崇高価値な男
1 - 夜会にて
パーティーでは何かが起こる―――数百年も昔から囁かれている、迷信みたいなものである。
ブラックバーンはそんなものを一切信じない合理的で現実的な男だが、この時ばっかりは(嗚呼そうかもしれないな―――)と諦めにも似た感情を抱いた。
右手に持ったワイングラスの中身は、先ほどから響く発砲音ですっかり落ち着きを無くし、これでは悠長に喉を潤すことも出来ないとため息をつく。脳内の中に、“お開き”の三文字が浮かんだ。
今まさに、このパーティー会場は戦場、阿鼻叫喚状態である。
ブラックバーンの側や目の前を、沢山の人々が走って過ぎていき、視界が開いたことによって状況が見えてきた。
視線の先には、ビックバンドが収まりそうなほどのステージがあるのだが、そのステージ上で、一人の男が、銃を振りまわし何かを叫んでいるのだ。
残念なことに、男の周りには既に何人かの参加客たちが地に伏していた。至るところから流血が見てとれる。
どうやら、あの男は人を殺してしまったようである。
ブラックバーンはワイングラスをサイドテーブルに置き、傍観の姿勢から脱却することにした。
他の参加客と同様に、出口に向かうわけではない。ステージに向かって迷いなく歩みを進める。
人の流れと相反して動く人の影に、ステージ上の男は以外と早い段階で気がついた。
そして、モンスターのような形相で顔を真っ赤にし、銃口をその人物に向けた。
男から見れば、高級そうなスーツのポケットに手を入れ、靴を鳴らしながら自分に近づく人間がいるのだ。そりゃ腹も立つだろう。おまけに、男の風貌は、お世辞にもパーティーに相応しいとはいえない格好である。
取って繕ったような、シャツとパンツだけの格好。ヘアーはセットされておらず、髭も伸びきっている。
場をわきまえた服装をしていない人間を会場に入れるなどと、今夜のパーティーのセキュリティを疑わざるをえない。
「止まれ!止まりやがれ!」
「今夜俺は、“ブラックバーン家の御曹司”としてパーティに参加をしたんだが」
「愚か者め!地獄を見やがれ!」
「“やむを得ない事情”の時は、反撃を許すと許可を貰っている。だからそれ以上動かない方がいい」
ブラックバーンはスーツの中から取り出したものは、銃だった。照準を正確に男の眉間に合わせる。
「早いところ、言い訳を聞こうか」
わざわざ俺が動いてやってんだ――――――
―――ブラックバーンは、今夜のパーティーに“一般人”として参加していた。どこかの御曹司という肩書きがあるだけの、ただの人間にすぎない。そんな人間が、本来遭遇しなかったはずのこのような面倒事に巻き込まれるなど、あっていいはずがない。
当のブラックバーンにしてみれば、一人の人間が起こした馬鹿の為に尻拭いをしてやってるんだ感謝しやがれ、とまさにそういう心境だった。
他の参加者と同様に、この場をさっさと退散したいのだという心境を実は抱いていたとしても。
残念ながら、彼の仕事上、現状を見過ごすことはできなかった。
ブラックバーンは自分の本心に見切りをつけ、自分の仕事を行うしかないのだ。
「まずあんたは誰だ?何処のファミリーのモンだ」
「俺がファミリーなんてものにわざわざ属すかよ!あんな狂っている奴らの元で働くなんざ御免だ!!」
男はひどく興奮しているらしい。自分が何をやらかしてしまっているのか、まだわかっていないようである。
たまにいるんだよなこういう馬鹿、とブラックバーンは心の中で悪態をつきながら、次の質問を投げ掛けた。
「では単刀直入に聞く。目的は何だ。誰が目的だった」
男は一見見境なしに銃をぶっ放したように見えて、あれは錯乱状態だったと、ブラックバーンの目は判断していた。興奮と緊張が極限に高まって、制御が効かない心理に引かれるがままやってしまった―――という具合だろう。
こういう場合、男は何者かに脅され、その際に何かの役目を受け負ったと考えるのが自然である。今夜のパーティー自体を混乱させることが目的だったのだろうか。しかし、そうすることによって果たしてメリットはあったのか。何より、死人が出ている。
それだったら、特定の人物の始末か――――――。
実は、今夜のパーティーには、“その筋”の関係の人が何人か参加していたりする。そして、自分も、“その筋”の範疇に加わるだろう人間である。
所謂、“マフィア”が参加したパーティーの発砲事件の背景に同じくマフィアが関連していない訳がない。
まさか、俺を殺しにきたんじゃないか―――。
ブラックバーンが冗談半分でそこまで考えた時だった。
「俺は、“アルビストン”とかいう意味のわからない組織の人間がこのパーティーに参加するっていうから、銃なんか持ってきてわざわざこんな慣れないところに足を向けたんだよ!」
それを聴いたブラックバーンは、この場に座り込んで盛大にため息を吐き出したくなった。
聞き覚えのある名前を、まさにこんな状況で耳にしようとは。
もし、男がどこかのファミリーの人間だったとしよう。男がブラックバーンを始末する為にこのパーティーに潜り込んだというなら、まだ自分は冷酷になれた。自分の身を守るとの名目で、堂々とこの男を撃ち殺せるからだ。
しかし、これはまだ予想に過ぎないが。
男の話を聞く限りでも、男は、馬鹿で可哀想なことになってしまったただの一般人であると、ブラックバーンはそう思わざるをえないのである。
そうすると、自分がわざわざ男本人に手を下す真似は不要だ。
ブラックバーンが始末すべきは、この男を利用した、“ファミリー”の方なのだ。
「兎に角」
ブラックバーンは、いかにもな自然な流れで銃の引き金を引いた。銃口は男の方を向き、その穴から排出された弾は、男の手元にある銃身を真っすぐと打ち抜いた。
男は衝撃に呻いた後、尻もちをつくように地面に倒れこんだ。―――これで少しは冷静になるだろう。
ブラックバーンは銃を仕舞い、ステージ上へと登る。
男の側は、銃が転がっていた。その銃を拾い、ブラックバーンは暫く何かを確認するようにそれをまじまじと見た。時間にして、10秒。それを終えると、腰がすくんだ男の目の前であぐらをかき、膝にひじを立て頬杖をつく。
「おい、」
どこか不機嫌そうな低い声が男の鼓膜を震わせた。
「今時銃はサプレッサーをつけてくれ」
この会場の外から、微かに警察車のサイレン音が聞こえる。それが少しずつこの会場に近づいていることに、あの手の音に聡いブラックバーンが気づいていないわけがない。
原因は、男の銃から発せられた数発の大げさな発砲音だ。その音が、彼らを集めることとなってしまったのだろう。逃げおおせた参加者の誰かが通報したのかもしれない。
どちらにしろ、男が所持していた銃のせいである。
一方、ブラックバーンが使用していた銃は発砲音を生まないように細工してあったので、自分が要因でないことは確かである。
この男を利用したどこかのファミリーにとって、今ブラックバーンの目の前で放心したように固まる彼は、完全な捨て駒だったのだろう。
そこらへんの安物の銃を与えるということはそういうことだ。サプレッサーを付属しなかったのもまごうことなき奴らである。
わかってはいる。わかってはいるのだが。
この光景を第三者が目にすれば何と思うだろう。当然ブラックバーンにとって不利な状況になることは必須である。
この腰抜けた男と共に手首に手錠を掛けられ、警察車の中で左右から警察官に挟まれることになるだろう。
それだけは避けたいことである。
何故なら、ブラックバーンの素性はとんでもなく訳ありだった。
「さて、アルマンに何て言い訳するか」
しかしブラックバーンは、先述した通り合理的で現実的な男であった。
起きてしまったことは今更どうしようもないと、諦めるのも早かったのである。
シャンデリアがぶら下がる天井を見上げながら、『アルビストン』の関係者であるダン・ブラックバーンは、恨めしそうにもう一度ため息をついた。
(14.10.13)
崇高価値な男