対話

出会い

「知っているようで何も知らないものなのだよ。」
そういいながら、彼は私に微笑みかける。
そして、必ず遠くを見つめるようにしながら、最後にこういう言った。
「無知の知。人々はいつ無知だということを知るのだろうね。」

彼と会ったのは偶然だった。
その日、私はいつも通りにネットのアバターを使って話し相手を探していた。
ちょうど仕事で大きなミスをしてしまい、誰でも良いので会話をして気を紛らわせたかった。
しかし、いつも使っていたチャットルームがちょうど満席だったので、たまたま見かけた『無知の知』というチャットルームに入ることにした。

チャットルームに入ると、奥のテーブルに1人の男性が座っているのが見えた。
内装は古いカフェのような感じで、テーブルは5つくらいしかなかった。

「どうぞお嬢さんお座りください。
 こんな怪しいチャットルームに、かわいらしいお嬢さんが入ってくるなんてね。」

そういいながら、彼は私に席をすすめた。
その男性のアバターは、シルクハットに燕尾服で、右手にはステッキを持っていた。
私はすすめられるままに、椅子に座ったが何だか落ち着かなかった。
他のテーブルには人はいなく、私たちだけだった。

私は少々居心地の悪さを感じたが、だからといってすぐには退出することはできない。
何を話そうかと考えていたら、相手の男性が話し始めてくれた。

「このチャットルーム、二週間前くらいに作ったのだけど、名前が不気味なのか皆なかなか入ってきてくれないんですよね。
 しかも、入ってきた人に席をすすめてみても、皆気味悪がってすぐ出て行くしね。
 このアバターが悪いんですかね?
 私的には結構気に入っているのですがね。
 という訳で、この席に座ってくれたのは君がはじめてなんですよ。
 よかったら、話していってくれるとうれしいのだけどね。」

声の感じからすると、それほど年を取った感じではないし、話し方も物腰の柔らかい人の印象を受けた。
もしかしたら悪い人では無いのかもしれないと、その時の私は思った。

「あっ、あの。私も話し相手を探していたので、お話しできたらうれしいです。」

少々緊張していたせいか、少しうわずった声を出してしまった。

「そうですか、それはよかった。
 それでは、何について話せば良いかな。何か興味のあることはありますか?」

「えっ!えーっと・・・。」

私は急に話題を探さなければいけなくなり焦ってしまった。
それで、とっさにこのチャットルームの名前を思い出した。

「あの、ここのチャットルームの『無知の知』というのはどういう意味なのでしょうか?」
「無知の知を知らないのに、ここに入ってきてしまいましたか。
 それはそれで興味深いですね。」

そういいながら、彼は笑いながら続けた。

「ソクラテスですよ。」
「ソクラテス?」

私の頭の中には疑問符がたくさん浮かんでいた。

「そうです。
 昔の哲学者で、その人の言葉に無知の知というのがあるんですよ。
 まあ、この言葉を知らないひとは多いかもしれないですね。」
「昔の哲学者ですか。どれくらい昔なんですか?」
「彼が生まれたのは紀元前469年です。」
「紀元前!
 そんなに昔なんですか!
 そんな昔の人の言葉が今に残っているのって何だかすごいですね。」

私の言葉に彼はさらに声高く笑い出した。

「すいません。私変なことを言いましたか?」
「いえいえ、すごく面白いお嬢さんだ。」

そういいながら彼はまだ笑っていた。
何がそんなに面白いのか分からない私は、少々戸惑いながらどうすれば良いか分からなくなっていた。

「いやはや、申し訳ない。
 少々不意をつかれてしまいました。
 そうですね、すごいですよね。
 そんなに昔の人の言葉が残っているなんてね。」
「は・・・はい。」
「そう考えると、今残っている昔の言葉はすべてすごいことになりますね。
 無駄なものは消え、良いと思われるものだけが残っていく。
 そして、次の世代につながっていく。
 まるで遺伝子のようだ。」
「遺伝子ですか?」

いきなり考えもしない単語が出てきて驚く私を無視するかのように彼は続けた。

「そう、長い時間をかけて変わっていくものと、変わらないものがあり、いいのものは残り、適応できないものは消えていく。
 長い歴史の中で消えた言葉はいくつあるのでしょうかね。
 その時代に適応できないものはすべて消えていく。
 その繰り返しですよね。言葉も生物も。」
「適応できないと消えるってことは、絶滅っということでしょうか?
 恐竜みたいに。」
「そうですね、恐竜もそうでしたね。
 大量絶滅する生物の共通点は知っていますか?」
「え? 共通点なんてあるんですか?」

大量絶滅した生物なんて恐竜しか知らない私からすれば、共通点なんて予測もつかない。
そんな戸惑っている私を見ながら、彼は説明を続けた。

「大量絶滅した生物はたくさんいますが、分かりやすいところで言えば『恐竜』『アンモナイト』『マンモス』とかでしょうか。
 これらには、『その時代に一番数が多く、広範囲に生息していること』という共通点があります。
 それでは、今現在それに当てはまる生物は何でしょうか?」
「それが分かれば、次に大量絶滅する生物が分かるんですね。私の知っている生物ですか?」

理科は得意でなかった私の知識で答えることができるのか不安だったが、一応考えてみようと思った。

「えぇ。必ずあなたも知っています。」

一番数が多くて、しかもどこにでもいる生物。
そして、私が知っている動物といえば、ちょうど1つだけ思いついたものがあった。

「もしかして、イヌですか?」

そう答えた私をしばらく見つめた後で、彼は静かに口を開いた。

「良い予測です。
 ただ、違います。答えは人間です」
「人間ですか!」

予想外の答えに私は驚きの声をあげた。

「今現在、人間が住んでいないところなんて一握りでは無いでしょうか。
 南極にだって住んでいますからね。」
「では、次に大量絶滅するのは人間かもしれないんですか?」
「1つの可能性です。」

そういって、彼は微笑んだ。
この短い時間で私は今まで知らなかったことをたくさん教えてもらった気がした。

「何だか、今日たまたま入ったチャッルームでしたが、今までにしたことがなかった会話ができて楽しいです。」
「そういってもらえると嬉しいですね。」
「いつもチャットルームで話す内容って、趣味の話とか仕事の愚痴とかだったので。
 こういう話をしてくれる人がいなかったので、何だか新鮮でした。
 それと、私が知らない面白い話もあるんだなっと思いました。
 それと、まだまだ自分は知らないこともいっぱいあるんだなっと思いました。」

そういうと、彼は少し驚いた顔をしたように感じた。
そして笑いながら、

「そういう気持ちが、無知の知の扉のへの第一歩かもしれないですね」

そういった。
私はよく意味はわからなかったが、彼はそれ以上語らなかった。

私たちは、その後また数分間会話を楽しんだ。
ただ、夜も遅かった上、私は次の日も会社があったため切り上げることにした。
そして、最後にまだお互いに名前を知らないことに私は気がついた。
今更なきがしたが、またできれば会話をしたかったので、私は名乗ることに決めた。

「すいません。
 今まで話してきて今更な気がしますが、私の名前はシズクと言います。
 もしよかったら名前を教えてもらえないですか。
 今日楽しかったので、また是非お話ししたいので。」
「嬉しいですね。
 私は、ほぼ毎日夜にはここにいると思うので、いつでも遊びにきてください。
 名前はですね・・・。
 そうですね、好きに呼んでください。
 アバター作る時も適当に名前の欄は12345としてしまいましたし。」
「え!好きに呼んで良いんですか?」

私は戸惑ってしまった。
名前を人につけることになるなんて思っても見なかったため、とっさに良い名前が思いつかなかった。
さらに、時間をかけすぎるのもまずいと焦り、頭に浮かんだ名前をつい口に出してしまった。

「ソクラテスさんとかはどうですか?」

一番記憶に新しい名前が出てしまい、もう少し気が利いた名前を言えばよかったと後悔していると、彼は嬉しそうに答えた。

「いいですね。
 昔の賢人の名をいただけるなんて滅多に無いことですしね。
 ありがとうございます。」

意外にも嬉しそうなので私はホッとしながら、今度絶対ソクラテスについて調べてみようと思った。

これが、私と彼ことソクラテスさんとの出会いだ。
これから先、このネット世界の端のような小さいカフェの用な場所で、ソクラテスさんと一緒に色々語り合うことや、彼自身について色々知っていく事になるなど、その時の私には全く予想もつかなかった。

対話

対話

近未来での話で、アバターのチャットルームでたまたまであった男性と女性の話です。 哲学や科学の話が好きな男性と、全くそういったことに興味が無かった女性が知り合い、 それから少しずつ興味を持ち始めていくという話です。 1話完結で、色々なことを話題にして書いていきます。

  • 小説
  • 掌編
  • サスペンス
  • ミステリー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-10-29

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