タイトル未定
第1章(プロローグ)
「────ぶはぁっ!」
目が覚めると、冷たい水が口の中を満たしていた。
「──げほっ──ごほっ──」
思わず飛び起き、鼻と口、そして喉を満たす水を吐き出す。
「────っはぁ、はぁ、はぁ、」
肺を満たしたのは、深い翠を含む森の酸素。
身体を包む冷水、それは安物のYシャツを男の肌に張り付かせ、
確かな体温を、その空気の中へ溶かしてゆく。
膝をついた男の目に目に映るのは、水であり森。
透き通った流れの中、それは周りを覆う圧倒的な深緑を反射して、
上下左右、全てが森になったかのような錯覚を男に与える。
「……どこだ…ここは」
緑の隙間からは、まるで白い剣のように差込み、日差しが周囲を切り刻む。
手には24時間営業のコンビニ袋。
そこには水でぐしゃぐしゃになってしまったオムライス弁当、
プリンや缶詰、そしてドリンク類が数本入っている。
薄茶色の袋ですら光を拡散させる触媒にしかならぬほどの緑光。
森という酸素に飲み込まれたかのような空間の中で男は、自分が川の中に溺れていた事を知る。
深さにして40センチほどの浅い川の中、
男がおそるおそる立ち上がると体は重く、濡れたスーツは水を吸って尚重い。
目を回すも、周囲は全てが川。
更にその周りを大きな樹木が囲っていて、とても川べりには上れそうにない。
「…とりあえ…ごほっ…、 下流に向かってみるか…」
緩やかな上流、200メートルほど先には高さ10メートルほどの滝が望める。
横幅は20メートルくらいだろうか。
流れは静かだが、そこから圧倒的な重みを孕んだ冷風が吹き付けてくる。
今さっき覚醒したばかりの男には、とてもではないが滝を素手で上れる自信がなかった。
この大きな川がどこまで続くのはわからない。
だが横も後ろも塞がれた男は、空の隙間から指し込む光の向くまま、下流へと下りてみることとした。
――そしてどのくらい歩いただろうか。
バシャバシャと歩く度、裸足のその足の指の間を、光る水が通り過ぎてゆく。
水の中で冷えるとはいえ、春のような日差しと水の清らかさが心地よく、
既に男は履いていた皮の靴を脱ぎ、片手の荷物としている。
水を含んだスーツの上着は肩に掛かり、その重さを主張する。
久しぶりに味わう自然らしい水の流れに癒されつつも、
ここがどこなのかも分からないという不安、
そして安物のスーツですら捨て置く事が出来ない自分に、男自身が嘲笑した。
「迷子、しかもここに来るまでの記憶は喪失中ってか。こんな時でも上着1枚捨てる事が出来ないなんてな。はは」
膝下を水が覆う程度の水かさ、流れも穏やかで歩くだけなら大して酷ではない。
だが、水の冷たさで脚腰が冷えた男に、濡れたスーツを持ち歩くのは少しばかり重労働であった。
「────っっ!!」
大きな岩の間をぼしゃぼしゃと下ってゆく途中、
水の流れに足を掬われ、転倒する。
――幸い、転げ落ちた先も川だったが、弱った男の目には、もはや疲労と困憊しかない。
「ホントに…、ここは一体どこなんだ…」
転げ落ちたショックと水の冷たさで多少なりとも頭は覚醒したが、
それはこの状況に対する謎と疑問を頭に浮かべる手助けをしただけだった。
上半身だけが少し浮くような浅い川の真っ只中、
転げ落ちたまま呆然と空を眺めると、遥か上空──軽く100メートルはあるだろうか。その高さにまで伸びる森の緑の中、時折光り、明滅する光球がいくつか見える。
「光…? 虫か鳥か…、いや鳥は光らないだろう。 というか虫もあんなに遠くにいるものが見えるほど、大きくはない」
赤、白、黄色、そして青や黄緑、淡く明滅する様々な色が空を覆う。
疲労に加え、周囲のその幻想的過ぎる光景、
男の思考力は段々と混乱し、弱ってゆく。
「ここがどこにしろ…、まずは出口か人を探さないと…」
2~3分ばかりその光景に見入っていた男だが、
やがて、なんとか気力を振り絞りって起き上がると、更にしばらく歩いてゆく。
やがて、50メートルほど先、
これまでよりも流れの緩やかな、
それでいて川岸と呼べる真っ白な小石に覆われた陸地が目に入ってきた。
「岸…か、これで少しは身体を休ませる事ができ――るっ!?」
男が見ていた川岸、正確にはそこから数メートルほど川に入った所に、
突然、少女らしき人影が現れた。
きっと水浴びか何かで水の中に頭を潜らせていたのだろう、
よくよく見ると川べりには服のような布がいくつか重ねて置いてある。
ぷはぁ──という擬音、そして水の跳ねる音と共に現れた白い髪の少女は、
遠目にも『美しい』としか言えぬその裸身に、濡れた長い髪を纏わせて、きらきらと光っていた。
元より光を反射して非現実的な美しさを持つこの広い川と森の中、
その少女は、もはや言いしれぬ神聖さすら憶えるような美しさを得ていた。
こちらに気がついていない彼女との距離は未だ20メートルほど。
男のいる所から少し斜め下に水の流れが下った場所、少し深くなっている所で、彼女は腰まで浸かる川の水を心地良さそうに波打たせている。
男も、流石に裸身の見知らぬ少女に声を掛けた経験などないのだが、
ここで声を掛けなければ他に声を掛ける当てはない。
そもそも、このまま眺めていたら完全に犯罪だ。
そう考えが至った男は、意を決して声を出す。
「…ぁあのっっ とぉおぅおおおお!?」
結論として――出たのは別の声だった。
声そのものには、川の中の彼女も気がついたようで、
その”犬のような耳”をピンと動かしてすぐにこちらを振り向いたのだが、
彼女が振り向いたのとほぼ同時、
男は足元の石のでっぱりに躓き、
緩やかながらも傾斜のある川の一部へと転げ落ちてしまった。
「(…すっごい…美少女……)」
視界に入った”犬耳の美少女”の顔が驚きに染まるのと同時、
──その男、『黒峰 燈』は再度、意識を手放した。
服を着ることすら忘れ、今まさに彼の元へジャブジャブと駆け寄ってきていた少女が、この後、彼の運命を決定つける人物になる事など、
今はまだ、誰も知らない。
タイトル未定
最後までご覧頂きありがとうございます。
今回はいわゆる異世界もの。ファンでタジーな冒険シナリオとなります。
この第1話は、まぁプロローグのような立ち位置という事で。
ちなみにこの作品、現状はタイトル未定。
他いくつか同時に進めている小説と混ざらないように投稿しました。
そしてテーマは「距離感」(仮)
一般的な相場よりも比較的広大な世界設定において、
物理的な距離や心理的な距離、
その他色々な距離感によって、主人公は勿論、周囲の登場人物も色々と影響を受けるシナリオになっています。
でっかい大自然とか途方も無いサイズの人工物とか浮遊する島とか城とか出す予定です。
現状あまり執筆者が余裕の面して作業できない状態なので、
かな~り不定期更新となりますが、
他のタイトルや短編も含め、ちょいちょい更新しますので何卒ご容赦下さい。( ゜д゜ )
作者ブログ、そして星空文庫様でも公開しております。