愛の花言葉

小説家になろうに公開していたものですがこちらに移させていただきました

梔子(クチナシ)

 雨があがった。
 窓を開けると、仄かに甘い香りがした。
 この香りはクチナシの花。
 甘くて、どこか色っぽいこの花の匂いは、あなたに似てるわ。
 あの花の花弁の様に、白いシーツの上で嗅いだあなたの耳の後ろの匂い。
「君以外の他の誰ももう愛さない」
 あなたはその言葉を何人の女性に囁いたのかしら。
 でも、私は本当に信じたのよ。あなたの言葉を。だから……
「知ってる? クチナシの花言葉は幸福者。私は今、本当に幸せよ」
 微笑むあなたの広い胸にもたれかかってそう言ったけど、返事はない。
 だって返事が出来ないものね。
 あなたはクチナシ。
 口無し。
 清潔、清浄、優雅。クチナシにはこんな花言葉もあるのよ。
 ずっと私の傍で甘い香りを放ち続けて、そうやって私のためだけに微笑むの。
 もう私以外の誰にも愛を囁くこともない、清らかな私だけのあなた。 
 お気に入りのソファで、ずっとそうして優雅に微笑んでいてね。
 美しい剥製として。

鳳仙花(ホウセンカ)

 私は夏が嫌い。
 暑いから? 夏休みの子供達が、蝉の声がうるさいから?
 いいえ、違う。
 お隣の庭にこの季節になると咲く花。
 ひまわりも好き。青い朝顔も素敵。垣根のムクゲも綺麗。
 でも鳳仙花だけは許せない。
 子供の頃は好きだった。爪紅の名の通り、よく花弁で爪を染めたわ。
 鳳仙花の花言葉知ってる?
 『私に触れないで』
 触れると弾ける鳳仙花の実。
 飛び出す小さな種は散弾銃の弾に似てると思わない?
 可笑しな事言うなって?
 あらでも知らないわよ。
 ほら、嫉妬深いあの男が帰って来た。
 前の前の夏、違う男の頭が弾けたわ。
 鳳仙花の実みたいに……。
 だから、私に触れないで。

女郎花(オミナエシ)

 花を植えた。
 この黄色い霞の様な花は女郎花(おみなえし)。
 決して華やかでは無いけれど、好きな花。
 私の誕生花なのよ。
 秋の七草の一つ。こんなに暑いけど、暦の上ではもう秋。
 ふと自分の手を見る。すごく痛い。
 慣れないスコップを何時間も使ってたから手も皮が剥けてしまった。
 でも初めてにしては、なかなか見事な作業でしょ?
 風に揺れる花は可憐にはじめからここで育ったように咲いてる。 

「本当にごめん……」
 二年ぶりに帰って来て、あなたはその一言で済ますつもりだった?
「絶対に迎えに来る。離れていても君だけを想うから」
 そう言ってあなたは異国の空へ旅立った。
 私は待ち続けた。信じて、信じて。
「新しい家族が出来た」
 何の事だかわからなかった。
 他の誰にも心を動かされない、死ぬほど好きだって言ったよね?     
 女郎花の花言葉は『約束を守る』
 嘘つきは嫌いよ。

 黄色い可憐な女郎花。 
 来年はこの場所に白い花が咲くかもね。
 白い花は男郎花(おとこなえし)って呼ばれてるんだって。
 それともあなたの血を吸って、真っ赤な花が咲くかしら。

福寿草(フクジュソウ)

 もう何年経つだろうか。
 君の気配を感じなくなってから。
 寒い時期は庭にも色が無い。そんな中、この家を買った時に君が庭の隅に植えた福寿草だけが、今年も黄色い可憐な花を咲かせているよ。
 『永久の幸せ』『福を呼ぶ』
 そんな花言葉を重ねて、君は植えたのだったね。
 この縁側でよく二人で庭を眺めた。
 和風が好きだった君は、その楚々とした笑顔も和だったよ。
 福寿草のもう一つの花言葉は『回想』。
 黄色い花弁を見るたびに、君の項を思い出す。

 もう私も歳だから、この家を売ったんだ。
 建て壊して来年にはマンションが建つと言ってたよ。
 でも困ったね、きっと工事は進まないよ。
 私はまた君に逢えるから少し嬉しいけどね。
 君を私から奪った男には逢いたく無いけれど。
 出来る事なら一緒に出てくるのはやめておくれ。
 その冷たい土の中から。 

勿忘草(ワスレナグサ)

 去年、周囲の勧めで再婚した。
 もうすぐ子供も生まれる。
「今日小さな女の子からこれをもらったの」
 仕事から帰ると、大きなお腹の妻が笑っていた。
 テーブルの小瓶に生けられた青い小さな花。
 健診の帰りに出会い、呼び止めて差し出したらしい。
「知ってる子?」
「ううん。でも可愛い子だったわ。パパに見せてって」
「パパ?」
「お腹の子のパパって意味よきっと。その花、勿忘草ね」
「勿忘草……」
「私を忘れないでって花言葉があるのよ」
「……」
 俺は泣いていたかもしれない。
 その女の子が誰なのかわかったから。

 柔らかな髪は絹のよう。くりくりした目は宝石のよう。
「大きくなったらパパのお嫁さんになる」
 可愛い声は鈴のよう。
 まだ五歳。
 あまりに可愛かったから、神様が連れて行ってしまったんだ。
 寂しがらない様、母親と一緒に。俺だけを残して。
 事故現場。前妻と娘を乗せた車は原型すら留めていなかった。

 青いこの可憐な花のような娘。
 『私を忘れないで』
 わかってるよ、新しい家族が出来ても絶対に君を忘れない。

花蘇芳(ハナズオウ)

私は揺れている。風に吹かれ、ゆらゆらと。
あなたが見つけてくれるのをただ揺れながら待つ。
他の人には見つけて欲しく無い。
だから、ちゃんと見てね、私からの最後のメール。

信じていた。
たとえ口では「あなたを縛ったりしないから、好きなようにしていいの」そう言っていても、本当は独り占めしていたかった。
私だけを見ていて欲しかった。
でもまさか、私のただ一人の親友と思っていた彼女と出来ていたなんて。
私の足元にまだ小さな花蘇芳の木。
赤紫の可愛い花を汚してしまってごめんなさいね。
西洋ではユダツリーと呼ばれている木。
あなたと彼女ににぴったりね。
あなたの事をもう信じてはいないけれど。
少しでも自分たちの裏切りを嘆いてくれればそれが私の喜び。
それとも二人して、喜ぶのかしら。

早く見つけて、この場所を。
出来れば彼女にも一緒に見て欲しいわね。
今の私のこの姿。
カラスにつつかれて、私が誰かわからなくなる前に。
このロープが切れる前に。
木に首を吊って、ゆらゆら揺れてる私をね。

山桜(ヤマザクラ)

 窓から見えていた川辺の桜並木。
 昨日の春の嵐で散ってしまったわね。
 でも遠くに見える山には、まだ所々ほんのりピンクの霞。
 あれはきっと山桜。
「体に障るから窓を閉めるよ」
 あなたは私の返事も待たずに、病室の窓を閉める。
 もう少し冷たい風を感じていたかったのに。
 花冷えというけれど、季節が戻ってしまったような冷たい空気の中にでも、ふくよかに感じる春の息吹を吸い込みたかったのに。
「今年こそ一緒にお花見に行こうって言ってたのにね」
 そんな目で見ないで。悲しい目で。
 どうして来年こそはって言ってくれないの? 私だってそれは無理だとわかっているけど、嘘でもいいからそう言って欲しかった。
 外の天気のように冷えていくあなたの心。
 風で舞う花弁のように散っていく想い。
「もう……疲れたんだ」
 優しかったあなた。
 私が段々と病に冒されて、こうしてほとんど動く事も出来なくなってしまっても傍にいてくれたものね。抱きしめる事も愛を確める事も出来無い私の傍に。
 あなたはまだ若い。未来もあるって家族も私と別れる様説得してたものね。
「今までありがとう」 
 ほとんど声も出ないけど、あなたに聞えたかしらね。
 でも私が微笑んだのはわかったみたい。
「本当にごめん。でもわかってくれたよね?」
 ええ、わかったわ。疲れたわよね、自由にしてあげる。
 たとえ私が死んでも心は変わらないと言ったあなただけど。
 最後にあなたにお茶を淹れさせて。大好きだったハーブティで乾杯しましょう。

 舞い落ちる桜の花弁はもう二度と戻らない。
 来年、また華やかに咲くけれど、同じ花じゃない。
 高尚、純潔、優美……そんな花言葉がある桜。
 私は山奥にひっそり咲く山桜。 
 誰の目にも留まる事無く、華やかでも無く、風に吹かれて散ったソメイヨシノの様に潔くも無い。
 山桜の花言葉は「あなたに微笑みかける」。
 微笑んでさよならしましょう。

花桃(ハナモモ)

 薄いカーテンの隙間から差し込む陽に、照らされた横顔。
 飽くる事無く眺め続ける僕は、あなたの虜。
 滑らかな素肌に光る産毛の一本一本まで愛おしい。
 噛み付くと、甘い果汁が滴りそうな水蜜桃の様な頬。
 その瑞々しさを永久に封じ込めておきたいから。
 枯れゆくのを見たくないから。朽ちゆくのを見たくないから。
 窓の外の光に少し強さが宿る桃始笑の頃。

  『あなたの虜』

 そんな花言葉を持つ花が咲く季節。
 あなたのその紅を引いた唇に似た花が咲く前に。
 引っ越そうね、ずっと氷点下の世界へ。
 僕も逢いに行くよ、すぐに。

 僕もあなたも業が深いから、きっと地の底へ行くね。
 黄泉の国まであなたに逢いに行ったなら、あなたは迎えてくれる?
 たとえあなたがどんなに変わり果てた姿になっていても、僕は伊弉諾神の様に、あなたに果実を投げつけたりしないから。
 必ずその手でつかまえて。

「毎日見に来るからね」

 僕はあなたを横たえて、静かに冷凍庫の扉を閉めた

石楠花(シャクナゲ)

 彼女にドライブに行こうと誘われた。
 はっきり言って気乗りはしない。
 あの事はバレて無いとは思うけど……。
 そろそろキッパリ別れを告げよう。その方がいい。
 だから最後に誘いに乗った。

 僕は車を持ってない。
 年上の彼女は高そうな銀色の外車でいつも僕をあちこちに連れて行ってくれる。まるで見せびらかすみたいに。
 美人で頭も良くてお金持ちで。僕なんかいなくても幸せなはず。
 新緑の綺麗な景色を見て、お昼に入った洒落た店。
 古い蔵を改装した和風のお店。
 照明を落とした店の奥に大きな鉢植えの花。とても綺麗。
「あれ、なんていう花? すごく綺麗だね」
「シャクナゲよ。ツツジの仲間」
 料理は上品だったけど、気取りすぎててよくわからなかった。
 
 彼女の事は嫌いじゃない。
 でも僕はもう疲れたんだ。こうしてぶら下がるだけの生活に。僕はまだ大学生で、本当なら手の届かない高嶺の花と付き合うのは無理だ。
 さっきの花のように華やかで美しい彼女。
 でも僕にはもっと地味だけど守りたい人が出来た。
「ねえ、僕のどこがいいの?」
「顔も声も全部好きよ。その疑いもない素直な性格も」
「素直じゃないよ、僕は……」
 僕にしてみたら、こちらがいつ別れを切り出そうかなんて思ってるのを、疑いもしない貴女の方が素直だと思うけどね。 
「ああそうだ。あの人、百合絵さんだったっけ?」
 心臓が止まりそうだった。なぜその名前を。
「まだ学生のくせに結婚するつもりだったんでしょ? 子供が出来たそうじゃない。でも安心して。もう彼女があなたを悩ますは無いから」
「どういう意味?」
「警戒心を持て」
 紅の唇が笑みを浮かべた。美しいのにぞっとするような笑み。
「シャクナゲの花言葉」
 意味はわからないけど、良くない予感がして百合絵にメールしてみたが受け取り拒否で返って来た。
「自分の子じゃないのに責任を取らなくていいわ。よくも地味で清楚な顔をしてあなたを騙せたものね。自業自得だから気にしないで」
「……百合絵に何かした?」
 今すぐに車を降りたかったが止まる気配は無い。
「私を裏切ってた事には詫びは無いの?」
「すまないと思ってる。本心から。だから別れて」  
 美しい横顔が笑みを深くした。
「ニュースに百合絵さんの話題があがるかしら。きっと第一容疑者はあなたでしょうね」
「……どういう……」
「もう別れられないわよ、私達は」

 次の日、変わり果てた姿の百合絵が河口で発見された。
 自殺と断定され、彼女と一緒にいた僕の疑いはすぐに晴れた。
 だが僕は知ってる。自殺なんかじゃない事は。
 警戒心を持て、か。
 貴女と出合った瞬間に持つべきだった。
 他の人がまた同じ目に遭っては大変だから、僕は別れられない。

 美しいシャクナゲの花の葉には毒がある。

鈴蘭(スズラン

 庭の隅、朝露に光るすずらんの花は可憐。
 爽やかな香りも、俯き加減の控えめな所も好き。
 あなたによく似てる。
 まだ子供というには遅すぎて、大人と言うには早すぎる。
 そんなあなたのような花。
「お願い、ここから出して」
 鈴の鳴る様な声で言われても、それは駄目。
 まだ何も知らない穢れの無い繊細なあなたを、醜い大人たちから守ってあげるのが私の幸せ。
 でも日に日に壊れていくあなたがわからない。
 ちゃんと着替えもさせてあげてる。
 ちゃんとご飯も食べさせてあげてる。
 ちゃんと綺麗に洗ってあげてる。
 欲しがるものは何でも与えてあげてるでしょう?
 そしてこんなにも愛してあげているのに、まだ何が足りないの?
「こんなに大好きなのに、どうして笑ってくれないの?」
 この家の敷地の中は宝箱。
 白い可憐な花の様なこの美しい少年を、鍵をかけてしまっておくの。
 淫らな事はしない。ただその姿を眺めるだけでいい。

「欲しいものがあるんだ」 
 欲しいものは何でもあげる。
「抱きしめて」
 そんなに可愛い事を言われて本当に幸せ。
 手を広げて抱きしめると、お腹に熱い痛みが走った。
「自由をちょうだい」
 薄れ行く意識の中で見えたのは、割れた鏡の欠片を握り締め、楽しそうに笑うあなたの顔。
 久しぶりに笑ってくれた。その笑顔で幸せになれる。
 だから許してあげるわね……。
 やっぱりあなたはすずらんのようね。
 可憐な見た目なのに猛毒があるの。

待宵草(マツヨイグサ)

 今日も夜が来る。
 昼間の火照りを残した地面に、打ち水をして涼を誘う。
 長い夏の日も八月に入ると少しづつ短くなって来た。
 庭の隅に柔らかな黄の花が開き始めるこの時間。
 草取りの時にこの花は残しておいた。
 陽の光の差す時は萎れて見る影も無いが、夕に月と同じ色の花弁を密やかに開く。
 月見草とも呼ばれるが、待宵草という名が好き。
 宵を待つ。
 私も密やかに宵を待つ。
 浴衣を着て、縁側で貴方が来るのを待つの。
 人目の無い夜にだけ逢える愛しい貴方。
 月の光に貴方が静かにやってくる。
 白い開襟シャツも涼しげな貴方は、私の横に腰掛ける。
 一言の言葉も無いまま交わす口付けも触れる肌も冷ややか。
 それでも来てくれるから。朧月の様に微笑んでくれるから。
 私は宵を待つ。
 錦の袋に入った小さな白い骨片。
 この物言わぬ愛しい人に逢える夜を。 

松虫草(スカビオサ)

 豊かにドレープする生地に美しい白いレース。
 パールをあしらったティアラ、ベールも全部白で纏めてみた。
 この日のために、あつらえたウエディングドレス。
 君だけのために。
 今日は僕と君の結婚式。
 本当は沢山の人に祝福される、幸せな花嫁にしてあげたかった。
 ごめんね、立会人は君のお父さん一人だけど。
 でも誰よりも祝福してくれるから。
「本当に娘を幸せにする自信はあるかね?」
 何度もお父さんに訊かれたね。
「絶対に悲しませたり寂しい思いはさせません」
 僕は何度もそう答えたよ。
 そして、今日。僕達は一緒になれる。
「指輪の交換を」
 白い細い細い君の薬指。
 作った時より細くなった指には回るほど大きいけれど、良く似合うよ。
「誓いの口付けを」
 君の顔を覆うベールを持ち上げて、僕は君に口付ける。
 白い歯並びの素敵な君の可愛い口が好き。
 これで僕達は晴れて伴侶になったんだよ。
「娘を頼む」
 お父さん、泣かないで下さい。
 そして彼女をこの世に誕生させてくれてありがとう。
 花嫁のブーケは受け取った次の人が幸せになれるって言うけど、この花束は他の女の子に渡さないほうがいいかもしれないね。
 白いドレスに映える薄青と薄紫の花は松虫草。
 レースのように繊細で、とても美しい花だけど、羊飼いに報われぬ恋した妖精がこの花になったと言われているからね。
 僕は君を抱きしめる。永遠に放しはしないから。
「本当に閉めても……」
「お願いします。お父さん」
 そしてお父さんは僕と君の新居の扉を閉めてくれたよ。
 君はもう骨だけになってしまったから、二人で入っても狭くないね。

 この棺の中で僕は永遠に君と眠ろう。
 愛しているよ、本当に。 

浜木綿(ハマユウ)

 どこか遠くへ――――。
 あなたはいつも言っていた。
 変わらぬ日々の繰り返しは、いつしかあなたの羽根を折った。
 夢に夢見て、いつか大きな人間になると、笑顔で語っていたあなたは眩しかったのに。現実は甘くはないけど、そんなあなたが好きだったのに。
 あなたとよく散歩したこの海辺。
 日が傾き薄青に染まるこの時間、香るのは浜木綿の花の香り。
 白い細い花弁は優美。海風に揺れる姿はしなやか。
 花の香りに誘われて、蛾が花の周りを行き交う。
 それは夜の蝶達を虜にしたあなたのようね。
 夜に精一杯の虚勢の香りを放ち、日の下では惨めに萎れる。
 もう何も残っていないわね。夢も希望も。
 残ったのは沢山の借金と、蔑みの目に追われるだけの日々。
 そして私しか。

 どこか遠くへ。
 行きましょうよ、一緒に。
 浜木綿の種は海を渡り、流れ着いた場所に根を下ろすんだって。
 私達も行きましょう、どこか遠くへ。
 波が運んでくれるかしら。遠い知らない土地へ。
 そこで新しく芽吹いて、今度こそ大きな花を咲かせましょう。
 
 白い細く裂いた布は浜木綿の花弁のよう。
 しっかり結びつけた私の手とあなたの手。
 はぐれないように、迷子にならないように。
 波に揉まれ、虫に、魚に喰われても心だけは共に流れ着けるかしら。
 どこか遠くへ。

彼岸花(ヒガンバナ)

 夕日で金色に輝く田んぼのあぜ道、秋の風が吹いて。
 子供の頃、網を持って赤とんぼを追いかけたのを思い出す。
 鮮やかな赤色の彼岸花が目に入った。
 とても美しい花なのに、何だか不吉。
「彼岸花を家に持って入ったら火事になる」
 おばあちゃんがそんな迷信を信じてたっけ。
 ここに帰ってきてもうすぐ一月。
 夜が近づくと都会の街の灯が恋しくなる。田舎の夜は暗くて嫌い。
「さーなえちゃん」
 名前を呼ばれて振り返ると、そこには小さな男の子がいた。小学校一・二年くらいかな?
「ボク、どこの子? どうしてお姉さんの名前を知ってるの?」
 くすくす。男の子が笑う。
「忘れるわけないじゃない。帰って来てくれてうれしいよ」
「私、君の事知らないよ?」
 どこかで見た気はするけれど。
「酷いな。あんなに仲良しだったのに」
 にっこりと笑った顔は可愛いのに、口調もそうだけど酷く大人びている。
「僕は一時もあきらめたことは、忘れたことは無いよ。だから早苗ちゃんも思い出してね」
 たたたと小さな足音を残して男の子が走って行った。

 この家で一人で暮らしていたおばあちゃんが死んだ。
 母親は都会で仕事があるし、最近失業したばかりの私しかこの家を管理出来る人間がいなかった。元々小学校の三年生までここで育った。だから知らない土地じゃないし、近所の人も良くしてくれる。
 だけどあの男の子は知らない……はず。
『さーなえちゃん』
 あの声を思い出した。
 ああ、閉ざしてきた記憶の蓋が開く。
 朝、学校に行く時に、遊びに行く時に必ず聞いてた誘いの声。    
「あゆむ……くん?」
 思わずこぼれ出た言葉に返事があった。
「思い出してくれたんだね?」
 振り返ると家の入り口に小さな人影。鍵を掛けた戸は閉まったまま。
 無邪気に笑う、あの日のままの歩君。
「……どうして?」
 それしか言葉が出てこない。だって歩君は六歳の秋に死んだじゃない。
 彼岸花の咲く季節だった。稲刈りの済んだ田んぼに赤とんぼが飛んでた。
 村で一番古い大きな家は、赤い炎を上げて燃えていた。
 逃げ遅れた歩君と寝たきりだったおじいちゃんと一緒に燃えた。
「早苗ちゃん、約束したよね。ずっとずっと一緒だよって」
「……」
「もうどこにも行かないでね」
 ごめんね、歩くん。忘れててゴメン。
 あまりに悲しかったから、忘れてしまったの。 
 あきらめたの。もう戻ってこないからって。
 また会えるなんて思えなかったから。

「さーなえちゃん」
「はーあーい」
 今夜も可愛い声が私を誘いに来る。
 彼岸花はもう萎れて灰色になったけど、私は小さな子供に戻って今日も遊びにいくの。
 手を繋いで、田んぼのあぜ道を二人で仲良く。

極楽鳥花(ストレチア)

 まるで氷で出来た神殿のようだと僕は思う。
 週に一度訪れるある企業の本社ビル。
 普通の倍以上の値段を出してまで、町の小さな花屋に何故そんな仕事を任せてくれるのかわからないけれど、ある日突然仕事を頼んできた。観葉植物のメンテと社長室のアレンジメント。
 僕のセンスを買ってくれたのだと思うと嬉しいし、仕事の減ったご時勢に良いお得意様なので文句は言わない。
「花旬さんですね。お待ちしておりました」
 美人の受付の女の子。いつも不思議に思うのはこの会社の受付の女の子がよく変わる事だ。皆揃って若くて綺麗な女の子ばかり。でも顔見知りになる前に変わってしまう。連絡がよほど行き渡っているのか止められたことは無いが。
 先週来た時に見た女の子、名札に平木美穂と書いてあった。すごく可愛かったからまた会いたかったのに。今日の女の子は青木裕美さんか。この人も綺麗だな。
「派手な花ですね」
 青木さんが笑う。そうだな、このストレチアは南国っぽくて派手だよね。
「今日は情熱的な感じでとうかがったので」
「社長のイメージにピッタリですね」
 そうかもしれない。
 ここの女社長は女王の様に美しく極楽鳥のように情熱的だ。

「花旬です」
 社長室のドアをノックすると、どうぞと妖艶な声が返ってきた。
 両手に花器と花を抱えているので開けられないけれど、秘書の人が開けてくれる。
「失礼します」
 ソファーに掛けたままの社長。組まれた脚がものすごく色っぽくて直視できない。
 秘書のお兄さんの冷たい視線を感じるが、さっさと生けて帰ろう。
 細い花器にオレンジと青の眩しいストレチアを深い緑の細い葉とともに立たせ、足元に落ち着いた深い赤のダリアを入れる。黄色いグロリオサでアクセント。うん、こんな感じ?
「不思議ね。南国の花なのに冬にも合うのね」
 気がつくと社長が僕の後ろに立って見ていた。
「寒い季節なので逆に温かみのある色をと思いまして」
「とても素敵」
 気に入っていただけて良かった。
 仕事も終わったことだし、早く帰りたい。
 この社長と長時間いるとおかしな気分になる。
 強すぎる花の香りに眩暈を覚えるような、強すぎる酒に酔うようなそんな感じ。
 それに……これは自惚れかもしれないけれど、僕は狙われているような気がするのだ。美しい女王の情熱的な目はまるで得物を狙う鳥のよう。
「終わりましたので失礼します。ではまた一週間後に……」
 逃げたい。本当は逃げたいのだけれど。
「今日もこの後お忙しいのかしら?」
 来た。失礼だとは思うが、いつも仕事を理由に早々に退席させてもらうのだがそう何度も断りきれない。それに今日はここが最後だ。店はもう閉めてきた。
 嘘をつくのも嫌だったので、首を横に振った。社長の顔に笑みがのぼった。
 ああ、そんな風に笑わないで欲しい。落ちてしまいそうだ……。
「まあお掛けになって。いつも素敵な花を届けてくれる貴方に一度お礼をしたくて」
「ちゃんと代金は頂いてますからお礼なんて……」
 僕は何を怖がっているのだろう。それとも期待なのだろうか。
 確かに僕はこんな仕事をしているからか、そこそこモテるし熱烈に可愛がってくれるお客さんもいる。でもこんな氷の城の女王様がちっぽけな花屋の若造如きを本気で気にかけてくれるわけは無いのに。
「園田、あれを」
「はい」
 何事か社長が言いつけると、小さく返事をしてお辞儀をした秘書のお兄さんはなんとも言えない目で僕を見てから部屋の奥に消えた。
 突き刺すような視線。あれは嫉妬?
 しばらく応接セットの恐ろしく座り心地のよいソファーに掛けて、他愛ない話をした。この頃の町の景気はとか、寒いですねとか。
 偉い人だしあまりに浮世離れした美しい女性だから、雰囲気だけで警戒してただけかもしれない。話してみると優しそうないい人だったから安心した。
 僕が二十三で自分の店をやってるのは両親の後を継いで、という話になったとき、彼女が言った。 
「私は幾つに見える?」
「え……」
 女性に歳を言うなんて失礼だけど、まだ二十代後半から三十代前半ってところだろうか。僕よりは少し年上だとは思うけれど……。
「今日はね、私の五十六の誕生日なの」
「ええっ!!」
 思わず大きな声を上げてしまい、失礼だったかもしれない。
 でも……もう死んでいなくなったけど僕の母親よりも上だなんて……絶対に見えない。きっと冗談だよね。
「ふふふ。そんなに驚いた? でも本当よ」
「……」
「だから一緒に乾杯して欲しいの」
 車で来たからアルコールは困ると言うと、お酒では無いらしい。
 本当に誕生日だったのなら、もっと豪華な花にすればよかったかな。でも年齢部分はまだ信じてはいないけれど。大きく胸元の開いたスーツからはしみ一つ無い白い肌が見えてる。顔にだってしわ一つ無く若々しいハリがうかがえるし。こんな五十代がいたら魔女だと思う。
 先程アレンジした花を見て、社長が微笑んだ。
「私にストレチアの花言葉は相応しいと思わない?」
 ストレチアの花言葉。
 寛容、未来……そして『すべてを手に入れる』
 地位も名誉も衰えることのない美も若さも手に入れた社長には確かに相応しい。
 先程の秘書が銀色のトレイに二つの小さなグラスを乗せて来た。
「これは私の若さの秘薬なの」
 ダークレッドよりも濃いマルーンの液体。何の飲み物なのだろう。女性の若さの秘密って言うくらいだから柘榴か何かのジュースかな?
「乾杯」
 軽くグラスを合わせ、深い赤い液体を飲み込む赤い唇。微かに上下する白い喉。年齢を全く感じさせない滑らかなラインに思わず見惚れた。
「貴方も飲んで」
 唇に残った口紅よりも濃い赤を舐め取る舌が淫らな生き物のようで、それから目を逸らすように一気にグラスを煽った。
 木苺のような酸っぱい匂いと、舌に纏わりつくような甘みと微かに残る渋み。フルーティでとても美味しいと思った。なんとなく鉄っぽい臭いがした気もするが、若さを保つために蛇の血を飲む人もいる。少し入っていたのだろうか。
「私が本当に欲しい花は貴方。はじめて見た時から、他のどの花よりも輝いて見えた。永遠に枯れる事無くそのままの若々しく美しい姿でいて欲しいの」
 背筋にぞっとしたものを感じた。
「美味しかった?」
「はい」
「美穂ちゃんは特に甘かったわ。でも裕美ちゃんもなかなかだわ。二人ともまだ穢れない乙女だったのね。ありがとう、私達に永遠の若さをくれる可愛いお嬢さんたち」
 赤い唇が空になったグラスに愛おしそうに口付けた。

 今僕が飲んだのは……。

金木犀(キンモクセイ)

 暑さも和らぎ、午後の陽に黄金色のベールが掛かった季節。
 自転車で角を曲がると漂ってくる甘い芳香。
 この香りは金木犀。
 派手な花ではないけれど、小さなオレンジの花が身を寄せ合い他のどんな花よりもその存在を主張する。私の大好きな花。
 この香りを嗅ぐ度に貴方の事を思い出す。
「僕なんか君にはふさわしくない」
 そんなことを貴方は言ったわね。
 貴方は自分がどんなにステキかわかっていなかったの? それとも謙遜?
 決して貴方は派手じゃない。目を見張る美男でもない。でも漂う雰囲気と誠実さで貴方に惹かれる女は沢山いたわ。花の香にうっとりするように。
 他の地味な女と共に私から去った貴方。でも諦めきれなかった。
 ほんのちょっと彼女の車にいたずらしただけなの。別に命までとろうなんて思ってなかった。困った顔が見たかっただけなのに。
 でもまさか代わりに運転した貴方だけが消えてしまうなんて。
 車と一緒に燃え尽きて形も残さずに消えてしまった貴方。
 あの日も丁度こんな季節で金木犀が香っていた。
 あれからもう時が経ち、真実は謎のまま忘れ去られてしまった。
 はらはらと落ちてオレンジ色の絨毯のように地面を覆う金木犀。
 風にふかれて塵のように消えてしまっても、その香りだけは消えずに残る。
 私の後悔と、今はもう思い出の中だけにいる貴方の笑顔のように。

愛の花言葉

愛の花言葉

花言葉。 可憐な花、優美な花、豪奢な花、密かに咲く花。薫る花。 昔から人の心を惹き付ける花に託された言葉。 ちょっと狂気を含んだ花言葉にまつわる物語。 時に美しく、時に純粋で。だからこそ花は咲き誇る。 残酷な愛の花。 すべて短い、小説とも呼べぬショートショート。 最後に密かに開く花弁を、その香りをお楽しみいただければ幸いです

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-10-12

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 梔子(クチナシ)
  2. 鳳仙花(ホウセンカ)
  3. 女郎花(オミナエシ)
  4. 福寿草(フクジュソウ)
  5. 勿忘草(ワスレナグサ)
  6. 花蘇芳(ハナズオウ)
  7. 山桜(ヤマザクラ)
  8. 花桃(ハナモモ)
  9. 石楠花(シャクナゲ)
  10. 鈴蘭(スズラン
  11. 待宵草(マツヨイグサ)
  12. 松虫草(スカビオサ)
  13. 浜木綿(ハマユウ)
  14. 彼岸花(ヒガンバナ)
  15. 極楽鳥花(ストレチア)
  16. 金木犀(キンモクセイ)