原稿用紙一枚の物語【小説千本ノック】NO:1-50
001 コートジボワール
「ねえ。コートジボワールってさ、太ってる女性が好まれるらしいよ」
「……ダイエット、やめるか?」
男女が二人、居間で運動をしていた。テレビからは、地理歴史の特番が流れている。
「あっ、嘘。嘘だよ。今テレビで言ってただけだって。やめるなんて言ってないし」
「そうか。なら喋ってないで腹筋の続き」
「くぅ、怠惰よ、女の咎よ……っ、ふっ」
「気にしすぎだと思うがな。俺は今くらいの体型が一番好きだが」
「べ、別に、あんたにほめられても」
「耳赤いぞ」「う、うるさ……あ……」
ふと、彼女の視線が固まった。上気した頬。薄桃色の唇。体温が感じられる距離。
「……あのさ」「……どうした?」
彼女は一瞬ためらって、しかし、意を決したように、口を開いて――。
「平安時代ってさ」
「ダイエット、やめるか?」
002 豚
おや、お客様とは。ここは豚の館。名の通り、豚だけが住まう館です。さ、こちらへ。
はじめにご覧頂くのは、食事部屋です。ほら、凄い勢いでしょう……彼らは常に飢えております。ですから目の前に、食えそうなものさえあれば、たちまち食い尽くしてしまうのです。それが何かなど、構わずに。
次にご覧頂くのは、排泄部屋。休み無く食べ続けた豚たちはここで、蓄えたものを外へ出します。さて、驚くのはここから。実はこの部屋、食料生産も兼ねておりまして……おや、お気づきになられたようですね。そう。彼らは自分の糞を食っているのですよ。
気分を害されましたか。ですが今一度、豚共の顔をご覧下さい。何とも幸せそうではありませんか。閉ざされた世界で、欲望の赴くまま、食って、出し、食う。もしやそれは何より、幸福な事なのかも知れません……。
……おっと、こんな所に残飯が……どうです?一口、召し上がってみては……。
003 乱打戦
昨日、地元の少年野球団に所属している甥が相談を持ちかけてきた。曰く、「うちのチーム、打線はいいのにピッチャーがダメなんだ。どうしたら勝てるかな」とのこと。ここは叔父として、期待に応えなければ。そう思った俺は、「いっそ、乱打戦に持ち込めばいい。打たれたら打ち返す。もっと打たれたら、もっと打ち返す。攻撃は最大の防御とも言うしな」と返した。暴論の様に思えるが、甥は納得していたようなので良しとしよう。
さて、そろそろ試合が終わる頃だ。そう思うと同時、玄関のドアが開いた。「お帰……り」意気揚々と迎えた俺の目の前にいたのは、予想したどんなでもない、真っ赤に顔が膨らんだ甥の姿だった。「あ、兄さん。なんかね、急に相手のピッチャーに殴りかかったって。なんでそんなことしたのか……」付き添ってきた妹が、沈痛な面持ちで言った。俺は呆気にとられた後に一言、叫んでいた。
「乱打戦ってそういう意味じゃねーから!」
004 瞬間湯沸器
あるところに、雲を作ることの出来る不思議な象がいました。悲しい話、辛い話。そんな“湿っぽい”ことをその大きな耳へと話すと、象がそれを雲にして、鼻から空へ飛ばし、その代わり、話した人の気分はすっかり晴れるのでした。象は皆の人気者でした。
ところがある時、急に象が体調を崩しました。人々は一生懸命世話をしましたが、象は日に日に弱っていき、ついに、死んでしまいました。それからというもの、天気の悪い日が多くなりました。空には常に雲があって、そしてたまに、涙のような雨を降らしました。そして、雨に打たれた人々は、なぜだか、とても悲しい気分になるのでした。
それからどうなったかは分かりません。ただ、水を入れると蒸気を出す道具……所謂“瞬間湯沸器”は、当時の人々が、象を想って作ったのではないかと言われています。だから、もしかしたら、あなたの家の湯沸機にも、象の印が書いてあるかも知れませんね。
005 恋人つなぎ
“恋人つなぎ~いないあの人ともう一度~”
ネットでそれを見つけたのは、事故で彼女を亡くしてすぐのことだった。
それは一種の降霊術だった。方法は簡単。夜の二時、窓を開け、口に綿を詰め、目を閉じて仰向けになり、手を伸ばす。すると、あの世にいる恋人が手を握ってくれるのだという。俺は早速準備を整え、待った。後二分、一分……二時だ。手を伸ばした。すると、指先に何か触れた。(来た。本当に)感触はたちまち人の手の形になり、俺の手を包んだ。もう一度会えた。そう思うと涙が出た。
顔が見たい、と思った。しかし、恋人つなぎにはルールがあった。目を開けてはならない……が、俺は欲望に負けてしまった。
手が見えた。だが何かおかしい。まず、爪が汚い。それに、手が皺だらけだ。何より、俺の彼女は……指輪などしていなかった。
「……誰だ、お前……」
それからは、もう、思い出したくもない。
006 対立
二人の珍獣マニアがいた。彼らはよく似ていた。美しい動物が好きで、また年も、家も近かったが、それ故だろうか、いつも対立していた。どちらのコレクションがより美しいか。そんなことで、長年に渡り争っていた。
二人にはそれぞれお気に入りがいた。一方は、海の様に深い青色の鳥。もう一方は、炎の様に鮮やかな赤色の鳥だった。彼らは、数ある所有物の中でも、その一羽の美しさだけは、決して譲ることがなかった。
しかし、ある朝。二人のマニアが目覚めると、最愛の鳥は姿を消していた。二羽同時にだ。二人は幾度も捜索を行ったが、とうとう鳥が戻ってくることはなかった。彼らは互いを疑った。そしてある日、二人はついに爆発し――両方とも、死んでしまった。奇しくも同時に銃を撃ち、共倒れとなったのだった。
後日。町の動物園が珍しい鳥を保護した。それはまだ雛であったが、青と赤の溶け合った、非常に美しい羽をしていたという。
007 コールドゲーム
「一回表、十四対〇。完敗だな」
「ですねぇ」
「あと一点でコールドゲーム……これというのも、うちの投手が全員腹痛で来られなくなったからだ。あいつらさえいれば……」
「どう考えてもマネージャーの手作りチョコが原因ですねぇ。僕ら貰ってないですし」
「ダブルでアタリだったんだな。そういや、コールドて何だろな。試合凍結って意味か」
「確かにチームは冷え切ってますけどねぇ」
「あーあ。お前、雨とか降らせない?」
「一応、やってみます」
「え、できるの?」
「うーん。……あっ。来ました」
「またまた……うわ超降ってる。マジか」
『……お知らせします。本日の試合は、荒天によりコールドゲームです。又、規定回まで終えていない為無効試合とさせて……』
「……とりあえず、乾杯だな」
「……ですねぇ」
008 水
目が覚めると、水の中だった。どこまでも暗い、上下左右の区別のない深海の中に、私はいた。しかし、不思議と怖くはない。苦しくもない。それどころか、優しさに包まれている様な安らぎさえ感じられた。ここがどこか、自分が誰かもわからないと言うのに。
ふと、イメージが湧いた。ここと同じ水の中。私は、とても小さくて、生まれて、すぐに死んで、また生まれて……でも、少しづつ大きくなって……泳げる様になって……やがて、海の外を見たいと思う。それは、夢で見た様で、懐かしい様で。けれど、確かに……私の記憶。そんな確信があった。
不意に光が射した。イメージは、その目映さにかき消される様に、薄れ、沈んで、やがて……消えた。私は、それがなぜかたまらなく悲しくて……訳も分からず、泣いた。
そんな私を、誰かが抱いた。そして、あの水の様な優しい声で、私に言ったのだった。
「はじめまして。私の、赤ちゃん」
009 テスト
これから簡単なテストを行います。あなた
は、文章をよく読み、答えなければなりませ
ん。よろしいですか。では、はじめます。
Aさんには付き合っている男性がいた。二
人はとても仲がよかった。だがある日、男性
は殺されてしまった。捜査の結果、容疑者は
ほぼ絞られ、二人になった。一人はAさん。
もう一人は、昔、男性と付き合っていた女性
だった。
まず、疑われたのは女性だった。振られた
女性が、腹いせに男性を殺した。誰もそう信
じていた。しかし調査の結果、男性は、女性
や子供のものとはほど遠い、もっと強い力で
ナイフを刺されていたことがわかった。では
いったい、誰が男性を殺したというのか?
……さて、ここで質問です。あなたはAさ
んが男であることに気づきましたか。もし嘘
だと思うなら、もう一度、“よく読み”まし
ょう。さあ繰り返し。よく読み。よく読み。
よくよみ、ヨクヨミ、ヨコヨミ……。
010 スポンジ
“スポンジ”というあだ名の男がいた。その名の通り吸収が早く、一度教えさえすれば、それを完璧にこなした。ただ、純粋で、自分の意志がないことだけが欠点だった。
男は便利屋として、多くの人々を助けていた。しかし、彼を悪用しようとする者が現れた。銀行強盗集団である。彼らはスポンジを強引に連れ去ると、あらゆる手段を使い、銃の扱いや錠の開け方、車の運転技術を叩き込んだ。スポンジはそれらを純粋に学んだ。
そして、犯行当日。スポンジは熟練の如き手際の良さで金を盗み出した。かくして強盗団は大金を手に入れ……るはずだった。
彼らの失敗は、スポンジの運転教材に洋画アクションを見せたことだった。車は案の定崖から飛び、翌日、大破した車と、強盗団たちの遺体が見つかった。が、スポンジの死体だけは、なぜか見つかることがなかった。
後日、近くの森林で、猿と共に暮らす人間の姿が目撃されたと言うが、定かでない。
011 謝罪
「代わりに謝りましょうか?」商談に失敗し、会社に帰れないでいた私に、そいつはいきなり話しかけてきた。何でも、“謝り屋”というらしかった。素直になれない人に代わり、無料で謝罪をするのだそうだ……藁にも縋る思いだった私は、すぐ依頼を行った。
翌日、私は半信半疑のまま、出社した。だが、誰一人として、私を責めはしなかった。謝り屋のおかげだ。私は確信した。それから私は、謝り屋を頻繁に使うようになった。寝坊、喧嘩、ミス……全て代わりに謝らせた。次第に私は失敗を省みなくなっていた。
そしてある時。私は、車で人をはねてしまった。だが、何も感じはしなかった。また代わりに謝らせよう。それで許される……。
しかし、謝り屋は私にこう言った。
「私はあくまで“代わり”です。謝る気のない人間の代わりは、お引き受けできません」
その時、ようやく気がついた。私は金の代わりに、良心を支払っていたのだと……。
012 蛇口
僕が小学生の頃の話。僕の部屋には、蛇口が生えていた。それは窓際にぽつんとあって、栓を回しても水は出なかった。その代わり、外に降っている雨の量を調節できた。右に回せばどんな雨も止むし、左に回せば滝のような雨が降った。だから僕はよく、マラソンを中止にしたり、遠足の日は何が何でも晴れにした。少し、神様みたいな気分だった。
ある朝。僕は眠く、学校に行くのがいやだった。だから蛇口の栓を思い切り左に回し、学級閉鎖になることを願い、もう一度寝た。
次に僕が目覚めたとき。外は大洪水になっていた。テレビでは車が流れている。僕は真っ青になって、急いで蛇口を戻した。だけどそのときだけは、いくら回しても雨は止まなかった。僕は泣きながら、蛇口を回し続けた。
そして僕は……いつの間にか眠っていたようだった。気がついたときには、雨は止み、そして……蛇口もなくなっていた。いったいあれは、何だったのだろう……。
013 手紙
夕方。砂浜を散歩していると、波打ち際に、夕焼けに照らされ、光る物体があった。拾うと、どうやら瓶詰めの手紙の様だ。ラベルには、見たこともない言語が書いてある。僕は何となくわくわくしながら栓を開けた。
しかし、ごわごわした触感のその紙には、黒丸が不規則に点々と打たれているだけだった。これに何の意味が? 僕は砂の上に座り込み、頭を捻った。が、一向にわからない。
ふと。気がつけば、日はもう落ちていた。帰らなくては。手紙は名残惜しいが、仕方ない。諦めて立ち上がった、その時だった。
「……なんだ。そういうことだったのか」
空に紙を掲げる。その黒丸は、夜空に散らばる星々をなぞっていた。きっと、これを流したどこかの誰かも、この星を見て綺麗だと思ったのだろう。そして誰かと共有したいと思ったのだ。たとえ、言葉が通じなくとも。
僕は手紙を瓶に戻し、再び海に投げた。願わくば、この星空がまた、誰かに届く様に。
014 言葉にならない声
数年前の話。私は、大きな古屋敷に家族と住んでいた。先祖代々の土地らしいが、やはり、家中のあちこちにガタが来ていた。特に私の部屋がそうだった。歩いたり、風が吹くならまだしも、何もなくともキィキィ音が鳴るのだ。父が言うには、木材の軋む音らしかった。最も、私は納得していなかったが。
しかしその家も、やはりもう限界らしく、思い切って建て直すことになった。私たちは建設業者を呼び、新築の計画を練った。
後日。屋敷を取り壊している最中だった。私が様子を見に来ると、土方達がどこか騒がしく、丁度、私の部屋のあった辺りに集まっている。不思議に思い、話を聞くと「いや。ちょっとまずいモノが出てきましてね」とのことらしい。私は、指された方を覗き見た。
鳥肌が立った。あの、よく聴いていた音。木材の軋みなどではなかった。“呼んで”いたのだ。私を、誰かを。昔から、ずっと。
頭蓋骨。空洞の目が、私を見つめていた。
015 隙間
僕は隙間が嫌いだった。部屋の中に少しでもスペースがあると、埋めないと気が済まなかった。だから、本棚は常に一杯だったし、押入れにもコンテナが綺麗に詰まっていた。
ある時、気づくと僕は、真っ白な部屋の中にいた。部屋の隅には、四角い箱のような物が積まれている。その間に丁度、人が一人入れそうな隙間が空いていた。僕は、ここがどこかなんかより、そのことが気になって仕方がなかった。今すぐ埋めたい。でも周りには、自分と箱以外には何もない。業を煮やした僕は、とうとう、自分をそこに入れた。
ほっと安心する。のも束の間、急に箱と、自分の体が光り出した。そして何と、足下の方から消えて行くではないか。「うわあああ!」僕は恐怖のあまり、必死にもがいた。
目を覚ますと、ベッドの上にいた。夢、だったのか……。右手を見ると、携帯ゲーム機にゲームオーバーの文字。もう二度と、寝る前にテトリスはしない。僕はそう決めた。
016 さんま
吾輩は怪盗である。名は持たない。が、世間は、吾輩を“白”などと呼んでいる。
ある日。吾輩は“秋刀”と呼ばれる宝を狙っていた。大胆にも白昼堂々、警備の眼をかいくぐった吾輩は、姿勢を低くし、獲物に忍び寄った。む。宝の臭いがしてきたぞ……近いな。吾輩は、自分の背丈の何倍もあろうかという壁を、ひらりと跳び越えた。吾輩の跳躍力は人の何倍もあるのだ。おっと……見つけた。台座の上で照り輝く銀。あれこそ、かの秋刀に違いない。吾輩は一目散、目にも留まらぬ早さで獲物を掠めた。そして、全身をくまなく駆動させるため、それを口にくわえ、逃げだそうとした、のだが……それが命取りだった。何と秋刀は七輪の上で熱せられていたのだった。そして不幸なことに、吾輩の舌は熱い物には弱かった。吾輩は思わず転び、その隙に御用となった。
今、吾輩は首に輪をつけられ、終身刑の身だ。獄中名は“タマ”という……。
017 肩こり
「っつ、肩痛い……」サラリーマンである私は、近頃迫りつつある不況を押し返すべく、日夜問わず、PCと向き合っていた。だがこうも根を詰めると、流石に息抜きの一つも欲しくなってくる。……む、いかん。作業をやめた途端、眠気が……ああ……。
夢を見た。手には一枚の紙切れ。下手な字で“かたたたきけん きげんはえいきゅう”とある。ああ、いつだっけか、こんなものを娘から貰ったことがあったっけ。……期限は永久、か。今でも娘は、私の肩を叩いてくれるだろうか……そう思った瞬間、今頃は彼氏と会っているはずの娘が現れた。娘は驚く私の背中へ回り込むと、手を肩に置き、「おはよう」と野太い声で……野太い声?
はっと目を覚まし、振り返る。社長が笑って言った。「疲れてるな。もう今日は帰るといい。ただし、二度と来なくて良いがね」
……肩たたき。期限は永久。
……ああ、そういうことか……。
018 カミソリ
絶対に負けたくない相手がいる。
俺はそいつと、何度も闘ってきた。小さい時から、ずっとだ。だが、俺が勝てたことは一度もなかった。挑んだ勝負は全て敗北に終わり、そして俺はその度、血を流してきた。しかし、それがなお、俺の奴への対抗心をかき立てるのだった。
さて、準備は整った。俺は頭のタオルを取り払い、火照った顔を叩いた。万全のコンディションだ。いける。今日こそ奴に勝つ。俺は心を奮い立たせ、決戦の場へと赴いた。
薄く煙の立ちこめるそこに、奴は待ち構えていた。負ける気がしない、とでも言いたげな佇まいだ。その鼻っ柱、叩き折ってやる。
俺はやおら奴の体を掴み、そして……。
「おはよっす。あれ? 何でお前、顔中絆創膏貼ってんの?」
「こ、これか? いや、ちょっとな、ハハ」
……畜生。やっぱり、カミソリには勝てなかったよ……。
019 陽炎
何を見てるの?
君がそんな顔をする。私は遠くを指さす。
「あそこ。地面がゆらゆらしてるでしょ? かげろう、って言うんだって。暑い日にね、暖められた空気が……ねえ、聴いてる?」
君はばつが悪そうに笑う。私は少しむっとして、でもやっぱり、君と一緒に笑う。
「あのね、虹と一緒なんだって。近づいて、どんなに手を伸ばしても、離れていっちゃう。絶対に、届かない……」
ふと、私の名を呼ぶ声がした。母だ。
「ああ、こんなところにいたのね。よかった。急にいなくなっちゃうから……それにしても、“一人”で何してたの?」
「ううん、なんでもない」
「そう? 帰るわよ。お墓参りも済んだし」
振り返ると、君はもういなかった。
陽炎。
夏の日のまぼろし。光の中の夢。
また、来るね。
020 トンテキ
ここは豚のトン助が経営するレストラン。何を食っても旨いと評判のその店で、特に有名なのがトンテキだった。それを食べるため、隣森から足を運ぶ動物もいる程だった。
余りにもそれが旨いため、ある日、常連客のイヌ郎が訊いた。「どうしてトン助さんとこのトンテキはこんなに旨いんだい」するとトン助はキッチンから果物の絞りかすを幾つか持ってきて、「これのおかげですよ」と言った。「成程。何種類もの果汁をいい塩梅に入れるから、あんなに豊かな風味が出るんだね」イヌ郎は関心し、料理を平らげた。
その晩。「お帰り父ちゃん!」帰宅したトン助を、子供達が出迎えた。「ただいま。そら、お土産だぞ」トン助は、持っていたそれを差し出す。途端に子供達は、目を輝かせた。「やったあ! 果物のかすだあい好き! ありがと、父ちゃん!」それを見たトンスケは笑顔で言った。「ああ。一杯食べて、大きくなるんだぞ。いっぱい、な……」
021 セレブ
私は夢セレブ。セレブとは富む者。私は沢山夢をみる。だから私は夢セレブ。別にいいじゃない、鼻セレブがいるくらいだし。
さて、今日も夢を見ようかしら。いい夢だといいわね。私はベッドで目を閉じた。
「祐子! あんたいつまで寝てんの! さっさと起きてご飯食べなさい!」
もう、うるさい使用人だこと。空気を読んでパンを用意するくらいできないのかしら。
「そんなもん、うちには無いわよ」
パンがなければケーキを食べればいいじゃない。全く、気の利かない使用人ね。
「こんの……いい加減にしなさい!」
「あっ! お、お願い、布団だけは」
「何が布団だけは、だ! 大体あんた、二十も過ぎて、働きもせず、平日の昼間っから寝てばっかり……母さん、悲しいよ……」
泣き出す母を無視し、私は横になった。
私はセレブ、夢セレブ。いつまでも、夢見るお嬢様……。
022 ボーリング
はるか未来。地球を離れた人類は、安住の地を求め、星々を旅していた。そのうちの一人だった私は、ある時偶然にも、とても小さな星を発見した。そこにいると、自分がまるで、幼い頃に読んだ“星の王子様”になったようで、私は、いたくそこを気に入った。
私は早速、ボーリングによる地質調査を始めた。何か資源でも出れば、と思ったが、何も出ない。地表と同じ土質が延々と続いているだけだ。三カ所ほど穴をあけたが、どこも同じだった。私が諦めようとしたそのとき。
「おぉ。こんなところにあったのか」
地を割るような大声が響いたかと思うと、空から巨大な指が伸びてきて、私のあけた三つの穴に入っていった。まずい。いやな予感がした私は、急いで星を脱出した。直後、背後で轟音がした。振り向くと、私のいた星が、十本の宇宙エレベーターを薙ぎ倒していた。後に私は、その一帯が、宇宙巨人のボーリング場であることを知ったのだった。
023 ラボ
町のはずれに、怪しげなラボがある。そこでは、変人の二人組が、日夜奇妙な開発をしているという。そう、今日も……。
「先生、やりましたよ。ついに完成です!」
「む、助手か。して、何が完成したのだ?」
「読心装置ですよ! これを取りつけると、その人の心の声がイヤホンから聞こえるんです! 今は僕の声が聞こえるはずですよ」
「すごいじゃないか! どれ、早速……」
“……先生、お願いします。私の恥ずかしいところ、全部、見てください……!”
「……助手。お前……」
「あっ。それ、僕の仕事用ipodでした」
「お前は仕事中に何を聴いてんだよ!」
「失礼。こっちが正真正銘、読心装置です」
「ったく……よし、いいぞ。再生、っと」
“……死ね。死ね死ね。お前が死んだら権利は全て僕の物だ。殺す殺す殺す……”
「さっきの方がマシじゃねーか! 怖っ!」
……ラボの夜は、今日も更けていく。
024 骨
家の犬が骨を拾ってきた。見たこともない骨だ。正直、気味が悪かったが、犬が気に入っていたようなので放っておくことにした。が、翌日。どうも犬の様子がおかしい。調べると、口の中が血だらけだ。にも関わらず、犬は骨を放そうとしない。流石に変だ。そう思った僕は、骨を取り上げて庭に埋めた。
それから、妙なことが続いた。骨を埋めた辺りに、鳥や鼠の死骸がよく見つかった。しかも不自然に食われている。猫の仕業かと思った……が。ある日、僕は見た。骨の上の土が、蠢いていた。掘り返してみると、骨は大きくなり、肉がつき始めていた。僕は直感的に、それを近くにあった石で粉々にし、火をつけて燃やした。灰は、海へと撒いた。
今でも考える。あれは、何になろうとしていたんだろう。まあいい、TVでも見よう。
『……お伝えします。ここ数日、穫れた魚が不自然に食べられているといった報告が相次いでいます。原因は調査中とのことです』
025 ライブ
皆 帰って行く
光の海を泳いで
星々は消えて朝になる
それぞれの日へ戻っていく
目を閉じれば思い出す
輝きに満ちた夜
星屑の記憶が
歓喜の声だけが 眩しく
だけど きっと
また会える日が来るから
今はまだ遠くても
いつかは
そう
あの夜のような
嵐のような
流星のような
光の生まれる 夜に
026 超ド級
“ワレ チョウドキュウノセンカンヲ ハッケンセリ シキュウ オウエンモトム”
「超弩級の……戦艦だと?」
その電報は、司令を大いに混乱させた。まさか、敵にまだそのような隠し玉があったとは。完全に計算外であった。
早急に対策が練られた。何せ、超弩級だ。装甲も武装も、並大抵ではないだろう。結局、力には力、と言うことで、こちらも秘蔵の大型戦艦を投入するという決裁が下りた。
しかし。前線の戦況は司令の予想とはまるで違っていた。大型戦艦などどこにもなく、代わりに多くの小型間がうようよしていた。
「どういうことだ……まさか、攪乱か?」
戸惑う司令の元に、伝令が現れた。
「おい、これはどうなってる! 話が違うぞ、超弩級の戦艦はどこだ!」司令が訊く。すると伝令は、困惑した表情で答えた。
「え、ええ。ですから、ご覧の通りです。敵の戦艦がほら。ちょうど、九……」
027 バルカン砲
どこか遠い、海の底。光の届かぬ深淵に、一門のバルカン砲が、戦闘機と共に眠っていた。それは随分長い間そこにあるのか、所々錆びて穴が空き、魚の住処となっている。
バルカン。炎と武器の神から名を授かった銃。だがそれも最早、役目を無くし、朽ち果てて行くのみ。彼がどんな場所で、何を見、何を成してきたのか。口なき銃は、語ることはない。ただ、黙っているだけ……。
かつて。炎と武器の神は、天から海へと落とされた後、海の神に育まれ、時を経て、生みの親のいる天へと帰ったという。
だとしたら、彼もまた。あの空を飛ぶことを。生みの親のもとへと帰ることを願っているのだろうか。それは分からない。銃は、物を言わない。そのための言葉を、持っていない。いつまでも、黙ったままなのだ。
今日もバルカンはそこにいる。夢と記憶を抱いたまま、ずっと、眠り続けている。
028 布団
布団は、ひとの始まりと終わりに通ずる。例えば、一日の生活。朝は布団で目を覚まし、夜も布団で眠りにつく。一生においてもそうだ。生まれたての赤ちゃんを優しく迎え入れ、そして死に逝く人もまた、同じ温かさで送り出す。それが、布団と言うものだ。
僕がその話をすると、君は笑った。からかうなよ、と怒ると、君は「そうだね。新しい命を作るのも、布団の上だもんね」と僕を茶化した。僕は真っ赤になって、何も言えなかった。そんな僕を、君はまた笑うのだった。
そのうち、君は寝てしまった。僕の腕の中で。布団を掛けてあげようと思ったが、やめた。君を起こしてしまいそうだったから。その幸せな顔を、もっと見ていたかったから。
朝になって、君が目を覚ましたら。おはよう、と言ってあげよう。僕は君の布団。君の始まりと終わりを、全部、近くで見守ろう。
だから。ねえ。今は。
「おやすみ」
029 学園祭
校庭に、巨大な火柱が昇っていた。学園祭の目玉、キャンプファイヤーだ。燃え盛る炎の周りでは、生徒達が踊りを交わしていた。
その中に一際目立つ存在がいた。着ぐるみだ。どこかのゆるキャラに類似したそれが、激しく踊り狂い、生徒の注目と笑いを一手に集めていた。ちょっかいを出す者もいた。
暫くして、突然、着ぐるみがコケた。そしてそのまま動かなくなる。初めはそれも周囲の笑いを誘った。が、少し様子がおかしい。いつまで経っても起きあがってこないのだ。
流石に心配した一人が、着ぐるみを脱がそうとして……気づいた。背中のチャックが壊れているのだ。依然、着ぐるみは動かない。急遽、着ぐるみの切断作業が始まった。もう既に、誰一人として笑う者はなかった。
やっとのことで着ぐるみが開いたとき、中の生徒は、もう息をしていなかった。死因は窒息だった。彼は踊っていたのではない。笑う観客へ向かって、助けを求めていたのだ。
030 車輪
この世界のどこかに、それはいる。
この世界のどこにも、それはいる。
車輪男。
それは例えば、二人が幸せを確信する結婚式に。それは例えば、社員が喜んで身を尽くす会社に。それは例えば、旅人が自転車を捨て、安息の地と腰を据える町に。
友人との宴会に。入学の日の学校に。啓発者の演説に。薄っぺらなテレビの中でさえ。
そいつはどこだって、車輪を回している。どこかで聞いた歌を口ずさみながら、抱えた一輪車を、ずっと回し続けているのだ。
車輪は、タロットにおける運命。坂を転がる輪のごとく、抗い難い力。人はそれに負け、夢を捨てる。そいつが車輪を回すとき。それは、誰かが何かを諦めるとき。何も考えず、ただ楽な方へ転がっていくときなのだ。
それは果たして良い事か、悪い事か。それはわからない。ただ、今日もそいつは一輪車を抱えている。車輪はずっと、回っている。
031 玉突き事故
僕は隙間が嫌いだ。神経質すぎるとよく言われるが、性分なので仕方がない。
私事だが、この間免許を取った。今は若葉マークをつけてあちこちを走り回っている。その際、僕は一つだけ気をつけていることがある。車間距離を絶対に空けないことだ。いかに道交法といえど、これだけは譲れない。
隙間は許してはならないのだ。
そしてまた僕は、零距離停車を決めた。満足していると、急に、車が前に押し出された。追突だ。当然、前の車も押し出される。玉突きだ、と驚く間もなく、順繰りに前の車が押し出されていく。そしてその先頭には、「戦車!?」嫌な予感。と共に、追突された戦車が、ボン!と砲弾を吐き出した。「やっぱりいぃ!」僕は恐怖の余り、目を瞑った。
気づくと僕は、ベッドから落ちていた。夢か……。ふと顔を上げると、テレビが点いていた。ドミノが割ったくす玉から、“ピタゴラスイッチ”の旗が下りていた。
032 初対面
俺が徴兵として駆り出されてからどれくらい経ったろう。銃声、悲鳴、爆発。無限に続くかと思われた地獄の日々から幾年。俺はやっと、祖国の土を踏むことができた。
会いたい人は沢山いた。だが俺は、何よりも先に妻の所へと向かった。戦場では、彼女の存在だけが、俺の心の支えだった。期待と喜びを胸に、俺はひた走った。
ようやくたどり着いた家の扉を、俺は静かに叩いた。返事の後、しばらくして、扉は開いた。そこには……あの頃より少し老けた、でも何も変わらない、妻の姿があった。
「久しぶりだ。会いたかった……」俺は感涙し、妻に駆け寄ろうとした。だが妻は、怪訝な顔をして、俺に言った。
「ええと、どちら様? 初対面ですよね?」
たまらず、走り出していた。本当はわかっていた。こんな姿で、俺だと分かって貰える筈がないと。俺は泣いた。火傷だらけの、醜い顔を覆い隠して。
033 スプレー
今日は休日。僕は妹とショッピングに出かける予定……だったのだが。
「雨、止まないね。お兄ちゃん」
外は生憎の雨。妹の作ったてるてる坊主も、効果がないようだ。仕方なく、今日は絵でも描いて過ごそうと言うことになった。
僕は早速、物置へ道具を取りに来た。するとなにやら、見慣れない箱がある。開けてみると、中には一本の缶。“スプレー・虹”と書いてある。
虹色のスプレーとは珍しい。きっと妹も喜ぶだろう。そう思った僕は、そのスプレーを持っていた画用紙に吹き付けてみた。だが、スプレーは乾いた空気音を出すだけで、何も描きはしなかった。くそ、不良品か。今日はとことんついてないな、と思ったその時。
「お兄ちゃーん! 外見て、外!」
妹の叫ぶ声。一体、どうしたというのだろう。僕は言われるまま、窓の外を覗いた。
晴れた空に、大きな虹が架かっていた。
034 サドル
母から自転車を譲り受けた。補助席のついた、古いママチャリ。所々錆びていたが、十分使えるだろう。
試しに、乗ってみる。丁度良いサドルの高さ。子供の頃は、あんなに高く思えたのに。
私が保育園の頃、通園はいつも、この補助席だった。幼い私は、ここから眺める、流れてゆく景色に、いつも目を輝かせていた。
今。私がここで見ているのは、母の景色だ。私を守った、母の目線だ。私はそれを、受け継いだんだ。そう思うと、どこか気が引き締まる思いがした。
私もいつか、子供にあの景色を見せられるだろうか。あふれる輝きと……強い、母の背中を。
「おーい! ちょっと来てくれ! 赤んぼが漏らしてる!」
……なんて。まだちょっと、早いかな。
はーい、と返事をして、私は、子供の所へと向かった。
035 曲線
ずっと続く、曲線の上を歩いている。
とても長い道。いつまで続くのか。数歩先に、何があるのかさえ分からない。
もしかしたら途切れているかも知れない。ぐるぐると回り続けて、それに気づいていないのかも。本当に何も分からない、暗い道。
でも、立ち止まるわけにはいかない。できない。したくない。
だってこれは、自分で選んだ道だから。
時々、まっすぐな道が羨ましくなるときもある。どんどん先へ行く人に、嫉妬することもある。
だけど、目指したものがあるから。
自分の為の、自分しか歩けない道だから。
だから、どんなに遅くても。どんなに複雑で迷っても。どんなに暗くて、つまづいても。
きっと、その先にある光に向かって。
今日も、一歩づつ、歩いていく。
この、人生という、曲線を。
036 夢見がちなお姫様と濡れない雨
お姫様はずっと、厳しく躾られて育ってきました。決められたことをなぞるだけの、退屈な日々。遊ぶことさえ、自由にできません。ですから姫にできることと言ったら、想像することぐらいでした。姫は暇を見つけては、頭の中に夢を膨らませていました。
ある雨の日のこと。姫は外を見ながら思いました。雨に濡れてみたいな、と。雨の日、姫が空を見ると必ず、傘がありました。濡れると風邪を引くからだそうですが、風邪がどんなものかさえ、姫は知りませんでした。
姫は早速想い描きました。土砂降りの雨の中、一人の女の子が踊っています。綺麗なドレスが泥だらけになるのも構わずに、ただ、笑ってステップを踏んでいて、そしてそれは、とてもとても気持ちがよいのです。
だから姫は待ちます。いつか自分を、夢の中から、本当に雨の中へ連れ出してくれる人を。手を差し伸べる王子様を、ずっと待っているのです。
037 彼女までのあと○メートル
ほんの薄い、数ミリメートルにも満たない壁。その向こうに、彼女はいる。
彼女はいつもそこで輝き、僕へいろんな声や、表情を届けてくれる。もちろん、僕はそれに応えようとする。しかし、たった数ミリの薄い壁は、それを許してはくれない。
なぜだろう。手を伸ばせば、こんなに近い。手を重ねることも、彼女の輪郭をなぞることさえできるのに。それは君に届くことはない。こんなに近いのに、こんなにも遠い。なんて、もどかしいんだろう。
分かっている。これは、心の距離。二人のあいだの、悲しい行き違いが生んだ壁。
ならば。僕がその壁を破ってみせる。僕の勇気で。君との距離を無くしてしまおう。
待ってて。すぐ、行くから……。
「……それで先生、例の患者の容態は?」
「彼か? ひとまずは落ち着いたよ。でも、やっぱりわからないな。どうして、テレビに頭から突っ込もうなんて思ったのか……」
038 お前に俺は倒せない、なんせ俺は○○だからな
今、俺の目の前に立ちはだかる強大な敵。俺はそいつと、死力を尽くして闘っていた。
そいつはにやりと笑い、俺に言う。
「無駄だ。お前に俺は倒せない。なんせ俺は、お前だからな」
その声は極めて甘美に、俺の脳内に響く。
「なあ、認めちまえよ。俺はお前。お前の心の底にある強い願望だ。なのに、なぜ拒む。受け入れてしまえば、楽になれるぜ」
聴いてはだめだ。わかっているのに。裏腹に、俺の体は、それに従おうとする。
「そうだ、それでいい……くく。ようこそ、闇の世界へ……」
俺の体から、とうとう力が完全に抜けた。意識が深く、飲み込まれていく……。
「佐藤、おい、佐藤」
誰だ、俺を呼ぶのは……あれ、先生?
「おはよう。俺の授業で寝るとはいい度胸だ。一応、言い訳を聞いてやる」
「あ、えと、その……自分に負けました」
039 残念、正解は伸身宙返り二回半ひねりを決めたからでした
「ああー! そっちかー!」
「惜しかったですね神様。三回ひねりは、ジャパンの白井選手の技なんですねー」
「……なぁ。ミカエル」「何です、神様」
「飽きたな。人間ヒストリークイズ」
「……仕方ないじゃないですか。もう人間滅んじゃって、やることないんですから」
「はあ。永遠の存在って退屈だな」
「ですね。……にしても、神様」「ん?」
「どんなに有名になって、歴史に名を刻んでも、結局最後にみんな死んじゃうんじゃ、何かこう、報われませんね」
「そうかもなぁ。でもな、ミカエル。見てみな、この地球を」「地球、ですか?」
「そうさ。ここに何一つ、諦めようとしている生命はないだろ? 確かに、命はいつか終わるさ。でも、だからこそ、今を全力で生きるんだ。輝きながら。そう、思わないか?」
「……えっ、上手く締めたつもりですか」
「う、うるさいな。ほら、クイズやろうぜ」
040 汝は奴を
“汝は奴を、永劫に渡る眷属として享受し、血の契約を交わすつもりか? ……否、それが汝の聖痕(スティグマ)に刻まれし太古の記憶(さだめ)だというなら、潔く甘受しよう。しかし何故、我の魂(イデア)は、かくも哀しく、疼くのだろうか……”
……恥ずかしい。どうしてこんなものが。これは、俺は中学生の時、好きな人に宛てた手紙だ。このとき、俺は所謂中二病で、やけに難しい言葉を使いたがっていた。今はもう、そんなことはないが。
それにしても、てっきり捨てたものとばかり思っていた。まぁ、結果として、これのおかげで今の妻があるわけだし、感謝しなくてはならないのかも知れない。ただ一つ、問題があるとすれば。
「フハハ、此処に居たか我が眷属! 我が魔力の封じられし混沌の供物が今、顕現した! その全身全霊を以て贄とするがよい!」
「……感染っちゃったんだよなぁ……」
041 ガンバるゾイ
「さて、今日も一日ガンバるゾイ!」
「……博士、その“ゾイ”ってどういう意味なんですか?」
「ん? ただの口ぐ」「まさか博士ほどの人が何も考えずにゾイゾイ言ってる訳ないですよね。きっと重要な意味があるに違いない」
「……」「ね、早く教えてくださいよ。どんな意味があるんですか?」
「そ、そうだな。ゾイとはギリシャ語で生命、生きるものと言った意味があるゾイ」
「ふむふむ。それで?」
「つ、つまりワシは、語尾に常にゾイを付けることによって、自分が生きていることの実感と限りない感謝を表しているのだゾイ!」
「なるほどー! すごく納得したゾイ!」
「そうだろそうだろ……ん? 今何て?」
「素晴らしいゾイ! 感動したゾイ! やっぱり博士はすごいゾイ! 敬意を込めて、私も今日から語尾にゾイってつけるゾイ!」
「わかったもうやめるから許してくれ」
042 暁(あかつき)
朝を待っていた。
闇の中、いつ来るともわからない太陽を。
太陽を操ることができるのは、時計だけ。だから僕には、待つことしかできない。
結局の所、そうなのだ。明日を貰うきっかけなんて、いつだって他人まかせで。自分からできることなんて、何もない。ただ呆然と、緩慢と、空を眺めているだけ。あとは、成り行きがどうとでもしてくれる。
そう、思っていたのに。
どうしたことか、僕は走り出していた。暗い道を、全力で、わけもわからず、ただひたすらに。太陽を、迎えにいこうとしていた。
そんなことに意味なんてないのに。わかっているはずなのに。それでも体は動き出した。何かをせずには居られなかった。自分の明日のために、何かを、していたかった。
だから僕は走る。たった一人の孤独な道を。光を探す旅路を。暁の空を駆けていく。
まだ、太陽は見えない。
043 響(ひびき)
月夜が照らす畦道を、星を見て歩く。唯一、田舎暮らしでよかったと感じる瞬間だ。
にしても、綺麗な満月だ。こんな夜は、歌でも歌いたくなる。どうせ辺りには誰もいない……と、僕は鼻歌交じりに歩き出した。
暫くそうしていると、いつの間にか、辺りが妙に騒がしいことに気づいた。……蛙だ。田んぼのあちこちから、合唱している。それも、物凄い数だ。(蛙も、月に歌いたくなったのかな)などと考えていると、今度は強風が吹き、森を揺らした。木々が呻く。すると今度は虫、鳥、猫、田んぼの稲に至るまでが、共鳴したかのように、それぞれ音を奏でだした。歌はどこまでも遠く、大きく、響いていく。まるで、自然のオーケストラ。
瞬間。ゴッ! 唸るような轟音と共に、僕の体が大きく傾いた。地震だ……そう気づいたときには、もう揺れも、音も収まり、代わりに、嘘のような静寂だけが残っていた。
地球の歌を、僕だけが聴いていた。
044 雷(いかずち)
昔、付き合っていた女が居た。特に取り柄がなく、かといって欠点もない、ごく普通の女だったと思う。ただ、ある一つのものに異常なほど執着している点を除いては。
雷。空が灰色に覆われているとき、彼女はずっと天を見上げていた。その時だけは、何を言っても生返事しかしなくなる。その時彼女の目は、人形のように虚ろなのだ。
一度だけ、晴れの日に理由を聞いたことがある。彼女は、空を見ながらこう答えた。
「雷ってね。“あっち”と“こっち”が交信してる合図なんだって。電話みたいにさ」
何でも、彼女の親は両方とも他界しており、その死に目に会えなかったことをずっと後悔しているのだとか。程なくして彼女とは別れたが、つい先日、その訃報が届いた。雷に打たれての感電死らしかった。果たして彼女はそれを、望んでいたのだろうか……。
今も、雷が鳴ると、空を見上げてしまうのだ。居るはずのない、彼女の声を探して。
045 電(いなずま)
「わたし、いなずま!」
俺の言えに勝手に入り込んでいた子供は、自らをそう名乗った。迷子か何かだろうか。
正直、面倒事は勘弁だった。今日は、企業面接の合否の電話連絡があるのに。
とりあえず放っておこうと思った……が、そうもいかなかった。そいつが触れた電気製品が、次々と壊れだしたのだ。もし電話を壊されでもしたら、たまった物ではない。
「いい加減にしろ!」俺は子供を怒鳴りつけた。するとそいつは泣きだし、部屋から出て行ってしまった。やりすぎたかな……と、入れ違いに電話が鳴った。就職先の企業。結果は……合格。俺は飛び跳ねて喜んだ。
後から知ったのだが、“稲妻”には、“雨と共に訪れ、実りを促す者”と言う意味があるそうだ。もしかしたら、あの子供が“実り”――合格を運んできたのかも知れないというのは、俺の考えすぎだろうか。
……次は、お菓子くらい出してやるか。
046 機関銃
俺は昔、軍で機関銃手を務めていた。と言うと聞こえはいいが、実のところ、うちの軍が使っていた機関銃は恐ろしく質が悪く、機能不良が当たり前の欠陥品だった。“言うこときかん銃”なんて呼ばれていたくらいだ。
だがどんなポンコツでも、俺の命を預かる相棒であることに代わりはない。俺はそう思い、毎日そいつを、丁寧に丁寧に整備した。
ある時、俺の部隊がゲリラと戦闘をしたことがあった。俺達は敵の地理を活かした作戦に苦戦を強いられた。俺も奮戦したが、罠にはまり、とうとう敵に捕まってしまった。
敵はどうやら、俺の機関銃で背後から部隊を襲うつもりらしかった。俺は願った。俺の相棒に、味方を殺させないでくれ、と。すると、奇跡が起こった。撃とうとした銃はそのまま爆発し、ゲリラを吹っ飛ばしたのだ。その隙に乗じ、俺も無事逃げることができた。
俺は今でも信じている。あいつは欠陥品なりに、体を張り、その役目を果たしたのだ。
047 晴れ
“○月△日。晴れ。日記を書くときは、こう始めるんだって教えて貰いました。ところで晴れって何だろう。おじさんに聞いたら「雨が降ってないことだよ」って言いました”
“○月×日。晴れ。あれからずっと晴れです。雨っていうのがあって、水が降るそうなんですが、本当に水なんて降るのかな”
“△月△日。雨。やっと雨です! 僕の頭に水が落ちてきました。上を見ると、ねずみがおしっこをしていました。雨の時は、上にねずみがいるんですね。また賢くなりました”
“×月□日。おじさんがどこかに連れて行かれて、僕も、見たことないところに行きました。そこでは、天井はずっと高くて、白でも、黒でもない、青色でした。ねずみもいませんでした。それにとても眩しくて、暖かいのです。これはなんていう天気なのかな。今度、おじさんに教えて貰おうと思います”
――監禁されていた少年の日記より抜粋。一部、読みやすいように改正――
048 霞
この街は、霞で覆われている。
人も、車も、ビルも、なにもかも、はっきりと目には映らない。全て曖昧だ。隣を行き違う人でさえ、私の記憶に残らない。
この街で、私はひとり。よくできたセットの中で、人形と生活しているようなもの。
一体誰が、私を私と認めてくれるんだろう。この存在を、肯定してくれるんだろう。
そんなことを考えて歩いていると、人にぶつかってしまった。思わず倒れる。すいません、と咄嗟に言う。けれど、それを聞く人はいなかった。人の波は、まるで最初から何もなかったかのように、道を行き交っている。
……ああ。きっと私も、霞なのだ。
私も多分、誰かが作ったセットの一部で。人から見れば、ただの人形に過ぎないんだ。
ねえ。誰か、私を必要としてください。
私に、生きる意味を教えてください。
そのときはきっと、霞は風で散って。その先に、色のある世界が広がっているから。
049 銀幕
老婆はこの道六十年の大ベテラン女優だ。その彼女が、人生最後の演技と決めた映画の撮影に励んでいた。彼女の役は、心臓病を患った母。難しい役だったがしかしそこはベテラン、何の問題もなかった。彼女の演技は真に迫り、本当に今にも死んでしまいそうで、それでいて撮影が終われば途端に元気になるのだから、いかにその技能が高いか伺えた。
そして迎えたクランクアップ。ラストは母の死を息子が看取るシーンで、誰もが老女優の演技に息をも忘れた。勿論、一発OKだった。鳴り止まぬ拍手が、彼女に送られた。
だがどうしたことか。彼女はいくら経っても起きあがってこない。そこで一人のスタッフが、彼女の様子を見に行き……驚愕した。彼女が本当に、息を引き取っていたからだ。
彼女は心臓病患者だった。命がけの役作りをしていたのだ。それを周囲に悟らせなかったのは、彼女の演技力のなせる技だろう。享年八十。正に、銀幕へ捧げた人生であった。
050 くらげ
今日は満潮。海が、月の引力に引かれて水位を増す日といわれています。
波もなく、静かな水面には、綺麗な月影が揺れています。……おや、何でしょう。海に映った月が、二つに分かれ出しました。まるで細胞分裂のようです。と思うと今度は、増えた月が泳ぎ始めたではありませんか。よく見ると、触手のような足が生えています。
……ああ。わかりました。これは、くらげですね。くらげは漢字では、海の月とも書きます。なるほど、満月の夜はこうやってくらげが生まれて、だから、水面もちょっとだけ上がるのかも知れませんね。
海には無数のくらげがゆらゆらと漂って、とても幻想的です。月の宴、といったところでしょうか。しかし宴はいつか終わるもの。朝が来て月が隠れると、くらげは次々と萎んでいき、やがていなくなってしまいました。
海は、何事もなかったかのように水位を下げ、優しい波が、全てを流してゆきました。
原稿用紙一枚の物語【小説千本ノック】NO:1-50