君の手を 第10章

 翌日、とりあえず図書室には来たものの、何かをしようとする意思はまったく湧かなかった。
早瀬さんは昨日と同じように本を読んでいて、僕はカウンターから見て正面やや左奥のテーブルにいる。そこに座り、手を重ね、その甲にあごを乗せ前を見ている。ただ前を見ているだけで、視界の隅にいる彼女の様子を観察する気はあまりない。そんなことをしても意味ないし。

 何の予定もない午後のように、表面的には穏やかで退屈な時間が少しずつ過ぎていく。

 退屈になるのがわかっていながら来た目的はただ一つ。昨日のことが気になったからだ。
来るのかな、今日。長谷川さん。

 このまま喧嘩別れ、なんてことにはならないはずだ。きっと、仲直りはする。きっかけはどっちからだろう。たぶん、長谷川さんだろうと僕は思っていた。昨日の帰り際に「ゴメンっ」って言ってたし。

 でも、長谷川さんも頑固そうだしな。どうだろう。すぐには来ないかもしれない。

 まあ、そうなったらそうなったで、仕方がない。

 時計を見た。……まだ2時間近くある。

 ……サッカー部にでも、見に行ってみようか。
中野はどうしただろう。丸一日経って、結論は出ただろうか。

 たぶん、中野はユースに行くだろう。あいつは何気にいろんなこと気にするタイプだから、あんなふうに言われてそのまま残るとは思えない。それに、何よりあいつ自身がそれを望んでるんだ。あのときから、そうだったんだ。

 ……あのとき、変にひねくれずに素直になっていたら、どうなっていただろうか。僕らはウマいっていったって、所詮は『街で一番の美少女!』みたいな感じで。それもとりあえず町じゃなくて市だけど、ってくらいの規模の。……この街みたいな。だから全国的に見ればたぶん、上手いってわけじゃない。絶対にプロになれる、なんて言い切れるレベルじゃないのはわかっている。

 それでも、僕らはまだ中学生なんだ。これから高いレベルでやれば、いくらでもうまくなる可能性がある。その希望を持ったって、よかったんだ。

 ……よかったんだよなー。少なくとも、あの時「プロになりたい」って言っても、中野にバカにされることはなかったのに。

「たぶん、なれるんじゃね?」って言っても、「だよなー」って笑ってくれたのに。そしたら――。

 ……止めよう。タラレバをいくら考えても意味は無い。虚しくなるだけだ。

 あーあ。無駄に時間があるから変なこと考えちゃうんだよなー。

 あーっ! ボール。ボール蹴りてー。もう、この際サッカーじゃなくてもいいよ。バスケでも、何でも。とにかく、余計なこと考えられないくらい体動かして、汗かいて、腹減らして、そんでその後ガツガツ飯食って、寝て。そういう、そういうのが――。

 ……。

 やっぱり、サッカー部は見に行く気になれない。時計を見た。後1時間半ちょっと。まだまだ全然だな。また歌でも歌うか?

 ふと窓の外を見ると、桜の木の枝が目にとまった。昨日鳥が止まっていた枝。早瀬さんが見ていた場所。

 僕はふらりと立ち上がり、窓をすり抜けその枝の上にとまった。枝の上にしゃがんでそこから中を見る。かろうじて彼女の顔が見えた。もちろん彼女は僕には気づかない。
昨日みたいにカッとなったりはしない。でも、ため息は吐きたくなる。

 ……虚しい。

 また図書室の中に入り、残りの時間をダラダラと過ごした。せめてもの腹いせにテーブルの上で寝っ転がってやった。彼女の方を向いて、じっと彼女を見てやった。僕は見てやった。

 正午を告げる鐘が鳴り、僕はむくりと上半身を起こした。そしてドアのほうを睨む。

 はたして長谷川さんはやってくるのだろうか。早瀬さんの様子は昨日と変わらない。気にしていないわけないから、もしかしたら来るかどうか知っているのかもしれない。もしそうだとしたら、帰る様子がまったくないので、来るということなのだろうか。

 時計の針が回る。3分経過。……5分経過。まだ来ない。

 ……10分経過。いつもなら、そろそろ来る時間。だが、その気配はない。

 ……さらに5分。まだ来ない。しかし彼女も帰る様子を見せない。

 ……さらに5分。僕は長谷川さんは来ないんじゃないかと思い始めていた。それでも彼女が帰る様子を見せないのは、

 単に急いで帰る必要がないからかもしれない。本がちょうどいいところで、一区切りしてから帰るつもりなのかもしれない。そんな風に考え始めたときだった。

 ガラッ、とドアの開く音がして、そちらを見ると、なんと男が入ってきた。顔にまったく見覚えがないのでおそらく2年ではない。雰囲気から察するに、たぶん1年。誰かがここに来るのは珍しいことだが、感想文の本でも借りに来たのだろうと思った。でも、そいつはまっすぐにカウンターへ、早瀬さんのところへ向かって行った。

「廉っ」

 レン? そちらを見ると、驚いた表情の早瀬さんがいた。

「なんで、廉がここに?」

「……長谷川先輩に、言われた。今日、行けないって言えって」

 それを聞き、早瀬さんの表情が曇った。やはり今日は来ないのだ。いや、それはともかく、レン? レンって、昨日長谷川さんが言っていた、アイツか? ……なんか、妙になれなれしい気がするんだけど。

「じゃ、そういうことだから」

「ちょ、ちょっと待ってよ。私も帰るから」

 ……えっ?

 男のほうは一度嫌そうに顔をしかめてから、彼女のことを気にする様子もなくさっさと出て行った。慌てて彼女はそれを追いかける。

 ……えっ?

 二人が目の前を通りすぎ、鍵が締まる音がした。

 ……えっ、ちょ、えっ?!

 ようやく僕も二人を追いかけた。でも、頭は混乱していた。なにがなんだかわからない。

 二人の背中を見つけて、でも二人の間には結構距離があった。男――レン? は相変わらずスタスタと歩いていて、それを早瀬さんが早足で追いかけていく。

 ……この男は、なんだ?
長谷川さんを先輩、と呼んでいたのでやはり一年、たぶんバスケ部だろう。まだ気まずいので後輩に伝言を頼んだ、といったところか。問題は、なぜその伝言係と一緒に早瀬さんが帰っているのか、ということだ。しかも彼女が帰りたがった。それがわからない。

 そして、名前。レン。あの時の会話で出てきた「レンも心配してる」のレンか? これが。しかも、男。僕はたぶん女子だろうと思っていた。あの二人に仲のいい男がいるなんて思ってもみなかったから。それなのに――。

 それも問題だが、さらにわからないのがこの男の態度。まるで早瀬さんを無視しているようじゃないか。追いかけて来ているのはわかっているはずなのに、まるで気にせずどんどん進んでいく。早瀬さんが「ちょっと待ってよ」と言うと、迷惑そうに振り返り、少し立ち止まるが、完全に追いつく前にまた歩き出す。仕方なく早瀬さんが早歩き、時には走り、どうにか追いついてもまたすぐに離れてしまう。そのくせ完全に置いていく気はないのか、たまにチラッと振り返り速度を緩めたりしている。

 なんなんだコイツは。

 身長は170くらいか。短髪で、いかにも爽やかスポーツマンって感じ。顔も、まあ、悪くない。チッ。これでバスケがうまいんだったら、間違いなくモテるな。で、こんな態度でも、クールとか言われるんだ。こんなのただ無愛想で気が利かないだけじゃねーか!

 なんでこんなやつと早瀬さんは一緒に帰ってるんだ? ……そういえば、さっき「レン」って呼んだな。……呼び捨て?!

 なんで呼び捨て?

 ……もう、わけがわからない。

 駐輪場に着き、あの男が自転車を持ってくるのを早瀬さんは待っていた。それなのに、出てきた男はそれを無視して勝手に行きやがった! あっけにとられ、声を掛ける間もなくただ呆然と見送っていた彼女は、しばらくしてから歩き出した。さすがに怒っていた。当然だ。なんだよっ! マジで!! 取り憑いてぶっ、――ビビらせまくってやろうかっ!!!

 姿が見えなくなっても怒りの収まらない僕とは違い、彼女の顔には別の感情、不安というか心配というか、そんな表情が現れていた。なに? あいつが勝手に帰ったから、そんな顔してるの?

 ……いや、まだいた。横断歩道の信号待ちか何か知らないが、そこに止まっていた。それを見つけた僕と早瀬さんの表情は対照的で、それがますます不愉快だった。

 第一、おかしいだろ? お前自転車で先に行ったのに、なんでまだこんなところにいるんだよ。最初の信号待ちで追いつくって、なんだよ。

 ……待ってたとでもいうのか?

「待ってたの?」

 笑いながら、彼女は聞く。

「……長谷川先輩に言われてたから、一応」

「それなら最初から一緒に帰ってくれてもよかったんじゃない?」

 少しからかうような調子があった。男は少し困ったように顔をしかめ、僕はますますムッとした。

 信号が変わり、二人は並んで歩き出す。その後ろに仏頂面の僕が付いていく。

「……ねえ。まこちゃん、何か言ってた?」

「……別に」

「……そう」

 会話はそれっきり途切れた。ホント、なんなんだ? この二人は?
並んで歩いているにもかかわらず、それ以上会話を交わす気配はない。それなのに、それを気にしている様子もない。なんか、単純に仲が悪いっていうのとは、ちょっと違っていて、むしろ、こういう感じって、……なんだろ。なんか、知ってるような気がするんだけど。

 ……彼氏? は無い、はず、なんだよな。そんなものがいるんなら早瀬さんと長谷川さんがあんな会話をするはずがない。

 ……まあ、早瀬さんがかなりの悪女だったら話は別だけど、たぶん、それは無いし。

 可能性として一番高いのは仲のいい幼馴染、っていうものだろうか。ただ、僕にはそんなものいないから、これほど仲のいい、しかも男女の幼馴染なんてものが現実に存在するなんて、イマイチ信じられない。フィクションだけだろ、そんなの。

 あっ! ……中野のことは、まあ、今は気にしないでおこう。
でも、なんだかな。うーん。どうもしっくりこない。うーん、やっぱりこの感じ、知ってる気はするんだけどな……。

 そんな風に悶々と考えているうちに、とうとう早瀬さんの家に着いてしまった。当然、二人はそこで別れるんだと思った。それなのに――。

 どうしてお前までその家に入っていくんだ!?

 パタン、と扉が閉められ、僕だけがそこに取り残された。あまりの出来事に頭は真っ白。無人のゴールに蹴りこんだボールが不可解な動きで外れていったような心境。周囲を見回しても何が起きたのか説明してくれる人はいない。あるのは謎ばかり。

 ……。

 僕は目の前の扉を睨んだ。謎を解く鍵は、目の前にある。そこを抜ければ、きっと謎は解ける。そして僕は、やろうと思えばそこを容易く通り抜けることができる。しかしそこには目に見えないプレッシャーのようなものがある。そう。ワールドカップ決勝でPKを蹴るときに感じるプレッシャーと同等のプレッシャーだ。知らないけど、たぶんそうだ。蹴るほうが圧倒的に有利といわれるPKを、超一流選手がなぜ外すのか。その答えがここにある。そこにボールを入れるのと、ここに僕が入るのは、同じくらい難しい。同じくらい強い心が必要だ。

 ……どうする?

 ……。

 僕は目を閉じ、ふう、と息を吐いた。そしてカッ、と目を見開く。


 しょうがないんだ!!


 彼女のことを本当に知るためには、図書室と学校帰りの会話だけでは情報が少なすぎる。彼女がどうして僕の葬式で泣いたのか、それほどまでに僕のことを好きなのはなぜなのか、僕は知る必要があると思う。いや、知らなければいけないんだ!! たぶん、いやきっと、僕はそのために今、ここにいる。この世にとどまっている理由はこれをおいて他にない。

 そう。僕はこのために今、ここにいる!!

 これは一人の人間の想いに対して誠実でありたいと願う純粋な心からくる純粋な行為であり、そこに不埒な動機を含む余地は微塵もありません。あくまでも好意に対して真摯に対応したいと願う心から生まれたー、えーと、そう、必要悪。必要悪です。虎穴に入らずんば虎子を得ずです。

 ゴクリ、と喉が鳴った。目の前のドアに意識が集中していく。音が消えていく。目を閉じて、開いた。長めにまばたきをするように。

 よしっ!

 覚悟を決め、僕はドアノブに手をかけた。手は、ドアノブを無常にすり抜けた。

 …………。

 覚悟を決め直し、手のひらをドアに当てる。念じる必要はない。少し前に進めばいい。体を前に傾ければいい。それだけでいい。

 ……、よしっ。

 体はドアをあっけなくすり抜けた。すり抜ける瞬間、これで僕は本当に犯罪者だな、って頭によぎって、それは思いのほか僕に深いダメージを負わせた。

 ……はは。今更、なに落ち込んでんだか。

 顔を上げると、見知らぬ玄関にいた。靴がある。早瀬さんの靴とあの男が履いてた靴。間違いない。本当にここにいるんだ。……しかもちょっと待て、他に靴がないってことは、今この家の中でアイツと早瀬さんが二人きりってことじゃないのか!?

 さっきまでの罪人の罪悪感はどこへやら、僕は悪者から姫を助ける勇者の使命感を持って前方を睨んだ。

 目の前に階段が見える。その右側に短い廊下があって、その奥と右側にドアが見える。階段の手前の左側にもひとつ。どこに進もうか、と迷っていると奥の扉の向こう側から物音がした。

……そこか。

 足元を見た。そこから一歩進めば廊下。本当に無断で上がることになる。一瞬の躊躇。でも、ここまできたらもう一緒だろ? おじゃまします、と心の中でつぶやき足を上げた。

 抜き足差し足で廊下を進む。ドアの前。やはりこの奥にいる。深呼吸をひとつ。えい、とそこを突き抜けた。

 目の前にテーブルがあった。左からトントントン、と小気味良い音がしている。僕はそちらに目をやった。

 いた。早瀬さんだ。その後ろ姿を見て、僕は思わず息を呑んだ。

 白いTシャツに制服のスカートという格好でエプロンをしている。あまりにも無防備だ。それに、あの、背中のところにうっすら見えるのは、もしかして、ブラ――

 ガチャ。

 扉の開く音に、まるでウトウトしていたところを突然攻撃された猫みたいに飛びのいた。警戒心全開でそちらを見ると、あの男が立っていた。Tシャツにハーフパンツという格好。……ずいぶんラフだな。

「まだ?」

「そんなに早くできるわけないでしょ」

 早瀬さんが呆れたように言う。男は冷蔵庫から牛乳を出して、重さを量るように軽く振ってから、注ぎ口に直接口を付けて飲み始めた。

「あっ、その飲み方止めてって、言ってるでしょう!」

「いいじゃん、全部飲むんだから」

「そういう問題じゃないの。行儀が悪いでしょう」

 はいはい、と言いながら男は空になったパックをゴミ箱に捨てた。

 学校や、長谷川さんと話している時とは随分印象が違う。……なんだろう、この感じ。この雰囲気。あー、もう。あとちょっとなんだけどな。ジューと何かが焼ける音がする。この音、最近聞いた気がする。いつだったっけな?

 記憶が、ふっ、と浮かんで来た。


 ……何してんの?

 見ればわかるでしょ。お弁当作ってるの。

 弁当? 姉ちゃんが? 何で?

 いいでしょ、別に。あんたには関係ないの。

 ……ふーん。食べた人が死ななきゃいいけどね。


 たぶん、忘れていた訳じゃない。ただ、見てみないふりをしていただけ。

 だから、もしかしたら僕はこの二人の関係を、本当はわかっていたのかもしれない。


 ……姉弟、か?

 急に、力が抜けた。その場に座り込む。バカみたいだな。一人で変な妄想して、心配して、のこのここんなところにまでついてきて。そんなことも思いつけないだなんて。

 ……はーあ。なんか、一人で空回ってんな。

 程なくテーブルの上に並んだのはご飯に味噌汁、焼きサバ、刻んだキャベツ、あと漬物。

「肉は? 肉」

「ないよ」

「焼いてよ」

「だって、無いもの。サバがあるからいいじゃない」

 弟くんは不満げにテーブルの上のものを睨む。わかる。食った気しねーんだよな、なんか。物足りない。特に部活の後は。

「嫌なら、食べなくてもいいけど?」

「……食うよ」

 手を合わせ「いただきます」と声を重ねる。やっぱり、早瀬さん、今までとイメージ違うな。明るいっていうか、遠慮がない。……当たり前か。家族なら。

 食べている間も特に会話は無かった。弟くんは3日くらい何も食べてなかったような勢いで食べていて、会話を挟む余地もない。ただ、早瀬さんは時々何か話したそうにそちらを見ていたのだが。きっと長谷川さんの様子を聞きたいのだろう。でも、聞けない。言葉にするまでには至らない。そんな感じだった。

 弟君は3杯目のおかわりを告げる。何も言わずにそれを受け取り、早瀬さんは軽く盛ってそれを差し出す。なんだか、姉というより母親みたいだ。

 結局、会話らしい会話もなく昼食は終わった。食器を流し台に持っていた後、弟君はリビングへ行き、テレビをつけた。早瀬さんはその他のものを片付けてから、食器を洗い始めた。

 流れ落ちる水音を聞きながら、自分の家族のことを少し、考える。あれから、どうしているだろうか。さすがに父さんは会社に行っているんだろう。母さんはどうだろう? 姉ちゃんは?

 ……まだ、今まで通りというわけにはいかないんだろうな。でも、もう笑ったりしてるんだろうか。それともまだ泣いたりしてるんだろうか。

 どっちもあんまり見たくない。


 水音が止まって、変わりにテレビの音が聞こえてきた。いや、この音はゲームかな。そういえば、やりかけのゲームがあったんだった。あれももう、できないのか。

「なあ」

 弟君が声を掛けた。「えっ」と早瀬さんが振り向く。

「なんか、あった?」

 早瀬さんはうつむいた。弟君はゲームから視線を外さない。すぐに返事が聞こえてこなくてもこちらを見たりはしなかった。

「……まこちゃんは、何も言ってなかった?」

「……別に。教えてくれなかった」

 そう、と早瀬さんもそれきり黙ってしまった。

 何かあったことは明白。もしかしたら薄々、その理由もわかっているのかもしれない。でも、だからこそ深入りできない。姉弟だからって、聞きづらいことはある。……特に恋愛系の話は。

 早瀬さんが片付けをすべて終え、キッチンから廊下への扉に手をかけたときだった。

「今日さ」

 動きを止め、弟君のほうを見る。

「先輩、すげー気合入ってた。なんかもう、バスケ一筋! って感じに」

 そう、とつぶやく。うつむいて。

「そんで、ねーちゃんとこ行けって言ってきたとき、なんかすげー怒ってた」

「……そうだろうね」

「さっさと、あやまってよ。じゃねーと、怖くて迂闊に近寄れねーよ」

 それを聞き、なぜか少し笑った。

「ありがと」

 そう言った後早瀬さんはそこから出て行った。僕はそこに残っていた。今の会話をかみ締めていた。内容のことではない。「ねーちゃん」と呼んだことを、だ。ああ、やっぱりそうなんだなと思いながら、頭の中では別のことを思い出していた。
だから、ドアが締まる音でようやく早瀬さんが出て行ったことに気づいたんだ。弟君は前と変わらずゲームをしていた。僕はあわてて早瀬さんを追いかけた。

 廊下に出ると、パタパタと頭上から音がした。僕も後を追い、階段を上る。

 2階にある扉は3つ。正面に1つ、右手側の、短い廊下の壁に二つ。そのうちの奥の扉が閉まるのが見えた。その前まで行き、何気なく中に入ろうとしたところで、気づいた。

 この奥は、早瀬さんの部屋。早瀬さんの部屋だ。たぶん。……女子の部屋。
ごくり、とのどが鳴る。

 この奥に、僕は果たしていく必要があるのか? もう二人の関係は判明した。これ以上この家に留まる理由はない。

 ……無い? 本当に? まだ何も収穫が無いのに? 二人の関係はわかったけど、肝心のところ、早瀬さんがなんで僕のことを好きなのかとか、そういうことはわからないままだ。

 この奥に行けば、そういうのも、わかるんじゃないかな。

 それに――この前、長谷川さんがここに寄ったときに、入っていかなかったこと。あれはあれで間違ってなかったとは思うけど、それでも後悔はある。それにあの時とは違い、僕はもうここまで来てしまっている。

 ……よし。

僕は気を静め、そこに入った。

君の手を 第10章

≪第10章 完≫

君の手を 第10章

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-10-28

Copyrighted
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