冬の或る日

 齢十八。青年はまた一つ歳を重ねて大きくなった。その背中は未成年と思えないほどに大きくて、まるで私の手の届かない他の誰かになってしまったような気がした。外見も然る事ながら内面も強く逞しく、私の知らない彼になっていて嬉しいような寂しいような。私から言わせてみれば一つ年上の彼、彼から言わせてみれば一つしか違わない彼女、そんなちぐはぐな私たちはいわゆる幼馴染だ。そんな幼馴染というもどかしい境界線の上でなりたっている関係が私は嫌で、けれど好きですと素直に気持ちを伝えられるほど強くなくて、大学へ進学すると共に都内のマンションで一人暮らしを始めた。単純な私は彼に綺麗だ、と褒められてからずっと伸ばし続けてにいた黒髪を栗毛色に染めて顎のラインを隠すようなボブにした。こんなもので過去に囚われず生きられる、なんて烏滸がましいことを思ってはいないけれど、せめてもの気休めと考えて本音を漏らせば染めたくない髪を何年かぶりに染めたのだ。
 冒頭、また大きくなった、と彼について振り返ってはいたけれど飽くまで届いた寒中見舞いやら年賀状やらの写真による断片的な想像でしかなく、実際には見ていない。ましてや会ってなどおらずかれこれ二年間、私が大学に進学してからというもの一度も顔を合わせていないのだ。会いたい、そう何度思ったことか。

 けれど私の恋もそろそろ寿命が尽きるのでどうでも良い気がしてしまうのもまた事実。寿命というよりは賞味期限という比喩のほうが正しいのかも知れないけれど。とあるテレビで見てしまったのだ。人間は恋に陥るとPEA、別名恋愛ホルモンという脳内物質が大量に分泌されるらしく寝ても覚めても恋人のことしか考えられなくなると言われているらしい。けれど二年、三年も経てばこのホルモンの分泌が減って好きの感情が薄れていく、と科学者だか心理学者だか知らないけれど語っていた気がする。もしそれが本当ならば今年中に、もしくは来年の頭あたりにでも彼を好きではなくなるのだろう。

 そんな事を炬燵に入ってココアを啜りテレビを観ながら遠巻きに考えていた私は、急に鳴り響いた携帯の着信音に大袈裟ではないかと思われるほど大きく肩を跳ねさせた。夜半、二時を過ぎた頃合いに非通知からの連絡。怪しいにも程がある。大学の友人から警戒心が薄過ぎるとむざむざ言われているものだから更に通話ボタンを押しにくいのだ。迷った挙句無視を決め込んだ私が甘かったのかも知れない。ワン切りとはいかずとも数回のコールで切るべきだったのだ。留守番電話、と名のつく機能を利用する人が少なくなった所為なのかそのまま放置すれば向こうが切るだろうと考えていた。テレビに夢中になりながらもお決まりの常套句を並べる女性の声が聴こえた。そしてこれまたお決まりの如く高い一定の音色が一定の時間流れ、切れた。

『もしもし』
「!」
『外、見てくれねえか』

 無言のまま握り締めた媒体が震える。今しがた忘れようと、嫌いにはなれなくてもせめて好きだという感情を消そうと、そう思っていた相手が恐らく家の下にいるのだ。直感的にそう感じた。いや、単にこんなキザな台詞を口にしておきながら何もしないとは思えない、と思いたかったのかも知れない。カーテンを捲って窓から顔を覗かせると案の定彼の瞳が私を貫いた。視線が外せない。いつになく真剣な表情に息を呑むとそれはそれは優しい笑顔を浮かべた彼は白い息を吐きながら口パクで何かを告げる。形の良い口唇の動きだけで言葉が分かってしまう私も私だがそれで伝わると思っている彼も彼だ。

「伝えられなくてごめんな、好きだ」

 視界が曇る。肩と手が震えて気がつけば私は玄関を出て彼の胸に飛び込んでいた。少し大きくなった彼の胸板は逞しくて、それでいて優しくて、溢れんばかりの涙を拭うことも忘れ子供みたく泣き声をあげると大きい温かな掌が私の頭を撫でる。

「ねえ」
「ん?」
「私も好きだよ」
「うん、知ってる」
「遅過ぎた、かな?」
「これから、だろ」
「うん、知ってる」

冬の或る日

冬の或る日

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-10-09

CC BY-NC-ND
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