煙草

 母が煙草をやめたのは、彼女が三十代に差し掛かろうとしていた頃のことである。またその時期と言うのは、母が私を身ごもった時期でもあり、つまりはそれが、未だ一人の女であった母が、母たるためにその自覚を持って行った初めての決意であったのだろう。
 それから二十年、父は私が生まれてすぐ死んだものの、母の母たる部分が欠落しないでいてくれたお陰で、一人っ子の私はこれと言った欠損もなく、この二本の足で地に立つことが叶っている。学歴こそ残念ながら母の期待していたようなものにはならなかったが、それでもなんとか就職までは漕ぎつくことができた。母にはとても感謝しているし、これからその恩を返していく心構えもできている。彼女ももう、この重い肩の荷を下ろしていい頃であろう。つまりは私の親離れと、同時に、彼女にとっての子離れの時期が近づいている、と言うことである。
 だからーーであろうか。最近になって、母がまた、煙草を吸い始めた。私が外出しているときなど、どうも、隠れて吸っているようである。というのも、臭いがする。私は元来煙草嫌いで、副流煙と言うのだろうか、他人の吐いた煙を吸った程度ですら、肺が苦しくなるような感覚に襲われるのだ(もちろん直接吸ったことなど一度もない)。だからそのあたりに対しては私の鼻は敏感であり、それを関知することに関して、妙な自信さえもっている。何より彼女の、法倫理に触れない隠事の決定的な証拠として、台所にある小さな戸棚に、以前私がコンビニでアルバイトをしていた際、厚い化粧で着飾った汚らしい若い女がこぞって注文してきたような、薄く、(煙草にしては)可愛らしいパッケージをした銘柄の煙草の箱が、いくつか積まれていたからである。確か、ニコチンとかタールだとか言ったものの含有率が他に比べると低く、臭いも多少薄いものになっているような煙草だったはずだ。当時の先輩にはそう聞いた。
 しかしそんなことは関係ない。若いならまだしも、いや、若くてさえ、体に多大な負担を強いるこの毒を、ましてやもう五十にもなろうという母が採っていて、彼女の未来をわずかでも幸福なものにしようはずがない。そんな子として当然とも言える労りの心と、また少しの義憤に駆られた私は、先日、母にこの件を問いつめた。その際、母は少々後ろめたそうに、しかし特に隠したがる様子もなく、笑って「ごめんね」と言ったものだった。
 しかし、このとき、母はこうも言っていた。
「疲れとるんや。吸わんとやっとられんの」
 母が女手一つで私を育て上げ、今なお、仕事が始まるまでの間、食わせてくれていることを知っている私は、その手前、それ以上何も言うことができなかった。それどころか、安易に母を叱った自分が、少し、恥ずかしくさえ思えた。
 それから、戸棚の箱の数こそ減ったものの、母はまだ、隠れて煙草を吸い続けている。私は時たま「やめた方がいい」と声をかけるのだが、強制するまでのことはできようはずもなかったし、また母自身も、私がどう言おうと、やめるつもりもなかったであろう。気さくで優しくはあるが、その実、頑固者。そんな母の性格を、私は誰よりも知っていた。

 ある冬の晩、私が二階の自室から居間へ下りてくると、嫌いな煙草の臭いがした。母が仕事から帰ったところであった。おそらく、家へ入る前に一服したと言うところであろう。私が何も言わずにおくと、母は私に飼っている犬の散歩へ行くよう命じた。私は言われたとおり、犬を連れて、雪の積もった道に出た。
 車が走ったあとの、雪の掃けた道をなぞるように歩きながら、私は未だ煙草の煙が残っているような気のする肺から息を大きく吐き出し、代わりに、冬の張りつめた空気を取り込むように、胸一杯に吸った。わずかに自動車の排ガスの臭いが混じっていたが、それも煙草の煙と比べれば、随分ましであるように思えた。
 それから、狂ったように草木の上の白を突っつき回す我が家の黒い鼻を見つめながら、私は少し、物思いに耽ることにした。
 彼女にとって煙草を吸うと言うことは、それほど欠かしてはならない事柄なのだろうか。年頃の男が定期的に性欲を発散したくなるように、また犬が耳を掻きたくなるように、どうしようもなく、避けようのない行動なのであろうか。否。そのふたつは、欲を解消する方法がほとんどの場合で、直接それをするよりほかにないのであるからしょうがないといえる。が、彼女の衝動とは、仕事上の肉体的或いは人間関係上の精神的疲労に起因しており、必ずしも喫煙でそれを解消する必要はなく、ほかにいくらでも代替が利きそうなものであるように思える。或いはそれは、私が煙草を知らないからそう思うだけであろうか。わからない。
 また、話は逸れるが、私はこの嫌悪すべき煙の臭いと同じ臭いを他の者に感じたことがある。私には二つ上の従姉妹がおり、これには電力会社で働く恋人がいて、元来勝ち気で男勝りであるこのジュリエットは、そのロミオの評価を、やれ自分に依存しているだの、顔や性格が好みでないだの、迷惑な程贈り物をしてくるだの、まるで自分の奴隷であるかのように公言してはばからないのであるが、しかし、私は一度、この女と男の電話で話しているのを偶然聞いたことがあって、その際の彼女の態度といえば、奴隷に対する主人のものにはほど遠く、実際にはもっと平等な関係であるのが伺え、その声は非常に喜々としていて、彼女が家族の前で恋人を語るときの、自慢らしく、不遜な態度とは、全く百八十度も違ったものであったことを覚えている。そしてこの時の彼女も、煙草の臭い、と言うより、何か汚らしい、雌特有の、それでも母のものと同種であると確信の持てる臭いを発し、私を不快にさせた。
 かように彼女たちの共通点は、隠し事、というところにある。思うに、私をいやな気分にさせるこの臭いとは、嗅覚ばかりによって伝達されるものではなく、私の気分にも多少因るところがあるのだ。女達が何かを隠し、自分の尊厳を保とうとするときに、決まってその臭いは発せられる。彼女たちは特定の者を除いた他の男に対して自分のなにがしかを守ろうとし、結果、それが極端に限定的な愛、ないしはその他の範囲に属する者への拒絶となってあらわれ、私を不快にさせるのだ。
 しかし例外と言ったものもあるようで、私の他の従姉妹(こちらは私の三つ下にあたる)は、どうも最近自分の体型が殊更に気になるようで、私などは彼女の体型は標準的かあるいはそれより細めのものであるように思えるのだが、当人としては満足がいかないらしく、食事の際、カロリーの摂取に対して過度に敏感になっていて、なおまた、それを我われに悟らせないようにしている節があるが(この配慮が実を結んでいるかどうかは私がこれを書いている時点で察していただきたい)、この隠し事及び自己防衛は、私にあのにおいを感じさせるものではなく、寧ろ私を、飼っている子犬の成長過程を見守るような、微笑ましい気持ちにさせる。この違いは何だというのか?全く解し難い。
 しかし私は喫煙車でもなければ恋人がいる訳でもなし、ましてや体重制限もしていなければ、そもそも女性ですらない。暫く歩きながら、やがて考えがまとまろうはずもないことを悟った私は、体力配分を誤り、息を切らして、歩く速度を鈍らせているこの大きな老犬を促しつつ、帰路についた。再び大きく吐いた息が、煙草の煙のように白かった。

「ただいま」
 家へ入りそう言うと、シャワーを浴び終えたところであったらしい母が、脱衣所から顔を出し「おかえり」と笑った。今晩は職場の同僚と打ち上げをやるらしく、歯磨きをくわえながら、髪にはタオルを巻いて、外行きの服を着ていた。あたりは私も共用するシャンプーと、母の愛用する香水の、ふたつの香りで充満していた。そしてそれはまぎれもない、私の嫌いな、煙草の臭いであった。

煙草

煙草

実話……かどうかは伏せておきます。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-10-20

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