秘密
おや、そんなところに傷があったのかい?
「おや、そんなところに傷があったのかい?」30回目の結婚記念日、妻の首筋に古い傷跡を見つけた。
「見つかっちゃった? 子どもの頃についた傷よ」テーブルの向こう側、ワインを一口飲んでから妻は困ったような笑みを見せた。「いつもは目立たないようにしているんだけれど。ネックレスなんてプレゼントしてくれるから」「まるで気がつかなかったな」「秘密よ。恥ずかしいから」
…秘密か。浩二からすればちっぽけな傷跡だが、本人にしてみれば隠しておきたいことなのだろう。もしかしたらそれは自分にとっても同じことかもしれない。
実は浩二にも秘密があった。周りの誰にも、妻にも秘密にしていたこと。浩二は治癒能力者だった。傷をひと撫ですると、その傷が跡形もなく消える。その能力のおかげで浩二の身体には傷一つなかった。これまで傷が出来るたびに治癒をしてきたのだから当然のことだった。
便利な能力ではあったが、そのぶん浩二は警戒をした。うっかり口外をすることでよけいな災難を持ち込むのではないか。だから、他の誰かの傷を治すということはこれまで一度もしたことがなかった。
だが、妻と一緒になって今日でもう丸30年になる。いい加減、彼女にはこのことを打ち明けてもいいのではないだろうか。隠し事をするには、あまりに長い月日を共に過ごしてきた。そうだ、妻と自分の間には超能力の一つや二つ、これもちっぽけなことなのかもしれない。
「それなら僕も一つ、秘密を打ち明けようかな。その傷、消してあげようか」「あら、あなたマジシャンだったの?」妻が冗談めかして言う。「そうだな、そんなものかもしれない」そう言って、浩二は妻の首筋に手を差し伸べた。妻は驚くだろうか。案外ケロッとしているかもしれないな。
しかし、その手が首筋を離れる頃、驚きの表情を浮かべていたのは浩二のほうだった。目の前の妻は随分と若々しく見えた。いや、若々しいというよりも幼い。目の前の妻は見る間に少女へと姿を変えていた。
浩二は勘違いをしていたのだ。彼の能力は傷を治すのではなく、傷がなかった頃まで肉体を巻き戻す、というものだった。妻の姿は、子どもの頃、首筋に傷を負う前の状態まで巻き戻っていた。「あなた、本当にマジシャンだったのね」さすがの妻もこれには驚いていた。当然だ。
「すまない、その、つまり、こんなつもりじゃなかったんだ…」浩二は自分自身も今はじめて知った秘密を、そのまま妻に打ち明けた。
事情をすっかり理解した少女は、呆れた、というように首を振った。「そんなこと、いつまでも秘密になんてしているからこういうことになるのよ」小さくため息をつき、突然、手に持ったフォークを浩二の腕に突き刺した。あまりに突然だった。そして少女は痛みに表情を歪めた浩二に向かってこう告げた。
「その傷は、罰よ」
++超能力者++
川治浩二(かわち・こうじ)
ESP:傷を負う前の状態に肉体を戻す
*
「なんだって?」あわてて腕をおさえた浩二が聞き返す。少女は続けた。
「くだらない秘密をずうっと隠していたことに対しての、罰よ。あなたはこれから先、その傷を治さないこと。わたしが今のあなたくらいの歳になるまでね」
浩二の腕が痛みの他に熱を持ちはじめていた。生まれてはじめての感触だった。流れる血液の暖かみが少し心地よい。
「わたしがあなたの年齢に追いついたら、そうしたら、その傷を治して。そしてもう一度、あらためて記念日をしましょう。さっきみたいに二人で向かい合って席に座ってね」
浩二は先の永い約束だ、と思った。「しかし、他の人たちよりも随分と長生きしてしまうな」
「そうね、それもいいじゃない」少女はいたずらをした時のような微笑みを浮かべた。
「今度は二人の秘密よ」
秘密
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