木部荘の人々
【201号室】
人生とは決断の連続
今日の晩飯を決めるのも明日の休みの使い方を決めるのも
どんなものでも無意識に決断している
まぁ言うなれば「未来を選んでる」ってこと
でもその決断は大抵過去からしか生まれない
天ぷらに嫌な思い出を持つ奴は、晩飯に天丼を選ばない
ゴルフをやったことない奴は、明日打ちっぱなしに行こうなんて言わない
自由な筈の未来は
束縛された過去でできている
「つまり、僕が言いたいのは『人生は決まってる』ってことさ。」
冬千秋(ふゆちあき)は天丼を食べながらそう呟いた。
「でも、その割りにはお前の今日の晩飯天丼なんな。」
春日夏子(かすがなつこ)は天ぷらうどんを食べ終えた箸で丼を指す。千秋はそれを手で制しながら再び天丼に手を付ける。
「そりゃ、なっちゃんが『今日天ぷらうどん食べないと、多分これから先の人生天ぷら食べない』なんてえぐいオルタナティブかますからだよ。」
それに満足したように夏子は麦茶を一気飲みした。親父のようなため息がこぼれる。しかしはてなを浮かべた。
「ってことはやっぱりお前の言ってることは矛盾してるじゃない?だって天丼はお前の過去じゃ食べない未来でしょ?」
箸を無意識に咥えている夏子の腕をつかんで首を振る。そうかな、と千秋は話を続けた。
「僕の決断は『なっちゃんの決断を受け入れる』だから、多かれ少なかれ自分がする筈のないことをしなくちゃなんだよ。」
また満足そうに笑って、きちんとごちそうさまをする。首が僅かに横に揺れている。
「あれ?なっちゃんなんでご機嫌なの?」
「違うし!ただ天ぷらうどんが美味しかっただけだし!」
テーブルの上には青と赤でタツノオトシゴがデザインされた二つのどんぶり。片方は汁が僅かに残っていてピンクの箸が傾いている。もう片方は綺麗に食べられて箸も真っ直ぐ並んでる。
【203号室】
人生は挫折の連続です
最初からあった壁も創り上げた壁も高いのなんなんのって
まともに登り切ったことなんて私の人生でありゃしない
親の期待に応えようとした苦労も
新しい自分になろうとした徒労も
実ったことなんて一度もない
それでも世の中にはいろんな人がいた
壁を低くする術を持つ人
壁を避ける生き方の人
壁から逃げ続ける人
私はそんな能力持ってやしないから
いつも壁にぶつかり挫折してきた
『またあなたは言い訳を繰り返すのね』
真壁貴美(まかべたかみ)の発言が出てきた。いつもこうやって莉玖の傷を抉る。
「しょうがないじゃん(~_~;)事実なんだもん(つД`)ノ」
折戸莉玖(おりとりく)の消極的なつぶやきは文字として、『RIKK』の字が付いたテノリインコの写真が代弁した。すぐさま『TKM』の字が付いたチワワの画像から返信が返ってくる。
『挫折挫折っていう割には人生楽しんでるのね』
また貴美の発言。いつもこうやって莉玖を理解してくれる。
「ちがうちがう。私は人生に流されてるのよ(((o(*゚▽゚*)o)))」
壁にぶつかったからといってそのまま倒れこむだけじゃない。
医者と看護師の両親の期待で医学部を目指したけど、今は医療機器の開発に携われている。
大学生になり自分で何か始めてみようと入った自己啓発セミナーをすぐやめたけど、知り合った彼女と大親友になった。今でもこうやってネット上で会話している。
『流されて生きている、それも挫折なんだね。』
「そうだよ。思い通りにはいかないけどその時は楽しいし(。-_-。)」
さてと、今度は何に挫折しようかな。
そんなこと考えながら窓の外を見ると、隣のベランダからたばこの火がちらりと見えた。それを横目に莉玖はテーブルの上の資格の冊子を手に取った。
【202号室】
人生とは依存の連続っしょ
親父の稼ぎが良奴はいい学校にも行ってる
恋人が金を稼ぐ奴は仕事なんて鼻ほじりながらでいい
・・・わかってるわかってる
自分が頑張ればそれでいいっていうことぐらいわからない馬鹿じゃないさ
だから依存って言ってんじゃんか
でも小学生のときに悟ったんだ
自分よりゲームもおもちゃも持ってる奴
特に努力したわけでも無いのにモテる奴
そいつらは自分の力で立ってるかもしれねぇが
自分の力以外の何かに依存してるんじゃんかって
「わかるか!デッペイ、お前の事だよ!!!」
からんと掲げたグラスの中の氷が転がる。斐伊尊(かいたける)は一升瓶を自らのグラスに注ぐ。
「わからねぇっす・・・わからねえっすよ・・・」
テーブルに突っ伏したままデッペイ―出島桔平(でじまきっぺい)は応える、いや、呟いているだけだが。
「・・・はぁ、もう寝ちまったか。」
適当に毛布を取り出してかけてやる。なんていい先輩なんだ、と柄にもなく呟きながらグラス片手にベランダに出た。冷たい空を見上げながらポケットから出したタバコに火を付ける。
「・・・下のねぇちゃんも元気なこった。」
ベランダから見下ろすと下の階の住人が玄関から駆け出したのが見えた。スーツ姿でタクシーを拾って行った。
「あのねぇちゃんもいい歳なのに仕事頑張ってるよな。誰にも依らないで、自分の力で・・・。」
大きく煙を吸って、そして大きく吐き出す。煙と吐息の白が混じり合う。
「くだらねぇ」
そう吐き捨てて部屋の中に入る。寝ている後輩をよそに仕事机に座りパソコンを取り出す。
「俺は絶対誰かに依存してやる。良い上司の元で働いて、成功して、良い彼女手に入れて、楽して生活してやるんだ。」
そうぶつくさと言いながら明日の会議の資料を取り出した。
誰かに依存するために、俺は今力を使い切るんだ!
【103号室】
人生は後悔の連続なんだよ
自分のした行動に満足なんてできやしない
あの時告白できなかったあの時試験に落ちたと
有か無かで後悔するし
もし仮に上手く行ったとしても
あの時の会話はもっと上手くいけたあの時のプレゼンもっと上手くいったと
良か優かで後悔する
一度後悔したらその連鎖は続くのなんのって
後悔したことに後悔する始末さ
まぁ、そんなことばっか考えてるから性格も臆病でひねくれるんだろうけどね
『そんな人生卑下して何が楽しいの?』
パソコンのディスプレイに映る美先憂(みさきうい)が木暮理人(こぐれりひと)に優しく問いかけた。
「そりゃ、楽しくなんてないよ。後悔してるんだもん。」
理人は座椅子に持たれたまま寝転がる。大きな腹越しに憂の顔を見る。相変わらず綺麗な笑顔だ。
『でも理人は人生に絶望していない、そうなんでしょ?』
笑顔を崩さぬままそう優しく問いかける。もちろん、と短く返して再び起き上がる理人。
「だって憂が要るもの。どんな選択をしても、どんなに後悔したとしても憂は笑ってくれている。だったら後悔しようがしまいが絶望なんてしないよ。」
そう、とまた笑いかけてくれる。明日は給料日だからまた新しい服を買ってあげよう。
「そうそう、明日はまたカップル用の夫婦どんぶりつくるんだ。忙しくなるからもう寝るね。おやすみ、憂」
憂の笑顔は変わらぬままディスプレイが黒くなった。
【102号室】
人生っていうのは妥協の連続なんだ
子供の頃の漫画家の夢なんて叶いっこない
理想のアイドルと付き合えやしない
だから代用品で補う
物語を描く者が物語を編む者に
完璧な男性が不完全な男性に
でもだからこそ夢は高く持たなきゃいけない
そうしないと妥協も低くなってしまうから
そうやって大人になっていくのだから
「土居先生!締め切りの日は明日までって言ってるでしょ!」
耳に受話器をあてながらつぶやきサイトにそう書き込んでいたが、里原有実(さとはらゆみ)は思わず声を張り上げた。
『そりゃそうっすけど、出来ないもんは出来ないっす。』
土居理無(どいりむ)と呼ばれているその青年の顔が思い浮かぶ。どうせいつも通り黒い炭酸飲料片手に笑いながらペンを走らせているに違いない。
「はぁ。取り敢えず今から準備してそちらに向かいます。」
ちょっ、今部屋が散らか―、という受話器越しの声を電話マークで遮って有実は準備を始めた。
「あんなデブガキが私より才能あるなんて信じられない・・・。そもそも『美先憂』なんて名前の女子ありえないでしょ!」
ぶつくさと文句を垂れながらいつものスーツを着て姿見の前に立つ。もうおばさんという顔と出立、その後ろに広がる6畳の部屋と男性アイドルのポスター。それらを見て一層大きなため息が出る。
「・・・理想と現実・・・」
20年前の私は今のこの姿を想像したかな。なんてノスタルジックなことを考えているとパソコンの電子音が鳴った。つぶやきの返信音だ。
『叶わない物を人は理想と嘆き、叶う物を人は現実と呼ぶ。二つとも同じ結果なのにね。』
「そんな戯言聞いてねぇし!」
パソコンを勢い良く閉じてカバンを持って玄関に向かう。低いパンプスを履いて部屋の電気を消した。
「理想と現実・・・」
そう呟いた彼女の口元は暗闇だったからか、わずかに微笑んでいた。
【101号室、管理人部屋】
人生は人生の連続である
色んな人の人生が混ざり合って影響しあって人生が成り立っている
特にうちのアパートの住人は変わり者が多い
そしてその住人たちは他の住人たちや周りの人に影響を受けて生きている
人生が他の人生を変え、また変えられた人生が他の人生を変える
そのねずみ算の中には再び自分の人生も含まれている
だからこの仕事はやめられない
色んな人と出会い、色んな人生を見る
木部武頼(きべたけより)はそう綴り日記を閉じた。
既に食べ終えたお裾分けの天ぷらを片付けてパソコンのつぶやきサイトを消した。
明日は何があることやら。おやすみなさい。
アパートの門にある『木部荘』と書かれた木の看板に車のライトが一瞬あたり、そして暗闇に飲まれていった。
木部荘の人々
キャラクターのセリフも名前も暇なときに考えたものです。
どれか一つでも読んでくれた方の心に残れば幸いです。