フルシティ ロースト

CHEMEX コーヒーメーカー 3cup

---リッチでないのにリッチな世界など分かりません。
ハッピーでないのにハッピーな世界など描けません---

私の敬愛するスギヤマ先生は、そう書き残し自ら命を絶ったそうだ。

「…嘘は、ばれるものです…か。」

引き終えた豆をフィルターにセットし、まず30ml、と言いお湯を注ぐ。細く…細く…ぽたぽたと…。じっくり蒸らし、立ち上る香りを吸いこみながら、私は思わず目を瞑ってしまう。そしてしばらくしてまた、ぽたぽた…ぽたぽた…円を描くように細く細く注いでいく。買ったばかりのステンレスのケトルは先が細く注ぐのが下手な私には最適だ。

お気に入りのマグカップをカップボードから取りサーバーから珈琲を注ぎいれる。一口。淹れたばかりの、そして丁寧に時間を掛けたコーヒーは実にまろやか。酸味はフルーティ、同時にビターチョコのような苦味がきて癖になる。ふぅっと大きくため息をつく。私はカフェバッパの、フルシティローストの豆が好き、きちんと豆の味がする珈琲が好きだ。チョコレートのバーを一口サイズにポキリと折って口にする。


どうしてこう上手に嘘をつけなかったのだろうか。

広告会社に就職して5年。入社してすぐ上司に気に入られ可愛がられた。愛人と言えばいいのか、身体の関係になり、周りが羨む良い仕事をどんどん回してもらった。嫉妬も悪意のある噂もたったが、私は期待を超える働きをし愛想を振りまき続けたため、周りは黙っていった。

…東京はどうしてこう生きずらいのか。

仕事をしている時のコーヒーはインスタントだった。酸味だけが強く大嫌いだった。けれども一日に何杯も何杯も身体に入れ続けた。自分でゆっくり丁寧になど到底無理だった。私はコーヒースタンドに行く暇も、眠る暇もないのだ。大きな地震が来て世の中が混乱しようと、8年連れ添った彼氏に振られようと、地方に住む親が倒れようと……。仕事でしか私は…と言いかけて二口目の珈琲を飲んだ。あれ程までにのめり込んだ仕事から、今私は逃げているのだ。

記憶を辿るほど曖昧な感情

------…あんたのせいよ、みんな…あんたのせいよ!!

コーヒーを口にする。
この人は、私に仕事を教えてくれた先輩。モデルのように細く美しい女性。髪はショートボブ、色は…アッシュがかった透明感のあるダークブラウン。猫のような目で、吸い込まれるような紅茶色の瞳。そして白い肌。彼女の色素は薄かったな…。性格がきつかったのは確かで、敵を作りやすい人だったけれど、恐ろしく仕事が出来る人だった。クリエイターとして、天才の芽を持っていたし、独立してもそのカリスマ性に何人かはついてくるだろう、と思っていた。
私は、彼女のために、そして自分が彼女に潰されないように、懸命に働いた。

先輩が壊れだしたのは私が働き出してから2年目の事だった。少しずつ疲れた顔を見せ始め、声をかけると苦笑いで『大丈夫よ』と視線を逸らして言うようになった。仕事のクオリティが少しずつ酷いものになっていった。男に振られたのが理由だと噂で聞いた。そんなことで今までの人生を棒に振るのか、馬鹿馬鹿しい…と私は知らないふりをして彼女を観察していたものだ。

…いつの日か、夜中にコールが来るようになった。最初は深夜2時に。無視をすると、…3時…5時と増えて行った。毎日毎日、しばらく続いた。殺されるかもしれないとさえ思った。この美しい人は、病気になってしまったのだ…と。当時付き合っていた上司には報告していたし、周りもそんな彼女の様子を悟ったのか冷静にとらえていた。この職業では精神的に病んでしまう人は多い。不定期な休暇に、朝は正午近くの出勤で遅いが、仕事が進まなければ終わりは明け方まで。接待で連れ歩かれ、名刺で合コンを仕組まれる。時には名前の売れていないアイドルと寝て、彼女たちに、夢を、仕事をまわす。華やかな世界が疎ましいと思う人には、耐え難いものだ。休職しても『アイツも、病んだか』以外何も思わないし、復帰しても周りは寛大だ。何事もなかったかのように迎え入れてくれる。来なければ…クリエイター人生が終わったか、としか思わない。

ただ、仕事のできなくなった人間に、この部署の席を与えるほどの優しさはない。私は付き合っている上司に先輩の部署異動を懇願した。それはすぐに叶えられた。先輩は上司に応接間に呼び出され、部署の異動を、と命じられた瞬間、真っ白な彼女の顔は真っ青になり、硬直したまま、涙を流したという。まるで人形だったと聞いた。それからドアを叩きあけ、私に襲いかかろうとした。もがく彼女を周りが抑え込み、私はとっさにおびえた顔をした。

先輩が泣きながら叫んだ

あんたのせいよ!!あんたのせいよ…!!


私は呼び出された内容を察した。


全部全部あんたのせいよ…私が取った案件が流れたのも…!
水嶋が辞めたのも…!あんたが居たから…!あんたが居なければ…!
あんたのせいよ!!あんたのせいであたしは…!!


先輩が狂っている。それでも、美しい人だ、と思った。


…自分が病んでしまったのも私のせいか、と言いたいらしい。大体水嶋というのはアルバイトで、私が来なければ社員に上がったらしいけど、勝手に理由をつけて諦めたわけだし。私のせいで辞めたんじゃない。むしろ、あなたが男に振られたからこうなったくせに…と、彼女に対する怒りがふつふつ沸いたが、顔は傷ついた演技をしておいた。

嘘は、時に必要だ。

私と、彼女のために。

私は口を開き、つらそうな顔で言い放った。

『先輩。私は、先輩の事、尊敬しています。人として、憧れで、好きでした。』


先輩は、ひきつった顔になり、崩れた。

昨夜の留守番電話には、『あなたには分かって欲しい』と一言メッセージが残っていたから。

先輩も、私のことを信頼していたから。それでも私は、突き放した。

心で呟いた。

嘘よ。全部嘘。あなたなんて、居なくなればいいって思ってたわ。


と。

その後、先輩は事故に会い、後遺症から用いた強い鎮痛剤の誤飲による不慮の死を遂げた。
らしい。


自分のせいではないわ。

ただ、たまに夢に『許されたと思っているの?』とあの美しい顔が言ってくるのだ。

--自分のせいではないわ。

私の嘘で、あの人は本当に居なくなったのかもしれない。


「私のせいではないわ…天才は…、すぐいなくなるのよ。」

そう呟き、またコーヒーを口に入れる。

世界の美しさは、どうしてこんなにも、悲しくて哀しいのか。そう思いながら、コーヒーの苦みを噛みしめた。

世界は嘘で守られている。

…目はぱっちりと大きく綺麗なアーモンド形…睫毛は長く太く、ボリュームも増やし、唇はつやっとセクシーに…

このアイドルは…と、規定マニュアルを見ながら、顔、髪の毛、身体…指の先まで美しく修正していく。

脚は長く細く、肌は艶やかに…と。

この編集ソフトは本当にすごいと思う。このソフトと、マウスと、タブレットを通して、アイドルである彼女は完成する。私たちは熱狂的にこの偶像を崇拝しているのだ。そう、可憐なアイドルのイメージは嘘で守られている。私たちクリエイターは、本当の彼女の姿に嘘を塗っていく。何も悪くない。騙されて良いと思う。アイドルはファンタジーでなければならないのだ。

コマンド+Sを押し、パソコンを閉じる。

私たちだってそう。

時にはビックネームの名前を借りて大手メーカーの仕事を請け負うし、なんなら広告自体、付加価値を生み出し、思ってもいないコンセプトで消費者を沸せ、騙す。単調なカタログ製作の仕事だって、本物よりも美しく写真をとり、実際の物を見ると落胆するなんて日常茶飯事のことだ。

…世の中は嘘だらけ。

マグカップの中のコーヒーを見つめ、呟く。

この世は嘘を上手に、したたかにしたものが勝つのだ。と。

先輩がいなくなったあとも、何も止まらず、何も変わらなかった。社会の歯車は、一つ抜けたくらいでは何も変わらない。そう実感させられた。同時に私が居なくなっても、世界は廻るのだと、そう思うとぎゅぅっと胸が苦しくなったが、考えるのはよそう、と忘れることを決めた。取引先には先輩は持病が悪化して…と嘘をつき続けた。それでも先輩のディレクションしたCMやイメージングは、未だにyoutubeや批評雑誌に取り上げられている。私は思い出したかのように、見るのだけど、天才だ、と呟いて目を逸らす。

カップに残ったコーヒーをぐっと飲みほし、サーバーに残った、まだ温かい2杯目を注いだ。

お砂糖…あと…ミルク、ミルクいれよう…と冷蔵庫を開けた。

カプチーノ

ミルクフォーマーで柔らかな泡をつくり、温める。

エスプレッソじゃないけど…と、お気に入りの砂糖と、フォームミルクをカップに加える。

甘い。優しいカプチーノ。

くるくると、スプーンでかきまぜる。


…いつだったか、大きな地震が起こり、東京がパニックになった。
その時私は資料室に居て、明日朝一番にあるコンペティションに勝つためのアイディアを漁っていた。ふと、先輩のディレクションした作品集に目が行って、触れた。白雪姫をテーマにしたディレクションで、薔薇色の表紙の本…その瞬間、大きな横揺れとともに、本が頭の上から崩れ落ち、私は床に倒れ込んだ。私は、本に埋まり、狭い資料室に閉じ込められた。苦しくなって、しばらく目を瞑った。どのくらいたったか覚えていないが、目を開き、周りを見渡すと、本は床に散々とし、窓も割れている。そして資料の乗っていたエレクターも倒れている…。唖然とし、はっと、真っ先に腕時計に目をやった。どうしよう…どうしよう…締切…と。

そしてまたはっとした。私にとって、命より、締切の方が大切なのだと。

それでも、仕事で上手くいっているのだから…それで幸せなのだからいいじゃないと、思うことにした。

それから、私は小さな嘘を自分に言い聞かせるようになった。ますます仕事にのめり込み、上司に言われるがままに身体を許した。回数が増えるにつれそれが8年間続いてきた彼氏にばれてしまった。

別れはシンプルだった。

嘘吐きな女とは連れ添えないと言われた。

そう。とだけ言った。8年間は、長くて、短かった。結婚するつもりだったらしい。

結婚したら、仕事に支障がでるわと、思うことにした。

また、仕事にのめり込んだ。私は小さな嘘を重ね続けた。
何も悪いことはない。世界こそ、嘘吐きなのだから。

上手に嘘はついてきたはずだ。なのに何も満たされない。
むしろ、乾いていく感覚だった。

そう腐りながら、カプチーノに口をつける。
甘く優しい液体が、まろやかに、沈んだ心に柔らかく溶けていった。


親が倒れたのは、そんな時だった。

商談に行く途中、東京駅の真ん中で、携帯電話を落とし、私は固まった。周りは急ぎ足で、時間は止まらないのだよと言わんばかりに歩き続けるのに、私の時間は一瞬止まった。硬直したまま、混乱して、いや、倒れただけだ、行く必要はない。今日の商談は、私じゃなければならない。落とせば大きな損失になる、私じゃなきゃ…と。
自分に言い続けたが、身体が動かない。

結局私はその仕事を落とした。実家にも、帰らなかった。

フルシティ

…私って、根暗だったのね。
偽物カプチーノを口にして、くつくつ笑った。
カプチーノはもっと深煎り豆じゃなきゃね。と。

そういって、暗くなった心を少し持ち上げた。


--あのね…私…コーヒーを上手に淹れたいの。
その為の休みをください。

酷い嘘だ。上司の運転する車の中、助手席で言った。窓の外はもう真っ暗だけど、キラキラとイルミネーションの灯が輝く、大好きなエンジュの木の並木道、そして人、人、人。この世の中は嘘だらけだと思うと、虚しくて悲しくて、子どものように我儘を言いたくなったのだ。


--私、しばらく、休みます。
涙がぽとり、とちいさく落ちた。

--もう、こんなのも…やめるね。

綺麗な奥さまのいる上司にいった。私たちの間には、利害関係の一致があったはずだ。嘘の関係、嘘の愛…本当は、いつからか、本当に好きになってしまっていた。嘘が真実になっていた。

上司は前を見たまま苦笑いをして、

どうして?…どうしてまた珈琲?とだけ言った。

『昨日見たの。次の仕事。コーヒーショップの、広告。そこで見つけたの。

---フルシティ

響きが好きなの。私このローストでのコーヒーを死ぬほど飲みたいの。満たされた街って意味でしょう?私、満たされたいの。仕事以外の、人間的な、何かで。ここじゃない、街で。』


意味が違うと思うよ…と上司は言った。

いいのよ、どうせ世界は、嘘だらけなんだから。と呟いた。

嘘で満たされた私たちと、街。


嘘はいけないことだろうか。

3杯目のコーヒーを見つめる。


いいえ---嘘だって、真実なのよね。



----胃がムカムカしてきた。
本当は私、カフェインだめなのよね。と笑った。
仕事をしている時の、達成感だとか、快感が好き。
コーヒーを飲んだ時の自分に鞭を入れる感覚も好き。

仕事で出るドーパミンもアドレナリンも、コーヒーのカフェインも、どちらも中毒になるもの。そして嘘も。


明日私は一度、地方に戻ろうと思う。

何かで傷ついた心は、十分癒されていない。親を想うこの心は、嘘なのかもしれない。でも嘘のない人、嘘のない世界なんて、存在しないのだ。それが真実なのだ。違う町に行ったって、どこに行ったって。どうせ世界は嘘吐きなのだから、上手に嘘をつかなくても、いいのだ。思うように生きよう。それでも、私が満たされるまで、もう少し時間は必要だろう。そして、またこの時間が嘘のように仕事に戻るのだ。周りはあの人も病んだのかとだけ思うだけだ。

でももう少し自分のことを労わる為の嘘をつこうと思う。それにまた逃げたってかまわない。


目を閉じ、わぁ!と、大きな声を出し、自分に言い聞かせた。

ケメックスに残った三杯目のコーヒーにもう一度目をやる。冷たくて、苦くなった最後のコーヒーは捨てることにした。

フルシティ ロースト

仕事と珈琲、どちらも中毒になるもの。どうしてこう感覚は少しずつ麻痺していくのか。

何だか重くなり過ぎたので後日修正します。広告会社の表現はあくまで妄想です。内容はフィクションです。冒頭の文章は杉山登志さんの遺書だけ、ノンフィクションです。

フルシティ ロースト

---嘘はばれるものです。そして嘘は受け入れるものです。

  • 小説
  • 短編
  • 成人向け
  • 強い反社会的表現
更新日
登録日
2014-10-27

Copyrighted
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Copyrighted
  1. CHEMEX コーヒーメーカー 3cup
  2. 記憶を辿るほど曖昧な感情
  3. 世界は嘘で守られている。
  4. カプチーノ
  5. フルシティ