落ち着く場所
笑い声に掛け声が木霊す放課後。それでも僕は、気分が冴えない。夕暮れ時、人で賑わう繁華街。そこから少し離れた所にある、小さな三階建ての廃ビルに向かう。中には入れないけれど、屋上へは外階段から登れる。嫌な事や辛い事があったら、いつもここに本を持って来て、読んでいる。直射日光は、当たらない。けれど、極端に暗くもない。この微妙なコントラストが、僕の良い読書をする場になっている。それでも、一日中暗い事には変わりないので、誰も寄り付こうとはしない。けれど、この小さな廃ビルで辺りが薄暗くなるまで本を読む。そうすると、寂しさが消え、明日の学校生活へ期待を込める。
だけど、最近は毎日の様に、足を運んでいる。何故なら、今年入学した高校で友達が作れず、休み時間はいつも話す相手がいない。なので、独り寂しい思いをしているからだ。
それに、その日は違った。
昼休みと十分間の掃除が終わり、移動時間の事だ。外庭を掃除していた僕は、教室に戻ると、
「あっ! 来た」
「おい、海凪(みなぎ)」
「ん?」
自分の名前を呼んだ方向を見る。呼んだのは、確か――クラスメイトの帆風だった。
「お前、俺の教科書が無くなったことは、知っているよな?」
「うん」
確か、今朝のホームルームで、担任の先生がそんなこと言っていた様な……
「お前が、俺の教科書盗んでいたとは」
「まさか。僕は、そんなことしていないよ」
「だったら、どうして、お前の机から俺の教科書が出て来るのだ?」
「えっ? 知らないよ。と言うか、僕の机を勝手に調べたの?」
「誤解するなよ。掃除している時に、偶々おまえの机を倒して、中身をぶちまけてしまっただけだ」
「でも、僕は盗んでなんかいない」
「いいや、お前が盗んだ」
「僕じゃない」
「ふざけんな!」
ざわついていた教室が、シーンと静まり返った。
「お前が、俺の教科書を盗っていないのなら、お前の机から出で来るはずが無い。いい加減、盗ったことを認めろよ!」
周りにいたクラスメイトは、僕を冷ややかな目で見ている人が多いように見えた。不意に、
「よく、そんな嘘が言えるよな」
その声がした方向を見る。言ったのは、帆風と仲のいい笹埜だった。
「だって、本当のことだろ?」
「何度言わせればいいの? 僕は――」
声を遮るように、「黙れ」「嘘吐き」「恥知らず」「泥棒」「最低」様々な悪口を浴びせられた。しかし、
「おい! 授業は始まっているぞ。席につけ。静かにしろ」
次の授業の先生が、注意してくれたおかげで野次は収まった。帆風は、僕をひと睨みしてから、席に着いた。
その日は、特別な日課で、5時限授業だった。その為、間髪入れずに、ホームルームがあった。ホームルームが、終わった瞬間に、教室を出た。そして、いつもの場所へと向かった。
(今日は、早く終わったことだし、たくさん本を読む時間があるな)
その日選んだ本は、有島武郎の『一房の葡萄』だ。初めて読む本なので、とても楽しみだ。
―二時間後―
「読まなければ、良かった」
主人公と僕の立場や感情が似すぎていて、辛くなった。僕は、人の物を盗んでいない。そこは、物語の主人公とは、違う。けれど、僕には支えになる人が、いない。折角、忘れようとしていたのに……翌日の事を考えないようにしていたのに……
「僕は、何にも悪いことはしていないのに、こんな仕打ちなんてあんまりだ!」
我慢出来なくて、声を張り上げていた。その声が、空しく響いて、余計悲しくなってしまった。
「おい、海凪!」
聞き覚えのある声がした。俯いていた顔を上げると、帆風がいた。
「どうして、帆風君がいるの?」
立ち上がり、さっきの威勢を呼び戻す。
「お前に、話がある」
「何度、言わせれば分かるの? 僕は、君の教科書は盗んでいない。君と話すことなんて――」
「いや、違うんだ」
「え?」
「海凪が教室を出た後、俺の教科書を、勝手に借りた。そう名乗り出てきた奴が出てきたんだよ。よく聞くと、慌てていたから席を間違えて入れたかもしれないとも言った。案の定、教科書を入れたのは、俺の席ではなくお前の席だった」
「えっ、と言うことは……」
「海凪は、何も悪くなかった。全ては、俺の早とちりだった」
塞き止めていた涙が、とめどなく溢れてきて、声にならない。
「あんな酷いこと言って、ごめんな」
ただ、首を振るだけだった。
落ち着く場所