賛美歌

小学生の頃、友達に誘われて近所の日曜学校へ行っていた。
キリスト教徒ではなかったけれど、そういうことに関係なくいろんな子が
遊びに行くように気軽に集まっていると聞いたので、深く考えず、
私もただ先生や友達に会いに行くために通っていた。


当時、その教会に住んでいらしたのは五十代くらいの女の先生で
お一人だったのでおそらく独身だったのだろう。
いつもにこにこ明るくて、さっぱりとした楽しい先生であった。
日曜でない日にも二、三人の友達と連れ立ってわざわざ遊びに行くくらい、私もよく懐いていた一人だった。


日曜学校では、オルガンの伴奏に合わせて賛美歌を歌ったり、簡単なゲームなどをして過ごしていた。
もちろん神様のお話もあったと思うが、肝心のその部分は残念ながら本当に断片的にしか思い出せない。


ある日、いつものように礼拝やレクリエーションが済んで、みんながそろそろ帰り支度を始めた頃に
珍しく重い表情をした先生が口を開いた。
教会の近くに住んでいた私たちと同じくらいの年の男の子が、つい最近亡くなったのだという。
今日はこれからみんなでその子のおうちへ行って、その子やご家族のために賛美歌を歌ってほしい。
そういうお話であった。


学校などで身近に亡くなった子がいるという話は聞いたことがなく、私にとっては全くぴんとこない話だった。
他の子供たちも同じような表情をしていたので、その子のことを知らない子が大半だったのではないかと思うが、
先生が真剣におっしゃることなので嫌がる子は誰もいなかった。


教会を出て、しばらくぞろぞろと先生の後をついて歩き、あるお宅の前に着いた。
わりと新しい感じのごく普通の一戸建てで、お葬式の支度でもしている最中かと勝手に想像していた私は、幾分拍子抜けした。
外から見ると、他の家と全く変わりない様子であった。
玄関先に出ていらしたお母さんも、思っていたよりずっと落ち着いているように見えた。
と感じたのは、今思えばただ単に私がひどく幼かったせいで、本当はそんなわけはなかったはずなのだ。
大事な人を亡くしても、残された人たちはすぐにまた普通の毎日に強引に引き戻されなければならないということを、
まだ知らなかっただけだった。


玄関先にぎゅうぎゅうと密着して立っている私たちは、先生の合図で賛美歌を一曲歌った。
歌っている間中、そのお母さんは表情もなくただ黙ってじっと立っていた。

それまでにも、クリスマスの時期などに教会に通う子供たちの家々を回って
玄関先で賛美歌を歌うという慣わしがあったが、私はどうもそれが苦手であった。
歌っている方はいいけれど、聞かされる方は大勢の子供たちの正面にずっと突っ立っていなければいけない。
これは相当居心地が悪かろうと思う。
その居心地の悪さは子供の私にもよく分かったので、いつも早く終わることを願いながら気もそぞろに歌っていた。


やっと歌が終わってほっとしていたら、先生がもう一曲賛美歌のタイトルをおっしゃった。
今日は特別のことなので、二曲歌うことに決めたらしい。
まるまる二曲分、居心地の悪い時間が続いた。


歌が終わってもお母さんの顔はやはりぼんやりとしたままで、それでも「せっかく来てくれたのだから」ということで
私たちみんなをおうちへ上がらせてくれた。
みんな押し黙ったまま靴を脱ぎ、案内された部屋へ入っていくと、そこに真新しい大きな祭壇が飾られていた。
四十九日という言葉はまだ知らなかったけれど、お葬式が済んだばかりだというのは子供でも分かった。
白い花がたくさん飾られて、皓皓と明かりが灯り、真ん中に見知らぬ男の子の写真があった。
じいっとよく見てみても、やはり知らない顔であった。


お母さんがお皿に入れたお菓子を回してくださって、一つずつ選んでみんなで頂いた。
それは自分の家のおやつで出たら喜んで食べる大好きなお菓子の一つだったが、
にぎやかにしていい場でないことはみんな分かっていたので、黙って下を向いたままもそもそと食べた。



…はっきり覚えているのは、このお菓子を頂いたあたりまでであって、男の子の名前や学年も結局分からないままである。
どうして亡くなってしまったのかも、やっぱり分からない。
分からないことがたくさんあるのに、この日のことを今でも時々思い出す。
そうして、なんだか申し訳ない気持ちになる。
その申し訳ない気持ちは、大人になるにつれ増していく。


亡くした子供と同じくらいの年の子供たちを、あのお母さんはどんな気持ちで眺めていただろうか。
健康でのんきで明るく、まだ延々と先の未来が続いているように見える私たちと、
その男の子とは、一体何がそんなに違ったのだろう。
どうしてその子だけが、そんなに早く人生を終わらせなければいけなかったんだろう。


私が母親であったなら、きっとそんな風に考えてしまう。
それは、子供の頃には分からなかった感覚だ。


幼い私たちが目の前にいるというただそれだけのことが、もしかしたらお母さんの気持ちをひどく傷つけていたんではなかろうか。
どうしても最後に、そういう考えに辿り着いてしまう。
誰が悪いわけでもないので、よけいもやもやするのだろう。


人によっては、その先生に少し配慮が足りなかったと思う人もいるかもしれないが、
どうにかしてご家族を慰めたいという先生の思いは本当のもので、それを責めるような気持ちには今でもなれない。
そしてこのことがあっても、先生のことを大好きだった私の純粋な気持ちも、ずっと変わらない。


じゃあ何なんだと聞かれると困ってしまうが、何ともいえない話を、何ともいえないまま書こうと思った、
というのが、一番近い答えのような気がする。

賛美歌

賛美歌

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-10-09

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