シェイクスピア『ヴェニスの商人』を読んで
「美しき虚飾とその始まり」
ウィリアム・シェイクスピア『ヴェニスの商人』(小田島雄志訳)白水uブックス、一九八三年十月。
——バッサーニオ だから外観の美しさは中味を裏切るものかもしれぬ、
世間はつねに虚飾に目をまどわされているのだ。
日本国語大辞典で《虚飾》の意味を調べると、「外見ばかりをかざること。また うわべだけのかざり」とある。同じ箇所が、原文では次のように書かれている。
——BASSANIO So may the outward shows be least themselves:
The world is still deceived with ornament.
日本語で《虚飾》と訳されている《ornament》は、「装飾、飾り」を意味する単語である。古くは「光彩を添える人、誇り[名誉]となる人」としても使われていた。となると、それが内面の「実」の伴わない《虚飾》とされているのが一見、疑問に思える。
そこで日本語の《飾り》の意味を調べた。《飾り》は《飾る》の名詞化なので、その語義を引いたところ、《虚飾》を意味する「実質に関係なく、外観、ことばなど、うわべをとりつくろう」という意味よりも古い用法で、「いろいろな物を付けて美しく見えるようにする。立派にする。装飾する。荘厳する」という意味があった。後者の方が、より原文に近い意味合いではあることは確認される。
August Wilhelm von Schlegel訳によるドイツ語での表現も見ておきたい。
——BASSANIO So ist oft äußerer Schein sich selber fremd,
Die Welt wird immerdar durch Zier berückt.
《Zier》は雅語で、《Zierde》(飾り、装飾)を意味する。この単語が他に「模範、誉れ、誇り」の意味を有するところに着目すると、《ornament》との共通点が見つかる。
共通点を明示する台詞として、第四幕でポーシャが男装して法学博士として登場するシーンを引こう。
——王の手にする王笏は仮の世の権力を示すにすぎない、
つまりそれは畏怖と尊厳を誇示する表象であって、
そこにあるのは王に対する恐れの念でしかない。(ポーシャ)
ここで《装飾》は「仮の世の権力」の表象とされている。すると、やはり《虚飾》と同じく、《装飾》は本質的な「実」を表す言葉ではない。世間はそのうわべによって操られているのだと言える。
『お気に召すまま』における有名な台詞、「この世界はすべてこれ一つの舞台、人間は男女を問わずすべてこれ役者にすぎぬ」 という言葉を想起すれば、世界そのものが《虚飾》であるとシェイクスピアが考えているとも読める。
日本語への翻訳に『虚飾』という語が選ばれたのは、原文で《deceive》((事実をまげて)だます、欺く、惑わす)に否定的な意味合いが強く含まれているように読み取れるからだと推察する。ドイツ語訳ではそれが《berücken》と表現されている。「魅惑する、言葉巧みに惑わす〈たぶらかす〉」を意味する動詞だ。
次の一文を参照すれば、Schlegelの《berücken》という訳語はさすがに見事なものであることがわかる。
——このように虚飾こそは、危険な海へ人を誘う
見た目に楽しげな浜辺であり、インド美人の
黒い顔を覆う白いヴェールなのだ。一口に言えば、
見せかけだけの真実だ、狡猾な世間がそれを使って
賢者をおとしいれる罠なのだ。(バッサーニオ)
世間を操る《虚飾》、また《装飾》であるが、世間がそれを使う場合もあるとバッサーニオは言う。「狡猾なcunning」「おとしいれる罠To entrap」という言葉を使っていることからも、否定的に《虚飾ornament》を語る彼は、自分自身その罠に嵌っていることに最後まで気付かない。
『ヴェニスの商人』においてもっとも重要なプロットの一つである、アントーニオとシャイロックの裁判を手中に収める役割を持つのは男装したポーシャである。法に則った体で裁判を進めていくポーシャだが、そもそも彼女自身が虚飾的な存在である。男性を偽り、法学博士を偽っている。
第三幕でバッサーニオがポーシャに求愛するにあたって、虚飾を見抜くために言った「たとえどんな不正不当な訴訟も、/巧みな弁舌で飾りつければ、うわべをごまかして/悪とは見えなくなるものだろう。」 との台詞が皮肉に響く。ポーシャは巧みな弁舌で、うわべをごまかすことに成功したのだ。
それでは「実」はこの世界のどこかにあるのだろうか。法学博士に扮したポーシャは続けて次のように言う。
——だが慈悲は、この王笏による権力支配を越え、
王たるものの心の王座にあって人を治める、
つまりそれは天にまします神ご自身の表象なのだ。(ポーシャ)
「神ご自身の表象」が「慈悲」によって現れる。だからこそポーシャは《虚飾》の中にあってなお、シャイロックに慈悲を要請し(*1)、展開がひっくり返った後もアントーニオに慈悲を要請する(*2)。
因縁をめぐっていくと、裁判の原因であるアントーニオの抵当が取られたのは、バッサーニオの資金繰りのためである。その資金繰りは何のためかと言うと、ポーシャへの求愛のためだ。そう考えると、この作品のすべての原因の始まりはポーシャにある。
《ornament》は、接頭語の《orn-》にラテン語の《origo》(始まり、起源)を語源として持つ言葉である。『ヴェニスの商人』という作品は、始まりの存在が虚飾によって因果を解決し、すべてを丸く収める物語なのだ。ただ一人、財産も娘もすべて失ったユダヤ人シャイロックを除いて。
シェイクスピア『ヴェニスの商人』を読んで
脚注
(*1) 「したがって地上の権力が神の力に近づくのは/慈悲が正義をやわらげるときだ。だからシャイロック、/おまえが正義を要求するのはわかるが、考えてみろ、/正義のみを求めれば、人間だれ一人救いには/あずかれまい。そこでわれわれは慈悲を求めて祈る、/その祈りそのものが、われわれに慈悲を施せと/教えているのではなかろうか。」(ポーシャ)、『ヴェニスの商人』、一三八頁。
(*2) 「アントーニオ、この男になにか慈悲をかけてやるか?」(ポーシャ)、『ヴェニスの商人』、一五〇頁。
引用文献
『お気に召すまま』(小田島雄志訳)白水uブックス、一九八三年一月、七四頁。
・英単語の訳は大修館書店のジーニアス英和辞典第3版を、独単語の訳は小学館のプログレッシブ独和辞典第2版をそれぞれ参照した。
・ウェブサイトはどれも二〇一四年十月一三日に閲覧した。
http://shakespeare.mit.edu/merchant/merchant.3.2.html
http://gutenberg.spiegel.de/buch/der-kaufmann-von-venedig-2194/15