おいしい記憶

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おいしい記憶

「核家族」という言葉は私たち家族のために創られたものじゃないだろうか。小学校の生活の授業で先生の話を聞きながら、私はそう思った。
空と海以外に、田んぼと畑しかない福岡の小さな小さな港町で育った私と姉は、しばしばこの「核家族」という言葉に悩まされた。
私が十歳にも満たない内に両親は離婚し、母は社会からの助けを一切借りず、文字通り女手一つで私達姉妹を育てていた。
当時祖父母との同居は当たり前、下手をすればご近所はみんな親戚、という周囲の同級生達との環境の違いに小学生だった私はとても戸惑った。
何か母の為にしなければ、そう焦る娘の気持ちをよそに、母は私達姉妹に一切家事をさせようとはしなかった。早朝に誰よりも早く起き、一通りの家事を済ませ、朝から夕方まで働き、帰宅してからはお腹を空かせて学校から帰ってくる私達に料理を作り、夜は気の弱い私の話を聞いてくれた。しかし私達には自分のことを話すことはあまりなく、時々気が向いたら自分の昔話を聞かせてくれた。私はその時々にしか聞けない母の昔話が大好きだった。
その毎日の忙しさから、母の作る料理はいつも簡単な物だった。大抵は炒め物で、ふざけてレポーターのようにマイクを向けると、見たまんまや!と母は答えて笑った。
ある日、姉が友達の家からたこ焼きプレートを貰って帰ってきた。「ねえねえ、たこ焼きしようや!」と急かす私達に母は少しだけ驚きながら快くたこ焼きの材料を集めてくれた。
初めて三人でキャベツを切り、初めて三人で具を掻き混ぜ、初めて三人で火加減をみた。初めての特別がとても嬉しかった。いざたこ焼きを焼き始めると、母はまるでプロのたこ焼き屋さんのように器用にくるくると生地をひっくり返した。すごいすごい!とはしゃぐ私に、母は微笑みながら「昔お父さんと一緒にたこ焼き屋さんしてたんよ」と言った。私の胸にずどんと雷が落ち、母の横顔から目が離せなかった。
ソースのチューブをひねる音、鰹節の踊る姿、ボールに入った生地の匂い、臭くなる~!と全開にした換気扇、そして母が転がすたこ焼きのリズム。その中に母と父の「核」がある。「なぜお父さんはいなくなったの?」それがどうしても言えなかった。
出来上がったたこ焼きは面白いほどにぽっぽと湯気を出し、やわらかい生地はよくソースを吸ってくれた。腹ペコだった私は猫舌にもかかわらず、大きなたこ焼きを丸ごと口に放り込み、口の中に大きな火傷をつくった。噛むたび甘いソースの匂いと熱い湯気が鼻を抜け、コロンとしたタコが奥歯にかすめるたび、なぜか私はボロボロと大粒の涙をこぼした。母は黙って私の背中をなで、くるくるとたこ焼きを転がし続けた。
あの甘いたこ焼きの中に、小さな私達家族の核があった。母の元を離れ私自身が核となった今、あの時の母の強さが一層身に染みる。私達は立派な核家族だ。ソースの匂いを嗅ぐたび、私はそう思うのだ。

おいしい記憶

おいしい記憶

おいしい記憶エッセイコンクール用に書いたエッセイ。 九州の小さな港町で、母と姉とともに過ごした「私」のおいしい記憶。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-10-19

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