作品名未定。

未完成作品ですが、どうぞご一読ください。

 踏切の音が聞こえて、ふと、顔を上げてみると、そこには夕陽に染まった空が広がった。
 フェンス越しに通り過ぎる電車を横目で見て、いつも、いつも、哀しくなる。
 前にも後ろにも人はいなくて、行きも帰りも私は一人だ。一人で歩いて、ひとりで哀しくなる。それでも歩く。

 なれる、と思っていた。
 この高校に入れば、なりたい自分に、なれる、と、そう思っていた。
 だけど、違う。なれない。
 まだ中学生の時に、気が向くままに桜丘高校の見学に来て、惹かれた。校長先生の挨拶、在校生によるプレゼンテーション、そして、校内を在校生が案内する。その全てに、私の直感が惹かれてしまった。高校とは、こういう所を言うのだと、感心した。部活動の見学で、どの部活も、生徒の活力があると感じて、またそれにも、私は惹かれてしまったのだ。そんな高校に入るために、必死に成績を取って、勉強して、受験に備えたのが、つい昨日のことのようで、あの時は、あれが精一杯の自分だと自負していたんだと思うと、まだ、あの頃は若かったと、昨日のことのような、ほんの1年前の事を、そう思ってしまう。

 「菜々穂」

 名前を呼ばれたと思って振り返ったら、そこには誰もいなかった。
 少し薄らいだ哀しみがまた、私の心の中で波打った。
 哀しみが増すほど、私は思う。
 私の居場所はどこだろうか。



 私が手を怪我することは許されない。
 それは、私の使命であり、運命だと半ばあきらめていた。
 いつからか母の影響でピアノを始めて、気が付いたら両手で鍵盤に指を走らせ、それで気が付いたら大会に勝って、気が付いたら辞めていた。だけど、辞めるまでの間に、犠牲にしたものも多くて、そのひとつが「指」だったのだ。学校の体育の授業だって制限されて、球技なんて、許されない。休み時間も外で遊んだりすることはほとんどなくて、教室で黒板に落書きをしては先生に怒られ、教室の端っこで本を読んでいれば「外で遊びなさい」と注意を受けた。そんな小学生だった。
 小学生の時にした苦い思い出なんて、今から思えば大したことではないが、それでもやっぱり、ふと、思い出してしまう。
 そう、高校から家に帰る、あの帰り道で。

 



 今から六年ほど前のことだろうか。
 陽が昇って、また沈む。そんな規則的な繰り返しの中のとある日に、教室の女子たちが騒いでいた。
「今年のバレンタインは、お菓子作ろうと思うんだよね」
 小学校3年生ともなれば、バレンタインだって、それがどんな意味を持って、どんな行事なのか理解してくる。ちょうどそのころ、『友チョコ』の全盛期だった。
 なんとなく聞いていた私は気にも留めなかったし、バレンタインにお菓子を作って、友達に渡そうなんて、考えなかった。どうせ、ピアノがあるんだから。
 だけど、バレンタインの日の夜、機嫌が悪い私を見かねた母の前で、私は大泣きした。号泣というより、大泣き。その涙に心なんてないのに、ただ雫がぽろぽろととまらなくなって、気がつけば声を上げて泣いていた、そんな感じだ。みんなは自分が作ったチョコレートを友達と交換し合っているのに、どうして私はその中にいないんだろう。よく晴れた日だった。2月らしい肌に棘の刺さるような寒さをまとった空の下、バレンタインなのに一つもチョコレートをもらえないまま、私は家に帰った。その日はみんなチョコチョコ言って私なんか相手にしてくれなかった。何も持っていない私なんかより、普段はあんまり話さなくても、もっと言えば、ちょっと苦手なクラスメートでも、チョコレートを持っていればそちらへ寄って行った。当時の私たちにとって、バレンタインとは女子同士の証の確認の日であって、それ以上の意味もなければ、それ以下の一日でもなかったのだろう。
 今思えばこんなちっぽけなことで、くすみがかった記憶の中でしか生きられない思い出なのに、私はこんなことを思い出して、時々、ときどき、胸が、苦しくなる。
 ただ、小学3年だった私はあの日、悟ったのだ。友達とはその程度のもので、ただ自分に利益があればなんでも良くて、都合がよければそれで良いのだ。それを、友達を言うのだ、と私は悟った。そしてそれを知った私は、稚拙ながらに、世の中に絶望を感じた。



 だけどまた、どうしてこんな日に。夕焼けがなんとも哀しくて、でも、どこかきりっとした雰囲気を醸していて。どうしてこんな日に思いだしたのだろうか。
 そうだ、今日一日はあまり楽しくなかった。
 頭でそんなことを考えながら、足を前へ出すたびに、いち、に、さん、と数を数える。
 高校に入ってわずか半年。
 でも、私は高校というものに、幻滅していた。もう、どうしようもなく幻滅して、それは全て自分のせいだとわかっているのに、どうしようもなく学校が嫌になって、先生が嫌になって、部活が嫌になって、先輩が嫌になって、友達が嫌になって、最後は、自分が嫌になった。それでまた、そんな自分に幻滅した。
 想像していた高校生活は、それこそ友達が百人いて、彼氏もいて、成績もよくって、部活も一生懸命に頑張って、趣味も満喫して、遊びにも行って、だけどやっぱりどこかでは勉強も頑張ってる、そういう女子高生になりたかったはずなのに、結局半年して、手に入れたものは何もなかった。むしろ、失ってばかりだ。高校初めての定期テストで赤点を五つも取って、現実を思い知り、部活も予想を越えたスケジュールの厳しさを味わい、自分と周りの部員との温度差も痛いほどに感じている。
 それでも、桜丘高校に入った以上、ここで根を張ってやっていくしかないのだろう、という諦めを持っていた。



 「菜々穂は友達がいっぱいでいいよね」
 教室にあるロッカーの前で桜が言った。私は心にひゅっと風が吹いたのを感じた。高校に入るまで、私が嫌われていて、相手にされていなかったことを、桜は知らないし、多分、この学校でそのことを知っているのは沙希ひとりだけ。昔の話、私だってまだ整理ができたわけじゃない。この出来事もまた、時々、私の胸を苦しめるのだから、自分から話したいなんて思わない。だから、桜にも話していないし、話さないと思う。桜は誤解している。桜は私の嫌な部分を知らないのだろうか。私が皮肉な人間であることに、気づいていないのだろうか、気づこうとしないのだろうか。桜とは、高校に入って、割とすぐに仲良くなったけれど、私は桜が怖い。友達だけど、どうしても好きにはなれない。
 「いや、友達、少ないと思うよ」
 だって地元に友達いないし、という言葉を呑み込んで、桜に返したら、桜は「菜々穂は部活が忙しくて遊ぶ暇もないと思うけど、私なんか暇な日が多いのに全然遊ばないし」と言ってきた。確かにそうだ、私には遊ぶ時間などない。でも、時間があったからって桜が思っているようには遊ばないよ、遊べないんだよ、桜。桜は続けた。「菜々穂は時間があったら、遊ぶでしょ」「うん、遊ぶと思うよ」一人でね。
 この学校にはまだまだ『私』を知らない人がいる。
 それは、小学生の時ピアノを私は私なりに一生懸命やっていたことや、小学3年生の時のバレンタインでチョコレートを一つも友達からもらえず泣いたこと、そして、小学3年生の時、何がどういう経緯だったか、はっきりとは覚えていないし、はっきりとした根拠も何もなかったと思うけど、私は死にたいと思って、家にあった頭痛薬を必要以上に飲んだこと、それで胃液を吐きまくったこと、小学5年生で経験した淡い恋のこと、その子に言われた悔しかった一言、楽しむはずの小学6年生、中学に上がって部活でのこと、勉強のこと、塾で怒られたこと、中学3年の時には部活のコンクールでソロがたくさんあって、その練習で泣きに泣いたこと、でも結果が出なくて本当に悔しかったこと、高校の推薦が決まるぐらいから、いきなり私は嫌われだしたこと、それでも平然としていた私の弱さ、そしてやっぱり世の中に希望が持てないこと、自分は何のために生きるのか必死に考えたこと、正直、辛かったこと。
 桜だけじゃなく、みんな、知らない。
 そんな全部全部、私が生きてきた道筋を全員の前で発表できるような環境が欲しかったわけじゃない。でもせめて、忘れたかった。そんな生き方しかできなかった自分を覆すような、努力と苦労に塗れて過ごす高校生になりたかった。
 なれないんだな。
 少し世界が広がったと思ったら、勉強ができる人がいて、スポーツ万能な人がいて、英語が話せる人がいて、ダンスがうまい人がいて、音楽ができる先輩がいて、私が手に入れたいものは、もうすでに、みんな、少しずつ持っていた。何も持っていないのは、私だけ。
 


 色づいた葉に攻撃するような雨が降った。
 「あぁ、傘忘れた、折りたたみも」
 今日は、いつもより、ツいていない。だけど、部活はあるし、桜とは一緒に帰れないし、美香も早く帰っちゃうし、沙希は補講があって部活に来ないし。雨は止みそうになかった。濡れて帰るしかない、か。
 でも、桜は傘を貸してくれた。「折りたたみ使っていいよ」と言って、さりげなく渡してくれた。そんな好意的な行為が、私を傷つける。私はこんなに優しくなれない。だから、雨は止んでいなかったけれど、私は桜が貸してくれた傘を差さずに雨に打たれて最寄り駅まで歩いた。
 駅のホームには同じ高校の、同じ学年で顔見知りの男子が一人ぽつりと立っていただけで、反対方面行きのホームには誰もいなかった。少し不気味にも感じられたが、迷わずホームに向かった。
 近くで見るとそいつは濡れていた。彼は右手に傘を握っていたのに、傘を差していたとは思えないほど、濡れていた。
 濡れた身体が冷たさを纏っていた。手はかじかんで、秋なのに、吐く息は白くて、空気と混じり合えないでいた。
 中年の男が一人、ホームに来た。
 また一人、若い女が来た。
 次は若い男女のカップルが手を絡めながら階段を降りて来た。
 一人、また一人、と数えていくうちに頭の中がぼうっと霞んできて、寒さも、自分が濡れていることも忘れて、その場にしゃがみ込んだ。電車が来るまであと六分もある。
 「傘持ってないの、」
 ふいに声をかけられてはっとした。そこで初めて、自分がしゃがみ込んでいたことに気付いた。自分の中に嫌悪感が走る。少し顔を上げると、顔見知りのそいつがいた。私は、だいぶん驚いて、口を両手で覆った。風が吹いて、私の髪がなびいた。
 「傘、持ってる」
 そう言って、そいつは左手を差しだした。立て、と目が言っていた。ホームを見れば、人は増えていて、それは、電車がもうすぐ来ることを示しているのだけれど、人がいる前で男の手を取って立ち上がる女、なんて情けなくて、恥ずかしくて、私はそいつの手を取らずに勢いよく立ちあがったら、頭がふらついた。それと同時に、そいつが差しだした左手をすっと引いて「ばかじゃねえ」とつぶやいたのが聞こえた。「初めて話す奴にそこまで言われる筋合いある」と思いながらそいつを見たら、思っていたよりも身長が高くて、また驚いた。
 まもなく電車が参ります。白線の後ろに並んでお待ちください。
 「傘いらねぇの」
 私はその問いかけに答えなかった。答える気がなかったのもあるし、会話が続けば面倒だなと思ったのもある。
 電車がホームに入ってきた。
 扉が開いて、車内から人が出てきて、少し空いた空間に人がぽつぽつと乗っていく。私も乗ろうとして、もう一度そいつを見た。動こうとはせず、電車に乗ろうとする気色がうかがえなかったが、「いらない」とだけ言って、私は電車に乗り込んだ。聞こえるように言ったのに、そいつはちらりとも私を見なかった。
 結局、そいつはその電車には乗らなかった。


 あの日駅のホームで会ったあいつは、あれ以来一度も見ていない。
次の日私は、桜にありがとうと言って傘を返した。とても助かったよ、という言葉を添えて。
部活では三年生が引退して、部活の雰囲気が緩んだ。それとほぼ同じぐらいの時期に、私は、塾と英会話という習い事を始めるために、部活にいけない日があるという話を持ちかけた。もう、新しい年を迎えていて、私は高校二年生へ上がる準備をしなければいけない時期に差し掛かっていた。わざわざ部活時間を削ってまで塾に行く必要性を問われたり、同級生には詰られたりしたが、なんとか承諾を得て塾へ通い始め、いつからか部活へ行く頻度が減った。
私には夢がある。
でも、私は、その夢が叶わないことを知っている。
私はそういう人間なのだ。そうやって誇張して話を盛っておきながら、努力なんてできない。そんなの、昔からわかっていた。わかっていて、部活を早退したり欠席したりする。ただの逃げでしかないじゃないか。諦めでしかないじゃないか。そう思いながら、また駅までを一人で歩く。ごめんなさい、先輩。ごめん、みんな。

 駅のホームへ行くと、たまたま、あいつがいた。学校でも駅のホームでも雨だったあの日以来全く見なかったけど、あの日からずっとそこにいたような感じがして、私自身そんなに驚きも焦りもしなかった。それに、この前よりもうんと、ホームで待つ人はすでに多かった。
ただ、目を疑ったのは、今日も彼は濡れていたことだ。濡れて、服の色が本来より濃くなって、肌にべとりとひっついていて、それはとても、不自然極まりない装いだった。
私はとっさに空を見上げたけれど、雨は降っていなかったし、むしろ、この前の雨が嘘だったように、空は青く微笑んで私たちを包んでいた。
 もともと人の多かった駅のホームに、また人が増えてきて、人に隠れてあいつが見えなくなった。さっきは携帯を触っていたから、今も携帯を触っているんじゃないかと横目で確認したら、彼はこちらにむかって歩いていた。

 あぁ、私のところまでくるんだなと思いつつ、私も彼の方へ歩き出した。その行動に驚きはなかった。それは遠距離恋愛中の男女のようでもあったし、もう一生会うことのない友達のようでもあった。でも私は、なんとなく、直感で、これから先にも、ばったり遭遇するだろうなと思った。そういう空気が二人をまとっていた。肌に心地よく、心に優しい空気だった。
「久しぶり」
声をかけられて、私ははっきりとした意識の中で、「この前はどうも」と少しだけ頭を下げながら言った。それで、続けた。「名前は」。

作品名未定。

いかがでしたか、感想お待ちしています。

作品名未定。

東日本大震災を受けて、考え方の変化や人の生き方を描いたものです。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-01-23

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