが、あの兄ときたら、まったく進展がない。一つ屋根の下に、私という女がおりながらまったく意識をしていないのだ。齟齬だらけだ。怒りさえ沸いてくる。いや、愛する者に怒りなんて覚えないのだけれど。なぜなら私は兄さんの理想の女性だから。兄さんの理想は優しくて自身を甘やかしてくれる妹であるに違いないのだ。だから私が怒るはずがない。いつだって私は怒っていない。そうだ。誰だ、私が兄に怒っているなどと吹聴した不心得者は。もし、目の前にいたら、叩き殺して、縊り殺して、轢き殺してやろう…………。何の話だったっケ。そう、兄の、兄の話だ。私は仕事をしている時以外で話すことといえば、兄の話以外には有り得ないのだ。そうだ、私に落ち度があるとしたら、小さい頃から身近に居すぎた。それだけだ。私が近くにいてずっと甘やかしすぎたせいで、私が女性の基準になっているのだ。私以外には存在し得ない、私の代替という架空の存在を求めているのだ。理想の恋人がここにいるというのに、それに気が付かないくらいに恋に盲目なのだ。はは、これは可笑しい。恋に盲目。よく言ったものだ。冷静に周りを見ることができないなんて。まったく兄さんったら、いつまでも子どもなんだから。
私は、すべて覚えている。
兄が高校生の頃、つまり私が中学校に通っていた時のことだが、兄が目を腫らして帰ってきて、何も話さずにすぐに自分の部屋に戻ってしまったことがあった。父母は面食らいながらも、少し冷静さを取り戻してから話した方がよいと判断したそうで、少し様子を見ていた。もしくは、同姓である父には男性特有の思春期の機微がわかるのかもしれなかった。しかし、それを理解するには私は若かった。私はすぐに兄の部屋に這入った。兄は学生服の上着だけを乱暴に脱ぎ捨てて布団をかぶっていた。兄が悲しんでいる要素--それが例え概念だとしても、私がどうにかしなければならないと強く思った。場合によっては兄をこんな目に遭わせた者を殺してしまい、警察に自首する覚悟くらいはできていた。それは私にとって、兄におやつのアップルパイを譲るのと同じくらいの意味しか持たない。人殺しは良くないし、牢屋に入るのは嫌だったけど、兄がそれで少しでも気が晴れるなら、否、それで私に対して申し訳ない思いを抱くなら、そういう些細な傷をつけることができるなら、私は喜んで犠牲を出すし犠牲になる。兄が兄であると言うだけで、他はすべて無条件になれた。だから私は兄さんに訊いたのだった。「何を悲しんでいるの」と。いま、らくにしてあげるからね。兄は布団の中でただ首を振っただけだった。声を出さないのは、声が震えてしまうだからだろう。そういう弱さも好きだから、私にはその震えた声も聞かせてほしかった。あいしているから。あいしているから。でも兄は何も言わなかった。私は子どもの時にするみたいに、兄のベッドに近づいてそっと頭を抱いた。そうして二、三、背中のあたりを優しく叩いた。兄は声を殺して泣いていたかと思うと、私に寄りかかって一層強く泣き始めた。いとしいひと。私はふと、兄がこんなに泣きはらすのは女のことじゃないかと思った。兄は勉強もスポーツもできる方ではないが、だからこそ学業での劣等感には慣れっこだと思ったのだーー否、そうではない。それではまるで、私が兄を理屈で理解しているかのようではないか。それは事実ではない。単に、女の勘が働いたのだ。兄に「女の子のこと?」と問うと、ぎゅうと抱きしめる腕が強くなった。雄弁な肯定だった。胸に顔を埋める兄がまるで自分の子どものように思えて愛しかった。至福の時だった。本当の話をすると、兄が私以外の女に惹かれていたことを知り、深く傷ついたが、兄は私が近くにいたから気がつけなかったのだ。「灯台下暗し」の喩えもある。青い鳥が身近にいたことに気付けないのはチルチルやミチルだけではないのだ。仕方がないことなのだ。むしろ、私が兄の魅力に気がつけただけでも僥倖なのだ。すきだよ。私は、抱きしめている愛おしい存在をもっと近くに感じたかった。誓ってもいいが、この時の私に平時のような邪な気持ちはなかった。純粋に傷を癒すためにした医療行為みたいなものだとーー否、話はそれほど崇高ではない。もっともっと簡単な話で、『いたいのいたいのとんでけ』をしたかったのだ。だから私はシャツの前を開け、下着を取り、そこに兄の顔を抱き寄せた。兄は始め、驚いていた様子だったが、私が何も言わなかったため、従うように体重を預けてきた。それから先は二人の秘密になった。私から誘ったような気もしたし、兄がより体重をかけてきて押し倒されたのかもしれない。覚えていないわけではないが、しあわせは鍵をかけてとっておこう。私たちはベッドの間近だというのに、フローリングの上で何度か愛し合った。身体が火照っている分、床が冷たかったのを覚えている。行為の途中、断片的にではあるが、兄が同じ学校の女子に振られたようなことを言っていた。当然、私はその女に嫉妬をしたが、それでも兄と繋がれたことが全てを帳消しにしてくれた。私たちの仲を取りもってくれてアリガトウと、却って感謝したいくらいだ。少女漫画雑誌でいえば、主人公と彼を繋ぎ止める傍役のようだとさえ思えて、ヒロインに位置する私が嫉妬をするのはお門違いだとさえ思った。元々、兄に対しては熱に浮かされていた私ではあったが、その日は輪をかけて浮かれていたのだろう。一時的とはいえ、私を必要としてくれたのは、どれだけ嬉しいことだったろう!惜しむらくは、時期が悪かったのか愛の結晶が生まれなかったことだけであるが、私はこの思い出だけで生きていけると思った。それに、赤子の生産に使われていないということは、兄の一部が私の中に残り続けているのではないか……実際はタンパク質として身体に吸収されるとかなんとか、耳年増な友人に聞いたことがあるが、事実などどうでもよかった。人がアミノ酸の塊を好きになるわけじゃなく、『人間』を好きになるのは、感情が優先されているからじゃないか。だから、私の中には未だに兄の愛の証が残っているのだ。科学的な根拠など、必要ない。滑稽だと言われようと、そうなのだ。
私は、すべて覚えている。
それから私たちの仲は、ぎこちなくなった。それくらいは想定していたので、私の方は意外と落ち着いていたものである。あるいは、行為の後の多幸感が私をおかしくーー犯しくーーしていたのかもしれない。まして、兄は私を無理矢理襲ってしまったと勘違いを起こしていたようで、ひどく自己嫌悪に陥ってしまったようで、悩む日が増えていたようだった。それを受け、私は少しの間、兄から離れることにしたのだった。それは兄のことを思いやって、というよりも、私自身に余裕ができたからに他ならない。また、私に申し訳ない、という気持ちを抱けば抱くほど、兄の頭の中の『私』の占有率が高まると思うと、それだけで子どもみたいに涙が出てきて幸せを感じるのだ。狂っていると言わば言え。私は物心ついた頃から兄のことばかり思っているのだ。他人が理解できるとは思えない。
それでも私は、この事実を以て兄を束縛しようとは考えなかった。例えば、私が望めば、親に言うぞと兄を脅し、関係を継続させることは容易だった。しかしーーはしたない言い方になるが、兄が肉体関係の継続を望むなら、いつだって身体を差し出すつもりでいるが、兄が望まないのであれば、束縛するべきではないと判断したから、何も言わなかった。なにせ、私以外の人が高校生活で兄と恋仲になろうとするならたったの3年間で関係の開始をしなければならないが、私が兄の妹である以上、この関係はどちらかが死ぬまで一緒なのだ。一緒、なのだ。このアドバンテージは計り知れない。小指の赤い糸を信じている輩には悪いが、私たちは身体ごと癒着しているようなものなのだから。どちらかが死ぬまで、関係は継続されるのだ。最愛の人が生まれた時から傍にいる気持ちがわかるだろうか。いや、わからないだろう。私の、私だけの、しあわせ。
私は、すべて覚えている。
兄は、高校を卒業してから東京で一人暮らしをしてしまった。淋しくないと言えば嘘になるが、それでも私のお腹の中にある温もりを思えば、さほど苦にならなかった。ただでさえ同じ血液が通っているのに、それよりも濃いものが脈打っているのだと思うだけで、世の中のどんな過ちも許せる気がした。兄は年末しか実家に帰ってこなかったが、それはやはり負い目からなのだろうと思うと、嬉しくてたまらなかった。わたしのことをかんがえてくれたんだね。私は兄のそういうかわいいところを思う度に、表現の仕方がわからないくらいに、嬉しい。
そうして数年が経ち、私が高校を卒業した時、東京に行くから兄の部屋に住みたいと話したとき、兄は苦い顔をしていた。電話口でもどんな顔をしているかわかる。それは私にとって当たり前だった。それでも、私の『いたいのいたいのとんでけ』からは五年ほど経っていたこともあって気まずさが薄れたのか、あるいは密かに私との関係を望んでいたのか(それは些か楽観的すぎる考え方だろうが)、私が東京での住居を見つけるまでという期限付きで、兄の家に住むことになったのだった。
私は、すべて覚えている。
私が兄の家に住んで一年が経った頃だった。私は当然、引っ越す気なんてなくて、兄の食事を作って、洗濯をして、兄の家計の足しになるように就職して、できるだけ私を追い出せないように手一杯の世話を焼いた。何度かそれとなく関係を迫ってみたこともあったが、学生時代の過ちを思い出すのか窘められるだけで終わっていた。それでも兄の傍で朝を迎えられるなら、どんなものだって投げ出してもいいくらいだったから、私はそう落ち込んでもなかったと思う。そうして、私が仕事を終えて家に帰ると、夜ご飯に作っておいたハンバーグ(兄の大好物だ)が皿の上に置いてあるまま食べられていなかった。会社の付き合いで飲みにでも行っているのだと思ったし、今までこういうことは何度かあったのだから心配する方がおかしいのだ、携帯に連絡くらいあっても良さそうなものなのに、兄さんってばズボラなんだカラ……と自分に言い聞かせていたが、思いに反して胸がどきどきしてしまってまともに立てなくなっていた。目眩がしていた。吐き気がしていた。喪失感がしていた。そして、幻肢痛がしていた。失くした身体の痛み。これは理屈ではないのだ。これは、勘である。あのときみたいに。兄がいない。あんなに近くにいた兄がいない。これは確信だった。
しばらくすると、警察から電話があった。電車に飛び込んだ者がいて、財布の中に身元がわかる書類があったのだという。死体の確認はできなかった。兄には特徴的なほくろも、常に身につけていた装飾品もなく、肉片や骨片しか残されていなかった。その代わり、私が朝に用意したスーツとネクタイ、おまけに昼の弁当のチャーハンまで外に飛び出ていたことを聞いて、まず本人に間違いがないだろうと判断されたそうだ。
兄は遺書を書いていて、その中には「失恋をしたため、自殺をします。家族には申し訳ありません」ということが簡素に書いてあった。私があまりに取り乱すものだから、警察の方から「お兄さんが亡くなられてショックでしょうが…」と宥められたが、違う。違う!兄は、結局私のことなんて、眼中になかったのだ。私の涙は最愛の人を亡くした涙でもあったが、それ以上に失恋の涙だ。はっきりわかった。きょうだいの関係も断たれた。私は、もう、なんでもない、ただの女になってしまった。あまりに非道い。最低だ。裏切られた。つらい。頭に血が上る。怒りを覚える。いや、怒ってはいない。私は、ただの私になっても、兄の理想の女性像そのものでなければならないのだ。でなければ……でなければ、私の二十年間が、徒労だったなんて、誰が認めるものか!どうして!私の身体を触って、欲情して、たとい形式の上でも「好きだよ」なんて言っておいて、私のことを見ていなかったなんて、考えたくもない!考えたくないんだ!やめろ!ふざけるな!怒っていない!怒っていない!私は理想の女性像だ!そうだろう!そうなるよう、この二十年間、努めてきたはずだ!兄が好きにならないはずがない!兄さんだって子供のころかわいいって、言ってくれたじゃないか!『いたいのいたいのとんでけ』の最中だって、「好きだよ」って言ってくれたじゃないか!なぜ、私を、見て、くれなかったんだ……兄さん……兄さん……。
それからは兄の葬儀が執り行われた。喪主は父で、母は観客席に居ながらもずうっと泣いていた。私は何度もあの日の兄の精子が股から流れ出ていく夢を見てしまっていて、その夢を見る度に不安になって起きては何度も何度も股を確認したし、漏れないように対策をとっているので精一杯だったし、また、食事も水分を摂ることも忘れていたせいか、涙も何も出なかった。身体が私の形を維持するだけで精一杯だったのだと思う。気を抜けば、ぐずぐずに溶けてしまいそうだった。それでも身体の中にある芯のようなものだけは常に痛みを発しているので、私は溶けていなくなれないこともわかっていた。葬儀の際に家族として何かをしゃべらされたような気もするし、そんな状態でもなかったような気がする。すべてを覚えている私は、実はここだけ、覚えていない。
私は、すべてを、覚えている。
うっかり忘れるところだった。監禁の話だった。監禁の話だ。私が上司にもっともらしい理由で有給を三日ほど取って、仕事から帰って、途中ホームセンターに寄って、兄のアパートに帰ると、兄も同じタイミングで帰ってきた。珍しいことではないが、私は「運命かもね」と冗談めかして言ってみる。兄の顔は伺えないが、きっと苦い顔をしていると思う。苦い顔をしていなければならない。兄は、まだ、あの『いたいのいたいのとんでけ』を気にしていなければならないのだから。兄はそうい人なのだ。私にはわかる。もう、何年も前の話を気にしているのだろう。私はあの時、嫌じゃなかったんだよ。もう、そんなに気になるの。いつまで経っても兄さんは優しいね。あ、手洗いをしてね、うがいもだよ。インフルエンザが流行っているんだから。と言うと、私と同じタイミングで、手洗いとうがいをした兄。タオルで拭ってやり、食卓に料理を並べる。私と兄が住んでいるアパートは変わらないが、一つ、私のわがままで大きな姿見の鏡を買って壁に据え付けた。電気を点けるまで闇を映していた鏡はテーブルと兄が映った。あの時、ハンバーグは食べられなかったから、同じ大好物のカレーライスを作ってみたんだよ。兄さん。美味しい?と聞くと、うん、美味しい、と返事があるはずだ。私が食べても美味しい。兄さんの大好物だもんね。兄さんは子どもの頃、毎日カレーがいいって言ってたんだよ。毎日カレーは難しいけど、食べたいときは言ってね、私が作ってあげるから……大丈夫、飽きたらなんでも作ってあげる。ハンバーグは作ってあげられないけど、なんでもいいよ。そうだ、今度、実家から鮭が送られてくる季節だね。兄さんは鮭が大好きだもん、どうやって料理しようか、単に焼くだけだとつまらないじゃない。ホイル焼きは好き?と話が弾む。わたしは、にいさんが、すき。
食事が終わって、そういえば、私、兄さんを監禁したいの。そう言うと、露骨に嫌がる顔をする兄。兄ならここで嫌がらなければならない。そういう人だから。私が一番わかっているから。そういう顔をする人だから。
嫌だよ……と言って兄は逃げようとするが、私の手で簡単に羽交い締めにできる。後は、簡単だ。ホームセンターのレジ袋から大きな釘とトンカチを出して、壁に手の平を打ち付ける。次に分厚い手首を。慎重に、かつ自力では抜けないように。次に肩を。ごめんね、痛いよね。でもこうしないとだめだから、ごめんね。ほら、いたいのいたいの、とんでけ。兄さんはこれが好きだったよね。次は耳を。次は足の甲を。念のため、親指も。痛いね。私にも伝わってくるくらい痛いよ。二人は一心同体だもん、私も痛いから、我慢、して。兄さんは他の女の子ばっかり見てるんだから。私と一緒にいれば、私のことを好きになってくれるはずだもん。次は身体を打ち付ける。見て、兄さんの好きな髪型……。次は身体を。次も身体を。見て、兄さんにしか許さなかった身体……。次も身体を。身体を身体を身体を身体を身体を。見て、兄さんに似ている顔……。これから私がご飯をあーんしてあげて、おしっこもうんちも全部世話してあげるからね。男の人のこと、よくわからないけど、性欲が溜まったら、私が世話してあげる。謝らないで、怖がらないで。大丈夫、私たちは、アレでしょう………………………………………………………………あれ、私たちは、なんだったんだっケ。
私は……すべてを…………失っている?
その後、彼女は有給休暇の後も会社に出勤してこなかったため、五日後に会社の上司とアパートの大家によって見つかった。警察によると、彼女は身体の片側を壁に自ら釘を打ち付けて、失血死していたとの話しである。釘でできる傷自体はさほど出血を伴わないが、彼女は何度も釘を抜いて、料理を作り、机の向かい側からわざわざ姿見の鏡に料理をくっつけて、また元の位置に戻り何度も釘を打ち付けた形跡があった。まるで鏡の向こうに食事をさせるために延々と釘を打ち付けて、そして抜くという生活を数日の間続け、元々の衰弱とその際の頻繁な刺し傷による出血が元で死亡したとのことである。
また、近隣住民によると、頻繁に誰かに話かけているような声がしていたという。住民が言うには相手の声がしないので、電話かと思っていたそうだが、実際には彼女の手の届く範囲に電話はなかったことから、彼女は精神に異常があって、『食事』させていた鏡に向かって話しかけていたのではないかと予想される。
職場の証言では「兄と住んでいる」と話していたものの、警察の調べでは兄は既に亡くなっており、詳細は不明。
また、これは死因に直接関係しないが、何かを漏らさじと自らの性器を針と糸で幾重にも縫いつけてあったこともわかった。何かを隠している可能性があるため司法解剖が行われたが、性器の中には何もなかったことが判明しており、この理由も依然として不明なままである……。警察では変死としてこの事件を処理する方針、だとか……。
(了)
一人心中