怪力少女・近江兼伝・第3部「移行期」
第1部『石田の天狗』と第2部『茜の空』からの続きになります。中学2年生になった主人公は、「美少女」と呼ばれる男子がセクハラを受けているところを助ける。
彼は自分のことを『神様の悪戯で生まれた人間』だと思っている。
その彼のたった一つの夢とは?それを叶えるために茜は立ち上がるが・・・。
2年生になって
茜は2年生になった。
背も1年生のときに比べて5cmも伸びた。
始業式に行くと、2階の2年4組に自分の名前が貼り出されてある。
友達の名前を探したが、怜子だけが同じクラスだった。
だが怜子は他の友達と仲良くしていて、茜とは自然と離れて行った。
担任の名前は綿谷晃という年配の男性教師。
このときまでに茜は算数は割り算まで覚えていたが、分数とか少数については理解してない。
国語は小学校4年生くらいの読解力や漢字を理解。
また英語はなんとか平均点以上をとっていた。
体育については成績がよかったが、それでも力は制撫していたという。
また、家庭科は実技が得意で特に調理などは教師も舌を巻くほど。
音楽については器楽が苦手だったが、歌は綺麗な高音でとても上手だった。
学校生活は少しずつ馴染んできたが、茜はどちらかというと一匹狼的な部分が多かった。
特に以前の三年生が卒業すると、上級生に知り合いはいなくなった。
4月に1学期が始まって間もない、ある日のことである。
休み時間茜がトイレに入ったとき、男子トイレから争う声が聞こえた。
男子数人と一人の女子の声が聞こえたのだ。
「おい、美少女。俺にキスしてくれ。」
「いや、いやだよ、そんなの」
「てめえ言うこと聞かないとなぐるぞ」
「そうだそうだ。俺たち一人ずつにしろ」
「どうして、そんなことさせるの」
茜はすぐに女子トイレを飛び出し、男子トイレに飛び込んだ。
「あなたたち、なにやってるんですか?」
見るとそこには5人の男子がいた。女子はいなかった。
「お前こそ何やってんだよ?!ここは男子トイレだぞ」
にきびだらけの男が茜を指差して言った。
すばやく見ると、そいつとデブの子。坊主頭の子。
タラコ唇の子の4人に一人の男の子が囲まれている。
一目見て、その子が「美少女」と呼ばれていた子だとわかった。
顔だけ見ると女の子なのだ。まるで女の子が学生服を着ているみたいなのだ。
しかも、きっとどの女の子よりもきれいな顔をしていた。
つまり、その女性的な美しい顔のせいで、男子生徒の玩具にされようとしていたのだ。
その子の声も女の子のような声だったので茜が間違えたのだ。
茜は黙って彼らに近づいて行くと、他の男子を押しのけ「美少女」の手をつかんで男子トイレから連れ出した。
「おい、待てこら」
他の男子が追いかけてきた。
一人が茜の右肩を掴んだので、その手首を左手で掴んでぐいっと引っ張った。
相手のわきの下が茜の肩にぶつかって相手の腕の根元がゴキッと鳴った。
「ううっ!」
倒れた相手はにきびだった。
茜は振り返ると、他の三人に睨み返した。
「その人を保健室に連れてって。それから私の体にむやみにさわらないでほしい」
三人はすっかり気をのまれて、にきびを立たせると保健室に向かった。
「あの、ありがとう。」
「美少女」は茜に礼を言った。
「私、三組の木崎茜っていうの。あなたは?」
「野沢英一です。一組です。」
「英一・・・男の子なの?」
「・・・・」
茜は野沢の一瞬のためらいに、辺りを見回してから顔を近づけた。
「ごめん。もしかして事情があって男の子の格好をしているのかと思ったの。
私にも経験があるから」
最後の言葉に野沢は強い反応を示した。
「木崎さん・・・私の体調べてくれてもいいです」
「そんなことできないよ。あなたの言葉を信じるから、本当のこと言って」
「・・・」
野沢は少女のような恥じらいを見せて、そっと茜に耳打ちした。
「私は体は男ですが心は女なんです。」
「ふ・・複雑だねぇ・・」
「木崎さんは、私の逆ですか?」
「えっ・・ち・・違うよ。私の場合事情があって男の子の振りをしなきゃならなかったんです。」
「どのくらいの間ですか?」
「5才のときから12才までだから、7年間」
「ふぅーん」
野沢英一はにっこり笑って言った。
「ふ・・複雑だねぇ・・」
「あっ、私の真似をしたな。こらっ」
「あっごめんなさい。・・・ところで木崎さん」
野沢が急に真面目な顔をした。
「なに?野沢・・さん」
「私・・キモくないですか?」
「ないよ。男の子の格好した女の子だと思えば」
「そうですよね。今のうちはそうかもしれません。」
「どういうこと?」
「今は女の子みたいに可愛いから・・でもうちのお母さんも、私と同じなんだけれど、そのうちヒゲが生えてきたり、喉仏が出てきたり声変わりしたりするんですよね。」
「そうか・・・どんどん男らしくなって行くんだ・・これから」
「だから、まだ女の子のように可愛いうちにしたいことがあるんです。でもそれは叶わない夢なんだけれど」
「なに?」
野沢は、周りを見回してから声を潜めた。
「家ではしているんだけれど、女の子の格好です。
実はセーラー服を買ってあるんです。それを着て学校の廊下を歩いてみたいなって。神様の悪戯で私は心は女で体は男にされてしまった。
でも、他の女の子みたいにセーラー服を着て一度でいいから学校の中を歩いてみたかったんです。」
「できるよ、それ・・・」
「えっ?」
「私と素早く制服を交換するんだよ。二階の2年生のところは目立つし、一階は職員室があるから三年生のいる三階ならきっとわからないよ。体つきも同じくらいだし、できると思うよ。その望み叶えてつかわそう。」
「本当?!嬉しい!!」
次の日、朝早めに出てきた二人は早速、誰もいない特別教室などを使って早着替えの練習をした。野沢の学生服とセーラー服は事前に着替えやすいように改良されていてセーラー服の方は茜が受け取った
中休みのベルがなると三組の茜は早速一組に行った。
二人は最初は三階に行った。一階だと職員室など二年生も結構出入りするからだ。
三階には特別教室があるがどこを覗いても人がいた。
仕方ないので屋上に行く階段の上まで行った。
そこですばやく着替えると、二人は三階の廊下を歩いた。
英一はややうつむき加減に。茜は胸を張って歩いた。
「おっ、可愛い子が来たな?2年生か?」
廊下に固まって通路を狭くしている男子が二人を囲んだ。
「男も可愛いな、女みたいだ」
「・・・!」
茜はその男をにらみつけた。
「何だ、この野郎、先輩に向かってガン飛ばしやがったな」
どうも向こうも喧嘩っぱやいのがいたようだ。
どっちにしろテリトリーを侵されたという意識があるので、すぐ喧嘩になった。
といっても茜にとっては中学生のツッパリは勝負にならなかった。
すぐ5・6人の男子がうずくまった。
手を出した人間はみんな手をはたかれて紫色の打撲傷になったのだ。
いちいち関節を外すのは大勢を相手にするとき面倒なので、平手ではたいただけである。
最初の人間も額を掌で突こうとしたのを手で払いのけただけだ。
左右からも掴みかかったり殴りかかってきた手はすべてピシャッピシャッと払った。
つまり防御が攻撃になったのである。
ただ背後からつかみかかった者にはなるべく軽く肘打ちをくらわせた。
それでも1mは後方に飛んですぐには起き上がれないダメージを受けたと思われる。
この騒ぎの様子はすぐ三階全体に広まった。
今度は体育教師らしいがっちりした男性が行く手をふさいだ。
「君たち、2年生が何しにこっちに来てるんだ?」
大きな声で教師は怒鳴った。
「校内を見学してたんです。そこをどいてくれませんか」
茜は声を低くした。
「あれはなんだ?喧嘩したのか」
教師は先ほどのうずくまっている男子たちを指差して言った。
「知りません。歩いていたら急に殴りかかってきたので手で払っただけです」
「ちょっと来い」
教師は茜の肩を掴んできた。
通常の基準では物凄い万力のような力で掴んだに違いない。
だが、茜はそれを軽く払いのけて言った。
「痛いです」
そう、周りで見ている誰もが軽く払いのけたと思ったに違いない。
だが、教師は木刀で叩かれたような衝撃を感じた。
教師は暴力をやたらに振るうことが禁じられている。
そういうときにこの力いっぱい掴んで力の差を見せつけるやり方は今までは成功してきたのだ。
そう今までは。
手を押さえて苦痛の表情を浮かべる教師を尻目に、茜たちは更に進んだ。
廊下の突き当たりまで来たので、今度はもと来た道を引き返すことにした。
すると、往きにはいなかった顔がそろっていた。
確か中に2年のころから番格だった男が三人くらいいた。
顔を見せないように顔をそらして行き過ぎようとすると、早速声をかけられた。
「おいおい、俺たちに挨拶しないで行くのか?クラスと名前は?」
「ありません。」
そういうと、英一の手を引っ張って、走った。
「逃げても後で調べりゃわかるのに」
笑い声と一緒にそういう言葉が背中に向かって投げられた。
体育教師が今度は手を広げて通せんぼしていた。
「クラスと名前を聞こう!」
「ありません。通してください」
茜はちょんと軽く押して道を開けさせた。
教師は3mくらい後方に飛んで転んだ。
その先に行くと、最初に手を出した男たちが立ち直って、今度は構えていた。
危ないので英子を待たせて茜は歩いて行った。
全部で六人。今度は掴みかかったり殴りかかったりじゃなく、もう少し違う戦法でくるみたいだ。
三人は蹴りでも見せるように構えているし、後は箒を持っているのが一人、モップを持っているのが二人だった。
茜は同時に三人にキックを見舞われた、と見ていた者は思っただろう。
だが同時ではない。右側の人間が左回し蹴り上段。左側の人間が右回し蹴り中段。
中央の人間はお腹を狙った中段蹴りという順序だった。
茜はごく自然に歩きながらそれらをいなした。
右肘で左のハイキックを打ち砕き、左肘で右のミドルキックを弾き飛ばし、
右拳で中段蹴りの足首を打ち据えた。
中央の者を手で押しよけると後ろの三人が一斉に打ちかかってきた。
これも厳密に言うと中央の箒、左側のモップ、右のモップという順序だった。
このモップは雑巾モップといって、雑巾をはさめる金具に濡れ雑巾がついているので
下手に受けると折れて金具や雑巾が顔にぶつかる危険がある。
また、箒も叩くのではなく先でつつくようにして目潰しを狙っているのだ。
だから茜は今回は箒の穂先を鷲づかみにしてそのまま、突進した。
左のモップは柄の中央近くを手刀で叩き折って、右のモップは取り上げた箒の柄の部分で相手の手を叩いた。
その後、中央の男子を突き飛ばすと左側の男子がモップの折れた柄で打ちかかってくるのを
手で掴んで取り上げる。
そして、すぐ取り上げた柄で頭を軽く叩いた。
コーンと音がして相手は気絶した。
茜は英子を手招きすると急いで、通常の階段から二階に降りた。
階段近くの男子トイレに誰もいなかったので二人で飛び込み個室で着替えた。
英子が先に出て、茜を誘導して無事男子トイレから脱出した。
二人はばらばらに戻ったが三時間目が始まってから教師からの呼び出しがあった。
呼び出されたのは茜だけで英子は無事だった。
生徒指導部の中川という年配の男性教師が茜に一組でのことを質問した。
茜は前の日にあったことを正直に言った。相手の子は肩が外れて保健室では直せずに整骨院に行ったという。
年配の教師の問いに茜は首を傾げながら、言った。
「君のした行為は暴力というよりも正当防衛だね。私としては君を責める材料は一つもないように思える。
もうこれ以上聞くことはありません。もう戻ってよろしい」
こうして茜の事情聴取も無事終わった。
廊下を戻ると、三階で会った例の体育教師が他の先生と一緒に各教室を見て廻っていた。
教室に戻る途中ですれ違ったので、茜は丁寧にお辞儀をした。
通り過ぎた後で、今の子も違う。髪型は似ているけどとか言う声が聞こえた。
教室に戻ってからしばらくして今度は三階で最初に会った六人のツッパリ生徒が中川先生に連れられて面通しに廻って来た。
それが二回も来るので、授業していた教師が訳を尋ねると、中川先生は言った。
「おかしいんですよ。確かに二年生の襟章をつけていたのに、二人とも二年生の教室にいないんです。」
さらに三時間目が終わった5分休みには、三年生の番格グループが各教室をしつこく見て周り、最後は茜に頭を下げて呼び出した。
内藤という男子が茜を廊下の隅に呼び、頭をさげた。
「木崎さんですね。住田先輩から聞いています。
実は中休みに恐ろしく喧嘩の強い男が三階に来まして、2年生だと思うんですが、未だに正体がわからないんです。」
「それなら知っているけど、今は正体は言えないです。あの、番格の皆さんは関わらないでやってくれますか?」
「ご存知なんですか?で、構わないでくれと」
「はい、すみません。わがまま言って」
「いえ、それならそういう風に仲間には伝えます。」
内藤はそういうと行ってしまった。
そして、昼休みには屋上に事情説明のために呼び出された。
そのときに茜は英子も連れて行くことにした。
これは例のないことだが、事情説明とあれば仕方ない。
男女10人ずつ揃っていたが、内藤が口火を切った。
「男子の総番は新学期早々俺に決まった。だが、ちょっと不安なことがある。
中休みの正体不明の男だ。
あと、女子の総番は三年の桐田だが、一年の長内というのが空手チャンピオンで相当強いらしいから来てもらってる。
これは腕力の序列を決めるもので、消して無用な暴力を進めるものではない。
後、紹介しておくのは木崎さんだ。
1年生のときに既に女子の総番だった武井さんを一瞬で倒している。
けれども事情があって、表に出たくないとのことだ。
だから陰の総番として隠れてもらってた。
今回はどうするのかそれも伺いたいと思う。
あと木崎さんは中休みに現れた男のことを知っているという。
そのことの説明もしてもらいたいと思う。
一緒に来ている男子がそうなんですか?」
茜は肩をすくめた。
「まず、そっちの用事を先にすませてほしいですけど、いいですか?
長内さんの件ね。
後、私は自分の保護者からも5代前の総番のジュンさんからも、総番になることを固く禁じられているから、なりません。
けれども自分の実力を試したいという人がいればいつでも挑戦を受けます。
でもそのときはこっそりやりましょう。みんなの前で総番の人を負かしたくないから。
男子の総番については大丈夫です。
あの話題の男子はこの世に存在しない人ですから、その説明は後でします。
では長内さんの件を先に済ませてください。」
1年前に風林館で対戦した長内由紀は、すっかり雰囲気が変っていた。
以前はリボンを結んで可愛らしい看板娘という感じだったのが、ショートカットの髪に引き締まった筋肉質の体、茜よりも二周りくらい大きな体だった。なによりも顔つきが鋭く周りを圧する迫力があった。
「10番目の奴を一発でのしたんだけどさ。9番目から順番にやらなくちゃ駄目?」
面倒臭そうに長内は内藤に言った。
「悪いけど私あんたよりも強いと思うよ。大人の男とやっても負けないもの。」
「君が総番になってから、俺に挑戦することはできる。
それと一応口の聞き方は守ってほしい。
まだ君の序列は女子の10番目なんだから。
木崎さんですら、学年が上の俺たちにはきちんと礼をつくしてくれるんだ。」
木崎という名前に長内は強く反応した。
それは一年前の敗北を思い出したからだろう。けれどもその反応は強い敵意だった。
そこには一年前の素直な空手少女の面影はなかった。
「いいですよ。早くやりましょう」
少しだけ言葉を改めた長内は真ん中に出てきた。
9番目の女子が出てきたが、出て来た途端に前蹴りで後方に蹴り飛ばされた。
「次良いですよ」
8番目も7番目も蹴り一つでしりぞけられた。
6番目は長内の蹴りをかわして懐に飛び込んだが、顔面パンチを受けてふらついたところを回し蹴りを頭にくらって気絶した。
5番目は回し蹴りを狙ったがヒットする前にカウンター気味に蹴りを入れられダウンした。
4番目は慎重に間合いを取っているうちに、長内が突進して飛び膝蹴りで撃沈させた。
3番目は連続の蹴りで襲い掛かった。長内は後退しながら避けたが、一瞬の休止を狙って、接近し肘打ちで顎を打った。相手は気絶した。
2番目は吉本という2年生だった。
「長内さん、少し休みませんか?」
そばかすだらけの丸顔の吉本はそう提案した。
「結構です」
長内はそう言うなり吉本に突進した。
吉本は笑いながら逃げた。
その様子に腹を立てた長内は間合いをとろうと追いかけた。
「逃げるんじゃないよ」
長内は飛び上がって背中に蹴りを入れたが、きちんと当たらなかった。
吉本は反撃せずに逃げに徹した。
だが、喧嘩の場合は完全にその場から姿を消さないかぎり、教育的指導はない。
「ちゃんとやれ、吉本」の野次くらいだ。
時々殴る真似や蹴る真似をするが、間合いに入らないようにしている。
「勝負しないなら負けを認めたらどうなの」
長内は諦めて腕を組んで立ち尽くした。
そのとき吉本は突進した。隙を窺っていたのだ。
だが、飛びついて膝蹴りかなにかを決めようとした吉本は、カウンターの肘うちであっという間に倒されてしまった。
「次は私」
三年の桐田が出てきた。武井と同じくらいの体格で長内も同じくらいである。
桐田は体勢を低くしてじっと構えた。
目は相手から離さない。
長内は体勢が高いままだが棒立ちではない。
長内も桐田を見ていたが、しまいには大きな欠伸をした。
そのとき桐田は回し蹴りをした。
長内は欠伸に当てた片手をそのままにして、飛び上がり膝で蹴りを受けた。
そして着地しないうちにもう一方の足で、回し蹴りの足の太ももあたりを蹴った。
二段蹴りの変形のようなものだ。
「やめっ!!」
内藤が中断させた。桐田が膝をついたからだ。
長内はさらに蹴りを入れようとしたが、その声でやめた。
「次は内藤さん、相手して」
長内が内藤を睨みながら言うと、内藤は首を横に振った。
「たぶん君が強いと思うよ。でもどうしてもと言うのであれば別な日にしよう。
総番同士の戦いは立会いなしでやるんもんだから。」
「じゃあ、木崎さんともやれないの?」
長内の言葉に茜は肩をすくめた。
「昼休みに怪我したら早引きしなきゃいけないし。病院代も高いし」
「いいよ、病院代は私が払うから!頼むよ今相手して!あんたを倒すために今まで頑張ってきたんだから」
「なんか怖いなあ。私の病院行きが決まったような言い方だね」
「約束する。殺しはしないから」
「じゃあ、入院したらお花を一杯持ってお見舞いに来てよ」
茜が前に出ようとすると、英一が止めた。
「だめ、・・・木崎さん、殺されるよ。あの人普通じゃない」
「殺さないって言ってくれたから大丈夫」
茜は長内の前に立つと深く礼をした。
「宜しくお願いします。」
長内はまだ顔もあげてない茜の頭部に向かって右回し蹴りを一閃させた。
これに対して茜は更に頭を下げて回し蹴りを空振りさせる。
長内は体を回転させて再び茜の方を向いた。
追いかけて行った茜は、長内が空振りした蹴り足が下に着いて重心を移したとき、それまで軸足だった左足を両手で掴み、ぐいっと持ち上げたのだ。
長内は軸足の右足だけでジャンプし、空中に浮いた状態で左足による飛び蹴りを試みる。
だが茜は持っている右足を更に頭上高くあげ、それを防いだ。
「きゃーっ!!」
空中に浮かんだ長内から茜が手を離すと、長内は背中からコンクリートの床に落ちて行った。
無防備で受身もとれない体勢でコンクリートに背中を叩きつけられ直後に後頭部も打って、長内はうめき声をあげた。
茜は長内を背後から上体を起こして首を決めた。
「由紀さん、ギブアップする?」
「嫌だ、嫌だよーー!!」
長内は泣き叫んだ。
「じゃあ、落すよ」
「嫌だ、それも嫌だよー!」
「じゃあ、どうするの?」
「馬鹿!木崎茜の馬鹿!大嫌いだ」
「嫌いにならないでよ。」
「嫌いだ嫌いだ!」
「もう、勝手にしなさい」
茜はスリーパーホールドを解くと、体を離して立ち上がった。
内藤が長内を助け起こすと敗北を告げた。
「長内さん、君は木崎さんに負けたんだよ、いいね?」
「お・・お願いがあるの。な・・内藤さん」
「なんだい?勝負のやりなおしはなしだよ」
長内由紀は泣きながら立ち上がると、桐田を指差すと言った。
「総番はあの人のままでいい。私番外でいいから木崎さんの妹分になる」
内藤が桐田に向かって肩をすくめた。
「どうする?桐田さん。まあ、幾ら強くてもこんな泣き虫の総番じゃ格好がつかないのも確かだし」
「私はどっちでもいいよ。長内さんは木崎さんに負けたけど、内藤さんも敵わないと思うほど破格に強いもの。
木崎さんと同じように陰の総番ナンバー2になってもらったら?」
「わかった。木崎さんもそれでいいかい?妹分になるとかそういうのは別にして」
「いいよ。妹分になるとかそういうのは別にしてね」
茜も内藤の言葉をオウム返しに言って、長内の方を見てあかんべえをして見せた。
「いやだ。木崎さんのいじわる!」
長内が茜の方に向かって拳を振り上げて追いかけてきたのを、茜は逃げ出した。
「ちょ・・ちょっと・・勝負はついたじゃない」
その様子を見て内藤・桐田を始め番格メンバー全員が首を横に振った。
茜の前には英子が手を広げて立ちふさがり長内を睨んでいる。
「な・・なに、このきれいな男子?」
長内のこの言葉をきっかけに、内藤が思い出したように言った。
「そうだ、木崎さん。その人を連れてきたのは例のことと関係あるんですか?」
「実は・・」
茜は悪戯で二人で制服交換をしたことを打ち明けた。
内藤は最後にみんなに言った。
「いいかい、これは先生方に絶対ちくらないでくれ。
先生方はやっぱり頭が固いと思うから、戸籍上の男子は学生服を着れというに決まってる。
昔から先生は給食は余すな、女はセーラー服、男は学生服を着れってそれしか言わないから。
メンバー以外の協力者にも固く口止めしてくれよ。木崎さん、これで良いかい?」
「もちろんだよ。ありがとう。皆さん」
その後どうなったかについて詳しいことは別の物語になるが、簡単に述べるとこうである。
英一は茜に感謝して、その後セーラー服を着たいと言わなくなった。
そんなある日のこと、英一は茜にある宣言をした。
自分はヒゲも濃くなった。顔も体もこれからもっと男らしくなって行くだろうと。
女性でも男っぽい女性や男装の麗人があるように、心が女でも男を演じる女になってみようと思うと。
実のところ、英一は心のどこかで茜に惹かれる自分に気づき、女性を好きになる男になれるかもしれないと思ったのだが、それは茜には言わなかった。
また英一は、茜の妹分の長内由紀に頼んで空手の特訓を受けるようになった。
英一は茜に守ってもらう存在から自立する為に、茜と距離を持つようになったのだ。
このことについてはもっと長い物語があるのだが、それには触れずにそっとして置いてあげようと思う。
夏祭りのときだった。青布根神社の祭礼で賑わう露店を茜達は歩いていた。
一緒に歩いてるのは長内由紀。二人とも身軽なジーンズ姿だ。
長内由紀はとにかく押しかけ妹分として、茜にくっついて歩いた。
ときどき長内の子分とかフアンクラブみたいのが追いかけてくるが、茜と一緒のときはそういう者たちを追い払った。
二人で歩いていると全く偶然だが、あるカップルを見かけた。
小柄な可愛い女の子と並んできれいな男の子が歩いていた。
二人とも浴衣姿に団扇を持って、なかなかお似合いの雰囲気である。
良く見ると、男は英一だった。
本当に上手に男役を演じてるボーイッシュな女性と言う感じか。
それともとてもきれいな男の子か・・・その辺りだった。
茜は近づいて行くと、手を振った。
英一は「よっ」と言って、片手を挙げて見せたが、隣の女の子は敵意を丸出しにして茜を睨んだ。
茜は肩をすくめて、長内と一緒にそこを通り過ぎた。
「変わったね、英一は。」
「おしゃれな男って感じですね。」
「相手に睨まれたよ」
「私にも睨んでいましたよ」
「こわい、こわい・・だね」
茜は笑った。長内も笑った。
「おい、こらっ!!」
アロハシャツを着た若者が顔を真っ赤にして、睨んできた。
「お前ら、なに笑ってんだよ。俺の顔がおかしいか?」
長内も茜も立ち止まった。茜は一応弁解した。
「違いますよ、私たちは別のことで笑ってたんです。別にあなたのことを笑ったわけじゃあ・・」
「うるせいっ!このっ!ごたごたぬかしてんじゃねえ。言い訳するならはじめっから笑うんじゃねえ。この小便娘が!」
この言葉に長内が顔色を変えた。そして、茜が止める間もなく、手が出てた。
男は鼻血を出して、大声を出した。
「てめー!!女の癖に殴りやがったな。」
「おい、どうした?ヤスジ、誰にやられた」
どこから出て来たのか酒のカップを持った若者が5人くらい集まってきた。
「なんだ、餓鬼じゃないか。こんなのにやられてんじゃないよ、ヤスジ」
「ちょうど、二人いるからさらって行こうぜ。車まで連れて行くぞ。」
茜は長内の方を見て肩をすくめてみせた。
つまり、お前だけでなんとかしろってメッセージだ。
わかったという素振りを見せた長内は、近づく若者たちをあっという間に二人回し蹴りでダウンさせた。
「なんだ、なんだ。こいつ何かやってるぞ。おい、バット持って来い、バット」
と言っている男も鳩尾へのパンチと顎へのアッパーで伸ばされた。
「おい、こっちの女の方が小さいけど可愛いぞ。抵抗もしない」
茜は一人の若者が腕と首を捕まえてきたのを、されるままにしておいた。
「おい、そこのてめえ、友達が痛い目にあってもいいのか?」
茜を捕まえている若者がそういう決まり文句を言ってるのを、長内は鼻で笑って無視した。
そして、残った一人を飛び込みざまに中段肘うちを決めて3mくらい後方に飛ばした。
最初の鼻血男は、口から泡を飛ばして汚い言葉の攻撃を続けていたが、長内が急所を蹴って黙らせた。
そして、最後に茜の方をみた。
茜は若者に背後から左上腕と首を押さえられて抱きしめられた形だった。
「もう、先輩ふざけないでよ。」
「助けてくれる?」
「じゃあ、邪魔だからどいて」
その言葉で、茜は若者の手をぱっと外すと、横に飛んだ。
人質?がいなくなった若者を長内が飛び膝を決める。
周りから拍手が湧いた。
いつの間にか見物人が集まってきていて、長内の活躍を見てたのだ。
「いよー、姉ちゃん。かっこいい」
「空手少女だね、すごいすごい」
そのとき茜には、観客の騒ぎに紛れて、若者たちのこんな会話が聞こえた。
「おい、女はあれだけで我慢して、車に戻ろう」
茜は長内に合図すると、若者たちの後をつけた。
RV車に若者たちが乗り込むとき、開いたドアから女の泣き声が聞こえた。
茜は若者たちの襟首を背後から掴んで、次から次へと車内から引きずり出した。
茜は軽くやった積もりだが、みんな地面に叩きつけられるように吹き飛んで行った。
中には女の子が三人ガムテープで縛られていた。
茜はガムテープはずしを長内に任せて、車にあったガムテープで、男たちを縛り始めた。
もちろん抵抗したりする者もいたが、掌底で頭を打ちつけて気絶させた。
ガムテープが足りなくなったので、男たちのベルトを外して縛ったりした。
見物人に通報を頼んだので、パトカーが3台やってきて、男たちと被害女性を連れて行った。
長内と茜はドサクサの紛れてその場を逃げて行った。
間下部から、いくら協力者でも警察はしつこく聞いて事情聴取に時間をすごくかけると聞いていたからだ。
だが、後で長内は風林館の方に警察から問い合わせがあったため、すぐ正体がばれて、茜も芋づる式に警察に知られて、感謝状をもらう羽目になった。
一応手柄は長内に譲って、茜はすでに弱っている犯人を縛ったりするのにお手伝いしただけということにした。
これは、長内にも念を押してそういう口裏合わせをした。
なぜなら新聞記者が学校まで取材にきたからだ。
長内と茜は校長室に呼ばれてそこでインタビューを受けた。
「長内さんは風林館空手のジュニアチャンピオンだそうですね。
大人の男性の有段者にも勝ったことがあるとか?」
「あ、それあんまり信じないで下さい。
素人相手ならともかく、そんなことはありません。
練習でわざと勝たせてくれることはありました。
柔道でもわざと投げられてあげるってのと同じです。」
「ずい分謙虚ですね。そうは聞いてませんでしたけど。
あ、それから木崎茜さんって言いましたか、あなたはものすごい力持ちだって聞いたんですけど」
「新聞記者さん、どこからそんなことを聞いたんですか」
長内が厳しい表情で記者を問い詰めた。
「いや、お祭りの日、暗くてよく見えなかったけれど、車から犯人たちを次から次へとつまみ出したと聞いたんですけど。見た人が言ってましたよ」
「暗かったから、そう見えたんですね。先輩実際はどうなんですか?」
長内がこのタイミングで振ってくれたので、茜はおずおずとした感じで答えた。
「あの、私が最後に乗った人の肩に・・・手で触ったら・・・自分で飛び出して
・・・他の人もわれ先にって、感じで・・・」
「つまり、警察かなんかが来て捕まると思ったんじゃないかな、だって先輩にそんな力あるわけないもの。記者さん体育会系?」
「いえ、私は文化系ですけど」
「それでも触ればわかるでしょ。ちょっと先輩の腕触ってみてください。」
「いや、そんな女の子の体を触るなんて」
「いいからいいから、ほら」
長内は茜の上腕を触らせた。
「見た目もほっそりしてるけど、実際も細いでしょ」
「確かに、なんかゼリーのように柔らかい腕ですね」
「記者さん、腕相撲してみて下さい、先輩と」
「いいんですか?私は弱いですよ」
長内が有無を言わさず、腕相撲をさせた。記者が楽勝で勝った。
「ね、折角良いことをしたのに、お嫁にいけないようなこと書かれたら先輩だって迷惑するから、ちゃんと書いてね。先輩は縛るのを手伝ってくれたの」
「そうですよね、その前に犯人の一人に背後から掴まれて、それを長内さんが助けたというのは、明るい場所で何人も見てるわけだから」
「そうですよ。じゃあ、その線でお願いしますよ。先輩、それでいいよね」
「う・・うん」
こうして、取材は無事終わった。
記者が木崎茜のことを風林館で聞かなかったのは幸いだった。
間下部は、花山との約束で最初の時期だけ茜の面倒を見る予定だったが、茜には情も移り心配なこともあるので、延長して保護者の代理人を続けている。
茜はクラブ活動は帰宅部である。
茶道部とか読書部とかの授業としてのクラブは受けるが、課外活動としての部活動には参加したことがない。
たとえ授業としてのクラブでも絶対入ってはいけないと間下部に止められているクラブがある。
それは陸上クラブである。砲丸投げや高飛び幅跳びなど、茜が本気を出せば中学生では考えられない記録が出る可能性が大きいからである。
そういう記録はすぐに全国ニュースになる。注目を集めてしまうのだ。
但し柔道などの格闘技に対してはそれほどうるさくは言わなかった。
クラブとしての柔道部に1時間ほど出て練習したりすることはあったが、あまり自分の強さをみせなかったので、目だってはいない。
とにかく部活動の時間帯は新聞配達をしなければならないので、出ることがないのだ。
ただ、唯一部活動に関わったことがあった。
夏の中体連というのがあって、柔道部の女子団体が地区大会で勝ち進んで県大会に出ることになったのだが。
これは滅多にないことで学校中が大騒ぎになったが、その矢先に選手に一人怪我人が出た。
それで学校側から県大会のときに補欠として茜に出てほしいという依頼があった。
ある朝ののことだった。
校長室に呼び出された茜はいきなり校長先生から頼まれたのだ。
「木崎さん、何にも言わず柔道大会に出てくれ、お願いだ。」
茜は何のことやらわからずに呆然としていた。
(第三部「」・終わり、第四部と続く)
怪力少女・近江兼伝・第3部「移行期」
帰宅部だった茜が突然柔道の県大会に出ることを要請された。実は柔道部には卒業した田丸の妹が主将をやっていたのだが、その関わりがあったとだけ読者諸氏にはお教えしておこう。
さて柔道はたった一日しかやったことがない茜に試合はできるだろうか?